これはひどい / まぁでも欧米人は自分達が勝ちやすいようにスポーツのルール変えてるって話もあるしな…そういう感覚なんかな
徴兵制度が復活したらこの方は(女性も)<積極的に>前線で戦う……ってコト!?(まあ戦いたいなら応援します/編集しました
男性が有利となるように作られたスポーツで敗北しか知らない弱男さん…
「体力とは、男性が有利になるものだけを測ってきた、文化的に偏った概念」それはそう。もし小さな箱に入り込んで中に納まる能力を評価して競技化したなら、身体が大きく柔軟性の低い男性など女の敵ではないだろう。
社会学部のある大学少なくない?と思ったら産業社会学部だった。多分ネットで社会学者が嫌われてるからこういう書き方をしてるんだろうけど、あんまり関係ないよ
少女をヤク漬けにしてフィギュアスケートやらせてたロシアはフェミニストだった?
こういう妄想が蔓延るのは1000年たっても同じだね。30000年たっても人類は脳ミソで作り上げた妄想について必死に議論するかも。て言うかなんで税金でこんなカルトに参加させられないといけないのか。
体の小柄さや柔軟性、耐G能力が有利に働くスポーツがもっとあってもいいと思う。アジア人に有利だしね。
社会学って、経済学や法学とより寄る辺となるものがデータしかないような領域が広い割に、学者さんはフワフワしたこと言いがちよね。学生の方がよほどマジメ。
言葉の定義の問題を論じているのであって、「体力とは筋力を中心とした概念である」を前提に「反論」しても、反論になっていない。男性が現在の一般的な定義の「体力」に優れるのは議論の前提であって結論ではない。
学校で行われる体力テストの趣旨は、児童生徒の体力・運動能力の向上を図ること、日常生活における運動習慣の改善を促進することです。https://www.mext.go.jp/prev_sports/comp/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2018/12/21/1411922_001-008.pdf
社会学者に胡散臭いのが多いのはわかるが、これはまた別の話では
ちょっと数学的な感性で考えると、マジキチって書いた増田は受験数学で満足してる人に見える。「三角形の和は180°」が人類の数学の最終結論で終わっても、何も悲しくない人。
ジェンダー学のせいで社会学全体がマズいような印象があるのは分かる。ただ社会学全体で見るとジェンダー学以外には優秀な人も
体力とは戦争に有利なものを優先して計ってきた概念なので、意図して男性が女性より優位になるようにしたわけではないが結果的にはまぁそう。結果から理由(男性優位にしたい!)を推測するのが間違いではある。
体の大きさが有利なスポーツは多いが小ささが有利なスポーツは少ない。乗馬とフィギュアスケートくらい? まあ、体の小さな東洋人が活躍すると板が短く…じゃなくて『公平さのためにウエイト』だろうな。
スパムリプ除去できんのかこれ
労働者適性から測定しやすいものが「体力」とされた視点を抜きに、ジェンダーと競技だけに注目してるから変な話になってる。女性中心に考えると、「出産体力」的な話になる。柔軟性が社会になんの役に立つの?
スパムが消されるか調べるために魚拓を取ってみた https://megalodon.jp/2025-0413-0019-00/https://anond.hatelabo.jp:443/20250412164024
「大人のほうが体力がある」「大人が有利になるように制度化」とか書き換えると面白い/はてブは体育大嫌い(ヒャダイン絶賛)が集まる場所。/ルッキズムを争うミスコンにすれば女性が圧倒的に有利か。
同意している日本のリベラルは、白人が自分に有利なルールにしたら、なぜか適応しない日本人を批判してきた歴史を持つ。「バスケットは白人や黒人が有利だから、ルールを変えよう」とは絶対言わない白人の奴隷。
近代オリンピックは、とかなら、そもそも男が男の土俵で勝負してきたものなのでそうでしょうと。そもそも体力とかいう定義があってないようなもので議論しないでほしい。
社会学という学問自体は素晴らしいと思っているので、こういうしょーもないのが混ざるのは悲しい。ジェンダーカルトは学問と切り離してもらいたい。無責任に放置し過ぎ。
小さい箱に入ることを競技とした場合、男女が同じカテゴリにはならず男女共に身長によるカテゴリができる。また年少者が極端に有利なので過度な負担を避けるため年齢制限が行われる。一般的スポーツルールの歴史
eスポーツですら男のほうが優れてるからな。
ジェンダーカルトは、マジで狂ってるな……。
◯語がデカい
社会学がテキトーなのは間違いないけど、この反論のほうが思い込みと主観にしか依ってなくてうーん
デュルケムの自殺論やマックス•ウェーバーみたいな古典は今でも読み応えあるけどね。政治や経済学者もそうだけど、学術で特定の党派に擦り寄って飯食ってる人達の存在は一定数する
似非科学というか、体育教師への戒めぐらいにしか使いようがない論理だな。体力がある人は良い「人」==男みたいな論理構成へのカウンターにはなるだろうが、トランプのような反DEIにはだからなんだで終わりそう
“それならマラソンもスポーツなので、楽しむという意味ではスポーツです” これどういう意味?
