「たとえば柄本明は、佐藤とはまったく逆の、ドライな演技論を持っている」「そもそも、佐藤二朗が信奉している演技論は、大雑把にいえば「メソッド演技法」だろう」メソッド演技は爆笑問題太田さんも大反対してたな
メソッド演技法がハラスメントの免罪符になってるって指摘は確かに。演技の流儀は一つじゃないな
柄本明は癖が極めて強く役者としてはとんびなどで有名だけど元々は劇団出身者。表現力はそこで磨いたのだろうが演劇や舞台での価値観なんてテレビのそれと異なるのだから佐藤二朗と同じ土俵で比較するものでもない。
ここで当人も事実関係を否定していて第三者になんら認定されていない松本人志の性加害を持ち出すのもどうかしてる。
「役者をやるべきではない」が致命的にダメなんだよな。セクハラでも二次被害でもなく、この一言が「モラハラ」以外の何者でもない。佐藤は、Pに「そのような条件のついた俳優とは共演できない」と伝えればよかった
”そもそも「本物の感情や接触に依存する演技法」は、芸術的な観点からも「安易である」と歴史的に批判されてきた。”
「身体的接触NG」がセクシャルなものなら理解できるが、「日常生活的接触NG」という曖昧な橋本の一存で佐藤の演技のOKラインが決まる形にした。指が間違って触れただけで会議が発生したのは佐藤にはストレスだったろう
佐藤氏の演技方法は衆知の事実で、フジ制作陣が知らないわけがない。佐藤氏の演技哲学を責めても何の解決にもならない。俳優の本質を見た配役と調整を怠った上で、事が公になれば俳優の責のみ声明を出すフジが黒。
佐藤のXによると「夫婦役は受けるべきじゃない」よりも「状況を共有すべき」みたいよ。身体接触じゃなくて情報共有がポイント。共有は佐藤の勘違いもあるみたい / だから共有の仕方が問題なんやろ。なんで擁護やねん
言いたいことはよくわかるけどあれはTVドラマ(エンタメ)であって純粋芸術ではないので。要求されるものの水準でいうと(ここの区分が100%正確だとも思えないが)佐藤が信じてる芝居の神さまのほうが正しい
接触NGなら、あらかじめ条件を出しておくべきでは?キスシーンNGとかも。能年玲奈の頃から何も学んでいない
だからこそ降板を申し出たわけで、どう考えても制作者サイドが一番のevilでしょ。
接触自体NGではなかったのに、誰も事実に基づく話をしない
佐藤側のコメントに込められている「女優側こそ役者としての覚悟に欠けた仕事をしており、こちらはそれに我慢してきた」って言い分に対し、納得感の高い説明だった。
蕎麦アレルギーなら蕎麦屋を続けるべきではない
不快だからって人を殴っていいわけじゃないんだよなぁ…
正直、彼の役者論的なものは暑苦しくて苦手だから関心もないし肩入れもしないけど、わざわざ演劇史的に間違いだと今回の件と結び付けて指摘する意味もないと思う。間違ってようとメソッドの選択は彼の自由だろう。
「メソッド演技法」ってスタ(ニスラフスキー)システムの発展形なのか/日本人の多くはスタシステム的な演技観を『ガラスの仮面』から学んじゃってたりしそうな気がする(まんが脳)。
強迫性障害を抱える佐藤がハラスメントのトラウマに苦しむ橋本に共感できないのは、役者以前に人として問題。 酷い言動を注意された後も酷い態度を繰り返し、報道後も犬笛吹きしてるの引く。
家族や医師以外に顎なんて触られたことないが日常的接触だという人はどういう想定なんだ?/読んでない人多そうだが佐藤の演技法が間違いとは書いてなくてその演技法を普遍的なものとして強制していることへの批判ね
そんな江戸しぐさみたいなチェリーピッキングに何か意味があるとでも思ってるのか。演劇史的に間違いでも演劇史でしか意味がない。
断片的な情報で赤の他人のいざこざによくここまで口を出そうと思うな
この人は根本的に勘違いしてるけど自分の考える演劇論と一致しない意見を聞かされるのはウザいかもしれないが罪でもなんでもないよ 自分の仕事論を若手に伝えてハラスメントなら世の中のハラスメントだらけだよ
そりゃ演じる夫婦によって求められる演技は異なるから「身体接触NGでも演れる夫婦」はあるだろうけど、「身体接触なしでは演れない夫婦」も存在することをなかったことにはできない
id:l1o0 意味の分からん擁護を始めたいみたいだけど、それにしたって悪いのは佐藤側のマネージャーないし事務所であって橋本の楽屋凸する理由にはならない。しかも凸やめろって言われてから凸して暴言を吐いたわけで
