「90年代半ばから先というのは、後世から研究など必要性が生じて改めて見ようとしても、かなりの部分が空白になっている可能性は高いでしょう」
かつて消えて欲しくないウェブサイトやコンテンツをmhtファイル形式で手元に保存していた頃もあったが、そもその形式を開くことが出来なくなりつつあるという現状。オン/オフラインの違いだけではないのだ
保存したいページは最近は https://github.com/gildas-lormeau/SingleFile がトレンドかな。jsを全部消すから動的部分は諦めるしかないけどそれ以外は1つのhtml標準ファイルに纏めてくれる。evernote亡き今HP保存はこれがベター
オレももしはてな(株)に入社したらはてなブログは消すよ…
↓mht形式は中身単なるMIMEで複数ファイルがコンテナされてるだけなので、頑張ればコンテンツ復元できたはず
時の経過で変化するものは,「かつてはそう考えられていたという事実」の記録が貴重なのでは。個人が後世に記録を残すことまで気にかける必要ないかもだが。まあ,刑事事件等には忘れられる権利の問題もあるか。
読んだ本の書影を残すためにアフィリエイトをつけていたが、販売停止すると書影が消えるのと、アフィリエイトのフォームが変わって消えてしまった。
デジタルアーカイブを個人の努力で維持するのは大変ですよね。テレビや新聞に割いてる補助金や公共リソースコストの何割かはデジタルに振り分けるべきと思う。
内容としては全面同意だけど責任の在処としてはサイト側がそこまで負わなくても…という部分もある。サイト自体の脆弱性で迷惑をかけるのは避けるべきとして情勢の変化とリンク先までは発信者の責任じゃないだろう感
セキュリティ問題は静的HTMLに変換できれば多少緩和できないかなあ。まあ他にも理由はあるし維持するのは大変ですよね。
維持するコスト、セキュリティ対策、消えたリンク先の更新問題、情報の経年劣化など個人サイト・ブログの維持は困難。フリーでオープンなネットコンテンツは消え去るのみ、なのか…/やはりローカルにテキストか
阿部寛のホームページ みたいにしとけば長く持ちそう
“ 古いものを保存するのに向いてない現状のインターネット”
私はネット上の「日付がない記事」が大嫌いですが「日付があるブログ」はむしろ残して欲しい派ですね
情報が古びたまま放置の問題、個人ブログもだがニコニコ大百科は悲惨。ピクシブ百科と異なり誰でも編集可能ではないのに、記事作成者が更新を怠ったまま何年も経過、西暦何年か不明な「現在」「最近」の語が大量残置
多分そんな大したことないやつだし、規模も全然だから、気にしなくていいよって思った。
gooブログすら閉鎖する昨今、大元が怪しくなったらで良いんじゃね。ま、自分の暇時間と残された人生の時間との相談だが...。
“後世から研究など必要性が生じて改めて見ようとしても、かなりの部分が空白になっている可能性は高いでしょう。”
私もドメイン(サーバ)ごと消したことあるけど、大抵、文中のインターネットアーカイブに残ってるから、そんなに困ったことはない。インターネットアーカイブに寄付はしてる。
2000年代後半に「インターネット上の記事は残り続けるので注意が必要だ」という話がよく上がってたが、ここまで全然残らない状況になるのは予想外だった。
"古いものを保存するのに向いてない現状のインターネット"
個人的な思いとしては、ここに上げられるような問題がなくても本人が残そうとしていない、有名になっていないものは奇特な収集家の手によって残る以外の手段で残る必要はないと思っている。
私の「ホームページ」では30年前に設置したカウンターが今も時を刻んでいるが、私の死とともに消滅する運命にある。GitHubに置いたプログラムは残ってくれるかな。
「インターネットは(アーカイブなど保存自体を意図しない限り)過去作られたものを保存するのに向いていない」 #ネット署名がデジタルタトゥー化して後で障るとかはしてるんだけどね……
ネットに情報を「ちゃんと」「意図した形で」残すためにはコストがかかるという話よな。黎明期には自費でサーバやスペース借りて情報発信するという趣味が成立したけど、今となってはリスクとコストで割に合わない
ネット上のすべてのデータが残っているべきとも思わないし。 過去の建築物や書籍とおなじように 99% が消滅しても残りの 1% に資料的価値が生じればいいんじゃないかな。
“ブログを閉鎖。さらに一部は他に移転し、ほかは消してしまおうと考えております。”
