アホがスター連打したからやん…
公益団体に毎月千円ずつ寄付していると、無駄なことに千円使う気がしなくなる。千円浪費するぐらいなら寄付する方がマシと考えるようになる。なお、戦争地域人道支援の赤十字への寄付は単純に義憤から。
>払えば払うほど責められる 面白い視点だ。千鳥が漫才で言いそう。禍福は糾える縄の如し世界観に生きてるから臨時収入あった時1年ユニセフしてた。あれで相殺されたはず。大谷翔平はバッドラックの消費方法も上手い
庶民から千円二千円かき集めるよりタックスヘイブンに資産隠してるような金持ちの所に突撃して一億二億の寄付迫る方が効率良いと思う。マイケルムーアあたりがやらんかな
“あなたは恵まれています。だから寄付をお願いします”逆でしょ。私は恵まれています。だから寄付をさせてください。の精神でしょ。恵まれているは裕福だという意味ではないんだよ
イイ気になりたいからだよ
日本に生まれただけで豪運で、運だから貧困地域に生まれる可能性もあったわけで、その可能性にほんの少しだけでも寄付するって感じなんじゃないの
しなくていいと思うけど「クリックで救える命がある」みたいなのはクリックしたくなる。同時に寄付を迫ってくる広告はストレス。Wikipedia の寄付のお願いのポップアップのストレス、どうにかならないか…。
日テレやアグネス・チャン、身なりいい人たちが挙って寄付を呼びかけたりするから胡散臭くなったのでないかな。例えば日本ユニセフ協会もサッカー元日本代表の長谷部誠が大使をやってから表向きは改善されてる。
学校で募金を求められて、その額に文句つけられたことあるな。自分の少ないお小遣いから目いっぱい出したのにさ
返礼品もらえるから、じゃないですか????
寄付は、自分ではやらないがそうなって欲しいと望むことを、他人に金銭でやらせる行為だと認識している。望んでいないことであり、ただの無償投資でしかないと判断するなら、別にやる必要はないのでは。
まぁ、確かに趣味の一つだなw
贈与は人間社会の基本的仕組み(マルセル・モース、レヴィ・ストロース)。はてブだってなんの見返りもないのにカラースター付けることあるでしょ
『偽善やってます』と公言しながら毎年数回の献血をしてます。寄付した後のお金の使途は分からなくなるけど、血液は決まってるしね。
恵まれていると言われることが責められているように感じるなら、旨いものでも喰ってゆっくり寝るべき。そりゃ褒められてんだよ。スラングの裏山というやつ。幸せな人は幸せを増やすから多ければ多いほどいい。
私有財産の否定ですよね。そんなに救いたかったらお前の資産から俺の分も出しとけって話。
無理に分からなくてもいいような。
金額的には大したことはない場合もあるが互いの承認要求を満たすものでもあるので金額以上に必要だったりする.プレゼントみたいなもの.
節税
当たり前だが、他人に何かを強制することはできないので、私は寄付をしたほうが良いと思うが、無理強いはしない。
寄付ができないのは、金銭的に貧しい、ゆとりがない。だから寄付をしない、できない。そんなことよりも、心が貧しくて餓えていたり、成長してなくて未熟であることが大きく関係していることが、この増田からわかるね
多分、プレゼントされたこともしたこともない人間(特に利害のないものごと)だと思われるのでただひたすらに孤独な人生なのだなぁ。1人でも頑張ってね♪としか思わない。分け合わうと得られる世界線もあるんだけね
じぶんが理由なく裕福であることに対するエクスキューズなのでは?
元々宗教的な出自のものだったと思うし信心の薄い東アジア圏ではあまり定着していない気がする。心に余裕が無ければ無理にするものでもないと思う。
返礼のお肉と税金のためだよ
自分は、1)若い頃にアジアを回って「日本に生まれただけで恵まれている」と感じた 2)とはいえ世界各地で起こる災害や飢餓、貧困を精査できないので、支援のプロに任せて自分の気持ちを楽にしたい ……からかな。
個人の選択だし理由も自由/「心が寂しい人だと思われるから言えない」など、やる前から批判者を想定する徹底した他責思考なのは気になる/自分の評価を他者依存するな/自分が責められたくないなら他人にケチつけるな
やれって言われるとやりたくなくなるのは確かにある。小学校の時クソ担任だった時にあったけど意地でも払わなかった。でも寄付してる人をおだてるくらいはしときな。
ま、お気持ちで
寄付は心の贈り物、強制されるものではないのですわ。大切なのは、お気持ちが共鳴するかどうかですの。気が向いたら、少しずつでも考えてみてくださいませ。
本来は人の善意などという不定のものがなくても世の中が回るようにしなければならないので、社会制度の設計が甘いのがそもそもの問題。増田をはじめ個人の責に帰する事柄ではない
しなければいいだけ。何故そんな考えになるのか分からない。
災害のニュースに接するとなんとなく罪悪感を覚えることがあるが、少額でも寄付しておくと「まあ、やれることはやったしな」と思えるので精神安定上良かった
心に余裕のバロメーター
自分が嫌いなので……
寄付はノブリス・オブリージュの一種じゃないかな?ボランティアとちがって小銭を払うだけでいいことした気分になれるし高貴になれる。タイパでみるとお得。
サービス残業でちゃんと命の寄付してるでしょ?
寄付がもたらす心理的メリットは大きい。幸福感の向上、自己肯定感の向上、社会との繋がりや連帯感の獲得、社会課題への理解と価値観の見直し。
映画「アバウト・シュミット」を見よう
ホームレス支援とか病気の人のサポートとか、困ってる人を助ける仕事もしたいのだけど、それをやる時間と暇が無いからと、せめてそういうことやってる団体に寄付をして代わりにやって貰ってる感じ
「恵まれてると決めつけられる=責められてる」と「趣味の一つ」がつながらなくて何言ってるのかよく分からない。
"責められている感覚がある"が分からない。/たぶん、推し活みたいなもんだよ。応援したい、活動を続けてほしいから、寄付する。無理のない範囲で。それで第三者に褒められたいとは思ってない。
あっちは「我々の事業に賛同するなら寄付してください、でないと事業が続けられません」って言ってるだけで別にこっちが恵まれてる云々言ってないよね。続けて欲しいなら無理のない範囲で寄付するだけの話。
例えばWikipediaは大企業からの寄付だけでやっていけたとしても、それだけだと大企業に忖度するように内容が傾いていってしまうので、健全性を保つために個人からの寄付も止めてはならない
寄付してることをここぞとばかりに言う人が気になっちゃうことはあるよね。大丈夫、自分は自分の考えで生きていけば良い。
俺は長年 UNHCR に寄付し続けてるけど、それは昔にパレスチナ難民に親切にしてもらったから。相手からすればちょっとした親切でも、困っている状況にいれば、それが身に染みる。自分もそれを可能な範囲で続けたい。
寄付したいと思うまではしなくて良いと思う。喜捨。
寄附の先にもよるけど実利的には節税、自分もお世話になる可能性があると思っての資金援助的なもの、あとは気分?
ナイスパ!
私が習ったのは、稼いだ金を自分だけでなく他人のためにも使うことができ、人のためになり、徳を積むことになる、という考え。徳を積むと何が良いかは検索でもして。高額納税者は既に税金で充分かもだけど
災害地域にその後大きめ一軒家ゾロゾロ建ってるの見ると、「生活カツカツの自分が募金する必要あったか?」と思ったりはする。でもする。/イーロン見てると個人主義の結果こうなったんやろなって気はする。
しなくてもいいと思うけど、責められてるとか、認知がヤバいことになってるのでは?
私も貧乏なので寄付をしていないが別に責められているようには感じない。寄付する人も寄付する行為も立派だけどそれはそれとして自分とは切り離さないと生きていくのしんどくないですか。
本来は全てが自然の恵みで生かされてんやから持つ者は持たざる者に分け与え共に豊かになろうやが、現代は寄付を語った持つ者が制度利用してより増やすだけやし、政治も持たざる者から広く吸い上げる寄生虫やからな。
貢献感
ブコメ欄を見てると寄付は選挙と似てる。単に「自分はする」だけで良いのに、謎のマウントを取り始めるブクマカがにょきにょき生えてくるあたりが
金持ちの場合、金でできる楽しみや趣味、やることがなくなって寄付をすることで必要とされる存在になるとは聞くね。
🧔🏼♀️「はっきり言っておく。id:njsjnは賽銭箱に入れている人の中で誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は乏しい中から自分の持っている物をすべて、小遣いを全部入れたからである」
善意ではなく、世界はこうあるべき、という人気投票に課金して投票してる
社会の維持のためか、制度化というか習慣化されてる宗教もあるし、結局のところ税金によらない富の再分配ということなのではないかと。使い道が選べる自主的な税金というか?
私が寄付する理由は、反フェミニズムを主張してると、思いやりがないなんて、中身ゼロなアホ反論を受けた際に堂々と反論できるため。少なくとも自分自身にはゆるぎない自信が出来る。強制には単に無視すればいい
“寄付はたぶん趣味の一つなのだろうと捉えている”まぁそう/増田の感覚は私にはとてもよくわかる。なので自分の身近なところでだけにしてるかも。例えば母校への寄付や、Jリーグやクラブが声掛けしてる時など
他人が干渉するなって雰囲気だけど、この増田も寄付してる他人に干渉したい側なので立ち位置が変わってたら寄付しない人間がわからない(ドヤ)ってやってそう。
蓄財が自分のためだけの浅ましい行為ではないという証明にはなるな
『環境問題への取り組みはセクシーであるべきだ』という小泉氏の談話は実は引用で、さらにこの話題と密接に関わる。つまり社会貢献活動は、それが社会的にカッコいい行為だという評価にならなきゃね、という含意だ。
「責められている感覚がある」責めてる人はいないが、この感覚を考えてみるのは重要。今おかしくなってる連中の多くは、どこかにいる「自分を責める人」を探し回ってる。「良心の呵責」を感じる自分から逃げたくて。
趣味みたいと言われればそうかもな。毎年寄付に使う一定額を決めてて何処に寄付するかは都度悩む様にしてるが、「まあ真面目にやってるな」て団体を探すのもちょっと苦労する。それを楽しんでいる部分も無くはない。
あれは「まともな人間であることをアピールする」以外の意味はないよ
深夜特急を読みなよ。インド編にこの感情に関する一つの解が提示されている
なるだけ自分からは遠くに布石を打っておけば寿命が尽きるまでには助けになると思うけど。やみくもだったら意味はないだろうな。
NetBSD.org に寄付してる
顔も見たこともない、どこにいるのかも知らない赤の他人への寄付は人間の基本的な活動ではないと思うけどね。人類学の贈与は全く異なる概念でしょ。
毎月少額だがbrewに寄付しているが,理由はと言われると,ないと困るから,かな?
