自分のスキルを見せつけてマウントするのが人間の楽しみなので、それが薄らぐのは、悲しくて当然です。AIか便利ツールかライバルとか環境変化の理由は関係ない。どれでも一緒。
あなたはAIに勝つしかない。そして、それはまだ可能だ。もし勝てなくなったら、本当にパズルにでも楽しみは譲って、ビジネスに注力すべし。しかし、数年程度で人間が勝てなくなるんだろうか?10年後はわからないがw
ゲームだろうがスポーツだろうが競争環境でマウントを取ることに生き甲斐を感じている性分の人間は、どんな分野にいても満足できないのだから仕方ない。だからゴルフや盆栽やプラモデルなど自己満の趣味が良いのよ。
自分は謎解きでなくて課題解決に興味があるので(謎解きも好きだけどね)、効率が上がったことが喜ばしい感じ。先日AIで趣味プロがまた楽しくなったということを書いた https://blog.manaten.net/entry/claude-code-tsumipro
大丈夫、謎は充分に残ります_:(´ཀ`」 ∠):
AI によって "人間の知的好奇心や創造性" にケチが付く気持ちは分かる。ただ、それに全振り出来るのはもう個人の趣味プロジェクトだけなのだという割り切りがいる時代になった。仕事では生産性が正義。
コードを書くことを目的にするとそう思うのかもしれないけどサービスを作って売ることを目的にしてるので自分にとってはありがたみしかない。
AIが最も難しい箇所、最も大盛りスパゲッティになってしまった箇所だけ渡してくれるから大丈夫ですよ。
AIはガリ勉君。こっちが不得意で向こうが得意だろう分野の質問するとこちらの意図まで見透かして答える一方で噛み砕けば小学生が一瞬で解ける問題が全く解けない。いくらアドバイスしても解けない。だから不安になる
わかる。/「そういうのは帰宅してから勝手に磨いてね。勤務中はAI使って速度出してください。」(資本家しぐさ)
馬と自動車で例えるならば自動車によって、仕事で馬を操る楽しみはほとんどなくなったけど車を運転する楽しみは多くの人に与えられた。結局は楽しみ方を見つけられるかどうかだろう。
私も違和感を覚える派。アウトプットが2倍以上になっても勤務時間は8時間なままなので疲れる。ちょっと前に実装したことの仕様の記憶も途切れる。今までは一行一行なぜそのように実装にしたのか説明できたのに。
複雑な問題の解決が好きならむしろAIでコーディングした方が明らかに良いと思います
問題自体を定義するのはまだまだこれからも人間だろうが、残念だが問題の解き方で人間がAIに勝つ未来はないだろうと思う
怠惰を美学とするかどうかで分かれそうな気がする。好きなのはプログラミングなのか、自力で解決することなのか。
Cコンパイラを否定してたマシン語おじさん「コンパイラはCPUのアーキテクチャを理解してない。リソース浪費のクソコードの山ができる。思考を放棄した軟弱Cプログラマは馬鹿になる」 gccのrtl最適化で白旗を上げた模様
ぼくが常にOpusを使えてない、プロンプトが悪いだけかもしれんけど、厄介なバグはいまだにAIも解決せずにループするし、そういう時のパズル感は残ってる気がする。残念ながら……
別にAIの利用を強制される訳じゃあるまいに。仕事(=クライアントが居る)の場合はしゃーなしだけど。
AIに勝手にコードを書かせるというよりは、Gemini Proでプロンプトを工夫し、背景から寄り添って説明してもらってる。コーチ的な感じになってもらうことで効果的に知識を吸収できる。
そうじゃないという書き方をされた時イライラしちゃう
やりたい解析、作りたいワークフローがもりもり出来上がって行く満足感はあるけど、その代わりにちまちま書く喜びは確かになくなってクソコードを叱りつける仕事になったのはちょっと悲しいね
個人的にはあぶみありで馬に乗るのかあぶみなしで馬に乗るのかの違いな気がする。馬をのりこなすことに楽しみを見出すのか、馬に乗ることに楽しみを見出すのかの違い。
自動車できたあとはランニングは趣味になっちまうんだ
楽しみとかより多数あったヒエラルキーツリーが統合されてしまうことで問題が起きていく。ヒエラルキーの中で中間層の個人の意思決定の裁量が小さくなる。上位の意思決定に対しリスクを広く取っていく必要が増す
流れ作業プログラミングに費やす時間が減って、頭を使う高難易度部分が残されるから、まだ楽しめてるが、これもいつまでもつのやら
コードを書きたいのか、プロダクトを作りたいのか、単に趣味嗜好の違い。
AIでも解けるような問題の追跡は、詰将棋みたいに娯楽として楽しむのでなければ、そんなクリエイティブな幻想を持てるようなものではなくて、単なる肉体労働の延長線にしか無いのでは。
絵師界隈の悩みみたいだね。一番楽しいとこを奪わないでくれぇぇぇってのは分からんでもないけど、多分ごく一部の人しかその部分の必要性が無くなる。残る人は趣味か職人の世界になるんだろうな
先日AIハッカソンに中2の娘と参加したが、彼女にはVibeコーディングがピンとかなかったようだ。プログラミングそのものが楽しいみたいなので、それは尊重したい。
"既存のコードと調和する美しい解決策を思いついた時の満足感" ??????それLLMには無理じゃね?????????
