まとめの趣旨はよくわからないけど小学生・中学生ながらスーパーハッカーで凄く有能。みたいな類型キャラは凄く増えた気がする。
シャンフロとか全修とか「足手まといキャラをメタ認知して対策する」ってのが増えてきた
コナンのあゆみちゃんが、何度も何度も拘束拉致監禁されてて、なのに「私たちだけで捕まえよ!」「追いかけちゃお!」とかアグレッシブで、メンタル異常すぎて、あいつ中身小1じゃないだろ…
毛利小五郎「邪魔だから殺人現場に入ってくるなって言ってるだろこのクソガキ!」
倫理だけでなく、適正不適正の意味でも「正しくない」行動を取るだけで、物凄いストレスになるらしい。逆に、正しい人は認められるべきだみたいな認知もあって、正しいだけの人が過剰に持ち上げられる作品も多い
漫画アプリのコメント眺めると、物語を駆動するためのトラブルメイカー(人質だったり、野心家だったり)に「こいつ嫌い!」とヘイト集まってて、消極的な主人公を主体的に関わらせる動機をうまく演出するの難しいな
人間ミスはするし子供は基本役立たずなので気にしない。実害のないフィクションですらそういう人物にイライラする人間の方が他者への要求が高そうで怖い。
北斗の拳のバットとかジョジョ一部のスピードワゴンとか思い出したが、どっちも後に成長して有能になってるな。大きくなっても足手まといだったのがZガンダムのカツ、大きくなったら反社になったのがハサウェイ
なわけねーだろ 当時の子供もコイツうぜーなぁって思いながら観てたわ
今に始まった話じゃないし別に子供でなくても足手まといならヘイトが集まる。ジャー・ジャー・ビンクスなんか凄い嫌われようだった
子どもじゃなくても足手まといキャラたくさん思い浮かぶけど同じ理由なのかねぇ。スターウォーズのジャージャービンクスとか。
足手まといキャラって思わぬタイミングで活躍して名誉挽回するけど、最近の作品はそれが早まって「単なる足手まといのカス」でいる期間がめちゃ短くなってる感じ。/登場人物の大半が足手まといクソガキのぬ〜べ〜。
個人的にほんと嫌いなのでいなくなって幸いです。こういう小手先のテクニックでパターン化されたっぽいキャラクターってだいたいろくでもないのよねぇ
かつては足手まといの弟妹で耐性があった、はそうかも。今は自分よりお給料貰っている足手まといの新卒へのヘイトを抑えるのに必死です
足手まといキャラも、成長の舞台装置として必要だったのかもしれませんわね。
単純に昔の特に少年漫画って大体「普通の人間」がパーティに一人は混じってて、それが「主人公たちはレベチ」であることの物差しになってたよね。ヤムチャとか桑原とかメガネ君とかウソップとか。
「ざまぁ系」が流行ってたこともあるくらいなので、"別に出てもいいけど、ちゃんと痛い目を見て欲しい"だと思うよ。
「視聴者の子供達が自己投影出来るように出していたみたい」 そもそもこれ本当か?自己投影するわけがなくて全く信じられないんだけど。ドラえもんののび太くらいなら分からなくもないが。
みんなコメディーリリーフくらいは知っておこう
Zガンダムでのポジションはカツよりシンタとクムだしこの二人にはMSシルエットクイズをやる大事な役割があるだろ
自己投影できてた人いる?そもそも
単に子供が読者のメインターゲットから外れただけなのでは…。/孫悟飯とか悟天・トランクスなんかは成功例にあたるのかな
ウルトラマンや仮面ライダーもそうだし、小説でも怪人二十面相の少年探偵団とかあった。ホームズにもちょっとだけ出てくるか。
火垂るの墓の清太は物質的に恵まれていて我慢することを知らず、ご近所など周囲との人間関係が希薄な現代の子どもとの共通点を見出してアニメ化することで感情移入をもたらしたんだったような。
思い浮かんだのは無人惑星サヴァイヴのハワードかな。「昔のアニメ」ってほどじゃないけど…………え、22年前……?
登場人物から足手まといが減ったのか子供が減ったのかで切り分けして分析した方がいい。作品の対象年齢が上がって、狂言回しを兼任する子供キャラが減っただけだと私は思う。例えば張飛は足手まといだが大人である
プリキュアでたまーに実験的?に「変身にも戦闘にも寄与しないただ可愛いだけの妖精」出てくるの好き
当時の作り手が「子供がいないとウケない」と考えてそうやってたが、子供の想像力・共感力の研究が進んで、別に要らないことがわかっただけだと思う。
無能は主人公の仲間にいらない風潮だよね。世の中足手纏いのが多いのに
まとめタイトルが発端の2ポストを雑に繋げてるせいで微妙に趣旨変わってる
この話出るといつも「足手まといがいるから話に変化が出て面白くなるのに…」と思う。優秀な味方と優秀な敵だけで戦ってんのもそれはそれでいいけど飽きるんだ。
幼い年齢でなくても、短慮や無知から主人公サイドを不利にさせる言動を行う味方キャラはアンチが付きやすいようには思う。/未知との遭遇や価値観の相剋をやりたい場合、失敗の匙加減が結構難しい。
ストレンジャーシングスの足手まといのクソガキたちが起こした問題の解決に付き合ってあげるスティーブの魅力を語れるのはここですか?
モンハン新作のあるキャラも嫌いと言ってたやつおったな
”自己投影出来るように出していた”の根拠を出してほしい。主人公に憧れる子供がほとんどだと思うが
ハリウッド映画とかの「おせっかいジャーナリスト」「お前のせいだろ経営者・出資者」なども、このカテゴリーだろうか?