金銭の寄付だけが寄付とは限らないとおもう。 一方的に不要になった服を送りつけるのは論外だけど。
「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」マタイ6:19
100%純粋な自己満足。最近流行の承認欲求でもいい。俺も動物関連とユニセフに寄付してる(ほめて)。そういや湾岸ミッドナイトの株で食ってるキャラが、その“後ろめたさ”で儲けの10%を寄付し続けていると言ってたな
節税…?
はてなではディスられガチだけど24時間テレビを観ると、毎年どこかの災害で昨日まで普通に暮らしていて家を失った人がたくさん出てくる。他人事とはとても思えないので毎年寄附を続けている
昔「自分だっていつ必要になるかもしれないし、今は若くて健康だから献血してる」って話したら、「献血なんて趣味でしょ」って言われたことがあった。なるほど、しない自分が責められてる気がしたのか。
消える増田流行ってる?
責められてるって感じてしまう時は、自分に余裕がないサインなんだなって思うようにしてる/私の動機としては、武力へのせめてものカウンター、被災時お互い様資金(私の時も助けて)、お金の使途が多様だと楽しいから。
貧乏人が寄付する合理的な理由は無いと思うよ。手間等を考えると少額寄付は寄付受付団体の被る赤字まである。合理性を排した状態での理由は分からんw
Wikipediaの寄付のお願いポップアップは、ログインユーザーには表示されないですよ。 https://w.wiki/3drH
ベタだが、やらない善よりやる偽善。ちょっと自己肯定感上がる。あとボランティアとか行動するより、金で誰かを助けられるなら楽じゃん?
「払えば払うほど責められることになりますよね?」なりませんよ?
色んな理由がある。節税だったり、そもそも大した額じゃなかったり。幻想だとしても良いことしてるって気分になるのに数百、数千円なら安いと思う人も多い。あと寄付とは言え、多額だと実質的に影響力及ぼせる。
何言ってんのかよく分からなかった。え、話題が出ると責められてるように感じてたのか。そりゃ歪んでんな。
Vポイントを貯めて気分が乗ったらYahooから適当なところに寄付して、ああ善行善行と。Microsoftのリワードからもそれができるが、xboxのゲームを買うのに忙しいのでそっちはちょっと無理。
税金としてもっていかれるくらいなら、使い先は自分で決める。と言う意味でなら分かる。
社会の一員として細々と奉仕活動とかしてるけど専門的な仕事はプロにやってもらった方がいい。税金納めて行政が支出するのを待つより活動団体に直接寄付した方が早いし安いし自分の意志も活かせる。
別に他人に行動を押し付けたりしなければわからなくてもいいような気がした / わからないから教えて欲しい、というスタンスにも見えないし
社会システムを回すサイクルに税と消費以外があるというだけ。その寄付の先で何をやっていてどういう状況なのかの方が万倍重要なので気にするところが間違っている
皮膚病がキツかった時は金さえあれば皮膚病の研究している大学に寄付したいと思ったよ。自分の実利を期待して寄付することもある。何かで困った経験があると、同じように困っている人を助けたくなる。共感なんよ結局
寄付金控除があることもわかりませんか。ふるさと納税をやってみたら少しはわかるんじゃないでしょうか。わからないでしょうか。寂しいのは心でしょうか。どうでしょうか。
阿部勤也氏の言では「贈与・互酬」が人類の基本的な文化で、見返りを求めない寄付はキリスト教の発明。そして貧者への寄付が教会(=神)への寄付とキリスト教の発展につながったと。だから感覚として合わないのは自然
寄付は子供に関すること限定でしてる。子供はすべからく幸せになって欲しい。
ふるさと納税のついでに余った分を能登とかに寄付してる
義憤にかられる人に世界の困難は任せて、自分は富を貯めて、金の力で人をこき使って金稼ぐって考えないのかね。
税の控除があるからに決まってんだろ、と思ってブコメ見たら心が汚れてましたごめんなさい。
日本には寄付控除があるし、アメリカの富豪が慈善団体を作るのも税制優遇のためだったりする。あと、人には自分の物を他人に分け与えることを気持ちよく感じる仕組みが脳に備わっている。寄付をすると得なんだよ
レジ横の募金箱に5円、10円は投じるから100億とかあったら1000万とかは寄付すると思う。たぶん使いきれないし。
ちょっと違う角度だと、寄付って税金対策にはとても良くて、所得税抑える、寄付した人のあれこれ満たせる、社会的に名前が信用がつく、みたいなのもある。だからこそ募金先が政党と繋がってると〜みたいなね
社会人になってから「カネの重み」がわかって寄付は一切しなくなった。また交通安全協会への寄付(2千円)ももう10年以上払ってない。ああいうのは「したい人」がやればいい、寄付は「俺の趣味」ではない。
元々は金持ちが周囲からの嫉妬を避けるためだと思うよ
アメリカでは貧乏人も寄付をするので文化が違うよな。
俗物だから「最近運が悪いな」って時は寄付をする。良いことしたら巡り巡って自分のとこに返ってこないかなってクリック募金とかXのリポスト数で募金!とかしまくる。気分転換にもなるし。あと献血とかも。
私も税金対策だと思ってた。
俺もまぁ割とお金に余裕ある方だとは思うがあんましない。引退馬協会のナイスネイチャのバースデードネーションと、能登半島地震と、コロナ関連でそれぞれ1000~3000円程度したぐらいだな。
いくつかの理由から寄付と署名は基本的にしないことに決めてるんですが、借金があるのでそんな余裕あったら金返せと言われそうなのがいちばんでかいです(言われたことないけど)
いいことしたなー!って清々しい気持ちになれるからでは 仏教ではむしろ布施する側が「ありがとう」と言う(功徳を積めるから)的な話もあったような気がする
寄付の基本は手伝いだと思うんだよね。ほんとはその問題に対して時間や労力を捧げたいと思えるかどうか。ただしそれが難しい場合に、金銭の寄付をして、誰かに委ねる
寄付や贈与はともにこの時代を生きる仲間への自分なりにできることの一つの手段だと思う。と言いつつ自分も多額の寄付はこれまでしたことないから、今度チャレンジしよう。
相手の思惑とか考えちゃうんだったら寄付しなくていいと思う。/美味しんぼのトンカツみたいなもんかと。/寄付は「寄付をする自分」を買う行為なので、偽善でも善でもあんまり関係ないと思うよ。
趣味だなー。おおむね何も考えてない。我ながら単純なのだけど、あしなが奨学金の奨学生から手紙が届いたときに嬉しくってさ…
たまーにフェアトレード製品買うくらいしかしないしそれでいいと思ってる。基本的には納税してれば十分
カール・ローズ教授「富裕者層が巨額の寄付を行って公共の問題に取り組む姿勢を見せるのは、裏を返せば、民主政治が公共の利益を実現する必要はないというジェスチャーなのである」https://toyokeizai.net/articles/-/664325?page=3
たまに仕事で詰まってて、StackOverflowとかQiitaでどんぴしゃな内容に出合うと、投げ銭したくなる。
無償で受けている恩恵はいくらでもあるからね。子どもらがひとりでも歩いて帰れる道、整備された登山道やトイレ。誰かがやってるんだと気付いたら、寄付するようになったな。
だから、なんで増田の個人的見解が普通じゃねぇの?みたいなこと言うんだろうな。世論誘導しようとしてんのかね?どんな考え方があってもいいじゃねえかよ。贅沢っていうのは理解できるけどさ。
慈しみの心があるからだよ。日本に生まれた時点で恵まれていることにも気付けないのは賤しさの証明になる。
すごくたくさんコメントついてるけど、この増田がどういう理屈で寄付しないと言っているのかさっぱり分からないの、私だけじゃないよな??
