世の中の動きがあまりに速すぎて規制はおろか現状を把握する事も追いついてなさそうで、これどうしたら良いのだろう。
“”敵”への攻撃は誰かが代行してくれる/”推し”が”敵”を批判する必要がなくなり、演説ではポエムを詠めばよい/「〇〇候補は誰も批判せず前向きなことしか言わない」というポジティブイメージも作られる”
芸能界で干された経験があってなおあの芸風を貫いてる人にそれは……
兵庫県知事選がこれの嚆矢と言うか完成系だったよな。悪意のアウトソーシング。立花が奥谷県議の自宅前で脅迫的演説していた時に笑って見ていた聴衆(子供連れもいた)は忘れられないわ。
高市首相、神谷代表への物言いに過剰なまでの配慮を感じたのは確か。石破前首相相手には舌鋒鋭かったのに。
「私が驚いたのは、太田光の質問内容というより、質問の仕方であった」「太田光が恐れたのは、高市首相に”失礼な”質問をすることで、無数の悪意が自分に向けられることだろう」爆笑問題ファンとしては軽い違和感
太田光は好きだけど、政治家に質問するには芸人(しかもテレビ、バラエティが主戦場)というポジションでは、不利な点が多すぎる。お笑いがメインの仕事のはずなのに、なんで、人が笑えないことやってるの?という疑問
この手の節操のないdisり、ネット動画じゃないけど宗教系の新聞やカルトの事件で信者を取り戻そうとした親族やジャーナリストがやられたという話を聞いたことがあるのであらかたそういうことだと思うよ。
節操のなさで言えば古くはメディアが主体となってやっていた「漢字読めない」「カップラーメンの値段知らない」あたりと変わり映えしないので悪い文化がメディアからネットに引き継がれちゃったのかね
"むしろ”推し”が当選すること以上に”敵”が無様に敗北することの方に熱意を注いでいる人たちが多い" チームみらいを叩く中道・共産支持者のことね
プラットフォームが悪意の収益化を規制するはずもないので法的措置しかないのだけど、最大限の恩恵を受ける高市政権下でそんな対策がなされるだろうか。
“どれだけひもじくてもサーカスさえ見せてくれれば人間はわが身の不幸を忘れられるのか、私はそんな実験には参加したくはない。”
一理ある。ネットの誹謗中傷で自殺する人が出ても、訴えられて有罪になる人が出ても、誹謗中傷する人はいなくならない。そこに手軽にデマを作れるツールが提供される。どうすればいいんだろうね
“「〇〇候補は誰も批判せず前向きなことしか言わない」というポジティブイメージも作られる。単に誹謗中傷がアウトソーシング化されているだけなのに”
マニフェストに「政治系チャンネル収益無効化」を盛り込んでくれたら俺はそこに入れるぜ?
アメリカでは日常茶飯事さ!
高校野球ファンだと、佐賀北vs広陵の決勝戦とかまじで酷かったわ。
ル・ボンの「群集心理」によると民は暗示にかかりやすい、感情が誇張され伝染する、指導者の「断言・反復・感染」手段の影響を受ける
悪意や汚れ役のアウトソーシングがお得意なのはサヨクの皆さんでしょう、中指立ててヘイト撒き散らしてスモーク焚いたりする極左暴力集団のしばき隊というのが以前からいるじゃないですか。まさか忘れてないよね?w
関係ない人が儲かる動画作りとして勝手にやってるだけなんです、という言い訳まで完璧に提供されるアテンションエコノミーの恐ろしさ。一部左派の口汚さも自分で罪を背負ってる事だけは潔くすらある
勝ち馬に乗りたい、もっと言えば娯楽として楽しむ心理と「野党は批判ばかり」というナラティブも加わり、まったく手が付けられなくなった。マネタイズの禁止は最低でも必要だろうが、現政権には望めないだろう。
群衆は血を見るのが好きということなのかな。人間の原始的な部分を刺激するのだろう。
気持ちいいからね勝ち馬に乗って負け犬叩くのは。負けたリベラル陣営叩くの超楽しいし。はてブってそういう事助長するサイトでしょ
“そのエネルギーは”推し”の応援に費やすべきだろうが、現代の選挙戦は応援よりも”敵”への誹謗中傷の方にエネルギーが割かれている。”
小泉純一郎の派遣労働解禁によって、氷河期の俺らが煮湯を飲まされて気づいたように、とんでもない痛みで目を覚ますしかないんだろうな。まぁ、でも俺でさえそんな事にならないといいなと願ってる。
選挙は終わったがフェイク動画の作者及びそれを広げた人々には相応の罰を受けてもらう必要がある。ちゃんとやらないと、今度は国内ではなく海外から民衆の意識をコントロールされるからね。(今回もやられているかも
推し活化よりも深刻な政治のネットリンチ化。参政党やNHK党のような新興カルトですら表に裏に工作部隊を動員すれば「民衆の敵」を作り出せた訳で、自民党ほどの組織がやれば尚更
「太田光が恐れたのは、高市首相に”失礼な”質問をすることで、無数の悪意が自分に向けられること」
