“居心地の悪さに耐える事が前提”→それっていわゆる「難解」っていわれるエンタメ全般にも共通するところあるよね、MOONRIDERSとか。
ガンダム最新作を見るには50年前のファーストから全作全話時系列で見てから、って言われるようなものなので、現代美術は19世紀から200年間を全部時系列で語れてからが本番。
個人的には、ネット上でアホな事してはしゃいでる連中のそれと同レベルなのが現代アートだと思う。本人たちは楽しいけど、大体がアホと思われるか、場合によっては炎上する。そういう性質のもの。
“キャプションや、作家の生い立ち、過去作品、そして同時代の作家の作品群や取り巻く空気感など、断片的な情報を繋ぎ合わせ”その情報が全部消えてからが本番。できないならただのオナニー
文脈が前提なのは分かる。でもなんでその結果が、「吐き気を催す不快な表現」になって、「それを耐えるのが現代アート」なんだ? 背景知識や文脈を前提とする文化は沢山あると思うけど不快表現に行かないのでは。
人をヤベー奴みたいに言わんでくれw
まともな(?)作品ならその作品が解となる問いは何かを考えればだいたい「理解」はできる。快とか不快はローカルで相対的なものなのでわりとどうでもいい(ことが多い)
(形骸化した何かと見ていいんだろか。音楽的ルーツから高次化して食傷した商業音楽とか。手癖で粗製された同じようななかで個性だとか主張して(履修する価値は?(芸術家気取りとマネロンの道具と穿った見方も
なるほど、その場から「じゃあどうやって責任取るんだよ!」と詰めていいってわけだな。今度からそうしよう。ガンガンに追い詰めていくぞ〜〜
えーこれ当事者が言ってんの?随分安っぽい言説に聞こえるけどな。
行くと楽しいけど異常に疲れる、の意味がこの説明で良く分かった。良さそうだけど何が良いかを考えながら見てた記憶。
今も昔も説明不要で人の心を鷲掴みする芸術作品はあるけれど、そういう作品は商業的に成功するから商業アートのカテゴリに入れられる。そうして残った説明しないと魅力が伝わらない訳アリ品だけが現代アートになる。
現代アートは作品単体だと無価値なんだけど文脈込みでアートというか作品として成立しているので。知らん映画の一場面切り取ってこれはなんでしょうを永遠にやり続けるかんじ。
そういうのは「内輪ノリ」と呼ばれて、普通は中の人から「そんなんじゃ新しく来た人が楽しめないじゃん、やめようぜ」といった自浄作用が働くもんだけど、現代アートはもうダメなんやね。
他者のハラワタ(内面)は気持ち悪くて不快なものなので。/げんなりしながらも、断片を繋ぎ合わせて相手/作品を読み解こうとするの、他者への興味というか、理解できたら面白いはずだという信頼がないとやらないよね。
こういう例えってツッコミ要素満載だからほぼ意味ないよなぁ
現代アートの話題の試金石ことMr.。彼をどう評価するかで真摯に現代アートに向き合ってるかどうかわかる https://www.kaikaikiki.com/artists/mr/
現代美術は大好きだけど共感できないな。というか大好きだから共感できないのかもしれんが。
ひとりの人間のバックストーリーのバリエーションなんて知れたものだから掘り下げたところでありふれたものしか出てこないと思う。そこに労力を割こうという気にはなれないな
たとえ話を鵜呑みにするなら、現代アートは悪趣味な野次馬根性ってことになるが……。
3次会ってもうベロベロに酔ってて騒ぐだけで何の生産性もなくて、行く価値ないよな。
現代アートも既存の美術の流れの延長線上にあるものなので、そこまでの経緯(三次会に至るまでに何があったのか)を知らないと理解しにくいってのはそうかと
なるほど。見なくていい
最近考えてることは、人の主体性を育むのは「問うこと」であり、現代アート(いや、あらゆる芸術?)は問いを誘発する装置なんじゃないかということ。
だからマンガから大友克洋と鳥山明が出現したとき思いっきり動揺してた。自分たちが温い世界で浮遊していたら自分たちが想定していない場所から最先端の表現を突きつけられたから
“「もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?」と。”←速攻で帰るだけだよ
余計な情報を究極的にそぎ落とした表現とどこかで聞いたけど、なんだ結局過去のコンテキストという巨大な情報を含んでいるのかと思った
壮大な身内ノリを楽しむ努力をしないといけないってこと?何でも前提知識があった方が楽しいのは当たり前なので、せめてその誘導は丁寧であって欲しいけどな。
デュシャンの泉を見る態度で眺めることにしている。つまりそれっぽく見せかけた虚無をもっともらしいツラして眺める行為全体が、この世はクソであり真の価値などないというシニシズム芸術の一種なのだと理解している
どっちかと言えば「こんな(しょーもない)モンで成功しやがって!」って敵対的な目で観ることが多いかな。笑点の大喜利でクソつまんない答えをみた時と似てる。
同じ現代アートなら自分の興味のある分野でいいんじゃない 科学とか六次会ぐらいに突入してるだろうし 美学に絞る必要無いと思うよ
やっぱり宗教かマルチまがいじゃないか!金を貰うなら、「信仰」や「共感」ではなくて自分の「技」に払ってもらうんだよ!
マルセル・デュシャンの『大ガラス(彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも)』は、ハイコンテクストすぎて私にはよく分からないのであった。『泉』は分かりやすいけど。 https://w.wiki/HfH$
ガンダムの喩えはいいなぁ。最新作はそれ単体で観れなくもないけど門外漢には敷居が高いし、過去作も踏まえられたらより深く楽しめると。
岡本太郎曰く『なんだこれは!』
『どう見ればいいの?』という問いが既に誤り。吹奏楽でも演奏に際し音楽のストーリー(=標題)を求める学生が多いが、そういう分かりやすい例えに落とし込まないと咀嚼できない人が多い。
見たくなくなるでしょ。。w
そういうこと言ってるからだめなんだよ
好きに見ればいいし、なんならメタ読みすればいいんじゃねえかな。作者は何でこれがウケると思ったのか、何かに対する逆張りなのかとか
「随分安っぽい言説に聞こえるけどな」←そりゃ安っぽいバカ向けに説明してるからだよ/例えから抜け出せないバカを超えたバカの多さよw
とはいえアプリオリな魅力もほしいよね
何で金出してそんなことしなきゃいけないんだよ
ロンドン住んでた時、軽い気持ちでテートモダン見に行ったけど、どうすんねんこれ、って思った。頭を抱えるしかない。まるでわからない、学べば理解できそうな範疇にない。でもそんな世界があると知れたのはよかった
「意味不明だったが、横に短い解説が書いてあって、それで頭の中で一応帳尻は合った」作品を見ているのじゃない、キャプションを読んでいるのだ。キャプションの出来で作品の出来も決まるのじゃよ
わけわからんものに対して現代アートって言うの、揶揄じゃなくて真実だったんやな
現代アートって売る側(表現側)と買う側(富裕層投資層)は全く別の理論で動いてるから。買う側は単純に資産が小さくまとまって良いってことなので。芸術に価値を見出してるわけじゃない
金を払って知らない人たちの三次会から参加したいとはあんまり思わない。参加すればそれなりに笑えることはあるだろうけど。
アートは間口が広すぎるからなぁ アールブリュットとかあるやん、なんでもかんでもアート何なっちゃうのは苦手
現代美術を見た人が「分からなかった」とよく言うのだが、古典なら「分かる」のか。正解を求めず自分の感覚で気楽に鑑賞したい。どっちも。
豊島美術館はめっちゃ居心地いいんだが
元々芸術は歴史的な文脈を理解しないと意味を理解できないンだよねぇ。単純に綺麗とかなら、神絵師のイラストと違いがない。
歴史ではなく個人レベルの文脈や関係性を追う必要があるのにそれは説明されてないので、まあとても不親切な界隈よね。飲み会で隣の席からたまに眺めるくらいがいい
そこに良し悪しはあるのか(どうやって評価するのか)というのが気になりました
じゃあ全部答え合わせできる音声ガイドも入口で貸し出してくれ
興味を持った時点で成立してるのでは
「現代アートの鑑賞方法」ってよく語られていて、これは今まで聞いたことがないものだった。/不快なアートを否定する人は、ピカソのゲルニカも否定してね。不快の源を考えさせられるのもアートだよ。
「現代アートの鑑賞態度は、人を評価する時にルッキズムじゃなくて内面を評価する態度と似ています。しかもこちらから知ろうとしないと相手の内面がわからない。」と喩えた方が今どきは刺さるのではなかろうか。
なんか、あまりピンとこない説明だな。私は美術は全く詳しくないが「どう見れば良いのか」なんて考える必要はない。そのまま、見ればいいと思う。前提知識を重要視する人とか珍しくないけど、好きにさせろと思う。
何でそんなゴミが「アートです」みたいなツラしてんだ?