なんか深い演劇論になってきた。そしてそれでいいと思う。体を張って役者を生きる人達へのリスペクトを感じる(クソみたいなPだDだMはとりあえず脇に置いといての話)
この文章を見て、一定数、佐藤の演技論を否定していると読む人がいるようだが、そうではなくて、批判もある演技論を軸に相手に俳優を続けるべきではないとまで言ったことが行き過ぎだということでしょう。
一般人も「役者魂」みたいなこといってメソッド演技を賞賛するからね。役者もメソッド演技信奉は、その人の自由なんだが、他の演技理論はたくさんあるのに、それを他の俳優に押し付けたらそりゃ間違いよ。
人的トラブルがあると加害者とされた側はむしろ自分の方が被害者と言い出す典型的ムーヴなんだよなあ。だから第三者の仲介が必要なわけで
この人の論から個人ではなく二つの演技メソッドのぶつかり合いと考えた場合、体育会系当たって砕けろ主義が、理論派に噛みついているように見える。しかし人は人殺しにも過去や未来の人物にもなれないので後者に理が
"どのような「芝居の神さま」を信じるかは彼の自由""しかし、それを「あらゆる役者にとっての普遍的な正論」として他者に強要したり、自分の宗派に合わない者を「役者をやめるべき」と否定したりすることは避けるべき
意見の相違で済む話にいちいち正しさや白黒つけてる限りハラスメントは無くならないのでは。当事者間で話がつけば良いだけなので自論を語りすぎてると引かれるよ。
素人なのでこの演劇論がどこまで正しいのか判断はできませんが、自分の信仰を他者に強制するのは人権侵害だということは分かります。誤読してる人が多いがこの文章が言ってるのはその一点じゃないの?
「女優なら自分捨てるべき」みたいな名目で脱がせたり、性的シーンを「体当たり」と評価してきたの、単に尊厳を壊したい支配欲だよね。耳貸す必要ない。単に立場利用した普通の性加害だったって例ばっか。
代表作である「HK変態仮面」「薔薇色のブー子」「RANMARU」「新解釈・三國志」「聖☆おにいさん」などでどうやってメソッドやってたのか、マジで気になる。
野次馬が演劇論にワーワー言ってもしょうがない。燃やした火種と違う話になってるよ
演劇史から答えを出せるという考えが間違いでは?(個人的には「それで良い画が撮れた?」というのが気になるのだが、世間がこれだけ騒げば、良くても悪くても使えなそうだ)
“マッツ・ミケルセン: 「(メソッド演技法は)ただの気取り(Crap)だ。シリアルキラーの役をやるなら、実際に人を殺すのか? カメラが回ったらそれは『演技(ファンタジー)』でしかない」 ”ね。LOVE🫶
これ結構佐藤を擁護してるアホが多くて驚いたわ
一つの手法でしかないのは全く同意で、だからこそ"崩壊する「メソッド演技法の有害な神話」"の項は蛇足では。我々はより良い演技が見られれば手法は何でも良い(結果が良ければ良し)。
人がいて芸がある。その順番を間違えて人を蔑ろにし、芸を至上のもの扱い時周りのことなど切り捨てる。お笑いでもいたよね。
セクハラをしたかのような煽り文句を書いた文春のせいで最初は佐藤さんの方により同情していたのだけど、事実だけピックアップしたら典型的なモラハラだった。俳優を続けるために反省してほしいが、年齢的に難しそう
"役者を続けるべきではない"は"この状態(互いの演技に必要な情報の共有を事前にせず、演技後に苦情を言う)"に対しての発言では。私の読解力がないせいだろうか?何にしても、共有すべき情報を止めた人間が一番悪い。
取り敢えず佐藤二朗ははよ「ほんとうのこと」言えや
じゃあ佐藤二朗氏が芝居観の異なる柄本明氏に対して同じことをするかというとおそらくしない。この問題の本質は演技論とかではなくその点にあると思われ、だからハラスメントなのだろうなと思う。推測に過ぎないが
メソッド演技法とかいう次元の話じゃないと思うよ。そもそも演技のための経験という話と、演技そのものを拒否する話はまったく別だよね。
要は個人がやるのは勝手だけど、他人にそれを押し付けるな、という話ですよね。そして、今回の騒動の中で演技のあり方や役者であることの条件を一方的に突きつけてるのは誰なのか? ということ。
怒鳴ったとか繰り返し言ったとかではなく、同法人でもなく直接の上下関係にない仕事関係者に1回だけ丁寧に「個人的には仕事を続けるべきではないと思う」という意見を伝える事がなぜパワハラになるのか?
