"とりあえず、「金返せ!」と思う映画が世の中にはある一方で、「お金は払うからもう勘弁して…」となる演劇がこの世にあるのは事実だと思います…"
"面白い演劇は面白い映画より面白いけど、つまらない演劇はつまらない映画よりつまらない"→そう自覚してるからこそ演劇を嗜むひとは「ああいう」感じになるし逆に抜けられなくなるのなあ(娘が演劇部でございまして
つまらない映画は途中退席可能だが、演劇はよほど強心臓じゃないと難しい。
映画館で上映される時点で相当な足切り済みなのは確か。生の人間が目の前で滑り続ける拷問は演劇ならでは
“長時間、すべり続ける。これは演劇にしかできない” (演劇はすごく抽象的な空間なんで〔某劇団みたく徹底的にリアルを切り取る演出もあるけど〕入り込めないと本当にアレ〔と乏しい観劇経験者の愚痴 )
ジャルジャルがちゃちー系の劇を愛してやまない理由か
“ナマの人間を前にすると観客も逃げ場がない” ここに理由があるんだろうな。退席もスマホ見るのも許されず寝るのも憚られる空間だからこそ成立する。
よしもと新喜劇は毎回笑わせて貰ってるけど例えば池乃めだか師匠の一連のテンプレでいつも笑う。たとえその時つまらなくても皆がズッコケた時は連動するかのように爆笑するのは認知バイアスが掛かってるせいやろな。
面白かったものが突然すんごくつまんなくなることもあるんだよなあ…。その予測もつかない。
知人の付き合いで行ったアート的な演劇を思い出した。ストーリーが存在せず、2時間くらい何かの断片を見せ続けられるという意欲作だった。
生まれてずっと滑り続けているつまらない人っぽさがあるポストですね
きっと今日も日本のどこがで「脚本を全部AIに書いてもらいました」とドヤ顔で斬新な発明をした気でいる劇団の劇が披露されている
それ言ったらバンドもヤバい。知り合いがライブやると言ってどんなもんかと行けば、逃げれないし、何の音が鳴っているか分からない中、あの音量で数十分もあてられるとか拷問以外の何物でもない。
ライブである演劇と、編集が存在する映画だと流石に比べ物にならない気はする
さえぼう先生が細田「スカーレット」を「ありとあらゆるハムレット題材の舞台を観ている私的にはこの映画はだいぶマシなレベル」と評していたからまあそういうことなのだろう笑
その通り。舞台演劇はやるものであって、観るものではない。
つまらないというよりはいい加減にしろよレベルのものに出会う確率が高い。これに金を払って時間をさき拘束されてることに腹が立ってくる。 お笑いだとつまらないという言葉がしっくりくる。
“目の前で、生の人間が、長時間、すべり続ける。これは演劇にしかできない” 地獄を見た人しか言えない、重い言葉だなw
連続で掴み失敗したら内容関係なく引きずるところあるからねぇ 演者も見えないレベルで肌から緊張の電波を出すし
チケットを買ってくれたおじさんに「是非来てくださいね」と言ったら「金を払ったのにわざわざ来いというのかッ!」と怒られた話を思い出す。
編集がないというコメントがあるけど何十回と稽古してる中での演出家の指示がそれにあたる。若い劇団だと稽古不足指示不足はあるのでそれはまあ…
劇場公開されるような映画と、無名の素人劇団まで含めた演劇ではレギュレーション無視すぎて議論にならんだろ。自主制作映画とか見せられるのもかなりキツイんで
もろもろ込みで体験として面白いということでもあるだろう。
生の人間が眼の前で演じてるというのがポイントなのかしら。共感性羞恥的なものもありそうだし
その2作は少なくとも作画はそれなりにいいだろ、映画の底辺には思えないので比べられるもんでもない
わかる。ダメな芝居って始まった瞬間にこれはやばいと気付くけどそこから逃げられない
身体ひとつあれば演劇は路上でも出来る。そのハードルの低さは裾野の広さに繋がりはするだろうな。