数日前にちだい氏に寄付したぞ。N党をぶっこわーせ。
若い頃はあまり寄付しなかったけど、出産で入院してる時に『出産で母親が死んだ子のための募金箱』に寄付した事を皮切りに、子供周りの募金や訪問した事がある国が困ってる時に寄付するようになった。
架空の誰かに責められている気になる人は生きづらいんだろうなぁと感じる。誰かに寄付しなくていいので、自分に寄付して幸せになってほしい。
寄付は自分の希望する方向に世界を変える方法の一つです。 例えばウィキペディアがある世界とない世界ならある世界の方がいいとか。 選挙の投票と同じように、望む人が多ければ変わります。
わからんではない。自分も若くて金が全然なかった頃には似たようふうに感じた気がする。別に寄附しなくていいよ。他の人がするから。まあ寄附する人の理由は様々だよね。
節税を除けば理由は簡単で金で買える幸福に限界があると思ってて。周りの金持ちはタワマン購入後は筋肉を鍛えたり、オフ会でカード切って全額奢ったり。要は売ってないもの=経験や体験を求めるようになる。
Wikipedia と Mozilla には定期的に寄付してる。あしなが育英会とかにもたまにしてる。推し活とか投げ銭に近い感覚かなあ
気軽に寄付を出来るぐらいの心の余裕を持って生きられると良いなと思う。余裕がない時にまで無理をする必要はない。
その発想はなかったな。こんなクズが生きててすいませんって気持ちが少〜し和らぐのでおすすめですよ、まあやってみな
したくない人は、無理に寄付しなくて良いと思います。私は障害者団体や、盲導犬、自然保護プログラムに毎年募金していますよ。定額制のファンクラブみたいなものですね。
僕は日本赤十字社に毎月少額だが寄附を続けている。赤十字社は決算が公表されており寄付の用途に疑義がないので。逆に赤い羽根、日本ユニセフは寄付を止めた。政治的な出費がある組織には寄付しないことにした。
寄付しまくってるけどね。戻ってくると思ってるよ。
こういう人にならないために寄付する、ってとこかな俺は。
氷河期世代の非正規のおっさん、おばさんを正社員として雇うのが最近、流行りの社会貢献。
貧困が蔓延ると安全にのほほんと暮らせないからねー、投票と同じでみんなで少しずつやれば社会は良くなっていくって信じてるからやってるよ。寄付する先考えるのが難しいっていうんなら分かるけど
自分の存在する価値を上げるためですかね〜。寄付してるって誰かのためになってるってことでしょ。強制されて寄付したことはないな。
ちょっと何言ってるかわからない。日本語ちゃんと書けないならAIに添削してもらえ。
自分は毎年被災地に数万円は寄付しているけど結局自己満足に過ぎないかな。
人を救う力がありながら、それを自分の快楽のためにしか使わないことが醜いから
受け取ったものを返すために寄付する人もいるし、目指す未来のため寄付をする人もいる、また所得控除のための人もいる、パタゴニアのように相続税対策のために寄付する人もいる、しなくてもいい
可愛い猫やシマフクロウの命を救うために寄付はするけど、小汚いおっさんを救うための寄付はしない。命の選別である
寄付はしないけど。カードのポイントは全額赤十字に寄付してる(´・ω・`)
ゴチャついててわかりづらいが、「誰かに寄付を求められると勝手に『あなたは恵まれてるでしょ』と決めつけられてるように感じて嫌」ということか。自分は必要性を感じて自発的にやってるだけなのでその感覚はない。
寄付とかボランティアとか自己満のためにやってる人が宗教っぽいキモさで嫌いだったけど、歳重ねたら、社会のためになることに対して純粋に協力したいなと思えるようになってきた。
簡単お手軽な趣味だからかな。街頭募金はお手軽ではないのでしない。自分のために金をかけてもあまり残らないからな。金は無いと困るが効用は逓減する。
贖罪の気持ち
確定申告で寄付は全額控除できたりするので(特に高所得者には)節税になる
寄付しないのは自由だけど、恵まれてるって言われただけで怒るの?もったいないにゃ。ボクなら可愛い猫パンチで許しちゃうにゃ!でも、ちょっとだけ分けてほしいにゃ~!
宝くじも競馬も寄付のようなものなので公営ギャンブルがオススメ。ハズレ馬券で橋が建つ。
自分でも課題を感じていて、参加したいけどちょっと難しいなという時に寄付する。大災害の時などは単純に胸が痛いから何かに使ってください、くらいの感じだけど。
以前ブックサンタを書店でやったら、店員さんにかなり感謝された上、本が手に入らない子供たちからの感謝の声が定期的に届くようになったよ。私は人から感謝される機会を金で買ってる。でもそれで良いと思う。
別にビジネスモデルだから理解や気持ちは関係ないだろ 一応すべての商品やサービスは世の中をよりよくするために作られてるはずだぞ 歯磨き粉をA社かB社か使わないかの選択になんの理解が必要なんだ?
うちの庭にパパイヤとバナナが生えてるんだが、特に世話してないのにどんどん実がなる。食べきれる量でもないし、ゴミに出すのもお金がかかるので社協に定期的に寄付してる。俺自身に金はない
心が狭いね…助け合いってそんなに不可解なことか?
自己満足できてかつ誰かが助かるなんて最高の趣味じゃないか。思い立ったときに好きなだけ寄付できるように収入上げたい。
寄付っていうのはオナニーのことなのさ。気持ち良ければすればいいし、興味なきゃしなきゃいい。深く考えすぎ。
期限切れになりそうなDMMポイントは寄付したい。
アメリカ1年住むと寄付が日常になってくる、日本人が自動販売機を利用するくらいの感覚
ある程度満たされてくると、誰かを助けたい、誰かのためになりたいって思うものよ。転んでいる人を助けたり、落ちてるゴミを拾ったり。お金もある程度持っていると、価値が下がって、寄付してもいいかなって思うの
使い道を指定できる税金みたいなもんじゃないですかね。直接的な見返りを期待しないクラウドファンディングとでもいうか。
ひとのきもちがよくわからない、じぶんもわかってもらえないかも、"心が寂しい人"とかさ、そゆ不安はわかるよ。心細いよね。
税金の一定額がODAとして発展途上国に流れてるんだよな、だから税金払うだけで間接的に寄付してるわけで、これでいいやと思えてきた
基本的には寄付控除とノブレスオブリージュだろう。特に控除、どうせ払わなきゃいけない金なら、名誉欲を満たせたり使われ方を指定したり、そうじゃない人でも動機は十分理解できると思うが
対馬の神社再建に寄付できたのはとてもよかったよ 対馬のニュース見るたびにあの島には私の名前が彫られた碑があるんだなって思える
人助けや社会貢献のためにはボランティアなど労力の提供でもよくて、お金を出すことに違和感を感じるなら寄付じゃなくていい。あんまり難しく考えないで、身の回りの人の手助けをするくらいでもいいとおもうが。
ただの投げ銭だよ。義理や見栄や精神的見返りを求めてやるようなもんじゃあない。
社会への何かしら繋がりを求めてかな?あとは自分の欲求の一つだと思う。少なくともこの寄付だけはし⚪︎⚪︎のために使われるという感覚
寄付は余裕がある時にすればいい。余裕もないのに世間の目が許さないからって身を削ってする寄付は本末転倒よ
少額寄付は善意の見える化が目的で、高額の寄付は、税金払うなら自分の思うところに払うわって感じなのでは。
Wikipediaとかに寄付するし、寄付した分は年末調整で控除されるからお得ですよ。
控除の制度的な意味では「一定の範囲内で税金の使われ方を自分で選べる」という点はある。そういうのを利用しない寄付はお気持ち運用の話でしかないよ。
個人の消費だと考えるからだよ。あなたが経営者だとして、普通に従業員を雇うと金がかかるだろ。一方で関係を隠したいご友人や愛人が運営する団体に寄付すると税金が控除されたりする訳だ。後はわかるな?
自分が障害者の様な体になって、福祉系の寄付を見かけるとするようになった。税金とかと同じ感覚かも。国の福祉に寄付できて控除されるならしてもいいかも。
寄付は脇に置いておいて、責められているように感じるという認知の歪みに対処しては。煽動者に踊らされる側になるよ?
教養が足りないからじゃないすか
ある程度の社会的成功を収めるとgivebackするようになるんだよ。増田も頑張って寄付する側の人間になろう
情けは人の為ならず
キリスト教文化圏だと、理由より先にまず習慣的に寄付をする文化があるよね。
魔男のイチを読め。28話でゴクラクに「お前のために何かしたい!力になりたい!」って言うシーンがあるだろ?それだよ。
寄付する側がどう思おうが寄付される側が幸せになればいいのが寄付だから。またよく言われる自慰にすぎないって意見もそれはそう。でも気持ちよくなって人も幸せになるのお得でしょう?やりたい人がやればいいのです
“寄付するほど恵まれていることになってんじゃないですか?払えば払うほど責められることになりますよね?”よく分かんないんだけど、みんなこれ理解できてんの?
「れる・られる」が受動なのか可能なのか、「ほど」が程度なのか「するにつれて」なのか、全体に支離滅裂。私は寄付した後株で大きく儲かったことがあるので験担ぎで頻繁に寄付する。動機は利己的。
人のためにお金を使うのが一番幸福感あるんですよ
被災するとわかるけど、辛い時誰かから恩を受けたら、同じ苦しみを味わってる人に返したくなるんだよね。募金の動機はだいたいそれかな。
かっけーからしてる。しないのは自由だけど、そのぶん俺を褒めてくれ。
カトリックのミサに出るとお金徴収されるよね。宗教的な文化的土台もありそう。究極人は他者の為に生きたい生き物
寄付より税金を通した分配の方が基本的には良いと思う
献血もしないの?献血すればするほど健康体に恵まれた人になっちゃうから?…売血時代の方が良かった?売れば売るほどお金に困ってるって分かってもらえるしw
その年観光して印象のよかった過疎地の自治体にはおひねり代わりにふるさと納税してる。返礼品や寄付金控除は享受してるからてめえの欲得だろという批判は甘んじて受けるが
先進国民なのに寄付してない人とかおらんやろ
知らんけど親の教育が悪かったんちゃう。普通に育って「あなたは恵まれていると責められている感じがする」って強迫観念抱かんよ。裕福な家庭で育ったって心は寂しいこともあるだろよ。。一旦お金から頭を離せ。
人から何か恩を受けた経験があれば、誰かにそれを返したいってのはある。あとはいい事したぜって自己満足
お前らいつも「恵まれた老人」からむしり取れって言って責めてるじゃん
「こういうことを話題に出すと心が寂しい人だと思われそう」 おそらく主語は「友人」など他人を指しているのだと思うけど、主語を「自分自身」にしたときにどう感じるか。
寄付は、払う側個人にも「世のためにいいことをした」と感じられる効用がある。その効用の多寡は人によるので、効用がないのであれば寄付の意味で悩む必要は皆無。正直、普通の購買活動も立派な社会貢献だと思う。
途上国への寄付に関しては実際難しい判断があると思うよ(´-`)個人的には、災害復興や子ども食堂の方が優先度高い
「情けは人の為ならず」は、人に親切にすると、巡り巡って自分に良い報いがある、という意味のことわざです。
いつかわかるといいね
節税だよ
ブックサンタは毎年やってる。他は都度。能力低い発達障害で人から助けて貰うばかりなので、誰かの幸せの一助になれば。善行チャンス
推し活と一緒でしょ。自分に直接見返りがなくても猫が好きだから一匹でも多くの猫が幸せになれると嬉しいから寄付するとか全然理解できるでしょう?
