AIの普及だろうか
この文章もAIに読んでもらうほうがいい時代。Happy Hacking KeyBoard もそのうち不要になるんだろう。
“私事だが,まだプログラム書き,プログラムハックを楽しんでいる.与えられたプログラミング言語の機能を組み合わせ,思った通りに結果が出る瞬間が好きだからで,計算機科学者かどうかは関係ない” 和田英一先生
一貫して「プログラマー」の多くとCS出身者って被ってなかったと思うし、その上でそれなりに相互の尊敬があってここまできたんじゃないかね。言語やツールチェーン作ってる人達は今でもCSの民が多いし。
「袖珍」は見慣れないので検索すると「しゅうちん」
タイトルは「釣りタイトル」だけど、内容はとてもよかったです。
理学部の人が書くプログラムマジやべぇ(悪い意味で)ってことも往々にしてあったようだし、当該分野の人がプログラムを書くってのは昔からなんでは的な感じなくないですか 知らんけど
袖珍。プログラミングには、動くものを作ったり、動く仕組みを調べたりするプリミティブな喜びがあると思う。
最後の一文かっこいい
何をばかなことを。NVIDIAごときなど計算機科学者集団ではないとでも言われるつもりか。ただ政治的に日本が計算機科学の実務を担うのがまずかっただけのことだ。日本人ではいけなかったのだ。それだけだ。
過去のCSが積み上げた知識は永遠に高い需要があるが、アカデミックとしてのCSは停滞しているし学者の需要は終焉しつつあるよね、ということかと
ブコメ達HHKB作った人をそんな言わんでも
和田英一先生のエッセイ。> 与えられたプログラミング言語の機能を組み合わせ,思った通りに結果が出る瞬間が好きだからで,計算機科学者かどうかは関係ない.
読んだ。IIJらしい素朴なコンピューター・ハッカー感覚があって、良いなぁと思いつつも、寂しさもある。素朴なコンピューターがなくなったのは残念だよねえ
和田先生にお会いしたのは35年前か。Appleの同好会か何かで、都内の一室だった。当時HHKを発案したとして、いろいろお話を伺ったかな。お元気そうでなにより…
「袖珍」←「しゅうちん」と読む。袖の中に入るものという意味らしい//「外部から侵入されない⋯」←まだまだ課題あるんだから、終焉しないで
狭義の計算機科学は基礎理論だからやってる人は少ないだろうねえ。たぶん計算機の研究と産業の99.99%以上は計算機応用だろうね。理論物理学とかと同じかな
“与えられたプログラミング言語の機能を組み合わせ,思った通りに結果が出る瞬間が好きだから”
"ネットワーク屋は規格提案書RFCを読み込み,「王様がいない,投票をしない」IETFで討論し,プロトコルを実装して有用性を調べ,快適なネットワークを張り巡らせた."世界を繋ぎ尽くすインタァネット巫女だ
『計算機プログラムの構造と解釈』『The Art of Programming(邦訳)』でお世話になりました。終焉にはちょっと早い気がしますががが。
計算機科学という枠組みの中では、次の50年に前の50年ほどの進歩はない=ほぼ成就された。という話でしょう。0->1にするところは達成され、1->100にするのは個別に分化した学問が担うこと
昔は人間が手を使ってスピンドルでスレッドをスピンしてたのに今は機械が全部やる機械屋はどう思ってるのか、みたいな話。(手で紡錘を使って糸を紡いでいたのに、、、)
原始的な技術が発展し世の中を変えてしまった話しの、その変わって行くまでのグラデーションにゾクゾクする。
学会のnoteで釣りタイトルやりはじめたら終わりだよ
たぶん「計算機」という訳語のせいじゃないかな。この分野はまだまだ終わらないと思う。 / ただ、カタカナ語ではない訳語はつくるべきだと思うんだよね。
日本では、計算機科学(CS)が実務へのキャリアパスとして選択されなかった。かわりに多様な人材が業界へ。国際競争力は低下。
素人目には計算機科学者がやってるのは数学で、計算機好きがやりたいのは機械いじりで、AI開発がやってるのは農業に見える。「計算機」の向こうに見える何かの終わりをこの人が見たとして、それが全てか?という感じ
数学に立ち返りそう
和田先生は94歳 この年齢までプログラミングできたらいいなぁ
50年前には想像できなかった便利な生活環境を実現させた.その推進力が計算機科学だったことを世の中は知らないだろうが,元計算機科学者の諸氏は失業に落胆せず,成就したことを大いに自慢してよい
id:UhoNiceGuy 日本初の英和辞典の名前が堀達之助による「英和対訳袖珍辞書(A Pocket Dictionary of the English and Japanese Language)」(最後複数形になってないのはミス)
計算機科学が知識のベースとしてあるとITエンジニアの実務でもいろいろ違うんだけどなぁ P is not NPに結論を出すまでは終わらんのではないか
こんな老害じみた文が載るようではたしかに終わりなんでしょう
CSって00年代までの研究を00年代に実装終わって、その後は専科してとっくに失われてたイメージ。理論をリソース制約の元ソフトウェア抽象し続けてた感で主はソフトウェア。量子計算理ぐらいしか新しいイメージない
『元計算機科学者の諸氏は失業に落胆せず,成就したことを大いに自慢してよい』これと同じことがニューラルネット/deeplearning/LLMやってた人たちで起こる。
94歳であれば計算機科学の黎明から終焉まで見届けたということになるのかな
ひぃぃぃぃぃ。和田先生のこのお言葉。偉大すぎる。
暗算の達人も漢字に通じた能筆家も博覧強記な人も、今も昔も十分魅力的だけどね
