刻が未来に進むと 誰が決めたのだ
毒親の好きなもの(学歴とか)しか褒めてもらえず、自分の好きなこと得意なことを成功して褒めて貰った成功体験が薄いから。自分本位の努力ができないし、結果が出ない。毒親は無視して自分本位の努力をしよう。
“こんなところに自分語りを投稿するので私も例に漏れず毒親育ちなんだけど”1行目から偏見に満ちている。自分自身の扱いも含めてそういう扱いからスタートしている
親がクソでも死ぬまでは人生が続くからできるだけハッピーになりてえよ/死にたいって言う思う奴にもその死にたさの強度に差があるもんだから別にそう気にせんでも。自分の傷は自分の傷だわよ
なぜかっていうと、基本的信頼感が獲得できてないからであって、他の人とはベースが違うのだから仕方ない。
今からでも放送大学の科目履修生でなんかひとつ授業取ろう
毒親の非を正しく批判/追及する為にも、被害を受けた人は、その影響下から抜け出し、自力で幸せになって欲しいと思います。理不尽な苦労が増えてるんだけれどもね。でも、そう願います。
それだけ過去は向き合うと重いのよ。生真面目に向き合うほどに寛解に時間がかかる。どうしたら前を向けるか…「芝浜」を聞いて、「ねこのために立ち直る」と一心に願うところからだった。おれは。11年目に入った(笑)
なぜそのエピソード語りから「私だけ」の結論になるんだ? そういうところやろ。
何故かの答えは一つじゃないが、受けた傷が平気になるまでの時間は人によって違うからねぇ。増田の過去の傷はそれだけ増田にとって重いんかも。重いもの持って生きるの大変よ。おつかれ、よう頑張っとる。
マチュと知り合ったニャアンみたいな
こういうの、名前がついてそう。
会社でヤバい上司に遭遇したら1ヶ月くらいであっという間に精神病む。それが親ならそうとう辛い環境で生き抜いてきたはず。自分をあまり責めず、これからは労わってあげてほしい…
そう思えるならきっとより良い人生を選んで行けるはず。応援する、どんな親だったかではなく自分がどんな人間でありたいか。のほうに目を向けてください。
親の年齢も関係してくると思うんだよな 更年期だった時期にされたことは許しても良いんじゃないかって思うようになってきた
性の悩みというか好奇心だと思うけど。社会との距離はそれに反映されるけどな。
人間失格を読んで「なーんだ」となったのがすごく強烈だった。私は国内でトップレベルに不幸だと思ったら、太宰がいとも簡単に言語化してた。少なくともこの物語に共感する人がこんなにたくさんいるのかと愕然とした
若いうちはその死にたいが重く自分だけの特別な事のように思うが他の人間も悩みはあるしいくつもの死にたいを超えて歳を取ると慣れちゃって多少のことでは死にたいとか思わなくなる。島倉千代子も歌ってたし。
厨二な考えだけど愛と幻想のファシズムでも読んで自分は狩る側だと認知したら上手くいくのでは?
程度の差こそあれ思春期は自我の形成過程で泥沼にはまるけれど、そこでじっと見守ってくれる人がいるか、意識せずともさらに沈めにかかる人がいるかの違いはやっぱり大きいよ。そりゃ傷の治りも異なる。
つまり、大人になっても引きずっている人は自意識過剰、自分が特別だと思い込み過ぎているってことなんかね。
「毒親育ち」がアイデンティティになっているなら、それでそれが自分だからいいんじゃないのかな。 それがどうしても嫌なら「毒親から独立できた自分」に進化するしか。 過去は変えられないけど未来は変えられる
古今東西の古典とも言われるような名作には、あらゆる種類の人間の苦悩が描かれている。苦悩には苦悩を。NHKの「絶望名言」は入門として最適
「自分語りしたいけど自発的にするのはちょっと…でも積極的に便乗はしたい」という俺みたいな隙あらば自分語りタイプは他人の自分語りを常に欲しています。あなたの自分語りで救われる自分語りがある。
何かしらのハンデがある人は他人を「楽に生きてきた」と捉えがちだけど、不幸って高低差じゃないと思うので、何にしろあまり人と比べないというのは大事だと思う。自分「が」しんどいかどうかだけでいいんよ。
過去に囚われるのは過去は変えられないから、いや記憶はいくらでも改ざんして変えちゃえばいいんだ、むしろ囚われていると思っている過去は改ざんされたにちがいない!『真実を思い出せ』?声が聞こえる!チャクラn
「なぜ前を向けないのか」毒親には前を向く力を子どもに与える能力がないから、らしいよ?
