2026年10月9日 「MEDEL GALLERY SHU HIBIYAでアーティスト・キュレーターのnekoがキュレーションするグループ展「お籠もり会」で、少女の裸体を表現した作品が撤去されたこと」
『バルテュスを持ち出して「美術館にあるのだから、少女の性的な表現は認められる」と結論づけることは早計である。それよりも、美術として評価される作品にも観客の視線を問い直す余地がある、と受け止めたい。』
美術史の文脈持ち出して正当化しようとしても現代の倫理観との乖離は埋まらない罠
欲情や欲情を掻き立てる表現をただの表現として受け止められる器量のない人までリーチする程の情報社会では、表現は縮退せざるをえないのかも。国旗損壊罪も妥当なのかもしれない。表現に支配される人にとっては。
羽を生やして天使だからセーフって中世的なアプローチにしてんのか。
著者がそう見るのは勝手だけど、こちらがどう見るかは無関係。ましてどう見るかに権威主義を発揮するならそれは新しい腐ったアートだろう。
xにリンクされてる主催者発表は規約違反ってことで非表示扱いですね。
「描かれた身体の向こうにある」というより「こちら側にある悪意」の問題なんだよな。女性の美と、こちら、鑑賞者の居心地の悪さは別の話だ。エロいから撤去すべきかと自分は見たくないから見に行かないかは別の話。
その説明を丁寧にやれるやつがキュレーションして交渉して世に広めろという話。それ以前に作家ももうちょいなんか頭で考えて文脈練って表現に向き合えよって騒動でのお知らせ文みたいなのを見て思った。
絵は絵だよな。なんかおかしな時代になったね。
背中に羽を付けて天使ですと言えばワンチャンアートになるかも
女性の裸を描きたいなら、ふくよかな中年女性やお婆ちゃんの裸を描けば性的だのどうだのといった論争から離れられるんじゃね?知らんけど。
まぁ、あの人たちには「伊藤整になる気もなさそうでださいっすよ」という感想ではある。
割とどちら方向にも慎重に書かれた文章と思う。/結局、「エロかどうか」は作品そのものに宿ると考えるのは不可能、鑑賞者側の背景に依存する、従ってそこにおける規範は常に既に間違ってると受け入れる必要がある
「お籠もり会」はカオスラウンジ周辺と関係あるのか。どうでもよくなった
少女の裸体を、私たちはどう見ているのか―キャラクターアートとエロ|うねこみ
2026年10月9日 「MEDEL GALLERY SHU HIBIYAでアーティスト・キュレーターのnekoがキュレーションするグループ展「お籠もり会」で、少女の裸体を表現した作品が撤去されたこと」
『バルテュスを持ち出して「美術館にあるのだから、少女の性的な表現は認められる」と結論づけることは早計である。それよりも、美術として評価される作品にも観客の視線を問い直す余地がある、と受け止めたい。』
美術史の文脈持ち出して正当化しようとしても現代の倫理観との乖離は埋まらない罠
欲情や欲情を掻き立てる表現をただの表現として受け止められる器量のない人までリーチする程の情報社会では、表現は縮退せざるをえないのかも。国旗損壊罪も妥当なのかもしれない。表現に支配される人にとっては。
羽を生やして天使だからセーフって中世的なアプローチにしてんのか。
著者がそう見るのは勝手だけど、こちらがどう見るかは無関係。ましてどう見るかに権威主義を発揮するならそれは新しい腐ったアートだろう。
xにリンクされてる主催者発表は規約違反ってことで非表示扱いですね。
「描かれた身体の向こうにある」というより「こちら側にある悪意」の問題なんだよな。女性の美と、こちら、鑑賞者の居心地の悪さは別の話だ。エロいから撤去すべきかと自分は見たくないから見に行かないかは別の話。
その説明を丁寧にやれるやつがキュレーションして交渉して世に広めろという話。それ以前に作家ももうちょいなんか頭で考えて文脈練って表現に向き合えよって騒動でのお知らせ文みたいなのを見て思った。
絵は絵だよな。なんかおかしな時代になったね。
背中に羽を付けて天使ですと言えばワンチャンアートになるかも
女性の裸を描きたいなら、ふくよかな中年女性やお婆ちゃんの裸を描けば性的だのどうだのといった論争から離れられるんじゃね?知らんけど。
まぁ、あの人たちには「伊藤整になる気もなさそうでださいっすよ」という感想ではある。
割とどちら方向にも慎重に書かれた文章と思う。/結局、「エロかどうか」は作品そのものに宿ると考えるのは不可能、鑑賞者側の背景に依存する、従ってそこにおける規範は常に既に間違ってると受け入れる必要がある
「お籠もり会」はカオスラウンジ周辺と関係あるのか。どうでもよくなった