めちゃめちゃわかる!子供のころから、お呼びじゃない子供キャラ嫌いだった。あしたのジョーのあいつらとか。うざかった…
編集から「こいつ邪魔だから早く殺してよ」って言われてもガマンして途中から化けたキャラもいるんですよ
クリエイターはヘイトコントロールしなければならない。って俺を気持ちよくさせろ不快にさせるなっていう消費者側の傲慢だと思う。消費者が王様であることは否定できないけどね。
イデオンの場合は足手まといのクソガキがお姫様だし彼女がいないと話が進まない
エウレカセブンのレントンがクソガキ三人の罪を被ってエウレカ、レントン、クソガキで営倉入りする話で心が折れて観るのやめたの思い出した/1stのカツレツキッカはギリ許せる、Zのカツは許さない
ハリウッド映画で現場指揮を無視して単独行動したせいで全員をピンチにするちょっと賢そうな馬鹿
最近だと尺の都合で本筋だけで手いっぱいだからでしょ。
明らかにヤバいところに前のめりで突っ込んで何度も自分と仲間を命の危機にさらしてるハチワレが人気なのだから全ては愛嬌の有無だよ
Zガンダムのカツであり、逆シャアのハサウェイ。ハサウェイはその後閃光のハサウェイにて以下略
あまり知らんと思ったらスルーしてた作品が多いな/クソガキではないが拙さ満載の弟、『バンパイア』に出てくるチッペイは良いぞ(古すぎ)。近作だと「ヤンキー君と科学ごはん」の双子とか好き(本題と違う)。
これ系と有能野生児キャラがキツすぎて昔のアニメは脱落しがち
三体の最後は主人公がやってた
大人の主人公に帯同する足手まといの子どもキャラ…思いつかんなあ。リンやバットはしっかりした子だったし。それよりシティハンターの香にはずっとイライラさせられたな。大人になるとチャーミングだったなと思うが
勧められてFateを観たら特殊な敵と能力で戦うヒロインを何の能力もない主人公が「女の子は守ってあげなくちゃ」という謎の騎士道精神で助けようとし逆にヒロインを何度も窮地に陥らせててうんざりした。二度と観ない
物語を回すためのトラブルメーカーにそこまでカッカせんでも
ドラマ版バイオハザードの主人公があまりに酷くて見るに耐えなかった
毎度攫われるピーチ姫にはファミコン当時からヘイトが結構飛んでたので足手まといキャラが嫌われる現象に年代やジャンルはあまり関係ない気がする。足手まといを許容する=成長なアニメは確かに減少したかも。
ジョジョ第4部で言えば広瀬康一が読者視点のキャラだけど、彼は露伴センセからも承太郎からもめちゃくちゃ高く評価される好漢だから、読者の自尊心をくすぐってくれる。
つか昔はアニメは子供が見るもので、バカな子供を子供は笑ったのよね。今やいいトシをしたオッサンが登場人物に感情移入しつつ見るようになったの。バカな子を笑わなくなった。視聴者に子供嫌いが増えたのよ。
物語を有能キャラばかりで固めても、現実にはどうしたって無能ポジションで生きないといけない人も多い訳で。そういう人達の投影先がちいかわに集中した結果アレは人気コンテンツになったのかもしれない。
小学生のときから、一度たりとも共感したことないんだけど、わざわざ脇役のキャラに投影してる子どもなんて本当にいるのか
敵が強大な程、倒した時のカタルシスが大きくなる。足手まといキャラを出すと、敵の強さが足手まといというハンデがあっても勝てる程度になり、カタルシスが減ってしまう。
最近ポセイドンアドベンチャーを見直して、ジャンルのキャラ付け定石が濃縮還元される前の姿にちょっと感心した。クソガキのクソ度やらヒス女のヒス度やら俺はヤダオッサンの俺はヤダ度やらが全然薄味。
ちびうさとうる星のテンは嫌いだったなあ。悟飯には投影してた気がする
カツは平気だったけどエルピープルの方が無理 クエスも無理
「子供向け番組には視聴者が感情移入できる子供が必要だ」と思って少年仮面ライダー隊を出したら子供は「いや、俺らは本郷猛になりたいのであってそういうのいいから」と言われた話?
『トイ・ストーリー』のスピンオフ作品、『バズ・ライトイヤー』の中年男(三木眞一郎)が仲間の足引っ張りまくりでそっちに感情移入してしまってつらかった https://www.disney.co.jp/fc/pixar/lightyear/character/mo
メリトクラシーの蔓延する社会では、いよいよフィクションにすら無能な人間の存在を許さなくなったのか。なぜみんな自分は足を引っ張る側の人間でないと言い切れるんだ?
カツより敵軍の気になってた子が死んだ腹いせにアムロの彼女を射殺したハサウェイのほうが遥かに有罪
全然関係ないけどヘイト管理は難しいよね。なろうでヘイト管理失敗してヒーロー交代とかエタっているのをみるとそう思う
「子守りの経験も激減」
バットマンの2代目ロビンが読書投票で殺されたのが1988年、やらかし系自称サイドキックが黒幕だったMr.インクレディブルが2004年だから相当前から嫌われ枠だったのは間違いない
逆に異常に察しの良い主人公がメタ視点から理解しつつ解説してくれるようになったよね。お約束事項が増えた
私はパンピーキャラ好きだけど状況悪化させるばっかのキャラは好きじゃないよ
弥彦とか不自然に強くなるキャラのが嫌だけどなぁ。10歳のチビに倒される暗殺者とか何なん。
足手まといかどうかと子供かどうかは別に考えた方が。子供なのは多分視聴者層に合わせただけだろう。足手まといなのは作劇の都合かな、安っぽいやり方だけど
のび太かとおもったら違った
子供のころでも、足手まといな子供キャラに自己投影した記憶がないけどな。自分の兄弟を投影するならわかるけど。
シリーズの長期化に伴って、主人公が成長しちゃったので出される子供キャラもいるよね。セラムンのちびうさとか。
最近の子どもは聞き分けいいからなあ
ちょっとずれるが、最近のフィクションの登場人物はあまり性格・能力的な難がないよね。学マスと初代アイマスを見比べても、学マスのアイドルは全体的に人間ができている(手毬の暴言だけがやや例外なくらいで)。
プリルンのはなししてる?
