大人がやっていて現場にいれば、マウントをとっているのかとっていないのかわかる気がしますが、それもある種のひっかけかもしれないし、難しいですね。おっしゃるように、純粋にしゃべりたいだけかもしれないし。
そういう人いるよねえ。「おもしろさがわからないのは敗北」と思ってるのでこういう感覚はわからないけど。いまいちな作品を気に入ってるやつがいたら同傾向のもっとおもしろいやつ見せてやって欲しい
『「相手が好むもの」「相手が好む要素」を低レベルなものだと断じることで、自分の方が立ち位置が上なんだ、と示すようなマウント』
「それつまんなかった」ならまだいいけど「これを楽しめるやつは頭おかしい」まで言うやついるからな
「つまらなかった」でマウンティングするのは安易で、つまらなさをいかに賢しく説明しても、その言葉も大体ありふれたもので糞つまらない。「この良さがなぜわからないんだ」という熱量の方が面白いし好感度高いよね
おもしろいだけ語る場の気持ち悪さはつまんないしか言わないのとは違う気もする。
「ではあなたは何の作品が面白いと思いますか」がカウンターになるかな。マウントのために否定しているのであれば否定し返されるリスクに直面するし、そうでなければ返答から話題を広げられる
相手の価値判断に合わせるだけ合わせても、「そう、そうなの。それでね」と遠慮なく自分語りを続ける幼児性を維持したままの大人も男女問わず多数。否定しないのもそれはそれで疲れる。話の腰の折り方も大事な技術。
いつも否定から入る人との友人関係を見直したいって話はわかるけど、私は友人同士であってもその作品に対する評価は率直に伝え合う関係の方が気持ちいいと感じるタイプだ。ケースバイケースであり、言い方による。
面白いどうこうに限らず、会話をまず否定から入るタイプは一定数いるね。「いや」がクセになっている人。自戒も込めて。
すまんな、本当につまんなかったんや
「○○の面白さを教えて欲しい」もこれの派生ではないかと邪推している
俺ははてブとか増田を面白い!と思ってやってる人は頭おかしいと思うけどな…
なにものにも面白さを見出すのもある種能力が必要だよな。自分の価値観からだけでなく多面的にみるとか。まあ子どもがやってるなら寛容にできるけど、大人がやってるのは教養足りてないんじゃないの、としか…
「あっそ」って言って、放っておけばいいんじゃない?つまんないと言う人を否定する必要もないし、同調する必要もないよ、そう言う人もいるんだなー今後関わらないようにしようで終わりでしょ
その子が『面白い』と感じるものが何なのか気になる。(女子が普通にジャンプを読んでいるんだな、と改めて思わされたが『少年』という言葉はそもそも、少女も含むんでいたりする)
言うタイミングとnot for me はあってもいい気はするけど。
“子どもと会話して思ったことをそのまま書きます。” この行を見て、そんな返しするやつは子供と一緒なんだよというマウントを予測した。あとで揉む
こんなん最初は肯定してから「でもね…」って続ければいいだけの話なんだけど、いきなりつまんないとか言うから相手は不快になるって話なんだよね。いきなり否定する人はマウント取りたいだけの人だと認識される。
おもしろいもつまらないもそこで止まっちゃったら自分以外には意味がないじゃん。つまらないなら“趣味が合わなかった?嫌いなところがあった?”とか聞けば話が広がるし具体性が出てこなければそれまでの話だ。
マウント取ってくる相手は普通にムカつくけど自分の好きを否定されたら自分自身が否定されたとイコールにする人も相当に鬱陶しい 一人で勝手に嫌っていればいいように一人で勝手に好いていればいい
別の視点として、自分が仲間に入れない会話を嫌ってるのかもしれない。子供だとありがち。
こういうのって「それを面白いと思った自分」が主題なので、作品そのものについての評価じゃないのよね。だからこそ欠点でも盛り上がれる。作品そもののを語っちゃうとそれ違う話ってなる。
TPOが大事だと思う
個人の純粋な感想をマウントだなんて言うほうがマウントじゃね
こういうコミュニケーションのいざこざが始まるのは中学生ぐらいだろうけど、自分自身「つまらない」と言われたことをいなせるようになったのは30過ぎてからだったなあ。あまり気にしないことだと思う。
わたしはその場で親らしく明確なアドバイスをせねばと思いがちなうえ、一旦保留したらずっと忘れてしまいそうなところ、「別段深く悩んでる様子でもないし一旦ゆるく同意するだけに」なんて判断できるの尊敬する。
マウントを取りたいだけなのか否かの判別は確かに難しいし相手と違うところがあるから会話が盛り上がる場合もあるというのもよく分かる 否定的な言葉は言い方とタイミングに気をつけましょう、ぐらいしか言えない…
場の空気を読めって話でもあるし、伝え方の話でもある。
聞かれて答えるならまあわかるけど聞かれてもないのにつまんないだの興味ないだの知らないだの言い出すやつは性格が悪いのは間違いないと思う ネットでたくさん見る
拗らせたオタクの心性として「自分が面白さを見いだせなかった作品に対する好意的な感想・批評に勝手に劣等感を抱いて傷つく」というのがある。主観としてはマウント取ってるのではなく正当防衛なのだ。面倒臭いね!