佐藤はこのドラマを降板したがっていた。つまり撮影条件がストレスで不満だった。事前に橋本愛の条件を知っていれば仕事を受けなかった。
論点ずらしが酷い。触れた事自体は双方問題視してない。問題は「役者をやるべきでない」発言だが、これも切り取り。そもそも音声残ってる訳でもなく双方自分の言い分言ってるだけの状態で結論出す事がおかしい
佐藤二朗のような価値観がテレビ・映画・演劇業界に(いまだに)蔓延ってるせいで、エンタメの作り手がハラスメントに苦しんでるのだとしたら、黙ってスルーするのは「良いお客さん」なのだろうか?
「橋本の要望を踏まえた演出プランを用意して、事前に佐藤へ伝えておくこと」が出来ていなかったのなら、プロデューサーと演出家が責任を問われるべき。決められていた演出プランを無視したのなら佐藤が悪い。
「リアリティにこだわる」って意地悪にいえば「演技で表現する力が不足している」事にならないか?リアリティは形式的な条件だが演技は本人の技量。それと別にインティマシー・コーディネーターの育成は急務
外因とはいえ、いちど信頼関係が崩壊してしまうと、演技論を交わすような心理的安全性を構築し直すのは難しいよな。「自分は加害してないはず」という想いが、「演技への情熱ゆえ」という言い訳に走らせたか。
「佐藤二朗がどのような「芝居の神さま」を信じるかは彼の自由だ。しかし、それを「あらゆる役者にとっての普遍的な正論」として他者に強要したり、自分の宗派に合わない者を「役者をやめるべき」と否定したりするこ
そんな事より橋本愛にトラウマを植え付けた奴を晒せよ。とか思ったけど、園子温かな。
演劇論にかくも真剣な関心がある方々の多さに、率直な驚き
インプ稼ぎがうるせえよ。
日本のドラマはおおげさでくさい、わざとらしい、芝居がかっている/アメリカは科学・心理的な演技メソッド土台、内面からリアルな感情や行動を引き出す。日本は伝統芸能や口語演劇が混在し、感覚や現場の直感に頼る
佐藤次郎が苦労していた時代をベースにアドバイスしているんだろうよ。もう時代はかわった。
佐藤が言わなくても、めんどくさい女優扱いで方々から共演避けられるだけなんじゃないのかと思うので、これがハラスメントとは俺は思わないなあ。ただしイケメンは除く感もあるし
よく自分で見たわけでもない問題にこんなに言及できるな。お前ら全員。なにが本当かなんて当人たちしか分からんのよ。
初期の頃のXでは橋本愛が叩かれてたから、「俳優は辞めた方がいい」発言でアウトと主張して来たが、最近は佐藤二郎への風当たりの方が強くなって来てる。擁護派もアンチフェミであって、佐藤二郎ファンではないし。
夫婦バディもののドラマですからね。某女優は周囲の人間にかける負担を軽視していたと見做さざるを得ない。彼女が自分からは説明してないのは明らかに不誠実で、それが結局トラブルの引き金になっている。
演劇史というのならメソッド演技法はあくまで近代の思考だな。能楽師や歌舞伎役者は、武士ではない自分が義経やら平家の怨霊じゃないなんてことは百も承知で、観客が共有するイメージとしてのキャラを演じてた筈
ハラスメント以上に佐藤のXがやばいんだよ。冤罪被害者を演じるかのような匂わせが、対立を煽って犬笛になってるのが問題。
これトーン・ポリシングの逆?で伝えたい意図はそうだったとしても、伝え方はちゃんとラッピング出来てはいるとは思うんだよな。
難癖に近い「ご意見」を申し立てに押しかけてきた佐藤に対し、「うっせえよ何様だお前」とは言わずに笑顔で飲み込んだ橋本氏は正しく大人として「弁えている」んだよな
佐藤氏の発言がモラハラ的だった結論に違和感はないが、演劇史をレトリックに使いたくて佐藤氏は近年批判されてるこれ、榎本氏はこう、橋本氏はこう、発言の断片から雑に当てはめて、なんだこの文書は?
