“だからこそあなた方東大生も、知識としてしか知らない脳みそになってはいけない。心を伴った脳味噌であって欲しい。” 肉体で芸術を紡いできた野田らしい祝辞。ここから大学生活をスタートできるのうらやましい
野田秀樹、ビートきよしみたいな髪型に……!?と思ったら帽子の影だった。本当にびっくりした。
演劇は身体あってのものだと当たり前のことを思った
共有ありがとう
バンタン(プペル西野)や近畿大学(霜降り明星 粗品)もそうだが、こういう公式行事に誰を呼ぶかでその学校のことがなんとなく分かるね / 東大なんてどういう学校が全員知ってるけどもw
これだけAIが日常に浸透してくると、まあ誰もが思うことだよね、ごめんだけど。
“なんか道端に虫っぽいものがいてそれを家に持ち帰って怒られた、とか、道端になんか汚いものが落ちてたので持ち帰って怒られたとか、” 変わんないなあこの人は…
生身の人間が不可欠な演劇を続けてきた野田さんらしい祝辞。この記事もまた生身の情報が削がれた状態で、これをAI要約で読む人もいるのだろう。それは生で聞いた東大生たちの情報とは大きく隔たりがある。
そのAIを完璧にしていくのもそこにいる国内最高峰の頭脳を持った集団なのだよなぁと思いつつ。
「私は脳学者ではないので、話はめちゃくちゃです」脳科学者と名乗る人はめちゃくちゃな人多いぞ。「確かにAIは、記憶力がいい、絶対に物忘れとかしない」生成AIチャットボットはそうでもないぞ
頭の中で声が再現されて 途中演劇を観ている気分になった おそらく昔 仙台まで行って「半神」を観て その後友人の迎えを待ってる時に劇場の裏手から聴こえてきた遊民社の人らと話しながら近づくあの声の記憶のせいだ
“肉体を持たないがゆえに、AI は、時に間違った決断をするはずだからです”東大の教授がこれか(´・_・`)トランププーチンネタニヤフがAIだと思ってるのかな。根本的に間違った人間ですね。東大がダメな理由
ご存知でしょうがAIに身体性をもたせようという研究はすでに始まっています AIが「心」をもちKYでなくなる日は遠からず来るでしょう
目の前の人に価値を持たせるための
AIに映画を作ることはできるが、演劇をやることはできない。今のところ。
人類vsAIの戦いを映画化するとしたら、劣勢に立たされた人類は"しょーもない小学生男子の道端情報"によって起死回生の機会を得るシナリオ。
東大生でない人にも理解できる良いスピーチ。若さへの賛辞。
途中からAI使って書いたのかなというくらいにAIに聞いたら返ってくる内容だった。AIには肉体がないとか心がないとか空気が読めないとか。野田秀樹ならその先の表現をして欲しい
“人間には「体」がある。「体」があるからこそ感じる「心」や「感情」がある” /AIがこれからどうやって肉体と不完全性を得ていくかな。
あんまり共感できないなぁ。AIが今後も身体性や心を持ちえないと断定するのはかなり早計に思えるけどね。個人的には攻殻機動隊の描くタチコマがオイルで涙を流す未来の方がよっぽどリアリティあるけどな。
めも。
前途開けた若者への「知識に振り回されず人間たれ」という、まさに東大生に向けた人間讃歌で野田秀樹らしいな。AI云々はただの話のマクラだからヤボだけど、全て「今のところは」という但し書きが付くだろう。
肉体から離れるな、ってのはAIの話だけじゃないよね/https://anond.hatelabo.jp/20241217025424
心があるゆえに恥ずかしかったり逃げたくなったり。身体があるがゆえに痛かったり動かせなかったり。
自然科学者ではこういう祝辞は話せないだろう
おじいちゃんになったなぁ
人類は遺伝子と肉体と死という機能を実装した高度に発展したAIなので、これはAIによる自作自演です。(劇作家・演出・役者だけに)
勝つ勝たないの話をされると話が頭に入ってこない
研究者や実業家を呼べっていうのもわかるが、そうじゃない視点も大事なんだよってことでこういう人を呼んでるんだと思うが
なんか浅くないか?東大これで大丈夫なんか?
