AIで書いたからどうじゃなくて、結果として筆者の責任で監修なりファクトチェックしてから持ってこい、て話にすべきでは。他者著作物の盗用とかないか等のチェックはむしろAI使い倒してバリバリやろうぜ。
「私はAI」路線で。
馬鹿げた話。AIが存在しない時代の教員自身の論文をAI検出ツールにかけて、正しい判定ができないことを実感すればいいのに。
こういうのをいたちごっこというのですよね
インターネット禁止!
何らかの規則性を遵守することに強いこだわりのあるような人は、AI判定をされてしまうことが多くなりそう……。
学問分野に限らず、世の評価の基準は ①成果 ②能力 ③意欲 の概ね3択だろうが、①ならAIを咎める意味はないし、②ならAI時代にレポートで計ろうとするのがナンセンス。(無論この場合③は主な基準にはならないだろう)
教育という意味では AI に丸投げしたものはどうよというのはあるけれど、文章に書かれている内容とその品質という意味ではべつに AI が書いたものだろうがなんだろうが関係なかったりもするんだよね。
AIで生成したかどうかを判定しようとするのは有害で無益。そんな途中過程を縛らずに、結果の論文の内容が正しいかどうかで判断するべき。
大教室授業では裏打ちや権威づけにならないということになるなら、高等教育も(一方で"民主化"は進みつつしかしもう一方で)近世や中世にいったんかえるのかしら? なんて心配もしてしまいます。
学ぶ機会を失うのは学生だからほっとけよと思うけど、質が悪いまま卒業して悪評が広まったら大学も困るのか。教室に集めてレポート書かせるしかないのかね
AIが出力する文章を多く読み慣れてしまうと人間の方がAIの文章から学習してしまって、言い回しや構成などの特徴がAIの書く文章に近くなってしまう恐れがある。 / 執筆がAIでも監修は本人の責任として判断すれば良い。
まるで手書きの履歴書じゃないと却下する面接官のよう。
自分で指した手をAIをつかって指したと言いがかりをつけられた将棋の三浦九段の悲劇から学ぶべき。AIの性能が大部分の学生の能力を超えた現在,教育と評価の方法を根本的に再設計しないと。
論文をAIで校正するとか普通に便利だろ。本質的な問題に関しては、提示された論文を元にいくつか質問すればすぐに検証できる話に見えるけど違うんかな?論文の評価ってそういうもんだと思うけど
「AI率を下げるためにさまざまなことを試した結果、自分の論文が箇条書きをつなげただけの言葉の残骸のような、“できの悪い機械が書いた”ようなものになってしまったことに落胆している」
さすがに学生に禁止するだけのことはあるのね。『教官側も、学生が提出したレポートや論文を、AIを使って要約したり、評価をしたり、コメントを生成したりすることが禁じられている』
“検査する文章の一部を同意語に置き換えたり、語順を変えてみたりする。すると、単語間の関連度が非常に高く、安定している状態のAIの文章の場合、改変をしたことにより全体の関連度の合計値が大きく下がる。”
どこかで「AIで書いても良いがプロンプトを添えて提出せよ」としてる先生を見かけた。AIを許容しながら理解の程度や思考の過程を確認出来そうで良いと思った。
“つまり、論文をAIに代筆させ、追加料金を支払うと、AI率を下げる加工までワンストップでやってくれるのだ。 ”
学生は自らが思考力分析力表現力を有していることを証明するために論文を書くのだからAIに書かせてたらダメだろ。自動運転車で運転免許取るようなもんだぞ
AIが書いたかどうかに何の意味が?重要なのは研究データであって、それが捏造かどうかはAI関係なく今までもあった問題だろう。
悲喜劇/ブコメはAI生成か否かを問うことを疑問視する声が多い。作成方法を問わず、論文提出後の口頭試問が本番、となればいいのかしら。知り合いの専門家に代筆させる人が出てきちゃうか? それでもOKとするか?
