みいちゃんがどうしたら近づかないかの設計がだいじ
レッズやガンバの試合はなんかあると観客が乱入するという信頼感で成り立ってる(´・ω・`)
吹奏楽コンクール等は曲中に出入りしてはいけないルールがあるけど知らなかったのでやらかした事がある。
もうタクシーみたいに透明アクリル板建てろよw
実際そう。そもそもそこで刃傷沙汰にならない可能性はゼロじゃない。そもそも手荷物検査しないもんな。自爆テロ起きるまで変わらないんだろうねぇ。
笑っていいともはフルチンのヤツが乱入してるよね。
ブラックな職場で、何故みんな奇声出さずに仕事を続けていられるのだろうと思っていた。偏見だが、入場料が安い演劇ほど民度が低いイメージがある。
大体の往来は「刃物持ってる人が暴れ出すことはそうそう無いだろう」という信頼で成り立ってそう
危ないのでステージ上は2次元にして別撮りの映像を流しましょう(それは映画というのでは?)
アイドルのコンサートなんかだと警備員がガードしてると思うけど、演劇はそういうのないのかな/自転車で車道走ってると、俺を追い越してく100台の自動車のうち1台でもこっちにハンドル切ったら死ぬな〜…と思うよね
美術館とか博物館でも同じことを感じる
そんなこと言ったら、信号機の色が変わるだけで道路交通が成り立っていることのほうがすごかないかね
クラシックのコンサートに行くのが趣味だが、自分が演奏中に奇声を発したら、このコンサートは台無しになるのだという妙な緊張感がいつもある。
誰でも感じるこういうのを英語では intrusive thoughts といい実際やっちゃうと intrusive thoughts won みたいな言い方する
車を運転するときいつも感じている。全員が気が狂わずに暴れず騒がず大人しく流れに身を任せる前提の仕組みは意外といっぱいありそう。
性悪説は採れば採るほど運用コストがとんでもなく跳ね上がる
こんなの、演劇とか関係ないじゃん。そこら辺のお店だってどこだって、突然客が暴れ出さないことなんて全て前提で成り立ってるでしょ。なにか特別なの?
だから未就学児入場不可にするのだ。みんな皇帝の新しい服を見に来ているんだからガキどもを入れるわけにはいかない。
「他人への信頼」で社会が成り立っています。「人を殺してはいけないの?」という質問と同じく、その言葉を言った瞬間に言った人もその対象となる。体験したいのなら今持っているスマホを地面に叩きつければ良い
ライブなら周りにスタッフがいていざというとき止められるようにしている。
客席側通路でスポットライトあてて役者でてくるやつ、「うわああああ」って心配になるから、やっぱり客を信用してないんだな。私は。
しょうもね。
人生一度は観劇後に「金返せ!」と叫んでみたいという願望が無くはない。
なんでもそうだからね。頼むから、そこに「個人が横取りできる余剰リソースがあるぞ」とか発見しないでくれよ
百戦錬磨のベテランならともかく経験の浅い若手まして初舞台とかだと終演後何も覚えてない程の極限の緊張状態の中で舞台に立ってるよ。ヤジ一つで台詞がとんで頭真っ白、舞台が止まるなんてことも全然あり得るからな
数万人が参加するライブなら観客が突然舞台に上がり込む前提で警備される訳で、それとの比較なのかもしれない
昔みた演劇で突然客が舞台に上がり演者を罵倒して驚いたな。後で演出って聞いて納得した
こういう素朴な人が、「ただの映画の中でさえ、母を殺せない私とは一体、誰なのだ? 生年月日、昭和四十九年十二月十日。本籍地、東京都新宿区新宿字恐山」という前衛芸術を見たら、脳が吹っ飛ぶわな。第四の壁
逆にそういう演出ありそうで演劇というものを信頼できてない
ガソリン入れる度に、よくこれに火をつける事件が起きないなと思う。
美容院や理髪店に行く時、刃物を持った人物が正常な思考を持っていることを前提にしているし、目の前の先輩がいきなり殴りかかってこない想定で会話してるじゃないですか。
女王様の新しい服を見に来るのは18歳以下禁止とな…(混線
道を歩いててもいきなり殺されたりしないという前提で生きています。例外に出会して死ぬことは想定していません。襲われることを常に考えてる友人に「平和ボケ」とか言われたことはある。
観劇そのものが「そこにあるかのように振る舞う」「それを受け入れる」虚構と受容の共犯関係にあるので、多分生来的に受け入れられない人たちは絶対にいるはず。
昔のガードのない駅のホームで同じようなこと思ったな。
それで、その後輩は次にこう言った「自分がいきなり襲いかかることがないという信頼があるから一緒にいるんですよね」って
逆もまた然り。「こんな段差なんていつでも降りられるんだからな」と思ってる演者もいない前提で成り立ってる。
以前「世の中は1000人に1人のバカの存在を想定して作られてる」と言われた事がある。演劇やコンサートをぶち壊す人はきっと1000人に1人よりずっと少ないんだろうな
後輩君はともかく、演劇をやってるこいつは考えたことなかったんかよ。エアプか?
