これまでリアルの知人男性にいろんな例で試みてみても、この「女性の立場に自分を置き換えてみる」って感覚もてる男性は本当にいなかった(あるいは分からないふりかも)ので、非常に貴重。
逆に男の休日はないのだろうか
勉強になったけど、身体が女性のレズビアンだけで集まりたいという当事者の願いと必要があったときに、妨害するトランス活動家などをフェミニストは支持してるわけで。白ける。
正直でいいんじゃないだろうか。映画見てみたい。このストライキが「女性の休日」という素敵な命名であったこと。読んでうらやましさは分断より連帯に繋がったこと。現代は何かにつけて人々の結び目がほどけていく
アイスランドで1975年に起きた女性による一斉ストライキ(「女性の休日(Woman's Day Off)」と呼ばれる)を描いたアメリカ人監督によるドキュメンタリー映画
アイスランドの人口が少ないとはいえSNSもない時代に9割の女性が参加したというのは凄い。ジェンダーギャップ指数16年連続で世界一なのも、やはり闘って勝ち取ってきた歴史があるのだな。
「身の置き場がない」と思ったことをさらに深掘りして性別を反転して考えるのはすごいな。自分だったら単に思うだけで終わりそう
アサーションが広まった時代が1970年代らしいので、そういうのも関係しているのかな?地元でも今月末から上映のようなので見に行きたい。
オフィス用家具は男性の背丈に合わせた標準規格だ、ということにコロナ禍に在宅勤務環境整えようとして気づいた。可動式椅子は1番下まで下げても地面に足つかないし、机は高すぎる。
ピュアな感情を文書化できるライターはなかなかいないので貴重
この前TVで見たのとすごく似てると思ったらこの映画を短縮版でやってたらしい( https://www.web.nhk/tv/an/wdoc/pl/series-tep-88Z7X45XZY/ep/YM1GKKQ8JV / https://eiga.com/news/20250529/6/ )
"「うらやましい」と「身の置き場がない」"
「身の置き所がない」で男性多数の取締役会を、要らない化粧品サンプルからスマホの大きさに想像が及ぶの、ありがたいな。こういうの、こちら側から主張しても「なんかキーキー言ってるわw」と言われがちだもの。
男女平等が徹底されるフェミニズム先進国のアイスランドを含む北欧では、専業主婦が充実した社会保障にたかる無能で怠惰なクズニート扱いされます。専業主婦は移民よりも嫌われます。日本も早くそうなるといいですね
NHKでちらっとこの話を観た。アンフェや排外主義に転用されてる件も含めて、あるべき対偶を考察できてて素晴らしい。/「戦えることがうらやましい」なら、僕らはいつでも自分らの人権のために戦えるはず。
この「不適切な感情」についてはおそらく男性学が専門に引き受けるフィールド。自明かのように扱われながら実はどこにも明文化されていない「男らしさ」への抵抗が一種のアンチフェミニズムのような気もする。
ラディカルフェミニストに嫌悪感を持っている自分もこの映画を見て批判したいかも/結局社会のいいとこ取りは出来ないんだよ
子どもができたらぜひ父親には3ヶ月児健診に行ってほしい(子どもと2人で)。99%母親でまさに「身の置き場がない」感覚を味わえるよ!というのも都内の10年前の話。今は変わったかなあ…
なるほど、と思いつつ、反省のポーズの裏で深い所で批判をしている記事という深読みもしてしまう。実際上映会はどちらの性も「身の置き場がない」と感じない様な場を作り出せ無かったと言ってるとも解釈出来るので
もちろん男性労働者にだって団結して楯突いて戦うべきものはいっぱいある。でも、そんな光景がちっともリアルに感じられないんだろう。わかるよ。わかるけど、打破するには自分が行動するしかないんだ
面白そう
“「隠されたうらやましさ」”
“郵便であらゆる場所に参加の呼びかけを送るという「地道な事務」が大きな力を発揮した” /後段の、身の置き所なさを感じたのは、そのまま女性の感じている疎外感に似てるという視点
「現在でもジェンダー間の不平等が残っているという現実を考えれば、「戦えることがうらやましい」などという男性による感想は呑気もいいところ、その意味で不適切」育児いいなぁと言われた時に思った、じゃあやれ
(試写会場は明記されていないが)シアターイメージフォーラムに行くのにラブホテル街通るか?
