"風刺画よりも社会を悪化させることでよりカウンターに"
"石田徹也のこの作品が書かれた1996年当時ガソリンスタンドはセルフではなく1台に1人付いて窓まで拭いてくれるのが普通だった" それはそう。 / 作者はバイトで食いつないでたので、顔が描かれてる店員側では。
ディストピアなら量産型ロボット店員に決まってるだろ
死んだ魚の目で歯の治療をしている
回転寿司チェーンにチェックイン端末で入ってタブレットで注文して届いたの食べてアプリ会計して出るとほぼこの気持ちになれて21世紀らしくなってきたぞって思えます
風刺画の比喩表現に対して「店員のオペレーションが非効率」とかマジレスしちゃうの、いかにも現代のSNS仕草って感じがして味わい深いわ
悪化しているかどうかは別として、定員と一切会話せずに出るのが標準になりつつあるし、コロナでそこは強まったし
石田徹也好きな画家なんだけど、牛丼給油スタンドの絵と傘小銃の絵ばかりが誰かのイデオロギー叩き棒やサンドバッグにされたりしてて悲しい(彼の絵は風刺ではなく内省なので)
スーパーでも、レストランでも、どこに行っても誰とも話すことなく、ことがなしていることに、すこしの安らぎと、すこしの恐怖を感じる。
コスパ、とかいうのも資本家に都合の良い価値観だよな。今はともかく90年代の吉野家って駅そばと同列の「サラリーマンの栄養補給スタンド」という評価で間違ってないし。
“会計終わった店員がダッシュで厨房に戻る時。こちらがレシートを取ってありがとうございましたを言う暇も無い効率的なオペレーション”
画風が生成AIっぽいのは気のせいか。
客が自分でレバーを押すセルフ形式も可能だろう。我々は牛丼を飲むためにレバーを押せるのか?店員に給仕させることで、ちっぽけな人間の誇りを客は保っているのかもしれない
自分(達)は本来モノ扱いされるべきではない、という高い期待値からのギャップを描く作風なんかな。OSレベルでワークライフバランスが分離した人にはピンとこない絶望(ブルースクリーン)。
氷河期世代が使い捨てにされる前の時代の反映としてみると色々と切ないものがあるな
風刺画じゃなくて「自分が疎外されてる、認知も歪んでしまった自己」気分を表してる。欧米的な「アカデミズム批評ウケ、カウンター意識、反体制左翼芸術」ではなく、日本的な自意識内面描写でエヴァっぽいアレ。
石田徹也はこないだ日曜美術館50周年展で観ました。私も一部のブクマの皆さんと同意見で、これが風刺画に見える人がいるのかと。
人間が3人もついててくれるのか…と、逆に贅沢な気持ちになってしまうので、現実は作品を通り過ぎてしまった。
作品の解釈は広く開いてる方がいい。本人の意図が第一義、だと鑑賞の幅が狭まる。
安っぽいとしか言いようがない
昔テレビ番組でこの方の作品が取り上げられたものを観たがその当時よりも現在はもっとシビアな社会になってきている。
風刺…、そう取る人もいるのか。ドスンと重く淀んだ内面を徹頭徹尾表現している作品の人なんだけど。作品集見て、そりゃ長生きできないわ、と思ったもんだよ。
この前、静岡県立美術館にコラボで行った時に展示されてたな。
攻殻機動隊の中のソ連を批判する、みたいな後出しジャンケンは幼稚。表現は、当時の文脈を踏まえるからこそ面白い。その中に現代と一致する部分が「多いほど」良いわけではない。二度と表現しえない感覚もまた貴重。
石田徹也は自身の生きづらさをあえぐようにして絵にしてきた人という認識で、風刺画という評価には違和感。/これを「風刺」だと感じて噛みつかずにはいられないのが語るに落ちるというかひとつの答えでもあるよな。
風刺というより、人生のどん詰まり感を表現する作家だと思う
1人に対して1人の店員云々のコメントヤバすぎるだろ。休めよ。
24時間戦えますか?くらい?バブル終わりかけ……
風刺には見えないかなぁ。当人の鬱屈した内面を表した絵に見える。しょーもなくて好きではない
コレは食べ物を燃料、人間を機械に見立てた作品で、人間の疎外が主題。別に効率化社会を風刺したものではないし、そもそも効率だのコスパだの生産性だのは21世紀のIT化(への乗り遅れ)以降に重視された概念。
日曜美術館50年展で観れるかなと思ったら来てなかったね。飛べなくなった人が観れただけで満足だけど。
“石田氏を「実家が太い」と揶揄するツイートがバズったことで、このリプ欄にも作品ではなく作者の属性を叩く輩が沸いている”
ガススタンドの給油ノズルじゃなくて、ドリルに見えた。
この人の絵、ささる物があってイイよね。
そりゃ30年前の作品が古くさいのはしゃーないが、社会の風刺というよりは(自分の)生きづらさのカリカチュアかなとは思う
ゴッホも死んでから評価されたけど
1996年生まれの子がもう30歳…時が経つのは早いなあ。
“3人で給餌してる時点で石田氏の資本主義への解像度の低さが垣間見える。” 全然正確ではないんだけどズレ方が面白いと思う。今のセルフ隆盛は30年前には想像もつかなかっただろう
この絵のタイトルは『燃料補給のような食事』であるので、食ってるのは牛丼なんて固形物ではなく液状の高カロリーペーストでは。多分エレンタールみたいな味がすると思う。
「3人で給餌してる時点で石田氏の資本主義への解像度の低さが垣間見える」絵をそのまんま解釈しちゃう知的障害って何か病名ついてる?