早いとこ当事者間で決着つけて欲しい
演劇史的ってなんだよw どういうマウントだ!www
加害者扱いされて感情的になってしまった末の失言だろう。許してやれないのか。
タイトルがあれだけど佐藤の演技論を全否定しているのではなく高橋に止めれは間違いということ/だから佐藤の忠告は正論ではないという基本は知っておこうね/高橋叩いてるのは100%クズしかいないけどね
あんまり同意できないな。佐藤二郎の発言は良くないと思うけど、あそこまで言うのは公になってない何かがあると考える方が自然だと思うよ。
私は同年代の佐藤二朗と同じ考えだったが、考えを改めざるをえないとても良い内容だった。自分はやはり古い人間なのだろう。
メソッド演技しかできない佐藤が「演技力があれば親密にならなくても親密な演技できるやろ」というテクニカル演技派の橋本に我慢できなくなったという話だよね
どっちか責める話じゃなく昼行灯なフジがおかしいのでは⋯
たとえそれでより良い映像作品が残るんだとしても、人として言って良い事かどうかは別に問われる、で良く無いか?
後出しジャンケンで怒られる立場なら断るだろう普通
オファー段階でプロデューサーに身体接触に制限があると伝え、野木亜紀子さんがアドリブによる身体接触は事前協議することは珍しくない、と言ってもなお橋本さんに責任があると言う人はミソジニストの自覚待てよな。
極論、もう演劇に人間は不要じゃね(´・_・`)人間が人間を演じるのは前時代的で非人道的だよ。◯◯がなくても××ができるって主張はそういうことだろ。もう演劇やってる人は全員廃業しろよ
こんな小難しい演劇論より、当初、佐藤二朗本人に橋本側の条件が伝えられなかったのは、“演技に制約をつけたくない”との佐藤マネージャーの意向に従ったから⋯という文春報道の真偽の方がよほど興味あるな。
だから当事者でもない事情も知らない部外者が憶測であれこれ言うなって…何様なんだ。報道をきっかけに自分の経験でどうだとか言うのは勝手だけど。
そもそもの話は「他人に義務のない配慮を強要するな」「するなら事前に知らせろ」で、実際説明されたからこそ佐藤氏はアドリブを封じ、ドラマは最終回まで撮影し終えたんだろうに。バカじゃねえの。
私の芝居の神様はずっとアンソニー・ホプキンスで、彼はメソッド演技と対極に台本に書かれていることしかしない。入りすぎたら役を抜く為のタイムアウトすらする。それで歴史に残る怪物レクター博士を造形した。
「役者をやるべきではない」はヤバい発言だけど、アイドルに対して「恋人を作るべきではない」って言っているような感じで考えると難しいなぁとは思う。違う仕事でも良くない?っていう考えが過る。vtuberでいいじゃん
役者に脚本演じさせたら感情入れ込んで「カッターの刃を出したふりで切った動作」なんてできなかったし、勝新太郎と中村玉緒の息子は知らなかったとはいえ撮影で相手を切り殺してしまってる。演技にノイズを入れるな
この文章を読んで「フジは黒」と言い残して去っていく人間、さすがにヤバすぎるでしょ。日本語の通じる余地がない。本当は星付けてる人間も全員まとめて非表示にしたいところだがそういう機能はないのが甚だ残念。
めちゃくちゃしっくりきた。それを言ったら相手がどう思うか、想像できなかったのだろうか。それこそイマジネーションの欠如。相手の気持ちを考えることも演劇に通じることなのでは?
演技も大事だけど、仲良くするのが一番にゃ!強要する人はボクの猫パンチでお仕置きするにゃ!みんなが笑顔でいられる現場が最高だにゃん。
いや全然違うでしょ。佐藤二朗が言ったのは「身体接触に制限がある人は役者を辞めるべき」ではなく「制限を伝えないまま夫婦役を受けるなら役者を辞めるべき」だからそもそもの文章を読めてない
橋本愛の演技は褒めてんだから役者として対等に見た上で、俺としてはこう思うっていう個人的演技論をぶつけ合いたかっただけだと思うんだけどね
この文章が一番納得した。
本番中の演技の話がなぜかメソッド演技という準備法の話にズラされる不思議。むしろ私生活上のトラウマを役柄に持ち込んで作中でも接触禁止にする方がメソッド演技的なのでは。
皆のなかではいつもの「(非力でカワイソウな)おじさんが小娘にイジメられている」構図に見えているのかもしれないけれど、実際の佐藤二朗さんは自分で映画を撮れるくらいのキャリアがあるのだよな
メソッド演技してる人をハラスメント予備軍にしてスティグマ化。これに感銘うけるひとはハラスメントの才能あるよ。
男が悪い