ひと目で美しく居心地の良いものは、もう出尽くしちゃってるもんな。でも居心地の悪さに耐えることから始めるのはイヤだ
会田誠展で見た、会田誠が「美少女」という文字(記号)だけでオナニーできるかチャレンジしてる様子の映像作品はよかった
様々に分化して展開する文脈ベースの世界でもあるので、こういうオハナシも、まぁ、出てくる。どう観ればいいのか?含めての参照。 ドアを開けてみるなら大人ならドゥルーズ辺りから読んでみてもいいかもね。
アートってインスピレーションを受けるかどうかがすべてだと思うぞ それを見て何にも思い浮かばない何もしようと思わないならいくら解像度の高い(高そうな)言語で彩られようと空虚だ
現代アートがデュシャンの泉から始まる文脈ゲーであるとすら理解せずなんか高尚な美だと思ってるブクマばかりだな
えー普通に面白いだろ なんだこの説明 / プロフィールの「NFT Creator | Crypto Chart Girl | 2011年から為替・株式相場をテーマに描く」で察した これはおもんない 絵もひどかった
現代アートの括りは、理解してもらうように製作してないアートだと思ってる。理解の為に情報収集や居心地悪さに耐える辛抱が必要って製作で勝負してないし順序が逆なんよ。心が揺さぶられるから背景が知りたくなる。
"文脈も人間関係も共有されていない部外者にとっては、それは「不可解」で「不気味」な光景でしかありません。しかし現代アートの鑑賞とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています。"
岡本太郎の三原則にもあるように、現代アートに限らず芸術の意義というのはそもそも鑑賞者の心地よさにあるものではないよ。
まぁゲージュツのこの側面は現代アートに限らずどの時代のアートにもある。理解にはコンテクストは必要で、例えば16世紀フランドル絵画を「正しく理解」できる人はあまり多くないがブリューゲルに魅入られることは可
何も分からなくても、我慢しなくてもおもしろいのもいっぱいあるよ。気軽に見てみてね。
アートなのに伝える努力をせず、むしろその過程が芸術的でないみたいな扱いをする。ナラティブを共有しない集団に対する表現はアートじゃなくてゴミなんだよな。
"まったく知らない人たちの飲み会の3次会" つまりはてブは現代アート
「居心地の悪さに耐えることが前提」ってなんかわかるしおもしろいな〜。
何年か前松濤美術館の「直接行動の軌跡展」見たあと外に出たら、世界が全部ゲージュツに見えて面白かった/最初の例え話は「参加したら」じゃなくて「飲み屋の隣の席でそういう三次会をやってたら」の方がいいのでは
「まだ専門家の解説・解釈も追いついていないから、自由に見て思ったこと言って、未来に『当時の反応はこうでした』と言われるようなムーブをする」というもんかと思ってた。評価が定まる前にしかできないことをする
それって料理で言えば創作料理っていう事で合っていますか?
商業的に成功すると商業アートで現代アートではなくなるのか?だとすると現代アートって一種の悪口だねえ。/東京藝大の卒業展の作品が流れてきてとても楽しめる……
そもそも芸術は分かる人にだけ分かればいいスタンスだと思ってるから、理解できない人は一生理解できないし何なら軽蔑までしてくるんだよね。
慣れるまで耐えれたら楽しめる、は海外ドラマや吉本新喜劇なんかと構造は同じだと思っている。
なるほど、今のこの「排他的な世の中」や「大人気の高市政権」って現代アートなんだな(んなわけない)
鑑賞方法は人それぞれでいいけど理解するには文脈の勉強が必要ということで結論出てなかったっけ
"まったく知らない人たちの飲み会の3次会"まさに。一生ガムテでバナナ壁に貼って金払って食っててほしい。でもコンテクストが障壁としての機能してるわけでもあるのか…大衆作品作ってんじゃないんだしね
現代アート好きである。私はメタに見る。何でこれにお金が出たのか?何故美術館に飾ってあるのか?キュレーターの意図は?作家の意思は分からなくても解釈や社会性は意外とわかる。お笑いやエンタメと変わらん。
お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな!
3次会の割には大層な美術館でやってるのが意味わからなくて、その状態自体が現代アートなのかと思う。
ブルーピリオドも面白かったのは一年まででそこから先やたらくんの作品がわくわくしないんだよね。。。
古典も現代アートも古美術も、文脈を知ってるかどうかで鑑賞がかなり変わる、ということを『ブルーピリオド』で学び中。まあ、わしら素人は「知らないより知ってる方が、より楽しいよ」程度でよいとは思う。
宗教家に近いなあと思う。胡散臭い。マンガやゲームのほうがよっぽど芸術だよ。
「『もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?』(略)現代アートの鑑賞とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています」成る程、仲間内でキャッキャしてる感がよく表されている。苦手。
この話題面白いね。/YouTubeの考察系動画とか若者が正解を求めたがるとかファスト教養とかAIの要約とか、「解説」と「作品鑑賞に必要なコンテキスト」は、社会状況で変わることを実感してて、関心事。
別に自分が好きなものだけ見てりゃいいと思うけど。何かこう、気の利いたことが言いたい、馬鹿と思われたくないって気持ちが強すぎるのよね。以上、本日のブーメランでした。
“「もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?」と。”嫌すぎる。説明を読んでも嫌すぎるとしか思わなかった。現代アート嫌すぎるな。
伝統的お手製工芸品より大量生産品のほうが美しい場合もあるやん?→"美しい"を因数分解してバラして並べて晒してみよう。→ミリしら一般人「ゴミやん」// 探究って魔術師みたいで楽しそうだよね
つまり、自分の入っているエコーチェンバーとまったく異なるエコーチェンバーに紛れ込んだような感覚だな。AIに架空の作者の生い立ちとか与えて、キャプションも指定して作品を出力させることも可能。模倣性の低い物
それなら現代アートは見なくていいや、となるのだけど。
違和感、異質、不思議、を楽しむジャンルだと思う。現代アートを主に展示する美術館に良く行くけど「よくわからんが凄い」という感覚が楽しい。/アートって一点物だからそれが売れたのを商業っていうのどうかな
「わからない」ってストレスの例えだよね。飲み会のメンツみて即帰るでも良いんだし。
いま大事に飾られているその絵や彫刻も、昔は現代美術だったのです。いろんな作風の作品があるということは、それだけの人が試行錯誤して、淘汰された傑作がいま大事に飾られているのです。
一発当たってるかが全て。バズらなかったら現代アートではない。見方は一つしかない、流行ってるかどうかだ。作者の意図なんて痴漢の言い訳と変わんない。
全く知らん人たちの内輪事情になんとなく詳しくなれって言ってる?そんなゴシップみたいなのが現代アートなのか。この人はそういうくだらない活動をしてるという自己紹介なだけかも知れないけど。
現代アートの型が欲しいだけの権威主義に陥ってるんだろう。芸術理論にも似たものだから発見された理屈は利用されどこにでもあり、かつての現代アート的な理屈の探究者はスマホカメラや生成AIの設計や応用などに居る
なるほど、だから人気ないんだな
居心地の悪い文章だな。まさか…これ自体現代アートだというのか!