毎月ほんのちょっとだけどIPS財団に寄付してる。期待してるし、確定申告すれば寄付金控除でそれなりに戻って来る。
ある程度わかるし、こういう考えの人って身近なところでは他人に優しかったりもする。
推し活の一種
子どもや中高生の貧困の話を聞くと心が痛む、他人事とは思えない、でも自分がなにかできるわけでもないからせめてお金だけでも…という感覚から。たぶん人によってそういうポイントあるんでないか
私はASDです、共感能力の欠落する障害なんですって大声で宣言されてもなー
文の意味がよくわからない箇所があったけど、寄付すると幸福感を得やすいとのことなので、寄付している人は勝手に幸せになってると思いますよ。
マクダーナル食べるときはいつも募金してるよ。まとまった金額を出すより気軽なので…
いいことしたらいいこと返ってくるかも、困ってる人の助けになれば、ぐらいの気持ちで少額ではあるけどやってる。コンビニでお釣りちょこっと入れるとかでも、やらないよりいいと思ってる。
純粋に寄付すると気持ちいいから寄付してる。ちょっとのお金で社会貢献してる感覚になれるんだから、これほどタイパが良い行為はない
ある商店でウクライナ支援募金してて、私はお釣りを全額募金箱にいれることにしてるんだけど、だったらお店の売上に貢献したほうがいいのではと思ったりする。店員さんに募金のお礼を言われると申し訳なくなる。
自分でやりたいなと思っていても簡単にはできないことをやってくれている人たちがいる。せめてお金だけでも出して自己満足したい
これさ、少し判る。赤い羽根募金とかアグネス募金とか24時間TV募金とか使い道がはっきりしてないのには寄付したくない。あ、それは募金か...。
自分ではできないことを、金だけ出して実現するために、私は寄付をしている。私は人類を飢えから解放したい。なので国連食糧計画に毎月寄付してきた。何人かは、私の寄付で生命がつながったろう。
基本的には節税か気分が向いたから以外のなんでもないよ。あとは想像力が他人から与えられた物で完結する人は気分が良くなるかもね。
「情けは人のためならず」を理解できるかどうか。健全な両親の元で生まれ育ち、満足な教育と裕福な暮らしを満喫し、高齢になっても心身共に健康で、ある日突然苦しまずにぽっくり死ねる人は早々いないって話。
政治家もお前の会社の社長も1円たりともお前に渡したくと思ってるよ。これからは給料を上げろとか国民の声を聞けなんて言うなよ笑
ある程度余裕が出てきて社会貢献でもしてみるか〜 ってときに手軽なんだよね。お世話になった日赤とFreeBSDに寄附してるよ。あとは利己的な理由で、地方自治体への寄附と、無くなったら困るソフトのGitHub Sponsors
自分が寄付を貰う立場になった時の保険と考えてみれば?今保険を払う余裕がないなら無理して払う必要は無い。被災したりして寄付に助けられた後で余裕ができてから払ってもいい。情けは人の為ならず。自分の為なんよ
貧乏だけどウィキペディアとインディペンデント誌に寄付をしたことがある。ウィキはよく使うし、インディは政治的にどこにも属さないという姿勢に共鳴したため。
税金対策では。
調べると出てくると思うけどノブレス・オブリージュの文化が浸透しているかどうかだと思う。自分の印象としては閾値があるわけではなくグラデーションがあると思うので、ほどほどに寄付できるぐらいが望ましいかな
自己に十分投資できている、ないし自己以上の価値を認めた時の、投資先
逆に気負いがありすぎるように感じた 昔同僚がミュージカルの当落日を控え「天に徳を積む」と言いながら募金箱を見かけるたびに少額を入れていて、それを見てから私も気楽に募金できるようになった
寄付しないことを責められる理由はない。食べる物がないって悲惨すぎるよなぁ、と思ってWFPに寄付しているが、大半はクレカで貯まったポイント(泡銭)。
普通に節税でしょ 税金で持ってかれるくらいなら寄付した方が気分もいいし著名人なら名声にも繋がる
お金と気持ちに余裕がある人がやれば良いと思うな。 私は、コンビニで現金払いした時に戻ってくるお釣りから、一円と五円は募金箱に入れるようにしてる。
私もwikipediaくらいにはぽんと寄付できるくらいの人でありたい。。
施しは喜びであるので自分のためにするのかもね。なんでもええんよ。善行をして気持ちよくなるのは、社会性の動物であるヒトの本能なのかも
思いついた時でなく毎月定額での寄付がありがたいらしいのでそうしてる
寄付なんて自己満足でもいいし、分からないなら分からなくていい。
推しに大金注ぎ込む事が理解されないのと同じで個人の好みの問題だろ
やれる範囲でいいんじゃないの。訳わからん税金取られるより自分が選んだとこに寄付するほうがマシだし。
書籍『GIVE&TAKE』によるとギバーの割合は25%、テイカーは19%、マッチャーは56%。普通の人は損得を考えて与えるか決めるので、増田も損すると思うからしないだけでしょ。私は必要な人に喜んでほしいからするタイプ
自分にメリットのないことをするほど気分のいいことないやろ。無敵状態ってことやで
恵まれているという言葉が糾弾なら寄付はそれへの抵抗でもあると思ってる。自分の生活が弱い立場の人の搾取から成り立ってることくらいは理解してるので。
寄付を頑張れば紺綬褒章もらうこともできる。紺綬褒章ってみんな欲しいやん。
いいことをすると気持ちが良いからと言う理由です。自尊心が高まります。あと善行ポイントを貯めておくと後で返ってくるかもと思っているため。
別に世間は増田が思っているほど増田のことを構うわけじゃないよ。だから増田も平静で居ればいいこと。
何かしら自分のためになるからやろ。自己満足でも良いから気分良くなればやればいいし、やらなくてもいい。
自分のために有意義な使い方できるなら、それも良いでしょうね。寄付で助かる人がいたり、困ってる人の為になるなら、もれもまた、有意義な使い方だよね。最終的に金は何かに使わないといけないのだから。
昔は、税金の再分配が行き渡らない所を探して寄付してたけど、今は年に1回クレカで日赤にしかしてない
最後の2行がよく分からない。誰か解説してくれ
無償譲渡としか捉えていなければわからないだろう。自分は足りていて、納税して国が使うよりも寄付先がお金を活かしてくれそうなら寄付する。
まぁ自分も基本寄付しない性質だけど、恵まれない難民の子供のため、とかよりは、日本国内の科学教育のため、とかだったらまだ寄付してしまうかなぁ。あともしお金があったら紺綬褒章ほしい気持ちはある。
貧乏で困ってる人間は寄付できないからその理屈でOKじゃないかな。困ってないのに寄付できない心の貧しさは一生続いてそのまま貧しい人間として死ぬだけ。死んだら残った金は国と遺族にもってかれておさらばよ
寄付してもしてなくても責められてる気持ちになるのか。気の毒に。誰も責めてないよ、と言われても納得できないんだろうな。責めてるのはあなた自身だと思えば……いよいよ嫌かしら。鬱か? 鬱なのか?
知人で寄付してる人がかなりいる。税金を同じだけ払うなら目的がわかるところに寄付したいという理由で、弱者支援とかの団体に寄付してる。ふるさと納税とかに近い感じ。わからなければしなくていいと思う
僕や増田と違って、世の中には人の役に立つことがしたいという篤志の人がけっこういて、そういう人が寄付とかボランティアとかNPO活動とかで社会に貢献しているのだよね。共感はしないが尊敬はするべきよね。
寄附する人に責められてると感じるの、一般論では「増田の被害妄想でしか無い」となるけど、個別に言えばそういう善行や献身を強要するカスはまあまあいるので、身近にいるなら距離を置こう。
自意識が「全体の中の一部」ではなく「自分対世界」になるとこうなる。友達がいないタイプ。
キリスト教的には色んな意味があるけど、義務に近いイメージ。収入の1割位を寄付に回すのが基本。アメリカで強いのは、国に介入させるのではなく、自分の意志で自分の望む未来を作るという意味。
目の前で人が転んだら手を差し出すくらいに思えばいいんじゃないかな。震災のニュースみて大変そうだなぁと思ったら赤十字のその活動に寄付している。
寄付先によっては元々貰えてた補助金が無くなって受け取りての総量としては変わらない、みたいな話を聞いてから慎重になるようになった
年収400万だけど児童養護施設に毎月サブスク寄付してるよ
勝手な妄想で自分を被害者に仕立て上げて、寄付したくないのを正当化しようとしてるだけでしょ
毎月国境なき医師団に寄付してる、自分ではできないことをやってくれてるし、祈りでもある。義務じゃないんだから自分で決めたらええんやで。
したいからするんだろ。したくないならしなくていい。税金じゃないんだから誰も強要してない。人からどう見られるか、何言われるかを気にしすぎなんじゃないか?
マラソンのチャリティー枠とか見返りがあると善意の金持ち感じが薄まって好き。そのうち儲かった年に500万寄付して寄付金控除も使って紺綬褒章を貰いに行きたい
続編「なぜ課金してスターをつけるのかわからない」
お金があるのに寄付が嫌ということなら税金で取るしかないですね
RIJが近くなってきたので言及させてもらうと 日本でも土砂・地震災害等で生活苦になる可能性が十分にある。その復旧にはやはりお金や人手が必要となってくる。その為の寄付や募金だ。 みんなもよろしくな
増田の中に「恵まれている=悪いこと」という思想があるんだろうな。恵まれてない可愛そうな存在は優しくされるべきで、恵まれてるなら優しくされないみたいな。
喜捨っつーてな。
俺の場合なんだけど、心に余裕がある時は他者に還元したくなる欲求が自然にわく。
自分では何もできない、しない(たとえば体張ってのボランティアとか)ことへの罪滅ぼしに近い。だから自己満足かな。
後段の意味がわからん。私には誰かを手助けしたい以外の理由はない。自分では行うのが難しいことを人生かけてやってくれる人達がいて寄付をすることで間接的に手助けさせてもらえる。自己満と言われればそう。
トラバ "anond:20250625035454 富豪が寄付に走る理由は主に2つ ①寄付金控除がある ②護身 特に後者が重要"
たまたま生まれ落ちた境遇が良かった・悪かっただけで今の不公平がある。今よい境遇にいる人もサイコロの目が悪ければ不幸側にいたことだろう。寄付は不幸な目が出てたかもしれない自分を救う慰めでもある。
免許更新のたびに寄付するやつ一回もしたことないや そんな余裕はない
誰かを助ける一つの方法です
幸運にも転職ガチャを当てた自覚があるのでぶりぶり納税してるし寄付もしてる。能力以上に稼いでるとなんか罰当たりそうな気がして
なぜ寄付をするのかわからない
アホがスター連打したからやん…
公益団体に毎月千円ずつ寄付していると、無駄なことに千円使う気がしなくなる。千円浪費するぐらいなら寄付する方がマシと考えるようになる。なお、戦争地域人道支援の赤十字への寄付は単純に義憤から。
>払えば払うほど責められる 面白い視点だ。千鳥が漫才で言いそう。禍福は糾える縄の如し世界観に生きてるから臨時収入あった時1年ユニセフしてた。あれで相殺されたはず。大谷翔平はバッドラックの消費方法も上手い
庶民から千円二千円かき集めるよりタックスヘイブンに資産隠してるような金持ちの所に突撃して一億二億の寄付迫る方が効率良いと思う。マイケルムーアあたりがやらんかな
“あなたは恵まれています。だから寄付をお願いします”逆でしょ。私は恵まれています。だから寄付をさせてください。の精神でしょ。恵まれているは裕福だという意味ではないんだよ
イイ気になりたいからだよ
日本に生まれただけで豪運で、運だから貧困地域に生まれる可能性もあったわけで、その可能性にほんの少しだけでも寄付するって感じなんじゃないの
しなくていいと思うけど「クリックで救える命がある」みたいなのはクリックしたくなる。同時に寄付を迫ってくる広告はストレス。Wikipedia の寄付のお願いのポップアップのストレス、どうにかならないか…。
日テレやアグネス・チャン、身なりいい人たちが挙って寄付を呼びかけたりするから胡散臭くなったのでないかな。例えば日本ユニセフ協会もサッカー元日本代表の長谷部誠が大使をやってから表向きは改善されてる。
学校で募金を求められて、その額に文句つけられたことあるな。自分の少ないお小遣いから目いっぱい出したのにさ
返礼品もらえるから、じゃないですか????