マイナス探しをする視点的には有能だけがなんかやってる予定調和VS無能がかき回すご都合って感じ。無能を鼻で笑う余裕が無い場合、読者が気持ちよく見てられるのは有能が色々やったけどダメだったで陥る危機になる。
のび太はクソガキではなく、クズ中のクズ
そこで子供らのみのバイファムですよ
おそらくモンハンワイルズの話が発端なのだが、Togetter民もはてブ民も最近のゲームより昔話をする方が好きだから全く話題に出てこない
足手まといなだけならそりゃねぇ。勇者シリーズとか仮面ライダーみたいにある程度活躍の場が与えられたら多少は違うのかも
具体例がなかなか出てこないで考えた結果、『美味しんぼ』の富井副部長が思い浮かんだ。今なら子供のすることならまだしょうがないと思えるが、あれを大人が何度も反省せずやってるからな。
妖怪人間ベムのベロか(古い)
誰しもポップにはなれないし描けないんだ
少年仮面ライダー隊は不人気だけど、チビノリダーはそこまで不人気じゃないし。Ζのカツはガンダムの最終回の次世代の可能性の象徴的な扱いを見てると余計にしんどい。
子供キャラに限らずバカを利用した作劇嫌い。伏線や積み上げたものを無視して都合よく話を動かす装置なので。
後先考えないクソガキがヘイト減ったかもしれないが、もちづきさんのような後先考えない大人は増えているような
ジュラシックパークの子供は後半大活躍してたから許される(もしあの子がいなかったら最後詰んでた)
2月の勝者とコア視聴者層が重なっていそうなドラマ「御上先生」が一部で好評なのと対になっている気がする。不完全なものを身の回りから完全排除したい人が増えてきているのだろうか。
これがあると「ストーリー回し手抜きしたな」と思うよね。愚行の理由を掘り下げて描写してあると納得できるけど、それはそれで自分と違いすぎて自己投影は無理。
むしろ、当時の子どもたちは自分はケンシロウであり、リンやバットを守るべき存在として認識してたはず。ケンシロウの人柄を表す必要な存在だった。ヘイト管理で消えたってのは妄想だと思う。
ダイ大のポップとかジョジョの康一君とか、あの辺から読者が自己投影するキャラの成長が1つの手法として確立されたと感じる。最近だと進撃のジャンとかすぐ死ぬ俗キャラと思わせて最後まで成長する
反面教師って考え方が養われなさそう。よけい現実世界が辛くならないだろうか。
「妖怪人間ベム」のベロ?
似たようなやつで、海外作品にありがちなイキった若者がとんでもないことやらかす→なんやかんやあって大団円も好きじゃない。
昔のアニメは少なからず現実世界を意識したものだった気がする(じゃないと共感を得られにくいから)けど、アニメの存在や概念が普遍化して、完全に理想の世界を描いても支持されるようになったから消えたのかなと
昭和に成人したオッサンだが信じられんな自己投影説。ガキだった当時でも始終イライラしてたからな「なんでこんな物語に関係ないガキを出す?!」と。ジャイアント・ロボでも「なぜガキが主人公?」とムカついてた。
グーニーズのチャンクみたいな?
類型に「感情で動いて危機を招くヒロイン」もいる。初代アメリカ版ゴジラのヒロインがこれで、子供ながらにイライラしてしまった。そのくせ主人公とくっつくので作品の評価も悪くなる。
togetterやXでワチャワチャするのは楽しいか?その度にAPIと広告が擦られイーロンマスクが儲かる。トランプは勢いづき、民主主義は後退する。なぜいつまでも代替サービスを探さないんだ?
ヘイトが過ぎなければ、「◯◯さん、これはなんだい?」「どうやって敵を倒したの!?」って話を進めやすかったり、あとヒーローを「小さい子を助ける頼もしいお兄さん・お姉さん」に位置づけられるからね
今でも側を美男美女にして主人公に恋慕ポジ取ればまだ使えるし使ってるのあるでしょ
自己投影するのは「頑張るけど惜しいところで失敗するガキ」だろう。
DBの悟飯とかその枠なのかなと思ったけど、一瞬で成長しちゃったな。 チャオズもすごい役だったしな、、 なめちゃいかんとおもうのは、そういう役割とスティグマを貼られた人間の底力だと思うん。
相棒!
足手まといのクソガキと言われても、のび太ぐらいしか思い出せないのだが。
「いつも足手纏いなアイツが実は敵の破壊工作員だった」なら納得いくので、たぶん嫌われてるのは「無能な働き者」
アニメを大人が見るようになったから、大人がイライラしないように変わったのかと思ってたよ〜。
そもそも子供じゃない人が観てるのがおかしいんじゃないの?
この問題ってもう子供だけじゃないんだよね、シン・ゴジラでもよくありがちな「足を引っ張る無能な味方」が出てこなくて良かったと言われていた。勝手な行動でピンチを招くようなストレス要素はもうかなり嫌われてる
足手まといのイメージでミート君が浮かんだけど、クソガキからはかけ離れてるなと思うなど。まとめにもあるけど舞台装置と居ると楽なんだろうな
ジークアクスは主人公がそうはならんやろ的な暴走してたような気がするが
ピーチ姫、毎度毎度同じやつに何回もさらわれやがって防犯意識どうなってんねんって子供の頃思ってたわ
黄金バットのダレオくんも終盤消えてたな
『最近は普通の人のハードルが上がった』とかの世迷言を言うやつがいるが、昔だってのび太・ジャイアン・スネ夫を有機転換炉に叩き落してその材料で出木杉が三人できるならもろ手を挙げて歓迎していただろ
失敗すれば次がないという現実が創作に入っていたような気がする
ファンタジー色が強めな現代舞台作品に急に出てくるサラリーマンも嫌い
ガキじゃないけど、オーフェンで見た。
子供や弱者を助けるって動機や舞台装置がないと北斗の拳は復讐の殺人鬼ケンが悪人を殺しまくる悪対悪のピカレクス物になっちゃう。強者が力を振るうには大義名分がいるよ
単にお話の作り方として、足手まといキャラを狂言回しにするよりもっとうまいやり方がスタンダードになっていっただけだと思いますよ。
モンハンの話かと思ったら違った
ふしぎ遊戯で全体が神獣召喚のために動いてるのに鬼宿がいちいち色恋を絡めて話を止めるからうざくて大嫌いだった。後から恋愛漫画だったことに気付いたけど、話が面白かったから流れが止まるほうがストレスで
足手まといはそんなに気にならないけど、主人公を引き立てるためにステレオタイプな醜悪な悪役を配置されるのが苦手だなあ。
自分が子供の頃はめちゃくちゃ嫌いだったけど、子供が出来てからまぁ子供ってこういうもんよなぁ…と割と寛容にはなった。
コナンの本物小学生トリオを上げてる人たちは20巻くらいまでしか読んでない組かな。原作ではもうぜんぜんヘイト溜めない振る舞いでしょ(下手くそなアニオリ脚本は知らん)
24を見ているときにすごい思ったやつだ
中学生くらいなのにやたら饒舌で大人でもしないような考え方で語る子どもも嫌だよ。
「視聴者の子供達が自己投影出来るように出していた」そもそもこの前提が疑問 この手の自称一次創作者の人たち(特にネット物書き系)って承認欲求なのか知らんけど雑語りマンがやたら多い
普通に話膨らますためでは
子供向けアニメや特撮でターゲット視聴者と同年代のガキを出しとけばいいだろ的な手抜き脚本や、登場人物のIQを下げてトラブルを起こさないと話を動かせないすヘタクソ脚本家のせいかと。脚本家の腕次第なんだよなぁ
Zガンダムのカツは、あいつが居ることでカミーユが後輩を指導する側になって、前半で自分が言われて反発してたことをカツに諭すようになるので、存在意義はとてもあるんだよな。
ダイの大冒険のポップが境目かなと思っている。急成長してパーティーを支える大魔道士になりました。あの辺からクソガキポジは消えていったと思う。
ジュラシックワールドでも出てたけどな。子供向け見なくなっただけでは?
