映画に限らず日本人は静かにする・させるのが好きですよな。ルールが好きというべきか。海外の映画館とか美術館とかはいろいろ気楽かつ市民的でそれもまたよし
「ルールを守ろう」はそうでもないのに「守れ」の場合には(先人やまわりの人への)敬意とか自分との関係性とかがなくても言えちゃうのが変なところですよね。まあ、映画館の他の客との関係性なんてないって話か。
1930年代のトーキーから90年代のシネコン普及での静粛化の歴史、かなり面白い。マナーの潔癖化に対する考察も鋭い
『ロッキー・ホラー・ショー』リバイバル初日は「応援上映」ということで、最前列には小道具を持ったコスプレ客が気合を入れてたんだけど、途中で後ろの客から「初めて見る客もいるので静かにして下さい」とクレーム
そのあたりのすみ分けのために応援上映をやってるんじゃないのかな。まあやってる回数は少ないし全部の映画でやってるわけでもないけど。
皆と声を出し合って一体感を持つのを楽しむか、静かな環境で映画に没頭するか、いずれにしても「体験を買っている」って意味では同じ。
映画に対するリアクションで思わず声を上げるのはいいんだが、映画と関係ない会話を上映中にするヤツいるよね。ここはお前ん家のリビングじゃない
マナーが時代によって変遷するのはさておき、映画館の私有地であって、公序良俗に反しない限り、映画館が規則を決められるのではないかな。映画館が決めたことを「マナーでも何でもない」というのはどうかと思う。
100年近くかけて醸成されたルール、マナーを覆そうとするなら、また100年近くかかるのだと思う。まぁ応援上映による棲み分けでいいよね、アレはアレでノリが合わないことも多いけど、喋る需要があるなら増えるだろう
日本は侘び寂びの国ですからね。最後は白いスクリーンだけ上映すれば完成。
過度な静寂を強制する気はないがメイドインアビス劇場版をレイトショーで見たとき、大勢がいるのに非常に静かで、ポップコーンの咀嚼音すら聞こえなかった。病的ですらあったかもしれないが映画に集中できた。
「あっはっはっはー」は良くて「あー面白い」が続くと微妙で「ねー、面白いよねえ」までいくとムカつく、みたいなグラデーション。キレるほどでもないけど。
一理はあるけど、電車でも静粛を求められる日本なのでねえ
ナントカ神経症って病名がつきそうなほとんど病気だよね。
良いお話。シネコンの登場で「映画館に来る→今やってるのを見る」ではなく「この作品のために来た」客層の密度を上げた気がします。「ルール」と「運用」は原理ではなく「今いちばん丸く収まるライン」のこと
違うんだよ嫌なのは「鑑賞中の声が大きい」じゃなくて「鑑賞中のスマホ」「映画と関係ない会話」なんだよ。笑ったりリアクションするのは全然いいけどスマホやおしゃべり(子供は仕方ないとして)は外でやって
応援上映でセリフが聞こえないほどいうの辞めてってのもあったなあ
基本自由席での立ち見やレイトショー、成人映画館など、一通りを経てきたジジイなので、かなり飲み込めるのは強みかなと / 客出入りのたびに薄れるスクリーン、前が見えない席、そもそも臭いとか
ポップコーンはキャラメルコーティングなんかするから咀嚼音がうるさくなったんだよ
こういう暗黙的に押し付けられる「強制」に疑問を持つのが真のリベラリズム / やはり住居侵入罪は平穏侵害説のほうが妥当そうだな
一人称が「ぼく」の文章は読むのがしんどいです
www6氏のコメントが示唆的で、「映画館という『非日常』にお前の日常を持ち込むな」というのがある気がする。ライブでも曲間にペチャクチャ話し出す奴ら、鬱陶しい。
不快な人は「場の共有の仕方を探る」なんてせず去るだけだから経営には悪影響しかないのでは
「観客自身が、『サイコ』をもっと面白く見るため、自らその規則へ従った、いわば共犯的な関係」が面白いです。昨今のネタバレ配慮も、観客が自ら沈黙の自主規制を劇場外にまで持ち出したとみることもできます。