寄付は、自分ではやらないがそうなって欲しいと望むことを、他人に金銭でやらせる行為だと認識している。望んでいないことであり、ただの無償投資でしかないと判断するなら、別にやる必要はないのでは。
まぁ、確かに趣味の一つだなw
贈与は人間社会の基本的仕組み(マルセル・モース、レヴィ・ストロース)。はてブだってなんの見返りもないのにカラースター付けることあるでしょ
『偽善やってます』と公言しながら毎年数回の献血をしてます。寄付した後のお金の使途は分からなくなるけど、血液は決まってるしね。
恵まれていると言われることが責められているように感じるなら、旨いものでも喰ってゆっくり寝るべき。そりゃ褒められてんだよ。スラングの裏山というやつ。幸せな人は幸せを増やすから多ければ多いほどいい。
私有財産の否定ですよね。そんなに救いたかったらお前の資産から俺の分も出しとけって話。
無理に分からなくてもいいような。
金額的には大したことはない場合もあるが互いの承認要求を満たすものでもあるので金額以上に必要だったりする.プレゼントみたいなもの.
節税
当たり前だが、他人に何かを強制することはできないので、私は寄付をしたほうが良いと思うが、無理強いはしない。
寄付ができないのは、金銭的に貧しい、ゆとりがない。だから寄付をしない、できない。そんなことよりも、心が貧しくて餓えていたり、成長してなくて未熟であることが大きく関係していることが、この増田からわかるね
多分、プレゼントされたこともしたこともない人間(特に利害のないものごと)だと思われるのでただひたすらに孤独な人生なのだなぁ。1人でも頑張ってね♪としか思わない。分け合わうと得られる世界線もあるんだけね
じぶんが理由なく裕福であることに対するエクスキューズなのでは?
元々宗教的な出自のものだったと思うし信心の薄い東アジア圏ではあまり定着していない気がする。心に余裕が無ければ無理にするものでもないと思う。
返礼のお肉と税金のためだよ
自分は、1)若い頃にアジアを回って「日本に生まれただけで恵まれている」と感じた 2)とはいえ世界各地で起こる災害や飢餓、貧困を精査できないので、支援のプロに任せて自分の気持ちを楽にしたい ……からかな。
個人の選択だし理由も自由/「心が寂しい人だと思われるから言えない」など、やる前から批判者を想定する徹底した他責思考なのは気になる/自分の評価を他者依存するな/自分が責められたくないなら他人にケチつけるな
やれって言われるとやりたくなくなるのは確かにある。小学校の時クソ担任だった時にあったけど意地でも払わなかった。でも寄付してる人をおだてるくらいはしときな。
ま、お気持ちで
寄付は心の贈り物、強制されるものではないのですわ。大切なのは、お気持ちが共鳴するかどうかですの。気が向いたら、少しずつでも考えてみてくださいませ。
本来は人の善意などという不定のものがなくても世の中が回るようにしなければならないので、社会制度の設計が甘いのがそもそもの問題。増田をはじめ個人の責に帰する事柄ではない
しなければいいだけ。何故そんな考えになるのか分からない。
災害のニュースに接するとなんとなく罪悪感を覚えることがあるが、少額でも寄付しておくと「まあ、やれることはやったしな」と思えるので精神安定上良かった
心に余裕のバロメーター
自分が嫌いなので……
寄付はノブリス・オブリージュの一種じゃないかな?ボランティアとちがって小銭を払うだけでいいことした気分になれるし高貴になれる。タイパでみるとお得。
サービス残業でちゃんと命の寄付してるでしょ?
寄付がもたらす心理的メリットは大きい。幸福感の向上、自己肯定感の向上、社会との繋がりや連帯感の獲得、社会課題への理解と価値観の見直し。
映画「アバウト・シュミット」を見よう
ホームレス支援とか病気の人のサポートとか、困ってる人を助ける仕事もしたいのだけど、それをやる時間と暇が無いからと、せめてそういうことやってる団体に寄付をして代わりにやって貰ってる感じ
「恵まれてると決めつけられる=責められてる」と「趣味の一つ」がつながらなくて何言ってるのかよく分からない。
"責められている感覚がある"が分からない。/たぶん、推し活みたいなもんだよ。応援したい、活動を続けてほしいから、寄付する。無理のない範囲で。それで第三者に褒められたいとは思ってない。
あっちは「我々の事業に賛同するなら寄付してください、でないと事業が続けられません」って言ってるだけで別にこっちが恵まれてる云々言ってないよね。続けて欲しいなら無理のない範囲で寄付するだけの話。
節税
例えばWikipediaは大企業からの寄付だけでやっていけたとしても、それだけだと大企業に忖度するように内容が傾いていってしまうので、健全性を保つために個人からの寄付も止めてはならない
寄付してることをここぞとばかりに言う人が気になっちゃうことはあるよね。大丈夫、自分は自分の考えで生きていけば良い。
俺は長年 UNHCR に寄付し続けてるけど、それは昔にパレスチナ難民に親切にしてもらったから。相手からすればちょっとした親切でも、困っている状況にいれば、それが身に染みる。自分もそれを可能な範囲で続けたい。
寄付したいと思うまではしなくて良いと思う。喜捨。
寄附の先にもよるけど実利的には節税、自分もお世話になる可能性があると思っての資金援助的なもの、あとは気分?
ナイスパ!
私が習ったのは、稼いだ金を自分だけでなく他人のためにも使うことができ、人のためになり、徳を積むことになる、という考え。徳を積むと何が良いかは検索でもして。高額納税者は既に税金で充分かもだけど
災害地域にその後大きめ一軒家ゾロゾロ建ってるの見ると、「生活カツカツの自分が募金する必要あったか?」と思ったりはする。でもする。/イーロン見てると個人主義の結果こうなったんやろなって気はする。
しなくてもいいと思うけど、責められてるとか、認知がヤバいことになってるのでは?
私も貧乏なので寄付をしていないが別に責められているようには感じない。寄付する人も寄付する行為も立派だけどそれはそれとして自分とは切り離さないと生きていくのしんどくないですか。
本来は全てが自然の恵みで生かされてんやから持つ者は持たざる者に分け与え共に豊かになろうやが、現代は寄付を語った持つ者が制度利用してより増やすだけやし、政治も持たざる者から広く吸い上げる寄生虫やからな。
貢献感
ブコメ欄を見てると寄付は選挙と似てる。単に「自分はする」だけで良いのに、謎のマウントを取り始めるブクマカがにょきにょき生えてくるあたりが
金持ちの場合、金でできる楽しみや趣味、やることがなくなって寄付をすることで必要とされる存在になるとは聞くね。
🧔🏼♀️「はっきり言っておく。id:njsjnは賽銭箱に入れている人の中で誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は乏しい中から自分の持っている物をすべて、小遣いを全部入れたからである」
善意ではなく、世界はこうあるべき、という人気投票に課金して投票してる
社会の維持のためか、制度化というか習慣化されてる宗教もあるし、結局のところ税金によらない富の再分配ということなのではないかと。使い道が選べる自主的な税金というか?
私が寄付する理由は、反フェミニズムを主張してると、思いやりがないなんて、中身ゼロなアホ反論を受けた際に堂々と反論できるため。少なくとも自分自身にはゆるぎない自信が出来る。強制には単に無視すればいい
“寄付はたぶん趣味の一つなのだろうと捉えている”まぁそう/増田の感覚は私にはとてもよくわかる。なので自分の身近なところでだけにしてるかも。例えば母校への寄付や、Jリーグやクラブが声掛けしてる時など
他人が干渉するなって雰囲気だけど、この増田も寄付してる他人に干渉したい側なので立ち位置が変わってたら寄付しない人間がわからない(ドヤ)ってやってそう。
蓄財が自分のためだけの浅ましい行為ではないという証明にはなるな
『環境問題への取り組みはセクシーであるべきだ』という小泉氏の談話は実は引用で、さらにこの話題と密接に関わる。つまり社会貢献活動は、それが社会的にカッコいい行為だという評価にならなきゃね、という含意だ。
「責められている感覚がある」責めてる人はいないが、この感覚を考えてみるのは重要。今おかしくなってる連中の多くは、どこかにいる「自分を責める人」を探し回ってる。「良心の呵責」を感じる自分から逃げたくて。
趣味みたいと言われればそうかもな。毎年寄付に使う一定額を決めてて何処に寄付するかは都度悩む様にしてるが、「まあ真面目にやってるな」て団体を探すのもちょっと苦労する。それを楽しんでいる部分も無くはない。
あれは「まともな人間であることをアピールする」以外の意味はないよ
深夜特急を読みなよ。インド編にこの感情に関する一つの解が提示されている
なるだけ自分からは遠くに布石を打っておけば寿命が尽きるまでには助けになると思うけど。やみくもだったら意味はないだろうな。
NetBSD.org に寄付してる
顔も見たこともない、どこにいるのかも知らない赤の他人への寄付は人間の基本的な活動ではないと思うけどね。人類学の贈与は全く異なる概念でしょ。
毎月少額だがbrewに寄付しているが,理由はと言われると,ないと困るから,かな?
