“43歳は、若者としては終わっていても中年としてはこれからって感じがする。中年のなかでは最年少の部類だし、身体的活な力が充溢している時期でもある。社会経験や社会的信用もあるていど蓄積しているし、上下の世
もう少し時が ゆるやかであったなら
社会経験や社会的信用もあるていど蓄積しているし、上下の世代を見渡す視界の広さもある。社会のなかの実戦部隊っぽさも、まだまだ残っている。
今が一番若くて経験豊富です。その力、いかんなく発揮していきましょう。
カッコイイ中年じゃなくて、カッコイイ高齢者を目指しているので、特段40代が続いて欲しいとは思わない。カッコイイ爺さん多過ぎて憧れてる!!!
43歳はとてもいい年頃でした。一番フレッシュな部類の中年って、いいですよね。 それからまた歳月が流れて私はアラフィフになりました。今のように生きていたら、あっという間に高齢者になるだろうなと思います。
常に「年相応」を感じたことがない私にとっては、だいぶ羨ましい感覚かもしれんな。
あと数日で40代を終わる身に沁みる
自分が10代の頃は、「中年」は30代~40代のことだと考えていたのを思い出す。50代は熟年という認識だった。今はこの辺が上にスライドしてる気もするし、今の10代から見たら変わってない気もする。
“血圧、血糖値、飲水と排尿、なんでもそうだが、身体のホメオスタシスを保つ機構そのものが弱い”
おやすみなさい&おはよーございます!
確かに私も43歳で大学入り直して46で転職したから「フレッシュな中年」ってあると思います。ただ、50歳になった今「フレッシュな老人」だと思って60歳のオジサン達と卓球してると楽しいですよ。
本文中に何度か『運動量が増えた』ってサラッと書いてあるけど、それスゴくないですか?これだけ『時間配分にセンシティブになった』って話をしている中で、運動量を増やしているのには理由や気づきがあったのだろう
アラフィフの今が一番楽しいけど、今の年齢と肉体だから楽しいのか、このまま若くなったらもっと楽しいのかと思うと、ちょっとわからないところもある。
特に更年期障害もなく50代も心身の衰えをほとんど感じなかったので、実質的には40代を20年やったようなもの。60代に入って一気に疲れて来たのでゆるゆると年を取った方が良いと思う
本文からは逸れるが自分は44歳、この44年間は日本の出生数が減り続けた44年間と完全一致する。1981年生まれの人間の人生にはそのような背景がある。
割とみんな10代とか20代を繰り返したいと思ってそうなイメージがあるが、10代は輝かしい青春などなく、20代も貯金もなく社会人にも慣れておらず四苦八苦していたので、30~40ぐらいが一番繰り返したい時期ではあるかも。
35くらいから「ちょうどいいおっさんを目指そう」を信念にしてきた。"43歳は若者としては終わっていても中年としてはこれから"いい言葉だ。おっさんはいいぞ
まあ、やるべきことをやっていくしかないってことですね。今は、自分がやったことを振り返るいとまさえ惜しい。こんな風に生き続けてしまったら、あっという間に高齢者だろうなとも思う。
当然世代的にアンチエイジング何もしてなかった祖父母が好きだったからか、加齢に対して思うところがマジでない。若いやつには「おっさんになっても後輩キャラさせてくれる年上の友人は大事にしとけ」とは言ってる。
早く義体に入りたいぞ。電脳化でもいい。足を引っ張るハードウェアから抜け出して無限の思索とゲームにどっぷりしたいもんです。ボケなければ長生きなんて歓迎するものでしかないでしょうよ。親にそう思うんだもの。
やりたいことがたくさんある人は、老いやその先の死を感じると焦るのかな。季節の巡る早さにときどき驚くミドフォーだけど、このままふわふわ何もなさず老いていって構わないな。てか早く引退して年金生活に入りたい
今43だけど正直もう疲れている。戻りたいとも進みたいとも思わない。停滞。
40過ぎてから結婚し子供を2人設け家族4人で暮らしている。寝かしつけるときに手をグッと握られたり、行ってらっしゃいの抱きしめギューがあり、このままどんどん時が過ぎていくのかな
