(取材しました)メモ帳でのコードベタ打ちではなくジオシティーズのUI上のエディタでHTML打つのが原体験だった気がします
ブログも衰退してるのかな
「津田日記リンクス」にもきちんと触れてるWeb日記論を令和の時代に読めるとは……
これはよい記事だ
個人サイト排除のグーグルが全て悪い
個人HPとかオワコン化したよな。更新面倒だし、今はSNSで承認欲-求満たす時代っしょw
そう言えば2001年の時点では、ブログと日記、どこが違うんだ?と思ってたな。個人用Web発信ツールとしてはtDiaryのほうがMovable Typeより先にリリースされてたこともあり、そっちを贔屓してた。
ニフティの個人ホームページ有料化のお知らせ読んでないで、Xでブチ切れてる人がいるから衰退しても仕方ないhttps://x.com/hiromero/status/1973344069553451433
Googleのせいやろ
BBS、ML文化は楽しかったな。
ぷりんてぃんはまだ更新してるけどな
自分の内面や日常について誰かに見てほしい。 自己表現や他者との交流の欲求において、情報を並べておいてそれへの反応を待つという、いわば『受動的』な情報発信ともよべる側面。"他者"も今後はAI代替となるか
当HPへのリンクは自由だけどこちらからはリンクしませんって今思うとめちゃくちゃ尖ってたな
ブログはネットにずっと残るとか言われてた昔が懐かしい。個人ブログなんて淘汰されちゃったじゃないか。ブロガーまだ生きてるかー?
人には「情報伝達欲」があると思う。生物の基本かもしれない。
個人が情報発信する手段の主流がSNSや動画共有サービスに変わってしまったよね。ブログ向けに長文を書ける人は少数派だったんだと思う。
MovableTypeでアフィリエイト目的が出てきて、mixiとかfacebookでそっちに流れて、WordPressでSEOとかに流れて、iPhoneによって無関心な人間もSNSをやるようになって、本来何かを作りたい人たちはその流れに飲み込まれたと思ってる
うーんそんなの1000年前から日本人は日記書いてたんだから迂回的コミュニケーションとかそういう話じゃないと思うんだが
たまにはブクマカもblogを読みにきていいのよ
今こういう話をするなら、従来型のSNSと共存しながら「個人サイト」時代に回帰することも可能なFediverseやActivityPubについて触れてくださいよ。「生成AI相手にやってろ」みたいな結論は寂しすぎるでしょう?
あの頃のwebサイトはこんな雰囲気だった。
「上位者を直視するのは不敬、目を伏せるのが敬意」としつつ、日記では自由に書く、1000年以上の文化の影響かと。α世代に入って激変。/ 公文書より侍従長日記の方が史料として信頼できる国、よく考えるとヤベーな。
ファッションブログは死んだけどfashionbloggerというタグはインスタで生きている。しかもファッションという分野で5番目に多く使われているタグで累計で1億5千万件も積み重ねられている。
スマホ+SNSが一般的になって技術がいらなくなったから。
“情報呈示の体裁をとりつつ、受動的に「交流」をしたい” わかる
フォロータイムラインとして統合された短文投稿をフロー情報として受動的に処理するというのがあまりに快適すぎて、個人ウェブサイトのストック情報を能動的に処理することが敬遠されるようになったのではないか。
Web日記がブログにとってかわられ、さらにmixiみたいなSNSにとってかわられみたいな技術革新の流れな気はするけど /日記猿人とかread meみたいなランキングシステムも楽しかったけど、狭い世界ならではよね
サイトまで作ってたのは少数派。掲示板だけ作ってその後のブログやSNS的に使ってたので道具が変わっただけでやってることは同じ。
山城について調べていたら城巡りサイトに行き当たることが増えた。https://yogokun.my.coocan.jp/とか なんかNiftyがやらかして見えないページがたくさんあるらしい…
ネット利用がマイナーだった時代と今との違い?
