''『人々は確実を求める。"2+2は確実な証拠が出るまではたぶん4だろう"より、"2+2は間違いなく5.5だ"と言われる方を好む』 (Conversations with Isaac Asimov p86)''
これはよく感じる。根拠なく自信を持って言い切る方を鵜呑みにする人が多い。たとえ間違ってても。
強いものに従う本能がベースとして強固にあって、思考して解を出すというのは後付けという感じなのかな
アシモフ、あんたとは良いお酒を飲めそうだ。
もみあげどうした?
ビジネスシーンでもこのメソッドは良く使われてるね(^^)
強い言葉で言い切れ。強く見えるぞ。
奇遇だな、俺も「私の染色体はxxよ?」と言い切ってくれる方を好むよ
こういう話題のときにネット民は自分は科学的で論理的な立場だと思っているが「結局」とか「客観的に見て」とか「今日は〇〇の問題点を解説するのだ」とかに弱い
出典確認した google booksで
そうだなあとは思いつつ、「ワクチンの安全性を疑うべくもない真実であり、接種しない人間は等しく反ワク」みたいな言論がまかり通ってた時代が、つい一、二年前にあったんだよなとか思ってしまう。
「2+2は間違いなく4」と「2+2は5になるかもしれない」になるとまた意味が全然違ってくるな
『2+2=5』はジョージ・オーウェルの『1984』に出てくるらしいね。
科学的に正しい表現をする科学者たちが、嘘を断言する扇動家に敗れていっているのを見れば明らか。アシモフの時代も21世紀も変わらない。
“結局みんな、困難を自分で考えたくない、決断できないんだよ。だから他人の強い意見を欲しがる。それが正しいかどうかはどうでもいい。非正解を通すのが一番の問題だよ。頭の良し悪しじゃない”
2+2
VOW読者は「1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ!10倍だぞ10倍」というプロレスラーを好む
理系や技術屋はたいてい断言を避ける傾向にあると思われるので、そこまで少数派ではないはず…
この手の、発言自体は存在するけど言った人が違うという例がtwitterだととても多いんだけどこれはまぁ近かったのね。ちな「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」は言ってない
人間は曖昧さに耐えられないのだ、と言い切られちゃうと、「曖昧なこと言う科学者」だっているじゃん、と思う。曖昧だと居心地悪いひとが多いよね、くらいじゃないの。
地球は平らかもしれないし,アポロは月に行っていないかもしれない。
理科不要問題の文脈かなあ
自信ありげに断言してるほうが集団でのヒエラルキーが高いことが多く、 その人に従ったほうが集団の中で優位に立ちやすかった…的な事も多そう
理科の実験で使った上皿てんびんを思い出す。ふらふら左右に揺れてるときは不安定だけど、皿を左右どちらかにまとめると安定する
あ、分かる。ハテブでも断定口調の方が疑問形で終わるより星多くなるもん
「断言的な言い方をする側を支持してしまうような人間は、例外なく知能が低い」という言説を支持してしまう人は、果たして知性が低いのか高いのか?
肝心な言葉は肝心の人に届かないってのも誰か言ってないかな。
「ヒトラーが ニニンはヨンと 言ったから 2×2の答えは 4でない何か」←これも大好き
そういう公理系なのかなと疑うのがいちばん冷静な人では
そうそう、「103万円の壁は無い」とかもそうでしたね。
細かく正確に伝えたい人と間違いでも自分の言い分を信じさせたい人とは発言の目的が違うのはもちろん、人は悩むよりも悩まずに済ませたい本能から、後者の堂々とした断定発言を信じ易い認知のバグがある生物なので。
擬似科学やら似非医療やら。
中島らもの「僕にはわからない」好きだったなぁ/非科学を科学に落とし込んでいくような最前線の仕事してる科学者は、与えられたエビデンスとコンセンサスの中でも生きてる一般人より不確実性耐性高いんだろうか?
この話に出典がなく、見つけ出された出典らしきものは微妙に違うというのが、また趣がありますなあ。
それな!!だから「人間は謙虚であるべき」という控えめな人は、根拠がなかろうが断言口調の詐欺師、ヤリサー、ネットワークビジネスその他にしてやられる。戦時中の特攻隊も集団自決も徴用工の詐欺雇用も結局これだろ
SF的に足し算の答えが変わる仕掛けにワクワクするみたいな話かと思ったら全然違った。
人類なのでよくわかる。高等な教育を受けた科学者であってもこれに嵌ってしまう危険性がある
2+2=5の初出はジョージ・オーウェルの1984かと思ったらソ連の五ヶ年計画のポスターにその言葉があったとか。2+2=5というのは誰で、それを信じるのは誰かを考えよう。あとRadioheadの楽曲にもあるよね。
逆張りの快感みたいのがあるからいけない。9割の人間は4だと頭から信じ込んでいるが、実は5に近いという事に気づいている人類も僅かに居る。みたいなさ⋯⋯。なるほど厨二病って実は深刻なんだな⋯⋯
ブコメでも自信満々に叩く間違ったコメントが星を集め、専門家の誠実なコメントには星がつかない
新スタートレックに出て来た、ランプはいくつ点いているって言うカーデシアの拷問を思い出した。
つまり人類はAIと相性がいい。いや、悪いのか?