そもそも婚姻自体が倫理的に間違っている。倫理的に間違った関係を演じるのだから、倫理的に間違った事象が発生しても何ら怪しむに足りぬ。夫婦別姓などはバカリベを釣って婚姻の延命を図る反動勢力の弥縫策に過ぎぬ
身体接触NGに対して苦言を呈することと、メソッド演技法と解釈される指向性は別物なのでは?と思った
橋本愛を罵倒している皆さんが知るべきことは、血を見ることもできない役者でも医者役を演じられるのと同じく、キス、ベッドシーンNGの役者でも夫婦役が出来ること。/佐藤二朗もアドリブ禁止でも演技は出来るのよ。
佐藤二朗の発言は「演劇史的に間違い」では?──身体接触NGでも夫婦役はできるし、「芝居の神さま」は唯一神じゃない|itchie
「たとえば柄本明は、佐藤とはまったく逆の、ドライな演技論を持っている」「そもそも、佐藤二朗が信奉している演技論は、大雑把にいえば「メソッド演技法」だろう」メソッド演技は爆笑問題太田さんも大反対してたな
メソッド演技法がハラスメントの免罪符になってるって指摘は確かに。演技の流儀は一つじゃないな
柄本明は癖が極めて強く役者としてはとんびなどで有名だけど元々は劇団出身者。表現力はそこで磨いたのだろうが演劇や舞台での価値観なんてテレビのそれと異なるのだから佐藤二朗と同じ土俵で比較するものでもない。
ここで当人も事実関係を否定していて第三者になんら認定されていない松本人志の性加害を持ち出すのもどうかしてる。
「役者をやるべきではない」が致命的にダメなんだよな。セクハラでも二次被害でもなく、この一言が「モラハラ」以外の何者でもない。佐藤は、Pに「そのような条件のついた俳優とは共演できない」と伝えればよかった
”そもそも「本物の感情や接触に依存する演技法」は、芸術的な観点からも「安易である」と歴史的に批判されてきた。”
「身体的接触NG」がセクシャルなものなら理解できるが、「日常生活的接触NG」という曖昧な橋本の一存で佐藤の演技のOKラインが決まる形にした。指が間違って触れただけで会議が発生したのは佐藤にはストレスだったろう
佐藤氏の演技方法は衆知の事実で、フジ制作陣が知らないわけがない。佐藤氏の演技哲学を責めても何の解決にもならない。俳優の本質を見た配役と調整を怠った上で、事が公になれば俳優の責のみ声明を出すフジが黒。
佐藤のXによると「夫婦役は受けるべきじゃない」よりも「状況を共有すべき」みたいよ。身体接触じゃなくて情報共有がポイント。共有は佐藤の勘違いもあるみたい / だから共有の仕方が問題なんやろ。なんで擁護やねん
言いたいことはよくわかるけどあれはTVドラマ(エンタメ)であって純粋芸術ではないので。要求されるものの水準でいうと(ここの区分が100%正確だとも思えないが)佐藤が信じてる芝居の神さまのほうが正しい
接触NGなら、あらかじめ条件を出しておくべきでは?キスシーンNGとかも。能年玲奈の頃から何も学んでいない
だからこそ降板を申し出たわけで、どう考えても制作者サイドが一番のevilでしょ。
接触自体NGではなかったのに、誰も事実に基づく話をしない
佐藤側のコメントに込められている「女優側こそ役者としての覚悟に欠けた仕事をしており、こちらはそれに我慢してきた」って言い分に対し、納得感の高い説明だった。
蕎麦アレルギーなら蕎麦屋を続けるべきではない
不快だからって人を殴っていいわけじゃないんだよなぁ…
正直、彼の役者論的なものは暑苦しくて苦手だから関心もないし肩入れもしないけど、わざわざ演劇史的に間違いだと今回の件と結び付けて指摘する意味もないと思う。間違ってようとメソッドの選択は彼の自由だろう。
「メソッド演技法」ってスタ(ニスラフスキー)システムの発展形なのか/日本人の多くはスタシステム的な演技観を『ガラスの仮面』から学んじゃってたりしそうな気がする(まんが脳)。
強迫性障害を抱える佐藤がハラスメントのトラウマに苦しむ橋本に共感できないのは、役者以前に人として問題。 酷い言動を注意された後も酷い態度を繰り返し、報道後も犬笛吹きしてるの引く。
家族や医師以外に顎なんて触られたことないが日常的接触だという人はどういう想定なんだ?/読んでない人多そうだが佐藤の演技法が間違いとは書いてなくてその演技法を普遍的なものとして強制していることへの批判ね
そんな江戸しぐさみたいなチェリーピッキングに何か意味があるとでも思ってるのか。演劇史的に間違いでも演劇史でしか意味がない。
断片的な情報で赤の他人のいざこざによくここまで口を出そうと思うな
この人は根本的に勘違いしてるけど自分の考える演劇論と一致しない意見を聞かされるのはウザいかもしれないが罪でもなんでもないよ 自分の仕事論を若手に伝えてハラスメントなら世の中のハラスメントだらけだよ
