寄稿させていただきました。書いてあるとおりに読み、伝えたいことだけ伝える。その精度や程度が全員に問われる世の中です。契約書類などはもちろん、ニュースを見る時も、知人や家族とLINEでやりとりする時もそう。
とはいえ政治とか行政の言説は特殊な言語共同体に帰属してない常識人が書いてある通りに読んでも通じてない場合はよくある。極端な例は史料など
ビクトル・ユゴーが本屋に「?」という手紙を書いた場合、読み手と受け手に共有可能な文脈があるんだけど、マスメディアやそれが個人に操作可能となったSNSで、文脈の共有設定は混乱を極めている…というお話かな
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の も
「山本由伸の名言(言ってない)で打線組んだ」でキャッキャしてた俺がバカみてーって言いてえのかおめーはよォ!(曲解)
この問題については書いてない発信者の意図を読めというダブルバインドじみたものが介在する。つまり書いてある通りに読んでもバカをみて裏を読んでも怒られる、つまりどっちに転んでもハズレなのだ。そして認知が歪
逆に「人は勝手に"誤読"する」前提のズルいテクニックの達人もいる気が。特に政治家、記者、インフルエンサー。何も進展が無さ気な交渉前に厳しめな空気を匂わすとか〉「社会は「正しく読む」前提でつくられている」
そんな世の中だからこそ、好きなように読み、好きなことだけ書ける場が必要なのです。つまり、それが「はてなブックマーク」です。
()のせいで誤読とか草。文章書くのむずすぎだろw
ついこの間までは言葉足らずで機を逸した玉木代表が話題だったが、今現在は高市首相わ非難しようとするあまりに余計なことしか言わない人々が注目を浴びているな
理解とは誤解の総体である
シャトル外交はWikipediaによると、敵対する二カ国を、第三国が中継する外交らしい。(ごめん意味わかんなすぎて5回くらい編集してる…)
「仲良くなった」をそう解釈するの、友達になるのに確認とかしそう。
「マルハラ」とかもね。内輪だけのやりとりで適用するならまだしも、自身の感覚ベースで勝手に相手の心情を読み解く文法にない解釈だから、公的な場所はもちろん一般的なコミュニケーションでも誤解の元になるだけ。
国の関係で「仲良くなった」と直接的に書かれることはほぼないのでは。起きた出来事の把握と個人的感想を分けるべきだって言うなら賛成だけど、主張として誤読と感想の区別が無いように見える点が微妙。
一行目まで読んで頭の中がお相撲さんでいっぱいになってしまった
「10月31日のヤフーニュース に掲載されていた、小野田大臣に対する記者の質問などがそうだ」これは単にこの質問をした記者が飛び抜けて頭悪かっただけでは・・・
それができれば、共通テストの現代文は、みんな満点取れると思うんだけど、せいぜい6割ぐらいだしなぁ
機能性非識字の問題を訴えているんだと思うが
グダグダ理由つけて、分からないのは俺のせいじゃないとか言ってる奴とは関わらないのが吉
契約はともかく、対話や声明や広告は書かれたり言われたりした通りに読んではならず、そもそも伝えたいことだけ書かないことを前提としている(特に定型発達者は)、と精神科医が知らないはずはないと思うんだが。
reading against the text
id: Palantir 本来のシャトル外交は「直接会話したらメンツが立たない敵対する二カ国を第三国が中継する外交」なんですが、日本のシャトル外交は「東京のトップと大阪のトップがお互い新幹線で行き来」くらいの感覚です
「Aが好きです」と言ったら、「ではBは好きではないのか」と噴き上がる人も世の中にいるので、なかなかにままならない。僕はたけのこが好きです。
“「シャトル外交」の活用” これは日韓シャトル外交のことなので、関係性悪くなると中断し、互いの必要性に応じて再開するもの
仲良くなったなんて誰も思ってないし読み取っていないのでは?勝手に問題を作ってその答えを出しても意味はないのでは?