そう?最近の展覧会はもっとカジュアルになってると思うけどね。いまどき皆そんなにしかめ面してなくて、気楽に見てる人が増えてる感じするけど。
現代アートを測るモノサシを持ってなかったので、割と真面目にパピヨン本田氏の「美術のビジュえもん」シリーズは現代アートが何をやりたいのかの理解の足がかりになった
現代アートは、きれいや美しいという方向だけに収まらない、なんじゃこりゃとか、おもんないとか、わからんとか、キモとか、ムカつくとか、見た側の感情や感覚が各方向に動かされるまでが鑑賞体験って感じかなあ。
これが現代を名乗るから良くないんだよな。とんちアートとか違和感ゾワゾワアートとか言ってくれたらまあそういうのが好きな人が行けば良いんじゃないの、なんだけど現代だからなあ。
修行僧やん
民間でやる分には三次会ノリでやろうがやるまいが知ったことではない。しかし税金を使うときは説明責任があり、内輪受けのノリではすまされないよ。つまり現代アートは民間でやるしかないんじゃないの
デュシャンとそれ以降の文脈知らないとわからんのは事実かなと
つまり一般人は意味がわからなくて当然ということですね。
現代アートは作者の(世界などへの)解釈やルールが表されていてそれを鑑賞することになるとおもう。ただ昔の宗教画でも印象派の絵画でも作者の解釈があって、それを見ていることに変わりはないとおもうがなあ
《作家の生い立ち、過去作品、そして同時代の作家の作品群や取り巻く空気感》←これら知識が作品解釈の前提になってる時点でジャンルとしてもう終わってるだろ(知ってればより深く味わえるという話ならまだ分かる)
表現的には逆張りもメタもやり尽くされて、それでもまだ新規性があって感情を揺さぶるものを作ろうとすると、新素材や新技術の導入とか逆張りの逆張りとかあえてタブーに踏み込むとかくらいしかない状況が出発点。
現代アートを鑑賞することの比喩としては機能していると思うけれど、この質問ねはどうして知らない三次会にいないといけないか、いると何があるのかに答えないと答えにならないんじゃないかしら
歴史知らなきゃならんのなら現代を名乗らないほうがいいよね
どう見ればいいの?って質問するような人にはこう言う回答でいい気がする。そもそも興味ない人だと思うから。興味ある人は質問せずに自分から見に行く。
ってことは現代アートが好きな人は「まったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加」するのが趣味ってことか…物好き…
なんだ、スナックと同レベルってことか。
大衆と向き合うことからの逃げでアートを名乗ってるやつが大嫌いで、アマチュア小説家が面白くもなんともない文章をダラダラ書いたやつを純文学ジャンルと主張するのに似ている。
全く共感できないのである
いやその通りでしょ。鑑賞者は意図を読み解く苦行を課される。「庶民と違い教養ある俺たち貴族だけが理解できる」がステータスとなり価値が生まれる。
現代アートに限らず、いわゆる芸術と呼ばれるジャンルで1番大事なのは「文脈」なんだよね。行間をどう読ませるか?どう読むか?をこねくり回して楽しむ、暇人(≒貴族)のための娯楽。
へ、そういうものなのかー。トリエンナーレで見たアート作品、これは何を表しているのかな?何を言いたいのかな?を推理するのがおもしろかった。
なろう小説みたいなもん?
キャプションを読むよ。何も説明なしに伝わるだろうとは思わない。写真だって真実は写しても見る人によって受け取り方が違うから正しく伝わるとは限らない。
別になんも考えず適当に見てもいいと思うよ。自分は適当にふらっと展覧会入って好きな作家できたし。文脈なんて後からいくらでも調べられるんだし
「その3次会はどう楽しめばいいの?」ってなるだけだろ。/"女性一人が「私が責任を取ります」とずっと連呼していたら。"一般化を求められているときにこういう要素を入れてどうするのよ
現代美術にも旧来の絵画やオブジェのような文脈で鑑賞できるものもあるけど、ここでの「現代美術」は壁にバナナが張り付けてあるようなタイプの「作品」について言ってるんだと思う。考えずに感性だけで見るのは無理
十和田市現代美術館普通に面白かったし不愉快な気持ちなんて何もなかった。高崎市美術館も面白そうな時にしか行かないけど不愉快に思ったことない。不愉快投げつける当事者は嫌だな。
文脈とか知らんし。目の前にあるそのものを見てどう感じるかっていうのがアートだと思うわー。
文脈ありき&内輪ノリってことかな?「前提知識がなくても良さが分かるのが真の芸術」とは思わないからコンセプトありきの芸術があるのも分かる
内輪ノリが激しい界隈だという話は前からよく聞くので違和感はない。でも自分は自分が興味を感じた作品展には文脈ゼロ知識で見に行ってる。知らんがなである。
「分からない」と「つまらない」と「嫌い」が同じになってない?「分からなさ」を仲間はずれだと思って、そもそも解ろうとせず、解釈の余地を持たずに提案(作品)を見てない?とはよく思う(not for meなら見なくていいが
でも石を眺めるゲームも現代アートであれは別に背景情報とかなくたって現代アートだよね
自分なりの解釈をして理解したつもりになっていい気分になるのが現代アートの楽しみ方。グッゲンハイム美術館の花の犬見てきれいだな~としか思わなかった自分には向いてない。
文脈にのせないアートの領域がもうほとんど残ってないと考えられていて、ご新規さんには受けても身内にはつまらなく映る状況ってことかな。新規さんに沼ってもらうための手段がないと、先細りそう。
現代音楽の不可解さも同様な気はするが、客はもうちょい上品かもな。アートは素人からすぐ貶される。
なら、お金払いたくないから、税金使わないでね、としか
ぱっと見ていいなってならなかった作品はスルーでええんよ。普通の美術館の絵だって打率はいいとこ一割でしょ?残りの九割が「分かるけどつまらない」になるか「全然わからない」になるかの違いにすぎない
そんな狭い現代美術業界での内輪ウケを第一に狙って作品作ってる作家なんて今はほぼ存在しないか、いてもすぐに淘汰されると思うが。。。
何言ってんだ?
現代アートに限らず昔の絵画もどう見ればいいかが大事だよ
この人にとってはそう言う苦行を乗り越えた選ばれしものしかわからないモノという意識があるのだろう。そんなの気にせず見て感じたものがあれば良いんじゃないかな
具体的にどんな作家をイメージしているんだろう。少なくともボイスとかデュシャンはこの例えにあてはまらないような気がしている
この業界の人たち直ぐに人に問いたがるから嫌い
早々に立ち去ろう
何にでもすぐ「税金がー」と噛み付く連中はさもしくて見苦しいのだが現代アートなのか。
現代アートはこれまでの美術の文脈を逸脱して価値を模索してる(その模索が良いか悪いか判断基準はない)ってことで良いと思う。居心地の悪さってこれかな。
この比喩はあまりも自虐的&過小評価しすぎて駄目だと思った。まあでも本当に美しい芸術は見ていて辛い。というのは色んな人が言ってる。
現代アートに限らないが自分に刺さったものだけ受け取って分からんものは分からんでいいと思っていたのだが、こんなあえて火中の栗を拾うようなことせんといかんか。
必死にとか知らんがな。テレビのザッピングでいい。教養番組でもバラエティでも、面白くなければスルー。
内輪ノリの頂点、商業から遠い自己満足の発露ってイメージ
「もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?」 そんな飲み会、行くわけないだろ。たとえ話へたすぎ。
わけわからんものを面白がるのが現代アートだと思うよ。あと、狙って作ってるのすごいでしょっていう作者の気持ち。
「断片的な情報を繋ぎ合わせ、必死に状況を解釈しようとする姿勢が求められる」不可解なだけの物にそこまで熱意が湧かないだろうから、不可解以外の何かの魅力があるんだろうけど、それがさっぱりわからない。
うーんつまり敢えて小説とかドラマの物語のジャンルで例えると不条理系とかサイコホラーとかそんな感じなのかな?
この説明自体が作品の一部な感じで、相手に理解させる気がなさそう。
“しかし現代アートの鑑賞とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています。”
世界的有名な作家の作品で本人に選択した素材の意図を聞いた 見た人が理解しろと誤魔化された 言い方変えて何度も質問したが一貫して見た人への投げっぱなし無責任返答で現代アートは胡散臭い なら作家も要らない
全然興味をそそられない説明になってるけど大丈夫そ?