炎尾燃が自主制作映画の審査員を引き受けて、見ているうちに体調悪くなる回
昔、俺が人生で一番好きな小説であるゼウスガーデン衰亡史が演劇になる、しかも演劇祭の注目作品として結構名のあるメンバーでというので、大喜びで見にいったのだが全然意味わからなくて困った記憶。
予算が違うからハードルが低い
演劇をつまらないとか、振れ幅があるとか、下には下があるとか、酒の席ならわかるよ、それも演劇者が
映画はなんでこんな風に作っちゃったのかなーと思うだけだけど,演劇の場合は目の前で滑ってるのを見て頑張れって気持ちになれる。千秋楽までに成長もしていくし。
劇場じゃく特殊な屋外シチュエーションで開催され(運悪く天候にも恵まれず)物語の認知負荷も高く、演劇+αの融合を試み、極めつけに客に干渉してくる小規模演劇で地獄の思いをしてからもう足が遠のいちゃった^^
ケロロや果てスカを演劇に例えるなら、劇団四季や宝塚の俳優陣やスタッフを使って、演出や脚本を畑違いの外部から連れてくるようなもの。映画でも低予算で酷い作品ならそれはそれで山のようにある。
演劇ってフォーマット自体が表現として映画より古くてつまらない。面白いのはお笑いライブ的な要素みたいな所で「劇」としては制約が多くて厳しいと思う。
演劇は一流のものでも不完全さ、不自然さを許容する構造だからね。その演劇のノリを持ち込むことが邦画のつまらなさを助長したと思ってる。
アマチュア劇団だと、観客も演者の知り合いとか関係者なのもあるかな。つまらなくても批判しずらしい。
自主映画やってた頃「学生自主映画上映会」で他所のチームが作ったつまらない映画をたくさん見て、そして自分たちが作った身内ウケの映画を観客に見せてきた。まあ『商業映画として劇場にかかる時点で上澄み』は真実
「演劇こそが世界で一番つまらないものを作れる」ことの確認のためにケロロ軍曹も果てスカも観たが演劇のほうがヤバいと確信している話…映画館上映の時点で上澄みでは?
"とりあえず、「金返せ!」と思う映画が世の中にはある一方で、「お金は払うからもう勘弁して…」となる演劇がこの世にあるのは事実だと思います…"
"面白い演劇は面白い映画より面白いけど、つまらない演劇はつまらない映画よりつまらない"→そう自覚してるからこそ演劇を嗜むひとは「ああいう」感じになるし逆に抜けられなくなるのなあ(娘が演劇部でございまして
つまらない映画は途中退席可能だが、演劇はよほど強心臓じゃないと難しい。
映画館で上映される時点で相当な足切り済みなのは確か。生の人間が目の前で滑り続ける拷問は演劇ならでは
“長時間、すべり続ける。これは演劇にしかできない” (演劇はすごく抽象的な空間なんで〔某劇団みたく徹底的にリアルを切り取る演出もあるけど〕入り込めないと本当にアレ〔と乏しい観劇経験者の愚痴 )
ジャルジャルがちゃちー系の劇を愛してやまない理由か
“ナマの人間を前にすると観客も逃げ場がない” ここに理由があるんだろうな。退席もスマホ見るのも許されず寝るのも憚られる空間だからこそ成立する。
よしもと新喜劇は毎回笑わせて貰ってるけど例えば池乃めだか師匠の一連のテンプレでいつも笑う。たとえその時つまらなくても皆がズッコケた時は連動するかのように爆笑するのは認知バイアスが掛かってるせいやろな。
面白かったものが突然すんごくつまんなくなることもあるんだよなあ…。その予測もつかない。
知人の付き合いで行ったアート的な演劇を思い出した。ストーリーが存在せず、2時間くらい何かの断片を見せ続けられるという意欲作だった。
生まれてずっと滑り続けているつまらない人っぽさがあるポストですね
きっと今日も日本のどこがで「脚本を全部AIに書いてもらいました」とドヤ顔で斬新な発明をした気でいる劇団の劇が披露されている