「小野田紀美は国籍問題で強硬に蓮舫を批判した後で自身も二重国籍であることが発覚して恥をかいたビジネスエセ保守」という前提を共有できていないと、読めないよね。
「作者の言いたいことを答えよ」という問題文に対して「作者の気持ちなんか分かるわけねーし!!」と噴き上がるやつ
いいえ。/事実をねじ曲げて認識するのはアレだが、それ以前に何で今その話してるの?何がしたいの?までが長いと余計な思考が挟まって集中できぬのはある。
「書いてないことを読み取る能力が~」って言ってる時点でもう負け。書いてあることをそのまま理解するべきなのか、行間を読むべきなのかの識別が出来てないわけで、そんな人間はストレートに読むことも出来てない。
文系エリートのだらだら長い正しい文章より、理系の箇条書きのほうが読み易いし間違いがなくて良い。文系エリートは、文字の理解度は高いが、マジョリティが長い文章以外の情報で理解を深めることを理解できない。
日韓の記事の読み方は同意できるけど、米中は関係が改善傾向にあるくらいまでは読んでも良いんじゃないのかな。
外交関係だと、シャトル外交のように「定期的に会う関係を維持する」だけでも十分な成果なのよね。趣旨違いだけど、ニュース読むには知識も必要。https://www.nli-research.co.jp/topics_detail14/id=77593?site=nli#:~:text=関係をマネージ
「日本と韓国は仲良くなった」も「今の戦略環境(=近い将来東アジアで有事が起こる可能性)が背景にある」も、どちらも行間を勝手に埋めてることには変わりない。自分は後者の読み方するけど、ダメかなぁ?
派遣にソフトインストールのマニュアル(制作者は私ではない)を渡してやらせたらめちゃくちゃつまずいててそんなに難しかったかとマニュアル見たら手順のスクショ画像しか見てなかった。見たいものしか見ない例。
文章が長い
何のために生きてますか? 誰のために生きれますか?
ケンブリッジのおんげき文章見るたびに帝国華撃団を想起するようになってしまった / そもそも仲良くなったかなんて一会談の結果で測れるもんじゃないだろ。わかるのはせいぜい仲良くしようとしてるのかどうか。で、そ
誤読を誘うとまでは言わんが、"角度を付ける"記事で読者を誘導してきたのが、今までの新聞社はじめとしたマスコミのやり方だったのもまた事実。
そもそも国と国が仲良くなるってなんなん。俺は比喩表現やと思ってるけどどうも人によって認識が違う。お互いを重視しましょうのことを仲良しって言ってんやないの?
"日本語において「シャトル外交」という言葉は、本項の意味とは異なり「二国間の首脳同士の相互の往来」の意味でも使用される" こっちのイメージだった
https://www.viainfo.net/wp-content/uploads/formidable/40/Regulatory-Compliance-Barrier.pdf
とはいえ「回答はなかった」などの記述は、ほ〜ん?と思ってしまう
マスコミ悪玉論がブコメにあるけれど、それを指弾してきたネットこそ今や印象操作と牽強付会のオンパレードになっているじゃないですか
記者の小野田大臣への質問は、国籍取得と国旗の関係についての質問だったんだと思うんだよね。星条旗に対する「忠誠の誓い」みたいな。小野田大臣はハーフの方と関連付けたから脈絡が無くなったけど。まぁこれも妄想
字句通りに読んで得る情報、発信者の意図を読み取る推測。しばしば後者を読み取るセンスが高く評価されがちだけど、今の時代は両者を区別できるリテラシーのが遥かに重要だと思う。
"いつにも増して" なかなか味わい深い
もちろん、行間を読まなきゃいけないこともあるけど、その場合でも「書いてあること」と「行間から読み取ったこと」を分けるべきだし、まずは「書いてあること」をちゃんと読めってことでしょ。
SNSの例は笑顔ニコの「一狩り行ってらっしゃい!」を思い出した。(MHWsでの「一狩り行こうぜ!」への返答で、表面的には明るい挨拶として使っているが、暗に「オレは行かないけど」という意味で言ってる)
書かずに扇動し伝えたい事は取り巻きに喧伝させるのが政治力というもの
だからこそちゃんと読める人間が正しく発信したり訂正することに意味があるのだけども
仲良くなったと書いてある!と言えば変だが、円満な会談に「昔に比べて日韓関係良くなったね」という意味で「仲良くなった」と感想を言うのは変じゃない。例に納得感がなく"伝えたいことだけ書けて"ないように感じる
文章を読む力も書く力も減っていくばかりなので、私の見ていないところでもみんな仲良くしていて欲しい