頼まれてもいないのにご意見番気取り
わざわざこっちに来て「これつまらない!」って言い始めるのはネットでよく見かける光景
往々にしてポジティブな感想よりネガティブな感想のほうが面白いので、自分なら「どこがつまんなかった?」「じゃあ面白かったのは何?」って根掘り葉掘り聞いちゃう鴨
興味というのは人それぞれw
むか~~~~し、TLが艦これ一色で嫌気がさして「単純作業の繰り返しや、攻略班の情報を真似して追加検証する作業の何が楽しいんだ」ってTwitterにつぶやいたら、仲良かった箱◯信者にブロックされたの思い出した
精神的な未成熟さとか心理的技巧とかの話だと思う。子供と大人で意味合いが違う。ネット上だと10代の意見や50代の意見が混在してカオスだね。大人は⚪︎が面白かった、とか⚪︎が好き、というタイミングも計るよね。
「つまらない」と言うことで優位に立てると判断してる人がいるてことか。「あなたの物差し(審美眼)だとその程度でおもしろいと感じるのね」的なニュアンスか、“違い”なだけで優劣じゃないのに悩ましいね
実際にどう感じているかは別として、そういう種類の手法しかコミュニケーションの手札を持っていないタイプ、というのも居る。大人なら厄介だけど子供の場合は経験値不足かな。
日本語や文脈がわかんなくて何も面白くないって人もいるからなぁ……… 現実にいたのは「エルフ」がなんなのか分からない人がフリーレンで初遭遇で、エルフってなに?って躓いてた……
最近自分が面白いと思っているコンテンツを頭から否定してくる大物編集者の方がいるのですが、ああやって他人に精神的ダメージを与える人は、イエスマンとだけ関わっていればいいのに。
はてブにいっぱいいるやん 自覚なさそうだけど
リアル人間関係なら、とりあえず心中で「ハンロンの剃刀」と唱えて様子見るかなあ。
「何が面白いのかわかんない」では「つまんない」の熱量も解像度も低過ぎて相手にするに値しない。ディスる時こそ理論武装を。
面白いということに対して私はそうじゃないはディベートにならないのが日本っぽいのかな
犯罪とか迷惑じゃないなら、趣味のものなんでねと思うようにしてる
「どこがつまらなかった」の深掘りにすることで深い考えのもとなのか、浅い気分での否定なのかが引き出せる。 / が、否定的な推定空気悪くする人間を接待するのも嫌だなあという気持ちも出なくはない。
自分の作品をけなされるより、自分の好きな作品(自分の審美眼)をけなされるほうが傷つく……というのをなにかの創作者が書いていて、そういうものだろうとは思ったことがある
過剰な賞賛(当人らはそうではないと主張しがち)は虚偽広告の虞犯行為でもあるので、それを「否定するな」と主張することには謙抑的であるべき
内容はうんうんって思うけどブルーロックはマガジン…/否定する行為ってネガティブ要素が必ず含まれるからマウント以外のコミュニケーションに使うときはある程度気遣いとか技術とかが求められると思う
いつも否定から入るのはアレだが一切ネガティブ情報受け付けないのもディストピア感あるので難しい
そういう人と結婚しちゃうとマジ地獄よ。
PS版のドラクエ7が好きなやつは頭がおかしいって話ですよね
即否定する人いるね。私も割とやるから反省。文脈次第では価値観のすり合わせや親密さゆえの率直さの場合もあるから、一概にマウント取ってるとは思わないけどね。
実生活では言わないようにしてるからこういう場で書いたりしてるのはあるな。
あー。ジャンプ作品を面白いと言ったら負けみたいな病気を拗らせてる人は居るよ。ジャンプ作品なら問答無用で初手「つまらない」で語れ、みたいな。一昔前なら「漫画読み」とか自称してた界隈のオマエラだよ!