ヘイトコントロールは大事。ガキだから許されるところはあって、今はその役目は殺してもいい無分別の大人になってメタクソに復讐されるのがトレンドに。それもそれでどうかとは思う。子どもだから仕方ないね、も必要
ああいうキャラが嫌われる理由って、共感性羞恥がデカいと思うけど
自己投影=自分と似てる、とは限らないわけで。足手まといのクソガキを見て「自分ならどうする?」と考えた時点で十分自己投影してる。
足でまといなヒロインとかも入る?子供の頃イライラした思い出。
ヒロインをめちゃくちゃ嫌う人とかもだけど、この手のこといかにも自分の感想が普遍として主張してくるの、その人がフィクションにそんな怒りっぽい厄介な人いう評価にしかならなくない?
最近の作品でも鬼滅の刃の禰豆子みたいに守らねばならない妹がピンチになったり覚醒したり、舞台装置として機能してる例もある
違う。1クール作品が増えたから。一例として、アニメ『CCさくら』はシリーズ構成に原作者の大川七瀬先生が入っているが。[李苺鈴]をオリキャラで入れる事でトラブルメーカーとして尺増している。
クソガキというには年が上の方だがビーチャとモンドはあかんかった
タイタニックなんて沈みかけの船で決闘するシーンさえなければそれなりに良かったのにね。アルマゲドンのスティーブ・ブシェミ(危機迫る中機関銃ぶっ放す人)とかも苦手。そもそものび太の出来なさぶりが大嫌いなんで
子供が見てないだけでは
ファミリー向けのハリウッド映画に頻出してた記憶。ジュラシックパークシリーズは大体1人いたな。
子供の頃特撮に出てくるガキ全員嫌いだったな〜。単に羨ましかったのかもしれないけど。
ジャー・ジャー・ビンクスのことか
ポケ戦のアルはクソガキキャラのアンチテーゼだと思う。ガンダムに倒されるザクのパイロットがヒーローでガンダムに乗っていたのがヒーローもののヒロインのようなお姉さんというのが最高に皮肉が効いている。
ヘイト管理とかいうのほんと嫌い。結局のところわざとイライラさせて、後からスカッとさせるだけ。気付いたら馬鹿馬鹿しくなる
モブなら救助対象なんだけど、パーティーメンバーにいると足手まといなのでウザい。ネトゲで敵よりも無能な味方にヘイトが溜まりやすいのと同じかな。
ストレッサーある物語が嫌われるわけではなくない? 物語なんてストレスかけて取り除いてスカッとする、が基本パターンなんだから。今はストレッサーをぼこるざまぁが流行ってるだけで。
足手まといは令和でも生き残っているのです……。最近は「可愛ければいいんでしょ?w」とヒロインが足を引っ張りがち。すぐ切るのであまり覚えていないが『はめつのおうこく』とか。
足手まといキャラがいても良いけどそれに突っ込めるキャラもいてほしい/ボケとツッコミみたいな
逆シャアのハサウェイが一番最初に思い浮かんだ
全然うかばん。クレしんのまさおとか?
アニメに限らず映画でもたくさん思い浮かぶ。なんならそのまま◯ねとまで思ってしまうこともあったので精神衛生上減って良かった
ダイターン3のトッポとか。
足手まといになりたくないからって、チートで無敵な主人公に自己投影してるのは廃れないわけでなあ。それはクソガキマインドではあると思うがね。
パトレイバーの太田?
“ごく稀に「こいつのせいで推しが死んだ!許せねぇ!」ってこともない訳では無い”←キルヒアイスが死んだのはクソガキ・ラインハルトのせいだよね
いや、子供の時からピンチを作るために配置されてるキャラはウザかったよ。子供向けアニメって対象年齢よりちょい上のお兄さんお姉さんキャラで憧れさせるもんじゃないの?
