"侮蔑の意識さえあったとしていいだろう。さらにいえば、アーレントが論理的にかなり無理をしてでも植民地主義と帝国主義を峻別しようとしたのは、この差別意識ゆえのことであったのかもしれない" →ブクマ。
「アーレント個人の差別意識を暴露して終わらせるのではなく、重要なものとして扱われ続けているその著作においても「見落とし」がしばしば見受けられ、それがなぜなのか、その思想的背景を探っている」
アーレント自身の思考の問題であると同時に、著者が「アーレントの主要著作に対する包括的な人種的批判を探しても徒労に終わってきた」となるくらい、それを軽く扱ってきた思想研究者全体の問題と。
元が欧州富裕層で大学でも哲学を学び続けられる層であり、ナチスによるユダヤ人迫害のまさに被害者で、アメリカに亡命した後で女性哲学者として強く評価された。ユダヤ人と対全体主義以外は些事なのでは。
自分の問題を俯瞰し普遍化することで絶賛されるが、提唱者は実は自分の問題以外にはさほど関心がなく、一方注目した側も普遍化の成果を自分の関心事に当てはめることに忙しく大元の問題には実はさほど関心がない。
特定の領域で極めて優れた業績を残した人でも、それ以外の領域で素人以下、ということはいくらでもありうる。アーレントだからといって何かへの差別心があっても不思議ではない。日本にも井上ひさしみたいな例もある
「アーレントの主要著作に対する包括的な人種的批判」
草葉の陰からハイデガーの笑い声が聞こえる。めったに笑わない人だったそうだが。
面白そう/社会的要因(西欧的視点の傲慢)、個人的要因(被害者視点による不都合な事実の隠蔽)/加えて別の社会的要因(差別を怒る権利があるのは無瑕疵の聖人のみいう傲慢)とかね。複数・複雑な要因がある
こういうのを知れるのがはてブの良さだなあ。知らなかった。
割と有名な話だと思う/「かなり無理をしてでも植民地主義と帝国主義を峻別」日本軍のアジア支配に辛辣な論評をするはてサでもそれより遥かに長く過酷だった欧米の植民地支配に驚く程プリミティブなのはよく見る光景
“優れた「洞察」力――しかもレイシズムについても――を発揮したと評価しつつ、また看過することができない「見落とし」を指摘し、これがなぜ生じたのか、ここを問わねばならない”
「黒人と机を並べるのが嫌だからといって子どもを私立学校に通わせることができない」公立校は動物園などと言う者にアーレントを批判する資格はあるのか。
「アーレントが黒人に対し偏見を抱いていたことは確実であり、これを取り繕おうとすべきではない」
完璧な人間なんていないし、欠点を知ってその都度補正していくしかない。『みんなちがって、みんなダメ』(C)中田孝
人種ごとに知性に差があり黒人のそれは白人に比べて低い、というのは実際のところどうなのか。知能指数の地域ごとの分布図は時々目にするが。知能と文化の粗暴さみたいなものとの関係はどうなんだろう。
批判しながら読むことで指摘を無効化させないことが重要。どっちもどっちや欠点があることを欠点とする意見はまさに無効化を試みている。
アーレントの関心領域
思ったよりゴリゴリに差別してた
アーレントさん、難しいこと考えてるにゃ。ボクにはカリカリの方が大事なのにゃ!