AI生成結果に対して自分の判断基準を持っているかどうかが今の時代に求められる能力なので、レポート内容自体を評価するのではなく、その内容を理解しているかで評価すべき。つまり質疑応答して評価すべし。
AI使ってもちゃんとそれなりに信憑性のあるファクトに基づいてたら問題ないと思う。吐き出されたもののファクトと論理的生合成を確認することで結果的に勉強になるわね。
試験での電卓使用可否と通じるものがあるな。結果的に同じとこに行き着くならAIでもいいかなあ。
半分以上がAIで書かれてると大騒ぎした大学のセンセイの論文をチェックするとAIで書かれた判定された話好き
ブクマカの大好きな“AIも人間も同じ”論に従えばAIに書かせるのは人間のゴーストライターに書かせるのと同じということになるが、後者も結果の論文の内容が正しいかだけで判定すべきってなるのかね
AIの考証を前提において、自分に考証はこうだと、完全に素材化してしまえばよくないの?
レポートが学術的な新発見を求めていない教育目的なのは明らかなので、学術論文にAI使うのと比べても深刻ではある
論文の正しさで判断とはいうが学部の論文なんてほぼ未踏分野無いんだから無理よね。まあ大卒インフレ対策も兼ねて基本に立ち返りオリジナリティの有無で厳しく卒業を絞るという判断もありかもしれないけど。
AI 検出ツールも広義の AI やろ
口頭試問が対策になると思うけど実施コストをどうすればいいかを生成AIにきいたりしてみた
もう完全にイタチごっこで禁止令は無益そのもの。
ブコメは採点者のキャパシティを無視している。AIで生成したか判定しないと、数か量かまたはその両方が増えるので採点者の機能が低下する。真面目にやってる人も割を食う。つまり有益
'教官側も、生成AIのみに頼ってクリアできるような課題ではなく、自分の頭で考えなければ達成できない課題を工夫する必要に迫られている。'これが一番難しいところだよな
「自分で書いた」と証明するために論文を“最適化”する学生たち。AI検出ツールをめぐる混乱 | レバテックラボ(レバテックLAB)
AIで書いたからどうじゃなくて、結果として筆者の責任で監修なりファクトチェックしてから持ってこい、て話にすべきでは。他者著作物の盗用とかないか等のチェックはむしろAI使い倒してバリバリやろうぜ。
「私はAI」路線で。
馬鹿げた話。AIが存在しない時代の教員自身の論文をAI検出ツールにかけて、正しい判定ができないことを実感すればいいのに。
こういうのをいたちごっこというのですよね
インターネット禁止!
何らかの規則性を遵守することに強いこだわりのあるような人は、AI判定をされてしまうことが多くなりそう……。
学問分野に限らず、世の評価の基準は ①成果 ②能力 ③意欲 の概ね3択だろうが、①ならAIを咎める意味はないし、②ならAI時代にレポートで計ろうとするのがナンセンス。(無論この場合③は主な基準にはならないだろう)
教育という意味では AI に丸投げしたものはどうよというのはあるけれど、文章に書かれている内容とその品質という意味ではべつに AI が書いたものだろうがなんだろうが関係なかったりもするんだよね。
AIで生成したかどうかを判定しようとするのは有害で無益。そんな途中過程を縛らずに、結果の論文の内容が正しいかどうかで判断するべき。
大教室授業では裏打ちや権威づけにならないということになるなら、高等教育も(一方で"民主化"は進みつつしかしもう一方で)近世や中世にいったんかえるのかしら? なんて心配もしてしまいます。
学ぶ機会を失うのは学生だからほっとけよと思うけど、質が悪いまま卒業して悪評が広まったら大学も困るのか。教室に集めてレポート書かせるしかないのかね
AIが出力する文章を多く読み慣れてしまうと人間の方がAIの文章から学習してしまって、言い回しや構成などの特徴がAIの書く文章に近くなってしまう恐れがある。 / 執筆がAIでも監修は本人の責任として判断すれば良い。
