批評の定義はわかるけど、本人が述べたように音楽と相性が悪いし、無名ミュージシャンの曲で芯を食った批評できる人は少ない。せいぜい宇多田ヒカルの登場がすごいとか、前田敦子はキリストを越えたとか、その程度
「それは批評ではなくて考察だ」「批評入門」などと新書を書く人は溢れているが、実際に真っ当な批評してる人は少ないのは、業界の不健全さを示してると思う。
キモい文章
解説とレビューと感想と批評。
まあこれは今の時代でどう置かれているかを現代思考で言語化する行為であると言う事が出来ると思います。その一方でアニメソングの時代的変化や作家性などみの氏の音楽的な分析をもう少し深掘りしてもいいかと。
そもそも批評って何なのかな?と思うことはままある。理系の分野ではまずないから単純に不思議だなとは思ってる。
解説と批評の境界線はネットだと曖昧になりがち。意識高めの考察だけど読み応えはある
批評はそれ自体が書き手の表現(「オレはこう考えた」)。解説は対象の構造や背景を説明するもの。レビューは紹介文。
興味を惹いたサカナクション自体については薄味だったけど、批評への向き合い方は熱がある文章だった。動物化するポストモダン懐かしい。再読しようかな
山口一郎と怪獣を批評するなら鬱病の中での格闘に触れないのは不自然ではあるまいか。サカナクションはだいたい夜の中にいるのだが今回は藻掻きながら進む感が強く不安と孤独を抱えながらも進むしかない叫びが社会と
私はベンヤミンの思想が好きなので、批評とは対象をより高みに押し上げる営為でなければならないし、クローズドな作品評とは異なるというこの書き手に同意する
何か物申すとして、批評とか評論なんて傲慢なワードをおいそれと使えないよ、俺。
批評の意味って、混迷する時代に作品を通して杭を打ち込んで、こうだって断定することじゃないかなって。
怪獣が指すのは「何かに取り憑かれたモノ」と読み取ってる。「チ。」作品中の天動説に取り憑かれた世界、知識欲に(略)主人公たち、異端狩りに(略)敵。鬱に取り憑かれた山口一郎。コロナ禍の精神的後遺症文字数
批評の定義に「社会性」を自明視する時点で、正直批評やその歴史に対する理解に疑問が・・。ましてテクスト論を外在批評の擁護に使うとは・・・。社会批評・外在批評の立場自体、批評内で批判されない立場でもない
“批評には、社会的・時代的・文化的接続が必要” 全くその通り。動画は面白かったけど批評としては足りないなと思ってた。
怪獣批評は急におすすめに出てきたから見てしまったけど、手品の種明かし的な悪趣味さを感じてしまったな…
「怪獣」が何のメタファーかという点でもっと深く考察できると思うけどな。主題歌である前に、サカナクションの、山口一郎という人間の歌だよ。ミクロな苦悩をチ。にも現代社会にも応用できるからこの曲は凄いのよ
みの氏の反論記事では、「内在的批評」と「外在的批評」の流派の違いがあるとしている。 https://note.com/lucaspoulshock/n/n81cb80084cb4
自分はこの人のいう所の"音楽解説"は望むが、"音楽批評"なら特に望まない。/良し悪しと根拠があれば批評では?
空中戦の音楽談義はマスターバージョンにしかならない。解説を織り交ぜて、常に地に足のついた批評をする、クリティカルシンキング力の高い、みの氏の方が良いな。
ドクター・キャピタルみたいにわけわからない技法を解説してくれて、だからこの曲はすごいんですよっつう話見たりすんのはまだ心情としてわかる もう出てる曲のダメ出しみたいな話きいてなにをどうすりゃいいのよw
こんなのを批評とは言わんよ。楽曲について言及している部分は歌詞の「怪獣」に具体性がないこと、ビートがのっぺりしていることの2点のみ。あとはお気持ち表明じゃん。口上がご立派だっただけに残念。
批評ってパブリックに認知されてない営為なので、多少頑張って限界がある。SNSでは文字数上限とコンテクストを共有できないので成り立たず。
社会や時代に興味がなく自分が欲する音楽以外聴かない俺にはこの人の批評めいたポエムは必要ない。今日俺が死ぬほど聴いたのはL⇔R。社会的にはJ-POPバブルでミスチルになり損ねた一発屋とかになるんだろう。クソだわ
優れた音楽批評家はどんな人かなと考えたが、自分も一流の作曲家でショパンやブラームスを見出すレベチだった
有害な批評論。小説批評も映画批評も音楽批評もそれをやり、みんないなくなった事があるのを忘れたのか。否定的な批評はなるべく自然に任せるべきだし、時には抑制すべき。他人の否定は甘美なんだよ。
マーク・フィッシャーの音楽批評面白かったよ。ガチ左翼だけど。『わが人生の幽霊たち』https://www.ele-king.net/books/006696/
一郎さんは配信で「(配信を見ている)コアなあなたたちが一番知っているの。だけどそれは言わなくていいの」と言ってましたね
山口一郎は主に宣伝型”批評”について問題提起し発掘型・価値創出型を望み、みのは自分がすでに発掘型を実行中なので批評家として分析評論をした。この人らは読み取り型を望む。小林秀雄印象評論批判位から考えよう
構造主義に基づいた批評のみが批評であるという言明を私は否定する
そういう批評が「歌詞批評」や「人物批評」じゃなくて「音楽批評」だった例はあるのか?アメリカの黒人音楽の成り立ちみたいな話ならあるんかなー?