なぜか海外から動画で答辞を送信してくるどっかのじょういc…もとい学長と違ってちゃんとしてるな
冷笑派にツッコまれてしまえば一瞬で吹き飛んでしまいそうな話ではあるが 一体時代はどうなっていくか
AIに体を持たせる研究は急速に進んでるけど、AIにはまだ大脳辺縁系がない=感情がない。欲求がない。多分これを持たせたら危険すぎると思うんだよね。出来れば研究ガイドラインで禁止して欲しいんだが。軍用で作っち
なんか微妙。AIにあまり慣れてなさそう。AI開発者が話したらもっと面白そう。
"芸術は、表現された結果であると同時にプロセスです。その過程に喜びと苦しみがある""どれだけAIが心のあるふりをしても、AIがこちらを愛しているふりをしても、それをAIは知識としてしか知らない"
AIは核爆弾を落とさないと思う。心とか空気とか肉体とかではなく、効率や効果を考えて核を使わないという判断を下す気がする。
うーん、野田秀樹にしては凡庸だなあと思ってしまった……
「皆さん!駒場に入ったらまず右へ曲がって、そして真っ直ぐ歩いてください、そう、駒場小劇場が見えて来ましたね。ではそこで劇団入団届にサインするのです」という壮大な入団案内かと思ったら違った
他の部分はいい話だと思ったけどAI周辺の話は浅すぎて受け付けなくてダメだった
最近は、中国人だらけで落ちぶれる一方。中国人留学生受け入れ禁止しろ
この人月計算みたいな六万の意味がよくわからんかった
この祝辞まんまのことを40年近く前に創作として描いていた原作攻殻機動隊はやっぱりすげぇよなあ……となる
AIの認識が浅いとのブコメがあるがAIが肉体という弱い閉じられた殻を持たず合理的であるが故に人間を核爆弾のボタンを押す程に絶望に追い込むみたいなことは今でも十分にあり得ると思う。人間側に置いて話しているの
前にも書いたが、あいつらうんこ漏らした事ないんだよ。肉体の不確実性がもたらす恥辱を知らない。
"特に小学生時代の男の子" と性で区切った時点で雲行きは怪しかった。性差を強調し、AIに心がないと断じる、閉じた意識。創造の喜びもいいけど、AIの「道端」は今だよ。日々古びる定義に縋るより、共に遊んだ方がいい
AIが肉体を持ち、再生産を可能にして、恋愛をするようになった時に、人間には何が残るのかな?と思う時はある。もう心の神秘性は揺らぎつつあるよね
申し訳ないが凡庸な内容に思える。/AIが身体性を獲得できないという決め付けは、いかにも古い世代の年寄りというか、SFをフォローしなくなってしまったかつての文学青年を思わせて悲しい気分になりますね。
…何だかLLMに対する理解が凡庸だな
うーん聞いてたら途中で寝るかも
AIに関してはおじいちゃんの床屋談義の域を出ない。浅い。現在のアカデミズムの限界を示すような祝辞。
この本文で一番言いたそうなことは、「ダビンチ」のとこ、オレってこと、かなぁ。と感じた。 創作者であるオレの喜びが、万物に勝るってことかなぁ。 流れにダビンチが唐突すぎるから。(国語の試験の読み解き方
駒場キャンパス内に旧制一高時代からの学生寮が有った頃、寮食堂の隣に小劇場があってそこで活躍していた。
演劇界隈の友人には野田秀樹ファンも多いけど私の好みとは違うんだよな。でもこの祝辞はグッときた。「笑い」はとても社会的なものだということをある演劇の講評で聞いたことがあるけど、そのことをふと思い出した。
はてブはAI信仰が高めだなあと思うブコメ群
芸術の中でも、高い身体性を伴う演劇は当面AIの脅威は少なそう。その意味でも対AIのポジションとしての祝辞にうってつけなんだろうな
もしかしたらレベルが低く感じられるだろうけど、社会に出たらこんなもんよ
新入生が生まれる頃、「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」、というキャッチフレーズが企業広告であったんだよ
確かに今後は「身体性」自体が重要になってくるというか、今までになかった新たな価値基準で評価されるようになるよなとは思う。
"お願いすればジョークとかも言ってくれるのだろうけれどたいして面白くない…"オラのギャグもツマらんと言われたもんだが…/"AIには体がない。これこそが、AIの最大の弱点"という話は別な本でも読んだ。
子供と手を繋ぐこと、寝顔を眺めること、転んだ時に抱きしめること。AIが文字や知識としては知っていても、体感できない価値を知る人間が未来を判断すべき。