人間は否定的なことについては反論したくなるので、「乗れなかった」には反論や想像が必ず出てくる。なのでSNSには中途半端な否定系をわざわざ書く必要は無い。そのインフルエンサーはわかってない。
文章ならともかく、会話なら文字通りに受け取って良い場面はほとんどない
不勉強でメンションってなに? と不思議に思ってしまった。言及するなのか、ポストすることなのか、ほかの語彙なのか。
読みたいように読む人はこの文章も「説教されている」など勝手に解釈して素直に受け取らないと思う。
雑に発言して緩く繋がりたいのが求めているSNSなのに、自分に都合のよい読み方をして変に絡んでくる人がいるのが実際のSNS
「書いていない」を「書いてない」と表記するような記事はまともに読む価値がない、のように、細部の表現やワードの選択など広義の「書いてある」ことから得られる情報は多様。どう読むべきかは状況に強く依存する。
むしろ日本人は行間を読みまくって……
しかし政治家の発言ほどそのまま読むことに適してない文章は無い
国語の試験ではそれが正解にせよ、政治の世界にそのまま持ち込むと、伏せたい背景や意図がある政治家にとって不当に有利になる気がする
自分は2ちゃんで少しマシになれたよ
書いてあることと、書いてないことの区別は確かに大事。でもそれで終わってたら単なるASD。人間同士のコミュニケーションは、書いたとおりにしか動かないプログラミング言語じゃない。
過不足のない文章を書く前提として、読者をどう想定するか?という点があって、この判断が難しい
国語の教育の大切さなー…
大切なのは行間を読むべき場面と、読んではいけない場面の判別なんだと思う。
“ご質問の内容と私がハーフで混血であることの何の関係があるのか私にはよくわからない” 本当は関連付けしようとしてるコンテキストは分かっているはずだけどね。関係ないって判断できる冷静さは持ちたい
生きてると行間(空気)を読まないといけないことはままある。行間を読むべきものとそうでないものがあるから現代文も小説と評論で分かれているんだと思っている。とはいえ小説も書いてあること以上の答えはないんだが
行間読むって「書いてないことを読み取る」んじゃないんだよ
伝えたいことを書かない(書けない)人もいるしね
ハイコンテクスト文化では行間を読まなければならず、ローコンテクスト文化ではその反対。つまり要約から何を読み取るかは文脈次第であり、正しく読み取ろうとする姿勢は肯定される
“SNSなどを眺めていると、「書いてないことを、書いてないこととして読む」ができていない人がものすごく多いことに気付く。”
みんな熟読しないんだよね、1文ずつ丁寧に主語述語等に分解して読んだりしない。
書いてあるとおりに読めていますか? 伝えたいことだけ書けていますか?
寄稿させていただきました。書いてあるとおりに読み、伝えたいことだけ伝える。その精度や程度が全員に問われる世の中です。契約書類などはもちろん、ニュースを見る時も、知人や家族とLINEでやりとりする時もそう。
とはいえ政治とか行政の言説は特殊な言語共同体に帰属してない常識人が書いてある通りに読んでも通じてない場合はよくある。極端な例は史料など
ビクトル・ユゴーが本屋に「?」という手紙を書いた場合、読み手と受け手に共有可能な文脈があるんだけど、マスメディアやそれが個人に操作可能となったSNSで、文脈の共有設定は混乱を極めている…というお話かな
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の も
「山本由伸の名言(言ってない)で打線組んだ」でキャッキャしてた俺がバカみてーって言いてえのかおめーはよォ!(曲解)
この問題については書いてない発信者の意図を読めというダブルバインドじみたものが介在する。つまり書いてある通りに読んでもバカをみて裏を読んでも怒られる、つまりどっちに転んでもハズレなのだ。そして認知が歪
逆に「人は勝手に"誤読"する」前提のズルいテクニックの達人もいる気が。特に政治家、記者、インフルエンサー。何も進展が無さ気な交渉前に厳しめな空気を匂わすとか〉「社会は「正しく読む」前提でつくられている」
そんな世の中だからこそ、好きなように読み、好きなことだけ書ける場が必要なのです。つまり、それが「はてなブックマーク」です。
()のせいで誤読とか草。文章書くのむずすぎだろw
ついこの間までは言葉足らずで機を逸した玉木代表が話題だったが、今現在は高市首相わ非難しようとするあまりに余計なことしか言わない人々が注目を浴びているな
理解とは誤解の総体である
シャトル外交はWikipediaによると、敵対する二カ国を、第三国が中継する外交らしい。(ごめん意味わかんなすぎて5回くらい編集してる…)