まるで手書きの履歴書じゃないと却下する面接官のよう。
自分で指した手をAIをつかって指したと言いがかりをつけられた将棋の三浦九段の悲劇から学ぶべき。AIの性能が大部分の学生の能力を超えた現在,教育と評価の方法を根本的に再設計しないと。
論文をAIで校正するとか普通に便利だろ。本質的な問題に関しては、提示された論文を元にいくつか質問すればすぐに検証できる話に見えるけど違うんかな?論文の評価ってそういうもんだと思うけど
「AI率を下げるためにさまざまなことを試した結果、自分の論文が箇条書きをつなげただけの言葉の残骸のような、“できの悪い機械が書いた”ようなものになってしまったことに落胆している」
さすがに学生に禁止するだけのことはあるのね。『教官側も、学生が提出したレポートや論文を、AIを使って要約したり、評価をしたり、コメントを生成したりすることが禁じられている』
“検査する文章の一部を同意語に置き換えたり、語順を変えてみたりする。すると、単語間の関連度が非常に高く、安定している状態のAIの文章の場合、改変をしたことにより全体の関連度の合計値が大きく下がる。”
どこかで「AIで書いても良いがプロンプトを添えて提出せよ」としてる先生を見かけた。AIを許容しながら理解の程度や思考の過程を確認出来そうで良いと思った。
“つまり、論文をAIに代筆させ、追加料金を支払うと、AI率を下げる加工までワンストップでやってくれるのだ。 ”
学生は自らが思考力分析力表現力を有していることを証明するために論文を書くのだからAIに書かせてたらダメだろ。自動運転車で運転免許取るようなもんだぞ
AIが書いたかどうかに何の意味が?重要なのは研究データであって、それが捏造かどうかはAI関係なく今までもあった問題だろう。
悲喜劇/ブコメはAI生成か否かを問うことを疑問視する声が多い。作成方法を問わず、論文提出後の口頭試問が本番、となればいいのかしら。知り合いの専門家に代筆させる人が出てきちゃうか? それでもOKとするか?
AI生成結果に対して自分の判断基準を持っているかどうかが今の時代に求められる能力なので、レポート内容自体を評価するのではなく、その内容を理解しているかで評価すべき。つまり質疑応答して評価すべし。
AI使ってもちゃんとそれなりに信憑性のあるファクトに基づいてたら問題ないと思う。吐き出されたもののファクトと論理的生合成を確認することで結果的に勉強になるわね。
試験での電卓使用可否と通じるものがあるな。結果的に同じとこに行き着くならAIでもいいかなあ。
半分以上がAIで書かれてると大騒ぎした大学のセンセイの論文をチェックするとAIで書かれた判定された話好き
ブクマカの大好きな“AIも人間も同じ”論に従えばAIに書かせるのは人間のゴーストライターに書かせるのと同じということになるが、後者も結果の論文の内容が正しいかだけで判定すべきってなるのかね
AIの考証を前提において、自分に考証はこうだと、完全に素材化してしまえばよくないの?
レポートが学術的な新発見を求めていない教育目的なのは明らかなので、学術論文にAI使うのと比べても深刻ではある
論文の正しさで判断とはいうが学部の論文なんてほぼ未踏分野無いんだから無理よね。まあ大卒インフレ対策も兼ねて基本に立ち返りオリジナリティの有無で厳しく卒業を絞るという判断もありかもしれないけど。
AI 検出ツールも広義の AI やろ
口頭試問が対策になると思うけど実施コストをどうすればいいかを生成AIにきいたりしてみた
もう完全にイタチごっこで禁止令は無益そのもの。
ブコメは採点者のキャパシティを無視している。AIで生成したか判定しないと、数か量かまたはその両方が増えるので採点者の機能が低下する。真面目にやってる人も割を食う。つまり有益
'教官側も、生成AIのみに頼ってクリアできるような課題ではなく、自分の頭で考えなければ達成できない課題を工夫する必要に迫られている。'これが一番難しいところだよな