“あなた方がこれからAIと生きていく時代だからこそ、AIには身体がない、それに根差す心がないことを憶えていて欲しいです。AIがあなた方の「若い身体」を「その身体に根ざす若い心」を超えることは決してない”
“あなたがたは、若い身体を持っている。とりわけ頭が良いあなた方は、脳みそ寄りの人間です。身体を忘れがちです。(略)AIがあなた方の「若い身体」を「その身体に根ざす若い心」を超えることは決してない。”
“どれだけレオナルド・ダ・ビンチの絵に似たものをAIで書くことができたとしても、ダビンチの喜びは再現されません。芸術は、表現された結果であると同時にプロセスです。その過程に喜びと苦しみがある。”
AIの弱点が肉体を持たないことだとするなら、早晩解決してしまいそうに思うのだけど。それはそれとして入学式に野田秀樹が来るというだけでカシコの人は羨ましいな。
逆に、AIが身体性を獲得したとしても四十肩にも老眼にも更年期障害にもならないだろうから、老いについて身体性に根ざして理解することはできないのだろうな。
野田秀樹と, 最新AIで対話させたらどうなるのか...
東大行くような、子供の頃から塾行ってるような子でも道端の記憶はあるのだろうか
前の上野千鶴子もそうだが、研究者でもないただの芸人が、最高学府の学生に偉そうに説教垂れるのは何かのギャグなの?/研究か、せめて世の中動かしてる実業家にしろよ
野田秀樹らしい祝辞。東大生に、人間とAIを比べて悲観しすぎることも、自らの頭の良さに驕ることもなく過ごせと。その理屈としての身体性。6万年とかラプラスの悪魔とか東大生が好きそうな大仰な要素で設定を飾って
いい祝辞だなー AIへの畏れが和らぐわ
AIにできることが増えてAIが侵食すればするほど、それを使いこなすのは当たり前で人間しか持ち得ない人間らしさが彼らの生きる未来で武器になるのでは?
“AIは、記憶力がいい、絶対に物忘れとかしない、二階に上がって、あれ?なんで上がってきたんだっけ、みたいなことはない”いや、ある。
うっすらとAIを嫌っている様子が寂しい。AIと人間ではそもそも得手不得手が違うし、苦手なことから解放されて伸び伸びと生きる未来を期待したい
野田秀樹の知名度が高くて驚いてる。そんなにみんな野田地図や夢の遊民者の芝居を見てたのか?とてもそうとは思えないが。
id:mopx うんこ漏らすやつは京大に行ってる
東大入学式、ボクも行きたかったにゃ! professors、 cute にゃんこも welcome だにゃ?
大学院の方は研究者を呼ぶから学部の祝辞はあえて毎度文化人にしてるんだろうな
専門外の部分についてはちょっと浅いよな。有無を言わさず全力で自分の専門に引き摺り込んで話してほしい。AIのくだりだけ一気に解像度が下がっていてもったいない。
AIは心を持たないだろうが、人間がAIに心を見てしまう事例はもうそこかしかにあるんだよな…
心は記憶にあるのか身体にあるのか。最近頭働かないから心があるのか心配になっている。/出不精人間だとピンと来ないけど、身体は大事
知の集積地に来た者に身体性の優位を説くのもなぁ。なんか言ってること80年代で止まってるし
樹なつみの「OZ」を読んだら良いと思う。人工知能は身体がないから人間越えられないとかそんな単純な話じゃなく。1988年の作品だけど今こそ。
うんこ漏らしたことがないという理由でカシコを排除しヤンキーを重用した結果いまのような国になりましたよ。
どんな言葉を聞いても、これはAIが紡いだと疑う未来 かわいそうだなと思う
“AIにはそうした「場の空気」は読めない” ある程度克服するんじゃないか?という気がしてる / “肉体を持たないがゆえに、AI は、時に間違った決断をするはず” どこかでは致命的な見落としが避けられないだろうね
20年前にはAIと言っても人間のコントロールの範囲を超えられない機械学習みたいなものばかりだった。当時は今のAIなんて想像もつかなかったので、あと20年あればAIで大爆笑する日が来ても不思議ではない。
上野千鶴子の時もいい話だなと思いながら読んだらブコメでくさされてたの思い出した。東大生も感銘を受ける人もいれば退屈な人もいるだろうね それでいいと野田さんも思ってそう
こんな浅はかな祝辞。今年はハズレだな。AIは使いこなしてナンボだ東大生レベルの人にしか編み出せないAIの使い方があるんじゃない?