「曖昧さに耐える訓練」って良い言葉だ。それが知性に必要なものの1つだと思っている
ネガティブ・ケイパビリティ(不確実性への耐性)にも繋がる話
言い切る人の方が「頼れる」「芯がある」「責任感がある」という印象になる。進化の過程ではそういうリーダーについて行った人の方が生存率が高かったのかもね。
まぁ参政党が躍進しそうな状況を前に「リベラルざまぁww」してるはてなーはこの議論のレベルにすら到達できてないんですけどね
とある動画配信者が語ってたけど、明確に「断言しないと視聴数が減る」そうな。これは恐ろしい状況、これでは情報のやり取りが増える程に間違った方向に進むという事じゃないか。ネット社会は地獄への一本道ってこと
(化学の歴史面白かった。)
高校までの学習で答えは必ずあるし、一つって学習するから。なんなら学部の教養の授業のテストは答えは一つで正解があるものが多いし。
だから、「微量の放射線の長期的な影響はわからない」と言ってはいけなかったんだろうと思うな…。「影響は全くないか、万一あるとしても、あるかないか測定不可能なくらい小さい」と言うべきだった。
人類のほとんどはバイブスを好むかもしれない
はっきり言っちゃう系強いリーダーに惹かれる人たちの思考じゃない。彼らの何が始末が悪いって自分達は他人の意見に便乗しただけって意識だから、選択結果に対して反省ができないって点だよ
しょうもない会議を終わらせるためにわざと断言口調で押すときある。参加者がアホだと効く。
「人類のほとんどは2+2は4かもしれないと言われるより2+2は間違いなく5だと言われる方を好むかもしれない」
人類に好まれるためには、「アシモフは言っていたらしい」ではなく「アシモフが間違いなく言ってた」って書き方にしないとダメだ
SF作家のアイザック・アシモフは「人類のほとんどは2+2は4かもしれないと言われるより2+2は間違いなく5だと言われる方を好む」と言っていたらしい
''『人々は確実を求める。"2+2は確実な証拠が出るまではたぶん4だろう"より、"2+2は間違いなく5.5だ"と言われる方を好む』 (Conversations with Isaac Asimov p86)''
これはよく感じる。根拠なく自信を持って言い切る方を鵜呑みにする人が多い。たとえ間違ってても。
強いものに従う本能がベースとして強固にあって、思考して解を出すというのは後付けという感じなのかな
アシモフ、あんたとは良いお酒を飲めそうだ。
もみあげどうした?
ビジネスシーンでもこのメソッドは良く使われてるね(^^)
強い言葉で言い切れ。強く見えるぞ。
奇遇だな、俺も「私の染色体はxxよ?」と言い切ってくれる方を好むよ
こういう話題のときにネット民は自分は科学的で論理的な立場だと思っているが「結局」とか「客観的に見て」とか「今日は〇〇の問題点を解説するのだ」とかに弱い
出典確認した google booksで
そうだなあとは思いつつ、「ワクチンの安全性を疑うべくもない真実であり、接種しない人間は等しく反ワク」みたいな言論がまかり通ってた時代が、つい一、二年前にあったんだよなとか思ってしまう。
「2+2は間違いなく4」と「2+2は5になるかもしれない」になるとまた意味が全然違ってくるな
『2+2=5』はジョージ・オーウェルの『1984』に出てくるらしいね。
科学的に正しい表現をする科学者たちが、嘘を断言する扇動家に敗れていっているのを見れば明らか。アシモフの時代も21世紀も変わらない。
“結局みんな、困難を自分で考えたくない、決断できないんだよ。だから他人の強い意見を欲しがる。それが正しいかどうかはどうでもいい。非正解を通すのが一番の問題だよ。頭の良し悪しじゃない”
2+2
VOW読者は「1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ!10倍だぞ10倍」というプロレスラーを好む
理系や技術屋はたいてい断言を避ける傾向にあると思われるので、そこまで少数派ではないはず…
この手の、発言自体は存在するけど言った人が違うという例がtwitterだととても多いんだけどこれはまぁ近かったのね。ちな「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」は言ってない
人間は曖昧さに耐えられないのだ、と言い切られちゃうと、「曖昧なこと言う科学者」だっているじゃん、と思う。曖昧だと居心地悪いひとが多いよね、くらいじゃないの。
地球は平らかもしれないし,アポロは月に行っていないかもしれない。
理科不要問題の文脈かなあ
自信ありげに断言してるほうが集団でのヒエラルキーが高いことが多く、 その人に従ったほうが集団の中で優位に立ちやすかった…的な事も多そう
理科の実験で使った上皿てんびんを思い出す。ふらふら左右に揺れてるときは不安定だけど、皿を左右どちらかにまとめると安定する
あ、分かる。ハテブでも断定口調の方が疑問形で終わるより星多くなるもん
「断言的な言い方をする側を支持してしまうような人間は、例外なく知能が低い」という言説を支持してしまう人は、果たして知性が低いのか高いのか?