言うてその化粧品、あなたも使ってもええんやで。/男性からのこう言う正直な感想は女の私からもありがたい。社会構造に呑まれて生きる上で私も麻痺してるとこあるし男性とどう話し合っていくかのキーにもなる
ひどいカルト、
ストライキは遠くなりにけり
「正しいとされる役割が欲しい」「身の置き所が欲しい」これは両刃の剣でね、オウムとかああいう活動/所属したがるのも根本はこの人類みなが持ってる本来は健全な「承認欲求」「所属欲求」なんだよね。
タイトルからは「女の平和」みたいな話かと思った。まあ類似点もある
アイスランドってえらい先進的というか世界初の議会が行われたんじゃなかったっけ/夫はそういう思考実験よくやるよ男よりデカい存在がいたらって。まあ映画のエイリアンの影響なんだけど
この人はあえて居心地の悪い状態になるのを想定して見に行っていると思うのですごい。自分なら配信とかで見てしまうと思うが、こういう場で見る意味もありそうと考えてしまった。
映画見たいな。イメージフォーラムか。渋谷かぁ…
「別の」男性としては特に共感するところはなかった。思考過程は理解できるが。うらやましいと思う人もいるだろうな、と。女性を劣位に置いた理由とは無関係な人なので女性がたくさんいるなとしか思わない
おもしろそう。マイノリティにとって権利獲得は闘争
なるほどね『たとえば、男性がほとんどの会社の部署で「女性ならではの視点」を求められる女性は、こんな気分なのかもしれない』
この程度の感想は、子供繋がりで主婦たちに混じって会話したらすぐ出てくるものなので、子持ちらしいこの編集者があんまり子育てに絡んでこなかったんだろうと思う
しかしこうした考えができる日本人男性はおそらく数%もいないんだろうなと。そもそもこの映画を観に行く男性自体ほとんどいないだろうが。
弱者男性はまた違った感想を抱きそうだが。
馬鹿げた話だ
「僕は、女性の立場に自分を置き換えてみるという感覚がもてるよ」と主張する男性を信用出来るのだろうか?/「ある程度は置き換えられるが、本当の感覚とは違うんだろうな」という人の方がまともな気がするが
悦に入ってるところついでやけど、 西成の救霊会館でやってる炊き出しにでも参加して労働者用の宿に泊まればまた違った居心地の悪さは感じられると思うで そこでひと月くらいタイミーで生活すればバッチリやな
やりたい人は同様のことをやってもいいのではないかな。日本でもかつては労働者のストライキはさかんにあって、電車が止まったりしていた。
イメージフォーラムは上映劇場。渋谷で試写会だと映画美学校かな。
男性にも長時間労働や寿命の問題、国によっては徴兵や戦死など明確な問題がいくらでもあります。中には女性の権利と対立するものもあると思いますが、少なくともこれらは対立しません。卑屈になりすぎだと思います
良い経験をしておられる。労働運動なんかは男性でもできる戦いだよね。
確かに羨ましい。平日は仕事、家事、育児、休日は家事、育児、家族サービスをこなす現代の父親母親にも完全休養日が欲しい。
他人のことを思い量りはしつつ、アウトプットとしては自分の目線からの言葉を大事にしましょ
男性、ドンマイにゃ!ボクも可愛い女の子と映画行きたいにゃ~!