私はいつも母親から常に否定され、嘲笑されてた笑笑
これはうちの息子もあったから話したな〜。全否定は良くないと言ったな。
は?有名人気作品のファンって、いっっつも自分が作ったわけでもない作品の人気でマウント取ってんじゃん。その癖ちょっとでもそれに不満をいうと「人の好きを否定するなー」の嵐。
相手への嫉妬や対抗心が無意識に出ちゃってるんでしょう。幼稚ですね。(人の面白いを否定する人を否定してマウントを取ろうとするブコメ)
マウントとは限らんよね。あれもこれも面白いだと面白いのしきい値低すぎてイラッとしてるのかもしれんね。本当に面白いものだけ言えよと。
私も否定から入ってしまうことがあるので意識して止めるようにしてます。基本的に肯定する、「ありがとう」から始めるなど。でも難しいですよね、普段から微妙だと思ってたり明らかにアラが見える話だと特に…
はてブだと「長い読まない」とか「誰?」とか、初手から拒否するパターンが多いような…/鬼滅関係はよく「どこが受けたのかわからん」と書かれてるよねぇ
40過ぎてもやってくる人が近くにいる めっちゃ距離置いてる
「そんなものでありがたがってるの?w(私はもっと高尚なものをしっている)」というのはどこにでもいるからな。最近ドラクエ7の話題でも大量に沸いていたし。
「お前は何でもすぐ否定から入るよな」「いやそんなことはない」
どのへんが面白くないのか訊くのは難しいだろうから、何を面白いと思うのか訊くだろうな、自分は。それを自分が知らないならふれてみるかもしれん。マウント関係なく、単に感性が違う人な可能性もあるし。
どんな食べ物も「まずい」って否定する人もいるよね。給食はまずい、あの店はまずいと(文中にも類似の例として挙げられてるが)そういう時になるべく「そう?自分はおいしいと思うな」と言うようにして生きてきた
娘がそういう話ばかりするのが嫌だから言ってるのかも
“ある作品に「つまらない」という感想を持つことは自由ですし、そこを起点に楽しい議論が盛り上がることもあるので、「つまらない」自体を否定して欲しくもありません ・楽しくて建設的な議論とマウント合戦の線引
否定的な主観的評価を批判か中傷か判断するのは難しい、という記事を以前書きました。マウント的要素がどの程度含まれるか、なんてのも入ってくると、より難しくなりますね。https://ikasuke.hatenablog.com/entry/20120421/p1
自分が評価しない物を周囲が賞賛してると自分が否定されてると感じて、反撃したくなるらしいよ。マウントというより防御の反応じゃないかな
マウンティング欲は人類の基本的な欲求。マウンティング行為を「こいつは腹が減ってるから飯を食ってるのだ」くらいの感覚で見れるような社会にしよう
このブログを娘さんの友人が読む可能性は無いのかしら…?名字がフェイクならバレないと思うけど、どーなん?