「仲良くなった」をそう解釈するの、友達になるのに確認とかしそう。
「マルハラ」とかもね。内輪だけのやりとりで適用するならまだしも、自身の感覚ベースで勝手に相手の心情を読み解く文法にない解釈だから、公的な場所はもちろん一般的なコミュニケーションでも誤解の元になるだけ。
国の関係で「仲良くなった」と直接的に書かれることはほぼないのでは。起きた出来事の把握と個人的感想を分けるべきだって言うなら賛成だけど、主張として誤読と感想の区別が無いように見える点が微妙。
一行目まで読んで頭の中がお相撲さんでいっぱいになってしまった
「10月31日のヤフーニュース に掲載されていた、小野田大臣に対する記者の質問などがそうだ」これは単にこの質問をした記者が飛び抜けて頭悪かっただけでは・・・
それができれば、共通テストの現代文は、みんな満点取れると思うんだけど、せいぜい6割ぐらいだしなぁ
機能性非識字の問題を訴えているんだと思うが
グダグダ理由つけて、分からないのは俺のせいじゃないとか言ってる奴とは関わらないのが吉
契約はともかく、対話や声明や広告は書かれたり言われたりした通りに読んではならず、そもそも伝えたいことだけ書かないことを前提としている(特に定型発達者は)、と精神科医が知らないはずはないと思うんだが。
reading against the text
id: Palantir 本来のシャトル外交は「直接会話したらメンツが立たない敵対する二カ国を第三国が中継する外交」なんですが、日本のシャトル外交は「東京のトップと大阪のトップがお互い新幹線で行き来」くらいの感覚です
「Aが好きです」と言ったら、「ではBは好きではないのか」と噴き上がる人も世の中にいるので、なかなかにままならない。僕はたけのこが好きです。
“「シャトル外交」の活用” これは日韓シャトル外交のことなので、関係性悪くなると中断し、互いの必要性に応じて再開するもの
仲良くなったなんて誰も思ってないし読み取っていないのでは?勝手に問題を作ってその答えを出しても意味はないのでは?
「小野田紀美は国籍問題で強硬に蓮舫を批判した後で自身も二重国籍であることが発覚して恥をかいたビジネスエセ保守」という前提を共有できていないと、読めないよね。
「作者の言いたいことを答えよ」という問題文に対して「作者の気持ちなんか分かるわけねーし!!」と噴き上がるやつ
いいえ。/事実をねじ曲げて認識するのはアレだが、それ以前に何で今その話してるの?何がしたいの?までが長いと余計な思考が挟まって集中できぬのはある。
「書いてないことを読み取る能力が~」って言ってる時点でもう負け。書いてあることをそのまま理解するべきなのか、行間を読むべきなのかの識別が出来てないわけで、そんな人間はストレートに読むことも出来てない。
文系エリートのだらだら長い正しい文章より、理系の箇条書きのほうが読み易いし間違いがなくて良い。文系エリートは、文字の理解度は高いが、マジョリティが長い文章以外の情報で理解を深めることを理解できない。
日韓の記事の読み方は同意できるけど、米中は関係が改善傾向にあるくらいまでは読んでも良いんじゃないのかな。
外交関係だと、シャトル外交のように「定期的に会う関係を維持する」だけでも十分な成果なのよね。趣旨違いだけど、ニュース読むには知識も必要。https://www.nli-research.co.jp/topics_detail14/id=77593?site=nli#:~:text=関係をマネージ
「日本と韓国は仲良くなった」も「今の戦略環境(=近い将来東アジアで有事が起こる可能性)が背景にある」も、どちらも行間を勝手に埋めてることには変わりない。自分は後者の読み方するけど、ダメかなぁ?
派遣にソフトインストールのマニュアル(制作者は私ではない)を渡してやらせたらめちゃくちゃつまずいててそんなに難しかったかとマニュアル見たら手順のスクショ画像しか見てなかった。見たいものしか見ない例。
文章が長い
何のために生きてますか? 誰のために生きれますか?
ケンブリッジのおんげき文章見るたびに帝国華撃団を想起するようになってしまった / そもそも仲良くなったかなんて一会談の結果で測れるもんじゃないだろ。わかるのはせいぜい仲良くしようとしてるのかどうか。で、そ
誤読を誘うとまでは言わんが、"角度を付ける"記事で読者を誘導してきたのが、今までの新聞社はじめとしたマスコミのやり方だったのもまた事実。
そもそも国と国が仲良くなるってなんなん。俺は比喩表現やと思ってるけどどうも人によって認識が違う。お互いを重視しましょうのことを仲良しって言ってんやないの?