自分たちの親戚がスターになって「お前はあれとは違う」というのが政治的なんだろうな。この影響の大きさに比べてということだろう。
そのうちよもうと思いつつまだ手もついてない奴。 無謬な人など居ない、にせよ今見ると偏見が酷いアーレント。DD論で冷笑してちゃ後退だよね。良い所を受け継いで悪い所を直していく繰り返し
“無知というよりは侮蔑の意識”ユダヤ人迫害で白人に対する戦争を仕掛けた白人としてドイツを非難した英国人の言葉を記憶する。ベトナム反戦の闘士さえ公民権運動を過激で国を分断すると難じた。差別者の心の平穏。
セゼール「彼[ヨーロッパのブルジョワジー]がヒトラーを許すことができなかったのは〜白人に対する犯罪、白人への侮辱のためであった。また、ヒトラーは〜植民地主義的なやり方をヨーロッパに適用したためであった」
反ユダヤ主義が生まれる理由がわかるよな。まあこういう連中だからなんだよな
はてな市民だってガザの5万人(7万とも)には怒るがスーダンの15万人には無関心だしシリアにも興味を失い。所謂グローバルサウスも未だに「第三世界」という一纏めで個々の人々にも関心を示さない。差別と黒人は嫌い
ハイチ革命と、恥知らずに賠償金を求め続けたフランスを忘れない/「ヘーゲル問題」/「人間の条件」は「ライン工は人間にあらず」ですよ/ネットで「賢人」として挙げている人々も主著で何も隠さずに差別してますよ
差別/専制を批判する立場の人が,其を行う側になる無惨。現実にも虚構にも諸々有る事象だが,かの #アーレント も例外に非ずと。トールキンの<指輪物語>も,東夷(リューン).南蛮(ハラド)と,差別臭いしなあ。
私はロマ人のことがずっと引っ掛かってる。よく知らないし、どう考えればいいのかもわからないけど。
言われ古されてるけど、古代ギリシャの哲学者はみんな奴隷労働があったから思索に専念できた、この一点”だけ”でプラトン、アリストレテル他の著作が全部無価値にはならない。同じ事は全時代にいえる、未来にも
アレントはある種の反マルクスで階級闘争は「政治」でなく「社会」のカテゴリになる。だから南部奴隷制も社会。仏革命(とハイチ革命)も社会で、米革命が政治。貧困が絡むと社会。人種差別が元凶かは微妙
ちくまのアーレントは全部読んだ。その上で矛盾もあるし、著者は否定してるけど時代の常識から逃れることはできなかった人だったと思うな。というか、時代の常識からは誰も逃れられないのでは?
“エメ・セゼールはこういった。「本当のところ、彼[ヨーロッパのブルジョワジー]がヒトラーを許すことができなかったのは、犯罪それ自体、人間に対する犯罪、人間そのものへの恥辱のためではなく、白人に対する犯罪
凡庸な悪の含意は、悪意のない悪の非凡さであった。アーレント自身もまた同じ凡庸さを有していたならば、それは小事ではなく、自身の理論がなぜ自分に向かなかったのかを、理論の不備として研究するべきだろう。
『ヒトラーは(略)植民地主義的なやり方をヨーロッパに適用したためであった』Vフォーヴェンデッタの原作を思い出した。
私は同時の一般的価値観を判断基準に入れてるから個人的には批判しないけどいま世界的には数千年前だろうが今の基準に沿わなきゃどんな偉人でも否定するのがスタンダードですよね
『アーレントと黒人問題』 | 荒野に向かって、吼えない…
"侮蔑の意識さえあったとしていいだろう。さらにいえば、アーレントが論理的にかなり無理をしてでも植民地主義と帝国主義を峻別しようとしたのは、この差別意識ゆえのことであったのかもしれない" →ブクマ。
「アーレント個人の差別意識を暴露して終わらせるのではなく、重要なものとして扱われ続けているその著作においても「見落とし」がしばしば見受けられ、それがなぜなのか、その思想的背景を探っている」
アーレント自身の思考の問題であると同時に、著者が「アーレントの主要著作に対する包括的な人種的批判を探しても徒労に終わってきた」となるくらい、それを軽く扱ってきた思想研究者全体の問題と。
元が欧州富裕層で大学でも哲学を学び続けられる層であり、ナチスによるユダヤ人迫害のまさに被害者で、アメリカに亡命した後で女性哲学者として強く評価された。ユダヤ人と対全体主義以外は些事なのでは。
自分の問題を俯瞰し普遍化することで絶賛されるが、提唱者は実は自分の問題以外にはさほど関心がなく、一方注目した側も普遍化の成果を自分の関心事に当てはめることに忙しく大元の問題には実はさほど関心がない。
特定の領域で極めて優れた業績を残した人でも、それ以外の領域で素人以下、ということはいくらでもありうる。アーレントだからといって何かへの差別心があっても不思議ではない。日本にも井上ひさしみたいな例もある
「アーレントの主要著作に対する包括的な人種的批判」
草葉の陰からハイデガーの笑い声が聞こえる。めったに笑わない人だったそうだが。
面白そう/社会的要因(西欧的視点の傲慢)、個人的要因(被害者視点による不都合な事実の隠蔽)/加えて別の社会的要因(差別を怒る権利があるのは無瑕疵の聖人のみいう傲慢)とかね。複数・複雑な要因がある
こういうのを知れるのがはてブの良さだなあ。知らなかった。
割と有名な話だと思う/「かなり無理をしてでも植民地主義と帝国主義を峻別」日本軍のアジア支配に辛辣な論評をするはてサでもそれより遥かに長く過酷だった欧米の植民地支配に驚く程プリミティブなのはよく見る光景
“優れた「洞察」力――しかもレイシズムについても――を発揮したと評価しつつ、また看過することができない「見落とし」を指摘し、これがなぜ生じたのか、ここを問わねばならない”
「黒人と机を並べるのが嫌だからといって子どもを私立学校に通わせることができない」公立校は動物園などと言う者にアーレントを批判する資格はあるのか。
「アーレントが黒人に対し偏見を抱いていたことは確実であり、これを取り繕おうとすべきではない」
完璧な人間なんていないし、欠点を知ってその都度補正していくしかない。『みんなちがって、みんなダメ』(C)中田孝
人種ごとに知性に差があり黒人のそれは白人に比べて低い、というのは実際のところどうなのか。知能指数の地域ごとの分布図は時々目にするが。知能と文化の粗暴さみたいなものとの関係はどうなんだろう。
批判しながら読むことで指摘を無効化させないことが重要。どっちもどっちや欠点があることを欠点とする意見はまさに無効化を試みている。
アーレントの関心領域
思ったよりゴリゴリに差別してた
アーレントさん、難しいこと考えてるにゃ。ボクにはカリカリの方が大事なのにゃ!