マウントというのも受け手の印象に過ぎない話のようだし、子どもの話であれば、面白いつまらないの軸は一旦横に置いて他人の意見に賛同できない時どういう対応をした方がいいと思うかから入る方がいいと思うけどな
相撲やマラソンなどをテレビで見ながら、観客が映ると、よう見に行くなーと毎回言うので本当に嫌になる。OSが他人の行為の否定の人。そのためにわざわざ見てる
何で〇〇なんか応援してるの?弱いのに。 ←これもな
いや、俺はこれを30年前に気が付いていた。(マウント
作品がつまらないんじゃなくて、話が…つまらない可能性もあるんじゃないかな。
「これ知らんやつ人生の半分損してる」系の過剰広告が嫌いなので、たまに腰を折りたくなる気持ちも分からんでもない。友達と同じものを好きじゃなくても友達でいられるのだ、が分かるのは結構先のことだと思う
マイナー作品の「面白さがわかる自分」というマウントもあるし、メジャー作品をなんの屈託もなく楽しめる=クラスの一軍に所属(オタク・陰キャじゃない)というマウントもあるから難しいですよね?
「参政党の排外主義コンテンツ面白い!」「批判ばかりで精神的マウントを取るサヨクリベラルは嫌われて当然!」黙って眺めて考えてるだけのエリートさん達が一番質が悪い。
その時の集団の空気で良し悪しが変わるイメージ。 (集団内での「面白い」の否定はダメージになるけど、 集団内での「面白くない」の空気は乗っからないと逆に叩かれる)
人の面白い、はむしろとても面白いのにな。好きなものを語っているのを聞くのが好きまである。
面白いかどうかと言うより他人の意見を尊重するかしないかの話では。内容に関わらず人の話に被せて自己主張してくる時点で話にならないでしょ
自分はつまんなかったと言われても平気で、逆に相手に「どのへんがつまんなかった?」「もっとどうだったら良かったとかある?」とか聞いてしまう。それがきちんと説明できる人なら、つまんない論も聞いてて面白い
"つまらない" で話をぶった切るとそうなるけど、ここがこういう風につまらないんだよね、とかこういう展開は僕は嫌いなんだよねとか、具体的な話を相手がしてくれれば全体的な会話としては楽しくなる可能性があるかも
他人が「好き」「面白い」「楽しい」と盛り上がってるところに“わざわざ介入して”否定する輩は間違いなくマウント行為でしかないので生温く無視でいい/「それの何が面白いの?」と思っても口に出さんことだ。
面白くないの否定の仕方が面白くないってのは、相手の語彙力と相性の悪さの表れなので付き合うにしても消極的に付き合うようにすると良いよ。
男児女児が遊んでるところを眺めていると、よくわからないマウント合戦で場を冷めさせてスンッてなって、バラバラに遊び始めて、でも数分後にはまた一緒に遊んでいたりする。そうやって会話術を学んでいくのだろう。
「『私は』面白いとは思わなかった」は言うことあるけど、もうその話題を振らないでほしいぐらいの気持ち。この面白さがわからないなんて、と逆にマウント取られてるなぁと思うこともある。
ハイキューが嫌いな女子って存在するのか。女子は全員ハイキュー好きだと思ってたわ。主人公勢があまり強くないからかな。
否定マウントの人は、相手が面食らったりしょんぼりするのをて楽しんでることが多い。笑顔で「そうなんだ!どこがつまらなかったのか教えて!」と会話を始めれば、面倒&手応えなく、て他のターゲットへ移っていく
娘の友達とかに多いけど、世界が狭いとやりがちなのかなって気はする。お手軽に広い見識アピールできるから
否定的な話が苦手な人って結構いるんだよね。否定は物事の楽しみ方に味わいを加えるが、それほど仲良くない相手には、すげー気を使う必要はある。自戒を込めて。
ネットならまぁええやんって思う
え、つまらないならつまらないで仕方なくない?否定してるの?