頭のメモリが足らない自分にとっては、いわゆる神ツールだね。適切なワードを使えなくて「hoge1」「hoge2」という変数使ってるので…
助手のAIワトソン君に面倒な仕事全部任せて安楽椅子探偵気取れて楽しいじゃん。ワトソン君の結論間違ってたり無限ループに陥ってる所に華麗に真の解決策を示してあげたら超楽しい!
乗馬はレジャーになった
その情熱と同じぐらい他の業種の機械に代替された作業や技術に敬意を向けられていたか一度考えてみるのも良いかもしれない。そうでなかったらそれまでの話
生成AIのおかげでアウトプットは増えたけど、目を通すものが爆増して、嘘(ハルシネーション)が混じってるかも。というのが飛んでいきそうになる。競プロの問題解くのは、難しいと聴くし、そこで楽しむしかないかも
AIマインスイーパーと同じ話だと思ってる。楽しいところはAIがやってしまい、不確定な仕事とその責任だけが人間に残される https://x.com/mizloq/status/1897194543503827031?s=46&t=xZtv1uHEMSTlPG5MY85PlA
囲碁や将棋みたいに、自分の打った手や指した手を検討して考えを成長させるのに使ってる(自分自身の能力を昨日よりも強化する)ならAIは有能なのだけど、考えを任せて自分の考える力を放棄するなら弱るだけだからね
詰まりまくってさんざん試行錯誤してようやく解決した時の脳内物質はたまらない。あれを味わうのを目的にすると、AI活用は脳が寂しくて辛いかもしれない。
たぶんこの人は全部分かってるんだろうけど、 “なぜこの問題が起きるのか、どこに原因があるのか、仮説を立てて検証を重ねて、ついに問題の本質を突き止めた時” が、もうAIに手渡される世界になる
簡単な課題はAIが解決する。難しい課題が人間に残される。
同じようなこと考えてるけどAIプログラミングも別ゲーとして楽しんでる プログラマーの生産性なんて誰にも測れないから好きなように好きなやり方をまぶしてやっていけばいいのだと思う
楽しいは楽しいけど使うための本来の知識のハードルは下がってない気がする。よくわからないけどできたみたいなコピペプログラマが大量に増えたような世界かもしれない。引き継ぐプロジェクトは慎重に選びたいw
流鏑馬みたいになる日が来るのではと思う。昔は軍事訓練として生きるために必要だったが、今日の安全保障は国家とかが担うようになって、流鏑馬は伝統の中で生きている。
仕事でプログラミングしてた時は、徹夜でコード書いて、寝落ちした夢の中でもコード書いていた。夢の中で閃いたコードを飛び起きてすぐに打ち込んで上手くいったりみたいな事は楽しかったな。今はAIにやって欲しい。
自分はコード補完型はただの思考の邪魔にしかならないので全然合わない。使うなら自動型だな。アイデアをどんどん形にできるので、どちらかと言えば楽しい。会社員は余計に働かされるだけだから違和感あるんでしょ。
“AIに大部分を任せてしまうと、なんだか「自分がやった」という実感が薄れてしまう” ←わかる。自分が周囲に比べてAIに対して冷ややかなのはそれに尽きる。プログラミングもお絵描きも作文も自分で作るから楽しい。
楽しさと有用さは別ってだけの話では。いつまでもソロバンの温かみにしがみつく人に会社は席を用意ないんじゃないかしらね
良い塾講師に恵まれて、これまで解けなかった難問が解けるようになった感があるので、今のところ楽しめてる。
自分のアイデアや設計を強化・高速化できてる人は強いけど、コピペプログラマーがAIコピペプログラマーになって全能感を得ているのをみると、より代替可能な存在に向かっているなとも感じる
AIでプログラミングが「楽しくなった」人たちと、少し違和感を抱く自分|magurotuna
自分のスキルを見せつけてマウントするのが人間の楽しみなので、それが薄らぐのは、悲しくて当然です。AIか便利ツールかライバルとか環境変化の理由は関係ない。どれでも一緒。
あなたはAIに勝つしかない。そして、それはまだ可能だ。もし勝てなくなったら、本当にパズルにでも楽しみは譲って、ビジネスに注力すべし。しかし、数年程度で人間が勝てなくなるんだろうか?10年後はわからないがw
ゲームだろうがスポーツだろうが競争環境でマウントを取ることに生き甲斐を感じている性分の人間は、どんな分野にいても満足できないのだから仕方ない。だからゴルフや盆栽やプラモデルなど自己満の趣味が良いのよ。