この人最後は自殺に近い事故なのかな?そこら辺も気になる
昨日、超久しぶりにすき家に行ったんだけど夫婦二人で普通に「俺牛丼、嫁キムチ牛丼」食べただけなのに1700円以上かかったんだよね「今、牛丼チェーンでこんなに高いの?」と二人で目が点になったばかりだよ。
ドリルに見えちゃうけど、ガソリンスタンドの給油ノズルのイメージなのか
私は誘われて初めて行った一蘭のほうがメンタル傷ついたけどな、、牛丼のこれも。描いた人の衝撃が描かれてるのかなー96年かあ、、めったに外食なんかしなかったなー
自分が風刺されていると感じて反感抱いてるツイートがやけに多いなと思うなど。
今日の鎖自慢大会会場
この方の画集持ってる。珍しく、展覧会を見て欲しくなって買った。なんで、亡くなってしまったんだろうね。残念だよ。
当時は牛丼280円だったか。inゼリーの10秒で取れる朝ごはんのフレーズが生まれた年。駅そばで短時間で食事はもっと前からだろう。モチーフはなんだろう。非人間的な食事、生活なんて、バブル前からだろうに
ちょうど濱口竜介のインタビューを読んだところなので、「他者をモノ化することが自分の尊厳も毀損する」そのものの絵だなと/ 石田徹也はこういうのよりプラモの絵とか(自画像)の方がらしいと思う
石田徹也はどうにも好きになれなくて、結局、それは、この人が流行り始めた時期が、自分がどん詰まりすぎた時期だったからなんだよな。なので絵が全部空疎なオナニーに見えて仕方なかった
むしろ20年前の方がワンオペ問題とかなかったし、カスタム注文とか流行ってた頃じゃん? 結局はハズした風刺でしかないのは変わらんと思うがなあ
回転寿司の関しては合理的でシステマチックなので、食わされてる感覚になる事がある。
凄くよい作品なんやと思うけど、俺には分からんな。蛭子能収氏の画風に近いモンを感じはするが、全く別物やね。毒とか刺はさりげなく忍ばせるから効果がある。目立っちゃうと憐れな印象が湧く。はっ!それが狙いか。
この絵に関しては、'7-80年代にあったろう風刺を'90年代に描いているというズレ感で、尾崎豊と似たものを感じてる。ただ、資本主義云々より「学校化」への諦観がその衝動に思う。
こういう、社会風刺したつもりのズレた絵はなんの意味もないね。
店員の顔は描かれているけど客の顔は描かれていないのに店員ではなく客の方にばかり関心を向ける人が多いのが良いか悪いかはともかくよくわからん。
というか、この絵の中に女性が存在しないあたりが20世紀。雇用機会均等法の施行が1986年に
なんかまとめられてるメンバーの名前がおもしろい。やはりこういうのに関心を持つ連中は少し変わってるのだろうな
30年前の風刺画に「客ひとりに店員ひとりなのが」と言う感想がバズり、大勢が乗っかって叩いているのを見て。吐きそう
これ、絵には人類がいないって感じに見直すと、面白いかも。
現代の死ぬほどこき使われてる牛丼屋店員知ってると、これ見ても昔は良かったなあ、位の感想にしかならんわな。
とても行儀がわるいですが、牛丼は紅ショウガで真っ赤にするのが好きです
創作時点から人件費を考えればゴミみたいな絵なのは明らかで、センスがないのに持て囃されてる絵なのが分かる。
給餌されてる人の表情が伺えないのがマイナス。死んだ目付きで黙々と咀嚼してるところくらいを描写しないと、風刺画としてのインパクトが無いだろ。
同じポーズ同じ顔の店員3人並ぶことで、人間味のなく感情のこもらない大量生産品であることを表しているのでこれで良いのです。テーマを表現することと写実的に描くことは違います。
「死んでから絵が評価された人ですからねえ」1996年に出された牛丼店の風刺画、当時の時代背景から見るか、現代の感覚で見るかで印象が変わる
"風刺画よりも社会を悪化させることでよりカウンターに"
"石田徹也のこの作品が書かれた1996年当時ガソリンスタンドはセルフではなく1台に1人付いて窓まで拭いてくれるのが普通だった" それはそう。 / 作者はバイトで食いつないでたので、顔が描かれてる店員側では。
ディストピアなら量産型ロボット店員に決まってるだろ
死んだ魚の目で歯の治療をしている
回転寿司チェーンにチェックイン端末で入ってタブレットで注文して届いたの食べてアプリ会計して出るとほぼこの気持ちになれて21世紀らしくなってきたぞって思えます
風刺画の比喩表現に対して「店員のオペレーションが非効率」とかマジレスしちゃうの、いかにも現代のSNS仕草って感じがして味わい深いわ
