"AI楽観派の前提は「設計と実装は分離できる」。AI慎重派の前提は「設計と実装は不可分」。この一点が、AI時代の開発を分ける境界線" とてもよくわかる。(なお私は、設計と実装は不可分だと考えています)
コストの問題があるなら別だけど、同時進行で構わないと思う。少なくとも慎重派もAI導入を頭から否定しているわけではないし。どちらか選ばないといけないとする方がミスリードなのでは?
AIみたいな「雰囲気」で書いたようなコードを見かけたら、雰囲気で書くな、ちゃんと理解して書け、ってなるんだけど、ビジネスとしては雰囲気だけで最後までいけるんちゃう?というのも同時に成立するからな
“AI楽観派の前提は、「設計と実装は分離できる」。 AI慎重派の前提は、「設計と実装は不可分」。 この一点が、AI時代の開発を分ける境界線だ”
AI にめんどくさいところ作ってもらったりよくしてるけど反対派は雑なプロンプトで返ってきたのをそのまま使う系への批判だと思うし、これはより上位の意思決定がちゃんとしてるか否かで。
コードを書くことで理解が深まりブラッシュアップされていくので、コードを書く以外の手段でそれができるようにならないといけないのムズい
「今のLLMは責任を取れない」が全てだと思ってる。コーディングはあくまで実装の手段であり、責任を取るための設計や建て付けは以前人間に委ねられているし、責任を取りやすいコードや手法が好まれる
言葉に限界があるので、細部にこだわる場合は無理。ただしクオリティの高いものはできる、と思っている。目の前の風景を100%細部まで言葉で表現するのは無理だけど、綺麗な描写で人を感動させることはできる。
100%は一つでもミスがあると100%じゃないのに、100%という奴が多過ぎる問題が悪いと思う。「大半のことはAIで出来る」は正しいけど「AIに任せれば良い」は死ねって思う
AIに仕事を奪われることの楽観/慎重ではなくて、AIに仕事を任せられるかの楽観/慎重という意味か。イラスト描きとかの議論に比べるとどっちも楽観なの面白い。
規模がでかくなればなるほどほんの些細な修正が全体に大きい影響を及ぼすことになることは現場で働いてきた人ほど実感してるからでない?
だから、誰がそのプログラムの責任を負うの?趣味とか“動けばいい”程度ならともかく、“仕事”なら「AIが出力したので知りません」じゃ済まないでしょ。
ヒューリスティック(発見的手法)は最近のディープニューラルネットワーク流行よりも古くからある。初心者ならともかく、プロの経験者がその類の手法を手札に持って扱えてないのはどうかと思う。AIに限らず。
設計と品質チェックのプロセスがしっかりしていれば実装はAI任せでもいいと思うんだけど、AIお任せ派はこの辺りのコストを負担できていないように見える(ので負担している人から嫌われる)
でくのぼうみたいな安い外注に出すのとAIにやらせるのとの勝負の話しでしょ。君たちのような少数の優れたエンジニアに勝つまではまだ数年はあるよ
作ったことないものをバイブコーディングは無理だと思う。作ったことあって移植とか別言語で書き直しとかの時はめっちゃ楽。でもドキュメント書いてから作らせるので設計責務はこちらという印象
世界中でとっくに結論が出ている。目的がデモやプロトタイプであれば、設計はいらないので動くものが早く作れるバイブが良い。プロダクト開発では設計が必要不可欠なのでバイブはダメ。ツールとしてAIを使うのはOK。
イベントでちょこっと作る程度のサイズだからじゃないの?真にサクサクだったら誰も苦労してないわ\(^o^)/
全てAIが仕様を書いてそれを元に設計やDBのドキュメントを書いて、その設計を元にテストを書いて、テストが通るように実装を書くけど、各工程で人間がレビューするもバイブコーティングに含めるならいけると言える。
去年なら需要のあった記事かも。もうずいぶん進んでるんでそこまで追いついてから体験すればよかったのに...
慎重派を否定するつもりはないけど、AIの知識量がもはやヒトの比ではないことを考慮すると、AIと生成コードをマイクロマネジメントすると自分の能力がAIの性能を制限することにしかならないというのが私の現在の結論。
ハイプサイクル幻滅期の議論は興味深い。プロトタイプが動くのは同意(ホント凄いと思う)ただ改修とか運用を続けるとな…設計が大事な事に戻る(愚者は経験から学ぶを味わってるお…)
書き続けられないんだよ。それだけ。人間でもここに技能の大きなギャップがあるから、単に難しいんだと思う。
設計と実装は不可分派なので俺も慎重派に分類されるかな
適当なアウトプットは出来るが細かなメンテ含めた運用ってAIではむずくね?