黎明期には「個人の日常の出来事を世界に向けて発信できるなんてすごい!」と思ってたけど、今同じことが想像を絶する物量で行われていて逆に「うるせえ黙ってろくだらねえこと書いてんな」としか思えないのが辛い。
うーん。テンションと親密以外にも情報量が違うんじゃないかな。個人の読み物を読んで娯楽として消費するは分化した中から消えて明確に衰退してるような
理由?SERPに出てこなくなったから。それ以上の理由ないでしょ。
単純にGoogle検索の個人ドメイン排除とブログサービスの「純粋な新着記事」排除が要因だと思うわ。(みんな公式ブロガーやら、スパム排除を理由として)
私が知っているのは日記猿人から…
ようわからん企業サイトのまとめとかばっかりがネット検索上位に来るから個人ホームページに検索からたどり着くなんてめったになくなった。はてブなかったら個人サイト完全に見なくなってたと思う
ReadMe!
サムネ画像がWeb1.0のホームページ。ノートPCがHPなのもいい。
新しいコミュニケーションツールの存在が古いメディアの利活用にも影響を与えているという話。なので「日記なんて昔からあった」としか考えていないと本筋を見誤る。
無料サービスがなくなったというのもあるかも。ニフティのも9月までで終わったし。
なんといっても MEMORIZE に尽きる。ココからすべてが始まった。人生が変わった。
あの頃のWeb日記みたいなのを、今でもアメブロやnoteで書いてる人もいるよね。匿名日記は土佐日記以来1000年を越える日本の伝統だし、私小説もそうだし、顔も名前も知らない誰かの日記を読みたい需要がある。なぞ
いつか誰かが困ったときの参考になれば的なネットの良心「備忘録ブログ」の類が、今はもう検索エンジンに冷遇されてしまい、その困ってる人と繋がらなくなってしまったのが個人サイトの終焉を感じた一番の要因ですね
>個人情報は表に出さないのに、自分のことについて語る日記については公開する人が多い。 / かつてのmixi(2ではなく1の方)がゆるく広く流行ったのも、この辺の国民性が影響していたのかな? 足あと機能もあったし。
文字より動画見てる時間の方が圧倒的になってるからなあ
個人ホームページが「衰退した」といわれる理由と、「Web日記」文化について【フォーカス】 レバテックラボ(レバテックLAB)
(取材しました)メモ帳でのコードベタ打ちではなくジオシティーズのUI上のエディタでHTML打つのが原体験だった気がします
ブログも衰退してるのかな
「津田日記リンクス」にもきちんと触れてるWeb日記論を令和の時代に読めるとは……
これはよい記事だ
個人サイト排除のグーグルが全て悪い
個人HPとかオワコン化したよな。更新面倒だし、今はSNSで承認欲-求満たす時代っしょw
そう言えば2001年の時点では、ブログと日記、どこが違うんだ?と思ってたな。個人用Web発信ツールとしてはtDiaryのほうがMovable Typeより先にリリースされてたこともあり、そっちを贔屓してた。
ニフティの個人ホームページ有料化のお知らせ読んでないで、Xでブチ切れてる人がいるから衰退しても仕方ないhttps://x.com/hiromero/status/1973344069553451433
Googleのせいやろ
BBS、ML文化は楽しかったな。
ぷりんてぃんはまだ更新してるけどな
自分の内面や日常について誰かに見てほしい。 自己表現や他者との交流の欲求において、情報を並べておいてそれへの反応を待つという、いわば『受動的』な情報発信ともよべる側面。"他者"も今後はAI代替となるか
当HPへのリンクは自由だけどこちらからはリンクしませんって今思うとめちゃくちゃ尖ってたな
ブログはネットにずっと残るとか言われてた昔が懐かしい。個人ブログなんて淘汰されちゃったじゃないか。ブロガーまだ生きてるかー?
人には「情報伝達欲」があると思う。生物の基本かもしれない。
個人が情報発信する手段の主流がSNSや動画共有サービスに変わってしまったよね。ブログ向けに長文を書ける人は少数派だったんだと思う。
MovableTypeでアフィリエイト目的が出てきて、mixiとかfacebookでそっちに流れて、WordPressでSEOとかに流れて、iPhoneによって無関心な人間もSNSをやるようになって、本来何かを作りたい人たちはその流れに飲み込まれたと思ってる
うーんそんなの1000年前から日本人は日記書いてたんだから迂回的コミュニケーションとかそういう話じゃないと思うんだが
たまにはブクマカもblogを読みにきていいのよ
今こういう話をするなら、従来型のSNSと共存しながら「個人サイト」時代に回帰することも可能なFediverseやActivityPubについて触れてくださいよ。「生成AI相手にやってろ」みたいな結論は寂しすぎるでしょう?