「推し活化」以上に「コロッセオ化」する選挙 -見えない無数の悪意に晒されて-|勿忘草
世の中の動きがあまりに速すぎて規制はおろか現状を把握する事も追いついてなさそうで、これどうしたら良いのだろう。
“”敵”への攻撃は誰かが代行してくれる/”推し”が”敵”を批判する必要がなくなり、演説ではポエムを詠めばよい/「〇〇候補は誰も批判せず前向きなことしか言わない」というポジティブイメージも作られる”
芸能界で干された経験があってなおあの芸風を貫いてる人にそれは……
兵庫県知事選がこれの嚆矢と言うか完成系だったよな。悪意のアウトソーシング。立花が奥谷県議の自宅前で脅迫的演説していた時に笑って見ていた聴衆(子供連れもいた)は忘れられないわ。
高市首相、神谷代表への物言いに過剰なまでの配慮を感じたのは確か。石破前首相相手には舌鋒鋭かったのに。
「私が驚いたのは、太田光の質問内容というより、質問の仕方であった」「太田光が恐れたのは、高市首相に”失礼な”質問をすることで、無数の悪意が自分に向けられることだろう」爆笑問題ファンとしては軽い違和感
太田光は好きだけど、政治家に質問するには芸人(しかもテレビ、バラエティが主戦場)というポジションでは、不利な点が多すぎる。お笑いがメインの仕事のはずなのに、なんで、人が笑えないことやってるの?という疑問
この手の節操のないdisり、ネット動画じゃないけど宗教系の新聞やカルトの事件で信者を取り戻そうとした親族やジャーナリストがやられたという話を聞いたことがあるのであらかたそういうことだと思うよ。
節操のなさで言えば古くはメディアが主体となってやっていた「漢字読めない」「カップラーメンの値段知らない」あたりと変わり映えしないので悪い文化がメディアからネットに引き継がれちゃったのかね
"むしろ”推し”が当選すること以上に”敵”が無様に敗北することの方に熱意を注いでいる人たちが多い" チームみらいを叩く中道・共産支持者のことね
プラットフォームが悪意の収益化を規制するはずもないので法的措置しかないのだけど、最大限の恩恵を受ける高市政権下でそんな対策がなされるだろうか。
“どれだけひもじくてもサーカスさえ見せてくれれば人間はわが身の不幸を忘れられるのか、私はそんな実験には参加したくはない。”
一理ある。ネットの誹謗中傷で自殺する人が出ても、訴えられて有罪になる人が出ても、誹謗中傷する人はいなくならない。そこに手軽にデマを作れるツールが提供される。どうすればいいんだろうね
“「〇〇候補は誰も批判せず前向きなことしか言わない」というポジティブイメージも作られる。単に誹謗中傷がアウトソーシング化されているだけなのに”
マニフェストに「政治系チャンネル収益無効化」を盛り込んでくれたら俺はそこに入れるぜ?
アメリカでは日常茶飯事さ!
高校野球ファンだと、佐賀北vs広陵の決勝戦とかまじで酷かったわ。
ル・ボンの「群集心理」によると民は暗示にかかりやすい、感情が誇張され伝染する、指導者の「断言・反復・感染」手段の影響を受ける
悪意や汚れ役のアウトソーシングがお得意なのはサヨクの皆さんでしょう、中指立ててヘイト撒き散らしてスモーク焚いたりする極左暴力集団のしばき隊というのが以前からいるじゃないですか。まさか忘れてないよね?w
関係ない人が儲かる動画作りとして勝手にやってるだけなんです、という言い訳まで完璧に提供されるアテンションエコノミーの恐ろしさ。一部左派の口汚さも自分で罪を背負ってる事だけは潔くすらある
勝ち馬に乗りたい、もっと言えば娯楽として楽しむ心理と「野党は批判ばかり」というナラティブも加わり、まったく手が付けられなくなった。マネタイズの禁止は最低でも必要だろうが、現政権には望めないだろう。
群衆は血を見るのが好きということなのかな。人間の原始的な部分を刺激するのだろう。
気持ちいいからね勝ち馬に乗って負け犬叩くのは。負けたリベラル陣営叩くの超楽しいし。はてブってそういう事助長するサイトでしょ
“そのエネルギーは”推し”の応援に費やすべきだろうが、現代の選挙戦は応援よりも”敵”への誹謗中傷の方にエネルギーが割かれている。”
小泉純一郎の派遣労働解禁によって、氷河期の俺らが煮湯を飲まされて気づいたように、とんでもない痛みで目を覚ますしかないんだろうな。まぁ、でも俺でさえそんな事にならないといいなと願ってる。
選挙は終わったがフェイク動画の作者及びそれを広げた人々には相応の罰を受けてもらう必要がある。ちゃんとやらないと、今度は国内ではなく海外から民衆の意識をコントロールされるからね。(今回もやられているかも
推し活化よりも深刻な政治のネットリンチ化。参政党やNHK党のような新興カルトですら表に裏に工作部隊を動員すれば「民衆の敵」を作り出せた訳で、自民党ほどの組織がやれば尚更
「太田光が恐れたのは、高市首相に”失礼な”質問をすることで、無数の悪意が自分に向けられること」