悪化しているかどうかは別として、定員と一切会話せずに出るのが標準になりつつあるし、コロナでそこは強まったし
石田徹也好きな画家なんだけど、牛丼給油スタンドの絵と傘小銃の絵ばかりが誰かのイデオロギー叩き棒やサンドバッグにされたりしてて悲しい(彼の絵は風刺ではなく内省なので)
スーパーでも、レストランでも、どこに行っても誰とも話すことなく、ことがなしていることに、すこしの安らぎと、すこしの恐怖を感じる。
コスパ、とかいうのも資本家に都合の良い価値観だよな。今はともかく90年代の吉野家って駅そばと同列の「サラリーマンの栄養補給スタンド」という評価で間違ってないし。
“会計終わった店員がダッシュで厨房に戻る時。こちらがレシートを取ってありがとうございましたを言う暇も無い効率的なオペレーション”
画風が生成AIっぽいのは気のせいか。
客が自分でレバーを押すセルフ形式も可能だろう。我々は牛丼を飲むためにレバーを押せるのか?店員に給仕させることで、ちっぽけな人間の誇りを客は保っているのかもしれない
自分(達)は本来モノ扱いされるべきではない、という高い期待値からのギャップを描く作風なんかな。OSレベルでワークライフバランスが分離した人にはピンとこない絶望(ブルースクリーン)。
氷河期世代が使い捨てにされる前の時代の反映としてみると色々と切ないものがあるな
風刺画じゃなくて「自分が疎外されてる、認知も歪んでしまった自己」気分を表してる。欧米的な「アカデミズム批評ウケ、カウンター意識、反体制左翼芸術」ではなく、日本的な自意識内面描写でエヴァっぽいアレ。
石田徹也はこないだ日曜美術館50周年展で観ました。私も一部のブクマの皆さんと同意見で、これが風刺画に見える人がいるのかと。
人間が3人もついててくれるのか…と、逆に贅沢な気持ちになってしまうので、現実は作品を通り過ぎてしまった。
作品の解釈は広く開いてる方がいい。本人の意図が第一義、だと鑑賞の幅が狭まる。
安っぽいとしか言いようがない
昔テレビ番組でこの方の作品が取り上げられたものを観たがその当時よりも現在はもっとシビアな社会になってきている。
風刺…、そう取る人もいるのか。ドスンと重く淀んだ内面を徹頭徹尾表現している作品の人なんだけど。作品集見て、そりゃ長生きできないわ、と思ったもんだよ。
この前、静岡県立美術館にコラボで行った時に展示されてたな。
攻殻機動隊の中のソ連を批判する、みたいな後出しジャンケンは幼稚。表現は、当時の文脈を踏まえるからこそ面白い。その中に現代と一致する部分が「多いほど」良いわけではない。二度と表現しえない感覚もまた貴重。
石田徹也は自身の生きづらさをあえぐようにして絵にしてきた人という認識で、風刺画という評価には違和感。/これを「風刺」だと感じて噛みつかずにはいられないのが語るに落ちるというかひとつの答えでもあるよな。
風刺というより、人生のどん詰まり感を表現する作家だと思う
1人に対して1人の店員云々のコメントヤバすぎるだろ。休めよ。
24時間戦えますか?くらい?バブル終わりかけ……
風刺には見えないかなぁ。当人の鬱屈した内面を表した絵に見える。しょーもなくて好きではない
コレは食べ物を燃料、人間を機械に見立てた作品で、人間の疎外が主題。別に効率化社会を風刺したものではないし、そもそも効率だのコスパだの生産性だのは21世紀のIT化(への乗り遅れ)以降に重視された概念。
日曜美術館50年展で観れるかなと思ったら来てなかったね。飛べなくなった人が観れただけで満足だけど。
“石田氏を「実家が太い」と揶揄するツイートがバズったことで、このリプ欄にも作品ではなく作者の属性を叩く輩が沸いている”
ガススタンドの給油ノズルじゃなくて、ドリルに見えた。
この人の絵、ささる物があってイイよね。
そりゃ30年前の作品が古くさいのはしゃーないが、社会の風刺というよりは(自分の)生きづらさのカリカチュアかなとは思う
ゴッホも死んでから評価されたけど
1996年生まれの子がもう30歳…時が経つのは早いなあ。
“3人で給餌してる時点で石田氏の資本主義への解像度の低さが垣間見える。” 全然正確ではないんだけどズレ方が面白いと思う。今のセルフ隆盛は30年前には想像もつかなかっただろう
この絵のタイトルは『燃料補給のような食事』であるので、食ってるのは牛丼なんて固形物ではなく液状の高カロリーペーストでは。多分エレンタールみたいな味がすると思う。
「3人で給餌してる時点で石田氏の資本主義への解像度の低さが垣間見える」絵をそのまんま解釈しちゃう知的障害って何か病名ついてる?