敵を知らねば戦えないということでAIと取っ組み合うとよい。いつの間にかAIに取り込まれているかもしれないが / 現象学や身体化認知の分野は面白いと思った
あまりにも浅すぎて最後まで読む気にならない…。祝辞にこんなことを思うのは初めて。科学者じゃないからとかじゃなくて、劇作家・演出家なら有名どころのSFくらい読んだことないのかよ?
今の18歳にとって野田秀樹氏の認知度がどの程度なのか気になる。演劇部出身者くらいしか分からないのでは…
劇作家・演出家 野田秀樹の祝辞。武道館に集う「6万年分の記憶」とAI“バトル”で心と身体を説く。令和8年4月13日。
野田秀樹らしい言葉の紡ぎ方であり、彼の全盛期に多数の演劇を観たが彼の脚本には魅力を感じなかったのを思い出す。AIの作るものに魅力を感じないのと同じく、そう感じるのも私の成り立ちと肉体によるものなのだろう
切なさゆえに愚かなこともしでかすからなあ。人間は。“AIには体がないから体験がない、だから「初恋の切なさ」を知識としては理解できても、その「切ない心」はわからない。身体がないからです。”
はてな民にとってうんこを漏らすって肉体性ではなく「物語(あるいは情報)」だと思うんだよね。翻ってそれは「演技」とも言える
あなた方がこれからAIと生きていく時代だからこそ、AIには身体がない、それに根差す心がないことを憶えていて欲しいです > AI云々は時代を感じるね。スピーチの中身は大したことない。
身体性とか設置問題は情報科学全般に言われていることで、新しさはないなあ。
令和8年度東京大学学部入学式 祝辞(劇作家・演出家・役者 野田 秀樹 様) | 東京大学
“だからこそあなた方東大生も、知識としてしか知らない脳みそになってはいけない。心を伴った脳味噌であって欲しい。” 肉体で芸術を紡いできた野田らしい祝辞。ここから大学生活をスタートできるのうらやましい
野田秀樹、ビートきよしみたいな髪型に……!?と思ったら帽子の影だった。本当にびっくりした。
演劇は身体あってのものだと当たり前のことを思った
共有ありがとう
バンタン(プペル西野)や近畿大学(霜降り明星 粗品)もそうだが、こういう公式行事に誰を呼ぶかでその学校のことがなんとなく分かるね / 東大なんてどういう学校が全員知ってるけどもw
これだけAIが日常に浸透してくると、まあ誰もが思うことだよね、ごめんだけど。
“なんか道端に虫っぽいものがいてそれを家に持ち帰って怒られた、とか、道端になんか汚いものが落ちてたので持ち帰って怒られたとか、” 変わんないなあこの人は…
生身の人間が不可欠な演劇を続けてきた野田さんらしい祝辞。この記事もまた生身の情報が削がれた状態で、これをAI要約で読む人もいるのだろう。それは生で聞いた東大生たちの情報とは大きく隔たりがある。
そのAIを完璧にしていくのもそこにいる国内最高峰の頭脳を持った集団なのだよなぁと思いつつ。
「私は脳学者ではないので、話はめちゃくちゃです」脳科学者と名乗る人はめちゃくちゃな人多いぞ。「確かにAIは、記憶力がいい、絶対に物忘れとかしない」生成AIチャットボットはそうでもないぞ
頭の中で声が再現されて 途中演劇を観ている気分になった おそらく昔 仙台まで行って「半神」を観て その後友人の迎えを待ってる時に劇場の裏手から聴こえてきた遊民社の人らと話しながら近づくあの声の記憶のせいだ
“肉体を持たないがゆえに、AI は、時に間違った決断をするはずだからです”東大の教授がこれか(´・_・`)トランププーチンネタニヤフがAIだと思ってるのかな。根本的に間違った人間ですね。東大がダメな理由
ご存知でしょうがAIに身体性をもたせようという研究はすでに始まっています AIが「心」をもちKYでなくなる日は遠からず来るでしょう
目の前の人に価値を持たせるための
AIに映画を作ることはできるが、演劇をやることはできない。今のところ。
人類vsAIの戦いを映画化するとしたら、劣勢に立たされた人類は"しょーもない小学生男子の道端情報"によって起死回生の機会を得るシナリオ。