そりゃ演じる夫婦によって求められる演技は異なるから「身体接触NGでも演れる夫婦」はあるだろうけど、「身体接触なしでは演れない夫婦」も存在することをなかったことにはできない
id:l1o0 意味の分からん擁護を始めたいみたいだけど、それにしたって悪いのは佐藤側のマネージャーないし事務所であって橋本の楽屋凸する理由にはならない。しかも凸やめろって言われてから凸して暴言を吐いたわけで
なんか深い演劇論になってきた。そしてそれでいいと思う。体を張って役者を生きる人達へのリスペクトを感じる(クソみたいなPだDだMはとりあえず脇に置いといての話)
この文章を見て、一定数、佐藤の演技論を否定していると読む人がいるようだが、そうではなくて、批判もある演技論を軸に相手に俳優を続けるべきではないとまで言ったことが行き過ぎだということでしょう。
一般人も「役者魂」みたいなこといってメソッド演技を賞賛するからね。役者もメソッド演技信奉は、その人の自由なんだが、他の演技理論はたくさんあるのに、それを他の俳優に押し付けたらそりゃ間違いよ。
人的トラブルがあると加害者とされた側はむしろ自分の方が被害者と言い出す典型的ムーヴなんだよなあ。だから第三者の仲介が必要なわけで
この人の論から個人ではなく二つの演技メソッドのぶつかり合いと考えた場合、体育会系当たって砕けろ主義が、理論派に噛みついているように見える。しかし人は人殺しにも過去や未来の人物にもなれないので後者に理が
"どのような「芝居の神さま」を信じるかは彼の自由""しかし、それを「あらゆる役者にとっての普遍的な正論」として他者に強要したり、自分の宗派に合わない者を「役者をやめるべき」と否定したりすることは避けるべき
意見の相違で済む話にいちいち正しさや白黒つけてる限りハラスメントは無くならないのでは。当事者間で話がつけば良いだけなので自論を語りすぎてると引かれるよ。
素人なのでこの演劇論がどこまで正しいのか判断はできませんが、自分の信仰を他者に強制するのは人権侵害だということは分かります。誤読してる人が多いがこの文章が言ってるのはその一点じゃないの?
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演劇史から答えを出せるという考えが間違いでは?(個人的には「それで良い画が撮れた?」というのが気になるのだが、世間がこれだけ騒げば、良くても悪くても使えなそうだ)
“マッツ・ミケルセン: 「(メソッド演技法は)ただの気取り(Crap)だ。シリアルキラーの役をやるなら、実際に人を殺すのか? カメラが回ったらそれは『演技(ファンタジー)』でしかない」 ”ね。LOVE🫶
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一つの手法でしかないのは全く同意で、だからこそ"崩壊する「メソッド演技法の有害な神話」"の項は蛇足では。我々はより良い演技が見られれば手法は何でも良い(結果が良ければ良し)。
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セクハラをしたかのような煽り文句を書いた文春のせいで最初は佐藤さんの方により同情していたのだけど、事実だけピックアップしたら典型的なモラハラだった。俳優を続けるために反省してほしいが、年齢的に難しそう
"役者を続けるべきではない"は"この状態(互いの演技に必要な情報の共有を事前にせず、演技後に苦情を言う)"に対しての発言では。私の読解力がないせいだろうか?何にしても、共有すべき情報を止めた人間が一番悪い。
取り敢えず佐藤二朗ははよ「ほんとうのこと」言えや
じゃあ佐藤二朗氏が芝居観の異なる柄本明氏に対して同じことをするかというとおそらくしない。この問題の本質は演技論とかではなくその点にあると思われ、だからハラスメントなのだろうなと思う。推測に過ぎないが
メソッド演技法とかいう次元の話じゃないと思うよ。そもそも演技のための経験という話と、演技そのものを拒否する話はまったく別だよね。
要は個人がやるのは勝手だけど、他人にそれを押し付けるな、という話ですよね。そして、今回の騒動の中で演技のあり方や役者であることの条件を一方的に突きつけてるのは誰なのか? ということ。
怒鳴ったとか繰り返し言ったとかではなく、同法人でもなく直接の上下関係にない仕事関係者に1回だけ丁寧に「個人的には仕事を続けるべきではないと思う」という意見を伝える事がなぜパワハラになるのか?