それ言ったらバンドもヤバい。知り合いがライブやると言ってどんなもんかと行けば、逃げれないし、何の音が鳴っているか分からない中、あの音量で数十分もあてられるとか拷問以外の何物でもない。
ライブである演劇と、編集が存在する映画だと流石に比べ物にならない気はする
さえぼう先生が細田「スカーレット」を「ありとあらゆるハムレット題材の舞台を観ている私的にはこの映画はだいぶマシなレベル」と評していたからまあそういうことなのだろう笑
その通り。舞台演劇はやるものであって、観るものではない。
つまらないというよりはいい加減にしろよレベルのものに出会う確率が高い。これに金を払って時間をさき拘束されてることに腹が立ってくる。 お笑いだとつまらないという言葉がしっくりくる。
“目の前で、生の人間が、長時間、すべり続ける。これは演劇にしかできない” 地獄を見た人しか言えない、重い言葉だなw
連続で掴み失敗したら内容関係なく引きずるところあるからねぇ 演者も見えないレベルで肌から緊張の電波を出すし
チケットを買ってくれたおじさんに「是非来てくださいね」と言ったら「金を払ったのにわざわざ来いというのかッ!」と怒られた話を思い出す。
編集がないというコメントがあるけど何十回と稽古してる中での演出家の指示がそれにあたる。若い劇団だと稽古不足指示不足はあるのでそれはまあ…
劇場公開されるような映画と、無名の素人劇団まで含めた演劇ではレギュレーション無視すぎて議論にならんだろ。自主制作映画とか見せられるのもかなりキツイんで
もろもろ込みで体験として面白いということでもあるだろう。
生の人間が眼の前で演じてるというのがポイントなのかしら。共感性羞恥的なものもありそうだし
その2作は少なくとも作画はそれなりにいいだろ、映画の底辺には思えないので比べられるもんでもない
わかる。ダメな芝居って始まった瞬間にこれはやばいと気付くけどそこから逃げられない
身体ひとつあれば演劇は路上でも出来る。そのハードルの低さは裾野の広さに繋がりはするだろうな。
炎尾燃が自主制作映画の審査員を引き受けて、見ているうちに体調悪くなる回
昔、俺が人生で一番好きな小説であるゼウスガーデン衰亡史が演劇になる、しかも演劇祭の注目作品として結構名のあるメンバーでというので、大喜びで見にいったのだが全然意味わからなくて困った記憶。
予算が違うからハードルが低い
演劇をつまらないとか、振れ幅があるとか、下には下があるとか、酒の席ならわかるよ、それも演劇者が
映画はなんでこんな風に作っちゃったのかなーと思うだけだけど,演劇の場合は目の前で滑ってるのを見て頑張れって気持ちになれる。千秋楽までに成長もしていくし。
劇場じゃく特殊な屋外シチュエーションで開催され(運悪く天候にも恵まれず)物語の認知負荷も高く、演劇+αの融合を試み、極めつけに客に干渉してくる小規模演劇で地獄の思いをしてからもう足が遠のいちゃった^^
ケロロや果てスカを演劇に例えるなら、劇団四季や宝塚の俳優陣やスタッフを使って、演出や脚本を畑違いの外部から連れてくるようなもの。映画でも低予算で酷い作品ならそれはそれで山のようにある。
演劇ってフォーマット自体が表現として映画より古くてつまらない。面白いのはお笑いライブ的な要素みたいな所で「劇」としては制約が多くて厳しいと思う。
演劇は一流のものでも不完全さ、不自然さを許容する構造だからね。その演劇のノリを持ち込むことが邦画のつまらなさを助長したと思ってる。
アマチュア劇団だと、観客も演者の知り合いとか関係者なのもあるかな。つまらなくても批判しずらしい。
自主映画やってた頃「学生自主映画上映会」で他所のチームが作ったつまらない映画をたくさん見て、そして自分たちが作った身内ウケの映画を観客に見せてきた。まあ『商業映画として劇場にかかる時点で上澄み』は真実