「マックでサラダが食べたいと要望が出ても、実際には売れない」問題と似た感じかな
ターミネーターの濡れ場で「ああここでやった子供が将来の救世主になるのね」ということで必要なんだけど、「でもここでこの状況でやるか?」ってすごく気になった。
映画や小説だと、制作(編集)が保険として「濡れ場」を入れるよう指示してきた旨の証言は多いですね。
マトリックス リローデッド
水戸黄門では由美かおるが風呂に入り、往年の2時間ドラマは1時間経つ前にお色気シーンが入る。芸術を方便に脱がせる場合も。「エロが見たい」一定の視聴者のニーズあるのよね/なので不要という視点も生まれる現在
イタリア制作の国民的ドラマDOCでは必ずセックスを挿入してたな。まあセックスしたいとかじゃなくて入れなきゃダメなんだろ。インド映画でいう必ずダンスしないとダメみたいなの。
Togetterとかいる?はてなブックマークとかいる?おれもお前もいる?
ノイズって異常に濃い湯気とか謎の光のことだった?!(読んでない)
デッドプール&ウルヴァリンにHONDAオデッセイのCMみたいなシーン(まあまあ長尺)があり、「金曜ロードショーか?」となった。監督の愛車らしいので、客にはともかく、監督にとっては『いるシーン』だったんやろね。
統計的に欧米のセックス頻度は日本の何倍もあるので、洋画の濡れ場はリアルな日常の表現なんだと思ってる。知らんけど。
不要な濡れ場だと思ってたら実は重要な伏線だった、なんて作品もあるんだろうか
あ、やったんやな…な匂わせはいいんだけどあんあん!ピストン!はほんまいらんのよ…国宝も濡れ場いらんかったなと思ったら原作には無いらしくて…
棘側の「命の危険に晒されると、生殖活動に全振りしがちなのは生き物の本能では。刹那的な生き方や危険が一杯な場面に唐突に起こる衝動、みたいな表現だと思います」、70年代の邦画って多分そうなんだろうと納得した
ノイズよね
俺は格闘シーンとかカーチェイスとかさっさと終わらせてくれって思っちゃう。ジャッキーチェンとかコミカルで見応えあるけどね。要不要は人によりけりだろう。アバターのラブシーンは流石に特殊すぎて困惑した。
思春期の恋愛がテーマの映画でセックスもオナニーもないのはさすがに浄化されすぎていてリアリティがないと思うのでジャンルに寄る気がする
制作側の要請なんでないか。このシーンで売り上げ何%上がるとか計算してるんでしょう。
有名女優の濡れ場シーンは語り継がれる。雑誌やネットでね。「がっかりおっぱい」って今でも言われるんだぞ。無くてもいいんじゃないかな
「福田村事件」のセックスシーン、若松プロ的にも入れた意図はわかるが、それでもいらんかったと思う。 (あれで東出昌大が更に良くなったとは思うが)
洋画のほうが感じることが多い。ただ小学生のときに「首都消失」をみてて、ラストで山下真司と名取裕子がやたらとインパクトのある濃厚なキスをした時に、それいる??と思って逆に印象に残った
要るか要らないかというより、入るか入らないかで映画のジャンル変わる気がしてる。
ストーリーにおいて「セックスをした」という情報には価値があるが、セックスが主題でもない限りセックス描写に情報的価値はほぼない。が、それを撮りたいなら撮ればいい。視聴者ウケを狙ってるならいらん。
海外ドラマだと会話の中に普通にセックスがポンポン出てくる割には、事の描写としては導入と事後くらいしか描かないのでそれくらいが一番いいかなと思ってる。行為の最中を入れる必要はないと俺も思う。
「これだから邦画はイヤ」みたいなこと言ってる人がいたけど、むしろ洋画の方がお約束みたいに必ずラブシーンあるでしょ?特に80〜90年代のアクション映画なんがだとそういうシーンが無い作品が思いつかないほど
20世紀だとおおっびらに観ることが出来るエロ動画は貴重だったので観客動員に効果があっただろうことはわかるが、中高年もネットで動画を鑑賞出来る現代で、どこまで効果があるか、手癖になっていないかは疑問
邦画は知らんが、寄生獣後半のセックスシーンは必要だと思う。実写になった時に、あのシーンはあったんやろか?
ハリポタやインディージョーンズに濡れ場なんてあったっけ?