スマートフォンのサイズは男性の手のひらに合わせている、という感覚は面白いなと思った。現実は機能に合わせたフォームファクタの都合でしかないのだが、この人が持つバイアスがそう感じさせたのかもしれない。
だからこそ為政者は不満分子を連帯させないよう分断工作を図るわけで。/身の置き所のなさは、共学校の吹奏楽部や美術部、あるいは商業高校や美大音大、保育士看護師業界に行けば男性も経験できるので是非。
つどうことの大切さ→徒党を組まれることの危険性と支配者目線のワードを連想して、面白い/個人的にはマイノリティ(弱者)側にとって辛いのは、その存在を無視される事だと右利き中心の世の中見る時に感じる
これも程度の問題だったりするんよなー。結局のところ政治活動はバックラッシュとしてヘイトが生まれるので。最後は戦争ですけど、それしますか?って話でもある。中道を取り込むゲーム。
読んでみて、ふむ、なるほど、と思ったけど。"「うらやましい」 そして、 「身の置き所がない」 というものです。"この二つの感想、どちらも別に「不適切」ではなくない?
男性同士で連帯しようとすると「男性差別などない」「弱者男性は自己責任」などの冷や水を浴びせる冷笑家が出てくるんだよな。
“この「隠されたうらやましさ」を男性自身が深く自省することは、社会が女性の権利獲得を一歩前に進めるうえで重要な意味があるように感じています。”
役割を休み、戦った人たちの話
カルトにハマっていく過程を実況されている感覚。原罪を受け入れ自己否定の苦しみを乗り越えて深く帰依せよ的な。どんな宗教も理想は崇高だし汲むべき点は多々あるものだが、他罰のツールになれば害悪。
映画館行ってないのにめちゃくちゃ見た記憶があると思ったら去年BS世界のドキュメンタリーでやってたやつだわ。
男性のジェンダー問題もあるのは承知してるんで、解決したかったらネットでふぁーふぁー言ってないでデモなりボランティアなりするしかないよと、ちょっと子ども教育支援してるおばちゃんは思います。
逆に男性は「男性」という特性では集えないこともあり自分達の権利のために立ち上がるということが難しいのだろうなと思っている。いずれ男女の垣根なくルールを決める側に立ち向かっていく波が大きくなればいいな
『ほとんどのメンバーが男性の取締役会で、唯一の女性取締役が抱くのはこんな感覚なのかもしれない』『男性がほとんどの会社の部署で「女性ならではの視点」を求められる女性は、こんな気分なのかもしれない』
1975年って日本じゃ国鉄やら工場やら色んなところでストライキやってた時代じゃん。男も女も労働者は戦ってましたよ。今じゃ待遇改善の結果か労組つぶしの結果か知らんがめっきり減ったけど、性差の話じゃあない。
NHKドキュランドへようこそで見たドキュメンタリーとおんなじだった。あれもとは映画なのね。
90%参加って怖すぎだよな。同調圧力強すぎだろ/これは逆に、女性がろくな仕事をしてなかったから出来ることでもある。男か同じ事をすると、インフラも警察も消防も止まって社会が壊れる
ラブホ街通る映画館ってユーロスペースじゃないの →調べたらユーロスペースと同じビルの映画美学校で試写やってた
更に本編に関係ないこと言うと↓FRaU主催試写はイメージフォーラム(宮益坂)じゃなくて映画美学校試写室(ユーロの地下=円山町ど真ん中)なのでラブホ街通る https://gendai.media/articles/-/158273?page=2
“映画『女性の休日』(2025)は、アイスランドで女性の一斉ストライキWoman's Day Off(1975)をアメリカ監督が描いた。女性の権利獲得の過激な団体は赤いストッキングを目印。社会規範からは外れ気味なカッコよさが連帯の”
『この「隠されたうらやましさ」を男性自身が深く自省することは、社会が女性の権利獲得を一歩前に進めるうえで重要な意味があるように』「男性の権利獲得」とつながるかと思ったらそうでもなかった
キッチンの高さは女性向け寄りで、家でもレンタルキッチンでも長時間包丁持って皮向いてると腰痛くなるので「男性の立場に自分を置き換えてみる」って感覚にも少しは思い当ってほしいブコメがある
いうて普通にもっかい労働者団結せな男女関係なく死ぞ
9割女性客の中で映画『女性の休日』を見て35歳男性が抱いた「不適切な感情」とその理由