ピンとこないけど、自分が好きなプログレの魅力を他人に説明すると同じようなニュアンスになるのかもやあと思った。正直長いし冗長だしノリ難いし、聴くのかったるいのもあるのよ。でもそれ越えた先にさ…みたいな。
これ漫画音楽文学だろうが楽しんだり理解したりするには相応のリテラシーがいるというだけの話であって現代美術だけが特別だなんて事は全くない。古文が読めないからって「不可解」で「不気味」とか言ったら笑うだろ
しかしラーメン二郎での食事とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています(ry
現代美術って端的に面白いんだよ。娯楽作品ではエッセンス程度にしか摂れない栄養(毒)を高濃度でオブラート無しに摂取でき、実存が脅かされて気持ちいい(悪い)。文脈とか勉強せずとも普通に判るし楽しめるよ。
うまい。それも一つ。なんか味わったことのない感覚に襲われるのもあるかも。
美術っていう日本語もよくないよな。みんな綺麗で正しいものじゃないといけないと思ってる。
縦軸の文脈と横軸の時代性という変数が大量にありそれを学んでいないと理解不能な超ハイコンテクストなものが現代美術。オタク文化を知らない人がいきなりニコニコ動画ランキングを見たようなもん。
落合陽一さんとかかなりわかりやすいと思ったし皆もっとさくっと立ち寄っていいと思う
芸大での人に聞いたら「現代美術は背景にあるストーリーありきだからただ観るだけではわからない」と言っていた。
まあ、いまの日本でわざわざ現代アートやろうなんてのは才能はないけどプライドだけは一丁前の3流の人だけだろうから、根本的に作品として魅力ないしフックがないよね。まさに居酒屋の隣の席レベル。
逆にモネや、同時代の名もなき画家の絵が「分かる」のかと言われると別に分からない。分かった気になるのも危険だと思う。
作品そのものを楽しむのがアートだ!という素朴な意見もあるが、創作物は大抵、意識的にせよ無意識にせよ文脈の上で受容されている。文脈に無頓着な態度のままでどうやって文脈を切り離して作品だけ鑑賞できるんだ?
クソガキでもわかるように作られるアニメじゃないんだから、大人がそのまま見るとか言うなよ恥ずかしい
ここで議論されてるようなものを「現代アート」と呼ぶのがしっくりこない。これからは「前衛アート」と呼ばないか?
パッと見ても楽しいものが多いので、まずは作品を楽しめばいいと思います。ただ前提知識があった方が楽しいのも確かなので、音声解説とかあったらお金を惜しまずに解説を聞いた方がいいとも思います。
外からだと、裸の王様の仕立て屋が所属しているギルド、Bitcoinのアナログ実装に見えるよな。NTFで屋上屋を架してた。/構成員は本気で価値を信じる必要があるし、その価値が外部のそれと共鳴することもあろう。
どう楽しめば良いのか分からないって、アートってそもそも言語化できない良さがあるからアートである意味があるんだろ。「この作品は〇〇という価値があるから凄いんです」と言われないと楽しめないやつって...
かつてのニコニコの「人類には早すぎたシリーズ」みたいなものと思っておけばおk?
コンテクスト高すぎて京都の一見さんお断りの料亭みてぇだな…
まあ確かに、なんだこれは?、なんでこーなった?みたいのが基本にある世界かもしれないし、なんだこれはを深掘りする中に自分や作者との対話が発生するし。
現代アートってアニメで言えばガンダムシリーズみたいなもので、何も知らない人に昨日公開した『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』を見せたとして『そのまま見ればいいと思う』はすこし違うよね?って話だと思う。
現代アートって言ったもん勝ちだと思ってて、何なら俺がかまぼこに爪楊枝刺しても現代アートだと言い張れる
この説明、最大の欠点は「まったく知らない人たちの飲み会の3次会」に参加する事はないという事
いや全然わからん
なんじゃこれと思いながら観る、でいいと思うけどな。なんか好きとか、キモっとか、なんでこれがいいと思ったん?とかでいい。変にポップと線を引かず、ありのままに見て感想を抱けばいい。コスパは後で考えろ。
古典も知識ないと意味は分からんでしょ。/既存の概念の再生産じゃアートとしての価値がなくて、最先端の科学技術、思想をどう盛り込むか勝負みたいな物だから情報を楽しむ人間には面白いかな。
現代アート専門美術館の会員になり、どの地域の美術史的文脈を引き継いでいるか、を手掛かりに作品を言語化し続けて数年経てば一通りのことは言えるようになると思うが。
株式市場と同じで過去の歴史や経緯を踏まえた人と、意図的や偶然にセオリーを無視する人、投機や投資狙い人の駆け引きが合成された結果、部分的にランダムに振る舞うから、一般人の表面的理解はある意味で正しいよな
ハイコンテクストって便利な言葉があるのに ヌルポガみないなもん
現代アートは「問い」である。このアートは何を問いかけているか?を考える。言語化できることは言語的に理解し、できない部分は感覚で捉えて、それを混ぜるイメージ。
内輪ノリとコネで成り立つ業界、宗教みたいなもん。現代美術にお金をかけてる自治体は宗教分離の原則に違反してるよ
いらないものをIKEAで買って、あーやっちまったな、て思う感情が現代アートの部分
ニセ教養お姉さん「美術館は間違った楽しみ方がいいんです!」
「アキレスと亀」を見ると良いw
「王様の事情を知ったうえで「裸の王様」を見るか見ないか」、王だけ生き生きしてるなんて滑稽だわ。
知らない3次会に乱入するのはかなり好きだが、会計には参加しないかな
文脈知らないとなんも分からないのか
現代アートを実践する本人が説明しているのだから説得力があるはずだが、なぜか反抗したくなる。別の芸術家に聞けば別のことをいうだろうなとも思う。
なんでアートをエンタメと同一視するコメントが人気なんだ?興味ないなら興味ないで
流行りの洋楽聴いて、これいいなーと思うかくらいでいいんじゃない?洋楽聴かないならそれもよし、BTSから現代アート入るのもいいし、そんなもんでしょ?
それだけじゃないと思うけどなあ.
居心地の悪さに耐えることが前提なのか
「俺はわかってる」っていう選民意識をいかに刺激するかがこの商売の肝なので万人受けする天才のアートはとりあえず否定するとか。バンクシーとかね。
みんなベロベロに酔っ払ってて訳わかんないし、明日には忘れてる訳だ
わざとわかりにくいこと言って自分たちのやってることを高尚に見せてない?