"日本語において「シャトル外交」という言葉は、本項の意味とは異なり「二国間の首脳同士の相互の往来」の意味でも使用される" こっちのイメージだった
https://www.viainfo.net/wp-content/uploads/formidable/40/Regulatory-Compliance-Barrier.pdf
とはいえ「回答はなかった」などの記述は、ほ〜ん?と思ってしまう
マスコミ悪玉論がブコメにあるけれど、それを指弾してきたネットこそ今や印象操作と牽強付会のオンパレードになっているじゃないですか
記者の小野田大臣への質問は、国籍取得と国旗の関係についての質問だったんだと思うんだよね。星条旗に対する「忠誠の誓い」みたいな。小野田大臣はハーフの方と関連付けたから脈絡が無くなったけど。まぁこれも妄想
字句通りに読んで得る情報、発信者の意図を読み取る推測。しばしば後者を読み取るセンスが高く評価されがちだけど、今の時代は両者を区別できるリテラシーのが遥かに重要だと思う。
"いつにも増して" なかなか味わい深い
もちろん、行間を読まなきゃいけないこともあるけど、その場合でも「書いてあること」と「行間から読み取ったこと」を分けるべきだし、まずは「書いてあること」をちゃんと読めってことでしょ。
SNSの例は笑顔ニコの「一狩り行ってらっしゃい!」を思い出した。(MHWsでの「一狩り行こうぜ!」への返答で、表面的には明るい挨拶として使っているが、暗に「オレは行かないけど」という意味で言ってる)
書かずに扇動し伝えたい事は取り巻きに喧伝させるのが政治力というもの
だからこそちゃんと読める人間が正しく発信したり訂正することに意味があるのだけども
仲良くなったと書いてある!と言えば変だが、円満な会談に「昔に比べて日韓関係良くなったね」という意味で「仲良くなった」と感想を言うのは変じゃない。例に納得感がなく"伝えたいことだけ書けて"ないように感じる
文章を読む力も書く力も減っていくばかりなので、私の見ていないところでもみんな仲良くしていて欲しい
人間は否定的なことについては反論したくなるので、「乗れなかった」には反論や想像が必ず出てくる。なのでSNSには中途半端な否定系をわざわざ書く必要は無い。そのインフルエンサーはわかってない。
文章ならともかく、会話なら文字通りに受け取って良い場面はほとんどない
不勉強でメンションってなに? と不思議に思ってしまった。言及するなのか、ポストすることなのか、ほかの語彙なのか。
読みたいように読む人はこの文章も「説教されている」など勝手に解釈して素直に受け取らないと思う。
雑に発言して緩く繋がりたいのが求めているSNSなのに、自分に都合のよい読み方をして変に絡んでくる人がいるのが実際のSNS
「書いていない」を「書いてない」と表記するような記事はまともに読む価値がない、のように、細部の表現やワードの選択など広義の「書いてある」ことから得られる情報は多様。どう読むべきかは状況に強く依存する。
むしろ日本人は行間を読みまくって……
しかし政治家の発言ほどそのまま読むことに適してない文章は無い
国語の試験ではそれが正解にせよ、政治の世界にそのまま持ち込むと、伏せたい背景や意図がある政治家にとって不当に有利になる気がする
自分は2ちゃんで少しマシになれたよ
書いてあることと、書いてないことの区別は確かに大事。でもそれで終わってたら単なるASD。人間同士のコミュニケーションは、書いたとおりにしか動かないプログラミング言語じゃない。
過不足のない文章を書く前提として、読者をどう想定するか?という点があって、この判断が難しい
国語の教育の大切さなー…
大切なのは行間を読むべき場面と、読んではいけない場面の判別なんだと思う。
“ご質問の内容と私がハーフで混血であることの何の関係があるのか私にはよくわからない” 本当は関連付けしようとしてるコンテキストは分かっているはずだけどね。関係ないって判断できる冷静さは持ちたい
生きてると行間(空気)を読まないといけないことはままある。行間を読むべきものとそうでないものがあるから現代文も小説と評論で分かれているんだと思っている。とはいえ小説も書いてあること以上の答えはないんだが
行間読むって「書いてないことを読み取る」んじゃないんだよ
伝えたいことを書かない(書けない)人もいるしね
ハイコンテクスト文化では行間を読まなければならず、ローコンテクスト文化ではその反対。つまり要約から何を読み取るかは文脈次第であり、正しく読み取ろうとする姿勢は肯定される
“SNSなどを眺めていると、「書いてないことを、書いてないこととして読む」ができていない人がものすごく多いことに気付く。”
みんな熟読しないんだよね、1文ずつ丁寧に主語述語等に分解して読んだりしない。