考えがちなのは「後々の保守性・メンテナンス性」なんだけど、このままさらにAIコーディングの質と速さが上がっていくと、「仕様が変わる、機能が追加されるなら、その新仕様でまたフルで吐き出せばいい」になる?
古の昔からコード自動生成は「完璧な仕様を記述すれば完璧なコードが生成できる!」ものだった。バイブコーディングは「ふわっとした仕様でもそれなりなコードが期待できる!」とちょっとふわっとした。実にバイブ。
「AIだけで十分」が「レビューも不要」の意味なんだとしたらそれは無いとしか(´・ω・`) 設計も実装も人が把握できてない状態を良しとするのは無責任。で、仕事内容がレビューだけになるとモチベーションが…(´・ω・`)
仕事を請けるのに使わず、道具として売ってる時点でまぁ…。
"AI楽観派の前提は「設計と実装は分離できる」。AI慎重派の前提は「設計と実装は不可分」。この一点が、AI時代の開発を分ける境界線" んなことないと思うけどな。The End of Programming as We Know It派もいると思う。
なるほどそんな感じか。確かに俺も書きながら考えるタイプなので慎重派の言いたいことはわかるかなあ。
議論にまるで関係のない現象学と構造主義っぽい何かをあたりが生成AI臭さを醸し出しているが、それはそれとして実装だけに焦点を当ててもコードベースの規模が大きくなると対応できないんだから、技術論でしかない
設計が実装による制約を受ける場合があり、その場合いかに詳細に設計をやったとしてもAIに任せきるのはキツい。文字通りより一層の抽象化が必要になるのだが、その抽象化を任せられないんだな……
この記事で言うAI楽観派が正しいとすればSIerの古き良きV字モデルと多重下請け構造が成立するはずですよね
自動運転車に乗せられるドライバーみたいなもん。いつバグってハンドル渡されるかドキドキしながら座席に座ってる。責任は取らされるけどAIが運転してるから給料はディスカウントされる🤔営業とAIだけで全部やってみ
“AIは動作するものが作れたが、その後、意見が真っ二つに分かれた。「もうAIで十分(設計書があればAIが実装を再現できる)」「AIだけではダメだ(設計=なぜ動作するかを再構築、は模倣しかしないAIには不可能)」”
「3Dプリンタで販売可能な製品を低コストで作れますか?」みたいな問いだと思う。ニッチな分野は合うけど、既存の製品みたいな品質を求めるなら無理、みたいな
“要件をAIに渡し、設計からコーディング”要件渡せるなら、そりゃ動く。があればとか渡せる前提はなにかは、ご指摘の通り。
この記事自体、AIを積極的に取り入れたコーディングとバイブコーティングをごちゃ混ぜにしてるからそりゃ噛み合わないよな感ある
”慎重派"って書き方からして書き手が"慎重派"に対してちょっとネガティブな意味を込めてるようにもみえる
https://ecd.sumnercountytn.gov/wp-content/uploads/formidable/4/kiwieu.pdf
バイブコーディングはとても有能。ただバイブスではやれない。かなり入力、出力、修正箇所を細かく指定する必要がある。それから、エージェントの把握してる文脈より上の文脈からヒントを出してやる必要がある。
動いてはいるが色々問題があって直したいがどうしてこうなっているか分からないから直しようがないというのが技術的負債の原因で、AIが書いたものはまさにそれなのでそういうところではないか。
ああ、よく整理された記事だ。最近のモヤモヤが少し解けた
当たり前だろ。黎明期だし、それぞれインプットされてる質や量もバラバラ。今答えを出す必要もないし今必要という判断ならそれは馬鹿がやること。
慎重派の人って、コンパイラが出力するバイトコードの中身をチェックしてるの?それとも自分でアセンブリを書いてるの?AIの出力品質が上がるにつれて遷移するでしょう。「歴史は繰り返す」でしかない。。。
↓コンパイラが吐き出すものはコードに対して決定的に決まるので問題ない。今のAIは確率的に出力してるので原理的に異なる。出力の品質はどれだけ上がるか誰にも分からないので実際に上がったときに議論すればいい。
そもそもプロンプトよりもプロンプトから機械的に生成できるコードの方が桁違いに分量が大きくなる現状の方がおかしい。そうだからこそ人工無脳で生成できる。解説より式の方が何桁倍も長くなる定理がどこにある。
SIerとギークが設計と実装の分離について噛み合わないような感じ
コピペグラマーがバイブコーディングに変わっただけ
一番賢いとされるモデルでも支持を無視してて違うもの作ったり既存の仕様を一切リスペクトせず破壊したりするので、手放しにバイブ!!って言って輩は一体どんなモデル使ってるんだ?と思う
保守メンテせずに納品して終わりの仕事ならAIでもいいけど、拡張性を考えていくなら人間のSEが設計しないといけない
バイブス?ボクにはカリカリの方が大事にゃ!議論よりお昼寝しようにゃ~!
