''外国人と接する機会が多い人ほど、日本の文化を知る必要がありそうです''
オペラだってそうでは?
すでに指摘されてるけど、演劇やオペラの公演と同じだよね。/「オチの割れてるオペラ座の怪人何回やってるの?」って切り返しで良いんじゃないでしょうか
クラシックやオペラも曲展開知ってて聴きに行くわけだし、ストーリーの意外性じゃなくて演者の解釈を楽しむ文化なんだよな
クラシック音楽、シェイクスピア、オペラとの例。
欧州でも、オチが分かってる古典ミュージカルとかが、芸として成立してるだろ。
たぶんその人は「笑い」は(他の情動と違って?)かなりの部分意外性に依存すると思ってるんだな。実際どうなんだろう。
まんじゅうほわい。
セックスなんて射精するだけなのにね
歌なんか歌詞もメロディも全部わかっているのになんなら録音でも何度でも聴くだろう
落語を生で観たことがなくても分かりそうなもんだけど。Eテレとかでしょっちゅうやってるし。まぁ、落語のオチは結構弱いよね。ただのダジャレだったりして。
「へぇ。君の国ではオペラのロミオとジュリエットが家族親戚一同の祝福の中で結ばれて幸せになり孫やひ孫に囲まれて寿命を全うすることがたまにはあるのかい?」くらいは聞いてあげるべきだったのでは?
じゃあお前はモリエール見るなよ、で終了(フランスでは、フランス語を「モリエールの言語」と表現することがある)
バカ代表で括られるフランス人
俺のオチは孤独死だが人生を楽しめることもある(クソリプ)オチっていうか話のスジじゃない。
それこそシェイクスピア劇だってみんなストーリーは知っとるやんか/フランスの人もこの人も、落語をスタンダップコメディ的なものだと思っている…?あれは1人演劇よね。
音楽ならクラシックでもジャズでもカバー曲でも同じ曲で表現者の個性を楽しむ文化がある、と思いつつ、「ネタバレしてるのに」という意味ではオペラやシェイクスピアの例の方が合ってるかな。
そういうものもあるよな。やる人によって違ったりする、上手い下手もあるね。
オチとか結末いがいに関心がないのでは。おなじ映画なんべんも観ることをふしぎがるかんじ。音楽も演劇もバレエもスタンダップコメディも、本や絵やコーヒーだって、そのつど違うふうに楽しいのにね。
単純に、滑稽な仕草、話し方みたいな面白さもあるし、知ってるが故の「くるぞ…くるぞ…きたー!」みたいなのは一種の緊張と緩和なんじゃなかろうか。
談志師匠のマクラはほとんど全部フランス小噺だったとかなんとか!!!!!!!!!!
考えてみると不思議だけど後に描かれてるように演劇などでも同じ。本も覚えてるのに読み返すことがある。
オペラとか何度も見る映画とかどうなんだろうな 漫画アニメをリピートする人なんて普通だしオチとかなにか関係があるんだろうか 一度見ておわりのドラマなんかは二度目見ないかもだけど好きな人は見るだろう
話芸って感覚がよくわからないってことよね。なので音楽や演劇の例を出されるとそうじゃないっめ思ってしまう。
水曜どうでしょうって何度見てもおもしろい
まあそうはいっても、個人的にはオチが分からない話の方が何倍も楽しいよ。やっぱり。オペラでもなんでも。
同じ譜面を弾かせても演奏家によって印象が異なる、というのと同じです。
吉本新喜劇と一緒だよねといつも思う
ちょっと話ずれるけど、昨今のお笑い賞レース。みんな同じ課題ネタと自由ネタをやるコンテストがあっていいと思ってる。合唱コンクールみたいに/元記事は他のコメと一緒。定番をどう演じるかは崇高な世界と思うよ!
別に落語に限らず古典は全部そうだろ。古典全否定派なら自国のものにまず疑問を持て
演劇でひとつの演目を複数回観るのに近いのでは
これ演劇と一緒だよって言われるとなんか違うかなぁ。同じ近所の噂話を近所の人それぞれの見方で喋るのを聞く、みたいな感じかなぁ。演劇とはちょっと違うと思うんだよね。
大河ドラマで「このあと信長は本能寺で明智光秀に殺されます」って言ったら「ネタバレするな!」って怒る人かな?