"音"と関係ない文章が音楽批評の中心になる事で、"インデックス"として価値がなくなった。だからあえてアプローチを変えてる訳で/いつもはバンドやアルバムに対して使われるフォーマットを"曲"に使った違和感はある
理論・構造の批評、社会での意義の批評どちらもあって良いと思う。個人的には歌詞の内容をすぐ社会情勢と結びつけたがるインタビュアーにうんざりしている。
こう言う議論が巻き起こる事も山口の望む所だったのでは
これくらいのクオリティの文章でもそこそこバズってしまい応答しないといけなくなるのが、音楽批評界隈の不幸
言いたいことはよくわかるが楽曲が内在するもののみの批評が不可能なわけはないので文意に納得はしない。ある一面についての批評をしたに過ぎない文章。てか筆者がしたい批評をするならアーティスト批評になるはず
山口さんの闘病自体が時代精神を反映している。時としてとらえどころが無くなる自分自身を何とかとらえつつ「チ。」のキャラたちの懐柔されない生き様を重ねた言葉が「怪獣」だと思って聴いてる。
『怪獣』と時代、誠実──音楽"批評"を勘違いしないでね|かよちゃん
批評の定義はわかるけど、本人が述べたように音楽と相性が悪いし、無名ミュージシャンの曲で芯を食った批評できる人は少ない。せいぜい宇多田ヒカルの登場がすごいとか、前田敦子はキリストを越えたとか、その程度
「それは批評ではなくて考察だ」「批評入門」などと新書を書く人は溢れているが、実際に真っ当な批評してる人は少ないのは、業界の不健全さを示してると思う。
キモい文章
解説とレビューと感想と批評。
まあこれは今の時代でどう置かれているかを現代思考で言語化する行為であると言う事が出来ると思います。その一方でアニメソングの時代的変化や作家性などみの氏の音楽的な分析をもう少し深掘りしてもいいかと。
そもそも批評って何なのかな?と思うことはままある。理系の分野ではまずないから単純に不思議だなとは思ってる。
解説と批評の境界線はネットだと曖昧になりがち。意識高めの考察だけど読み応えはある
批評はそれ自体が書き手の表現(「オレはこう考えた」)。解説は対象の構造や背景を説明するもの。レビューは紹介文。
興味を惹いたサカナクション自体については薄味だったけど、批評への向き合い方は熱がある文章だった。動物化するポストモダン懐かしい。再読しようかな
山口一郎と怪獣を批評するなら鬱病の中での格闘に触れないのは不自然ではあるまいか。サカナクションはだいたい夜の中にいるのだが今回は藻掻きながら進む感が強く不安と孤独を抱えながらも進むしかない叫びが社会と
私はベンヤミンの思想が好きなので、批評とは対象をより高みに押し上げる営為でなければならないし、クローズドな作品評とは異なるというこの書き手に同意する
何か物申すとして、批評とか評論なんて傲慢なワードをおいそれと使えないよ、俺。
批評の意味って、混迷する時代に作品を通して杭を打ち込んで、こうだって断定することじゃないかなって。
怪獣が指すのは「何かに取り憑かれたモノ」と読み取ってる。「チ。」作品中の天動説に取り憑かれた世界、知識欲に(略)主人公たち、異端狩りに(略)敵。鬱に取り憑かれた山口一郎。コロナ禍の精神的後遺症文字数
批評の定義に「社会性」を自明視する時点で、正直批評やその歴史に対する理解に疑問が・・。ましてテクスト論を外在批評の擁護に使うとは・・・。社会批評・外在批評の立場自体、批評内で批判されない立場でもない
“批評には、社会的・時代的・文化的接続が必要” 全くその通り。動画は面白かったけど批評としては足りないなと思ってた。
怪獣批評は急におすすめに出てきたから見てしまったけど、手品の種明かし的な悪趣味さを感じてしまったな…
「怪獣」が何のメタファーかという点でもっと深く考察できると思うけどな。主題歌である前に、サカナクションの、山口一郎という人間の歌だよ。ミクロな苦悩をチ。にも現代社会にも応用できるからこの曲は凄いのよ
みの氏の反論記事では、「内在的批評」と「外在的批評」の流派の違いがあるとしている。 https://note.com/lucaspoulshock/n/n81cb80084cb4
自分はこの人のいう所の"音楽解説"は望むが、"音楽批評"なら特に望まない。/良し悪しと根拠があれば批評では?
