寄稿いたしました。この労働社会、自分の時間というものが、あまりに無いと思いませんか?
おれの敬愛するエリック・ホッファー先生は「沖仲士として働きながら思索する」方法によって、生のバランスを取ったらしい。大丈夫。文学を前にしたら、富裕層の生も取るに足りない。
“ただし、ちょっぴり自分の時間をだれかに盗られすぎていないかと疑いながら。おれたちにできるのは、そのくらいのことだ”/はてなでお馴染みとはいえもうタイトルで黄金頭さんとわかるのすごいな
人生にはどれほどの時間が必要なのであろう。
フレックスタイムとて解決にはならず、終わらないワークと物理的身体が要求するライフの中間管理者としてのタスクが増えるだけである。そして目減りする「私」的な時間。
ワークライフバランスという点では多分私最強クラス。あと1ヵ月我慢すれば20連休が待っている。
生活のために働き、健康のために休日を使って通院する。何のために生まれて 何をして生きるのか
“かぼちゃ頭に生まれついてしまった以上、そのように生きていくしかない。 ただし、ちょっぴり自分の時間をだれかに盗られすぎていないかと疑いながら。” 痺れるなぁ
相変わらず読みやすい綺麗な文章を書くなあ/でも黄金頭さんが「牛タン食べ尽くし事件」で焼肉屋を批判していたのはいまだに不満がある
働いていると"本来の日々の生活ができない"認識。ならばと本業を「遊ぶこと」と定義してみたら"本業"にも身が入らなくなって積みゲーが増えてしまった。労働の文脈で"生活"をくくるとろくなコトにならない
問題は資本主義以上の社会形態を人類がハンドリングできないことなのだよな。/人が自分より劣る人間と同じ待遇でも真摯に努力し続ける鋼のメンタルの持ち主ばかりなら、共産主義諸国は崩壊していない。
働きないけど金が欲しい、この思考は結構危険ではあるけど、本質的な欲求だとは思う。働かずにこんなにもらえるはずがない、という感覚は大事。
「朝起きなければ、えさ採れずに死ぬ」ってのが本来の理由。それが分からなくなるほど、俺達はマリーアントワネットなんだな。
自分のための時間がないのも辛いけど、誰からも必要としてもらえないのも辛いよね。どうやってもなぜか満足できない
昔であっても働かない人というのは童話によく出てくる。アリとキリギリス。三年寝太郎や眠り姫、ラプンツェルも働いていない。フィクションとはいえモデルはあるはず。彼らはどうやって生きていたのか?
病気だから午前中寝込んでもしかたがないじゃん。先人の文章から自身の正当性を読み取ろうとするのはうしろめたさがあるからかな。職場も認めているなら堂々と休めばいいと思う。
自分で事業を興す気概もなく、時間を捧げる対価にお給金を貰おうってのが我々労働者なので。売るものが自分の時間しか無いなら、せめて時間はちゃんと売ろうぜ
何年も遅刻していい環境で給料得てるならフレックスみたいなもんじゃないの。割とうらやましい環境ではあるんじゃないか
60kmの自転車通勤は趣味のレースで勝つためのトレーニングだし、仕事内容は9割がた自己研鑽に関連して学びだらけで単純作業なし。賃金の関係でちょっとした制約があるだけ。つまりおれは働いてない。
わかるなあ。なんか「ワーク」の存在感がデカすぎるのよ。お前なんで勝手に人の人生の主役ヅラしてんの?とは思う。
技術が発展したら機械に労働やらせて人間もっとゆったりできる、とか言われてたのに。現実には1人でたくさん仕事できるね、他は解雇か臨時雇いね、の資本主義社会だったでござる。
楽しい時間は早く過ぎ苦痛な時間は遅く流れる。時間は相対的だね。アインシュタインは正しかった。みんな主観世界の王様だからコントロールできることなのでは。
精神科の薬飲んでるなら酒を飲むな
酒もタバコもギャンブルも禁止。自制心弱い人間は、この3つをしたら駄目だ。/しかし、自制心無いから、それらにハマるのは、よくわかるという矛盾。
通勤時間が消え去ればかなりマシになるので物理的にそこに存在しないといけない場合以外はリモートになるべき
題名だけで黄金頭と気づいた
もともとは日々の生活の延長であった仕事が、資本主義の発達によって資本化され外部化していったためだと思ったが、仕事ってそもそもそんなものだった
おれたちの短すぎる人生と生活について
寄稿いたしました。この労働社会、自分の時間というものが、あまりに無いと思いませんか?