これまでリアルの知人男性にいろんな例で試みてみても、この「女性の立場に自分を置き換えてみる」って感覚もてる男性は本当にいなかった(あるいは分からないふりかも)ので、非常に貴重。
逆に男の休日はないのだろうか
勉強になったけど、身体が女性のレズビアンだけで集まりたいという当事者の願いと必要があったときに、妨害するトランス活動家などをフェミニストは支持してるわけで。白ける。
正直でいいんじゃないだろうか。映画見てみたい。このストライキが「女性の休日」という素敵な命名であったこと。読んでうらやましさは分断より連帯に繋がったこと。現代は何かにつけて人々の結び目がほどけていく
アイスランドで1975年に起きた女性による一斉ストライキ(「女性の休日(Woman's Day Off)」と呼ばれる)を描いたアメリカ人監督によるドキュメンタリー映画
アイスランドの人口が少ないとはいえSNSもない時代に9割の女性が参加したというのは凄い。ジェンダーギャップ指数16年連続で世界一なのも、やはり闘って勝ち取ってきた歴史があるのだな。
「身の置き場がない」と思ったことをさらに深掘りして性別を反転して考えるのはすごいな。自分だったら単に思うだけで終わりそう
アサーションが広まった時代が1970年代らしいので、そういうのも関係しているのかな?地元でも今月末から上映のようなので見に行きたい。
オフィス用家具は男性の背丈に合わせた標準規格だ、ということにコロナ禍に在宅勤務環境整えようとして気づいた。可動式椅子は1番下まで下げても地面に足つかないし、机は高すぎる。
ピュアな感情を文書化できるライターはなかなかいないので貴重
この前TVで見たのとすごく似てると思ったらこの映画を短縮版でやってたらしい( https://www.web.nhk/tv/an/wdoc/pl/series-tep-88Z7X45XZY/ep/YM1GKKQ8JV / https://eiga.com/news/20250529/6/ )
"「うらやましい」と「身の置き場がない」"
「身の置き所がない」で男性多数の取締役会を、要らない化粧品サンプルからスマホの大きさに想像が及ぶの、ありがたいな。こういうの、こちら側から主張しても「なんかキーキー言ってるわw」と言われがちだもの。
男女平等が徹底されるフェミニズム先進国のアイスランドを含む北欧では、専業主婦が充実した社会保障にたかる無能で怠惰なクズニート扱いされます。専業主婦は移民よりも嫌われます。日本も早くそうなるといいですね
NHKでちらっとこの話を観た。アンフェや排外主義に転用されてる件も含めて、あるべき対偶を考察できてて素晴らしい。/「戦えることがうらやましい」なら、僕らはいつでも自分らの人権のために戦えるはず。
この「不適切な感情」についてはおそらく男性学が専門に引き受けるフィールド。自明かのように扱われながら実はどこにも明文化されていない「男らしさ」への抵抗が一種のアンチフェミニズムのような気もする。
ラディカルフェミニストに嫌悪感を持っている自分もこの映画を見て批判したいかも/結局社会のいいとこ取りは出来ないんだよ
子どもができたらぜひ父親には3ヶ月児健診に行ってほしい(子どもと2人で)。99%母親でまさに「身の置き場がない」感覚を味わえるよ!というのも都内の10年前の話。今は変わったかなあ…
なるほど、と思いつつ、反省のポーズの裏で深い所で批判をしている記事という深読みもしてしまう。実際上映会はどちらの性も「身の置き場がない」と感じない様な場を作り出せ無かったと言ってるとも解釈出来るので
もちろん男性労働者にだって団結して楯突いて戦うべきものはいっぱいある。でも、そんな光景がちっともリアルに感じられないんだろう。わかるよ。わかるけど、打破するには自分が行動するしかないんだ
面白そう
“「隠されたうらやましさ」”
“郵便であらゆる場所に参加の呼びかけを送るという「地道な事務」が大きな力を発揮した” /後段の、身の置き所なさを感じたのは、そのまま女性の感じている疎外感に似てるという視点
「現在でもジェンダー間の不平等が残っているという現実を考えれば、「戦えることがうらやましい」などという男性による感想は呑気もいいところ、その意味で不適切」育児いいなぁと言われた時に思った、じゃあやれ
(試写会場は明記されていないが)シアターイメージフォーラムに行くのにラブホテル街通るか?