自分たちの親戚がスターになって「お前はあれとは違う」というのが政治的なんだろうな。この影響の大きさに比べてということだろう。
そのうちよもうと思いつつまだ手もついてない奴。 無謬な人など居ない、にせよ今見ると偏見が酷いアーレント。DD論で冷笑してちゃ後退だよね。良い所を受け継いで悪い所を直していく繰り返し
“無知というよりは侮蔑の意識”ユダヤ人迫害で白人に対する戦争を仕掛けた白人としてドイツを非難した英国人の言葉を記憶する。ベトナム反戦の闘士さえ公民権運動を過激で国を分断すると難じた。差別者の心の平穏。
セゼール「彼[ヨーロッパのブルジョワジー]がヒトラーを許すことができなかったのは〜白人に対する犯罪、白人への侮辱のためであった。また、ヒトラーは〜植民地主義的なやり方をヨーロッパに適用したためであった」
反ユダヤ主義が生まれる理由がわかるよな。まあこういう連中だからなんだよな
はてな市民だってガザの5万人(7万とも)には怒るがスーダンの15万人には無関心だしシリアにも興味を失い。所謂グローバルサウスも未だに「第三世界」という一纏めで個々の人々にも関心を示さない。差別と黒人は嫌い
ハイチ革命と、恥知らずに賠償金を求め続けたフランスを忘れない/「ヘーゲル問題」/「人間の条件」は「ライン工は人間にあらず」ですよ/ネットで「賢人」として挙げている人々も主著で何も隠さずに差別してますよ
差別/専制を批判する立場の人が,其を行う側になる無惨。現実にも虚構にも諸々有る事象だが,かの #アーレント も例外に非ずと。トールキンの<指輪物語>も,東夷(リューン).南蛮(ハラド)と,差別臭いしなあ。
私はロマ人のことがずっと引っ掛かってる。よく知らないし、どう考えればいいのかもわからないけど。
言われ古されてるけど、古代ギリシャの哲学者はみんな奴隷労働があったから思索に専念できた、この一点”だけ”でプラトン、アリストレテル他の著作が全部無価値にはならない。同じ事は全時代にいえる、未来にも
アレントはある種の反マルクスで階級闘争は「政治」でなく「社会」のカテゴリになる。だから南部奴隷制も社会。仏革命(とハイチ革命)も社会で、米革命が政治。貧困が絡むと社会。人種差別が元凶かは微妙
ちくまのアーレントは全部読んだ。その上で矛盾もあるし、著者は否定してるけど時代の常識から逃れることはできなかった人だったと思うな。というか、時代の常識からは誰も逃れられないのでは?
“エメ・セゼールはこういった。「本当のところ、彼[ヨーロッパのブルジョワジー]がヒトラーを許すことができなかったのは、犯罪それ自体、人間に対する犯罪、人間そのものへの恥辱のためではなく、白人に対する犯罪
凡庸な悪の含意は、悪意のない悪の非凡さであった。アーレント自身もまた同じ凡庸さを有していたならば、それは小事ではなく、自身の理論がなぜ自分に向かなかったのかを、理論の不備として研究するべきだろう。
『ヒトラーは(略)植民地主義的なやり方をヨーロッパに適用したためであった』Vフォーヴェンデッタの原作を思い出した。
私は同時の一般的価値観を判断基準に入れてるから個人的には批判しないけどいま世界的には数千年前だろうが今の基準に沿わなきゃどんな偉人でも否定するのがスタンダードですよね