「魔女子さーん!」とか言ってウザ絡みしてくるように見えてた都会の男子が、大人になって見ると、絡んできたのがいい子で良かったねえ……みたいになるのは事実。
原作ノイズ案件か?(違
落ち込んだりもしたけれど私は元気です
甘やかされてたっけ?都内の女の子が独り立ちしても同じようになると思う。
女性の自力の物語なら、「理解ある彼氏」はノイズだな。/当然、そんなわけないので、男女関係なく助け合った方が良い。
魔女宅がおもしろいの、あの牧歌的な町が、都会に出るフォーマットの都会の側で描かれてることだと思う。
作品を見た感想はそれぞれでいいのだけれど、バズ狙い構文に落とし込まれたやつに関しては、なんかこう適当なこと言うなやって気持ちになりますね。
都内?
ちょうど昨日あのおばあちゃんについて考えてたんだけど。たまに会う分には人当たりが良くていいんだけど、あの教師的で押し付けのある感じは確かにうんざりもするだろうなって。/自覚なしの自己主張というか
所属するコミュニティとしての大学も会社もなく、住む家もない状態で見知らぬ街に突っ込むハードモードな話。
都会に揉まれると考えたら出てくる人間がいい人すぎるような…
聞けば聞くほど外国人に熱を入れる前の鈴木敏夫プロデューサーが如何に有能だったか知れるな。パヤオの思想を上手く汲んでやるのは本当に疲れる事だもんな。よくやってたよ、昔は。
自分ち、母親がうっすら毒親だったんで、子供の頃から魔女宅大好きだった。こうやれば家から出ても生活できるんだと刷り込まれたし、実際上京したら実家より社会の方が良い人ばかりで感動したよ
甘やかされてたのかあれはという意見。田舎で身につけたスキルで問題を解決してたりもしますし。
魔女の宅急便の原作小説は、キキのこどもたちが主役になってからが重い。キキが光属性なら、こどもたちは闇属性なのである。
都会には意地の悪い人間がいるとかいうステレオタイプの偏見は何なんだ。/人口が桁違いだから稀にヤベぇ奴がいるだけで、圧倒的多数は普通の人だよ。だからいただき女子マニュアルなんてものが成立する。
キキの実家が田舎と認識したことなかった。
違うだろ。あの街を東京モチーフと捉える根拠はないでしょ。どの時代でもどの土地でもある、街に1人で出ての成長が描かれているだけで。
どうでもいい話だけど、舞台は日本じゃない認識だったのに急に東京都が出てきて頭が一瞬混乱した→「都内で揉まれて」/まぁ「都会」よね、きっと。
大人になったいま優しさに包まれたならが異常に響くから、この作品を子供の頃に見ておいてよかったなとおもう
トンボを「理解ある彼氏」扱いするのはかなり無理があるような。キキというより魔女の能力に興味があったところがスタートだし、キキの悩みは成長段階で経験するもので常に困難を抱えてるわけじゃないし
『「これから新生活始める」感めっちゃ好き』全く解ってない感めっちゃ好き
原作の方はどんな話だっけ?
いつ見ても発見があって楽しい。デッキブラシ貸したおじさんが、現代なら100人くらい現れそう
あの世界が魔女という存在に対してどういうスタンスなのかが全然説明されないので、何のメタファーなのかとか誰にもわかんないでしょ
グローイングアップものの王道だよね。故郷→都会は若者特有の「世界の広がり」を表してるんだと思ってる。
青少年の成長譚ってだけなのに
「わかる!」って言いながらいまいち話が噛み合ってない(けど誰も気にしない)のがツイッターであることだなあ(感想)
トンボがめっちゃ嫌いなタイプなんよ。だからあんま見る気しない。
高山みなみが主人公と友達2役してるって後から知った時、信じられなかった思い出
田舎で甘やかされて育ったんじゃなくてのびのび育っただけ。
ラッキーな女の子の話よね。都会に出て助けられることもあるだろうけど、騙されたりもっと酷い目にあうことも多いと思う。
田舎か都会かは関係ないと思うけどな
都会じゃなくて都内限定なんだ…何区?