それを自覚したならこれからスタートでしょう、もう後ろを見る必要はない
親がそばに居るなら逃げ、そばに居ないなら過去を振り返らず、目の前にある現実に適応し、自分の生存基盤固めに専念するのが大切かと。肝要なのは、現在生じている問題の原因を過去に求めず、収入額のみ追及すること
自分の苦しみは自分だけの感覚、自分だけのものであって、人と比べるのはあまり意味がない。同じ事象を経験しても皆が皆、同じように感じるわけではない。
わかる。楽しんだ者勝ち、過去に囚われても仕方ない。さはさりながら、という話。皆自分自身の辛さを抱えて生きている。配られたカードでなんとやら。憂き世ですな。光明があるとすれば私にとってはそれが妻。
そこに理由を見出すのは後でいいというか、理由がわかったところで対処しようがない気もする。自分は生計がヤバくて強制的に前を向かざるを得ず、その時点では何ら解決してなかったが今は何とかやれている気がする。
みんな他人に言わないだけで立場の数だけ色々あるよねって思ってれば、その割にみんな生きてるから、意外と何とかなるのでは?って思えるから、もう死ぬしかないとは思わなくなるんじゃないかなとは思う
「自分がダメかどうか」を考えて続けるからでは。そう言う気分がやってくる時もあるけど、天候みたいなものだし、勉強してないことが問題なら今勉強するなり、目の前にある仕事に集中したりするのがいいと思う。
常に「親に感謝しろ」「いい年していつまでも親のせいにするな」みたいな社会圧がかかってくる中で、生きづらさは毒親のせいと感じるのには、それなりの理由があるんじゃないかな。別に増田が醜い訳じゃない。
「毒親育ち」というアイデンティティ捨てるところからかね。自分の存在感を親に依存してるので。傷に依存すると自分が傷になっていく。傷から離れるには、傷を捨てるのだよ。できるかじゃなく、そうしたいかどうか。
毒親の定義がよくわからないんだよねえ
なぜ前を向かなければならないのか。別に生きていければ構わないんじゃないかな。やる気が出たら頑張ればええで
アドラーの目的論とか見てみるといいかも
毒親というワードができちゃったことによって、そこがアイデンティティとして強調され、結果的に歪みに苦しむ人もいるだろうな、ということは想像がつく
程度問題(みんな多かれ少なかれ思春期は悩む)の側面ももちろんあるけど、人間の精神には閾値みたいなのがあると思うよ。あと「乗り越えた」と実感できたかどうかはものすごく大きいと思う。
自分の味方は自分と思って生きていくしかないと思う。足りない部分を自分で補っていく体験を重ねていずれ昇華出来るといいね。
「なぜ私だけ過去に囚われているのか。どうしてなのでしょうね」常に否定や諦めるよう説得され続けると、少しの希望や期待もなくなる。過去の増田を慰めるのは今の増田だ。受け入れて、自信をつけて、自由になって下
深く聞くと誰でもそういうことはあるかも知れないけど、増田さんが思ってきたことは事実であり、過去に囚われている方々も大勢いると思います。
生きるのに不自由しない人格が育つ環境でなかったら苦労するし苦労するたびに足手まといになっている傷を意識してしまうのは当然なんだよな。なるべく見ないようにするしかないが
程度問題なんだよね。一般化すると思いやりのない社会になるし。
こんなところに自分語りを投稿するので私も例に漏れず毒親育ちなんだけど..