空中戦の音楽談義はマスターバージョンにしかならない。解説を織り交ぜて、常に地に足のついた批評をする、クリティカルシンキング力の高い、みの氏の方が良いな。
ドクター・キャピタルみたいにわけわからない技法を解説してくれて、だからこの曲はすごいんですよっつう話見たりすんのはまだ心情としてわかる もう出てる曲のダメ出しみたいな話きいてなにをどうすりゃいいのよw
こんなのを批評とは言わんよ。楽曲について言及している部分は歌詞の「怪獣」に具体性がないこと、ビートがのっぺりしていることの2点のみ。あとはお気持ち表明じゃん。口上がご立派だっただけに残念。
批評ってパブリックに認知されてない営為なので、多少頑張って限界がある。SNSでは文字数上限とコンテクストを共有できないので成り立たず。
社会や時代に興味がなく自分が欲する音楽以外聴かない俺にはこの人の批評めいたポエムは必要ない。今日俺が死ぬほど聴いたのはL⇔R。社会的にはJ-POPバブルでミスチルになり損ねた一発屋とかになるんだろう。クソだわ
優れた音楽批評家はどんな人かなと考えたが、自分も一流の作曲家でショパンやブラームスを見出すレベチだった
有害な批評論。小説批評も映画批評も音楽批評もそれをやり、みんないなくなった事があるのを忘れたのか。否定的な批評はなるべく自然に任せるべきだし、時には抑制すべき。他人の否定は甘美なんだよ。
マーク・フィッシャーの音楽批評面白かったよ。ガチ左翼だけど。『わが人生の幽霊たち』https://www.ele-king.net/books/006696/
一郎さんは配信で「(配信を見ている)コアなあなたたちが一番知っているの。だけどそれは言わなくていいの」と言ってましたね
山口一郎は主に宣伝型”批評”について問題提起し発掘型・価値創出型を望み、みのは自分がすでに発掘型を実行中なので批評家として分析評論をした。この人らは読み取り型を望む。小林秀雄印象評論批判位から考えよう
構造主義に基づいた批評のみが批評であるという言明を私は否定する
そういう批評が「歌詞批評」や「人物批評」じゃなくて「音楽批評」だった例はあるのか?アメリカの黒人音楽の成り立ちみたいな話ならあるんかなー?
"音"と関係ない文章が音楽批評の中心になる事で、"インデックス"として価値がなくなった。だからあえてアプローチを変えてる訳で/いつもはバンドやアルバムに対して使われるフォーマットを"曲"に使った違和感はある
理論・構造の批評、社会での意義の批評どちらもあって良いと思う。個人的には歌詞の内容をすぐ社会情勢と結びつけたがるインタビュアーにうんざりしている。
こう言う議論が巻き起こる事も山口の望む所だったのでは
これくらいのクオリティの文章でもそこそこバズってしまい応答しないといけなくなるのが、音楽批評界隈の不幸
言いたいことはよくわかるが楽曲が内在するもののみの批評が不可能なわけはないので文意に納得はしない。ある一面についての批評をしたに過ぎない文章。てか筆者がしたい批評をするならアーティスト批評になるはず
山口さんの闘病自体が時代精神を反映している。時としてとらえどころが無くなる自分自身を何とかとらえつつ「チ。」のキャラたちの懐柔されない生き様を重ねた言葉が「怪獣」だと思って聴いてる。