言うてその化粧品、あなたも使ってもええんやで。/男性からのこう言う正直な感想は女の私からもありがたい。社会構造に呑まれて生きる上で私も麻痺してるとこあるし男性とどう話し合っていくかのキーにもなる
ひどいカルト、
ストライキは遠くなりにけり
「正しいとされる役割が欲しい」「身の置き所が欲しい」これは両刃の剣でね、オウムとかああいう活動/所属したがるのも根本はこの人類みなが持ってる本来は健全な「承認欲求」「所属欲求」なんだよね。
タイトルからは「女の平和」みたいな話かと思った。まあ類似点もある
アイスランドってえらい先進的というか世界初の議会が行われたんじゃなかったっけ/夫はそういう思考実験よくやるよ男よりデカい存在がいたらって。まあ映画のエイリアンの影響なんだけど
この人はあえて居心地の悪い状態になるのを想定して見に行っていると思うのですごい。自分なら配信とかで見てしまうと思うが、こういう場で見る意味もありそうと考えてしまった。
映画見たいな。イメージフォーラムか。渋谷かぁ…
「別の」男性としては特に共感するところはなかった。思考過程は理解できるが。うらやましいと思う人もいるだろうな、と。女性を劣位に置いた理由とは無関係な人なので女性がたくさんいるなとしか思わない
おもしろそう。マイノリティにとって権利獲得は闘争
なるほどね『たとえば、男性がほとんどの会社の部署で「女性ならではの視点」を求められる女性は、こんな気分なのかもしれない』
この程度の感想は、子供繋がりで主婦たちに混じって会話したらすぐ出てくるものなので、子持ちらしいこの編集者があんまり子育てに絡んでこなかったんだろうと思う
しかしこうした考えができる日本人男性はおそらく数%もいないんだろうなと。そもそもこの映画を観に行く男性自体ほとんどいないだろうが。
弱者男性はまた違った感想を抱きそうだが。
馬鹿げた話だ
「僕は、女性の立場に自分を置き換えてみるという感覚がもてるよ」と主張する男性を信用出来るのだろうか?/「ある程度は置き換えられるが、本当の感覚とは違うんだろうな」という人の方がまともな気がするが
悦に入ってるところついでやけど、 西成の救霊会館でやってる炊き出しにでも参加して労働者用の宿に泊まればまた違った居心地の悪さは感じられると思うで そこでひと月くらいタイミーで生活すればバッチリやな
やりたい人は同様のことをやってもいいのではないかな。日本でもかつては労働者のストライキはさかんにあって、電車が止まったりしていた。
イメージフォーラムは上映劇場。渋谷で試写会だと映画美学校かな。
男性にも長時間労働や寿命の問題、国によっては徴兵や戦死など明確な問題がいくらでもあります。中には女性の権利と対立するものもあると思いますが、少なくともこれらは対立しません。卑屈になりすぎだと思います
良い経験をしておられる。労働運動なんかは男性でもできる戦いだよね。
確かに羨ましい。平日は仕事、家事、育児、休日は家事、育児、家族サービスをこなす現代の父親母親にも完全休養日が欲しい。
他人のことを思い量りはしつつ、アウトプットとしては自分の目線からの言葉を大事にしましょ
男性、ドンマイにゃ!ボクも可愛い女の子と映画行きたいにゃ~!