肝心な言葉は肝心の人に届かないってのも誰か言ってないかな。
「ヒトラーが ニニンはヨンと 言ったから 2×2の答えは 4でない何か」←これも大好き
そういう公理系なのかなと疑うのがいちばん冷静な人では
そうそう、「103万円の壁は無い」とかもそうでしたね。
細かく正確に伝えたい人と間違いでも自分の言い分を信じさせたい人とは発言の目的が違うのはもちろん、人は悩むよりも悩まずに済ませたい本能から、後者の堂々とした断定発言を信じ易い認知のバグがある生物なので。
擬似科学やら似非医療やら。
中島らもの「僕にはわからない」好きだったなぁ/非科学を科学に落とし込んでいくような最前線の仕事してる科学者は、与えられたエビデンスとコンセンサスの中でも生きてる一般人より不確実性耐性高いんだろうか?
この話に出典がなく、見つけ出された出典らしきものは微妙に違うというのが、また趣がありますなあ。
それな!!だから「人間は謙虚であるべき」という控えめな人は、根拠がなかろうが断言口調の詐欺師、ヤリサー、ネットワークビジネスその他にしてやられる。戦時中の特攻隊も集団自決も徴用工の詐欺雇用も結局これだろ
SF的に足し算の答えが変わる仕掛けにワクワクするみたいな話かと思ったら全然違った。
人類なのでよくわかる。高等な教育を受けた科学者であってもこれに嵌ってしまう危険性がある
2+2=5の初出はジョージ・オーウェルの1984かと思ったらソ連の五ヶ年計画のポスターにその言葉があったとか。2+2=5というのは誰で、それを信じるのは誰かを考えよう。あとRadioheadの楽曲にもあるよね。
逆張りの快感みたいのがあるからいけない。9割の人間は4だと頭から信じ込んでいるが、実は5に近いという事に気づいている人類も僅かに居る。みたいなさ⋯⋯。なるほど厨二病って実は深刻なんだな⋯⋯
ブコメでも自信満々に叩く間違ったコメントが星を集め、専門家の誠実なコメントには星がつかない
新スタートレックに出て来た、ランプはいくつ点いているって言うカーデシアの拷問を思い出した。
つまり人類はAIと相性がいい。いや、悪いのか?
「曖昧さに耐える訓練」って良い言葉だ。それが知性に必要なものの1つだと思っている
ネガティブ・ケイパビリティ(不確実性への耐性)にも繋がる話
言い切る人の方が「頼れる」「芯がある」「責任感がある」という印象になる。進化の過程ではそういうリーダーについて行った人の方が生存率が高かったのかもね。
まぁ参政党が躍進しそうな状況を前に「リベラルざまぁww」してるはてなーはこの議論のレベルにすら到達できてないんですけどね
とある動画配信者が語ってたけど、明確に「断言しないと視聴数が減る」そうな。これは恐ろしい状況、これでは情報のやり取りが増える程に間違った方向に進むという事じゃないか。ネット社会は地獄への一本道ってこと
(化学の歴史面白かった。)
高校までの学習で答えは必ずあるし、一つって学習するから。なんなら学部の教養の授業のテストは答えは一つで正解があるものが多いし。
だから、「微量の放射線の長期的な影響はわからない」と言ってはいけなかったんだろうと思うな…。「影響は全くないか、万一あるとしても、あるかないか測定不可能なくらい小さい」と言うべきだった。
人類のほとんどはバイブスを好むかもしれない
はっきり言っちゃう系強いリーダーに惹かれる人たちの思考じゃない。彼らの何が始末が悪いって自分達は他人の意見に便乗しただけって意識だから、選択結果に対して反省ができないって点だよ
しょうもない会議を終わらせるためにわざと断言口調で押すときある。参加者がアホだと効く。
「人類のほとんどは2+2は4かもしれないと言われるより2+2は間違いなく5だと言われる方を好むかもしれない」
人類に好まれるためには、「アシモフは言っていたらしい」ではなく「アシモフが間違いなく言ってた」って書き方にしないとダメだ