現代人はわりと心配性なんだな
日本人には恐怖遺伝子持つ人が他所より多いというからそういうのもあるのかもしれない
1割起こるは結構でかいと思うんだけどなぁ…
“いくつくらい書き留められたんですか?” “1年でだいたい70個くらいです!” / はい解散。 / ”心配しすぎっ 年間の心配回数なんて10回未満ですよ” / !?????
心配事の7.5%は実際に起こっている、と考えるとやっぱり怖いですな
うちのヨッメの場合は心配事の99%起きないので、人によって「なにを心配に思うか」は違うんだろうなーとは思う。とはいえ、心配すんな、大丈夫だよ…もまた違うのだよね。
心配事すっくな。
心配事にちゃんと向き合うから7.5%だけで収まるのです。しかし、心配事から目を背け、何も考えず生きた場合、あなたの挙げた心配事が発生してもあなたは気づくことなく、心配事の発生確率0%で生きることができます。
ふと心配するということはそれに気をつけるということだから、本人の可能な範囲で回避策を講じてるのだろうなと/そして意識もしていない不測の事態が起こる
スパロボ脳だと何の慰めにもならない数字
リスクは影響度と発生可能性の掛け算なので、発生可能性だけで語っちゃダメよね
一割弱って結構高くない?
脳の薬を処方されているおれレベルになると、心配事を書き出すだけで一日が終わるよ
人生はリスキーダイス。心配事の95%は杞憂に終わるけど、5%でものすごく悪い結果になる。
なんとなく「チャンスはよく準備した者にのみ訪れる」という話と対になる話のような気もする。
100万分の1の確率のバグとか、交通事故の目撃とか、知り合いが自販機の当たりが出た時に通りかかるとか、地味に巡り合わせがある自分は起きたらどうするか、を考えて落ち着かせるかな。それでも無理なやつはあるけど
心配して注意していても7.2%は実際に起こるってことですね。
1年で10%が起こるなら、10年でほぼ起こるんじゃ
そんなの初めて聞いた
まぁハインリッヒでも約9割は「ヒヤリハット」で「事故はギリ起きてない」なので。でも残り1割の血で安全規則が書かれているんだよね。
それでも心配ごとは生まれるのである
慣れてくると心配事が激減して高確率で起こり得る心配事だけが残り、もう心配事ではなく必然となり、それ以外は天災と見なすことになる
→残りの10%が心配→心配事の9割は起こらない→残りの1%が心配→心配事の9割は起こらない→残りの0.1%が心配→(略)→すべての心配事は起こらない
これ本当にそうなんだよね、実体験としてそう思う。それでも色んな事が心配になって目が覚めちゃう日もある。
1割でも起こってもらったら困ることに対してはちゃんと対策するべきってことだな
まさに昨日、イベント前日に事故を起こすという起こり得ないであろう心配事をして家に引きこもっていたら、テーブルの角に足をぶつけて爪が粉砕されて痛みよりも笑ってしまった。3月のイベントだけど雪が降るも起き
原発の非常電源が全部水没しそう
過去3年間でウクライナの成人男性の230人に1人が戦死し、35人に1人が負傷している(ヒヤリハット則でも10分の1が軽微な事故だ)ので、ほぼ全員が戦死していたかもヒヤリハットを経験してると思う
心配事の9割は起こらない、と? 7.5%の起こったの中身はさておき、その検証、あまりにも雑で笑止千万なのだ。
ところが起こるんだな
病気が見つかるのが怖くて、健康診断とか行かなかった母はガンで死んだが。心配した上でちゃんと行動してください。
10回に1回事故る現場猫
1割起きるなら結構な高確率
8%起きるなら、何らかの対策は講じておかないとね。
心配事を具体的に言語化出来るだけですごい
「99%の確率で成功する時、残り1%が起こる可能性は高い」みたいな話もあるのよな
心配事が起こる直前にしかそれを認識しなかったら発生確率100%。起こってからようやく認識するなら0%。
自身で回避できるものとできないもの(外的要素のものの数も知りたい
“つまり心配のし過ぎは不要、だけど万が一のための準備は必要”
でも一割は起こる。ついでに厄年にはまとめて起こったりする。