仲の良い友達であるほど、楽しさ面白さを共有できないときに疎外感があるんだよね。酸っぱいブドウのきつねのように居心地の悪さを悪口に変換してしまう人間の習性
プレステのゲームでルフィが「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」って言ってた。
完全にホールデン・コールフィールドだわ
どんなものでも楽しめる人が一番の勝者なんだけどな。どんな国にも行けるし何でも食べられる。こだわりを持ってる人ほど実は人生を楽しめてない。
“2004年からブログを書いて、この漫画ゲーム面白いと主張。相手の「面白い」を否定して、自分が精神的優位に立とうとしているコメント100件大体2,3件はそういうコメント”
相手に気持ちよくマウントを取らせることも大事よね
人の「面白い」を否定することで精神的マウントを取る人について考えたこと
大人がやっていて現場にいれば、マウントをとっているのかとっていないのかわかる気がしますが、それもある種のひっかけかもしれないし、難しいですね。おっしゃるように、純粋にしゃべりたいだけかもしれないし。
そういう人いるよねえ。「おもしろさがわからないのは敗北」と思ってるのでこういう感覚はわからないけど。いまいちな作品を気に入ってるやつがいたら同傾向のもっとおもしろいやつ見せてやって欲しい
『「相手が好むもの」「相手が好む要素」を低レベルなものだと断じることで、自分の方が立ち位置が上なんだ、と示すようなマウント』
「それつまんなかった」ならまだいいけど「これを楽しめるやつは頭おかしい」まで言うやついるからな
「つまらなかった」でマウンティングするのは安易で、つまらなさをいかに賢しく説明しても、その言葉も大体ありふれたもので糞つまらない。「この良さがなぜわからないんだ」という熱量の方が面白いし好感度高いよね
おもしろいだけ語る場の気持ち悪さはつまんないしか言わないのとは違う気もする。
「ではあなたは何の作品が面白いと思いますか」がカウンターになるかな。マウントのために否定しているのであれば否定し返されるリスクに直面するし、そうでなければ返答から話題を広げられる
相手の価値判断に合わせるだけ合わせても、「そう、そうなの。それでね」と遠慮なく自分語りを続ける幼児性を維持したままの大人も男女問わず多数。否定しないのもそれはそれで疲れる。話の腰の折り方も大事な技術。
いつも否定から入る人との友人関係を見直したいって話はわかるけど、私は友人同士であってもその作品に対する評価は率直に伝え合う関係の方が気持ちいいと感じるタイプだ。ケースバイケースであり、言い方による。
面白いどうこうに限らず、会話をまず否定から入るタイプは一定数いるね。「いや」がクセになっている人。自戒も込めて。
すまんな、本当につまんなかったんや
「○○の面白さを教えて欲しい」もこれの派生ではないかと邪推している
俺ははてブとか増田を面白い!と思ってやってる人は頭おかしいと思うけどな…
なにものにも面白さを見出すのもある種能力が必要だよな。自分の価値観からだけでなく多面的にみるとか。まあ子どもがやってるなら寛容にできるけど、大人がやってるのは教養足りてないんじゃないの、としか…
「あっそ」って言って、放っておけばいいんじゃない?つまんないと言う人を否定する必要もないし、同調する必要もないよ、そう言う人もいるんだなー今後関わらないようにしようで終わりでしょ
その子が『面白い』と感じるものが何なのか気になる。(女子が普通にジャンプを読んでいるんだな、と改めて思わされたが『少年』という言葉はそもそも、少女も含むんでいたりする)
言うタイミングとnot for me はあってもいい気はするけど。
“子どもと会話して思ったことをそのまま書きます。” この行を見て、そんな返しするやつは子供と一緒なんだよというマウントを予測した。あとで揉む
こんなん最初は肯定してから「でもね…」って続ければいいだけの話なんだけど、いきなりつまんないとか言うから相手は不快になるって話なんだよね。いきなり否定する人はマウント取りたいだけの人だと認識される。
おもしろいもつまらないもそこで止まっちゃったら自分以外には意味がないじゃん。つまらないなら“趣味が合わなかった?嫌いなところがあった?”とか聞けば話が広がるし具体性が出てこなければそれまでの話だ。
マウント取ってくる相手は普通にムカつくけど自分の好きを否定されたら自分自身が否定されたとイコールにする人も相当に鬱陶しい 一人で勝手に嫌っていればいいように一人で勝手に好いていればいい
別の視点として、自分が仲間に入れない会話を嫌ってるのかもしれない。子供だとありがち。
こういうのって「それを面白いと思った自分」が主題なので、作品そのものについての評価じゃないのよね。だからこそ欠点でも盛り上がれる。作品そもののを語っちゃうとそれ違う話ってなる。
TPOが大事だと思う
個人の純粋な感想をマウントだなんて言うほうがマウントじゃね
こういうコミュニケーションのいざこざが始まるのは中学生ぐらいだろうけど、自分自身「つまらない」と言われたことをいなせるようになったのは30過ぎてからだったなあ。あまり気にしないことだと思う。
わたしはその場で親らしく明確なアドバイスをせねばと思いがちなうえ、一旦保留したらずっと忘れてしまいそうなところ、「別段深く悩んでる様子でもないし一旦ゆるく同意するだけに」なんて判断できるの尊敬する。
マウントを取りたいだけなのか否かの判別は確かに難しいし相手と違うところがあるから会話が盛り上がる場合もあるというのもよく分かる 否定的な言葉は言い方とタイミングに気をつけましょう、ぐらいしか言えない…
場の空気を読めって話でもあるし、伝え方の話でもある。
聞かれて答えるならまあわかるけど聞かれてもないのにつまんないだの興味ないだの知らないだの言い出すやつは性格が悪いのは間違いないと思う ネットでたくさん見る
拗らせたオタクの心性として「自分が面白さを見いだせなかった作品に対する好意的な感想・批評に勝手に劣等感を抱いて傷つく」というのがある。主観としてはマウント取ってるのではなく正当防衛なのだ。面倒臭いね!