計算機科学の終焉|情報処理学会・学会誌「情報処理」
AIの普及だろうか
この文章もAIに読んでもらうほうがいい時代。Happy Hacking KeyBoard もそのうち不要になるんだろう。
“私事だが,まだプログラム書き,プログラムハックを楽しんでいる.与えられたプログラミング言語の機能を組み合わせ,思った通りに結果が出る瞬間が好きだからで,計算機科学者かどうかは関係ない” 和田英一先生
一貫して「プログラマー」の多くとCS出身者って被ってなかったと思うし、その上でそれなりに相互の尊敬があってここまできたんじゃないかね。言語やツールチェーン作ってる人達は今でもCSの民が多いし。
「袖珍」は見慣れないので検索すると「しゅうちん」
タイトルは「釣りタイトル」だけど、内容はとてもよかったです。
理学部の人が書くプログラムマジやべぇ(悪い意味で)ってことも往々にしてあったようだし、当該分野の人がプログラムを書くってのは昔からなんでは的な感じなくないですか 知らんけど
袖珍。プログラミングには、動くものを作ったり、動く仕組みを調べたりするプリミティブな喜びがあると思う。
最後の一文かっこいい
何をばかなことを。NVIDIAごときなど計算機科学者集団ではないとでも言われるつもりか。ただ政治的に日本が計算機科学の実務を担うのがまずかっただけのことだ。日本人ではいけなかったのだ。それだけだ。
過去のCSが積み上げた知識は永遠に高い需要があるが、アカデミックとしてのCSは停滞しているし学者の需要は終焉しつつあるよね、ということかと
ブコメ達HHKB作った人をそんな言わんでも
和田英一先生のエッセイ。> 与えられたプログラミング言語の機能を組み合わせ,思った通りに結果が出る瞬間が好きだからで,計算機科学者かどうかは関係ない.
読んだ。IIJらしい素朴なコンピューター・ハッカー感覚があって、良いなぁと思いつつも、寂しさもある。素朴なコンピューターがなくなったのは残念だよねえ
和田先生にお会いしたのは35年前か。Appleの同好会か何かで、都内の一室だった。当時HHKを発案したとして、いろいろお話を伺ったかな。お元気そうでなにより…
「袖珍」←「しゅうちん」と読む。袖の中に入るものという意味らしい//「外部から侵入されない⋯」←まだまだ課題あるんだから、終焉しないで
狭義の計算機科学は基礎理論だからやってる人は少ないだろうねえ。たぶん計算機の研究と産業の99.99%以上は計算機応用だろうね。理論物理学とかと同じかな
“与えられたプログラミング言語の機能を組み合わせ,思った通りに結果が出る瞬間が好きだから”
"ネットワーク屋は規格提案書RFCを読み込み,「王様がいない,投票をしない」IETFで討論し,プロトコルを実装して有用性を調べ,快適なネットワークを張り巡らせた."世界を繋ぎ尽くすインタァネット巫女だ
『計算機プログラムの構造と解釈』『The Art of Programming(邦訳)』でお世話になりました。終焉にはちょっと早い気がしますががが。
計算機科学という枠組みの中では、次の50年に前の50年ほどの進歩はない=ほぼ成就された。という話でしょう。0->1にするところは達成され、1->100にするのは個別に分化した学問が担うこと
昔は人間が手を使ってスピンドルでスレッドをスピンしてたのに今は機械が全部やる機械屋はどう思ってるのか、みたいな話。(手で紡錘を使って糸を紡いでいたのに、、、)
原始的な技術が発展し世の中を変えてしまった話しの、その変わって行くまでのグラデーションにゾクゾクする。
学会のnoteで釣りタイトルやりはじめたら終わりだよ
たぶん「計算機」という訳語のせいじゃないかな。この分野はまだまだ終わらないと思う。 / ただ、カタカナ語ではない訳語はつくるべきだと思うんだよね。
日本では、計算機科学(CS)が実務へのキャリアパスとして選択されなかった。かわりに多様な人材が業界へ。国際競争力は低下。
素人目には計算機科学者がやってるのは数学で、計算機好きがやりたいのは機械いじりで、AI開発がやってるのは農業に見える。「計算機」の向こうに見える何かの終わりをこの人が見たとして、それが全てか?という感じ
数学に立ち返りそう
和田先生は94歳 この年齢までプログラミングできたらいいなぁ
50年前には想像できなかった便利な生活環境を実現させた.その推進力が計算機科学だったことを世の中は知らないだろうが,元計算機科学者の諸氏は失業に落胆せず,成就したことを大いに自慢してよい
id:UhoNiceGuy 日本初の英和辞典の名前が堀達之助による「英和対訳袖珍辞書(A Pocket Dictionary of the English and Japanese Language)」(最後複数形になってないのはミス)
計算機科学が知識のベースとしてあるとITエンジニアの実務でもいろいろ違うんだけどなぁ P is not NPに結論を出すまでは終わらんのではないか
こんな老害じみた文が載るようではたしかに終わりなんでしょう
CSって00年代までの研究を00年代に実装終わって、その後は専科してとっくに失われてたイメージ。理論をリソース制約の元ソフトウェア抽象し続けてた感で主はソフトウェア。量子計算理ぐらいしか新しいイメージない
『元計算機科学者の諸氏は失業に落胆せず,成就したことを大いに自慢してよい』これと同じことがニューラルネット/deeplearning/LLMやってた人たちで起こる。
94歳であれば計算機科学の黎明から終焉まで見届けたということになるのかな
ひぃぃぃぃぃ。和田先生のこのお言葉。偉大すぎる。
暗算の達人も漢字に通じた能筆家も博覧強記な人も、今も昔も十分魅力的だけどね