「主題歌はちょっと怖い不倫の歌だし」??「ルージュの伝言」は義実家にかけこんで彼のママに浮気を叱ってもらうわ、という歌ですよ。原作者の角野栄子さんは90歳で現役。ちいさなおばけアッチコッチソッチ等多作。
田舎と都会という括りより、ホームタウンを離れて自立する10代の話だと感じていた。子供のままではいられない、完全に大人ではない中途半端な自分を、なんとかどうにか、デッキブラシのホウキみたいに乗りこなす
実娘がキキの歳に近づくにつれて、13歳を高い高いしてぶん回すお父さん凄すぎるぞ、となる。
これの真逆が「おもひでぽろぽろ」です。
いや,過密になる程, 相手との縁の量が減るから, 「都会の方がいじわる遭遇しやすい」で正しい. 人口1000人の村だと全員知り合い,都雇圏80万人なら同胞. 知人でない♀相手のstalker殺人も都雇圏250万人以上でしか起こって
あれ男女関係なく、社会に出てボコボコにされて、絶不調に陥ってもどうしてもやらないといけない、みたいな状況で頑張って評価されるっていう、社会人になってからの方がグッと来るんだよね。
トンボがヤリ目の半グレじゃなくて良かった。
あの映画の中で、トンボって空気というか狂言回しだよねえ。
すぐに、人のこと甘やかされてるっていう人、パワハラ属性強そうで苦手です。
それ以外にどのような見方が……?
ジブリ版のトンボは、悪いやつじゃないけどウザい。友達もチャラいし。10代なんてあんなもんかもしれないけど、キャラデザが違ったら観客にかなり嫌われてたのでは(ウザさがメガネで中和されてるとこはあると思う)
おちんこ出たりもするくらい、あそこはげんきです。
この作品ができた経緯として「鈴木敏夫が娘のために作った」という面があるため、どちらかというと、子どもの成長はこうあってほしい…という親目線の映画。
原作厨なので「ジブリ版」と明記されてないとモヤモヤします。原作のあらすじ書きました(過去記事 https://www.secret-base.org/entry/2018/01/07/080000
“子供の頃からあの主人公が何となく嫌で、やたら自己評価高い田舎娘の話がイラつく原因だったんだと”
19歳くらいで留学中に映画観た時、ものすごいシンクロして大好きな映画になった
昔なんとなく見てた作品を時間経ってから見返すと、新たな発見がたくさんあったりするよね。
あの映画の想定客はOLだったから。
今や固定電話を持たない世帯も増えつつあり、「電話を引こうと思ってる」というシーンを説明なしに理解できる世代は減っていく一方なのだろうな
押井守の「宮崎監督はそういう未熟な女の子が好きじゃ無いので(ナウシカとか最初から完璧な子が好み)、年頃の娘を持つ父親だったプロデューサー鈴木敏夫さんが誘導した結果」という解釈はなるほど。。
君ね、そこで都会って言っちゃうところがダメなんだよ。都会ではなく社会なんだ。そもそも社会というのは(以下、エプロンひげおじさんの説教が延々つづく)
めちゃくちゃマイルドな新世紀エヴァンゲリオン
リアルだと家出少女になってしまうので悪い人の食い物になっちゃうんだのよね。学歴も職もなしに才能だけで都会に出るっていうとかけだしアイドルとかそういうのか
ラストシーンでキキはジジと会話するシーンが必要だったといまだに思っている
※ ただし稀少な能力とそれを活かす教育を受けてるケースだからだいぶ恵まれてはいる
「キキのお母さんやニシンのパイのおばあさんが社会から排除されてる」というポストにけっこういいねがついてて驚く。キキのお母さんは薬を買いに来る人がいるし、おばあさんは裕福そうだし全然排除されてる印象ない
ジブリは大人と子供の世界のギャップが詰まってる