東大生でない人にも理解できる良いスピーチ。若さへの賛辞。
途中からAI使って書いたのかなというくらいにAIに聞いたら返ってくる内容だった。AIには肉体がないとか心がないとか空気が読めないとか。野田秀樹ならその先の表現をして欲しい
“人間には「体」がある。「体」があるからこそ感じる「心」や「感情」がある” /AIがこれからどうやって肉体と不完全性を得ていくかな。
あんまり共感できないなぁ。AIが今後も身体性や心を持ちえないと断定するのはかなり早計に思えるけどね。個人的には攻殻機動隊の描くタチコマがオイルで涙を流す未来の方がよっぽどリアリティあるけどな。
めも。
前途開けた若者への「知識に振り回されず人間たれ」という、まさに東大生に向けた人間讃歌で野田秀樹らしいな。AI云々はただの話のマクラだからヤボだけど、全て「今のところは」という但し書きが付くだろう。
肉体から離れるな、ってのはAIの話だけじゃないよね/https://anond.hatelabo.jp/20241217025424
心があるゆえに恥ずかしかったり逃げたくなったり。身体があるがゆえに痛かったり動かせなかったり。
自然科学者ではこういう祝辞は話せないだろう
おじいちゃんになったなぁ
人類は遺伝子と肉体と死という機能を実装した高度に発展したAIなので、これはAIによる自作自演です。(劇作家・演出・役者だけに)
勝つ勝たないの話をされると話が頭に入ってこない
研究者や実業家を呼べっていうのもわかるが、そうじゃない視点も大事なんだよってことでこういう人を呼んでるんだと思うが
なんか浅くないか?東大これで大丈夫なんか?
なぜか海外から動画で答辞を送信してくるどっかのじょういc…もとい学長と違ってちゃんとしてるな
冷笑派にツッコまれてしまえば一瞬で吹き飛んでしまいそうな話ではあるが 一体時代はどうなっていくか
AIに体を持たせる研究は急速に進んでるけど、AIにはまだ大脳辺縁系がない=感情がない。欲求がない。多分これを持たせたら危険すぎると思うんだよね。出来れば研究ガイドラインで禁止して欲しいんだが。軍用で作っち
なんか微妙。AIにあまり慣れてなさそう。AI開発者が話したらもっと面白そう。
"芸術は、表現された結果であると同時にプロセスです。その過程に喜びと苦しみがある""どれだけAIが心のあるふりをしても、AIがこちらを愛しているふりをしても、それをAIは知識としてしか知らない"
AIは核爆弾を落とさないと思う。心とか空気とか肉体とかではなく、効率や効果を考えて核を使わないという判断を下す気がする。
うーん、野田秀樹にしては凡庸だなあと思ってしまった……
「皆さん!駒場に入ったらまず右へ曲がって、そして真っ直ぐ歩いてください、そう、駒場小劇場が見えて来ましたね。ではそこで劇団入団届にサインするのです」という壮大な入団案内かと思ったら違った
他の部分はいい話だと思ったけどAI周辺の話は浅すぎて受け付けなくてダメだった
最近は、中国人だらけで落ちぶれる一方。中国人留学生受け入れ禁止しろ
この人月計算みたいな六万の意味がよくわからんかった
この祝辞まんまのことを40年近く前に創作として描いていた原作攻殻機動隊はやっぱりすげぇよなあ……となる
AIの認識が浅いとのブコメがあるがAIが肉体という弱い閉じられた殻を持たず合理的であるが故に人間を核爆弾のボタンを押す程に絶望に追い込むみたいなことは今でも十分にあり得ると思う。人間側に置いて話しているの
前にも書いたが、あいつらうんこ漏らした事ないんだよ。肉体の不確実性がもたらす恥辱を知らない。
"特に小学生時代の男の子" と性で区切った時点で雲行きは怪しかった。性差を強調し、AIに心がないと断じる、閉じた意識。創造の喜びもいいけど、AIの「道端」は今だよ。日々古びる定義に縋るより、共に遊んだ方がいい
AIが肉体を持ち、再生産を可能にして、恋愛をするようになった時に、人間には何が残るのかな?と思う時はある。もう心の神秘性は揺らぎつつあるよね