スマートフォンのサイズは男性の手のひらに合わせている、という感覚は面白いなと思った。現実は機能に合わせたフォームファクタの都合でしかないのだが、この人が持つバイアスがそう感じさせたのかもしれない。
だからこそ為政者は不満分子を連帯させないよう分断工作を図るわけで。/身の置き所のなさは、共学校の吹奏楽部や美術部、あるいは商業高校や美大音大、保育士看護師業界に行けば男性も経験できるので是非。
つどうことの大切さ→徒党を組まれることの危険性と支配者目線のワードを連想して、面白い/個人的にはマイノリティ(弱者)側にとって辛いのは、その存在を無視される事だと右利き中心の世の中見る時に感じる
これも程度の問題だったりするんよなー。結局のところ政治活動はバックラッシュとしてヘイトが生まれるので。最後は戦争ですけど、それしますか?って話でもある。中道を取り込むゲーム。
読んでみて、ふむ、なるほど、と思ったけど。"「うらやましい」 そして、 「身の置き所がない」 というものです。"この二つの感想、どちらも別に「不適切」ではなくない?
男性同士で連帯しようとすると「男性差別などない」「弱者男性は自己責任」などの冷や水を浴びせる冷笑家が出てくるんだよな。
“この「隠されたうらやましさ」を男性自身が深く自省することは、社会が女性の権利獲得を一歩前に進めるうえで重要な意味があるように感じています。”
役割を休み、戦った人たちの話
カルトにハマっていく過程を実況されている感覚。原罪を受け入れ自己否定の苦しみを乗り越えて深く帰依せよ的な。どんな宗教も理想は崇高だし汲むべき点は多々あるものだが、他罰のツールになれば害悪。
映画館行ってないのにめちゃくちゃ見た記憶があると思ったら去年BS世界のドキュメンタリーでやってたやつだわ。
男性のジェンダー問題もあるのは承知してるんで、解決したかったらネットでふぁーふぁー言ってないでデモなりボランティアなりするしかないよと、ちょっと子ども教育支援してるおばちゃんは思います。
逆に男性は「男性」という特性では集えないこともあり自分達の権利のために立ち上がるということが難しいのだろうなと思っている。いずれ男女の垣根なくルールを決める側に立ち向かっていく波が大きくなればいいな
『ほとんどのメンバーが男性の取締役会で、唯一の女性取締役が抱くのはこんな感覚なのかもしれない』『男性がほとんどの会社の部署で「女性ならではの視点」を求められる女性は、こんな気分なのかもしれない』
1975年って日本じゃ国鉄やら工場やら色んなところでストライキやってた時代じゃん。男も女も労働者は戦ってましたよ。今じゃ待遇改善の結果か労組つぶしの結果か知らんがめっきり減ったけど、性差の話じゃあない。
NHKドキュランドへようこそで見たドキュメンタリーとおんなじだった。あれもとは映画なのね。
90%参加って怖すぎだよな。同調圧力強すぎだろ/これは逆に、女性がろくな仕事をしてなかったから出来ることでもある。男か同じ事をすると、インフラも警察も消防も止まって社会が壊れる
ラブホ街通る映画館ってユーロスペースじゃないの →調べたらユーロスペースと同じビルの映画美学校で試写やってた
更に本編に関係ないこと言うと↓FRaU主催試写はイメージフォーラム(宮益坂)じゃなくて映画美学校試写室(ユーロの地下=円山町ど真ん中)なのでラブホ街通る https://gendai.media/articles/-/158273?page=2
“映画『女性の休日』(2025)は、アイスランドで女性の一斉ストライキWoman's Day Off(1975)をアメリカ監督が描いた。女性の権利獲得の過激な団体は赤いストッキングを目印。社会規範からは外れ気味なカッコよさが連帯の”
『この「隠されたうらやましさ」を男性自身が深く自省することは、社会が女性の権利獲得を一歩前に進めるうえで重要な意味があるように』「男性の権利獲得」とつながるかと思ったらそうでもなかった
キッチンの高さは女性向け寄りで、家でもレンタルキッチンでも長時間包丁持って皮向いてると腰痛くなるので「男性の立場に自分を置き換えてみる」って感覚にも少しは思い当ってほしいブコメがある
いうて普通にもっかい労働者団結せな男女関係なく死ぞ