本当にこんなに頭の悪いフランス人がいるのか?
演劇だと役者が違う演出が違うとかで声だけのが不思議なんだろう。オペラも声だけやんって言うと人が違うからっていいそうだけど。噺家が違っても日本語は一緒と思ってそうで。
1980年に米国にホームステイに行ったが事前に「お前は『畳』や天皇について、日本文化のあれこれについて英語で説明できるか? それを向こうでは求められるぞ。外国に行くとはそういうことだ」と助言されたな。
さてはお前は情報を食っているな?
それを言ったら音楽であれ演劇であれ小説であれ、内容全部知ってても初見時とは異なる視点で味わうの常識化してるからなぁ……
古典ってそういうものでは…逆になんでそこに疑問を抱くんだろう。ボレロだってみんなあのシンプルな舞台と衣装と振付なのにやっぱりギエムのボレロはすごかった。
タイトルだけ見て「交響曲やオペラだってどういう構成でどこで感動するのか予めわかってるじゃねえか、何言ってんだ」と思ったら言及されていた
オペラや舞台劇を例に引く人は多いが、とくに落語もその時その場の観客に合わせて話の枕や細部のくすぐりを入れていくライブ的アレンジが強い芸能
ワイは中川家の漫才だって「ソース取ってくれや」から礼二が病院に連れて行かれるところのくだりで毎回笑ってるぞ
レ・ミゼラブルの6月暴動で国王打倒できると思ってたタイプ?
古典落語は演者によってオチもアレンジあるよ。“死神”をくしゃみで落とすのは小三治の考案で、圓生はそのまま倒れる。談志の“居残り佐平次”もオリジナルのあるし現代人に分かりにくいオチはけっこう変えてる。
いやまあ笑いと演劇だと違うと思うのも無理ないのでは。うまく言えんけど
オペラとかかてそうやろ、というのはその通りだが歌舞伎から能から日本文化は大抵同じもんをどんだけ練れるか勝負のオタク性みたいなもんはあると思う
落語はオチは重要じゃないしなあ。オチ言う時はもう半分頭下げてお辞儀してるし。
以前フランス人に「なぜ落語は、観客全員話のオチが分かっているのに成立するのか?」と聞かれたが、上手く答えられなかった話「落語はプロセスを話芸として堪能する」
''外国人と接する機会が多い人ほど、日本の文化を知る必要がありそうです''
オペラだってそうでは?
すでに指摘されてるけど、演劇やオペラの公演と同じだよね。/「オチの割れてるオペラ座の怪人何回やってるの?」って切り返しで良いんじゃないでしょうか
クラシックやオペラも曲展開知ってて聴きに行くわけだし、ストーリーの意外性じゃなくて演者の解釈を楽しむ文化なんだよな
クラシック音楽、シェイクスピア、オペラとの例。
欧州でも、オチが分かってる古典ミュージカルとかが、芸として成立してるだろ。
たぶんその人は「笑い」は(他の情動と違って?)かなりの部分意外性に依存すると思ってるんだな。実際どうなんだろう。
まんじゅうほわい。
セックスなんて射精するだけなのにね
歌なんか歌詞もメロディも全部わかっているのになんなら録音でも何度でも聴くだろう
落語を生で観たことがなくても分かりそうなもんだけど。Eテレとかでしょっちゅうやってるし。まぁ、落語のオチは結構弱いよね。ただのダジャレだったりして。
「へぇ。君の国ではオペラのロミオとジュリエットが家族親戚一同の祝福の中で結ばれて幸せになり孫やひ孫に囲まれて寿命を全うすることがたまにはあるのかい?」くらいは聞いてあげるべきだったのでは?
じゃあお前はモリエール見るなよ、で終了(フランスでは、フランス語を「モリエールの言語」と表現することがある)
バカ代表で括られるフランス人
俺のオチは孤独死だが人生を楽しめることもある(クソリプ)オチっていうか話のスジじゃない。
それこそシェイクスピア劇だってみんなストーリーは知っとるやんか/フランスの人もこの人も、落語をスタンダップコメディ的なものだと思っている…?あれは1人演劇よね。
音楽ならクラシックでもジャズでもカバー曲でも同じ曲で表現者の個性を楽しむ文化がある、と思いつつ、「ネタバレしてるのに」という意味ではオペラやシェイクスピアの例の方が合ってるかな。
そういうものもあるよな。やる人によって違ったりする、上手い下手もあるね。
オチとか結末いがいに関心がないのでは。おなじ映画なんべんも観ることをふしぎがるかんじ。音楽も演劇もバレエもスタンダップコメディも、本や絵やコーヒーだって、そのつど違うふうに楽しいのにね。
単純に、滑稽な仕草、話し方みたいな面白さもあるし、知ってるが故の「くるぞ…くるぞ…きたー!」みたいなのは一種の緊張と緩和なんじゃなかろうか。
談志師匠のマクラはほとんど全部フランス小噺だったとかなんとか!!!!!!!!!!