佐藤はこのドラマを降板したがっていた。つまり撮影条件がストレスで不満だった。事前に橋本愛の条件を知っていれば仕事を受けなかった。
論点ずらしが酷い。触れた事自体は双方問題視してない。問題は「役者をやるべきでない」発言だが、これも切り取り。そもそも音声残ってる訳でもなく双方自分の言い分言ってるだけの状態で結論出す事がおかしい
佐藤二朗のような価値観がテレビ・映画・演劇業界に(いまだに)蔓延ってるせいで、エンタメの作り手がハラスメントに苦しんでるのだとしたら、黙ってスルーするのは「良いお客さん」なのだろうか?
「橋本の要望を踏まえた演出プランを用意して、事前に佐藤へ伝えておくこと」が出来ていなかったのなら、プロデューサーと演出家が責任を問われるべき。決められていた演出プランを無視したのなら佐藤が悪い。
「リアリティにこだわる」って意地悪にいえば「演技で表現する力が不足している」事にならないか?リアリティは形式的な条件だが演技は本人の技量。それと別にインティマシー・コーディネーターの育成は急務
外因とはいえ、いちど信頼関係が崩壊してしまうと、演技論を交わすような心理的安全性を構築し直すのは難しいよな。「自分は加害してないはず」という想いが、「演技への情熱ゆえ」という言い訳に走らせたか。
「佐藤二朗がどのような「芝居の神さま」を信じるかは彼の自由だ。しかし、それを「あらゆる役者にとっての普遍的な正論」として他者に強要したり、自分の宗派に合わない者を「役者をやめるべき」と否定したりするこ
そんな事より橋本愛にトラウマを植え付けた奴を晒せよ。とか思ったけど、園子温かな。
演劇論にかくも真剣な関心がある方々の多さに、率直な驚き
インプ稼ぎがうるせえよ。
日本のドラマはおおげさでくさい、わざとらしい、芝居がかっている/アメリカは科学・心理的な演技メソッド土台、内面からリアルな感情や行動を引き出す。日本は伝統芸能や口語演劇が混在し、感覚や現場の直感に頼る
佐藤次郎が苦労していた時代をベースにアドバイスしているんだろうよ。もう時代はかわった。
佐藤が言わなくても、めんどくさい女優扱いで方々から共演避けられるだけなんじゃないのかと思うので、これがハラスメントとは俺は思わないなあ。ただしイケメンは除く感もあるし
よく自分で見たわけでもない問題にこんなに言及できるな。お前ら全員。なにが本当かなんて当人たちしか分からんのよ。
初期の頃のXでは橋本愛が叩かれてたから、「俳優は辞めた方がいい」発言でアウトと主張して来たが、最近は佐藤二郎への風当たりの方が強くなって来てる。擁護派もアンチフェミであって、佐藤二郎ファンではないし。
夫婦バディもののドラマですからね。某女優は周囲の人間にかける負担を軽視していたと見做さざるを得ない。彼女が自分からは説明してないのは明らかに不誠実で、それが結局トラブルの引き金になっている。
演劇史というのならメソッド演技法はあくまで近代の思考だな。能楽師や歌舞伎役者は、武士ではない自分が義経やら平家の怨霊じゃないなんてことは百も承知で、観客が共有するイメージとしてのキャラを演じてた筈
ハラスメント以上に佐藤のXがやばいんだよ。冤罪被害者を演じるかのような匂わせが、対立を煽って犬笛になってるのが問題。
これトーン・ポリシングの逆?で伝えたい意図はそうだったとしても、伝え方はちゃんとラッピング出来てはいるとは思うんだよな。
難癖に近い「ご意見」を申し立てに押しかけてきた佐藤に対し、「うっせえよ何様だお前」とは言わずに笑顔で飲み込んだ橋本氏は正しく大人として「弁えている」んだよな
佐藤氏の発言がモラハラ的だった結論に違和感はないが、演劇史をレトリックに使いたくて佐藤氏は近年批判されてるこれ、榎本氏はこう、橋本氏はこう、発言の断片から雑に当てはめて、なんだこの文書は?
早いとこ当事者間で決着つけて欲しい
演劇史的ってなんだよw どういうマウントだ!www
加害者扱いされて感情的になってしまった末の失言だろう。許してやれないのか。
タイトルがあれだけど佐藤の演技論を全否定しているのではなく高橋に止めれは間違いということ/だから佐藤の忠告は正論ではないという基本は知っておこうね/高橋叩いてるのは100%クズしかいないけどね
あんまり同意できないな。佐藤二郎の発言は良くないと思うけど、あそこまで言うのは公になってない何かがあると考える方が自然だと思うよ。
私は同年代の佐藤二朗と同じ考えだったが、考えを改めざるをえないとても良い内容だった。自分はやはり古い人間なのだろう。
メソッド演技しかできない佐藤が「演技力があれば親密にならなくても親密な演技できるやろ」というテクニカル演技派の橋本に我慢できなくなったという話だよね
どっちか責める話じゃなく昼行灯なフジがおかしいのでは⋯
たとえそれでより良い映像作品が残るんだとしても、人として言って良い事かどうかは別に問われる、で良く無いか?