生々しい表現がいいんだみたいなのは、俺としては「ノイズだな〜」と思うし陽キャが好きなんやろな、みたいに思うけど、それは俺の考えでしかなく、それを要不要と普遍的に語るのは傲慢だなぁと思う。
「人間が通常行う営み」だと考えると特別視する必要ないんじゃないかという気はする。その調子で「じゃあ入れてみました」で排泄シーン入れられても困るけど(人にはよる)。
母ちゃんと一緒に「おくりびと」のDVD観てた時に出てきて気まずかったが(監督のこと知らずに観てたし)、凄惨な現場を見て憔悴した主人公が本能的に「生」を求めた演出として迫力と説得力があったな
なんか日常描写からセックスが省かれてるの、セックスが非日常になってしまったのだな感ある。
興行。お金を稼ぐためにたやってるのだから暴力と性描写当然
客も監督も不要としなかった(=ヒットした)が、演者には不要だった映画がついこの間ニュースになってた/https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f38933c3e4826d4d1bcab41b84fbc9bb44c95b7f/共通するのは「関係者へのリスペクトの欠如」だな
大昔?は、新人女優が体当たりでハードな濡れ場に挑戦しました!乞うご期待!みたいな、宣伝のために入れたんかな?みたいな謎濡れ場ドラマや映画がわりとあった気がする。最近のはあんまり見てない。
アニメでそのエロいる?と決して思わないオマエラが思うってことは相当なんだなw /映画は他で見られないものを見せるがウリの商売なので、ポルノビデオの普及以降は減ってる。代わりに増えたのは差別・残酷描写。
物語上必要な描写なら受け入れられるけど、そうじゃないなら踊っててほしい!
観客に強い印象を与えたい、本当に必要なシーンのために、"そういう描写"を控えておく事が、演出として必要なんだよな「感情として必要な表現」
昔の監督って女優は脱いで一人前(監督が制作陣が女優のパイ乙を見たいだけ)って感じだったからなw 今もかw
テレビとか映画とか、他人と一緒に見る可能性のある媒体でこういうシーン出てくるのはちょっとなあ
寄生獣、妙に濡れ場が丁寧で、物語のテンポがそこから崩れてしまっていた
アクションシーンも「ここで敵を殴りました」という情報だけあれば映像はいらないのかもしれない
【ネタバレあり】邦画の濡れ場に対して「このシーンいる?」と思う→蛇足に感じる、脱がなくても撮れるという人、感情表現として必要という人さまざまな意見
「マックでサラダが食べたいと要望が出ても、実際には売れない」問題と似た感じかな
ターミネーターの濡れ場で「ああここでやった子供が将来の救世主になるのね」ということで必要なんだけど、「でもここでこの状況でやるか?」ってすごく気になった。
映画や小説だと、制作(編集)が保険として「濡れ場」を入れるよう指示してきた旨の証言は多いですね。
マトリックス リローデッド
水戸黄門では由美かおるが風呂に入り、往年の2時間ドラマは1時間経つ前にお色気シーンが入る。芸術を方便に脱がせる場合も。「エロが見たい」一定の視聴者のニーズあるのよね/なので不要という視点も生まれる現在
イタリア制作の国民的ドラマDOCでは必ずセックスを挿入してたな。まあセックスしたいとかじゃなくて入れなきゃダメなんだろ。インド映画でいう必ずダンスしないとダメみたいなの。
Togetterとかいる?はてなブックマークとかいる?おれもお前もいる?