「社会学者は不利なエビデンスを隠す」を大学の授業で堂々とやってる最悪事例。ジェンダー学は学問ではなく、宗教だ。
結論が先にあるからしゃーない
主語がデカい気もするけど、多いイメージはある
そこらの野良フェミニストが言ってるならまだしも教授職にある人が言い出してるあたりが頭痛いよなあ。競技をやってる男の子たちは子供の頃から騙し合いや煽り合いも含めた切磋琢磨をしてることも無視してそうだ
社会学部って「脳科学者」も育成してるんでしたっけ?
スポーツは「白人」男性が有利になるように設計されてたけど、現状はそうでもなくなってるので当初の意図は見えづらくなってる。一見平等に見えるものでも必ずバイアスが隠されてる。勿論「科学」とやらもね。
何故にそこまで勝ちたがるのか。「勝ち」へのこだわりっぷりに、怨念めいたものを感じざるを得ない。
競技、競争って概念がそもそも男性有利なのかなとは思う。
ジェンダー論の視点、おもしろいですわね。新しい視点での発見、探求したいですの。
ものすごく抽象的にいうと、世の中を理解するための座標系が違う。天動説地動説どっちで理解するかみたいな / 社会学って枠組みのアイデアは量産するけど系内の整合性は2の次、理論というより作品みたいな印象
有名な社会学の教授が学部生の頃から学んでるはずの統計の知識が無いような発言をする事がよくある。
歴史的なしがらみが一切なく、体力も反射神経も関係ないgeoguessrも男性の方が強い。一体何なら女性有利なのか。
"男子が精神がおかしくなりがちなのはこんな押し付けという虐待を大学で平気で講義でやっているから"←???最後に最大のトンデモが出て来てずっこけた。
まともな人もいるんだろうけど、最重鎮がデータの偽造を公言するキチガイ(そして社会学界からはなにも咎め無し)だからどうしようもない。
社会学者としては、古市憲寿さんをテレビでよくみますね。
これ系で最も興味あるのは「チアリーディング」。「ジョックとクインビー」で語られる女子ヒエラルキー最上位なんて「たかが80年代から」の歴史。昔々はブッシュ米大統領親子も経験した男の世界。社会学的な分析求む
女性だけオリンピックで長座体前屈しとけばいいんじゃないか? 得意の柔軟性を活かしてがんばってください。
きついな
言葉の定義を自分で勝手に設定して「これが新しい『◯◯』の定義です」ってもうそれは科学じゃないのよね。ジェンダーに限らず左派はこういうこと好きなんだけど(例えば「積極的自由」とか)
勉強からきしな少年が、昼寝と射撃とあやとりが学力の基準となれば良いのになと妄想するのと何が違うん?
戦車道「」
反論に何一つエビデンスがない、「それってあなたの感想ですよね」レベル。目くそ鼻くそを笑う、ってやつ。
◯っ◯◯バレーなら女性の方が有利なのでは?
子供の体力計るテストで筋力使わない種目柔軟性以外にあるのか?技術で大きく結果が変わるのもダメだしな
定義がおかしいって話に今の定義だと正しいだろって言い返しても意味がない。まあ体力を筋力を基準にしない計測方法にしたとて、結局競技に繋がらないと意味がないんじゃないかと思うけど。
世の中のしわ寄せ部分を学問という形にしたのが社会学なのかもしれない。
女子込みで学年でいちばん足遅い男の子は、別に柔軟性が高いわけでもないし、何をどう測ったところで箸にも棒にもかかりませんので、新しい女子が強い指標ができたとしても相変わらず最下位です
「スポーツという文化はもともと男性だけが行う前提でつくられたものということ」これはおそらくそうだろう。「男性が有利になるように制度化されてきたものが近代スポーツなのです」これは妄想じゃないの?