ゴチャゴチャ説明が必要なものはやっぱりアートとして未完成なんだと思う 現代美術は好きだったけど美術手帖の編集長のアレコレとか見てるともう規模が縮小してエグみ増してない?と思ってしまう
まあ見方の一つではあるだろうな
否定はしないけど、こういうの見て「〇〇だったのか!」とか思考停止でインストールしなくていい。そんな姿勢はアートじゃない。
現代アートを見ると「もっと普通に綺麗なものを作ってよ」と思ってしまう。「まったく知らない人たちの飲み会の3次会」が現代アートってことなら「全く興味ないし関わり合いたくない」と思うのが普通ってことだな。
落書きとの区別がつかないが。我が子の作品が唯一無二の価値がある、とするならそれを果てしなく一般的に価値があるようにプロデュースされていったものに対して他人的価値観でわからんと思ってる。
出オチ上等初球フルスイング。当たれば先頭打者満塁ホームラン、外せばスタンドの観客にバット直撃。違和感とか居心地の悪さが突き抜けてないとキャプション頼りのガラクタ自慰。
これを読んで、現代アート見てみよう!って思わないのは確か。
学問としての芸術は何かしら未踏の研究なんだから、素人にワケわかんないのは仕方ないし、商業的にウケるかはあまり関係がない。私が責任を取ります連呼の凄まじさは問題意識が共有できてれば素人にも伝わったろう。
捉え方でやったほうがいいと思う 「これ体験してどう思ったか」ほどの重いもんでもなく「気づいたこと」の感想も分からないならまず自分が好きな物惹かれる物がどうしてそうなのかの内面化が出来てない
引用した人と引用された人どちらの意見にもあまりピンとこなかった コンテクストが大事なのは別に現代アートに限った話じゃないし、全ての現代アートを理解する必要もない 唯一解を求めすぎでは
それもまたアート……
「現代アートってどう見ればいいの?」と聞かれたとき、現代美術家である自分はこう答えている… 「もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?」と
“居心地の悪さに耐える事が前提”→それっていわゆる「難解」っていわれるエンタメ全般にも共通するところあるよね、MOONRIDERSとか。
ガンダム最新作を見るには50年前のファーストから全作全話時系列で見てから、って言われるようなものなので、現代美術は19世紀から200年間を全部時系列で語れてからが本番。
個人的には、ネット上でアホな事してはしゃいでる連中のそれと同レベルなのが現代アートだと思う。本人たちは楽しいけど、大体がアホと思われるか、場合によっては炎上する。そういう性質のもの。
“キャプションや、作家の生い立ち、過去作品、そして同時代の作家の作品群や取り巻く空気感など、断片的な情報を繋ぎ合わせ”その情報が全部消えてからが本番。できないならただのオナニー
文脈が前提なのは分かる。でもなんでその結果が、「吐き気を催す不快な表現」になって、「それを耐えるのが現代アート」なんだ? 背景知識や文脈を前提とする文化は沢山あると思うけど不快表現に行かないのでは。
人をヤベー奴みたいに言わんでくれw
まともな(?)作品ならその作品が解となる問いは何かを考えればだいたい「理解」はできる。快とか不快はローカルで相対的なものなのでわりとどうでもいい(ことが多い)
(形骸化した何かと見ていいんだろか。音楽的ルーツから高次化して食傷した商業音楽とか。手癖で粗製された同じようななかで個性だとか主張して(履修する価値は?(芸術家気取りとマネロンの道具と穿った見方も
なるほど、その場から「じゃあどうやって責任取るんだよ!」と詰めていいってわけだな。今度からそうしよう。ガンガンに追い詰めていくぞ〜〜
えーこれ当事者が言ってんの?随分安っぽい言説に聞こえるけどな。
行くと楽しいけど異常に疲れる、の意味がこの説明で良く分かった。良さそうだけど何が良いかを考えながら見てた記憶。
今も昔も説明不要で人の心を鷲掴みする芸術作品はあるけれど、そういう作品は商業的に成功するから商業アートのカテゴリに入れられる。そうして残った説明しないと魅力が伝わらない訳アリ品だけが現代アートになる。
現代アートは作品単体だと無価値なんだけど文脈込みでアートというか作品として成立しているので。知らん映画の一場面切り取ってこれはなんでしょうを永遠にやり続けるかんじ。
そういうのは「内輪ノリ」と呼ばれて、普通は中の人から「そんなんじゃ新しく来た人が楽しめないじゃん、やめようぜ」といった自浄作用が働くもんだけど、現代アートはもうダメなんやね。
他者のハラワタ(内面)は気持ち悪くて不快なものなので。/げんなりしながらも、断片を繋ぎ合わせて相手/作品を読み解こうとするの、他者への興味というか、理解できたら面白いはずだという信頼がないとやらないよね。
こういう例えってツッコミ要素満載だからほぼ意味ないよなぁ
現代アートの話題の試金石ことMr.。彼をどう評価するかで真摯に現代アートに向き合ってるかどうかわかる https://www.kaikaikiki.com/artists/mr/
現代美術は大好きだけど共感できないな。というか大好きだから共感できないのかもしれんが。
ひとりの人間のバックストーリーのバリエーションなんて知れたものだから掘り下げたところでありふれたものしか出てこないと思う。そこに労力を割こうという気にはなれないな
たとえ話を鵜呑みにするなら、現代アートは悪趣味な野次馬根性ってことになるが……。
3次会ってもうベロベロに酔ってて騒ぐだけで何の生産性もなくて、行く価値ないよな。
現代アートも既存の美術の流れの延長線上にあるものなので、そこまでの経緯(三次会に至るまでに何があったのか)を知らないと理解しにくいってのはそうかと
なるほど。見なくていい
最近考えてることは、人の主体性を育むのは「問うこと」であり、現代アート(いや、あらゆる芸術?)は問いを誘発する装置なんじゃないかということ。
だからマンガから大友克洋と鳥山明が出現したとき思いっきり動揺してた。自分たちが温い世界で浮遊していたら自分たちが想定していない場所から最先端の表現を突きつけられたから
“「もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?」と。”←速攻で帰るだけだよ
余計な情報を究極的にそぎ落とした表現とどこかで聞いたけど、なんだ結局過去のコンテキストという巨大な情報を含んでいるのかと思った
壮大な身内ノリを楽しむ努力をしないといけないってこと?何でも前提知識があった方が楽しいのは当たり前なので、せめてその誘導は丁寧であって欲しいけどな。
デュシャンの泉を見る態度で眺めることにしている。つまりそれっぽく見せかけた虚無をもっともらしいツラして眺める行為全体が、この世はクソであり真の価値などないというシニシズム芸術の一種なのだと理解している
どっちかと言えば「こんな(しょーもない)モンで成功しやがって!」って敵対的な目で観ることが多いかな。笑点の大喜利でクソつまんない答えをみた時と似てる。
同じ現代アートなら自分の興味のある分野でいいんじゃない 科学とか六次会ぐらいに突入してるだろうし 美学に絞る必要無いと思うよ
やっぱり宗教かマルチまがいじゃないか!金を貰うなら、「信仰」や「共感」ではなくて自分の「技」に払ってもらうんだよ!
マルセル・デュシャンの『大ガラス(彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも)』は、ハイコンテクストすぎて私にはよく分からないのであった。『泉』は分かりやすいけど。 https://w.wiki/HfH$
ガンダムの喩えはいいなぁ。最新作はそれ単体で観れなくもないけど門外漢には敷居が高いし、過去作も踏まえられたらより深く楽しめると。
岡本太郎曰く『なんだこれは!』
『どう見ればいいの?』という問いが既に誤り。吹奏楽でも演奏に際し音楽のストーリー(=標題)を求める学生が多いが、そういう分かりやすい例えに落とし込まないと咀嚼できない人が多い。
見たくなくなるでしょ。。w
そういうこと言ってるからだめなんだよ
好きに見ればいいし、なんならメタ読みすればいいんじゃねえかな。作者は何でこれがウケると思ったのか、何かに対する逆張りなのかとか
「随分安っぽい言説に聞こえるけどな」←そりゃ安っぽいバカ向けに説明してるからだよ/例えから抜け出せないバカを超えたバカの多さよw
とはいえアプリオリな魅力もほしいよね
何で金出してそんなことしなきゃいけないんだよ
ロンドン住んでた時、軽い気持ちでテートモダン見に行ったけど、どうすんねんこれ、って思った。頭を抱えるしかない。まるでわからない、学べば理解できそうな範疇にない。でもそんな世界があると知れたのはよかった
「意味不明だったが、横に短い解説が書いてあって、それで頭の中で一応帳尻は合った」作品を見ているのじゃない、キャプションを読んでいるのだ。キャプションの出来で作品の出来も決まるのじゃよ
わけわからんものに対して現代アートって言うの、揶揄じゃなくて真実だったんやな
現代アートって売る側(表現側)と買う側(富裕層投資層)は全く別の理論で動いてるから。買う側は単純に資産が小さくまとまって良いってことなので。芸術に価値を見出してるわけじゃない
金を払って知らない人たちの三次会から参加したいとはあんまり思わない。参加すればそれなりに笑えることはあるだろうけど。
アートは間口が広すぎるからなぁ アールブリュットとかあるやん、なんでもかんでもアート何なっちゃうのは苦手
現代美術を見た人が「分からなかった」とよく言うのだが、古典なら「分かる」のか。正解を求めず自分の感覚で気楽に鑑賞したい。どっちも。
豊島美術館はめっちゃ居心地いいんだが
元々芸術は歴史的な文脈を理解しないと意味を理解できないンだよねぇ。単純に綺麗とかなら、神絵師のイラストと違いがない。
歴史ではなく個人レベルの文脈や関係性を追う必要があるのにそれは説明されてないので、まあとても不親切な界隈よね。飲み会で隣の席からたまに眺めるくらいがいい
そこに良し悪しはあるのか(どうやって評価するのか)というのが気になりました
じゃあ全部答え合わせできる音声ガイドも入口で貸し出してくれ
興味を持った時点で成立してるのでは
「現代アートの鑑賞方法」ってよく語られていて、これは今まで聞いたことがないものだった。/不快なアートを否定する人は、ピカソのゲルニカも否定してね。不快の源を考えさせられるのもアートだよ。
「現代アートの鑑賞態度は、人を評価する時にルッキズムじゃなくて内面を評価する態度と似ています。しかもこちらから知ろうとしないと相手の内面がわからない。」と喩えた方が今どきは刺さるのではなかろうか。
なんか、あまりピンとこない説明だな。私は美術は全く詳しくないが「どう見れば良いのか」なんて考える必要はない。そのまま、見ればいいと思う。前提知識を重要視する人とか珍しくないけど、好きにさせろと思う。
何でそんなゴミが「アートです」みたいなツラしてんだ?