健康になりたいんじゃなくて、健康に気をつけないと生活がままならなくなってしまったと思う。"自分の身体のオートマチック管理システムがいい加減になって、実質的に自分自身で管理しなければならなくなった"
今年43歳になるんだけど、確かにまだ中高年の最年少感がある。その割に病人歴25年目で不摂生出来る元気があったことの無い身体なので、周りの親や友達の不調や衰えに対して先輩面出来る。
80代に囲まれてると50は小僧よ(ノ∀`)
43歳はギリ30代だが、46歳はほぼ50代
30代に限界寸前になった介護生活があったので、あれをもう一度経験しなきゃいけないとなると絶対戻りたくないと思っている。それを避けて若返るってのは妄想にしても都合良すぎだし。
アウラ「id:ヒンメルはもういないじゃない」/老いるスピードも残された時間も、人それぞれだし、不条理なんだよね。どんなに気を配っても死ぬ時は死ぬ。エルフでも。ゼーリエでも。メメント・モリ。
常に今が最高じゃない?30代や40代は子供のことも大変だったりしたけど、子供はあかんなりに自分の裁量でやってく年頃になって、自分のことだけ考えてればいい。うちは親の介護が勃発してないからかもだけど。
他人は知らないが僕は50代の今が1番自由で楽しくて仕方がない。身体の衰えは甘んじて受け入れる他ないにしても、これまでの10代から40代までの我慢の日々が報われた感がある。
体力おばけに見える。私は40だけどもうもたないよう。
こんなダラダラしたブログ書きながら時間が無いって
枯葉散る白いテラスの 午後三時じっとみつめてほしいのよ特別の愛でふるえてほしい四十一才の春だから元祖天才バカボンのパパだから
43歳を超えた時からいろんな場所で、急に認められるというか、やれることを広げるのを期待されている感じが出てきて驚いている。逆にこっちの時間は全然ない。
自分だけ10年40代がプラスされるということは考えたことがなかったし、みんな年取る中で自分だけならプラスされなくてもいいという考えも興味深いです。時は流れて癒してほしいのは病的なのかも?ともふと思いました
中年(今の社会でいえば「大人」)最年少として何でもできそうな40代前半と、そう思ってたら早くも人生畳み始める必要に迫られたり老害扱いされたりしだす40代後半(←その認識を持って前半に戻れたら…)、という把握。
「もう10年40代があったら」とも「みんなで年を取るならそれで良い」とも思う - シロクマの屑籠
“43歳は、若者としては終わっていても中年としてはこれからって感じがする。中年のなかでは最年少の部類だし、身体的活な力が充溢している時期でもある。社会経験や社会的信用もあるていど蓄積しているし、上下の世
もう少し時が ゆるやかであったなら
社会経験や社会的信用もあるていど蓄積しているし、上下の世代を見渡す視界の広さもある。社会のなかの実戦部隊っぽさも、まだまだ残っている。
今が一番若くて経験豊富です。その力、いかんなく発揮していきましょう。
カッコイイ中年じゃなくて、カッコイイ高齢者を目指しているので、特段40代が続いて欲しいとは思わない。カッコイイ爺さん多過ぎて憧れてる!!!
43歳はとてもいい年頃でした。一番フレッシュな部類の中年って、いいですよね。 それからまた歳月が流れて私はアラフィフになりました。今のように生きていたら、あっという間に高齢者になるだろうなと思います。
常に「年相応」を感じたことがない私にとっては、だいぶ羨ましい感覚かもしれんな。
あと数日で40代を終わる身に沁みる
自分が10代の頃は、「中年」は30代~40代のことだと考えていたのを思い出す。50代は熟年という認識だった。今はこの辺が上にスライドしてる気もするし、今の10代から見たら変わってない気もする。
“血圧、血糖値、飲水と排尿、なんでもそうだが、身体のホメオスタシスを保つ機構そのものが弱い”
おやすみなさい&おはよーございます!