心配症の人は心配事を書き出して心の重荷を下ろしておく/本当にヤバいことに備えられるという話。タイトルは「そうそう起こらないので何もするな」の印象を与えてしまう
7.5%=3/40
一割未満が売上であり成功であり実態で結果なわけだから一般平均の倍ほどだろうな 経営なら二割危機管理なら三割くらいまでは実態をあげたいところだろうな 保険も見込みもほぼ払い捨ててる豊かさよ
書き出したことで予防できた面もありそう。頭の中に留めておくと忘れる。
心配事と思うから心配になるんです。心配事と認めなければ、いくらでも安全に過ごせます。(眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます。)
そもそも心配する事で何か変わることはない
トランプ氏が何かしでかさないか、余計なことしやしないかが目下の心配事です。
そもそもコントロールできないことを心配する意味がない。できることはやっておき、できないことは備えておき、あとは天にまかせる。
インフラ屋としては全く安心できない数字w
心配性の人とそうでもない人だとどうなるんだろう。心配性の人が年間100心配して10ミスったら9割起こらないと言えるけど、何も心配してない人が10ミスったらもう%とかの話じゃなくなるよね。
対処に工数が割に合わないほどかかるから放置してた心配事ほど起きる印象。起こってから対処すればいい、逆に(自分だけでは)対処できないことはほとんど起きない。
期待した事は100%起こった事ない
強迫性障害の身としては理屈じゃないのよね。こういうことをしてちょっとずつ改善はしていくんだけど心配は心配のまま。我慢できるようになるだけで…
特定タイミングのイベントに対する不安はこれで対処可能。厄介なのは継続的な懸念事項。いつかは必ず起きることと認識してしまっていること自体に問題がある。
これは解釈が逆で「人は10%くらいの確率で起こりそうなことを心配する」のではないか?
10回に1回は起きると思うと結構あるな。「宿題を忘れる」が2週間に1回ある感じ。もともと心配症な人、家族のイベントを管理する人、とかでも変わるし、心配症はやめられそうにないやw
そもそも元の言葉から、1割起こるのなら何の慰めにもなっていないと思っちゃうんだけど自分だけ?w / ゼロになれとは言わないけど1割って結構な確率よね?w
心配事のほとんどはお金の心配なんだけど、お金の心配は100%起こるんだよね。子供の学費、生活費、老後の資金などなど
心配してたからこそ「起こらなかった」と自覚できるけど、心配もしてなかったら起こったことすら自覚できないのでは?
残りの1割のために動いておかないとなので何ともというやつ。
米国産のドラマとか映画は想定される中で最悪のパターンを必ず引くよね
めんどくさい人にめんどくさい事言われるのが日常の9割なんですが?
逆に、不幸のうち心配してなかったのに起こった割合はどのくらいなのだろう
ただし子供の心配はしたほうがいいです。鵜呑みにして死なせないように
カウントできてるのがすごい。
宣伝をするわけではないのですが「考えすぎてしまうあなたへ」グウェンドリン・スミス著 という本で9割理論とメカニズムが分かりやすく解説されています。私はこれで不安症がだいぶ軽減できました。
仕事上で先行き不明な事が多く、常に色んな事を想定している。例え数%でも、起きたら対処する必要があるし、どうにかなるし、する。夫は想定内の事で、いちいちショックを受けたり、狼狽えたりして大変だなと思う。
というかすでに起こってることを心配してる(お金)
本当かなぁ…心配して準備したことが「準備しておいて良かった」に繋がることが多くて常に何か落ち度がないかチェックして心配する癖がついてしまっているんだけど…書き出しやってみようかな。
この案件炎上するんだろうなって心配した案件の9割は年度末に火を噴いてるんだけども。。。
起こった事も余裕でフォローが可能であればまぁ無いに等しいしな
でもソシャゲガチャで7.5%確率とか言われたらめっちゃ当たる気がするじゃん?
1割以下の確立とわかっていても、いつ発生するか分からないのだから結局備えるしかないのでは?