自分は謎解きでなくて課題解決に興味があるので(謎解きも好きだけどね)、効率が上がったことが喜ばしい感じ。先日AIで趣味プロがまた楽しくなったということを書いた https://blog.manaten.net/entry/claude-code-tsumipro
大丈夫、謎は充分に残ります_:(´ཀ`」 ∠):
AI によって "人間の知的好奇心や創造性" にケチが付く気持ちは分かる。ただ、それに全振り出来るのはもう個人の趣味プロジェクトだけなのだという割り切りがいる時代になった。仕事では生産性が正義。
コードを書くことを目的にするとそう思うのかもしれないけどサービスを作って売ることを目的にしてるので自分にとってはありがたみしかない。
AIが最も難しい箇所、最も大盛りスパゲッティになってしまった箇所だけ渡してくれるから大丈夫ですよ。
AIはガリ勉君。こっちが不得意で向こうが得意だろう分野の質問するとこちらの意図まで見透かして答える一方で噛み砕けば小学生が一瞬で解ける問題が全く解けない。いくらアドバイスしても解けない。だから不安になる
わかる。/「そういうのは帰宅してから勝手に磨いてね。勤務中はAI使って速度出してください。」(資本家しぐさ)
馬と自動車で例えるならば自動車によって、仕事で馬を操る楽しみはほとんどなくなったけど車を運転する楽しみは多くの人に与えられた。結局は楽しみ方を見つけられるかどうかだろう。
私も違和感を覚える派。アウトプットが2倍以上になっても勤務時間は8時間なままなので疲れる。ちょっと前に実装したことの仕様の記憶も途切れる。今までは一行一行なぜそのように実装にしたのか説明できたのに。
複雑な問題の解決が好きならむしろAIでコーディングした方が明らかに良いと思います
問題自体を定義するのはまだまだこれからも人間だろうが、残念だが問題の解き方で人間がAIに勝つ未来はないだろうと思う
怠惰を美学とするかどうかで分かれそうな気がする。好きなのはプログラミングなのか、自力で解決することなのか。
Cコンパイラを否定してたマシン語おじさん「コンパイラはCPUのアーキテクチャを理解してない。リソース浪費のクソコードの山ができる。思考を放棄した軟弱Cプログラマは馬鹿になる」 gccのrtl最適化で白旗を上げた模様
ぼくが常にOpusを使えてない、プロンプトが悪いだけかもしれんけど、厄介なバグはいまだにAIも解決せずにループするし、そういう時のパズル感は残ってる気がする。残念ながら……
別にAIの利用を強制される訳じゃあるまいに。仕事(=クライアントが居る)の場合はしゃーなしだけど。
AIに勝手にコードを書かせるというよりは、Gemini Proでプロンプトを工夫し、背景から寄り添って説明してもらってる。コーチ的な感じになってもらうことで効果的に知識を吸収できる。
そうじゃないという書き方をされた時イライラしちゃう
やりたい解析、作りたいワークフローがもりもり出来上がって行く満足感はあるけど、その代わりにちまちま書く喜びは確かになくなってクソコードを叱りつける仕事になったのはちょっと悲しいね
個人的にはあぶみありで馬に乗るのかあぶみなしで馬に乗るのかの違いな気がする。馬をのりこなすことに楽しみを見出すのか、馬に乗ることに楽しみを見出すのかの違い。
自動車できたあとはランニングは趣味になっちまうんだ
楽しみとかより多数あったヒエラルキーツリーが統合されてしまうことで問題が起きていく。ヒエラルキーの中で中間層の個人の意思決定の裁量が小さくなる。上位の意思決定に対しリスクを広く取っていく必要が増す
流れ作業プログラミングに費やす時間が減って、頭を使う高難易度部分が残されるから、まだ楽しめてるが、これもいつまでもつのやら
コードを書きたいのか、プロダクトを作りたいのか、単に趣味嗜好の違い。
AIでも解けるような問題の追跡は、詰将棋みたいに娯楽として楽しむのでなければ、そんなクリエイティブな幻想を持てるようなものではなくて、単なる肉体労働の延長線にしか無いのでは。
絵師界隈の悩みみたいだね。一番楽しいとこを奪わないでくれぇぇぇってのは分からんでもないけど、多分ごく一部の人しかその部分の必要性が無くなる。残る人は趣味か職人の世界になるんだろうな
先日AIハッカソンに中2の娘と参加したが、彼女にはVibeコーディングがピンとかなかったようだ。プログラミングそのものが楽しいみたいなので、それは尊重したい。
"既存のコードと調和する美しい解決策を思いついた時の満足感" ??????それLLMには無理じゃね?????????