考えてみると不思議だけど後に描かれてるように演劇などでも同じ。本も覚えてるのに読み返すことがある。
オペラとか何度も見る映画とかどうなんだろうな 漫画アニメをリピートする人なんて普通だしオチとかなにか関係があるんだろうか 一度見ておわりのドラマなんかは二度目見ないかもだけど好きな人は見るだろう
話芸って感覚がよくわからないってことよね。なので音楽や演劇の例を出されるとそうじゃないっめ思ってしまう。
水曜どうでしょうって何度見てもおもしろい
まあそうはいっても、個人的にはオチが分からない話の方が何倍も楽しいよ。やっぱり。オペラでもなんでも。
同じ譜面を弾かせても演奏家によって印象が異なる、というのと同じです。
吉本新喜劇と一緒だよねといつも思う
ちょっと話ずれるけど、昨今のお笑い賞レース。みんな同じ課題ネタと自由ネタをやるコンテストがあっていいと思ってる。合唱コンクールみたいに/元記事は他のコメと一緒。定番をどう演じるかは崇高な世界と思うよ!
別に落語に限らず古典は全部そうだろ。古典全否定派なら自国のものにまず疑問を持て
演劇でひとつの演目を複数回観るのに近いのでは
これ演劇と一緒だよって言われるとなんか違うかなぁ。同じ近所の噂話を近所の人それぞれの見方で喋るのを聞く、みたいな感じかなぁ。演劇とはちょっと違うと思うんだよね。
大河ドラマで「このあと信長は本能寺で明智光秀に殺されます」って言ったら「ネタバレするな!」って怒る人かな?
本当にこんなに頭の悪いフランス人がいるのか?
演劇だと役者が違う演出が違うとかで声だけのが不思議なんだろう。オペラも声だけやんって言うと人が違うからっていいそうだけど。噺家が違っても日本語は一緒と思ってそうで。
1980年に米国にホームステイに行ったが事前に「お前は『畳』や天皇について、日本文化のあれこれについて英語で説明できるか? それを向こうでは求められるぞ。外国に行くとはそういうことだ」と助言されたな。
さてはお前は情報を食っているな?
それを言ったら音楽であれ演劇であれ小説であれ、内容全部知ってても初見時とは異なる視点で味わうの常識化してるからなぁ……
古典ってそういうものでは…逆になんでそこに疑問を抱くんだろう。ボレロだってみんなあのシンプルな舞台と衣装と振付なのにやっぱりギエムのボレロはすごかった。
タイトルだけ見て「交響曲やオペラだってどういう構成でどこで感動するのか予めわかってるじゃねえか、何言ってんだ」と思ったら言及されていた
オペラや舞台劇を例に引く人は多いが、とくに落語もその時その場の観客に合わせて話の枕や細部のくすぐりを入れていくライブ的アレンジが強い芸能
ワイは中川家の漫才だって「ソース取ってくれや」から礼二が病院に連れて行かれるところのくだりで毎回笑ってるぞ
レ・ミゼラブルの6月暴動で国王打倒できると思ってたタイプ?
古典落語は演者によってオチもアレンジあるよ。“死神”をくしゃみで落とすのは小三治の考案で、圓生はそのまま倒れる。談志の“居残り佐平次”もオリジナルのあるし現代人に分かりにくいオチはけっこう変えてる。
いやまあ笑いと演劇だと違うと思うのも無理ないのでは。うまく言えんけど
オペラとかかてそうやろ、というのはその通りだが歌舞伎から能から日本文化は大抵同じもんをどんだけ練れるか勝負のオタク性みたいなもんはあると思う
落語はオチは重要じゃないしなあ。オチ言う時はもう半分頭下げてお辞儀してるし。