残り1割で自殺する人もいるだろうに。
心配性だと思っているので、実はもっと実際に実現する確率が低いのだろうけど、全然安心できない。
リスクを予想して予防、最小限になる動きをしてるから検証のしようがない。検証したくない。
「心配事の9割は起こらない」と聞くので1年間検証したら、約92.5%の心配事は起こりませんでした
現代人はわりと心配性なんだな
日本人には恐怖遺伝子持つ人が他所より多いというからそういうのもあるのかもしれない
1割起こるは結構でかいと思うんだけどなぁ…
“いくつくらい書き留められたんですか?” “1年でだいたい70個くらいです!” / はい解散。 / ”心配しすぎっ 年間の心配回数なんて10回未満ですよ” / !?????
心配事の7.5%は実際に起こっている、と考えるとやっぱり怖いですな
うちのヨッメの場合は心配事の99%起きないので、人によって「なにを心配に思うか」は違うんだろうなーとは思う。とはいえ、心配すんな、大丈夫だよ…もまた違うのだよね。
心配事すっくな。
心配事にちゃんと向き合うから7.5%だけで収まるのです。しかし、心配事から目を背け、何も考えず生きた場合、あなたの挙げた心配事が発生してもあなたは気づくことなく、心配事の発生確率0%で生きることができます。
ふと心配するということはそれに気をつけるということだから、本人の可能な範囲で回避策を講じてるのだろうなと/そして意識もしていない不測の事態が起こる
スパロボ脳だと何の慰めにもならない数字
リスクは影響度と発生可能性の掛け算なので、発生可能性だけで語っちゃダメよね
一割弱って結構高くない?
脳の薬を処方されているおれレベルになると、心配事を書き出すだけで一日が終わるよ
人生はリスキーダイス。心配事の95%は杞憂に終わるけど、5%でものすごく悪い結果になる。
なんとなく「チャンスはよく準備した者にのみ訪れる」という話と対になる話のような気もする。
100万分の1の確率のバグとか、交通事故の目撃とか、知り合いが自販機の当たりが出た時に通りかかるとか、地味に巡り合わせがある自分は起きたらどうするか、を考えて落ち着かせるかな。それでも無理なやつはあるけど
心配して注意していても7.2%は実際に起こるってことですね。
1年で10%が起こるなら、10年でほぼ起こるんじゃ
そんなの初めて聞いた
まぁハインリッヒでも約9割は「ヒヤリハット」で「事故はギリ起きてない」なので。でも残り1割の血で安全規則が書かれているんだよね。
それでも心配ごとは生まれるのである
慣れてくると心配事が激減して高確率で起こり得る心配事だけが残り、もう心配事ではなく必然となり、それ以外は天災と見なすことになる
→残りの10%が心配→心配事の9割は起こらない→残りの1%が心配→心配事の9割は起こらない→残りの0.1%が心配→(略)→すべての心配事は起こらない
これ本当にそうなんだよね、実体験としてそう思う。それでも色んな事が心配になって目が覚めちゃう日もある。
1割でも起こってもらったら困ることに対してはちゃんと対策するべきってことだな
まさに昨日、イベント前日に事故を起こすという起こり得ないであろう心配事をして家に引きこもっていたら、テーブルの角に足をぶつけて爪が粉砕されて痛みよりも笑ってしまった。3月のイベントだけど雪が降るも起き
原発の非常電源が全部水没しそう
過去3年間でウクライナの成人男性の230人に1人が戦死し、35人に1人が負傷している(ヒヤリハット則でも10分の1が軽微な事故だ)ので、ほぼ全員が戦死していたかもヒヤリハットを経験してると思う
心配事の9割は起こらない、と? 7.5%の起こったの中身はさておき、その検証、あまりにも雑で笑止千万なのだ。
ところが起こるんだな
病気が見つかるのが怖くて、健康診断とか行かなかった母はガンで死んだが。心配した上でちゃんと行動してください。
10回に1回事故る現場猫
1割起きるなら結構な高確率
8%起きるなら、何らかの対策は講じておかないとね。
心配事を具体的に言語化出来るだけですごい
「99%の確率で成功する時、残り1%が起こる可能性は高い」みたいな話もあるのよな
心配事が起こる直前にしかそれを認識しなかったら発生確率100%。起こってからようやく認識するなら0%。
自身で回避できるものとできないもの(外的要素のものの数も知りたい
“つまり心配のし過ぎは不要、だけど万が一のための準備は必要”
でも一割は起こる。ついでに厄年にはまとめて起こったりする。