申し訳ないが凡庸な内容に思える。/AIが身体性を獲得できないという決め付けは、いかにも古い世代の年寄りというか、SFをフォローしなくなってしまったかつての文学青年を思わせて悲しい気分になりますね。
…何だかLLMに対する理解が凡庸だな
うーん聞いてたら途中で寝るかも
AIに関してはおじいちゃんの床屋談義の域を出ない。浅い。現在のアカデミズムの限界を示すような祝辞。
この本文で一番言いたそうなことは、「ダビンチ」のとこ、オレってこと、かなぁ。と感じた。 創作者であるオレの喜びが、万物に勝るってことかなぁ。 流れにダビンチが唐突すぎるから。(国語の試験の読み解き方
駒場キャンパス内に旧制一高時代からの学生寮が有った頃、寮食堂の隣に小劇場があってそこで活躍していた。
演劇界隈の友人には野田秀樹ファンも多いけど私の好みとは違うんだよな。でもこの祝辞はグッときた。「笑い」はとても社会的なものだということをある演劇の講評で聞いたことがあるけど、そのことをふと思い出した。
はてブはAI信仰が高めだなあと思うブコメ群
芸術の中でも、高い身体性を伴う演劇は当面AIの脅威は少なそう。その意味でも対AIのポジションとしての祝辞にうってつけなんだろうな
もしかしたらレベルが低く感じられるだろうけど、社会に出たらこんなもんよ
新入生が生まれる頃、「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」、というキャッチフレーズが企業広告であったんだよ
確かに今後は「身体性」自体が重要になってくるというか、今までになかった新たな価値基準で評価されるようになるよなとは思う。
"お願いすればジョークとかも言ってくれるのだろうけれどたいして面白くない…"オラのギャグもツマらんと言われたもんだが…/"AIには体がない。これこそが、AIの最大の弱点"という話は別な本でも読んだ。
子供と手を繋ぐこと、寝顔を眺めること、転んだ時に抱きしめること。AIが文字や知識としては知っていても、体感できない価値を知る人間が未来を判断すべき。
“あなた方がこれからAIと生きていく時代だからこそ、AIには身体がない、それに根差す心がないことを憶えていて欲しいです。AIがあなた方の「若い身体」を「その身体に根ざす若い心」を超えることは決してない”
“あなたがたは、若い身体を持っている。とりわけ頭が良いあなた方は、脳みそ寄りの人間です。身体を忘れがちです。(略)AIがあなた方の「若い身体」を「その身体に根ざす若い心」を超えることは決してない。”
“どれだけレオナルド・ダ・ビンチの絵に似たものをAIで書くことができたとしても、ダビンチの喜びは再現されません。芸術は、表現された結果であると同時にプロセスです。その過程に喜びと苦しみがある。”
AIの弱点が肉体を持たないことだとするなら、早晩解決してしまいそうに思うのだけど。それはそれとして入学式に野田秀樹が来るというだけでカシコの人は羨ましいな。
逆に、AIが身体性を獲得したとしても四十肩にも老眼にも更年期障害にもならないだろうから、老いについて身体性に根ざして理解することはできないのだろうな。
野田秀樹と, 最新AIで対話させたらどうなるのか...
東大行くような、子供の頃から塾行ってるような子でも道端の記憶はあるのだろうか
前の上野千鶴子もそうだが、研究者でもないただの芸人が、最高学府の学生に偉そうに説教垂れるのは何かのギャグなの?/研究か、せめて世の中動かしてる実業家にしろよ
野田秀樹らしい祝辞。東大生に、人間とAIを比べて悲観しすぎることも、自らの頭の良さに驕ることもなく過ごせと。その理屈としての身体性。6万年とかラプラスの悪魔とか東大生が好きそうな大仰な要素で設定を飾って
いい祝辞だなー AIへの畏れが和らぐわ
AIにできることが増えてAIが侵食すればするほど、それを使いこなすのは当たり前で人間しか持ち得ない人間らしさが彼らの生きる未来で武器になるのでは?