ひと目で美しく居心地の良いものは、もう出尽くしちゃってるもんな。でも居心地の悪さに耐えることから始めるのはイヤだ
会田誠展で見た、会田誠が「美少女」という文字(記号)だけでオナニーできるかチャレンジしてる様子の映像作品はよかった
様々に分化して展開する文脈ベースの世界でもあるので、こういうオハナシも、まぁ、出てくる。どう観ればいいのか?含めての参照。 ドアを開けてみるなら大人ならドゥルーズ辺りから読んでみてもいいかもね。
アートってインスピレーションを受けるかどうかがすべてだと思うぞ それを見て何にも思い浮かばない何もしようと思わないならいくら解像度の高い(高そうな)言語で彩られようと空虚だ
現代アートがデュシャンの泉から始まる文脈ゲーであるとすら理解せずなんか高尚な美だと思ってるブクマばかりだな
えー普通に面白いだろ なんだこの説明 / プロフィールの「NFT Creator | Crypto Chart Girl | 2011年から為替・株式相場をテーマに描く」で察した これはおもんない 絵もひどかった
現代アートの括りは、理解してもらうように製作してないアートだと思ってる。理解の為に情報収集や居心地悪さに耐える辛抱が必要って製作で勝負してないし順序が逆なんよ。心が揺さぶられるから背景が知りたくなる。
"文脈も人間関係も共有されていない部外者にとっては、それは「不可解」で「不気味」な光景でしかありません。しかし現代アートの鑑賞とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています。"
岡本太郎の三原則にもあるように、現代アートに限らず芸術の意義というのはそもそも鑑賞者の心地よさにあるものではないよ。
まぁゲージュツのこの側面は現代アートに限らずどの時代のアートにもある。理解にはコンテクストは必要で、例えば16世紀フランドル絵画を「正しく理解」できる人はあまり多くないがブリューゲルに魅入られることは可
何も分からなくても、我慢しなくてもおもしろいのもいっぱいあるよ。気軽に見てみてね。
アートなのに伝える努力をせず、むしろその過程が芸術的でないみたいな扱いをする。ナラティブを共有しない集団に対する表現はアートじゃなくてゴミなんだよな。
"まったく知らない人たちの飲み会の3次会" つまりはてブは現代アート
「居心地の悪さに耐えることが前提」ってなんかわかるしおもしろいな〜。
何年か前松濤美術館の「直接行動の軌跡展」見たあと外に出たら、世界が全部ゲージュツに見えて面白かった/最初の例え話は「参加したら」じゃなくて「飲み屋の隣の席でそういう三次会をやってたら」の方がいいのでは
「まだ専門家の解説・解釈も追いついていないから、自由に見て思ったこと言って、未来に『当時の反応はこうでした』と言われるようなムーブをする」というもんかと思ってた。評価が定まる前にしかできないことをする
それって料理で言えば創作料理っていう事で合っていますか?
商業的に成功すると商業アートで現代アートではなくなるのか?だとすると現代アートって一種の悪口だねえ。/東京藝大の卒業展の作品が流れてきてとても楽しめる……
そもそも芸術は分かる人にだけ分かればいいスタンスだと思ってるから、理解できない人は一生理解できないし何なら軽蔑までしてくるんだよね。
慣れるまで耐えれたら楽しめる、は海外ドラマや吉本新喜劇なんかと構造は同じだと思っている。
なるほど、今のこの「排他的な世の中」や「大人気の高市政権」って現代アートなんだな(んなわけない)
鑑賞方法は人それぞれでいいけど理解するには文脈の勉強が必要ということで結論出てなかったっけ
"まったく知らない人たちの飲み会の3次会"まさに。一生ガムテでバナナ壁に貼って金払って食っててほしい。でもコンテクストが障壁としての機能してるわけでもあるのか…大衆作品作ってんじゃないんだしね
現代アート好きである。私はメタに見る。何でこれにお金が出たのか?何故美術館に飾ってあるのか?キュレーターの意図は?作家の意思は分からなくても解釈や社会性は意外とわかる。お笑いやエンタメと変わらん。
お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな!
3次会の割には大層な美術館でやってるのが意味わからなくて、その状態自体が現代アートなのかと思う。
ブルーピリオドも面白かったのは一年まででそこから先やたらくんの作品がわくわくしないんだよね。。。
古典も現代アートも古美術も、文脈を知ってるかどうかで鑑賞がかなり変わる、ということを『ブルーピリオド』で学び中。まあ、わしら素人は「知らないより知ってる方が、より楽しいよ」程度でよいとは思う。
宗教家に近いなあと思う。胡散臭い。マンガやゲームのほうがよっぽど芸術だよ。
「『もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?』(略)現代アートの鑑賞とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています」成る程、仲間内でキャッキャしてる感がよく表されている。苦手。
この話題面白いね。/YouTubeの考察系動画とか若者が正解を求めたがるとかファスト教養とかAIの要約とか、「解説」と「作品鑑賞に必要なコンテキスト」は、社会状況で変わることを実感してて、関心事。
別に自分が好きなものだけ見てりゃいいと思うけど。何かこう、気の利いたことが言いたい、馬鹿と思われたくないって気持ちが強すぎるのよね。以上、本日のブーメランでした。
“「もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?」と。”嫌すぎる。説明を読んでも嫌すぎるとしか思わなかった。現代アート嫌すぎるな。
伝統的お手製工芸品より大量生産品のほうが美しい場合もあるやん?→"美しい"を因数分解してバラして並べて晒してみよう。→ミリしら一般人「ゴミやん」// 探究って魔術師みたいで楽しそうだよね
つまり、自分の入っているエコーチェンバーとまったく異なるエコーチェンバーに紛れ込んだような感覚だな。AIに架空の作者の生い立ちとか与えて、キャプションも指定して作品を出力させることも可能。模倣性の低い物
それなら現代アートは見なくていいや、となるのだけど。
違和感、異質、不思議、を楽しむジャンルだと思う。現代アートを主に展示する美術館に良く行くけど「よくわからんが凄い」という感覚が楽しい。/アートって一点物だからそれが売れたのを商業っていうのどうかな
「わからない」ってストレスの例えだよね。飲み会のメンツみて即帰るでも良いんだし。
いま大事に飾られているその絵や彫刻も、昔は現代美術だったのです。いろんな作風の作品があるということは、それだけの人が試行錯誤して、淘汰された傑作がいま大事に飾られているのです。
一発当たってるかが全て。バズらなかったら現代アートではない。見方は一つしかない、流行ってるかどうかだ。作者の意図なんて痴漢の言い訳と変わんない。
全く知らん人たちの内輪事情になんとなく詳しくなれって言ってる?そんなゴシップみたいなのが現代アートなのか。この人はそういうくだらない活動をしてるという自己紹介なだけかも知れないけど。
現代アートの型が欲しいだけの権威主義に陥ってるんだろう。芸術理論にも似たものだから発見された理屈は利用されどこにでもあり、かつての現代アート的な理屈の探究者はスマホカメラや生成AIの設計や応用などに居る
なるほど、だから人気ないんだな
居心地の悪い文章だな。まさか…これ自体現代アートだというのか!