「24」のジャック・バウアーの娘は足手纏い度では傑出しており世界規模で視聴者をイライラさせていたが、あれは尺伸ばしのためだと思うので気の毒な役回りだなと思った
モンハンに足手纏いのクソガキが出てきて辛い。クリア後はテントの前に陣取って毎回話しかけてきて辛い…
ドラマ「海のはじまり」は子どもがいい子過ぎるのが気になり「ライオンの隠れ家」の描き方の方が好ましく思った子無しおじさんだけど、世間的にはどうだったのだろう
一番手間のかかる登場人物がその世界観の広さで昔は限定的だったのが今は無限に横の話と繋がってなくなっていってるのとかは説明をしても伝わらなさそう。
ジャージャーはガキでは無かった。あいつはただの足手まといだ。
同じ図式で2000年代に一度滅んだのが「ヒロインキャラが売り物の作品に出てくる、どこが魅力的かわからんお飾りの男主人公」。これをあずまんが大王が破壊して芳文社きらら系の天下となったが、近年は復活してる模様
かなり前から感情移入先は「才能隠しててすみません。仕方なく無双します!」キャラが多いと思う。ハリウッドも一大ジャンルになってるし。視聴ターゲットが大人なんだよね…
子どもならまぁ子どもだしで納得できるけど、映画とかゲームで成人してる大人が似たようなことしてると結構きつい
味方側にもかませポジがいないと主人公のすごさが引き立たんだけでは。自己投影できるようにって根拠なんなの
その意味ではアーニャは革命的だなと。役立たずなのにエスパーなので、難解なストーリーの説明役を果たしてくれてる
「昔のアニメに出てくる足手まといのクソガキ」は視聴者の子供たちが自己投影できるようにだしていたが消えた理由はヘイト管理が関係してそうな話
まとめの趣旨はよくわからないけど小学生・中学生ながらスーパーハッカーで凄く有能。みたいな類型キャラは凄く増えた気がする。
シャンフロとか全修とか「足手まといキャラをメタ認知して対策する」ってのが増えてきた
コナンのあゆみちゃんが、何度も何度も拘束拉致監禁されてて、なのに「私たちだけで捕まえよ!」「追いかけちゃお!」とかアグレッシブで、メンタル異常すぎて、あいつ中身小1じゃないだろ…
毛利小五郎「邪魔だから殺人現場に入ってくるなって言ってるだろこのクソガキ!」
倫理だけでなく、適正不適正の意味でも「正しくない」行動を取るだけで、物凄いストレスになるらしい。逆に、正しい人は認められるべきだみたいな認知もあって、正しいだけの人が過剰に持ち上げられる作品も多い
漫画アプリのコメント眺めると、物語を駆動するためのトラブルメイカー(人質だったり、野心家だったり)に「こいつ嫌い!」とヘイト集まってて、消極的な主人公を主体的に関わらせる動機をうまく演出するの難しいな
人間ミスはするし子供は基本役立たずなので気にしない。実害のないフィクションですらそういう人物にイライラする人間の方が他者への要求が高そうで怖い。
北斗の拳のバットとかジョジョ一部のスピードワゴンとか思い出したが、どっちも後に成長して有能になってるな。大きくなっても足手まといだったのがZガンダムのカツ、大きくなったら反社になったのがハサウェイ
なわけねーだろ 当時の子供もコイツうぜーなぁって思いながら観てたわ
今に始まった話じゃないし別に子供でなくても足手まといならヘイトが集まる。ジャー・ジャー・ビンクスなんか凄い嫌われようだった
子どもじゃなくても足手まといキャラたくさん思い浮かぶけど同じ理由なのかねぇ。スターウォーズのジャージャービンクスとか。
足手まといキャラって思わぬタイミングで活躍して名誉挽回するけど、最近の作品はそれが早まって「単なる足手まといのカス」でいる期間がめちゃ短くなってる感じ。/登場人物の大半が足手まといクソガキのぬ〜べ〜。
個人的にほんと嫌いなのでいなくなって幸いです。こういう小手先のテクニックでパターン化されたっぽいキャラクターってだいたいろくでもないのよねぇ
かつては足手まといの弟妹で耐性があった、はそうかも。今は自分よりお給料貰っている足手まといの新卒へのヘイトを抑えるのに必死です
足手まといキャラも、成長の舞台装置として必要だったのかもしれませんわね。
単純に昔の特に少年漫画って大体「普通の人間」がパーティに一人は混じってて、それが「主人公たちはレベチ」であることの物差しになってたよね。ヤムチャとか桑原とかメガネ君とかウソップとか。
「ざまぁ系」が流行ってたこともあるくらいなので、"別に出てもいいけど、ちゃんと痛い目を見て欲しい"だと思うよ。
「視聴者の子供達が自己投影出来るように出していたみたい」 そもそもこれ本当か?自己投影するわけがなくて全く信じられないんだけど。ドラえもんののび太くらいなら分からなくもないが。
みんなコメディーリリーフくらいは知っておこう
Zガンダムでのポジションはカツよりシンタとクムだしこの二人にはMSシルエットクイズをやる大事な役割があるだろ
自己投影できてた人いる?そもそも
単に子供が読者のメインターゲットから外れただけなのでは…。/孫悟飯とか悟天・トランクスなんかは成功例にあたるのかな
ウルトラマンや仮面ライダーもそうだし、小説でも怪人二十面相の少年探偵団とかあった。ホームズにもちょっとだけ出てくるか。
火垂るの墓の清太は物質的に恵まれていて我慢することを知らず、ご近所など周囲との人間関係が希薄な現代の子どもとの共通点を見出してアニメ化することで感情移入をもたらしたんだったような。
思い浮かんだのは無人惑星サヴァイヴのハワードかな。「昔のアニメ」ってほどじゃないけど…………え、22年前……?
登場人物から足手まといが減ったのか子供が減ったのかで切り分けして分析した方がいい。作品の対象年齢が上がって、狂言回しを兼任する子供キャラが減っただけだと私は思う。例えば張飛は足手まといだが大人である
プリキュアでたまーに実験的?に「変身にも戦闘にも寄与しないただ可愛いだけの妖精」出てくるの好き
当時の作り手が「子供がいないとウケない」と考えてそうやってたが、子供の想像力・共感力の研究が進んで、別に要らないことがわかっただけだと思う。
無能は主人公の仲間にいらない風潮だよね。世の中足手纏いのが多いのに
まとめタイトルが発端の2ポストを雑に繋げてるせいで微妙に趣旨変わってる
この話出るといつも「足手まといがいるから話に変化が出て面白くなるのに…」と思う。優秀な味方と優秀な敵だけで戦ってんのもそれはそれでいいけど飽きるんだ。
幼い年齢でなくても、短慮や無知から主人公サイドを不利にさせる言動を行う味方キャラはアンチが付きやすいようには思う。/未知との遭遇や価値観の相剋をやりたい場合、失敗の匙加減が結構難しい。
ストレンジャーシングスの足手まといのクソガキたちが起こした問題の解決に付き合ってあげるスティーブの魅力を語れるのはここですか?
モンハン新作のあるキャラも嫌いと言ってたやつおったな
”自己投影出来るように出していた”の根拠を出してほしい。主人公に憧れる子供がほとんどだと思うが
ハリウッド映画とかの「おせっかいジャーナリスト」「お前のせいだろ経営者・出資者」なども、このカテゴリーだろうか?