確かに私も43歳で大学入り直して46で転職したから「フレッシュな中年」ってあると思います。ただ、50歳になった今「フレッシュな老人」だと思って60歳のオジサン達と卓球してると楽しいですよ。
本文中に何度か『運動量が増えた』ってサラッと書いてあるけど、それスゴくないですか?これだけ『時間配分にセンシティブになった』って話をしている中で、運動量を増やしているのには理由や気づきがあったのだろう
アラフィフの今が一番楽しいけど、今の年齢と肉体だから楽しいのか、このまま若くなったらもっと楽しいのかと思うと、ちょっとわからないところもある。
特に更年期障害もなく50代も心身の衰えをほとんど感じなかったので、実質的には40代を20年やったようなもの。60代に入って一気に疲れて来たのでゆるゆると年を取った方が良いと思う
本文からは逸れるが自分は44歳、この44年間は日本の出生数が減り続けた44年間と完全一致する。1981年生まれの人間の人生にはそのような背景がある。
割とみんな10代とか20代を繰り返したいと思ってそうなイメージがあるが、10代は輝かしい青春などなく、20代も貯金もなく社会人にも慣れておらず四苦八苦していたので、30~40ぐらいが一番繰り返したい時期ではあるかも。
35くらいから「ちょうどいいおっさんを目指そう」を信念にしてきた。"43歳は若者としては終わっていても中年としてはこれから"いい言葉だ。おっさんはいいぞ
まあ、やるべきことをやっていくしかないってことですね。今は、自分がやったことを振り返るいとまさえ惜しい。こんな風に生き続けてしまったら、あっという間に高齢者だろうなとも思う。
当然世代的にアンチエイジング何もしてなかった祖父母が好きだったからか、加齢に対して思うところがマジでない。若いやつには「おっさんになっても後輩キャラさせてくれる年上の友人は大事にしとけ」とは言ってる。
早く義体に入りたいぞ。電脳化でもいい。足を引っ張るハードウェアから抜け出して無限の思索とゲームにどっぷりしたいもんです。ボケなければ長生きなんて歓迎するものでしかないでしょうよ。親にそう思うんだもの。
やりたいことがたくさんある人は、老いやその先の死を感じると焦るのかな。季節の巡る早さにときどき驚くミドフォーだけど、このままふわふわ何もなさず老いていって構わないな。てか早く引退して年金生活に入りたい
今43だけど正直もう疲れている。戻りたいとも進みたいとも思わない。停滞。
40過ぎてから結婚し子供を2人設け家族4人で暮らしている。寝かしつけるときに手をグッと握られたり、行ってらっしゃいの抱きしめギューがあり、このままどんどん時が過ぎていくのかな
健康になりたいんじゃなくて、健康に気をつけないと生活がままならなくなってしまったと思う。"自分の身体のオートマチック管理システムがいい加減になって、実質的に自分自身で管理しなければならなくなった"
今年43歳になるんだけど、確かにまだ中高年の最年少感がある。その割に病人歴25年目で不摂生出来る元気があったことの無い身体なので、周りの親や友達の不調や衰えに対して先輩面出来る。
80代に囲まれてると50は小僧よ(ノ∀`)
43歳はギリ30代だが、46歳はほぼ50代
30代に限界寸前になった介護生活があったので、あれをもう一度経験しなきゃいけないとなると絶対戻りたくないと思っている。それを避けて若返るってのは妄想にしても都合良すぎだし。
アウラ「id:ヒンメルはもういないじゃない」/老いるスピードも残された時間も、人それぞれだし、不条理なんだよね。どんなに気を配っても死ぬ時は死ぬ。エルフでも。ゼーリエでも。メメント・モリ。
常に今が最高じゃない?30代や40代は子供のことも大変だったりしたけど、子供はあかんなりに自分の裁量でやってく年頃になって、自分のことだけ考えてればいい。うちは親の介護が勃発してないからかもだけど。
他人は知らないが僕は50代の今が1番自由で楽しくて仕方がない。身体の衰えは甘んじて受け入れる他ないにしても、これまでの10代から40代までの我慢の日々が報われた感がある。
体力おばけに見える。私は40だけどもうもたないよう。
こんなダラダラしたブログ書きながら時間が無いって
枯葉散る白いテラスの 午後三時じっとみつめてほしいのよ特別の愛でふるえてほしい四十一才の春だから元祖天才バカボンのパパだから
43歳を超えた時からいろんな場所で、急に認められるというか、やれることを広げるのを期待されている感じが出てきて驚いている。逆にこっちの時間は全然ない。
自分だけ10年40代がプラスされるということは考えたことがなかったし、みんな年取る中で自分だけならプラスされなくてもいいという考えも興味深いです。時は流れて癒してほしいのは病的なのかも?ともふと思いました
中年(今の社会でいえば「大人」)最年少として何でもできそうな40代前半と、そう思ってたら早くも人生畳み始める必要に迫られたり老害扱いされたりしだす40代後半(←その認識を持って前半に戻れたら…)、という把握。