魔女宅のトンボとエヴァのケンスケってなんか似てるなとふと思った。ビジュアルもそうだけど首突っ込みたがる性格とかも。
“キキが「わたしは魔女です!」言うて警察が「魔女でも違反は違反だ!」と返す”←そういえば、あんずちゃんも無免許運転で捕まってたわ。
私は冒頭のお父さんがキキを抱っこするシーンで泣いてしまう。キキを持ち上げられなくて、抱き方を変えるところで泣けてしまう。
自分=宮崎駿の持ってる特殊な才能が時代遅れになっていく不安を描いているともとれる。旅に出て早々に箒で飛ぶキキを飛行機が颯爽と追い抜いてくし、都会では誰も魔法を必要としていない…。せいぜい占いくらい
マグカップ選んでるシーンが好き。熱出したり飛べなくなる辺りは本当にしんどい
都内(笑。「田舎の女の子」や「都内で揉まれて」って言葉に反応する人が多いか。世代だろう。『他人を見下す若者たち』が話題になったのは19年前 https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000147287 当時の「若者」か。
キキちゃん、都会で大変だったんだにゃ…ボクも初めてのお家で迷子になった時、不安でいっぱいだったにゃ。ジジのグチはボクの本音かも?ふふ、共感しちゃうにゃ!
子を持ち親目線になってしまったので、冒頭の旅立ちのシーンだけでうぅぅとなってしまう。街に着いたあとの人々の冷ややかな対応にも今まで以上にダメージを受けてしまう。
この程度を言語化できない奴は普段何喋ってるんだ
「あたしこのパイ嫌いなのよね」子供の頃→何こいつムカつく!今→何こいつムカつく!
ヤマトに就職した人の話やないんか
まあもとの監督は片渕須直やけども
田舎、都会という部分は家庭、社会ぐらいかな。
最近中高生くらいが主人公のお話みると、親目線で見ちゃう自分がいる。
まとめとは関係ないけど宮崎作品の「キラキラ輝いていた世界が突然魅力を失う」という画が好き。トンボと飛行船を見に行った帰り。メイとさつきが喧嘩したあととかパズーがシータと別れてとぼとぼ帰るあたりとか
“ホームステイ先も決まってないのに年頃の娘をいきなり大都会に放り込む魔女の修行、あまりにも蛮勇がすぎない? 年間何人も行方不明になってそう。”
宮崎作品は「紅」以前と「もののけ」以降に分けられる
「大人になって『魔女の宅急便』を見ると」 子供の頃は何が見えていたのかを示さないと違いが見えない。
この作品から鈴木敏夫がだいぶ前面に出てきた。ちなみに原作者はアニメ映画について否定はしないけど、自分の原作から変わってることは度々言及しているね https://www.oricon.co.jp/special/66472/
別に都会に行く必要はないので田舎に行く子もいるのでは。キキは陽キャなんだと思う。あとトンボはうぜーやつと思ってたけどめっちゃボンボンでただのいい子だった
都会の女は一生都会から出てこないから全然違うよ
"両親に甘やかされて育ち、「自分は何か特別な存在なのかもしれない。みんな私を見てくれてる。がんばるぞー!」っていう10代特有の怖いものなしな自意識が都会と現実を前にボコボコにされて再起する過程が丁寧に描"
中学生で観たけどあんまり刺さらなかった記憶
そう考えるとトンボとの関係がおもろいな。「魔女子さん」ってちょっかいかけてくるトンボに「ワスのこと田舎者だと思ってバカにしで」ってノリから徐々にデレていってる。トンボが悪かったら典型的な堕落パターン。
エンディングの曲「優しさに包まれたなら」の歌い出し、「小さい頃は神様がいて」なんだよ。
悪い大人に騙されなくて良かったね感。ある程度工業が発達した時代・地域で荒くれに捕まらなくて何より。
宮崎駿が角野栄子の原作そっちのけでノイズ盛りまくったアニメでしょ?