めちゃめちゃわかる!子供のころから、お呼びじゃない子供キャラ嫌いだった。あしたのジョーのあいつらとか。うざかった…
編集から「こいつ邪魔だから早く殺してよ」って言われてもガマンして途中から化けたキャラもいるんですよ
クリエイターはヘイトコントロールしなければならない。って俺を気持ちよくさせろ不快にさせるなっていう消費者側の傲慢だと思う。消費者が王様であることは否定できないけどね。
イデオンの場合は足手まといのクソガキがお姫様だし彼女がいないと話が進まない
エウレカセブンのレントンがクソガキ三人の罪を被ってエウレカ、レントン、クソガキで営倉入りする話で心が折れて観るのやめたの思い出した/1stのカツレツキッカはギリ許せる、Zのカツは許さない
ハリウッド映画で現場指揮を無視して単独行動したせいで全員をピンチにするちょっと賢そうな馬鹿
最近だと尺の都合で本筋だけで手いっぱいだからでしょ。
明らかにヤバいところに前のめりで突っ込んで何度も自分と仲間を命の危機にさらしてるハチワレが人気なのだから全ては愛嬌の有無だよ
Zガンダムのカツであり、逆シャアのハサウェイ。ハサウェイはその後閃光のハサウェイにて以下略
あまり知らんと思ったらスルーしてた作品が多いな/クソガキではないが拙さ満載の弟、『バンパイア』に出てくるチッペイは良いぞ(古すぎ)。近作だと「ヤンキー君と科学ごはん」の双子とか好き(本題と違う)。
これ系と有能野生児キャラがキツすぎて昔のアニメは脱落しがち
三体の最後は主人公がやってた
大人の主人公に帯同する足手まといの子どもキャラ…思いつかんなあ。リンやバットはしっかりした子だったし。それよりシティハンターの香にはずっとイライラさせられたな。大人になるとチャーミングだったなと思うが
勧められてFateを観たら特殊な敵と能力で戦うヒロインを何の能力もない主人公が「女の子は守ってあげなくちゃ」という謎の騎士道精神で助けようとし逆にヒロインを何度も窮地に陥らせててうんざりした。二度と観ない
物語を回すためのトラブルメーカーにそこまでカッカせんでも
ドラマ版バイオハザードの主人公があまりに酷くて見るに耐えなかった
毎度攫われるピーチ姫にはファミコン当時からヘイトが結構飛んでたので足手まといキャラが嫌われる現象に年代やジャンルはあまり関係ない気がする。足手まといを許容する=成長なアニメは確かに減少したかも。
ジョジョ第4部で言えば広瀬康一が読者視点のキャラだけど、彼は露伴センセからも承太郎からもめちゃくちゃ高く評価される好漢だから、読者の自尊心をくすぐってくれる。
つか昔はアニメは子供が見るもので、バカな子供を子供は笑ったのよね。今やいいトシをしたオッサンが登場人物に感情移入しつつ見るようになったの。バカな子を笑わなくなった。視聴者に子供嫌いが増えたのよ。
物語を有能キャラばかりで固めても、現実にはどうしたって無能ポジションで生きないといけない人も多い訳で。そういう人達の投影先がちいかわに集中した結果アレは人気コンテンツになったのかもしれない。
小学生のときから、一度たりとも共感したことないんだけど、わざわざ脇役のキャラに投影してる子どもなんて本当にいるのか
敵が強大な程、倒した時のカタルシスが大きくなる。足手まといキャラを出すと、敵の強さが足手まといというハンデがあっても勝てる程度になり、カタルシスが減ってしまう。
最近ポセイドンアドベンチャーを見直して、ジャンルのキャラ付け定石が濃縮還元される前の姿にちょっと感心した。クソガキのクソ度やらヒス女のヒス度やら俺はヤダオッサンの俺はヤダ度やらが全然薄味。
ちびうさとうる星のテンは嫌いだったなあ。悟飯には投影してた気がする
カツは平気だったけどエルピープルの方が無理 クエスも無理
「子供向け番組には視聴者が感情移入できる子供が必要だ」と思って少年仮面ライダー隊を出したら子供は「いや、俺らは本郷猛になりたいのであってそういうのいいから」と言われた話?
『トイ・ストーリー』のスピンオフ作品、『バズ・ライトイヤー』の中年男(三木眞一郎)が仲間の足引っ張りまくりでそっちに感情移入してしまってつらかった https://www.disney.co.jp/fc/pixar/lightyear/character/mo
メリトクラシーの蔓延する社会では、いよいよフィクションにすら無能な人間の存在を許さなくなったのか。なぜみんな自分は足を引っ張る側の人間でないと言い切れるんだ?
カツより敵軍の気になってた子が死んだ腹いせにアムロの彼女を射殺したハサウェイのほうが遥かに有罪
全然関係ないけどヘイト管理は難しいよね。なろうでヘイト管理失敗してヒーロー交代とかエタっているのをみるとそう思う
「子守りの経験も激減」
バットマンの2代目ロビンが読書投票で殺されたのが1988年、やらかし系自称サイドキックが黒幕だったMr.インクレディブルが2004年だから相当前から嫌われ枠だったのは間違いない
逆に異常に察しの良い主人公がメタ視点から理解しつつ解説してくれるようになったよね。お約束事項が増えた
私はパンピーキャラ好きだけど状況悪化させるばっかのキャラは好きじゃないよ
弥彦とか不自然に強くなるキャラのが嫌だけどなぁ。10歳のチビに倒される暗殺者とか何なん。
足手まといかどうかと子供かどうかは別に考えた方が。子供なのは多分視聴者層に合わせただけだろう。足手まといなのは作劇の都合かな、安っぽいやり方だけど
のび太かとおもったら違った
子供のころでも、足手まといな子供キャラに自己投影した記憶がないけどな。自分の兄弟を投影するならわかるけど。
シリーズの長期化に伴って、主人公が成長しちゃったので出される子供キャラもいるよね。セラムンのちびうさとか。
最近の子どもは聞き分けいいからなあ
ちょっとずれるが、最近のフィクションの登場人物はあまり性格・能力的な難がないよね。学マスと初代アイマスを見比べても、学マスのアイドルは全体的に人間ができている(手毬の暴言だけがやや例外なくらいで)。
プリルンのはなししてる?
