こんなんやってるから艶笑話とか失伝していくんや……古典を古典として受け止められないなら創作の笑いを求めるな
ニュアンスねじ曲げて「古典」を語るのはもうギャグでしかない。多分落語よりそっちの話し合いの方が絶対面白い。ギャグマンガ日和みを感じる😄
じゃあお前がやってみろと言われたら無理なんだけど、そんな言い方をしてしまう人間の業を描くのが落語なのでは?って思った。とはいえ入り口で帰られちゃうと伝わらんしなあ
あほちゃうか
筒井康隆、コメントはよ
伝統は時代に応じて変わっていった結果でもあるので、そういう形もあるのだろうね。
ああ、清少納言て差別的で階級的で嫌だと思ってた。中学時代の国語の授業。
神田伯山は寄席に地方の団体客が来たら田舎者(ドサ)を思い切り馬鹿にする話をかけ、車椅子の客が来たら障害者をコケにする話をかける某落語家を称賛していた。これは例外の試みで寄席芸能の本筋は変わっていない。
そこまでして古典やらなくても、新作落語を作ってやればいいのでは(名推理)
自分と世代が異なる人間と話すの、めっちゃ気を遣う。
落語家さんの投稿に思うところがあった。各所の隠蔽の努力の結果、落語は人を傷つけない笑いだという評価が広まるのなら、それは『江戸しぐさ』を広めるのと同じような罪かもしれない。https://x.com/i/status/2086030840182792198
内容を変えるぐらいならその演目をやらなければいいのに。特に問題ない演目もあるでしょ
噺家によって細かいとこは変わるし、本筋が変わらないならそういう変化を加えてもいいと思う。
この流れ自体がもう落語ぽい
世相で失われてきたものなんて今までもあったのだろうから受け入れなくてはと思う反面、なんかなーという気持ちも。
これ自体が落語のネタになりそう。
現役の文化としてやりたいなら若い人に引かれないようにしないと。そういう意味では正解だと思うが、別に表現を柔らかくしたら面白くなるわけじゃないしな。いまの客層と心中するのならどっちでもいい。
伝統は昔から続く芯を一本通したうえで新しい事物を注ぎ続けるもの。同じ噺でも噺家によって筋やセリフに差異があるのも当然。そこを分からずに「だったら演じなければいい」と観客が言うのは無粋
柔軟に時代に対応できない芸は消えていくだけ。別に必需品じゃないので、不快に思う人が増えれば観客もいなくなる。
落語は補助金で生かされている芸術ではなくて生きた芸能なので、小屋に来るお客さんに真摯に向き合った結果そうなって変化するのなら良いと思う
でもまあ優秀な落語家だったら魅力を損なわずにできちゃうんだろうけどね。落語の場合、他の誰かが発見すればそれを他の人が公然と真似してもいいのは強みだと思う。
傷つくような奴は落語なんか聴きにこないだろ
笑いの芸なんだから笑えなかったら意味無いし、今は変えられない属性で誰かを嘲笑する笑いは廃れたというだけ。いくら古典つったってその時々で面白くないと思われたのはもう滅んできてるんだし、別にそれでいい
あかね噺経由のニワカ感想で恐縮だけど、落語の魅力ってそういうアレンジにあるものかと思ってた。同じ題目でも演者や観客、時代で色々な味がするのが面白いのかなって
大衆芸能ならその時代の大衆が素直に楽しめないと意味がない。文七元結とか昭和名人選みたいなCDで聞いたけど、こんないい娘がどうしてこんなおっちょこちょいとくっつけられなくちゃいけないんだと違和感あった
それは小学校でやればいいこと
寄席に行くと現代的なコンプライアンスを超えたまま演じてる噺家さんもまだ全然いて客席がドン引きしてどう笑ったものが…みたいな状態になる時もある。時代につれ噺が変わるのも落語ならではなんてすよね
松本と伊集院がダウンタウンプラスで話してたやつか https://www.youtube.com/watch?v=vaHhmR6IRFs 27:53あたりから