金銭の寄付だけが寄付とは限らないとおもう。 一方的に不要になった服を送りつけるのは論外だけど。
「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」マタイ6:19
100%純粋な自己満足。最近流行の承認欲求でもいい。俺も動物関連とユニセフに寄付してる(ほめて)。そういや湾岸ミッドナイトの株で食ってるキャラが、その“後ろめたさ”で儲けの10%を寄付し続けていると言ってたな
節税…?
はてなではディスられガチだけど24時間テレビを観ると、毎年どこかの災害で昨日まで普通に暮らしていて家を失った人がたくさん出てくる。他人事とはとても思えないので毎年寄附を続けている
昔「自分だっていつ必要になるかもしれないし、今は若くて健康だから献血してる」って話したら、「献血なんて趣味でしょ」って言われたことがあった。なるほど、しない自分が責められてる気がしたのか。
消える増田流行ってる?
責められてるって感じてしまう時は、自分に余裕がないサインなんだなって思うようにしてる/私の動機としては、武力へのせめてものカウンター、被災時お互い様資金(私の時も助けて)、お金の使途が多様だと楽しいから。
貧乏人が寄付する合理的な理由は無いと思うよ。手間等を考えると少額寄付は寄付受付団体の被る赤字まである。合理性を排した状態での理由は分からんw
Wikipediaの寄付のお願いポップアップは、ログインユーザーには表示されないですよ。 https://w.wiki/3drH
ベタだが、やらない善よりやる偽善。ちょっと自己肯定感上がる。あとボランティアとか行動するより、金で誰かを助けられるなら楽じゃん?
「払えば払うほど責められることになりますよね?」なりませんよ?
色んな理由がある。節税だったり、そもそも大した額じゃなかったり。幻想だとしても良いことしてるって気分になるのに数百、数千円なら安いと思う人も多い。あと寄付とは言え、多額だと実質的に影響力及ぼせる。
何言ってんのかよく分からなかった。え、話題が出ると責められてるように感じてたのか。そりゃ歪んでんな。
Vポイントを貯めて気分が乗ったらYahooから適当なところに寄付して、ああ善行善行と。Microsoftのリワードからもそれができるが、xboxのゲームを買うのに忙しいのでそっちはちょっと無理。
税金としてもっていかれるくらいなら、使い先は自分で決める。と言う意味でなら分かる。
社会の一員として細々と奉仕活動とかしてるけど専門的な仕事はプロにやってもらった方がいい。税金納めて行政が支出するのを待つより活動団体に直接寄付した方が早いし安いし自分の意志も活かせる。
別に他人に行動を押し付けたりしなければわからなくてもいいような気がした / わからないから教えて欲しい、というスタンスにも見えないし
社会システムを回すサイクルに税と消費以外があるというだけ。その寄付の先で何をやっていてどういう状況なのかの方が万倍重要なので気にするところが間違っている
皮膚病がキツかった時は金さえあれば皮膚病の研究している大学に寄付したいと思ったよ。自分の実利を期待して寄付することもある。何かで困った経験があると、同じように困っている人を助けたくなる。共感なんよ結局
寄付金控除があることもわかりませんか。ふるさと納税をやってみたら少しはわかるんじゃないでしょうか。わからないでしょうか。寂しいのは心でしょうか。どうでしょうか。
阿部勤也氏の言では「贈与・互酬」が人類の基本的な文化で、見返りを求めない寄付はキリスト教の発明。そして貧者への寄付が教会(=神)への寄付とキリスト教の発展につながったと。だから感覚として合わないのは自然
寄付は子供に関すること限定でしてる。子供はすべからく幸せになって欲しい。
ふるさと納税のついでに余った分を能登とかに寄付してる
義憤にかられる人に世界の困難は任せて、自分は富を貯めて、金の力で人をこき使って金稼ぐって考えないのかね。
税の控除があるからに決まってんだろ、と思ってブコメ見たら心が汚れてましたごめんなさい。
日本には寄付控除があるし、アメリカの富豪が慈善団体を作るのも税制優遇のためだったりする。あと、人には自分の物を他人に分け与えることを気持ちよく感じる仕組みが脳に備わっている。寄付をすると得なんだよ
レジ横の募金箱に5円、10円は投じるから100億とかあったら1000万とかは寄付すると思う。たぶん使いきれないし。
ちょっと違う角度だと、寄付って税金対策にはとても良くて、所得税抑える、寄付した人のあれこれ満たせる、社会的に名前が信用がつく、みたいなのもある。だからこそ募金先が政党と繋がってると〜みたいなね
社会人になってから「カネの重み」がわかって寄付は一切しなくなった。また交通安全協会への寄付(2千円)ももう10年以上払ってない。ああいうのは「したい人」がやればいい、寄付は「俺の趣味」ではない。
元々は金持ちが周囲からの嫉妬を避けるためだと思うよ
アメリカでは貧乏人も寄付をするので文化が違うよな。
俗物だから「最近運が悪いな」って時は寄付をする。良いことしたら巡り巡って自分のとこに返ってこないかなってクリック募金とかXのリポスト数で募金!とかしまくる。気分転換にもなるし。あと献血とかも。
私も税金対策だと思ってた。
俺もまぁ割とお金に余裕ある方だとは思うがあんましない。引退馬協会のナイスネイチャのバースデードネーションと、能登半島地震と、コロナ関連でそれぞれ1000~3000円程度したぐらいだな。
いくつかの理由から寄付と署名は基本的にしないことに決めてるんですが、借金があるのでそんな余裕あったら金返せと言われそうなのがいちばんでかいです(言われたことないけど)
いいことしたなー!って清々しい気持ちになれるからでは 仏教ではむしろ布施する側が「ありがとう」と言う(功徳を積めるから)的な話もあったような気がする
寄付の基本は手伝いだと思うんだよね。ほんとはその問題に対して時間や労力を捧げたいと思えるかどうか。ただしそれが難しい場合に、金銭の寄付をして、誰かに委ねる
寄付や贈与はともにこの時代を生きる仲間への自分なりにできることの一つの手段だと思う。と言いつつ自分も多額の寄付はこれまでしたことないから、今度チャレンジしよう。
相手の思惑とか考えちゃうんだったら寄付しなくていいと思う。/美味しんぼのトンカツみたいなもんかと。/寄付は「寄付をする自分」を買う行為なので、偽善でも善でもあんまり関係ないと思うよ。
趣味だなー。おおむね何も考えてない。我ながら単純なのだけど、あしなが奨学金の奨学生から手紙が届いたときに嬉しくってさ…
たまーにフェアトレード製品買うくらいしかしないしそれでいいと思ってる。基本的には納税してれば十分
カール・ローズ教授「富裕者層が巨額の寄付を行って公共の問題に取り組む姿勢を見せるのは、裏を返せば、民主政治が公共の利益を実現する必要はないというジェスチャーなのである」https://toyokeizai.net/articles/-/664325?page=3
たまに仕事で詰まってて、StackOverflowとかQiitaでどんぴしゃな内容に出合うと、投げ銭したくなる。
無償で受けている恩恵はいくらでもあるからね。子どもらがひとりでも歩いて帰れる道、整備された登山道やトイレ。誰かがやってるんだと気付いたら、寄付するようになったな。
だから、なんで増田の個人的見解が普通じゃねぇの?みたいなこと言うんだろうな。世論誘導しようとしてんのかね?どんな考え方があってもいいじゃねえかよ。贅沢っていうのは理解できるけどさ。
慈しみの心があるからだよ。日本に生まれた時点で恵まれていることにも気付けないのは賤しさの証明になる。
すごくたくさんコメントついてるけど、この増田がどういう理屈で寄付しないと言っているのかさっぱり分からないの、私だけじゃないよな??