マイナス探しをする視点的には有能だけがなんかやってる予定調和VS無能がかき回すご都合って感じ。無能を鼻で笑う余裕が無い場合、読者が気持ちよく見てられるのは有能が色々やったけどダメだったで陥る危機になる。
のび太はクソガキではなく、クズ中のクズ
そこで子供らのみのバイファムですよ
おそらくモンハンワイルズの話が発端なのだが、Togetter民もはてブ民も最近のゲームより昔話をする方が好きだから全く話題に出てこない
足手まといなだけならそりゃねぇ。勇者シリーズとか仮面ライダーみたいにある程度活躍の場が与えられたら多少は違うのかも
具体例がなかなか出てこないで考えた結果、『美味しんぼ』の富井副部長が思い浮かんだ。今なら子供のすることならまだしょうがないと思えるが、あれを大人が何度も反省せずやってるからな。
妖怪人間ベムのベロか(古い)
誰しもポップにはなれないし描けないんだ
少年仮面ライダー隊は不人気だけど、チビノリダーはそこまで不人気じゃないし。Ζのカツはガンダムの最終回の次世代の可能性の象徴的な扱いを見てると余計にしんどい。
子供キャラに限らずバカを利用した作劇嫌い。伏線や積み上げたものを無視して都合よく話を動かす装置なので。
後先考えないクソガキがヘイト減ったかもしれないが、もちづきさんのような後先考えない大人は増えているような
ジュラシックパークの子供は後半大活躍してたから許される(もしあの子がいなかったら最後詰んでた)
2月の勝者とコア視聴者層が重なっていそうなドラマ「御上先生」が一部で好評なのと対になっている気がする。不完全なものを身の回りから完全排除したい人が増えてきているのだろうか。
これがあると「ストーリー回し手抜きしたな」と思うよね。愚行の理由を掘り下げて描写してあると納得できるけど、それはそれで自分と違いすぎて自己投影は無理。
むしろ、当時の子どもたちは自分はケンシロウであり、リンやバットを守るべき存在として認識してたはず。ケンシロウの人柄を表す必要な存在だった。ヘイト管理で消えたってのは妄想だと思う。
ダイ大のポップとかジョジョの康一君とか、あの辺から読者が自己投影するキャラの成長が1つの手法として確立されたと感じる。最近だと進撃のジャンとかすぐ死ぬ俗キャラと思わせて最後まで成長する
反面教師って考え方が養われなさそう。よけい現実世界が辛くならないだろうか。
「妖怪人間ベム」のベロ?
似たようなやつで、海外作品にありがちなイキった若者がとんでもないことやらかす→なんやかんやあって大団円も好きじゃない。
昔のアニメは少なからず現実世界を意識したものだった気がする(じゃないと共感を得られにくいから)けど、アニメの存在や概念が普遍化して、完全に理想の世界を描いても支持されるようになったから消えたのかなと
昭和に成人したオッサンだが信じられんな自己投影説。ガキだった当時でも始終イライラしてたからな「なんでこんな物語に関係ないガキを出す?!」と。ジャイアント・ロボでも「なぜガキが主人公?」とムカついてた。
グーニーズのチャンクみたいな?
類型に「感情で動いて危機を招くヒロイン」もいる。初代アメリカ版ゴジラのヒロインがこれで、子供ながらにイライラしてしまった。そのくせ主人公とくっつくので作品の評価も悪くなる。
togetterやXでワチャワチャするのは楽しいか?その度にAPIと広告が擦られイーロンマスクが儲かる。トランプは勢いづき、民主主義は後退する。なぜいつまでも代替サービスを探さないんだ?
ヘイトが過ぎなければ、「◯◯さん、これはなんだい?」「どうやって敵を倒したの!?」って話を進めやすかったり、あとヒーローを「小さい子を助ける頼もしいお兄さん・お姉さん」に位置づけられるからね
今でも側を美男美女にして主人公に恋慕ポジ取ればまだ使えるし使ってるのあるでしょ
自己投影するのは「頑張るけど惜しいところで失敗するガキ」だろう。
DBの悟飯とかその枠なのかなと思ったけど、一瞬で成長しちゃったな。 チャオズもすごい役だったしな、、 なめちゃいかんとおもうのは、そういう役割とスティグマを貼られた人間の底力だと思うん。
相棒!
足手まといのクソガキと言われても、のび太ぐらいしか思い出せないのだが。
「いつも足手纏いなアイツが実は敵の破壊工作員だった」なら納得いくので、たぶん嫌われてるのは「無能な働き者」
アニメを大人が見るようになったから、大人がイライラしないように変わったのかと思ってたよ〜。
そもそも子供じゃない人が観てるのがおかしいんじゃないの?
この問題ってもう子供だけじゃないんだよね、シン・ゴジラでもよくありがちな「足を引っ張る無能な味方」が出てこなくて良かったと言われていた。勝手な行動でピンチを招くようなストレス要素はもうかなり嫌われてる
足手まといのイメージでミート君が浮かんだけど、クソガキからはかけ離れてるなと思うなど。まとめにもあるけど舞台装置と居ると楽なんだろうな
ジークアクスは主人公がそうはならんやろ的な暴走してたような気がするが
ピーチ姫、毎度毎度同じやつに何回もさらわれやがって防犯意識どうなってんねんって子供の頃思ってたわ
黄金バットのダレオくんも終盤消えてたな
『最近は普通の人のハードルが上がった』とかの世迷言を言うやつがいるが、昔だってのび太・ジャイアン・スネ夫を有機転換炉に叩き落してその材料で出木杉が三人できるならもろ手を挙げて歓迎していただろ
失敗すれば次がないという現実が創作に入っていたような気がする
ファンタジー色が強めな現代舞台作品に急に出てくるサラリーマンも嫌い
ガキじゃないけど、オーフェンで見た。
子供や弱者を助けるって動機や舞台装置がないと北斗の拳は復讐の殺人鬼ケンが悪人を殺しまくる悪対悪のピカレクス物になっちゃう。強者が力を振るうには大義名分がいるよ
単にお話の作り方として、足手まといキャラを狂言回しにするよりもっとうまいやり方がスタンダードになっていっただけだと思いますよ。
モンハンの話かと思ったら違った
ふしぎ遊戯で全体が神獣召喚のために動いてるのに鬼宿がいちいち色恋を絡めて話を止めるからうざくて大嫌いだった。後から恋愛漫画だったことに気付いたけど、話が面白かったから流れが止まるほうがストレスで
足手まといはそんなに気にならないけど、主人公を引き立てるためにステレオタイプな醜悪な悪役を配置されるのが苦手だなあ。
自分が子供の頃はめちゃくちゃ嫌いだったけど、子供が出来てからまぁ子供ってこういうもんよなぁ…と割と寛容にはなった。
コナンの本物小学生トリオを上げてる人たちは20巻くらいまでしか読んでない組かな。原作ではもうぜんぜんヘイト溜めない振る舞いでしょ(下手くそなアニオリ脚本は知らん)
24を見ているときにすごい思ったやつだ
中学生くらいなのにやたら饒舌で大人でもしないような考え方で語る子どもも嫌だよ。
「視聴者の子供達が自己投影出来るように出していた」そもそもこの前提が疑問 この手の自称一次創作者の人たち(特にネット物書き系)って承認欲求なのか知らんけど雑語りマンがやたら多い
普通に話膨らますためでは
子供向けアニメや特撮でターゲット視聴者と同年代のガキを出しとけばいいだろ的な手抜き脚本や、登場人物のIQを下げてトラブルを起こさないと話を動かせないすヘタクソ脚本家のせいかと。脚本家の腕次第なんだよなぁ
Zガンダムのカツは、あいつが居ることでカミーユが後輩を指導する側になって、前半で自分が言われて反発してたことをカツに諭すようになるので、存在意義はとてもあるんだよな。
ダイの大冒険のポップが境目かなと思っている。急成長してパーティーを支える大魔道士になりました。あの辺からクソガキポジは消えていったと思う。
ジュラシックワールドでも出てたけどな。子供向け見なくなっただけでは?