この人最後は自殺に近い事故なのかな?そこら辺も気になる
昨日、超久しぶりにすき家に行ったんだけど夫婦二人で普通に「俺牛丼、嫁キムチ牛丼」食べただけなのに1700円以上かかったんだよね「今、牛丼チェーンでこんなに高いの?」と二人で目が点になったばかりだよ。
ドリルに見えちゃうけど、ガソリンスタンドの給油ノズルのイメージなのか
私は誘われて初めて行った一蘭のほうがメンタル傷ついたけどな、、牛丼のこれも。描いた人の衝撃が描かれてるのかなー96年かあ、、めったに外食なんかしなかったなー
自分が風刺されていると感じて反感抱いてるツイートがやけに多いなと思うなど。
今日の鎖自慢大会会場
この方の画集持ってる。珍しく、展覧会を見て欲しくなって買った。なんで、亡くなってしまったんだろうね。残念だよ。
当時は牛丼280円だったか。inゼリーの10秒で取れる朝ごはんのフレーズが生まれた年。駅そばで短時間で食事はもっと前からだろう。モチーフはなんだろう。非人間的な食事、生活なんて、バブル前からだろうに
ちょうど濱口竜介のインタビューを読んだところなので、「他者をモノ化することが自分の尊厳も毀損する」そのものの絵だなと/ 石田徹也はこういうのよりプラモの絵とか(自画像)の方がらしいと思う
石田徹也はどうにも好きになれなくて、結局、それは、この人が流行り始めた時期が、自分がどん詰まりすぎた時期だったからなんだよな。なので絵が全部空疎なオナニーに見えて仕方なかった
むしろ20年前の方がワンオペ問題とかなかったし、カスタム注文とか流行ってた頃じゃん? 結局はハズした風刺でしかないのは変わらんと思うがなあ
回転寿司の関しては合理的でシステマチックなので、食わされてる感覚になる事がある。
凄くよい作品なんやと思うけど、俺には分からんな。蛭子能収氏の画風に近いモンを感じはするが、全く別物やね。毒とか刺はさりげなく忍ばせるから効果がある。目立っちゃうと憐れな印象が湧く。はっ!それが狙いか。
この絵に関しては、'7-80年代にあったろう風刺を'90年代に描いているというズレ感で、尾崎豊と似たものを感じてる。ただ、資本主義云々より「学校化」への諦観がその衝動に思う。
こういう、社会風刺したつもりのズレた絵はなんの意味もないね。
店員の顔は描かれているけど客の顔は描かれていないのに店員ではなく客の方にばかり関心を向ける人が多いのが良いか悪いかはともかくよくわからん。
というか、この絵の中に女性が存在しないあたりが20世紀。雇用機会均等法の施行が1986年に
なんかまとめられてるメンバーの名前がおもしろい。やはりこういうのに関心を持つ連中は少し変わってるのだろうな
30年前の風刺画に「客ひとりに店員ひとりなのが」と言う感想がバズり、大勢が乗っかって叩いているのを見て。吐きそう
これ、絵には人類がいないって感じに見直すと、面白いかも。
現代の死ぬほどこき使われてる牛丼屋店員知ってると、これ見ても昔は良かったなあ、位の感想にしかならんわな。
とても行儀がわるいですが、牛丼は紅ショウガで真っ赤にするのが好きです
創作時点から人件費を考えればゴミみたいな絵なのは明らかで、センスがないのに持て囃されてる絵なのが分かる。
給餌されてる人の表情が伺えないのがマイナス。死んだ目付きで黙々と咀嚼してるところくらいを描写しないと、風刺画としてのインパクトが無いだろ。
同じポーズ同じ顔の店員3人並ぶことで、人間味のなく感情のこもらない大量生産品であることを表しているのでこれで良いのです。テーマを表現することと写実的に描くことは違います。