ろくに記事読んでないけど、女性の有利になる競技も作ればいいんじゃないかな。 それをスポーツというかは別として。
社会学が自然科学ではないというだけかも。
確か、飢饉耐性や低水温耐性は女性の方が、高かったはず。 社会学の先生の論文指導の面白い点として、事実として存在するなら普遍的事象でなくて価値があるとする点。統計的に異常値であっても、社会の一部だから。
スポーツ環境のあり方って意味ではありなんだろうけど、ジェンダーを軸にする事で対立構造になってる。歴史的に男性側に主権が偏ってた影響だろうけど、そこから能力ベースで議論すれば良い。指標をベースに再構築
主語が大きすぎる。というか n=1 で語るところに疑似科学っぽさがある。
身体が小さい方が有利なスポーツといえば機械体操、体重が軽くないとできないプロスポーツ選手といえば競馬の騎手。「小さな箱に入り込んで中に納まる能力を評価」するのはマジックのアシスタントかな?
ジェンダー方面は科学的アプローチが軽視されがちというのはそうだが、「言ってること間違ってるから疑似科学」というのはちょっと雑では?ちゃんと根拠を述べて論理的に説明しているからこそこうして反論できる。
ダンスを男女混合競技化すれば
書き方はアレだけど日本の体育で教師が生徒に号令したり整列して行進させたりするのは軍隊式だし、それが男性的過ぎるという主張ならば理解できなくも無い。アレが嫌で体育が嫌いになる人は男性にもいる。
『教皇選挙』に保守派のレイシストが「この相対主義者が」とリベラル派を罵る場面があったけど、文化相対主義も度が過ぎるとカルト感ある(というか文化相対主義のオーバーランはまさに社会学の研究範囲ではないのか)
まあ、これは批判者が正しいよね。問題はこういうトンデモ言説が仲間内では評価されてしまう人文学の構造。相互評価というアカデミズムのシステムの誤作動。
主語が大きすぎるのでは…
教育学もやばいよ
女性の方が有利になるスポーツがもっと発明されてもいいわな。たぶん今の人気スポーツ作った人たちは男性が多いだろう
似非科学かどうかの線引きって「ディシプリンを逸脱しているか否か」だけど、そもそもディシプリンのない学問ってその判断がないからな。教育学、経営学、看護学、栄養学とかでもトンデモ蔓延する理由はたぶんこれ
コンパルソリーフィギュアのような体力、筋力が優劣に結びつかない、技術のみに焦点を当てた競技種目があっても良いと思う。
件の学者はスポーツを体力競技だけに限定してるがスポーツは競技という意味。体力を要しない競技も積極的にスポーツと呼べば解決する話。現実に競技としてのチェス将棋麻雀オセロなどはマインドスポーツと呼ばれる
相手は匿名じゃないのだから面と向かって反論すればいい。匿名のエコーチェンバーで賛同を集める行為は健全なのか?