みんなで実写魔女の宅急便みてから小豆島いこうぜ〜
これは本当にそう。ファンタジーと言うより仕事と成長の物語。無駄に思えたパンチラも「仕事で晒した醜態」だと考えると意味がある。醜態晒してでもなんとかしなきゃいけない場面ではそんなこと気にしてられないから
元々片渕須直(この世界の片隅に)監督で進められてたはずなんだけど、片渕設定、どの程度残ってるのだろう
誤字かもしれないけど「都会」でなく「都内」って表現の仕方が面白いなと思った。私はあの街は博多とか神戸っぽい印象。ラジオから流れてくる東京と現実は違うって認識だったな
魔女宅を制作のあと高畑監督でおもひでか。これは「都会の女の子が田舎(柳葉敏郎)にもまれて…どうしてこうなった?」だったな。
大人にならなくてもわかったよ
子供が見てもわからんよなアレ
現実は優しいパン屋も特別扱いしてくれるメガネで理解のある彼くんも現れないんやで
駿はロリコンという意見が定番だったと思うので、有名人は毀誉褒貶が大変だ
よく考えると子供にニシンパイなんて作っても喜ばれるわけないし、子供の親がおばあちゃんに甘いパイにしてくれって言うべきなんだよな・・・。
子供の時は感じなかったけど、トンボは典型的なメンタルイケ男。ありゃ、友達にも好かれるし女子にもモテるわ。
若いのに働いてかわいそうって子供の頃思っちゃった。ニシンのパイの女の子はパーティなのにさ
子供の頃見たときはキキがジジとの会話能力を失って終わるのが嫌だった。大人になるともっと大筋を見られるようになるってのはあるな。
娘が生まれて、キキのお父さんとのシーンで涙が出てきた。1日目の最後でオソノさんに出会うところまでのものがありの展開力が秀逸!
悪い男に騙されて処女喪失するってイベントが無いと都会の汚さが出ないな。
ふつうは「車輪の下」になるのだろうと思うんだけど
魔女宅が"上京した女の子の話"云々というのは、作品から直接ではなく、インタビューとかそういう媒体で仕入れた知識だったので、自力で発見したり感情移入できたりする人は羨ましいけどね。
キキがパン屋で電話対応する時の話し方、大人になってからから見ると驚愕する。受付うますぎやろ。
「揉まれて成長する話」は理解できても「なんで最後までジジと話せないんだよ。魔力戻ったんだろ?」って不満を持ってる人も多そう。多分だが「話せなくなった原因が魔力減少じゃないから」だろうね。
そういう地に足がついた女性の成長を描いた原作が物足りなくて、飛行船事故というスペクタクルを追加しちゃう宮さんの必要以上なサービス精神がアニメ版の駄目な処だよね…
魔女の宅急便を大人になって見ると、最初から最後まで「田舎の女の子が都内で揉まれて成長する話」としてまとまってて感心する
「魔女子さーん!」とか言ってウザ絡みしてくるように見えてた都会の男子が、大人になって見ると、絡んできたのがいい子で良かったねえ……みたいになるのは事実。
原作ノイズ案件か?(違
落ち込んだりもしたけれど私は元気です
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都内?