そう?最近の展覧会はもっとカジュアルになってると思うけどね。いまどき皆そんなにしかめ面してなくて、気楽に見てる人が増えてる感じするけど。
現代アートを測るモノサシを持ってなかったので、割と真面目にパピヨン本田氏の「美術のビジュえもん」シリーズは現代アートが何をやりたいのかの理解の足がかりになった
現代アートは、きれいや美しいという方向だけに収まらない、なんじゃこりゃとか、おもんないとか、わからんとか、キモとか、ムカつくとか、見た側の感情や感覚が各方向に動かされるまでが鑑賞体験って感じかなあ。
これが現代を名乗るから良くないんだよな。とんちアートとか違和感ゾワゾワアートとか言ってくれたらまあそういうのが好きな人が行けば良いんじゃないの、なんだけど現代だからなあ。
修行僧やん
民間でやる分には三次会ノリでやろうがやるまいが知ったことではない。しかし税金を使うときは説明責任があり、内輪受けのノリではすまされないよ。つまり現代アートは民間でやるしかないんじゃないの
デュシャンとそれ以降の文脈知らないとわからんのは事実かなと
つまり一般人は意味がわからなくて当然ということですね。
現代アートは作者の(世界などへの)解釈やルールが表されていてそれを鑑賞することになるとおもう。ただ昔の宗教画でも印象派の絵画でも作者の解釈があって、それを見ていることに変わりはないとおもうがなあ
《作家の生い立ち、過去作品、そして同時代の作家の作品群や取り巻く空気感》←これら知識が作品解釈の前提になってる時点でジャンルとしてもう終わってるだろ(知ってればより深く味わえるという話ならまだ分かる)
表現的には逆張りもメタもやり尽くされて、それでもまだ新規性があって感情を揺さぶるものを作ろうとすると、新素材や新技術の導入とか逆張りの逆張りとかあえてタブーに踏み込むとかくらいしかない状況が出発点。
現代アートを鑑賞することの比喩としては機能していると思うけれど、この質問ねはどうして知らない三次会にいないといけないか、いると何があるのかに答えないと答えにならないんじゃないかしら
歴史知らなきゃならんのなら現代を名乗らないほうがいいよね
どう見ればいいの?って質問するような人にはこう言う回答でいい気がする。そもそも興味ない人だと思うから。興味ある人は質問せずに自分から見に行く。
ってことは現代アートが好きな人は「まったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加」するのが趣味ってことか…物好き…
なんだ、スナックと同レベルってことか。
大衆と向き合うことからの逃げでアートを名乗ってるやつが大嫌いで、アマチュア小説家が面白くもなんともない文章をダラダラ書いたやつを純文学ジャンルと主張するのに似ている。
全く共感できないのである
いやその通りでしょ。鑑賞者は意図を読み解く苦行を課される。「庶民と違い教養ある俺たち貴族だけが理解できる」がステータスとなり価値が生まれる。
現代アートに限らず、いわゆる芸術と呼ばれるジャンルで1番大事なのは「文脈」なんだよね。行間をどう読ませるか?どう読むか?をこねくり回して楽しむ、暇人(≒貴族)のための娯楽。
へ、そういうものなのかー。トリエンナーレで見たアート作品、これは何を表しているのかな?何を言いたいのかな?を推理するのがおもしろかった。
なろう小説みたいなもん?
キャプションを読むよ。何も説明なしに伝わるだろうとは思わない。写真だって真実は写しても見る人によって受け取り方が違うから正しく伝わるとは限らない。
別になんも考えず適当に見てもいいと思うよ。自分は適当にふらっと展覧会入って好きな作家できたし。文脈なんて後からいくらでも調べられるんだし
「その3次会はどう楽しめばいいの?」ってなるだけだろ。/"女性一人が「私が責任を取ります」とずっと連呼していたら。"一般化を求められているときにこういう要素を入れてどうするのよ
現代美術にも旧来の絵画やオブジェのような文脈で鑑賞できるものもあるけど、ここでの「現代美術」は壁にバナナが張り付けてあるようなタイプの「作品」について言ってるんだと思う。考えずに感性だけで見るのは無理
十和田市現代美術館普通に面白かったし不愉快な気持ちなんて何もなかった。高崎市美術館も面白そうな時にしか行かないけど不愉快に思ったことない。不愉快投げつける当事者は嫌だな。
文脈とか知らんし。目の前にあるそのものを見てどう感じるかっていうのがアートだと思うわー。
文脈ありき&内輪ノリってことかな?「前提知識がなくても良さが分かるのが真の芸術」とは思わないからコンセプトありきの芸術があるのも分かる
内輪ノリが激しい界隈だという話は前からよく聞くので違和感はない。でも自分は自分が興味を感じた作品展には文脈ゼロ知識で見に行ってる。知らんがなである。
「分からない」と「つまらない」と「嫌い」が同じになってない?「分からなさ」を仲間はずれだと思って、そもそも解ろうとせず、解釈の余地を持たずに提案(作品)を見てない?とはよく思う(not for meなら見なくていいが
でも石を眺めるゲームも現代アートであれは別に背景情報とかなくたって現代アートだよね
自分なりの解釈をして理解したつもりになっていい気分になるのが現代アートの楽しみ方。グッゲンハイム美術館の花の犬見てきれいだな~としか思わなかった自分には向いてない。
文脈にのせないアートの領域がもうほとんど残ってないと考えられていて、ご新規さんには受けても身内にはつまらなく映る状況ってことかな。新規さんに沼ってもらうための手段がないと、先細りそう。
現代音楽の不可解さも同様な気はするが、客はもうちょい上品かもな。アートは素人からすぐ貶される。
なら、お金払いたくないから、税金使わないでね、としか
ぱっと見ていいなってならなかった作品はスルーでええんよ。普通の美術館の絵だって打率はいいとこ一割でしょ?残りの九割が「分かるけどつまらない」になるか「全然わからない」になるかの違いにすぎない
そんな狭い現代美術業界での内輪ウケを第一に狙って作品作ってる作家なんて今はほぼ存在しないか、いてもすぐに淘汰されると思うが。。。
何言ってんだ?
現代アートに限らず昔の絵画もどう見ればいいかが大事だよ
この人にとってはそう言う苦行を乗り越えた選ばれしものしかわからないモノという意識があるのだろう。そんなの気にせず見て感じたものがあれば良いんじゃないかな
具体的にどんな作家をイメージしているんだろう。少なくともボイスとかデュシャンはこの例えにあてはまらないような気がしている
この業界の人たち直ぐに人に問いたがるから嫌い
早々に立ち去ろう
何にでもすぐ「税金がー」と噛み付く連中はさもしくて見苦しいのだが現代アートなのか。
現代アートはこれまでの美術の文脈を逸脱して価値を模索してる(その模索が良いか悪いか判断基準はない)ってことで良いと思う。居心地の悪さってこれかな。
この比喩はあまりも自虐的&過小評価しすぎて駄目だと思った。まあでも本当に美しい芸術は見ていて辛い。というのは色んな人が言ってる。
現代アートに限らないが自分に刺さったものだけ受け取って分からんものは分からんでいいと思っていたのだが、こんなあえて火中の栗を拾うようなことせんといかんか。
必死にとか知らんがな。テレビのザッピングでいい。教養番組でもバラエティでも、面白くなければスルー。
内輪ノリの頂点、商業から遠い自己満足の発露ってイメージ
「もしまったく知らない人たちの飲み会の3次会に参加したら?」 そんな飲み会、行くわけないだろ。たとえ話へたすぎ。
わけわからんものを面白がるのが現代アートだと思うよ。あと、狙って作ってるのすごいでしょっていう作者の気持ち。
「断片的な情報を繋ぎ合わせ、必死に状況を解釈しようとする姿勢が求められる」不可解なだけの物にそこまで熱意が湧かないだろうから、不可解以外の何かの魅力があるんだろうけど、それがさっぱりわからない。
うーんつまり敢えて小説とかドラマの物語のジャンルで例えると不条理系とかサイコホラーとかそんな感じなのかな?
この説明自体が作品の一部な感じで、相手に理解させる気がなさそう。
“しかし現代アートの鑑賞とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています。”
世界的有名な作家の作品で本人に選択した素材の意図を聞いた 見た人が理解しろと誤魔化された 言い方変えて何度も質問したが一貫して見た人への投げっぱなし無責任返答で現代アートは胡散臭い なら作家も要らない
全然興味をそそられない説明になってるけど大丈夫そ?