たまに飛行機は感じる。前に拡大自殺の墜落あったし。舞台はたくさん行くと色々起きるよ。
明治大正の臨監席が言論統制以前の大衆的熱狂の安全を、昭和の筑波大が空間設計で学生運動の無力化を企図した要請の先に、変質した現代の安全な舞台もまたある。今尚客席には表現の与える実存的危険が埋まってるのよ
人間は理性の生き物なのだよね
ちょっと違いますが浅沼稲次郎暗殺事件を思い出します。
ボクシングの試合でボコボコにされてる側のおかーちゃんがリングに上がってきて相手を殴る映像なら見たことある
政治家や皇室の人間が一般大衆の手が届くところにいるということ自体、そこにいる人間が一定程度まともであるという前提があり、捨て身でテロを起こそうとする輩には無力というのは我々が少し前に学んだことである
貨幣制度が1番身近だけど1番不思議。「信頼」でいうと。
嘘だろ舞台に上がった素人をぶっ殺すシステムや訓練が用意されてるだろ何を信頼してるんだよ
でも何度も観てるからってまだフリのセリフで先のボケを知ってる前提で笑ったりする演劇の客はいるんですよね(っていう愚痴を演出家から聞いたことあります)
早ければ小学校の授業中に思い知ることになりますよね
ストーリーに納得のいかない客が舞台に上がり込んでアドリブで話を変えることも可能なわけだ
演劇をあまり観ない後輩が『観客が突然舞台に上がり込んだり大声をあげたりしないという信頼のもとに成り立ってますよね』と、怖い事を言っていた
みいちゃんがどうしたら近づかないかの設計がだいじ
レッズやガンバの試合はなんかあると観客が乱入するという信頼感で成り立ってる(´・ω・`)
吹奏楽コンクール等は曲中に出入りしてはいけないルールがあるけど知らなかったのでやらかした事がある。
もうタクシーみたいに透明アクリル板建てろよw
実際そう。そもそもそこで刃傷沙汰にならない可能性はゼロじゃない。そもそも手荷物検査しないもんな。自爆テロ起きるまで変わらないんだろうねぇ。
笑っていいともはフルチンのヤツが乱入してるよね。
ブラックな職場で、何故みんな奇声出さずに仕事を続けていられるのだろうと思っていた。偏見だが、入場料が安い演劇ほど民度が低いイメージがある。
大体の往来は「刃物持ってる人が暴れ出すことはそうそう無いだろう」という信頼で成り立ってそう
危ないのでステージ上は2次元にして別撮りの映像を流しましょう(それは映画というのでは?)
アイドルのコンサートなんかだと警備員がガードしてると思うけど、演劇はそういうのないのかな/自転車で車道走ってると、俺を追い越してく100台の自動車のうち1台でもこっちにハンドル切ったら死ぬな〜…と思うよね
美術館とか博物館でも同じことを感じる
そんなこと言ったら、信号機の色が変わるだけで道路交通が成り立っていることのほうがすごかないかね
クラシックのコンサートに行くのが趣味だが、自分が演奏中に奇声を発したら、このコンサートは台無しになるのだという妙な緊張感がいつもある。
誰でも感じるこういうのを英語では intrusive thoughts といい実際やっちゃうと intrusive thoughts won みたいな言い方する
車を運転するときいつも感じている。全員が気が狂わずに暴れず騒がず大人しく流れに身を任せる前提の仕組みは意外といっぱいありそう。
性悪説は採れば採るほど運用コストがとんでもなく跳ね上がる
こんなの、演劇とか関係ないじゃん。そこら辺のお店だってどこだって、突然客が暴れ出さないことなんて全て前提で成り立ってるでしょ。なにか特別なの?