刻が未来に進むと 誰が決めたのだ
毒親の好きなもの(学歴とか)しか褒めてもらえず、自分の好きなこと得意なことを成功して褒めて貰った成功体験が薄いから。自分本位の努力ができないし、結果が出ない。毒親は無視して自分本位の努力をしよう。
“こんなところに自分語りを投稿するので私も例に漏れず毒親育ちなんだけど”1行目から偏見に満ちている。自分自身の扱いも含めてそういう扱いからスタートしている
親がクソでも死ぬまでは人生が続くからできるだけハッピーになりてえよ/死にたいって言う思う奴にもその死にたさの強度に差があるもんだから別にそう気にせんでも。自分の傷は自分の傷だわよ
なぜかっていうと、基本的信頼感が獲得できてないからであって、他の人とはベースが違うのだから仕方ない。
今からでも放送大学の科目履修生でなんかひとつ授業取ろう
毒親の非を正しく批判/追及する為にも、被害を受けた人は、その影響下から抜け出し、自力で幸せになって欲しいと思います。理不尽な苦労が増えてるんだけれどもね。でも、そう願います。
それだけ過去は向き合うと重いのよ。生真面目に向き合うほどに寛解に時間がかかる。どうしたら前を向けるか…「芝浜」を聞いて、「ねこのために立ち直る」と一心に願うところからだった。おれは。11年目に入った(笑)
なぜそのエピソード語りから「私だけ」の結論になるんだ? そういうところやろ。
何故かの答えは一つじゃないが、受けた傷が平気になるまでの時間は人によって違うからねぇ。増田の過去の傷はそれだけ増田にとって重いんかも。重いもの持って生きるの大変よ。おつかれ、よう頑張っとる。
マチュと知り合ったニャアンみたいな
こういうの、名前がついてそう。
会社でヤバい上司に遭遇したら1ヶ月くらいであっという間に精神病む。それが親ならそうとう辛い環境で生き抜いてきたはず。自分をあまり責めず、これからは労わってあげてほしい…
そう思えるならきっとより良い人生を選んで行けるはず。応援する、どんな親だったかではなく自分がどんな人間でありたいか。のほうに目を向けてください。
親の年齢も関係してくると思うんだよな 更年期だった時期にされたことは許しても良いんじゃないかって思うようになってきた
性の悩みというか好奇心だと思うけど。社会との距離はそれに反映されるけどな。
人間失格を読んで「なーんだ」となったのがすごく強烈だった。私は国内でトップレベルに不幸だと思ったら、太宰がいとも簡単に言語化してた。少なくともこの物語に共感する人がこんなにたくさんいるのかと愕然とした
若いうちはその死にたいが重く自分だけの特別な事のように思うが他の人間も悩みはあるしいくつもの死にたいを超えて歳を取ると慣れちゃって多少のことでは死にたいとか思わなくなる。島倉千代子も歌ってたし。
厨二な考えだけど愛と幻想のファシズムでも読んで自分は狩る側だと認知したら上手くいくのでは?
程度の差こそあれ思春期は自我の形成過程で泥沼にはまるけれど、そこでじっと見守ってくれる人がいるか、意識せずともさらに沈めにかかる人がいるかの違いはやっぱり大きいよ。そりゃ傷の治りも異なる。
つまり、大人になっても引きずっている人は自意識過剰、自分が特別だと思い込み過ぎているってことなんかね。
「毒親育ち」がアイデンティティになっているなら、それでそれが自分だからいいんじゃないのかな。 それがどうしても嫌なら「毒親から独立できた自分」に進化するしか。 過去は変えられないけど未来は変えられる
古今東西の古典とも言われるような名作には、あらゆる種類の人間の苦悩が描かれている。苦悩には苦悩を。NHKの「絶望名言」は入門として最適
「自分語りしたいけど自発的にするのはちょっと…でも積極的に便乗はしたい」という俺みたいな隙あらば自分語りタイプは他人の自分語りを常に欲しています。あなたの自分語りで救われる自分語りがある。
何かしらのハンデがある人は他人を「楽に生きてきた」と捉えがちだけど、不幸って高低差じゃないと思うので、何にしろあまり人と比べないというのは大事だと思う。自分「が」しんどいかどうかだけでいいんよ。
過去に囚われるのは過去は変えられないから、いや記憶はいくらでも改ざんして変えちゃえばいいんだ、むしろ囚われていると思っている過去は改ざんされたにちがいない!『真実を思い出せ』?声が聞こえる!チャクラn
「なぜ前を向けないのか」毒親には前を向く力を子どもに与える能力がないから、らしいよ?