頼まれてもいないのにご意見番気取り
わざわざこっちに来て「これつまらない!」って言い始めるのはネットでよく見かける光景
往々にしてポジティブな感想よりネガティブな感想のほうが面白いので、自分なら「どこがつまんなかった?」「じゃあ面白かったのは何?」って根掘り葉掘り聞いちゃう鴨
興味というのは人それぞれw
むか~~~~し、TLが艦これ一色で嫌気がさして「単純作業の繰り返しや、攻略班の情報を真似して追加検証する作業の何が楽しいんだ」ってTwitterにつぶやいたら、仲良かった箱◯信者にブロックされたの思い出した
精神的な未成熟さとか心理的技巧とかの話だと思う。子供と大人で意味合いが違う。ネット上だと10代の意見や50代の意見が混在してカオスだね。大人は⚪︎が面白かった、とか⚪︎が好き、というタイミングも計るよね。
「つまらない」と言うことで優位に立てると判断してる人がいるてことか。「あなたの物差し(審美眼)だとその程度でおもしろいと感じるのね」的なニュアンスか、“違い”なだけで優劣じゃないのに悩ましいね
実際にどう感じているかは別として、そういう種類の手法しかコミュニケーションの手札を持っていないタイプ、というのも居る。大人なら厄介だけど子供の場合は経験値不足かな。
日本語や文脈がわかんなくて何も面白くないって人もいるからなぁ……… 現実にいたのは「エルフ」がなんなのか分からない人がフリーレンで初遭遇で、エルフってなに?って躓いてた……
最近自分が面白いと思っているコンテンツを頭から否定してくる大物編集者の方がいるのですが、ああやって他人に精神的ダメージを与える人は、イエスマンとだけ関わっていればいいのに。
はてブにいっぱいいるやん 自覚なさそうだけど
リアル人間関係なら、とりあえず心中で「ハンロンの剃刀」と唱えて様子見るかなあ。
「何が面白いのかわかんない」では「つまんない」の熱量も解像度も低過ぎて相手にするに値しない。ディスる時こそ理論武装を。
面白いということに対して私はそうじゃないはディベートにならないのが日本っぽいのかな
犯罪とか迷惑じゃないなら、趣味のものなんでねと思うようにしてる
「どこがつまらなかった」の深掘りにすることで深い考えのもとなのか、浅い気分での否定なのかが引き出せる。 / が、否定的な推定空気悪くする人間を接待するのも嫌だなあという気持ちも出なくはない。
自分の作品をけなされるより、自分の好きな作品(自分の審美眼)をけなされるほうが傷つく……というのをなにかの創作者が書いていて、そういうものだろうとは思ったことがある
過剰な賞賛(当人らはそうではないと主張しがち)は虚偽広告の虞犯行為でもあるので、それを「否定するな」と主張することには謙抑的であるべき
内容はうんうんって思うけどブルーロックはマガジン…/否定する行為ってネガティブ要素が必ず含まれるからマウント以外のコミュニケーションに使うときはある程度気遣いとか技術とかが求められると思う
いつも否定から入るのはアレだが一切ネガティブ情報受け付けないのもディストピア感あるので難しい
そういう人と結婚しちゃうとマジ地獄よ。
PS版のドラクエ7が好きなやつは頭がおかしいって話ですよね
即否定する人いるね。私も割とやるから反省。文脈次第では価値観のすり合わせや親密さゆえの率直さの場合もあるから、一概にマウント取ってるとは思わないけどね。
実生活では言わないようにしてるからこういう場で書いたりしてるのはあるな。
あー。ジャンプ作品を面白いと言ったら負けみたいな病気を拗らせてる人は居るよ。ジャンプ作品なら問答無用で初手「つまらない」で語れ、みたいな。一昔前なら「漫画読み」とか自称してた界隈のオマエラだよ!