(;´Д`)ノθ゙゙ ヴイィィィィン
“設計書があれば、あとはAIが書ける。” 失われた30年間、日本のIT業界がずっとやってきたことだよな
責任の所在が明らかなら好きにすれば良いのでは?リコール出て首吊る人がいたりする中すごく無責任だなとは思うけど。
そこだけ見たら噛み合ってなくてもマネジメント側が全体として噛み合わせればよいという感じはある。人も道具も適材適所。
Kiroを使おう
今のAI慎重派は業務で使おうとしてみたけど成果物の品質等がだめで使えなかった人達が占めてるんじゃね
ここで書かれてる「AI楽観派」って、UIのモックを見せたら「もうできてるじゃん!」て言うような人たちでしょ
慎重派に近い立場だけど、これでSIerやV字モデル批判に繋げる人は大丈夫?曲がりなりにもこの国根幹を維持するシステムは未だにSIerとV字モデルですよ?
ChatGPTにだいたいを任せてアプリを作って公開した https://qiita.com/99nyorituryo/items/5195caa8b226e6b4bae0
AI以前からプログラマの在り方がゲームを作る側とゲームを遊ぶ側くらいの断絶はあると思ってるのでその発露ではと
"結果が同じであれば再現できている"を保証するのはほぼ不可能。例外、いじわる操作を含めたすべてのテストを定義するのは無理なので、他の実装が変わらない前提でないと不具合修正なんて出来るわけがない
V字モデルで言うと、上流工程(事業やプロダクトの思想や設計)はできないor補助止まりなものの、実装・単体以降はインプットが整っていれば超効率化できる。受入は知らんけど。
非エンジニアがデモ版作るのに一番向いてると思う。本職のエンジニア・デザイナーがそれを整える
ある程度以上複雑なタスクになると全く役に立たなくなるから、両者とも合ってて量的問題であり技術の進歩で解決するかもしれない
なぜバイブコーディングをめぐる議論は噛み合わないのか
"AI楽観派の前提は「設計と実装は分離できる」。AI慎重派の前提は「設計と実装は不可分」。この一点が、AI時代の開発を分ける境界線" とてもよくわかる。(なお私は、設計と実装は不可分だと考えています)
コストの問題があるなら別だけど、同時進行で構わないと思う。少なくとも慎重派もAI導入を頭から否定しているわけではないし。どちらか選ばないといけないとする方がミスリードなのでは?
AIみたいな「雰囲気」で書いたようなコードを見かけたら、雰囲気で書くな、ちゃんと理解して書け、ってなるんだけど、ビジネスとしては雰囲気だけで最後までいけるんちゃう?というのも同時に成立するからな
“AI楽観派の前提は、「設計と実装は分離できる」。 AI慎重派の前提は、「設計と実装は不可分」。 この一点が、AI時代の開発を分ける境界線だ”
AI にめんどくさいところ作ってもらったりよくしてるけど反対派は雑なプロンプトで返ってきたのをそのまま使う系への批判だと思うし、これはより上位の意思決定がちゃんとしてるか否かで。
コードを書くことで理解が深まりブラッシュアップされていくので、コードを書く以外の手段でそれができるようにならないといけないのムズい
「今のLLMは責任を取れない」が全てだと思ってる。コーディングはあくまで実装の手段であり、責任を取るための設計や建て付けは以前人間に委ねられているし、責任を取りやすいコードや手法が好まれる
言葉に限界があるので、細部にこだわる場合は無理。ただしクオリティの高いものはできる、と思っている。目の前の風景を100%細部まで言葉で表現するのは無理だけど、綺麗な描写で人を感動させることはできる。
100%は一つでもミスがあると100%じゃないのに、100%という奴が多過ぎる問題が悪いと思う。「大半のことはAIで出来る」は正しいけど「AIに任せれば良い」は死ねって思う
AIに仕事を奪われることの楽観/慎重ではなくて、AIに仕事を任せられるかの楽観/慎重という意味か。イラスト描きとかの議論に比べるとどっちも楽観なの面白い。
規模がでかくなればなるほどほんの些細な修正が全体に大きい影響を及ぼすことになることは現場で働いてきた人ほど実感してるからでない?