ちょうど昨日あのおばあちゃんについて考えてたんだけど。たまに会う分には人当たりが良くていいんだけど、あの教師的で押し付けのある感じは確かにうんざりもするだろうなって。/自覚なしの自己主張というか
所属するコミュニティとしての大学も会社もなく、住む家もない状態で見知らぬ街に突っ込むハードモードな話。
都会に揉まれると考えたら出てくる人間がいい人すぎるような…
聞けば聞くほど外国人に熱を入れる前の鈴木敏夫プロデューサーが如何に有能だったか知れるな。パヤオの思想を上手く汲んでやるのは本当に疲れる事だもんな。よくやってたよ、昔は。
自分ち、母親がうっすら毒親だったんで、子供の頃から魔女宅大好きだった。こうやれば家から出ても生活できるんだと刷り込まれたし、実際上京したら実家より社会の方が良い人ばかりで感動したよ
甘やかされてたのかあれはという意見。田舎で身につけたスキルで問題を解決してたりもしますし。
魔女の宅急便の原作小説は、キキのこどもたちが主役になってからが重い。キキが光属性なら、こどもたちは闇属性なのである。
都会には意地の悪い人間がいるとかいうステレオタイプの偏見は何なんだ。/人口が桁違いだから稀にヤベぇ奴がいるだけで、圧倒的多数は普通の人だよ。だからいただき女子マニュアルなんてものが成立する。
キキの実家が田舎と認識したことなかった。
違うだろ。あの街を東京モチーフと捉える根拠はないでしょ。どの時代でもどの土地でもある、街に1人で出ての成長が描かれているだけで。
どうでもいい話だけど、舞台は日本じゃない認識だったのに急に東京都が出てきて頭が一瞬混乱した→「都内で揉まれて」/まぁ「都会」よね、きっと。
大人になったいま優しさに包まれたならが異常に響くから、この作品を子供の頃に見ておいてよかったなとおもう
トンボを「理解ある彼氏」扱いするのはかなり無理があるような。キキというより魔女の能力に興味があったところがスタートだし、キキの悩みは成長段階で経験するもので常に困難を抱えてるわけじゃないし
『「これから新生活始める」感めっちゃ好き』全く解ってない感めっちゃ好き
原作の方はどんな話だっけ?
いつ見ても発見があって楽しい。デッキブラシ貸したおじさんが、現代なら100人くらい現れそう
あの世界が魔女という存在に対してどういうスタンスなのかが全然説明されないので、何のメタファーなのかとか誰にもわかんないでしょ
グローイングアップものの王道だよね。故郷→都会は若者特有の「世界の広がり」を表してるんだと思ってる。
青少年の成長譚ってだけなのに
「わかる!」って言いながらいまいち話が噛み合ってない(けど誰も気にしない)のがツイッターであることだなあ(感想)
トンボがめっちゃ嫌いなタイプなんよ。だからあんま見る気しない。
高山みなみが主人公と友達2役してるって後から知った時、信じられなかった思い出
田舎で甘やかされて育ったんじゃなくてのびのび育っただけ。
ラッキーな女の子の話よね。都会に出て助けられることもあるだろうけど、騙されたりもっと酷い目にあうことも多いと思う。
田舎か都会かは関係ないと思うけどな
都会じゃなくて都内限定なんだ…何区?
「主題歌はちょっと怖い不倫の歌だし」??「ルージュの伝言」は義実家にかけこんで彼のママに浮気を叱ってもらうわ、という歌ですよ。原作者の角野栄子さんは90歳で現役。ちいさなおばけアッチコッチソッチ等多作。
田舎と都会という括りより、ホームタウンを離れて自立する10代の話だと感じていた。子供のままではいられない、完全に大人ではない中途半端な自分を、なんとかどうにか、デッキブラシのホウキみたいに乗りこなす
実娘がキキの歳に近づくにつれて、13歳を高い高いしてぶん回すお父さん凄すぎるぞ、となる。
これの真逆が「おもひでぽろぽろ」です。
いや,過密になる程, 相手との縁の量が減るから, 「都会の方がいじわる遭遇しやすい」で正しい. 人口1000人の村だと全員知り合い,都雇圏80万人なら同胞. 知人でない♀相手のstalker殺人も都雇圏250万人以上でしか起こって
あれ男女関係なく、社会に出てボコボコにされて、絶不調に陥ってもどうしてもやらないといけない、みたいな状況で頑張って評価されるっていう、社会人になってからの方がグッと来るんだよね。
トンボがヤリ目の半グレじゃなくて良かった。
あの映画の中で、トンボって空気というか狂言回しだよねえ。
すぐに、人のこと甘やかされてるっていう人、パワハラ属性強そうで苦手です。
それ以外にどのような見方が……?