心配症の人は心配事を書き出して心の重荷を下ろしておく/本当にヤバいことに備えられるという話。タイトルは「そうそう起こらないので何もするな」の印象を与えてしまう
7.5%=3/40
一割未満が売上であり成功であり実態で結果なわけだから一般平均の倍ほどだろうな 経営なら二割危機管理なら三割くらいまでは実態をあげたいところだろうな 保険も見込みもほぼ払い捨ててる豊かさよ
書き出したことで予防できた面もありそう。頭の中に留めておくと忘れる。
心配事と思うから心配になるんです。心配事と認めなければ、いくらでも安全に過ごせます。(眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます。)
そもそも心配する事で何か変わることはない
トランプ氏が何かしでかさないか、余計なことしやしないかが目下の心配事です。
そもそもコントロールできないことを心配する意味がない。できることはやっておき、できないことは備えておき、あとは天にまかせる。
インフラ屋としては全く安心できない数字w
心配性の人とそうでもない人だとどうなるんだろう。心配性の人が年間100心配して10ミスったら9割起こらないと言えるけど、何も心配してない人が10ミスったらもう%とかの話じゃなくなるよね。
対処に工数が割に合わないほどかかるから放置してた心配事ほど起きる印象。起こってから対処すればいい、逆に(自分だけでは)対処できないことはほとんど起きない。
期待した事は100%起こった事ない
強迫性障害の身としては理屈じゃないのよね。こういうことをしてちょっとずつ改善はしていくんだけど心配は心配のまま。我慢できるようになるだけで…
特定タイミングのイベントに対する不安はこれで対処可能。厄介なのは継続的な懸念事項。いつかは必ず起きることと認識してしまっていること自体に問題がある。
これは解釈が逆で「人は10%くらいの確率で起こりそうなことを心配する」のではないか?
10回に1回は起きると思うと結構あるな。「宿題を忘れる」が2週間に1回ある感じ。もともと心配症な人、家族のイベントを管理する人、とかでも変わるし、心配症はやめられそうにないやw
そもそも元の言葉から、1割起こるのなら何の慰めにもなっていないと思っちゃうんだけど自分だけ?w / ゼロになれとは言わないけど1割って結構な確率よね?w
心配事のほとんどはお金の心配なんだけど、お金の心配は100%起こるんだよね。子供の学費、生活費、老後の資金などなど
心配してたからこそ「起こらなかった」と自覚できるけど、心配もしてなかったら起こったことすら自覚できないのでは?
残りの1割のために動いておかないとなので何ともというやつ。
米国産のドラマとか映画は想定される中で最悪のパターンを必ず引くよね
めんどくさい人にめんどくさい事言われるのが日常の9割なんですが?
逆に、不幸のうち心配してなかったのに起こった割合はどのくらいなのだろう
ただし子供の心配はしたほうがいいです。鵜呑みにして死なせないように
カウントできてるのがすごい。
宣伝をするわけではないのですが「考えすぎてしまうあなたへ」グウェンドリン・スミス著 という本で9割理論とメカニズムが分かりやすく解説されています。私はこれで不安症がだいぶ軽減できました。
仕事上で先行き不明な事が多く、常に色んな事を想定している。例え数%でも、起きたら対処する必要があるし、どうにかなるし、する。夫は想定内の事で、いちいちショックを受けたり、狼狽えたりして大変だなと思う。
というかすでに起こってることを心配してる(お金)
本当かなぁ…心配して準備したことが「準備しておいて良かった」に繋がることが多くて常に何か落ち度がないかチェックして心配する癖がついてしまっているんだけど…書き出しやってみようかな。
この案件炎上するんだろうなって心配した案件の9割は年度末に火を噴いてるんだけども。。。
起こった事も余裕でフォローが可能であればまぁ無いに等しいしな
でもソシャゲガチャで7.5%確率とか言われたらめっちゃ当たる気がするじゃん?
1割以下の確立とわかっていても、いつ発生するか分からないのだから結局備えるしかないのでは?
残り1割で自殺する人もいるだろうに。
心配性だと思っているので、実はもっと実際に実現する確率が低いのだろうけど、全然安心できない。
リスクを予想して予防、最小限になる動きをしてるから検証のしようがない。検証したくない。