数日前にちだい氏に寄付したぞ。N党をぶっこわーせ。
若い頃はあまり寄付しなかったけど、出産で入院してる時に『出産で母親が死んだ子のための募金箱』に寄付した事を皮切りに、子供周りの募金や訪問した事がある国が困ってる時に寄付するようになった。
架空の誰かに責められている気になる人は生きづらいんだろうなぁと感じる。誰かに寄付しなくていいので、自分に寄付して幸せになってほしい。
寄付は自分の希望する方向に世界を変える方法の一つです。 例えばウィキペディアがある世界とない世界ならある世界の方がいいとか。 選挙の投票と同じように、望む人が多ければ変わります。
わからんではない。自分も若くて金が全然なかった頃には似たようふうに感じた気がする。別に寄附しなくていいよ。他の人がするから。まあ寄附する人の理由は様々だよね。
節税を除けば理由は簡単で金で買える幸福に限界があると思ってて。周りの金持ちはタワマン購入後は筋肉を鍛えたり、オフ会でカード切って全額奢ったり。要は売ってないもの=経験や体験を求めるようになる。
Wikipedia と Mozilla には定期的に寄付してる。あしなが育英会とかにもたまにしてる。推し活とか投げ銭に近い感覚かなあ
気軽に寄付を出来るぐらいの心の余裕を持って生きられると良いなと思う。余裕がない時にまで無理をする必要はない。
その発想はなかったな。こんなクズが生きててすいませんって気持ちが少〜し和らぐのでおすすめですよ、まあやってみな
したくない人は、無理に寄付しなくて良いと思います。私は障害者団体や、盲導犬、自然保護プログラムに毎年募金していますよ。定額制のファンクラブみたいなものですね。
僕は日本赤十字社に毎月少額だが寄附を続けている。赤十字社は決算が公表されており寄付の用途に疑義がないので。逆に赤い羽根、日本ユニセフは寄付を止めた。政治的な出費がある組織には寄付しないことにした。
寄付しまくってるけどね。戻ってくると思ってるよ。
節税
こういう人にならないために寄付する、ってとこかな俺は。
氷河期世代の非正規のおっさん、おばさんを正社員として雇うのが最近、流行りの社会貢献。
貧困が蔓延ると安全にのほほんと暮らせないからねー、投票と同じでみんなで少しずつやれば社会は良くなっていくって信じてるからやってるよ。寄付する先考えるのが難しいっていうんなら分かるけど
自分の存在する価値を上げるためですかね〜。寄付してるって誰かのためになってるってことでしょ。強制されて寄付したことはないな。
ちょっと何言ってるかわからない。日本語ちゃんと書けないならAIに添削してもらえ。
自分は毎年被災地に数万円は寄付しているけど結局自己満足に過ぎないかな。
人を救う力がありながら、それを自分の快楽のためにしか使わないことが醜いから
受け取ったものを返すために寄付する人もいるし、目指す未来のため寄付をする人もいる、また所得控除のための人もいる、パタゴニアのように相続税対策のために寄付する人もいる、しなくてもいい
可愛い猫やシマフクロウの命を救うために寄付はするけど、小汚いおっさんを救うための寄付はしない。命の選別である
寄付はしないけど。カードのポイントは全額赤十字に寄付してる(´・ω・`)
ゴチャついててわかりづらいが、「誰かに寄付を求められると勝手に『あなたは恵まれてるでしょ』と決めつけられてるように感じて嫌」ということか。自分は必要性を感じて自発的にやってるだけなのでその感覚はない。
寄付とかボランティアとか自己満のためにやってる人が宗教っぽいキモさで嫌いだったけど、歳重ねたら、社会のためになることに対して純粋に協力したいなと思えるようになってきた。
簡単お手軽な趣味だからかな。街頭募金はお手軽ではないのでしない。自分のために金をかけてもあまり残らないからな。金は無いと困るが効用は逓減する。
贖罪の気持ち
確定申告で寄付は全額控除できたりするので(特に高所得者には)節税になる
寄付しないのは自由だけど、恵まれてるって言われただけで怒るの?もったいないにゃ。ボクなら可愛い猫パンチで許しちゃうにゃ!でも、ちょっとだけ分けてほしいにゃ~!
宝くじも競馬も寄付のようなものなので公営ギャンブルがオススメ。ハズレ馬券で橋が建つ。
自分でも課題を感じていて、参加したいけどちょっと難しいなという時に寄付する。大災害の時などは単純に胸が痛いから何かに使ってください、くらいの感じだけど。
以前ブックサンタを書店でやったら、店員さんにかなり感謝された上、本が手に入らない子供たちからの感謝の声が定期的に届くようになったよ。私は人から感謝される機会を金で買ってる。でもそれで良いと思う。
別にビジネスモデルだから理解や気持ちは関係ないだろ 一応すべての商品やサービスは世の中をよりよくするために作られてるはずだぞ 歯磨き粉をA社かB社か使わないかの選択になんの理解が必要なんだ?
うちの庭にパパイヤとバナナが生えてるんだが、特に世話してないのにどんどん実がなる。食べきれる量でもないし、ゴミに出すのもお金がかかるので社協に定期的に寄付してる。俺自身に金はない
心が狭いね…助け合いってそんなに不可解なことか?
自己満足できてかつ誰かが助かるなんて最高の趣味じゃないか。思い立ったときに好きなだけ寄付できるように収入上げたい。
寄付っていうのはオナニーのことなのさ。気持ち良ければすればいいし、興味なきゃしなきゃいい。深く考えすぎ。
期限切れになりそうなDMMポイントは寄付したい。
アメリカ1年住むと寄付が日常になってくる、日本人が自動販売機を利用するくらいの感覚
ある程度満たされてくると、誰かを助けたい、誰かのためになりたいって思うものよ。転んでいる人を助けたり、落ちてるゴミを拾ったり。お金もある程度持っていると、価値が下がって、寄付してもいいかなって思うの
使い道を指定できる税金みたいなもんじゃないですかね。直接的な見返りを期待しないクラウドファンディングとでもいうか。
ひとのきもちがよくわからない、じぶんもわかってもらえないかも、"心が寂しい人"とかさ、そゆ不安はわかるよ。心細いよね。
税金の一定額がODAとして発展途上国に流れてるんだよな、だから税金払うだけで間接的に寄付してるわけで、これでいいやと思えてきた
基本的には寄付控除とノブレスオブリージュだろう。特に控除、どうせ払わなきゃいけない金なら、名誉欲を満たせたり使われ方を指定したり、そうじゃない人でも動機は十分理解できると思うが
対馬の神社再建に寄付できたのはとてもよかったよ 対馬のニュース見るたびにあの島には私の名前が彫られた碑があるんだなって思える
人助けや社会貢献のためにはボランティアなど労力の提供でもよくて、お金を出すことに違和感を感じるなら寄付じゃなくていい。あんまり難しく考えないで、身の回りの人の手助けをするくらいでもいいとおもうが。
ただの投げ銭だよ。義理や見栄や精神的見返りを求めてやるようなもんじゃあない。
社会への何かしら繋がりを求めてかな?あとは自分の欲求の一つだと思う。少なくともこの寄付だけはし⚪︎⚪︎のために使われるという感覚
寄付は余裕がある時にすればいい。余裕もないのに世間の目が許さないからって身を削ってする寄付は本末転倒よ
少額寄付は善意の見える化が目的で、高額の寄付は、税金払うなら自分の思うところに払うわって感じなのでは。
Wikipediaとかに寄付するし、寄付した分は年末調整で控除されるからお得ですよ。
控除の制度的な意味では「一定の範囲内で税金の使われ方を自分で選べる」という点はある。そういうのを利用しない寄付はお気持ち運用の話でしかないよ。
個人の消費だと考えるからだよ。あなたが経営者だとして、普通に従業員を雇うと金がかかるだろ。一方で関係を隠したいご友人や愛人が運営する団体に寄付すると税金が控除されたりする訳だ。後はわかるな?
自分が障害者の様な体になって、福祉系の寄付を見かけるとするようになった。税金とかと同じ感覚かも。国の福祉に寄付できて控除されるならしてもいいかも。
寄付は脇に置いておいて、責められているように感じるという認知の歪みに対処しては。煽動者に踊らされる側になるよ?
教養が足りないからじゃないすか
ある程度の社会的成功を収めるとgivebackするようになるんだよ。増田も頑張って寄付する側の人間になろう
情けは人の為ならず
キリスト教文化圏だと、理由より先にまず習慣的に寄付をする文化があるよね。
魔男のイチを読め。28話でゴクラクに「お前のために何かしたい!力になりたい!」って言うシーンがあるだろ?それだよ。
寄付する側がどう思おうが寄付される側が幸せになればいいのが寄付だから。またよく言われる自慰にすぎないって意見もそれはそう。でも気持ちよくなって人も幸せになるのお得でしょう?やりたい人がやればいいのです
“寄付するほど恵まれていることになってんじゃないですか?払えば払うほど責められることになりますよね?”よく分かんないんだけど、みんなこれ理解できてんの?
「れる・られる」が受動なのか可能なのか、「ほど」が程度なのか「するにつれて」なのか、全体に支離滅裂。私は寄付した後株で大きく儲かったことがあるので験担ぎで頻繁に寄付する。動機は利己的。
人のためにお金を使うのが一番幸福感あるんですよ
被災するとわかるけど、辛い時誰かから恩を受けたら、同じ苦しみを味わってる人に返したくなるんだよね。募金の動機はだいたいそれかな。
かっけーからしてる。しないのは自由だけど、そのぶん俺を褒めてくれ。
カトリックのミサに出るとお金徴収されるよね。宗教的な文化的土台もありそう。究極人は他者の為に生きたい生き物
寄付より税金を通した分配の方が基本的には良いと思う
献血もしないの?献血すればするほど健康体に恵まれた人になっちゃうから?…売血時代の方が良かった?売れば売るほどお金に困ってるって分かってもらえるしw
その年観光して印象のよかった過疎地の自治体にはおひねり代わりにふるさと納税してる。返礼品や寄付金控除は享受してるからてめえの欲得だろという批判は甘んじて受けるが
先進国民なのに寄付してない人とかおらんやろ
知らんけど親の教育が悪かったんちゃう。普通に育って「あなたは恵まれていると責められている感じがする」って強迫観念抱かんよ。裕福な家庭で育ったって心は寂しいこともあるだろよ。。一旦お金から頭を離せ。
人から何か恩を受けた経験があれば、誰かにそれを返したいってのはある。あとはいい事したぜって自己満足
お前らいつも「恵まれた老人」からむしり取れって言って責めてるじゃん
「こういうことを話題に出すと心が寂しい人だと思われそう」 おそらく主語は「友人」など他人を指しているのだと思うけど、主語を「自分自身」にしたときにどう感じるか。
寄付は、払う側個人にも「世のためにいいことをした」と感じられる効用がある。その効用の多寡は人によるので、効用がないのであれば寄付の意味で悩む必要は皆無。正直、普通の購買活動も立派な社会貢献だと思う。
途上国への寄付に関しては実際難しい判断があると思うよ(´-`)個人的には、災害復興や子ども食堂の方が優先度高い
「情けは人の為ならず」は、人に親切にすると、巡り巡って自分に良い報いがある、という意味のことわざです。
いつかわかるといいね
節税だよ
ブックサンタは毎年やってる。他は都度。能力低い発達障害で人から助けて貰うばかりなので、誰かの幸せの一助になれば。善行チャンス
推し活と一緒でしょ。自分に直接見返りがなくても猫が好きだから一匹でも多くの猫が幸せになれると嬉しいから寄付するとか全然理解できるでしょう?