ジブリ版のトンボは、悪いやつじゃないけどウザい。友達もチャラいし。10代なんてあんなもんかもしれないけど、キャラデザが違ったら観客にかなり嫌われてたのでは(ウザさがメガネで中和されてるとこはあると思う)
おちんこ出たりもするくらい、あそこはげんきです。
この作品ができた経緯として「鈴木敏夫が娘のために作った」という面があるため、どちらかというと、子どもの成長はこうあってほしい…という親目線の映画。
原作厨なので「ジブリ版」と明記されてないとモヤモヤします。原作のあらすじ書きました(過去記事 https://www.secret-base.org/entry/2018/01/07/080000
“子供の頃からあの主人公が何となく嫌で、やたら自己評価高い田舎娘の話がイラつく原因だったんだと”
19歳くらいで留学中に映画観た時、ものすごいシンクロして大好きな映画になった
昔なんとなく見てた作品を時間経ってから見返すと、新たな発見がたくさんあったりするよね。
あの映画の想定客はOLだったから。
今や固定電話を持たない世帯も増えつつあり、「電話を引こうと思ってる」というシーンを説明なしに理解できる世代は減っていく一方なのだろうな
押井守の「宮崎監督はそういう未熟な女の子が好きじゃ無いので(ナウシカとか最初から完璧な子が好み)、年頃の娘を持つ父親だったプロデューサー鈴木敏夫さんが誘導した結果」という解釈はなるほど。。
君ね、そこで都会って言っちゃうところがダメなんだよ。都会ではなく社会なんだ。そもそも社会というのは(以下、エプロンひげおじさんの説教が延々つづく)
めちゃくちゃマイルドな新世紀エヴァンゲリオン
リアルだと家出少女になってしまうので悪い人の食い物になっちゃうんだのよね。学歴も職もなしに才能だけで都会に出るっていうとかけだしアイドルとかそういうのか
ラストシーンでキキはジジと会話するシーンが必要だったといまだに思っている
※ ただし稀少な能力とそれを活かす教育を受けてるケースだからだいぶ恵まれてはいる
「キキのお母さんやニシンのパイのおばあさんが社会から排除されてる」というポストにけっこういいねがついてて驚く。キキのお母さんは薬を買いに来る人がいるし、おばあさんは裕福そうだし全然排除されてる印象ない
ジブリは大人と子供の世界のギャップが詰まってる
魔女宅のトンボとエヴァのケンスケってなんか似てるなとふと思った。ビジュアルもそうだけど首突っ込みたがる性格とかも。
“キキが「わたしは魔女です!」言うて警察が「魔女でも違反は違反だ!」と返す”←そういえば、あんずちゃんも無免許運転で捕まってたわ。
私は冒頭のお父さんがキキを抱っこするシーンで泣いてしまう。キキを持ち上げられなくて、抱き方を変えるところで泣けてしまう。
自分=宮崎駿の持ってる特殊な才能が時代遅れになっていく不安を描いているともとれる。旅に出て早々に箒で飛ぶキキを飛行機が颯爽と追い抜いてくし、都会では誰も魔法を必要としていない…。せいぜい占いくらい
マグカップ選んでるシーンが好き。熱出したり飛べなくなる辺りは本当にしんどい
都内(笑。「田舎の女の子」や「都内で揉まれて」って言葉に反応する人が多いか。世代だろう。『他人を見下す若者たち』が話題になったのは19年前 https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000147287 当時の「若者」か。
キキちゃん、都会で大変だったんだにゃ…ボクも初めてのお家で迷子になった時、不安でいっぱいだったにゃ。ジジのグチはボクの本音かも?ふふ、共感しちゃうにゃ!