これ自体は別に自主的なもんでええと思うけど、倫理観なんて時代と共にコロコロ変化するもんで別に今が最高に倫理的な世界とかでもないのに、よーそんな傲慢になれるなとね
狂言や能は変えちゃいけないと思うけど(伝承)、落語は変えていいと思うよ(伝統)
ポリティカルコレクト寄席ウケるかな。「いやーいっぱいのお運びですが、みなさん土曜の朝からお暇なことで」→「いやーいっぱいのお運び、土曜の朝から適切な表現への熱意で寄席ん中も温暖化が進んじまいますな」
キャンセル
試みにもこころざしにもそれぞれの実践にも賛成なんだけど、そんな言いかたで傷つく人ないように、『傷つく人ないように』っていう半端な言いかたはやめるのが良いと思う。まずは新聞社からでも。
こういうのにケチを付けるのは誰かが配慮されることが気に入らない狭量な奴だけ/「狂言や能」も型は同じながらも、江戸時代に大きく変化している。時代に合わせて生き残ったから今「伝統」と呼ばれるものになった
あ、読売の企画記事ヤフーに載ったか
傷つくというより、大筋と関係ないけど、小さい笑い取るようなとこで、現代の価値観と合わなくて客がドン引きしちゃってノイズになるなら、別に変えて良いと思いますけどね。
好きにしたら良い。落語のカセットテープはたくさん持っている。新しいものは必要ない。
“昭和10年代に作られた「代書」には当初、外国の男性が片言の日本語を話す場面が描かれていた。しかし現在、この部分は時代に合わないとして省略されることが多い。”
客が笑えないなら芸にならんだろ。別に「今が正しい」とかではなく、時代に合わせて柔軟に変化できるからこそ、伝統として残せる。
傷つく人がいないようになんてのは建前で、今は容姿いじりがウケる時代じゃないから変えてるだけでしょ。客の反応が悪けりゃウケるようにするのが芸
落語の世界も「傷つく人ないように」…セリフ変更や改作、現代にふさわしい表現模索の動き(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
こんなんやってるから艶笑話とか失伝していくんや……古典を古典として受け止められないなら創作の笑いを求めるな
ニュアンスねじ曲げて「古典」を語るのはもうギャグでしかない。多分落語よりそっちの話し合いの方が絶対面白い。ギャグマンガ日和みを感じる😄
じゃあお前がやってみろと言われたら無理なんだけど、そんな言い方をしてしまう人間の業を描くのが落語なのでは?って思った。とはいえ入り口で帰られちゃうと伝わらんしなあ
あほちゃうか
筒井康隆、コメントはよ
伝統は時代に応じて変わっていった結果でもあるので、そういう形もあるのだろうね。
ああ、清少納言て差別的で階級的で嫌だと思ってた。中学時代の国語の授業。
神田伯山は寄席に地方の団体客が来たら田舎者(ドサ)を思い切り馬鹿にする話をかけ、車椅子の客が来たら障害者をコケにする話をかける某落語家を称賛していた。これは例外の試みで寄席芸能の本筋は変わっていない。
そこまでして古典やらなくても、新作落語を作ってやればいいのでは(名推理)
自分と世代が異なる人間と話すの、めっちゃ気を遣う。
落語家さんの投稿に思うところがあった。各所の隠蔽の努力の結果、落語は人を傷つけない笑いだという評価が広まるのなら、それは『江戸しぐさ』を広めるのと同じような罪かもしれない。https://x.com/i/status/2086030840182792198
内容を変えるぐらいならその演目をやらなければいいのに。特に問題ない演目もあるでしょ
噺家によって細かいとこは変わるし、本筋が変わらないならそういう変化を加えてもいいと思う。
この流れ自体がもう落語ぽい
世相で失われてきたものなんて今までもあったのだろうから受け入れなくてはと思う反面、なんかなーという気持ちも。
これ自体が落語のネタになりそう。