だから、誰がそのプログラムの責任を負うの?趣味とか“動けばいい”程度ならともかく、“仕事”なら「AIが出力したので知りません」じゃ済まないでしょ。
ヒューリスティック(発見的手法)は最近のディープニューラルネットワーク流行よりも古くからある。初心者ならともかく、プロの経験者がその類の手法を手札に持って扱えてないのはどうかと思う。AIに限らず。
設計と品質チェックのプロセスがしっかりしていれば実装はAI任せでもいいと思うんだけど、AIお任せ派はこの辺りのコストを負担できていないように見える(ので負担している人から嫌われる)
でくのぼうみたいな安い外注に出すのとAIにやらせるのとの勝負の話しでしょ。君たちのような少数の優れたエンジニアに勝つまではまだ数年はあるよ
作ったことないものをバイブコーディングは無理だと思う。作ったことあって移植とか別言語で書き直しとかの時はめっちゃ楽。でもドキュメント書いてから作らせるので設計責務はこちらという印象
世界中でとっくに結論が出ている。目的がデモやプロトタイプであれば、設計はいらないので動くものが早く作れるバイブが良い。プロダクト開発では設計が必要不可欠なのでバイブはダメ。ツールとしてAIを使うのはOK。
イベントでちょこっと作る程度のサイズだからじゃないの?真にサクサクだったら誰も苦労してないわ\(^o^)/
全てAIが仕様を書いてそれを元に設計やDBのドキュメントを書いて、その設計を元にテストを書いて、テストが通るように実装を書くけど、各工程で人間がレビューするもバイブコーティングに含めるならいけると言える。
去年なら需要のあった記事かも。もうずいぶん進んでるんでそこまで追いついてから体験すればよかったのに...
慎重派を否定するつもりはないけど、AIの知識量がもはやヒトの比ではないことを考慮すると、AIと生成コードをマイクロマネジメントすると自分の能力がAIの性能を制限することにしかならないというのが私の現在の結論。
ハイプサイクル幻滅期の議論は興味深い。プロトタイプが動くのは同意(ホント凄いと思う)ただ改修とか運用を続けるとな…設計が大事な事に戻る(愚者は経験から学ぶを味わってるお…)
書き続けられないんだよ。それだけ。人間でもここに技能の大きなギャップがあるから、単に難しいんだと思う。
設計と実装は不可分派なので俺も慎重派に分類されるかな
適当なアウトプットは出来るが細かなメンテ含めた運用ってAIではむずくね?
考えがちなのは「後々の保守性・メンテナンス性」なんだけど、このままさらにAIコーディングの質と速さが上がっていくと、「仕様が変わる、機能が追加されるなら、その新仕様でまたフルで吐き出せばいい」になる?
古の昔からコード自動生成は「完璧な仕様を記述すれば完璧なコードが生成できる!」ものだった。バイブコーディングは「ふわっとした仕様でもそれなりなコードが期待できる!」とちょっとふわっとした。実にバイブ。
「AIだけで十分」が「レビューも不要」の意味なんだとしたらそれは無いとしか(´・ω・`) 設計も実装も人が把握できてない状態を良しとするのは無責任。で、仕事内容がレビューだけになるとモチベーションが…(´・ω・`)
仕事を請けるのに使わず、道具として売ってる時点でまぁ…。
"AI楽観派の前提は「設計と実装は分離できる」。AI慎重派の前提は「設計と実装は不可分」。この一点が、AI時代の開発を分ける境界線" んなことないと思うけどな。The End of Programming as We Know It派もいると思う。
なるほどそんな感じか。確かに俺も書きながら考えるタイプなので慎重派の言いたいことはわかるかなあ。
議論にまるで関係のない現象学と構造主義っぽい何かをあたりが生成AI臭さを醸し出しているが、それはそれとして実装だけに焦点を当ててもコードベースの規模が大きくなると対応できないんだから、技術論でしかない
設計が実装による制約を受ける場合があり、その場合いかに詳細に設計をやったとしてもAIに任せきるのはキツい。文字通りより一層の抽象化が必要になるのだが、その抽象化を任せられないんだな……
この記事で言うAI楽観派が正しいとすればSIerの古き良きV字モデルと多重下請け構造が成立するはずですよね
自動運転車に乗せられるドライバーみたいなもん。いつバグってハンドル渡されるかドキドキしながら座席に座ってる。責任は取らされるけどAIが運転してるから給料はディスカウントされる🤔営業とAIだけで全部やってみ
“AIは動作するものが作れたが、その後、意見が真っ二つに分かれた。「もうAIで十分(設計書があればAIが実装を再現できる)」「AIだけではダメだ(設計=なぜ動作するかを再構築、は模倣しかしないAIには不可能)」”