わざわざ金と時間を浪費して馬鹿の妄想をありがたがるのは愚行権の範疇なので、社会学だけ槍玉に挙げるのもどうかなとは思う。
この増田に限って言えば教授の主張の方が説得力あるな。「フットボールがスポーツなのにお手玉がそうでないのはなぜか?」みたいな問題意識やろ。そもそも論証せずに罵倒するだけの増田の態度は科学的でない。
そらそういう項目だからな。こういう時に新しいカテゴリを提言したり新設するのではなく旧来の仕組みに文句を付け、しかも改善ではなく構造を維持するようにしたまま利権を要求してきたのがあの界隈なんだよなぁ。
全ての人間がこうではないけど、統計や事実を無視するアタオカをある程度の地位においてしまう問題はあるよね
社会学には、国勢調査とかの統計分析をする分野がある。そこの人たちのことも忘れないでほしい。
男女混合で女性が勝てるようなスポーツ←馬術です。射撃だと考える人が多いようだけど構えるのにも筋力が必要なので男性優位です。
社会学部は似非科学を蔓延させている
これはひどい / まぁでも欧米人は自分達が勝ちやすいようにスポーツのルール変えてるって話もあるしな…そういう感覚なんかな
徴兵制度が復活したらこの方は(女性も)<積極的に>前線で戦う……ってコト!?(まあ戦いたいなら応援します/編集しました
男性が有利となるように作られたスポーツで敗北しか知らない弱男さん…
「体力とは、男性が有利になるものだけを測ってきた、文化的に偏った概念」それはそう。もし小さな箱に入り込んで中に納まる能力を評価して競技化したなら、身体が大きく柔軟性の低い男性など女の敵ではないだろう。
社会学部のある大学少なくない?と思ったら産業社会学部だった。多分ネットで社会学者が嫌われてるからこういう書き方をしてるんだろうけど、あんまり関係ないよ
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こういう妄想が蔓延るのは1000年たっても同じだね。30000年たっても人類は脳ミソで作り上げた妄想について必死に議論するかも。て言うかなんで税金でこんなカルトに参加させられないといけないのか。
体の小柄さや柔軟性、耐G能力が有利に働くスポーツがもっとあってもいいと思う。アジア人に有利だしね。
社会学って、経済学や法学とより寄る辺となるものがデータしかないような領域が広い割に、学者さんはフワフワしたこと言いがちよね。学生の方がよほどマジメ。
言葉の定義の問題を論じているのであって、「体力とは筋力を中心とした概念である」を前提に「反論」しても、反論になっていない。男性が現在の一般的な定義の「体力」に優れるのは議論の前提であって結論ではない。
学校で行われる体力テストの趣旨は、児童生徒の体力・運動能力の向上を図ること、日常生活における運動習慣の改善を促進することです。https://www.mext.go.jp/prev_sports/comp/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2018/12/21/1411922_001-008.pdf
社会学者に胡散臭いのが多いのはわかるが、これはまた別の話では
ちょっと数学的な感性で考えると、マジキチって書いた増田は受験数学で満足してる人に見える。「三角形の和は180°」が人類の数学の最終結論で終わっても、何も悲しくない人。
ジェンダー学のせいで社会学全体がマズいような印象があるのは分かる。ただ社会学全体で見るとジェンダー学以外には優秀な人も
体力とは戦争に有利なものを優先して計ってきた概念なので、意図して男性が女性より優位になるようにしたわけではないが結果的にはまぁそう。結果から理由(男性優位にしたい!)を推測するのが間違いではある。
体の大きさが有利なスポーツは多いが小ささが有利なスポーツは少ない。乗馬とフィギュアスケートくらい? まあ、体の小さな東洋人が活躍すると板が短く…じゃなくて『公平さのためにウエイト』だろうな。
スパムリプ除去できんのかこれ
労働者適性から測定しやすいものが「体力」とされた視点を抜きに、ジェンダーと競技だけに注目してるから変な話になってる。女性中心に考えると、「出産体力」的な話になる。柔軟性が社会になんの役に立つの?
スパムが消されるか調べるために魚拓を取ってみた https://megalodon.jp/2025-0413-0019-00/https://anond.hatelabo.jp:443/20250412164024
「大人のほうが体力がある」「大人が有利になるように制度化」とか書き換えると面白い/はてブは体育大嫌い(ヒャダイン絶賛)が集まる場所。/ルッキズムを争うミスコンにすれば女性が圧倒的に有利か。
同意している日本のリベラルは、白人が自分に有利なルールにしたら、なぜか適応しない日本人を批判してきた歴史を持つ。「バスケットは白人や黒人が有利だから、ルールを変えよう」とは絶対言わない白人の奴隷。
近代オリンピックは、とかなら、そもそも男が男の土俵で勝負してきたものなのでそうでしょうと。そもそも体力とかいう定義があってないようなもので議論しないでほしい。
社会学という学問自体は素晴らしいと思っているので、こういうしょーもないのが混ざるのは悲しい。ジェンダーカルトは学問と切り離してもらいたい。無責任に放置し過ぎ。
小さい箱に入ることを競技とした場合、男女が同じカテゴリにはならず男女共に身長によるカテゴリができる。また年少者が極端に有利なので過度な負担を避けるため年齢制限が行われる。一般的スポーツルールの歴史
eスポーツですら男のほうが優れてるからな。
ジェンダーカルトは、マジで狂ってるな……。
◯語がデカい
社会学がテキトーなのは間違いないけど、この反論のほうが思い込みと主観にしか依ってなくてうーん
デュルケムの自殺論やマックス•ウェーバーみたいな古典は今でも読み応えあるけどね。政治や経済学者もそうだけど、学術で特定の党派に擦り寄って飯食ってる人達の存在は一定数する
似非科学というか、体育教師への戒めぐらいにしか使いようがない論理だな。体力がある人は良い「人」==男みたいな論理構成へのカウンターにはなるだろうが、トランプのような反DEIにはだからなんだで終わりそう
“それならマラソンもスポーツなので、楽しむという意味ではスポーツです” これどういう意味?
