画像だってプロンプトは足して引いてを繰り返してすごい呪文になってるもんな。
AIを活用した小説というのも、今後は当たり前になっていくのかねえ。人工知能に次々と負かされていくプロを観戦した将棋ファンもこんな思いだったのかな。時代ゆえに仕方ないけどとても複雑な気持ちになる。
“公開されたプロンプトには、5日にわたる小説家とAIとの対話が生々しくつづられ、“小説家の頭の中”を垣間見ることができる”
わい監修Chatgpt o3執筆の小説 https://ncode.syosetu.com/n1889ko/ のプロンプトもここに公開しよう。/以下の内容で小説の第〇話を書いてください。[わいのブコメ] /そう、皆がここで見てるブコメがプロンプトなのだ
それお前が書いたんでねえべや。
AIの出力を選別し、調整するのも手書きと同様に作家の創造性が必要。より効率的にレベルの高い作品が生産されるようになるのは良いことだ
プロンプトの語彙が豊富で的確な指示なのはやはりプロの小説家だなーと思った。
意外と普通に会話してる(全文は見てない)
小説の出来不出来が問題ではなく、AIで書いて楽しいのかな?書く楽しみはあったのかな?
水嶋ヒロ「これは汚名返上のチャンス…」
数年前、評価する人が評価される時代みたいなことを書いたが、また別の意味でそうなってきたかも。
まだ全文読んでないけど、あれだけ膨大にAIと対話してその成果を小説にまとめるより、自分で書いたほうが早いや⋯という作家さんはまだまだ多そう。
へー
印象として、プロダクション制のマンガ製作で、名義人となっている人(先生・監督)と執筆スタッフのやりとりでプロダクトを進行させて作品を作っているのに似ているイメージ。
本題ずれるけど広告のWebサイトが頭おかしくなりそうで最高だと思いました
少し読んだけど、創作は楽じゃねえと言うのが垣間見えた
制作過程も含めてクリエイティブなコンテンツなの、クリエイティブで良い(進次郎構文)
九段さんてキツイ人なのかな?って感じながらプロンプトを読みはじめたんだけど、プロンプトも含めて作品だったなって途中から気づいて、ラストのオチ(プロンプトにオチがある!)でなるほど作品だって思った。
小説家て自分で物語•文章を書くのが楽しい(やりがいある)人がなる職業やと思ってたけど、まったくそんなこともないんやね
自分は評価しない。それはそれとして、皆がやり始めたときにどれだけ差別化できるものなのかは興味がある。
単に高い成果を求めて無限の労力をつぎ込んでいるだけで、AIに書かせたから楽になったなんて話とはまるで無縁な感じですね。そうでなきゃ芥川賞なんてレベルになるわけないってことなんでしょうけど
広告って20年前くらいに毎号買ってた。中身が面白くて。懐かし
新橋九段かと思った
“た。”
もうAIと小説家の会話のほうがおもしろい
「そうなんですねというのが感想です(知ることに対して感想って必ずついてまわるのかなあ」とか顰蹙を買いまくってる石丸も有権者が的確なプロンプトをもって対話修正してけば芥川賞レベルにエボリューションする
https://openlab.bmcc.cuny.edu/gains-scholars/wp-content/uploads/sites/2045/2023/03/SLIMJARO-REPORT.pdf
面白い対話だった。小説を読んでからもう一度読みたい
プロのプロンプト
プロンプトが生々しくて驚いた。校正とか命令を書いてしか使ってないので全て『対話」でやると大変だなぁ。今だと技術ブログを作るのが適当なのかな。
先に作品読みたい
質問力が大事だな
面白い試み。しかしプロンプト自体に高度なセンスとテクニックが要求されるであろうことは想像に難くない。
小説はなぁ。プロンプトで精緻に映像が作れるようになったときに、ぼくは夢を映像にしてダウンロードしたいんだけど、どれだけ表現豊かに自分の夢を描写できるか、になるんかなぁ
瀬川深センセイも生成AI使って執筆すればワンチャンw。
AIすごいけど、ボクの方がもっと可愛く書ける自信あるにゃ!