私はいつも母親から常に否定され、嘲笑されてた笑笑
これはうちの息子もあったから話したな〜。全否定は良くないと言ったな。
は?有名人気作品のファンって、いっっつも自分が作ったわけでもない作品の人気でマウント取ってんじゃん。その癖ちょっとでもそれに不満をいうと「人の好きを否定するなー」の嵐。
相手への嫉妬や対抗心が無意識に出ちゃってるんでしょう。幼稚ですね。(人の面白いを否定する人を否定してマウントを取ろうとするブコメ)
マウントとは限らんよね。あれもこれも面白いだと面白いのしきい値低すぎてイラッとしてるのかもしれんね。本当に面白いものだけ言えよと。
私も否定から入ってしまうことがあるので意識して止めるようにしてます。基本的に肯定する、「ありがとう」から始めるなど。でも難しいですよね、普段から微妙だと思ってたり明らかにアラが見える話だと特に…
はてブだと「長い読まない」とか「誰?」とか、初手から拒否するパターンが多いような…/鬼滅関係はよく「どこが受けたのかわからん」と書かれてるよねぇ
40過ぎてもやってくる人が近くにいる めっちゃ距離置いてる
「そんなものでありがたがってるの?w(私はもっと高尚なものをしっている)」というのはどこにでもいるからな。最近ドラクエ7の話題でも大量に沸いていたし。
「お前は何でもすぐ否定から入るよな」「いやそんなことはない」
どのへんが面白くないのか訊くのは難しいだろうから、何を面白いと思うのか訊くだろうな、自分は。それを自分が知らないならふれてみるかもしれん。マウント関係なく、単に感性が違う人な可能性もあるし。
どんな食べ物も「まずい」って否定する人もいるよね。給食はまずい、あの店はまずいと(文中にも類似の例として挙げられてるが)そういう時になるべく「そう?自分はおいしいと思うな」と言うようにして生きてきた
娘がそういう話ばかりするのが嫌だから言ってるのかも
“ある作品に「つまらない」という感想を持つことは自由ですし、そこを起点に楽しい議論が盛り上がることもあるので、「つまらない」自体を否定して欲しくもありません ・楽しくて建設的な議論とマウント合戦の線引
否定的な主観的評価を批判か中傷か判断するのは難しい、という記事を以前書きました。マウント的要素がどの程度含まれるか、なんてのも入ってくると、より難しくなりますね。https://ikasuke.hatenablog.com/entry/20120421/p1
自分が評価しない物を周囲が賞賛してると自分が否定されてると感じて、反撃したくなるらしいよ。マウントというより防御の反応じゃないかな
マウンティング欲は人類の基本的な欲求。マウンティング行為を「こいつは腹が減ってるから飯を食ってるのだ」くらいの感覚で見れるような社会にしよう
このブログを娘さんの友人が読む可能性は無いのかしら…?名字がフェイクならバレないと思うけど、どーなん?