頭のメモリが足らない自分にとっては、いわゆる神ツールだね。適切なワードを使えなくて「hoge1」「hoge2」という変数使ってるので…
助手のAIワトソン君に面倒な仕事全部任せて安楽椅子探偵気取れて楽しいじゃん。ワトソン君の結論間違ってたり無限ループに陥ってる所に華麗に真の解決策を示してあげたら超楽しい!
乗馬はレジャーになった
その情熱と同じぐらい他の業種の機械に代替された作業や技術に敬意を向けられていたか一度考えてみるのも良いかもしれない。そうでなかったらそれまでの話
生成AIのおかげでアウトプットは増えたけど、目を通すものが爆増して、嘘(ハルシネーション)が混じってるかも。というのが飛んでいきそうになる。競プロの問題解くのは、難しいと聴くし、そこで楽しむしかないかも
AIマインスイーパーと同じ話だと思ってる。楽しいところはAIがやってしまい、不確定な仕事とその責任だけが人間に残される https://x.com/mizloq/status/1897194543503827031?s=46&t=xZtv1uHEMSTlPG5MY85PlA
囲碁や将棋みたいに、自分の打った手や指した手を検討して考えを成長させるのに使ってる(自分自身の能力を昨日よりも強化する)ならAIは有能なのだけど、考えを任せて自分の考える力を放棄するなら弱るだけだからね
詰まりまくってさんざん試行錯誤してようやく解決した時の脳内物質はたまらない。あれを味わうのを目的にすると、AI活用は脳が寂しくて辛いかもしれない。
たぶんこの人は全部分かってるんだろうけど、 “なぜこの問題が起きるのか、どこに原因があるのか、仮説を立てて検証を重ねて、ついに問題の本質を突き止めた時” が、もうAIに手渡される世界になる
簡単な課題はAIが解決する。難しい課題が人間に残される。
同じようなこと考えてるけどAIプログラミングも別ゲーとして楽しんでる プログラマーの生産性なんて誰にも測れないから好きなように好きなやり方をまぶしてやっていけばいいのだと思う
楽しいは楽しいけど使うための本来の知識のハードルは下がってない気がする。よくわからないけどできたみたいなコピペプログラマが大量に増えたような世界かもしれない。引き継ぐプロジェクトは慎重に選びたいw
流鏑馬みたいになる日が来るのではと思う。昔は軍事訓練として生きるために必要だったが、今日の安全保障は国家とかが担うようになって、流鏑馬は伝統の中で生きている。
仕事でプログラミングしてた時は、徹夜でコード書いて、寝落ちした夢の中でもコード書いていた。夢の中で閃いたコードを飛び起きてすぐに打ち込んで上手くいったりみたいな事は楽しかったな。今はAIにやって欲しい。
自分はコード補完型はただの思考の邪魔にしかならないので全然合わない。使うなら自動型だな。アイデアをどんどん形にできるので、どちらかと言えば楽しい。会社員は余計に働かされるだけだから違和感あるんでしょ。
“AIに大部分を任せてしまうと、なんだか「自分がやった」という実感が薄れてしまう” ←わかる。自分が周囲に比べてAIに対して冷ややかなのはそれに尽きる。プログラミングもお絵描きも作文も自分で作るから楽しい。
楽しさと有用さは別ってだけの話では。いつまでもソロバンの温かみにしがみつく人に会社は席を用意ないんじゃないかしらね
良い塾講師に恵まれて、これまで解けなかった難問が解けるようになった感があるので、今のところ楽しめてる。
自分のアイデアや設計を強化・高速化できてる人は強いけど、コピペプログラマーがAIコピペプログラマーになって全能感を得ているのをみると、より代替可能な存在に向かっているなとも感じる