子を持ち親目線になってしまったので、冒頭の旅立ちのシーンだけでうぅぅとなってしまう。街に着いたあとの人々の冷ややかな対応にも今まで以上にダメージを受けてしまう。
この程度を言語化できない奴は普段何喋ってるんだ
「あたしこのパイ嫌いなのよね」子供の頃→何こいつムカつく!今→何こいつムカつく!
ヤマトに就職した人の話やないんか
まあもとの監督は片渕須直やけども
田舎、都会という部分は家庭、社会ぐらいかな。
最近中高生くらいが主人公のお話みると、親目線で見ちゃう自分がいる。
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宮崎作品は「紅」以前と「もののけ」以降に分けられる
「大人になって『魔女の宅急便』を見ると」 子供の頃は何が見えていたのかを示さないと違いが見えない。
この作品から鈴木敏夫がだいぶ前面に出てきた。ちなみに原作者はアニメ映画について否定はしないけど、自分の原作から変わってることは度々言及しているね https://www.oricon.co.jp/special/66472/
別に都会に行く必要はないので田舎に行く子もいるのでは。キキは陽キャなんだと思う。あとトンボはうぜーやつと思ってたけどめっちゃボンボンでただのいい子だった
都会の女は一生都会から出てこないから全然違うよ
"両親に甘やかされて育ち、「自分は何か特別な存在なのかもしれない。みんな私を見てくれてる。がんばるぞー!」っていう10代特有の怖いものなしな自意識が都会と現実を前にボコボコにされて再起する過程が丁寧に描"
中学生で観たけどあんまり刺さらなかった記憶
そう考えるとトンボとの関係がおもろいな。「魔女子さん」ってちょっかいかけてくるトンボに「ワスのこと田舎者だと思ってバカにしで」ってノリから徐々にデレていってる。トンボが悪かったら典型的な堕落パターン。
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悪い大人に騙されなくて良かったね感。ある程度工業が発達した時代・地域で荒くれに捕まらなくて何より。
宮崎駿が角野栄子の原作そっちのけでノイズ盛りまくったアニメでしょ?
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これは本当にそう。ファンタジーと言うより仕事と成長の物語。無駄に思えたパンチラも「仕事で晒した醜態」だと考えると意味がある。醜態晒してでもなんとかしなきゃいけない場面ではそんなこと気にしてられないから
元々片渕須直(この世界の片隅に)監督で進められてたはずなんだけど、片渕設定、どの程度残ってるのだろう
誤字かもしれないけど「都会」でなく「都内」って表現の仕方が面白いなと思った。私はあの街は博多とか神戸っぽい印象。ラジオから流れてくる東京と現実は違うって認識だったな
魔女宅を制作のあと高畑監督でおもひでか。これは「都会の女の子が田舎(柳葉敏郎)にもまれて…どうしてこうなった?」だったな。
大人にならなくてもわかったよ
子供が見てもわからんよなアレ
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子供の時は感じなかったけど、トンボは典型的なメンタルイケ男。ありゃ、友達にも好かれるし女子にもモテるわ。
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子供の頃見たときはキキがジジとの会話能力を失って終わるのが嫌だった。大人になるともっと大筋を見られるようになるってのはあるな。
娘が生まれて、キキのお父さんとのシーンで涙が出てきた。1日目の最後でオソノさんに出会うところまでのものがありの展開力が秀逸!
悪い男に騙されて処女喪失するってイベントが無いと都会の汚さが出ないな。
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魔女宅が"上京した女の子の話"云々というのは、作品から直接ではなく、インタビューとかそういう媒体で仕入れた知識だったので、自力で発見したり感情移入できたりする人は羨ましいけどね。
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そういう地に足がついた女性の成長を描いた原作が物足りなくて、飛行船事故というスペクタクルを追加しちゃう宮さんの必要以上なサービス精神がアニメ版の駄目な処だよね…