マウントというのも受け手の印象に過ぎない話のようだし、子どもの話であれば、面白いつまらないの軸は一旦横に置いて他人の意見に賛同できない時どういう対応をした方がいいと思うかから入る方がいいと思うけどな
相撲やマラソンなどをテレビで見ながら、観客が映ると、よう見に行くなーと毎回言うので本当に嫌になる。OSが他人の行為の否定の人。そのためにわざわざ見てる
何で〇〇なんか応援してるの?弱いのに。 ←これもな
いや、俺はこれを30年前に気が付いていた。(マウント
作品がつまらないんじゃなくて、話が…つまらない可能性もあるんじゃないかな。
「これ知らんやつ人生の半分損してる」系の過剰広告が嫌いなので、たまに腰を折りたくなる気持ちも分からんでもない。友達と同じものを好きじゃなくても友達でいられるのだ、が分かるのは結構先のことだと思う
マイナー作品の「面白さがわかる自分」というマウントもあるし、メジャー作品をなんの屈託もなく楽しめる=クラスの一軍に所属(オタク・陰キャじゃない)というマウントもあるから難しいですよね?
「参政党の排外主義コンテンツ面白い!」「批判ばかりで精神的マウントを取るサヨクリベラルは嫌われて当然!」黙って眺めて考えてるだけのエリートさん達が一番質が悪い。
その時の集団の空気で良し悪しが変わるイメージ。 (集団内での「面白い」の否定はダメージになるけど、 集団内での「面白くない」の空気は乗っからないと逆に叩かれる)
人の面白い、はむしろとても面白いのにな。好きなものを語っているのを聞くのが好きまである。
面白いかどうかと言うより他人の意見を尊重するかしないかの話では。内容に関わらず人の話に被せて自己主張してくる時点で話にならないでしょ
自分はつまんなかったと言われても平気で、逆に相手に「どのへんがつまんなかった?」「もっとどうだったら良かったとかある?」とか聞いてしまう。それがきちんと説明できる人なら、つまんない論も聞いてて面白い
"つまらない" で話をぶった切るとそうなるけど、ここがこういう風につまらないんだよね、とかこういう展開は僕は嫌いなんだよねとか、具体的な話を相手がしてくれれば全体的な会話としては楽しくなる可能性があるかも
他人が「好き」「面白い」「楽しい」と盛り上がってるところに“わざわざ介入して”否定する輩は間違いなくマウント行為でしかないので生温く無視でいい/「それの何が面白いの?」と思っても口に出さんことだ。
面白くないの否定の仕方が面白くないってのは、相手の語彙力と相性の悪さの表れなので付き合うにしても消極的に付き合うようにすると良いよ。
男児女児が遊んでるところを眺めていると、よくわからないマウント合戦で場を冷めさせてスンッてなって、バラバラに遊び始めて、でも数分後にはまた一緒に遊んでいたりする。そうやって会話術を学んでいくのだろう。
「『私は』面白いとは思わなかった」は言うことあるけど、もうその話題を振らないでほしいぐらいの気持ち。この面白さがわからないなんて、と逆にマウント取られてるなぁと思うこともある。
ハイキューが嫌いな女子って存在するのか。女子は全員ハイキュー好きだと思ってたわ。主人公勢があまり強くないからかな。
否定マウントの人は、相手が面食らったりしょんぼりするのをて楽しんでることが多い。笑顔で「そうなんだ!どこがつまらなかったのか教えて!」と会話を始めれば、面倒&手応えなく、て他のターゲットへ移っていく
娘の友達とかに多いけど、世界が狭いとやりがちなのかなって気はする。お手軽に広い見識アピールできるから
否定的な話が苦手な人って結構いるんだよね。否定は物事の楽しみ方に味わいを加えるが、それほど仲良くない相手には、すげー気を使う必要はある。自戒を込めて。
ネットならまぁええやんって思う
え、つまらないならつまらないで仕方なくない?否定してるの?
仲の良い友達であるほど、楽しさ面白さを共有できないときに疎外感があるんだよね。酸っぱいブドウのきつねのように居心地の悪さを悪口に変換してしまう人間の習性
プレステのゲームでルフィが「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」って言ってた。
完全にホールデン・コールフィールドだわ
どんなものでも楽しめる人が一番の勝者なんだけどな。どんな国にも行けるし何でも食べられる。こだわりを持ってる人ほど実は人生を楽しめてない。
“2004年からブログを書いて、この漫画ゲーム面白いと主張。相手の「面白い」を否定して、自分が精神的優位に立とうとしているコメント100件大体2,3件はそういうコメント”
相手に気持ちよくマウントを取らせることも大事よね