ノイズって異常に濃い湯気とか謎の光のことだった?!(読んでない)
デッドプール&ウルヴァリンにHONDAオデッセイのCMみたいなシーン(まあまあ長尺)があり、「金曜ロードショーか?」となった。監督の愛車らしいので、客にはともかく、監督にとっては『いるシーン』だったんやろね。
統計的に欧米のセックス頻度は日本の何倍もあるので、洋画の濡れ場はリアルな日常の表現なんだと思ってる。知らんけど。
不要な濡れ場だと思ってたら実は重要な伏線だった、なんて作品もあるんだろうか
あ、やったんやな…な匂わせはいいんだけどあんあん!ピストン!はほんまいらんのよ…国宝も濡れ場いらんかったなと思ったら原作には無いらしくて…
棘側の「命の危険に晒されると、生殖活動に全振りしがちなのは生き物の本能では。刹那的な生き方や危険が一杯な場面に唐突に起こる衝動、みたいな表現だと思います」、70年代の邦画って多分そうなんだろうと納得した
ノイズよね
俺は格闘シーンとかカーチェイスとかさっさと終わらせてくれって思っちゃう。ジャッキーチェンとかコミカルで見応えあるけどね。要不要は人によりけりだろう。アバターのラブシーンは流石に特殊すぎて困惑した。
思春期の恋愛がテーマの映画でセックスもオナニーもないのはさすがに浄化されすぎていてリアリティがないと思うのでジャンルに寄る気がする
制作側の要請なんでないか。このシーンで売り上げ何%上がるとか計算してるんでしょう。
有名女優の濡れ場シーンは語り継がれる。雑誌やネットでね。「がっかりおっぱい」って今でも言われるんだぞ。無くてもいいんじゃないかな
「福田村事件」のセックスシーン、若松プロ的にも入れた意図はわかるが、それでもいらんかったと思う。 (あれで東出昌大が更に良くなったとは思うが)
洋画のほうが感じることが多い。ただ小学生のときに「首都消失」をみてて、ラストで山下真司と名取裕子がやたらとインパクトのある濃厚なキスをした時に、それいる??と思って逆に印象に残った
要るか要らないかというより、入るか入らないかで映画のジャンル変わる気がしてる。
ストーリーにおいて「セックスをした」という情報には価値があるが、セックスが主題でもない限りセックス描写に情報的価値はほぼない。が、それを撮りたいなら撮ればいい。視聴者ウケを狙ってるならいらん。
海外ドラマだと会話の中に普通にセックスがポンポン出てくる割には、事の描写としては導入と事後くらいしか描かないのでそれくらいが一番いいかなと思ってる。行為の最中を入れる必要はないと俺も思う。
「これだから邦画はイヤ」みたいなこと言ってる人がいたけど、むしろ洋画の方がお約束みたいに必ずラブシーンあるでしょ?特に80〜90年代のアクション映画なんがだとそういうシーンが無い作品が思いつかないほど
20世紀だとおおっびらに観ることが出来るエロ動画は貴重だったので観客動員に効果があっただろうことはわかるが、中高年もネットで動画を鑑賞出来る現代で、どこまで効果があるか、手癖になっていないかは疑問
邦画は知らんが、寄生獣後半のセックスシーンは必要だと思う。実写になった時に、あのシーンはあったんやろか?
ハリポタやインディージョーンズに濡れ場なんてあったっけ?
生々しい表現がいいんだみたいなのは、俺としては「ノイズだな〜」と思うし陽キャが好きなんやろな、みたいに思うけど、それは俺の考えでしかなく、それを要不要と普遍的に語るのは傲慢だなぁと思う。
「人間が通常行う営み」だと考えると特別視する必要ないんじゃないかという気はする。その調子で「じゃあ入れてみました」で排泄シーン入れられても困るけど(人にはよる)。
母ちゃんと一緒に「おくりびと」のDVD観てた時に出てきて気まずかったが(監督のこと知らずに観てたし)、凄惨な現場を見て憔悴した主人公が本能的に「生」を求めた演出として迫力と説得力があったな
なんか日常描写からセックスが省かれてるの、セックスが非日常になってしまったのだな感ある。
興行。お金を稼ぐためにたやってるのだから暴力と性描写当然
客も監督も不要としなかった(=ヒットした)が、演者には不要だった映画がついこの間ニュースになってた/https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f38933c3e4826d4d1bcab41b84fbc9bb44c95b7f/共通するのは「関係者へのリスペクトの欠如」だな
大昔?は、新人女優が体当たりでハードな濡れ場に挑戦しました!乞うご期待!みたいな、宣伝のために入れたんかな?みたいな謎濡れ場ドラマや映画がわりとあった気がする。最近のはあんまり見てない。
アニメでそのエロいる?と決して思わないオマエラが思うってことは相当なんだなw /映画は他で見られないものを見せるがウリの商売なので、ポルノビデオの普及以降は減ってる。代わりに増えたのは差別・残酷描写。
物語上必要な描写なら受け入れられるけど、そうじゃないなら踊っててほしい!
観客に強い印象を与えたい、本当に必要なシーンのために、"そういう描写"を控えておく事が、演出として必要なんだよな「感情として必要な表現」
昔の監督って女優は脱いで一人前(監督が制作陣が女優のパイ乙を見たいだけ)って感じだったからなw 今もかw
テレビとか映画とか、他人と一緒に見る可能性のある媒体でこういうシーン出てくるのはちょっとなあ
寄生獣、妙に濡れ場が丁寧で、物語のテンポがそこから崩れてしまっていた
アクションシーンも「ここで敵を殴りました」という情報だけあれば映像はいらないのかもしれない