だから未就学児入場不可にするのだ。みんな皇帝の新しい服を見に来ているんだからガキどもを入れるわけにはいかない。
「他人への信頼」で社会が成り立っています。「人を殺してはいけないの?」という質問と同じく、その言葉を言った瞬間に言った人もその対象となる。体験したいのなら今持っているスマホを地面に叩きつければ良い
ライブなら周りにスタッフがいていざというとき止められるようにしている。
客席側通路でスポットライトあてて役者でてくるやつ、「うわああああ」って心配になるから、やっぱり客を信用してないんだな。私は。
しょうもね。
人生一度は観劇後に「金返せ!」と叫んでみたいという願望が無くはない。
なんでもそうだからね。頼むから、そこに「個人が横取りできる余剰リソースがあるぞ」とか発見しないでくれよ
百戦錬磨のベテランならともかく経験の浅い若手まして初舞台とかだと終演後何も覚えてない程の極限の緊張状態の中で舞台に立ってるよ。ヤジ一つで台詞がとんで頭真っ白、舞台が止まるなんてことも全然あり得るからな
数万人が参加するライブなら観客が突然舞台に上がり込む前提で警備される訳で、それとの比較なのかもしれない
昔みた演劇で突然客が舞台に上がり演者を罵倒して驚いたな。後で演出って聞いて納得した
こういう素朴な人が、「ただの映画の中でさえ、母を殺せない私とは一体、誰なのだ? 生年月日、昭和四十九年十二月十日。本籍地、東京都新宿区新宿字恐山」という前衛芸術を見たら、脳が吹っ飛ぶわな。第四の壁
逆にそういう演出ありそうで演劇というものを信頼できてない
ガソリン入れる度に、よくこれに火をつける事件が起きないなと思う。
美容院や理髪店に行く時、刃物を持った人物が正常な思考を持っていることを前提にしているし、目の前の先輩がいきなり殴りかかってこない想定で会話してるじゃないですか。
女王様の新しい服を見に来るのは18歳以下禁止とな…(混線
道を歩いててもいきなり殺されたりしないという前提で生きています。例外に出会して死ぬことは想定していません。襲われることを常に考えてる友人に「平和ボケ」とか言われたことはある。
観劇そのものが「そこにあるかのように振る舞う」「それを受け入れる」虚構と受容の共犯関係にあるので、多分生来的に受け入れられない人たちは絶対にいるはず。
昔のガードのない駅のホームで同じようなこと思ったな。
それで、その後輩は次にこう言った「自分がいきなり襲いかかることがないという信頼があるから一緒にいるんですよね」って
逆もまた然り。「こんな段差なんていつでも降りられるんだからな」と思ってる演者もいない前提で成り立ってる。
以前「世の中は1000人に1人のバカの存在を想定して作られてる」と言われた事がある。演劇やコンサートをぶち壊す人はきっと1000人に1人よりずっと少ないんだろうな
後輩君はともかく、演劇をやってるこいつは考えたことなかったんかよ。エアプか?
たまに飛行機は感じる。前に拡大自殺の墜落あったし。舞台はたくさん行くと色々起きるよ。
明治大正の臨監席が言論統制以前の大衆的熱狂の安全を、昭和の筑波大が空間設計で学生運動の無力化を企図した要請の先に、変質した現代の安全な舞台もまたある。今尚客席には表現の与える実存的危険が埋まってるのよ
人間は理性の生き物なのだよね
ちょっと違いますが浅沼稲次郎暗殺事件を思い出します。
ボクシングの試合でボコボコにされてる側のおかーちゃんがリングに上がってきて相手を殴る映像なら見たことある
政治家や皇室の人間が一般大衆の手が届くところにいるということ自体、そこにいる人間が一定程度まともであるという前提があり、捨て身でテロを起こそうとする輩には無力というのは我々が少し前に学んだことである
貨幣制度が1番身近だけど1番不思議。「信頼」でいうと。
嘘だろ舞台に上がった素人をぶっ殺すシステムや訓練が用意されてるだろ何を信頼してるんだよ
でも何度も観てるからってまだフリのセリフで先のボケを知ってる前提で笑ったりする演劇の客はいるんですよね(っていう愚痴を演出家から聞いたことあります)
早ければ小学校の授業中に思い知ることになりますよね
ストーリーに納得のいかない客が舞台に上がり込んでアドリブで話を変えることも可能なわけだ