生きたい
Claude Code優秀すぎて自分がボトルネックになるの分かる。書く楽しさを失うのは辛いね
コンピュータサイエンスを学ぶと、その歴史は自分が思いついた概念をソフトウェアとして表現して来た歴史なので(AIですらそう)、エンジニアのアイデアをAIが形にしていくという点においては死んでない
違うだろ。プログラマーとしてはステージを降りたかも知れないが、しっかりAIを利用した正しいシステムを構築出来ているならソフトウェアエンジニアとしてはステージを上がっているだろ。
年月が経てば「コードを読んだことがある」世代が減り、その希少価値が上がっていくよ
仕事として変化に追従してらっしゃるのでは。愉しい作業が思い出に変わってくのは、悲しまず趣味として受け入れればいい。生活で魚を食材としてスーパーで買うことと、趣味の魚釣りは両立する。
他の分野もこんな感じ。創造的で面白いところ、人間しかできないと思ってた作業をどんどんAIが侵食している。それを進化と言っていいのかわからないけど、何にせよ人間もそれに適応できないと生き延びれない
“ぼく自身が開発のボトルネックになってしまう” ←エンジニアだけじゃなく、多くの現場で起こっていると思う。人間がボトルネックになるほどの仕事量や生産性、人間社会に必要なのかな?
日本にそもそもエンジニアリングができるエンジニアはほぼいないと思ってる。ただのプログラマーと言うべきか。
複数のAIを同時に走らせていると管理者にランクアップしたなと思う
優秀なプログラマーは怠惰なのでコードを読むことを避けられるのであればそうするんじゃないか
わかる(´-`)とは言え実装速度は破壊的に向上しているので、質の担保に勤しまざるを得ない
もうプログラミングとかあきあきしてたけどエージェントが出てきてまた楽しくなってきてしまった
AIに敵わない敗北感と、便利とか凄いとかの高揚感が入り交じる毎日。おそらく、一人で、並列に大規模システムを数日で作るような人が、生き残るんだろう。
イラストレーター、翻訳者、数学者。ギュられた人たちは生成AIは低品質で人間味がないという呪詛を吐く。まだギュられてないので、これはまだそこまでいっていない。
プログラマーとしては死んだかもしれないけどソフトウェアエンジニアとしては死んでないんじゃないかな
「すでに Claude Code は、特に Fable が出たあたりからは、自分より明らかに知性が高い」 自分も去年のどこかの時点で超えられたかなと思っている。最近はもう激安の中華LLMにすら
Claude codeバリバリ使ってるけど、内容確認するとちょいちょい処理がおかしいから冷や汗流しながら直すので、日本語での指示に問題がある可能性も全然あるとは思うが、全幅の信頼寄せるには補助輪でしかないと思う
コードは書かなくなったけど、そっち方面に詳しい人はまだまだ必要っぽいよね。
素人がシステム開発請け負ってclaudeに作らせてハマって作れない〜って駆け込んで来てるのを何度も見てるから言うけど ソフトウェアエンジニアリングができてる人だからこそすんなりAIで作れてるんだぞ
この感覚は全然わからない。僕よりタイプミスが少なく速くコーディングしてくれるけど、相変わらず設計はへたくそだし、問題を解けるサイズに小さくする努力はしないし、頭の悪い働き者って感じ。
エンジニアの真価はコードが書けることではなく、システムの全体像の「安全な」設計と実装ができることだろう。素人とプロの溝は依然として存在します。
上から下まで全部自分でやりたいっぽい雰囲気。楽しそう(過去形かも?) 「深く考え、それをコードに落とし込んで実装して、実際に動くものができる、というプロセスが大好きだった」
家内制手工業が問屋制家内工業から工場制手工業(マニファクチャリング)に移行していったように、牧歌的時代からSaaS時代を経て、AIという生産手段を使って問題の定義や価値の統合をする工場監督的な存在になりそう。
最近のClaudeなんか間違いを認めなくなって感情的負荷高くなってきた。人間みてえにすっとぼけやがる
2025年の年末に負けを認めた。そっからは設計や提供する側としてAIに開発を任せるのが楽しくなったけど、最近あきてきた。人によっては、それが楽しいって思える人もいるのだろうが、なんかやりたい事と違う感が
究極のコード至高のコードも好きだけど、コード書くのもだるいと思ってたから、そこまで感傷にならないんだよな。。シンプルに見える結果には出来なくなったけど、悩んでる本質は変わってないでそれを楽しんでる
ソフトウェアエンジニアとしてのぼくは、もう死んでいた|choo
生きたい
Claude Code優秀すぎて自分がボトルネックになるの分かる。書く楽しさを失うのは辛いね
コンピュータサイエンスを学ぶと、その歴史は自分が思いついた概念をソフトウェアとして表現して来た歴史なので(AIですらそう)、エンジニアのアイデアをAIが形にしていくという点においては死んでない
違うだろ。プログラマーとしてはステージを降りたかも知れないが、しっかりAIを利用した正しいシステムを構築出来ているならソフトウェアエンジニアとしてはステージを上がっているだろ。
年月が経てば「コードを読んだことがある」世代が減り、その希少価値が上がっていくよ
仕事として変化に追従してらっしゃるのでは。愉しい作業が思い出に変わってくのは、悲しまず趣味として受け入れればいい。生活で魚を食材としてスーパーで買うことと、趣味の魚釣りは両立する。
他の分野もこんな感じ。創造的で面白いところ、人間しかできないと思ってた作業をどんどんAIが侵食している。それを進化と言っていいのかわからないけど、何にせよ人間もそれに適応できないと生き延びれない
“ぼく自身が開発のボトルネックになってしまう” ←エンジニアだけじゃなく、多くの現場で起こっていると思う。人間がボトルネックになるほどの仕事量や生産性、人間社会に必要なのかな?