現役の文化としてやりたいなら若い人に引かれないようにしないと。そういう意味では正解だと思うが、別に表現を柔らかくしたら面白くなるわけじゃないしな。いまの客層と心中するのならどっちでもいい。
伝統は昔から続く芯を一本通したうえで新しい事物を注ぎ続けるもの。同じ噺でも噺家によって筋やセリフに差異があるのも当然。そこを分からずに「だったら演じなければいい」と観客が言うのは無粋
柔軟に時代に対応できない芸は消えていくだけ。別に必需品じゃないので、不快に思う人が増えれば観客もいなくなる。
落語は補助金で生かされている芸術ではなくて生きた芸能なので、小屋に来るお客さんに真摯に向き合った結果そうなって変化するのなら良いと思う
でもまあ優秀な落語家だったら魅力を損なわずにできちゃうんだろうけどね。落語の場合、他の誰かが発見すればそれを他の人が公然と真似してもいいのは強みだと思う。
傷つくような奴は落語なんか聴きにこないだろ
笑いの芸なんだから笑えなかったら意味無いし、今は変えられない属性で誰かを嘲笑する笑いは廃れたというだけ。いくら古典つったってその時々で面白くないと思われたのはもう滅んできてるんだし、別にそれでいい
あかね噺経由のニワカ感想で恐縮だけど、落語の魅力ってそういうアレンジにあるものかと思ってた。同じ題目でも演者や観客、時代で色々な味がするのが面白いのかなって
大衆芸能ならその時代の大衆が素直に楽しめないと意味がない。文七元結とか昭和名人選みたいなCDで聞いたけど、こんないい娘がどうしてこんなおっちょこちょいとくっつけられなくちゃいけないんだと違和感あった
それは小学校でやればいいこと
寄席に行くと現代的なコンプライアンスを超えたまま演じてる噺家さんもまだ全然いて客席がドン引きしてどう笑ったものが…みたいな状態になる時もある。時代につれ噺が変わるのも落語ならではなんてすよね
松本と伊集院がダウンタウンプラスで話してたやつか https://www.youtube.com/watch?v=vaHhmR6IRFs 27:53あたりから
これ自体は別に自主的なもんでええと思うけど、倫理観なんて時代と共にコロコロ変化するもんで別に今が最高に倫理的な世界とかでもないのに、よーそんな傲慢になれるなとね
狂言や能は変えちゃいけないと思うけど(伝承)、落語は変えていいと思うよ(伝統)
ポリティカルコレクト寄席ウケるかな。「いやーいっぱいのお運びですが、みなさん土曜の朝からお暇なことで」→「いやーいっぱいのお運び、土曜の朝から適切な表現への熱意で寄席ん中も温暖化が進んじまいますな」
キャンセル
試みにもこころざしにもそれぞれの実践にも賛成なんだけど、そんな言いかたで傷つく人ないように、『傷つく人ないように』っていう半端な言いかたはやめるのが良いと思う。まずは新聞社からでも。
こういうのにケチを付けるのは誰かが配慮されることが気に入らない狭量な奴だけ/「狂言や能」も型は同じながらも、江戸時代に大きく変化している。時代に合わせて生き残ったから今「伝統」と呼ばれるものになった
あ、読売の企画記事ヤフーに載ったか
傷つくというより、大筋と関係ないけど、小さい笑い取るようなとこで、現代の価値観と合わなくて客がドン引きしちゃってノイズになるなら、別に変えて良いと思いますけどね。
好きにしたら良い。落語のカセットテープはたくさん持っている。新しいものは必要ない。
“昭和10年代に作られた「代書」には当初、外国の男性が片言の日本語を話す場面が描かれていた。しかし現在、この部分は時代に合わないとして省略されることが多い。”
客が笑えないなら芸にならんだろ。別に「今が正しい」とかではなく、時代に合わせて柔軟に変化できるからこそ、伝統として残せる。
傷つく人がいないようになんてのは建前で、今は容姿いじりがウケる時代じゃないから変えてるだけでしょ。客の反応が悪けりゃウケるようにするのが芸