「社会学者は不利なエビデンスを隠す」を大学の授業で堂々とやってる最悪事例。ジェンダー学は学問ではなく、宗教だ。
結論が先にあるからしゃーない
主語がデカい気もするけど、多いイメージはある
そこらの野良フェミニストが言ってるならまだしも教授職にある人が言い出してるあたりが頭痛いよなあ。競技をやってる男の子たちは子供の頃から騙し合いや煽り合いも含めた切磋琢磨をしてることも無視してそうだ
社会学部って「脳科学者」も育成してるんでしたっけ?
スポーツは「白人」男性が有利になるように設計されてたけど、現状はそうでもなくなってるので当初の意図は見えづらくなってる。一見平等に見えるものでも必ずバイアスが隠されてる。勿論「科学」とやらもね。
何故にそこまで勝ちたがるのか。「勝ち」へのこだわりっぷりに、怨念めいたものを感じざるを得ない。
競技、競争って概念がそもそも男性有利なのかなとは思う。
ジェンダー論の視点、おもしろいですわね。新しい視点での発見、探求したいですの。
ものすごく抽象的にいうと、世の中を理解するための座標系が違う。天動説地動説どっちで理解するかみたいな / 社会学って枠組みのアイデアは量産するけど系内の整合性は2の次、理論というより作品みたいな印象
有名な社会学の教授が学部生の頃から学んでるはずの統計の知識が無いような発言をする事がよくある。
歴史的なしがらみが一切なく、体力も反射神経も関係ないgeoguessrも男性の方が強い。一体何なら女性有利なのか。
"男子が精神がおかしくなりがちなのはこんな押し付けという虐待を大学で平気で講義でやっているから"←???最後に最大のトンデモが出て来てずっこけた。
まともな人もいるんだろうけど、最重鎮がデータの偽造を公言するキチガイ(そして社会学界からはなにも咎め無し)だからどうしようもない。
社会学者としては、古市憲寿さんをテレビでよくみますね。
これ系で最も興味あるのは「チアリーディング」。「ジョックとクインビー」で語られる女子ヒエラルキー最上位なんて「たかが80年代から」の歴史。昔々はブッシュ米大統領親子も経験した男の世界。社会学的な分析求む
女性だけオリンピックで長座体前屈しとけばいいんじゃないか? 得意の柔軟性を活かしてがんばってください。
きついな
言葉の定義を自分で勝手に設定して「これが新しい『◯◯』の定義です」ってもうそれは科学じゃないのよね。ジェンダーに限らず左派はこういうこと好きなんだけど(例えば「積極的自由」とか)
勉強からきしな少年が、昼寝と射撃とあやとりが学力の基準となれば良いのになと妄想するのと何が違うん?
戦車道「」
反論に何一つエビデンスがない、「それってあなたの感想ですよね」レベル。目くそ鼻くそを笑う、ってやつ。
◯っ◯◯バレーなら女性の方が有利なのでは?