日本にそもそもエンジニアリングができるエンジニアはほぼいないと思ってる。ただのプログラマーと言うべきか。
複数のAIを同時に走らせていると管理者にランクアップしたなと思う
優秀なプログラマーは怠惰なのでコードを読むことを避けられるのであればそうするんじゃないか
わかる(´-`)とは言え実装速度は破壊的に向上しているので、質の担保に勤しまざるを得ない
もうプログラミングとかあきあきしてたけどエージェントが出てきてまた楽しくなってきてしまった
AIに敵わない敗北感と、便利とか凄いとかの高揚感が入り交じる毎日。おそらく、一人で、並列に大規模システムを数日で作るような人が、生き残るんだろう。
イラストレーター、翻訳者、数学者。ギュられた人たちは生成AIは低品質で人間味がないという呪詛を吐く。まだギュられてないので、これはまだそこまでいっていない。
プログラマーとしては死んだかもしれないけどソフトウェアエンジニアとしては死んでないんじゃないかな
「すでに Claude Code は、特に Fable が出たあたりからは、自分より明らかに知性が高い」 自分も去年のどこかの時点で超えられたかなと思っている。最近はもう激安の中華LLMにすら
Claude codeバリバリ使ってるけど、内容確認するとちょいちょい処理がおかしいから冷や汗流しながら直すので、日本語での指示に問題がある可能性も全然あるとは思うが、全幅の信頼寄せるには補助輪でしかないと思う
コードは書かなくなったけど、そっち方面に詳しい人はまだまだ必要っぽいよね。
素人がシステム開発請け負ってclaudeに作らせてハマって作れない〜って駆け込んで来てるのを何度も見てるから言うけど ソフトウェアエンジニアリングができてる人だからこそすんなりAIで作れてるんだぞ
この感覚は全然わからない。僕よりタイプミスが少なく速くコーディングしてくれるけど、相変わらず設計はへたくそだし、問題を解けるサイズに小さくする努力はしないし、頭の悪い働き者って感じ。
エンジニアの真価はコードが書けることではなく、システムの全体像の「安全な」設計と実装ができることだろう。素人とプロの溝は依然として存在します。
上から下まで全部自分でやりたいっぽい雰囲気。楽しそう(過去形かも?) 「深く考え、それをコードに落とし込んで実装して、実際に動くものができる、というプロセスが大好きだった」
家内制手工業が問屋制家内工業から工場制手工業(マニファクチャリング)に移行していったように、牧歌的時代からSaaS時代を経て、AIという生産手段を使って問題の定義や価値の統合をする工場監督的な存在になりそう。
最近のClaudeなんか間違いを認めなくなって感情的負荷高くなってきた。人間みてえにすっとぼけやがる
2025年の年末に負けを認めた。そっからは設計や提供する側としてAIに開発を任せるのが楽しくなったけど、最近あきてきた。人によっては、それが楽しいって思える人もいるのだろうが、なんかやりたい事と違う感が
究極のコード至高のコードも好きだけど、コード書くのもだるいと思ってたから、そこまで感傷にならないんだよな。。シンプルに見える結果には出来なくなったけど、悩んでる本質は変わってないでそれを楽しんでる