「3Dプリンタで販売可能な製品を低コストで作れますか?」みたいな問いだと思う。ニッチな分野は合うけど、既存の製品みたいな品質を求めるなら無理、みたいな
“要件をAIに渡し、設計からコーディング”要件渡せるなら、そりゃ動く。があればとか渡せる前提はなにかは、ご指摘の通り。
この記事自体、AIを積極的に取り入れたコーディングとバイブコーティングをごちゃ混ぜにしてるからそりゃ噛み合わないよな感ある
”慎重派"って書き方からして書き手が"慎重派"に対してちょっとネガティブな意味を込めてるようにもみえる
https://ecd.sumnercountytn.gov/wp-content/uploads/formidable/4/kiwieu.pdf
バイブコーディングはとても有能。ただバイブスではやれない。かなり入力、出力、修正箇所を細かく指定する必要がある。それから、エージェントの把握してる文脈より上の文脈からヒントを出してやる必要がある。
動いてはいるが色々問題があって直したいがどうしてこうなっているか分からないから直しようがないというのが技術的負債の原因で、AIが書いたものはまさにそれなのでそういうところではないか。
ああ、よく整理された記事だ。最近のモヤモヤが少し解けた
当たり前だろ。黎明期だし、それぞれインプットされてる質や量もバラバラ。今答えを出す必要もないし今必要という判断ならそれは馬鹿がやること。
慎重派の人って、コンパイラが出力するバイトコードの中身をチェックしてるの?それとも自分でアセンブリを書いてるの?AIの出力品質が上がるにつれて遷移するでしょう。「歴史は繰り返す」でしかない。。。
↓コンパイラが吐き出すものはコードに対して決定的に決まるので問題ない。今のAIは確率的に出力してるので原理的に異なる。出力の品質はどれだけ上がるか誰にも分からないので実際に上がったときに議論すればいい。
そもそもプロンプトよりもプロンプトから機械的に生成できるコードの方が桁違いに分量が大きくなる現状の方がおかしい。そうだからこそ人工無脳で生成できる。解説より式の方が何桁倍も長くなる定理がどこにある。
SIerとギークが設計と実装の分離について噛み合わないような感じ
コピペグラマーがバイブコーディングに変わっただけ
一番賢いとされるモデルでも支持を無視してて違うもの作ったり既存の仕様を一切リスペクトせず破壊したりするので、手放しにバイブ!!って言って輩は一体どんなモデル使ってるんだ?と思う
保守メンテせずに納品して終わりの仕事ならAIでもいいけど、拡張性を考えていくなら人間のSEが設計しないといけない
バイブス?ボクにはカリカリの方が大事にゃ!議論よりお昼寝しようにゃ~!
(;´Д`)ノθ゙゙ ヴイィィィィン
“設計書があれば、あとはAIが書ける。” 失われた30年間、日本のIT業界がずっとやってきたことだよな
責任の所在が明らかなら好きにすれば良いのでは?リコール出て首吊る人がいたりする中すごく無責任だなとは思うけど。
そこだけ見たら噛み合ってなくてもマネジメント側が全体として噛み合わせればよいという感じはある。人も道具も適材適所。
Kiroを使おう
今のAI慎重派は業務で使おうとしてみたけど成果物の品質等がだめで使えなかった人達が占めてるんじゃね
ここで書かれてる「AI楽観派」って、UIのモックを見せたら「もうできてるじゃん!」て言うような人たちでしょ
慎重派に近い立場だけど、これでSIerやV字モデル批判に繋げる人は大丈夫?曲がりなりにもこの国根幹を維持するシステムは未だにSIerとV字モデルですよ?
ChatGPTにだいたいを任せてアプリを作って公開した https://qiita.com/99nyorituryo/items/5195caa8b226e6b4bae0
AI以前からプログラマの在り方がゲームを作る側とゲームを遊ぶ側くらいの断絶はあると思ってるのでその発露ではと
"結果が同じであれば再現できている"を保証するのはほぼ不可能。例外、いじわる操作を含めたすべてのテストを定義するのは無理なので、他の実装が変わらない前提でないと不具合修正なんて出来るわけがない
V字モデルで言うと、上流工程(事業やプロダクトの思想や設計)はできないor補助止まりなものの、実装・単体以降はインプットが整っていれば超効率化できる。受入は知らんけど。
非エンジニアがデモ版作るのに一番向いてると思う。本職のエンジニア・デザイナーがそれを整える
ある程度以上複雑なタスクになると全く役に立たなくなるから、両者とも合ってて量的問題であり技術の進歩で解決するかもしれない