ヘイトコントロールは大事。ガキだから許されるところはあって、今はその役目は殺してもいい無分別の大人になってメタクソに復讐されるのがトレンドに。それもそれでどうかとは思う。子どもだから仕方ないね、も必要
ああいうキャラが嫌われる理由って、共感性羞恥がデカいと思うけど
自己投影=自分と似てる、とは限らないわけで。足手まといのクソガキを見て「自分ならどうする?」と考えた時点で十分自己投影してる。
足でまといなヒロインとかも入る?子供の頃イライラした思い出。
ヒロインをめちゃくちゃ嫌う人とかもだけど、この手のこといかにも自分の感想が普遍として主張してくるの、その人がフィクションにそんな怒りっぽい厄介な人いう評価にしかならなくない?
最近の作品でも鬼滅の刃の禰豆子みたいに守らねばならない妹がピンチになったり覚醒したり、舞台装置として機能してる例もある
違う。1クール作品が増えたから。一例として、アニメ『CCさくら』はシリーズ構成に原作者の大川七瀬先生が入っているが。[李苺鈴]をオリキャラで入れる事でトラブルメーカーとして尺増している。
クソガキというには年が上の方だがビーチャとモンドはあかんかった
タイタニックなんて沈みかけの船で決闘するシーンさえなければそれなりに良かったのにね。アルマゲドンのスティーブ・ブシェミ(危機迫る中機関銃ぶっ放す人)とかも苦手。そもそものび太の出来なさぶりが大嫌いなんで
子供が見てないだけでは
ファミリー向けのハリウッド映画に頻出してた記憶。ジュラシックパークシリーズは大体1人いたな。
子供の頃特撮に出てくるガキ全員嫌いだったな〜。単に羨ましかったのかもしれないけど。
ジャー・ジャー・ビンクスのことか
ポケ戦のアルはクソガキキャラのアンチテーゼだと思う。ガンダムに倒されるザクのパイロットがヒーローでガンダムに乗っていたのがヒーローもののヒロインのようなお姉さんというのが最高に皮肉が効いている。
ヘイト管理とかいうのほんと嫌い。結局のところわざとイライラさせて、後からスカッとさせるだけ。気付いたら馬鹿馬鹿しくなる
モブなら救助対象なんだけど、パーティーメンバーにいると足手まといなのでウザい。ネトゲで敵よりも無能な味方にヘイトが溜まりやすいのと同じかな。
ストレッサーある物語が嫌われるわけではなくない? 物語なんてストレスかけて取り除いてスカッとする、が基本パターンなんだから。今はストレッサーをぼこるざまぁが流行ってるだけで。
足手まといは令和でも生き残っているのです……。最近は「可愛ければいいんでしょ?w」とヒロインが足を引っ張りがち。すぐ切るのであまり覚えていないが『はめつのおうこく』とか。
足手まといキャラがいても良いけどそれに突っ込めるキャラもいてほしい/ボケとツッコミみたいな
逆シャアのハサウェイが一番最初に思い浮かんだ
全然うかばん。クレしんのまさおとか?
アニメに限らず映画でもたくさん思い浮かぶ。なんならそのまま◯ねとまで思ってしまうこともあったので精神衛生上減って良かった
ダイターン3のトッポとか。
足手まといになりたくないからって、チートで無敵な主人公に自己投影してるのは廃れないわけでなあ。それはクソガキマインドではあると思うがね。
パトレイバーの太田?
“ごく稀に「こいつのせいで推しが死んだ!許せねぇ!」ってこともない訳では無い”←キルヒアイスが死んだのはクソガキ・ラインハルトのせいだよね
いや、子供の時からピンチを作るために配置されてるキャラはウザかったよ。子供向けアニメって対象年齢よりちょい上のお兄さんお姉さんキャラで憧れさせるもんじゃないの?
「24」のジャック・バウアーの娘は足手纏い度では傑出しており世界規模で視聴者をイライラさせていたが、あれは尺伸ばしのためだと思うので気の毒な役回りだなと思った
モンハンに足手纏いのクソガキが出てきて辛い。クリア後はテントの前に陣取って毎回話しかけてきて辛い…
ドラマ「海のはじまり」は子どもがいい子過ぎるのが気になり「ライオンの隠れ家」の描き方の方が好ましく思った子無しおじさんだけど、世間的にはどうだったのだろう
一番手間のかかる登場人物がその世界観の広さで昔は限定的だったのが今は無限に横の話と繋がってなくなっていってるのとかは説明をしても伝わらなさそう。
ジャージャーはガキでは無かった。あいつはただの足手まといだ。
同じ図式で2000年代に一度滅んだのが「ヒロインキャラが売り物の作品に出てくる、どこが魅力的かわからんお飾りの男主人公」。これをあずまんが大王が破壊して芳文社きらら系の天下となったが、近年は復活してる模様
かなり前から感情移入先は「才能隠しててすみません。仕方なく無双します!」キャラが多いと思う。ハリウッドも一大ジャンルになってるし。視聴ターゲットが大人なんだよね…
子どもならまぁ子どもだしで納得できるけど、映画とかゲームで成人してる大人が似たようなことしてると結構きつい
味方側にもかませポジがいないと主人公のすごさが引き立たんだけでは。自己投影できるようにって根拠なんなの
その意味ではアーニャは革命的だなと。役立たずなのにエスパーなので、難解なストーリーの説明役を果たしてくれてる