あの頃のwebサイトはこんな雰囲気だった。
「上位者を直視するのは不敬、目を伏せるのが敬意」としつつ、日記では自由に書く、1000年以上の文化の影響かと。α世代に入って激変。/ 公文書より侍従長日記の方が史料として信頼できる国、よく考えるとヤベーな。
ファッションブログは死んだけどfashionbloggerというタグはインスタで生きている。しかもファッションという分野で5番目に多く使われているタグで累計で1億5千万件も積み重ねられている。
スマホ+SNSが一般的になって技術がいらなくなったから。
“情報呈示の体裁をとりつつ、受動的に「交流」をしたい” わかる
フォロータイムラインとして統合された短文投稿をフロー情報として受動的に処理するというのがあまりに快適すぎて、個人ウェブサイトのストック情報を能動的に処理することが敬遠されるようになったのではないか。
Web日記がブログにとってかわられ、さらにmixiみたいなSNSにとってかわられみたいな技術革新の流れな気はするけど /日記猿人とかread meみたいなランキングシステムも楽しかったけど、狭い世界ならではよね
サイトまで作ってたのは少数派。掲示板だけ作ってその後のブログやSNS的に使ってたので道具が変わっただけでやってることは同じ。
山城について調べていたら城巡りサイトに行き当たることが増えた。https://yogokun.my.coocan.jp/とか なんかNiftyがやらかして見えないページがたくさんあるらしい…
ネット利用がマイナーだった時代と今との違い?
黎明期には「個人の日常の出来事を世界に向けて発信できるなんてすごい!」と思ってたけど、今同じことが想像を絶する物量で行われていて逆に「うるせえ黙ってろくだらねえこと書いてんな」としか思えないのが辛い。
うーん。テンションと親密以外にも情報量が違うんじゃないかな。個人の読み物を読んで娯楽として消費するは分化した中から消えて明確に衰退してるような
理由?SERPに出てこなくなったから。それ以上の理由ないでしょ。
単純にGoogle検索の個人ドメイン排除とブログサービスの「純粋な新着記事」排除が要因だと思うわ。(みんな公式ブロガーやら、スパム排除を理由として)
私が知っているのは日記猿人から…
ようわからん企業サイトのまとめとかばっかりがネット検索上位に来るから個人ホームページに検索からたどり着くなんてめったになくなった。はてブなかったら個人サイト完全に見なくなってたと思う
ReadMe!
サムネ画像がWeb1.0のホームページ。ノートPCがHPなのもいい。
新しいコミュニケーションツールの存在が古いメディアの利活用にも影響を与えているという話。なので「日記なんて昔からあった」としか考えていないと本筋を見誤る。
無料サービスがなくなったというのもあるかも。ニフティのも9月までで終わったし。
なんといっても MEMORIZE に尽きる。ココからすべてが始まった。人生が変わった。
あの頃のWeb日記みたいなのを、今でもアメブロやnoteで書いてる人もいるよね。匿名日記は土佐日記以来1000年を越える日本の伝統だし、私小説もそうだし、顔も名前も知らない誰かの日記を読みたい需要がある。なぞ
いつか誰かが困ったときの参考になれば的なネットの良心「備忘録ブログ」の類が、今はもう検索エンジンに冷遇されてしまい、その困ってる人と繋がらなくなってしまったのが個人サイトの終焉を感じた一番の要因ですね
>個人情報は表に出さないのに、自分のことについて語る日記については公開する人が多い。 / かつてのmixi(2ではなく1の方)がゆるく広く流行ったのも、この辺の国民性が影響していたのかな? 足あと機能もあったし。
文字より動画見てる時間の方が圧倒的になってるからなあ