おれの敬愛するエリック・ホッファー先生は「沖仲士として働きながら思索する」方法によって、生のバランスを取ったらしい。大丈夫。文学を前にしたら、富裕層の生も取るに足りない。
“ただし、ちょっぴり自分の時間をだれかに盗られすぎていないかと疑いながら。おれたちにできるのは、そのくらいのことだ”/はてなでお馴染みとはいえもうタイトルで黄金頭さんとわかるのすごいな
人生にはどれほどの時間が必要なのであろう。
フレックスタイムとて解決にはならず、終わらないワークと物理的身体が要求するライフの中間管理者としてのタスクが増えるだけである。そして目減りする「私」的な時間。
ワークライフバランスという点では多分私最強クラス。あと1ヵ月我慢すれば20連休が待っている。
生活のために働き、健康のために休日を使って通院する。何のために生まれて 何をして生きるのか
“かぼちゃ頭に生まれついてしまった以上、そのように生きていくしかない。 ただし、ちょっぴり自分の時間をだれかに盗られすぎていないかと疑いながら。” 痺れるなぁ
相変わらず読みやすい綺麗な文章を書くなあ/でも黄金頭さんが「牛タン食べ尽くし事件」で焼肉屋を批判していたのはいまだに不満がある
働いていると"本来の日々の生活ができない"認識。ならばと本業を「遊ぶこと」と定義してみたら"本業"にも身が入らなくなって積みゲーが増えてしまった。労働の文脈で"生活"をくくるとろくなコトにならない
問題は資本主義以上の社会形態を人類がハンドリングできないことなのだよな。/人が自分より劣る人間と同じ待遇でも真摯に努力し続ける鋼のメンタルの持ち主ばかりなら、共産主義諸国は崩壊していない。
働きないけど金が欲しい、この思考は結構危険ではあるけど、本質的な欲求だとは思う。働かずにこんなにもらえるはずがない、という感覚は大事。
「朝起きなければ、えさ採れずに死ぬ」ってのが本来の理由。それが分からなくなるほど、俺達はマリーアントワネットなんだな。
自分のための時間がないのも辛いけど、誰からも必要としてもらえないのも辛いよね。どうやってもなぜか満足できない
昔であっても働かない人というのは童話によく出てくる。アリとキリギリス。三年寝太郎や眠り姫、ラプンツェルも働いていない。フィクションとはいえモデルはあるはず。彼らはどうやって生きていたのか?
病気だから午前中寝込んでもしかたがないじゃん。先人の文章から自身の正当性を読み取ろうとするのはうしろめたさがあるからかな。職場も認めているなら堂々と休めばいいと思う。
自分で事業を興す気概もなく、時間を捧げる対価にお給金を貰おうってのが我々労働者なので。売るものが自分の時間しか無いなら、せめて時間はちゃんと売ろうぜ
何年も遅刻していい環境で給料得てるならフレックスみたいなもんじゃないの。割とうらやましい環境ではあるんじゃないか
60kmの自転車通勤は趣味のレースで勝つためのトレーニングだし、仕事内容は9割がた自己研鑽に関連して学びだらけで単純作業なし。賃金の関係でちょっとした制約があるだけ。つまりおれは働いてない。
わかるなあ。なんか「ワーク」の存在感がデカすぎるのよ。お前なんで勝手に人の人生の主役ヅラしてんの?とは思う。
技術が発展したら機械に労働やらせて人間もっとゆったりできる、とか言われてたのに。現実には1人でたくさん仕事できるね、他は解雇か臨時雇いね、の資本主義社会だったでござる。
楽しい時間は早く過ぎ苦痛な時間は遅く流れる。時間は相対的だね。アインシュタインは正しかった。みんな主観世界の王様だからコントロールできることなのでは。
精神科の薬飲んでるなら酒を飲むな
酒もタバコもギャンブルも禁止。自制心弱い人間は、この3つをしたら駄目だ。/しかし、自制心無いから、それらにハマるのは、よくわかるという矛盾。
通勤時間が消え去ればかなりマシになるので物理的にそこに存在しないといけない場合以外はリモートになるべき
題名だけで黄金頭と気づいた
もともとは日々の生活の延長であった仕事が、資本主義の発達によって資本化され外部化していったためだと思ったが、仕事ってそもそもそんなものだった