ピンとこないけど、自分が好きなプログレの魅力を他人に説明すると同じようなニュアンスになるのかもやあと思った。正直長いし冗長だしノリ難いし、聴くのかったるいのもあるのよ。でもそれ越えた先にさ…みたいな。
これ漫画音楽文学だろうが楽しんだり理解したりするには相応のリテラシーがいるというだけの話であって現代美術だけが特別だなんて事は全くない。古文が読めないからって「不可解」で「不気味」とか言ったら笑うだろ
しかしラーメン二郎での食事とは、その居心地の悪さに耐えることを前提としています(ry
現代美術って端的に面白いんだよ。娯楽作品ではエッセンス程度にしか摂れない栄養(毒)を高濃度でオブラート無しに摂取でき、実存が脅かされて気持ちいい(悪い)。文脈とか勉強せずとも普通に判るし楽しめるよ。
うまい。それも一つ。なんか味わったことのない感覚に襲われるのもあるかも。
美術っていう日本語もよくないよな。みんな綺麗で正しいものじゃないといけないと思ってる。
縦軸の文脈と横軸の時代性という変数が大量にありそれを学んでいないと理解不能な超ハイコンテクストなものが現代美術。オタク文化を知らない人がいきなりニコニコ動画ランキングを見たようなもん。
落合陽一さんとかかなりわかりやすいと思ったし皆もっとさくっと立ち寄っていいと思う
芸大での人に聞いたら「現代美術は背景にあるストーリーありきだからただ観るだけではわからない」と言っていた。
まあ、いまの日本でわざわざ現代アートやろうなんてのは才能はないけどプライドだけは一丁前の3流の人だけだろうから、根本的に作品として魅力ないしフックがないよね。まさに居酒屋の隣の席レベル。
逆にモネや、同時代の名もなき画家の絵が「分かる」のかと言われると別に分からない。分かった気になるのも危険だと思う。
作品そのものを楽しむのがアートだ!という素朴な意見もあるが、創作物は大抵、意識的にせよ無意識にせよ文脈の上で受容されている。文脈に無頓着な態度のままでどうやって文脈を切り離して作品だけ鑑賞できるんだ?
クソガキでもわかるように作られるアニメじゃないんだから、大人がそのまま見るとか言うなよ恥ずかしい
ここで議論されてるようなものを「現代アート」と呼ぶのがしっくりこない。これからは「前衛アート」と呼ばないか?
パッと見ても楽しいものが多いので、まずは作品を楽しめばいいと思います。ただ前提知識があった方が楽しいのも確かなので、音声解説とかあったらお金を惜しまずに解説を聞いた方がいいとも思います。
外からだと、裸の王様の仕立て屋が所属しているギルド、Bitcoinのアナログ実装に見えるよな。NTFで屋上屋を架してた。/構成員は本気で価値を信じる必要があるし、その価値が外部のそれと共鳴することもあろう。
どう楽しめば良いのか分からないって、アートってそもそも言語化できない良さがあるからアートである意味があるんだろ。「この作品は〇〇という価値があるから凄いんです」と言われないと楽しめないやつって...
かつてのニコニコの「人類には早すぎたシリーズ」みたいなものと思っておけばおk?
コンテクスト高すぎて京都の一見さんお断りの料亭みてぇだな…
まあ確かに、なんだこれは?、なんでこーなった?みたいのが基本にある世界かもしれないし、なんだこれはを深掘りする中に自分や作者との対話が発生するし。
現代アートってアニメで言えばガンダムシリーズみたいなもので、何も知らない人に昨日公開した『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』を見せたとして『そのまま見ればいいと思う』はすこし違うよね?って話だと思う。
現代アートって言ったもん勝ちだと思ってて、何なら俺がかまぼこに爪楊枝刺しても現代アートだと言い張れる
この説明、最大の欠点は「まったく知らない人たちの飲み会の3次会」に参加する事はないという事
いや全然わからん
なんじゃこれと思いながら観る、でいいと思うけどな。なんか好きとか、キモっとか、なんでこれがいいと思ったん?とかでいい。変にポップと線を引かず、ありのままに見て感想を抱けばいい。コスパは後で考えろ。
古典も知識ないと意味は分からんでしょ。/既存の概念の再生産じゃアートとしての価値がなくて、最先端の科学技術、思想をどう盛り込むか勝負みたいな物だから情報を楽しむ人間には面白いかな。
現代アート専門美術館の会員になり、どの地域の美術史的文脈を引き継いでいるか、を手掛かりに作品を言語化し続けて数年経てば一通りのことは言えるようになると思うが。
株式市場と同じで過去の歴史や経緯を踏まえた人と、意図的や偶然にセオリーを無視する人、投機や投資狙い人の駆け引きが合成された結果、部分的にランダムに振る舞うから、一般人の表面的理解はある意味で正しいよな
ハイコンテクストって便利な言葉があるのに ヌルポガみないなもん
現代アートは「問い」である。このアートは何を問いかけているか?を考える。言語化できることは言語的に理解し、できない部分は感覚で捉えて、それを混ぜるイメージ。
内輪ノリとコネで成り立つ業界、宗教みたいなもん。現代美術にお金をかけてる自治体は宗教分離の原則に違反してるよ
いらないものをIKEAで買って、あーやっちまったな、て思う感情が現代アートの部分
ニセ教養お姉さん「美術館は間違った楽しみ方がいいんです!」
「アキレスと亀」を見ると良いw
「王様の事情を知ったうえで「裸の王様」を見るか見ないか」、王だけ生き生きしてるなんて滑稽だわ。
知らない3次会に乱入するのはかなり好きだが、会計には参加しないかな
文脈知らないとなんも分からないのか
現代アートを実践する本人が説明しているのだから説得力があるはずだが、なぜか反抗したくなる。別の芸術家に聞けば別のことをいうだろうなとも思う。
なんでアートをエンタメと同一視するコメントが人気なんだ?興味ないなら興味ないで
流行りの洋楽聴いて、これいいなーと思うかくらいでいいんじゃない?洋楽聴かないならそれもよし、BTSから現代アート入るのもいいし、そんなもんでしょ?
それだけじゃないと思うけどなあ.
居心地の悪さに耐えることが前提なのか
「俺はわかってる」っていう選民意識をいかに刺激するかがこの商売の肝なので万人受けする天才のアートはとりあえず否定するとか。バンクシーとかね。
みんなベロベロに酔っ払ってて訳わかんないし、明日には忘れてる訳だ
わざとわかりにくいこと言って自分たちのやってることを高尚に見せてない?
ゴチャゴチャ説明が必要なものはやっぱりアートとして未完成なんだと思う 現代美術は好きだったけど美術手帖の編集長のアレコレとか見てるともう規模が縮小してエグみ増してない?と思ってしまう
まあ見方の一つではあるだろうな
否定はしないけど、こういうの見て「〇〇だったのか!」とか思考停止でインストールしなくていい。そんな姿勢はアートじゃない。
現代アートを見ると「もっと普通に綺麗なものを作ってよ」と思ってしまう。「まったく知らない人たちの飲み会の3次会」が現代アートってことなら「全く興味ないし関わり合いたくない」と思うのが普通ってことだな。
落書きとの区別がつかないが。我が子の作品が唯一無二の価値がある、とするならそれを果てしなく一般的に価値があるようにプロデュースされていったものに対して他人的価値観でわからんと思ってる。
出オチ上等初球フルスイング。当たれば先頭打者満塁ホームラン、外せばスタンドの観客にバット直撃。違和感とか居心地の悪さが突き抜けてないとキャプション頼りのガラクタ自慰。
これを読んで、現代アート見てみよう!って思わないのは確か。
学問としての芸術は何かしら未踏の研究なんだから、素人にワケわかんないのは仕方ないし、商業的にウケるかはあまり関係がない。私が責任を取ります連呼の凄まじさは問題意識が共有できてれば素人にも伝わったろう。
捉え方でやったほうがいいと思う 「これ体験してどう思ったか」ほどの重いもんでもなく「気づいたこと」の感想も分からないならまず自分が好きな物惹かれる物がどうしてそうなのかの内面化が出来てない
引用した人と引用された人どちらの意見にもあまりピンとこなかった コンテクストが大事なのは別に現代アートに限った話じゃないし、全ての現代アートを理解する必要もない 唯一解を求めすぎでは
それもまたアート……