あらためて、AIは綺麗に磨かれた鏡なんだなということを追認した。AI(という鏡に映った自分)に落胆するぐらいには。
映画監督やゲーム制作者がすべての作業を自分で行わないように、外注してもかまわない部分はAIに任せるということは小説やほかの作品でも可能だろうし、どの部分を外注してかまわないかは作者によるだろう
芥川賞作家が「95%AIで書いた」小説、全プロンプトをWeb公開
画像だってプロンプトは足して引いてを繰り返してすごい呪文になってるもんな。
AIを活用した小説というのも、今後は当たり前になっていくのかねえ。人工知能に次々と負かされていくプロを観戦した将棋ファンもこんな思いだったのかな。時代ゆえに仕方ないけどとても複雑な気持ちになる。
“公開されたプロンプトには、5日にわたる小説家とAIとの対話が生々しくつづられ、“小説家の頭の中”を垣間見ることができる”
わい監修Chatgpt o3執筆の小説 https://ncode.syosetu.com/n1889ko/ のプロンプトもここに公開しよう。/以下の内容で小説の第〇話を書いてください。[わいのブコメ] /そう、皆がここで見てるブコメがプロンプトなのだ
それお前が書いたんでねえべや。
AIの出力を選別し、調整するのも手書きと同様に作家の創造性が必要。より効率的にレベルの高い作品が生産されるようになるのは良いことだ
プロンプトの語彙が豊富で的確な指示なのはやはりプロの小説家だなーと思った。
意外と普通に会話してる(全文は見てない)
小説の出来不出来が問題ではなく、AIで書いて楽しいのかな?書く楽しみはあったのかな?
水嶋ヒロ「これは汚名返上のチャンス…」
数年前、評価する人が評価される時代みたいなことを書いたが、また別の意味でそうなってきたかも。
まだ全文読んでないけど、あれだけ膨大にAIと対話してその成果を小説にまとめるより、自分で書いたほうが早いや⋯という作家さんはまだまだ多そう。
へー
印象として、プロダクション制のマンガ製作で、名義人となっている人(先生・監督)と執筆スタッフのやりとりでプロダクトを進行させて作品を作っているのに似ているイメージ。
本題ずれるけど広告のWebサイトが頭おかしくなりそうで最高だと思いました
少し読んだけど、創作は楽じゃねえと言うのが垣間見えた
制作過程も含めてクリエイティブなコンテンツなの、クリエイティブで良い(進次郎構文)
九段さんてキツイ人なのかな?って感じながらプロンプトを読みはじめたんだけど、プロンプトも含めて作品だったなって途中から気づいて、ラストのオチ(プロンプトにオチがある!)でなるほど作品だって思った。
小説家て自分で物語•文章を書くのが楽しい(やりがいある)人がなる職業やと思ってたけど、まったくそんなこともないんやね
自分は評価しない。それはそれとして、皆がやり始めたときにどれだけ差別化できるものなのかは興味がある。
単に高い成果を求めて無限の労力をつぎ込んでいるだけで、AIに書かせたから楽になったなんて話とはまるで無縁な感じですね。そうでなきゃ芥川賞なんてレベルになるわけないってことなんでしょうけど
広告って20年前くらいに毎号買ってた。中身が面白くて。懐かし
新橋九段かと思った
“た。”
もうAIと小説家の会話のほうがおもしろい
「そうなんですねというのが感想です(知ることに対して感想って必ずついてまわるのかなあ」とか顰蹙を買いまくってる石丸も有権者が的確なプロンプトをもって対話修正してけば芥川賞レベルにエボリューションする
https://openlab.bmcc.cuny.edu/gains-scholars/wp-content/uploads/sites/2045/2023/03/SLIMJARO-REPORT.pdf
面白い対話だった。小説を読んでからもう一度読みたい
プロのプロンプト
プロンプトが生々しくて驚いた。校正とか命令を書いてしか使ってないので全て『対話」でやると大変だなぁ。今だと技術ブログを作るのが適当なのかな。
先に作品読みたい
質問力が大事だな
面白い試み。しかしプロンプト自体に高度なセンスとテクニックが要求されるであろうことは想像に難くない。
小説はなぁ。プロンプトで精緻に映像が作れるようになったときに、ぼくは夢を映像にしてダウンロードしたいんだけど、どれだけ表現豊かに自分の夢を描写できるか、になるんかなぁ
瀬川深センセイも生成AI使って執筆すればワンチャンw。
AIすごいけど、ボクの方がもっと可愛く書ける自信あるにゃ!
あらためて、AIは綺麗に磨かれた鏡なんだなということを追認した。AI(という鏡に映った自分)に落胆するぐらいには。
映画監督やゲーム制作者がすべての作業を自分で行わないように、外注してもかまわない部分はAIに任せるということは小説やほかの作品でも可能だろうし、どの部分を外注してかまわないかは作者によるだろう