子供の体力計るテストで筋力使わない種目柔軟性以外にあるのか?技術で大きく結果が変わるのもダメだしな
定義がおかしいって話に今の定義だと正しいだろって言い返しても意味がない。まあ体力を筋力を基準にしない計測方法にしたとて、結局競技に繋がらないと意味がないんじゃないかと思うけど。
世の中のしわ寄せ部分を学問という形にしたのが社会学なのかもしれない。
女子込みで学年でいちばん足遅い男の子は、別に柔軟性が高いわけでもないし、何をどう測ったところで箸にも棒にもかかりませんので、新しい女子が強い指標ができたとしても相変わらず最下位です
「スポーツという文化はもともと男性だけが行う前提でつくられたものということ」これはおそらくそうだろう。「男性が有利になるように制度化されてきたものが近代スポーツなのです」これは妄想じゃないの?
ろくに記事読んでないけど、女性の有利になる競技も作ればいいんじゃないかな。 それをスポーツというかは別として。
社会学が自然科学ではないというだけかも。
確か、飢饉耐性や低水温耐性は女性の方が、高かったはず。 社会学の先生の論文指導の面白い点として、事実として存在するなら普遍的事象でなくて価値があるとする点。統計的に異常値であっても、社会の一部だから。
スポーツ環境のあり方って意味ではありなんだろうけど、ジェンダーを軸にする事で対立構造になってる。歴史的に男性側に主権が偏ってた影響だろうけど、そこから能力ベースで議論すれば良い。指標をベースに再構築
主語が大きすぎる。というか n=1 で語るところに疑似科学っぽさがある。
身体が小さい方が有利なスポーツといえば機械体操、体重が軽くないとできないプロスポーツ選手といえば競馬の騎手。「小さな箱に入り込んで中に納まる能力を評価」するのはマジックのアシスタントかな?
ジェンダー方面は科学的アプローチが軽視されがちというのはそうだが、「言ってること間違ってるから疑似科学」というのはちょっと雑では?ちゃんと根拠を述べて論理的に説明しているからこそこうして反論できる。
ダンスを男女混合競技化すれば
書き方はアレだけど日本の体育で教師が生徒に号令したり整列して行進させたりするのは軍隊式だし、それが男性的過ぎるという主張ならば理解できなくも無い。アレが嫌で体育が嫌いになる人は男性にもいる。
『教皇選挙』に保守派のレイシストが「この相対主義者が」とリベラル派を罵る場面があったけど、文化相対主義も度が過ぎるとカルト感ある(というか文化相対主義のオーバーランはまさに社会学の研究範囲ではないのか)
まあ、これは批判者が正しいよね。問題はこういうトンデモ言説が仲間内では評価されてしまう人文学の構造。相互評価というアカデミズムのシステムの誤作動。
主語が大きすぎるのでは…
教育学もやばいよ
女性の方が有利になるスポーツがもっと発明されてもいいわな。たぶん今の人気スポーツ作った人たちは男性が多いだろう
似非科学かどうかの線引きって「ディシプリンを逸脱しているか否か」だけど、そもそもディシプリンのない学問ってその判断がないからな。教育学、経営学、看護学、栄養学とかでもトンデモ蔓延する理由はたぶんこれ
コンパルソリーフィギュアのような体力、筋力が優劣に結びつかない、技術のみに焦点を当てた競技種目があっても良いと思う。
件の学者はスポーツを体力競技だけに限定してるがスポーツは競技という意味。体力を要しない競技も積極的にスポーツと呼べば解決する話。現実に競技としてのチェス将棋麻雀オセロなどはマインドスポーツと呼ばれる
相手は匿名じゃないのだから面と向かって反論すればいい。匿名のエコーチェンバーで賛同を集める行為は健全なのか?
わざわざ金と時間を浪費して馬鹿の妄想をありがたがるのは愚行権の範疇なので、社会学だけ槍玉に挙げるのもどうかなとは思う。
この増田に限って言えば教授の主張の方が説得力あるな。「フットボールがスポーツなのにお手玉がそうでないのはなぜか?」みたいな問題意識やろ。そもそも論証せずに罵倒するだけの増田の態度は科学的でない。
そらそういう項目だからな。こういう時に新しいカテゴリを提言したり新設するのではなく旧来の仕組みに文句を付け、しかも改善ではなく構造を維持するようにしたまま利権を要求してきたのがあの界隈なんだよなぁ。
全ての人間がこうではないけど、統計や事実を無視するアタオカをある程度の地位においてしまう問題はあるよね
社会学には、国勢調査とかの統計分析をする分野がある。そこの人たちのことも忘れないでほしい。
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