毎月ほんのちょっとだけどIPS財団に寄付してる。期待してるし、確定申告すれば寄付金控除でそれなりに戻って来る。
ある程度わかるし、こういう考えの人って身近なところでは他人に優しかったりもする。
推し活の一種
子どもや中高生の貧困の話を聞くと心が痛む、他人事とは思えない、でも自分がなにかできるわけでもないからせめてお金だけでも…という感覚から。たぶん人によってそういうポイントあるんでないか
私はASDです、共感能力の欠落する障害なんですって大声で宣言されてもなー
文の意味がよくわからない箇所があったけど、寄付すると幸福感を得やすいとのことなので、寄付している人は勝手に幸せになってると思いますよ。
マクダーナル食べるときはいつも募金してるよ。まとまった金額を出すより気軽なので…
いいことしたらいいこと返ってくるかも、困ってる人の助けになれば、ぐらいの気持ちで少額ではあるけどやってる。コンビニでお釣りちょこっと入れるとかでも、やらないよりいいと思ってる。
純粋に寄付すると気持ちいいから寄付してる。ちょっとのお金で社会貢献してる感覚になれるんだから、これほどタイパが良い行為はない
ある商店でウクライナ支援募金してて、私はお釣りを全額募金箱にいれることにしてるんだけど、だったらお店の売上に貢献したほうがいいのではと思ったりする。店員さんに募金のお礼を言われると申し訳なくなる。
自分でやりたいなと思っていても簡単にはできないことをやってくれている人たちがいる。せめてお金だけでも出して自己満足したい
これさ、少し判る。赤い羽根募金とかアグネス募金とか24時間TV募金とか使い道がはっきりしてないのには寄付したくない。あ、それは募金か...。
自分ではできないことを、金だけ出して実現するために、私は寄付をしている。私は人類を飢えから解放したい。なので国連食糧計画に毎月寄付してきた。何人かは、私の寄付で生命がつながったろう。
基本的には節税か気分が向いたから以外のなんでもないよ。あとは想像力が他人から与えられた物で完結する人は気分が良くなるかもね。
「情けは人のためならず」を理解できるかどうか。健全な両親の元で生まれ育ち、満足な教育と裕福な暮らしを満喫し、高齢になっても心身共に健康で、ある日突然苦しまずにぽっくり死ねる人は早々いないって話。
政治家もお前の会社の社長も1円たりともお前に渡したくと思ってるよ。これからは給料を上げろとか国民の声を聞けなんて言うなよ笑
ある程度余裕が出てきて社会貢献でもしてみるか〜 ってときに手軽なんだよね。お世話になった日赤とFreeBSDに寄附してるよ。あとは利己的な理由で、地方自治体への寄附と、無くなったら困るソフトのGitHub Sponsors
自分が寄付を貰う立場になった時の保険と考えてみれば?今保険を払う余裕がないなら無理して払う必要は無い。被災したりして寄付に助けられた後で余裕ができてから払ってもいい。情けは人の為ならず。自分の為なんよ
貧乏だけどウィキペディアとインディペンデント誌に寄付をしたことがある。ウィキはよく使うし、インディは政治的にどこにも属さないという姿勢に共鳴したため。
税金対策では。
調べると出てくると思うけどノブレス・オブリージュの文化が浸透しているかどうかだと思う。自分の印象としては閾値があるわけではなくグラデーションがあると思うので、ほどほどに寄付できるぐらいが望ましいかな
自己に十分投資できている、ないし自己以上の価値を認めた時の、投資先
逆に気負いがありすぎるように感じた 昔同僚がミュージカルの当落日を控え「天に徳を積む」と言いながら募金箱を見かけるたびに少額を入れていて、それを見てから私も気楽に募金できるようになった
寄付しないことを責められる理由はない。食べる物がないって悲惨すぎるよなぁ、と思ってWFPに寄付しているが、大半はクレカで貯まったポイント(泡銭)。
普通に節税でしょ 税金で持ってかれるくらいなら寄付した方が気分もいいし著名人なら名声にも繋がる
お金と気持ちに余裕がある人がやれば良いと思うな。 私は、コンビニで現金払いした時に戻ってくるお釣りから、一円と五円は募金箱に入れるようにしてる。
私もwikipediaくらいにはぽんと寄付できるくらいの人でありたい。。
施しは喜びであるので自分のためにするのかもね。なんでもええんよ。善行をして気持ちよくなるのは、社会性の動物であるヒトの本能なのかも
思いついた時でなく毎月定額での寄付がありがたいらしいのでそうしてる
寄付なんて自己満足でもいいし、分からないなら分からなくていい。
推しに大金注ぎ込む事が理解されないのと同じで個人の好みの問題だろ
やれる範囲でいいんじゃないの。訳わからん税金取られるより自分が選んだとこに寄付するほうがマシだし。
書籍『GIVE&TAKE』によるとギバーの割合は25%、テイカーは19%、マッチャーは56%。普通の人は損得を考えて与えるか決めるので、増田も損すると思うからしないだけでしょ。私は必要な人に喜んでほしいからするタイプ
自分にメリットのないことをするほど気分のいいことないやろ。無敵状態ってことやで
恵まれているという言葉が糾弾なら寄付はそれへの抵抗でもあると思ってる。自分の生活が弱い立場の人の搾取から成り立ってることくらいは理解してるので。
寄付を頑張れば紺綬褒章もらうこともできる。紺綬褒章ってみんな欲しいやん。
いいことをすると気持ちが良いからと言う理由です。自尊心が高まります。あと善行ポイントを貯めておくと後で返ってくるかもと思っているため。
別に世間は増田が思っているほど増田のことを構うわけじゃないよ。だから増田も平静で居ればいいこと。
何かしら自分のためになるからやろ。自己満足でも良いから気分良くなればやればいいし、やらなくてもいい。
自分のために有意義な使い方できるなら、それも良いでしょうね。寄付で助かる人がいたり、困ってる人の為になるなら、もれもまた、有意義な使い方だよね。最終的に金は何かに使わないといけないのだから。
昔は、税金の再分配が行き渡らない所を探して寄付してたけど、今は年に1回クレカで日赤にしかしてない
最後の2行がよく分からない。誰か解説してくれ
無償譲渡としか捉えていなければわからないだろう。自分は足りていて、納税して国が使うよりも寄付先がお金を活かしてくれそうなら寄付する。
まぁ自分も基本寄付しない性質だけど、恵まれない難民の子供のため、とかよりは、日本国内の科学教育のため、とかだったらまだ寄付してしまうかなぁ。あともしお金があったら紺綬褒章ほしい気持ちはある。
貧乏で困ってる人間は寄付できないからその理屈でOKじゃないかな。困ってないのに寄付できない心の貧しさは一生続いてそのまま貧しい人間として死ぬだけ。死んだら残った金は国と遺族にもってかれておさらばよ
節税
寄付してもしてなくても責められてる気持ちになるのか。気の毒に。誰も責めてないよ、と言われても納得できないんだろうな。責めてるのはあなた自身だと思えば……いよいよ嫌かしら。鬱か? 鬱なのか?
知人で寄付してる人がかなりいる。税金を同じだけ払うなら目的がわかるところに寄付したいという理由で、弱者支援とかの団体に寄付してる。ふるさと納税とかに近い感じ。わからなければしなくていいと思う
僕や増田と違って、世の中には人の役に立つことがしたいという篤志の人がけっこういて、そういう人が寄付とかボランティアとかNPO活動とかで社会に貢献しているのだよね。共感はしないが尊敬はするべきよね。
寄附する人に責められてると感じるの、一般論では「増田の被害妄想でしか無い」となるけど、個別に言えばそういう善行や献身を強要するカスはまあまあいるので、身近にいるなら距離を置こう。
自意識が「全体の中の一部」ではなく「自分対世界」になるとこうなる。友達がいないタイプ。
キリスト教的には色んな意味があるけど、義務に近いイメージ。収入の1割位を寄付に回すのが基本。アメリカで強いのは、国に介入させるのではなく、自分の意志で自分の望む未来を作るという意味。
目の前で人が転んだら手を差し出すくらいに思えばいいんじゃないかな。震災のニュースみて大変そうだなぁと思ったら赤十字のその活動に寄付している。
寄付先によっては元々貰えてた補助金が無くなって受け取りての総量としては変わらない、みたいな話を聞いてから慎重になるようになった
年収400万だけど児童養護施設に毎月サブスク寄付してるよ
勝手な妄想で自分を被害者に仕立て上げて、寄付したくないのを正当化しようとしてるだけでしょ
毎月国境なき医師団に寄付してる、自分ではできないことをやってくれてるし、祈りでもある。義務じゃないんだから自分で決めたらええんやで。
したいからするんだろ。したくないならしなくていい。税金じゃないんだから誰も強要してない。人からどう見られるか、何言われるかを気にしすぎなんじゃないか?
マラソンのチャリティー枠とか見返りがあると善意の金持ち感じが薄まって好き。そのうち儲かった年に500万寄付して寄付金控除も使って紺綬褒章を貰いに行きたい
続編「なぜ課金してスターをつけるのかわからない」
お金があるのに寄付が嫌ということなら税金で取るしかないですね
RIJが近くなってきたので言及させてもらうと 日本でも土砂・地震災害等で生活苦になる可能性が十分にある。その復旧にはやはりお金や人手が必要となってくる。その為の寄付や募金だ。 みんなもよろしくな
増田の中に「恵まれている=悪いこと」という思想があるんだろうな。恵まれてない可愛そうな存在は優しくされるべきで、恵まれてるなら優しくされないみたいな。
喜捨っつーてな。
俺の場合なんだけど、心に余裕がある時は他者に還元したくなる欲求が自然にわく。
自分では何もできない、しない(たとえば体張ってのボランティアとか)ことへの罪滅ぼしに近い。だから自己満足かな。
後段の意味がわからん。私には誰かを手助けしたい以外の理由はない。自分では行うのが難しいことを人生かけてやってくれる人達がいて寄付をすることで間接的に手助けさせてもらえる。自己満と言われればそう。
トラバ "anond:20250625035454 富豪が寄付に走る理由は主に2つ ①寄付金控除がある ②護身 特に後者が重要"
たまたま生まれ落ちた境遇が良かった・悪かっただけで今の不公平がある。今よい境遇にいる人もサイコロの目が悪ければ不幸側にいたことだろう。寄付は不幸な目が出てたかもしれない自分を救う慰めでもある。
免許更新のたびに寄付するやつ一回もしたことないや そんな余裕はない
誰かを助ける一つの方法です
幸運にも転職ガチャを当てた自覚があるのでぶりぶり納税してるし寄付もしてる。能力以上に稼いでるとなんか罰当たりそうな気がして