過去のブログや記事を消さないといけないと思った理由 - 空中の杜
「90年代半ばから先というのは、後世から研究など必要性が生じて改めて見ようとしても、かなりの部分が空白になっている可能性は高いでしょう」
かつて消えて欲しくないウェブサイトやコンテンツをmhtファイル形式で手元に保存していた頃もあったが、そもその形式を開くことが出来なくなりつつあるという現状。オン/オフラインの違いだけではないのだ
保存したいページは最近は https://github.com/gildas-lormeau/SingleFile がトレンドかな。jsを全部消すから動的部分は諦めるしかないけどそれ以外は1つのhtml標準ファイルに纏めてくれる。evernote亡き今HP保存はこれがベター
オレももしはてな(株)に入社したらはてなブログは消すよ…
↓mht形式は中身単なるMIMEで複数ファイルがコンテナされてるだけなので、頑張ればコンテンツ復元できたはず
時の経過で変化するものは,「かつてはそう考えられていたという事実」の記録が貴重なのでは。個人が後世に記録を残すことまで気にかける必要ないかもだが。まあ,刑事事件等には忘れられる権利の問題もあるか。
読んだ本の書影を残すためにアフィリエイトをつけていたが、販売停止すると書影が消えるのと、アフィリエイトのフォームが変わって消えてしまった。
デジタルアーカイブを個人の努力で維持するのは大変ですよね。テレビや新聞に割いてる補助金や公共リソースコストの何割かはデジタルに振り分けるべきと思う。
内容としては全面同意だけど責任の在処としてはサイト側がそこまで負わなくても…という部分もある。サイト自体の脆弱性で迷惑をかけるのは避けるべきとして情勢の変化とリンク先までは発信者の責任じゃないだろう感
セキュリティ問題は静的HTMLに変換できれば多少緩和できないかなあ。まあ他にも理由はあるし維持するのは大変ですよね。
維持するコスト、セキュリティ対策、消えたリンク先の更新問題、情報の経年劣化など個人サイト・ブログの維持は困難。フリーでオープンなネットコンテンツは消え去るのみ、なのか…/やはりローカルにテキストか
阿部寛のホームページ みたいにしとけば長く持ちそう
“ 古いものを保存するのに向いてない現状のインターネット”
私はネット上の「日付がない記事」が大嫌いですが「日付があるブログ」はむしろ残して欲しい派ですね
情報が古びたまま放置の問題、個人ブログもだがニコニコ大百科は悲惨。ピクシブ百科と異なり誰でも編集可能ではないのに、記事作成者が更新を怠ったまま何年も経過、西暦何年か不明な「現在」「最近」の語が大量残置
多分そんな大したことないやつだし、規模も全然だから、気にしなくていいよって思った。
gooブログすら閉鎖する昨今、大元が怪しくなったらで良いんじゃね。ま、自分の暇時間と残された人生の時間との相談だが...。
“後世から研究など必要性が生じて改めて見ようとしても、かなりの部分が空白になっている可能性は高いでしょう。”
私もドメイン(サーバ)ごと消したことあるけど、大抵、文中のインターネットアーカイブに残ってるから、そんなに困ったことはない。インターネットアーカイブに寄付はしてる。
2000年代後半に「インターネット上の記事は残り続けるので注意が必要だ」という話がよく上がってたが、ここまで全然残らない状況になるのは予想外だった。
"古いものを保存するのに向いてない現状のインターネット"
個人的な思いとしては、ここに上げられるような問題がなくても本人が残そうとしていない、有名になっていないものは奇特な収集家の手によって残る以外の手段で残る必要はないと思っている。
私の「ホームページ」では30年前に設置したカウンターが今も時を刻んでいるが、私の死とともに消滅する運命にある。GitHubに置いたプログラムは残ってくれるかな。
「インターネットは(アーカイブなど保存自体を意図しない限り)過去作られたものを保存するのに向いていない」 #ネット署名がデジタルタトゥー化して後で障るとかはしてるんだけどね……
ネットに情報を「ちゃんと」「意図した形で」残すためにはコストがかかるという話よな。黎明期には自費でサーバやスペース借りて情報発信するという趣味が成立したけど、今となってはリスクとコストで割に合わない
ネット上のすべてのデータが残っているべきとも思わないし。 過去の建築物や書籍とおなじように 99% が消滅しても残りの 1% に資料的価値が生じればいいんじゃないかな。
“ブログを閉鎖。さらに一部は他に移転し、ほかは消してしまおうと考えております。”