後出しジャンケンで怒られる立場なら断るだろう普通
オファー段階でプロデューサーに身体接触に制限があると伝え、野木亜紀子さんがアドリブによる身体接触は事前協議することは珍しくない、と言ってもなお橋本さんに責任があると言う人はミソジニストの自覚待てよな。
極論、もう演劇に人間は不要じゃね(´・_・`)人間が人間を演じるのは前時代的で非人道的だよ。◯◯がなくても××ができるって主張はそういうことだろ。もう演劇やってる人は全員廃業しろよ
こんな小難しい演劇論より、当初、佐藤二朗本人に橋本側の条件が伝えられなかったのは、“演技に制約をつけたくない”との佐藤マネージャーの意向に従ったから⋯という文春報道の真偽の方がよほど興味あるな。
だから当事者でもない事情も知らない部外者が憶測であれこれ言うなって…何様なんだ。報道をきっかけに自分の経験でどうだとか言うのは勝手だけど。
そもそもの話は「他人に義務のない配慮を強要するな」「するなら事前に知らせろ」で、実際説明されたからこそ佐藤氏はアドリブを封じ、ドラマは最終回まで撮影し終えたんだろうに。バカじゃねえの。
私の芝居の神様はずっとアンソニー・ホプキンスで、彼はメソッド演技と対極に台本に書かれていることしかしない。入りすぎたら役を抜く為のタイムアウトすらする。それで歴史に残る怪物レクター博士を造形した。
「役者をやるべきではない」はヤバい発言だけど、アイドルに対して「恋人を作るべきではない」って言っているような感じで考えると難しいなぁとは思う。違う仕事でも良くない?っていう考えが過る。vtuberでいいじゃん
役者に脚本演じさせたら感情入れ込んで「カッターの刃を出したふりで切った動作」なんてできなかったし、勝新太郎と中村玉緒の息子は知らなかったとはいえ撮影で相手を切り殺してしまってる。演技にノイズを入れるな
この文章を読んで「フジは黒」と言い残して去っていく人間、さすがにヤバすぎるでしょ。日本語の通じる余地がない。本当は星付けてる人間も全員まとめて非表示にしたいところだがそういう機能はないのが甚だ残念。
めちゃくちゃしっくりきた。それを言ったら相手がどう思うか、想像できなかったのだろうか。それこそイマジネーションの欠如。相手の気持ちを考えることも演劇に通じることなのでは?
演技も大事だけど、仲良くするのが一番にゃ!強要する人はボクの猫パンチでお仕置きするにゃ!みんなが笑顔でいられる現場が最高だにゃん。
いや全然違うでしょ。佐藤二朗が言ったのは「身体接触に制限がある人は役者を辞めるべき」ではなく「制限を伝えないまま夫婦役を受けるなら役者を辞めるべき」だからそもそもの文章を読めてない
橋本愛の演技は褒めてんだから役者として対等に見た上で、俺としてはこう思うっていう個人的演技論をぶつけ合いたかっただけだと思うんだけどね
この文章が一番納得した。
本番中の演技の話がなぜかメソッド演技という準備法の話にズラされる不思議。むしろ私生活上のトラウマを役柄に持ち込んで作中でも接触禁止にする方がメソッド演技的なのでは。
皆のなかではいつもの「(非力でカワイソウな)おじさんが小娘にイジメられている」構図に見えているのかもしれないけれど、実際の佐藤二朗さんは自分で映画を撮れるくらいのキャリアがあるのだよな
メソッド演技してる人をハラスメント予備軍にしてスティグマ化。これに感銘うけるひとはハラスメントの才能あるよ。
男が悪い
そもそも婚姻自体が倫理的に間違っている。倫理的に間違った関係を演じるのだから、倫理的に間違った事象が発生しても何ら怪しむに足りぬ。夫婦別姓などはバカリベを釣って婚姻の延命を図る反動勢力の弥縫策に過ぎぬ
身体接触NGに対して苦言を呈することと、メソッド演技法と解釈される指向性は別物なのでは?と思った
橋本愛を罵倒している皆さんが知るべきことは、血を見ることもできない役者でも医者役を演じられるのと同じく、キス、ベッドシーンNGの役者でも夫婦役が出来ること。/佐藤二朗もアドリブ禁止でも演技は出来るのよ。