声はどのように映画館から駆逐されたか:映画館マナーの歴史に向けて - 勘違い
映画に限らず日本人は静かにする・させるのが好きですよな。ルールが好きというべきか。海外の映画館とか美術館とかはいろいろ気楽かつ市民的でそれもまたよし
「ルールを守ろう」はそうでもないのに「守れ」の場合には(先人やまわりの人への)敬意とか自分との関係性とかがなくても言えちゃうのが変なところですよね。まあ、映画館の他の客との関係性なんてないって話か。
1930年代のトーキーから90年代のシネコン普及での静粛化の歴史、かなり面白い。マナーの潔癖化に対する考察も鋭い
『ロッキー・ホラー・ショー』リバイバル初日は「応援上映」ということで、最前列には小道具を持ったコスプレ客が気合を入れてたんだけど、途中で後ろの客から「初めて見る客もいるので静かにして下さい」とクレーム
そのあたりのすみ分けのために応援上映をやってるんじゃないのかな。まあやってる回数は少ないし全部の映画でやってるわけでもないけど。
皆と声を出し合って一体感を持つのを楽しむか、静かな環境で映画に没頭するか、いずれにしても「体験を買っている」って意味では同じ。
映画に対するリアクションで思わず声を上げるのはいいんだが、映画と関係ない会話を上映中にするヤツいるよね。ここはお前ん家のリビングじゃない
マナーが時代によって変遷するのはさておき、映画館の私有地であって、公序良俗に反しない限り、映画館が規則を決められるのではないかな。映画館が決めたことを「マナーでも何でもない」というのはどうかと思う。
100年近くかけて醸成されたルール、マナーを覆そうとするなら、また100年近くかかるのだと思う。まぁ応援上映による棲み分けでいいよね、アレはアレでノリが合わないことも多いけど、喋る需要があるなら増えるだろう
日本は侘び寂びの国ですからね。最後は白いスクリーンだけ上映すれば完成。
過度な静寂を強制する気はないがメイドインアビス劇場版をレイトショーで見たとき、大勢がいるのに非常に静かで、ポップコーンの咀嚼音すら聞こえなかった。病的ですらあったかもしれないが映画に集中できた。
「あっはっはっはー」は良くて「あー面白い」が続くと微妙で「ねー、面白いよねえ」までいくとムカつく、みたいなグラデーション。キレるほどでもないけど。
一理はあるけど、電車でも静粛を求められる日本なのでねえ
ナントカ神経症って病名がつきそうなほとんど病気だよね。
良いお話。シネコンの登場で「映画館に来る→今やってるのを見る」ではなく「この作品のために来た」客層の密度を上げた気がします。「ルール」と「運用」は原理ではなく「今いちばん丸く収まるライン」のこと
違うんだよ嫌なのは「鑑賞中の声が大きい」じゃなくて「鑑賞中のスマホ」「映画と関係ない会話」なんだよ。笑ったりリアクションするのは全然いいけどスマホやおしゃべり(子供は仕方ないとして)は外でやって
応援上映でセリフが聞こえないほどいうの辞めてってのもあったなあ
基本自由席での立ち見やレイトショー、成人映画館など、一通りを経てきたジジイなので、かなり飲み込めるのは強みかなと / 客出入りのたびに薄れるスクリーン、前が見えない席、そもそも臭いとか
ポップコーンはキャラメルコーティングなんかするから咀嚼音がうるさくなったんだよ
こういう暗黙的に押し付けられる「強制」に疑問を持つのが真のリベラリズム / やはり住居侵入罪は平穏侵害説のほうが妥当そうだな
一人称が「ぼく」の文章は読むのがしんどいです
www6氏のコメントが示唆的で、「映画館という『非日常』にお前の日常を持ち込むな」というのがある気がする。ライブでも曲間にペチャクチャ話し出す奴ら、鬱陶しい。
不快な人は「場の共有の仕方を探る」なんてせず去るだけだから経営には悪影響しかないのでは
「観客自身が、『サイコ』をもっと面白く見るため、自らその規則へ従った、いわば共犯的な関係」が面白いです。昨今のネタバレ配慮も、観客が自ら沈黙の自主規制を劇場外にまで持ち出したとみることもできます。