“AIは、記憶力がいい、絶対に物忘れとかしない、二階に上がって、あれ?なんで上がってきたんだっけ、みたいなことはない”いや、ある。
うっすらとAIを嫌っている様子が寂しい。AIと人間ではそもそも得手不得手が違うし、苦手なことから解放されて伸び伸びと生きる未来を期待したい
野田秀樹の知名度が高くて驚いてる。そんなにみんな野田地図や夢の遊民者の芝居を見てたのか?とてもそうとは思えないが。
id:mopx うんこ漏らすやつは京大に行ってる
東大入学式、ボクも行きたかったにゃ! professors、 cute にゃんこも welcome だにゃ?
大学院の方は研究者を呼ぶから学部の祝辞はあえて毎度文化人にしてるんだろうな
専門外の部分についてはちょっと浅いよな。有無を言わさず全力で自分の専門に引き摺り込んで話してほしい。AIのくだりだけ一気に解像度が下がっていてもったいない。
AIは心を持たないだろうが、人間がAIに心を見てしまう事例はもうそこかしかにあるんだよな…
心は記憶にあるのか身体にあるのか。最近頭働かないから心があるのか心配になっている。/出不精人間だとピンと来ないけど、身体は大事
知の集積地に来た者に身体性の優位を説くのもなぁ。なんか言ってること80年代で止まってるし
樹なつみの「OZ」を読んだら良いと思う。人工知能は身体がないから人間越えられないとかそんな単純な話じゃなく。1988年の作品だけど今こそ。
うんこ漏らしたことがないという理由でカシコを排除しヤンキーを重用した結果いまのような国になりましたよ。
どんな言葉を聞いても、これはAIが紡いだと疑う未来 かわいそうだなと思う
“AIにはそうした「場の空気」は読めない” ある程度克服するんじゃないか?という気がしてる / “肉体を持たないがゆえに、AI は、時に間違った決断をするはず” どこかでは致命的な見落としが避けられないだろうね
20年前にはAIと言っても人間のコントロールの範囲を超えられない機械学習みたいなものばかりだった。当時は今のAIなんて想像もつかなかったので、あと20年あればAIで大爆笑する日が来ても不思議ではない。
上野千鶴子の時もいい話だなと思いながら読んだらブコメでくさされてたの思い出した。東大生も感銘を受ける人もいれば退屈な人もいるだろうね それでいいと野田さんも思ってそう
こんな浅はかな祝辞。今年はハズレだな。AIは使いこなしてナンボだ東大生レベルの人にしか編み出せないAIの使い方があるんじゃない?
敵を知らねば戦えないということでAIと取っ組み合うとよい。いつの間にかAIに取り込まれているかもしれないが / 現象学や身体化認知の分野は面白いと思った
あまりにも浅すぎて最後まで読む気にならない…。祝辞にこんなことを思うのは初めて。科学者じゃないからとかじゃなくて、劇作家・演出家なら有名どころのSFくらい読んだことないのかよ?
今の18歳にとって野田秀樹氏の認知度がどの程度なのか気になる。演劇部出身者くらいしか分からないのでは…
劇作家・演出家 野田秀樹の祝辞。武道館に集う「6万年分の記憶」とAI“バトル”で心と身体を説く。令和8年4月13日。
野田秀樹らしい言葉の紡ぎ方であり、彼の全盛期に多数の演劇を観たが彼の脚本には魅力を感じなかったのを思い出す。AIの作るものに魅力を感じないのと同じく、そう感じるのも私の成り立ちと肉体によるものなのだろう
切なさゆえに愚かなこともしでかすからなあ。人間は。“AIには体がないから体験がない、だから「初恋の切なさ」を知識としては理解できても、その「切ない心」はわからない。身体がないからです。”
はてな民にとってうんこを漏らすって肉体性ではなく「物語(あるいは情報)」だと思うんだよね。翻ってそれは「演技」とも言える
あなた方がこれからAIと生きていく時代だからこそ、AIには身体がない、それに根差す心がないことを憶えていて欲しいです > AI云々は時代を感じるね。スピーチの中身は大したことない。
身体性とか設置問題は情報科学全般に言われていることで、新しさはないなあ。