それを自覚したならこれからスタートでしょう、もう後ろを見る必要はない
親がそばに居るなら逃げ、そばに居ないなら過去を振り返らず、目の前にある現実に適応し、自分の生存基盤固めに専念するのが大切かと。肝要なのは、現在生じている問題の原因を過去に求めず、収入額のみ追及すること
自分の苦しみは自分だけの感覚、自分だけのものであって、人と比べるのはあまり意味がない。同じ事象を経験しても皆が皆、同じように感じるわけではない。
わかる。楽しんだ者勝ち、過去に囚われても仕方ない。さはさりながら、という話。皆自分自身の辛さを抱えて生きている。配られたカードでなんとやら。憂き世ですな。光明があるとすれば私にとってはそれが妻。
そこに理由を見出すのは後でいいというか、理由がわかったところで対処しようがない気もする。自分は生計がヤバくて強制的に前を向かざるを得ず、その時点では何ら解決してなかったが今は何とかやれている気がする。
みんな他人に言わないだけで立場の数だけ色々あるよねって思ってれば、その割にみんな生きてるから、意外と何とかなるのでは?って思えるから、もう死ぬしかないとは思わなくなるんじゃないかなとは思う
「自分がダメかどうか」を考えて続けるからでは。そう言う気分がやってくる時もあるけど、天候みたいなものだし、勉強してないことが問題なら今勉強するなり、目の前にある仕事に集中したりするのがいいと思う。
常に「親に感謝しろ」「いい年していつまでも親のせいにするな」みたいな社会圧がかかってくる中で、生きづらさは毒親のせいと感じるのには、それなりの理由があるんじゃないかな。別に増田が醜い訳じゃない。
「毒親育ち」というアイデンティティ捨てるところからかね。自分の存在感を親に依存してるので。傷に依存すると自分が傷になっていく。傷から離れるには、傷を捨てるのだよ。できるかじゃなく、そうしたいかどうか。
毒親の定義がよくわからないんだよねえ
なぜ前を向かなければならないのか。別に生きていければ構わないんじゃないかな。やる気が出たら頑張ればええで
アドラーの目的論とか見てみるといいかも
毒親というワードができちゃったことによって、そこがアイデンティティとして強調され、結果的に歪みに苦しむ人もいるだろうな、ということは想像がつく
程度問題(みんな多かれ少なかれ思春期は悩む)の側面ももちろんあるけど、人間の精神には閾値みたいなのがあると思うよ。あと「乗り越えた」と実感できたかどうかはものすごく大きいと思う。
自分の味方は自分と思って生きていくしかないと思う。足りない部分を自分で補っていく体験を重ねていずれ昇華出来るといいね。
「なぜ私だけ過去に囚われているのか。どうしてなのでしょうね」常に否定や諦めるよう説得され続けると、少しの希望や期待もなくなる。過去の増田を慰めるのは今の増田だ。受け入れて、自信をつけて、自由になって下
深く聞くと誰でもそういうことはあるかも知れないけど、増田さんが思ってきたことは事実であり、過去に囚われている方々も大勢いると思います。
生きるのに不自由しない人格が育つ環境でなかったら苦労するし苦労するたびに足手まといになっている傷を意識してしまうのは当然なんだよな。なるべく見ないようにするしかないが
程度問題なんだよね。一般化すると思いやりのない社会になるし。