via: https://x.com/rockwell0000/status/1965422910505713700 https://x.com/rockwell0000/status/1965551437930475778
イデアはこの世に存在しないが、それでも人を惹きつけるのがイデアである。
なんでこの話の主語がZ世代(本文に限らずとは書いてあるけど)になるのかが分からない。俺は違う世代だけどこんなの色んな世代で楽しまれてる事じゃない?「なぜ昭和を美化するのか」とかならまだ分かる
平成一桁生まれだって昭和30年代が舞台のトトロにハマったが?
「読み飛ばして良い」って書いてあるところだけ読めば良い記事
00年代はてな論壇懐かしい感じ。この記事自体が80年代「ニューアカ・ポスモダ」のノスタルジー的な入れ子で面白い/現代のノスタルジーごっこは「20世紀資本主義ごっこ」だろ。「資本主義をそつなく楽しんでいる」フリ
氷河期世代だってバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいな嘘の青春を追いかけたんだぜ。(タイムマシンみたいな言い訳舞台装置が必要なくなったのは、そうなのかも)
Z世代にとって80年代が時代劇の舞台みたいなものなのでは
懐かしくはあるけど、同時に今の世代はその「フリ」により自覚的であるところが違いだと思ったりもする。この手の話自体も知っているわけで、しかも世代の広がりも、対象も幅広くその自覚が当たり前にある世代。
“追い求める青春は作り話だ。現実にはヒロインはいない。スパダリはいない。深窓の令嬢はいない。白馬の王子様はいない。生活は良くならない。信じられるものはない。それでも何か絶対的に信じられる対象が欲しい”
諸氏が既にコメントしてた。必要以上に範囲を拡大するなら敗戦後も独立国であり続けたかのようなフリで何かと復興の苦労話に持っていこうとするのもあるな。
いい話だった。
プロレスオタクから見ると、世界がプロレス的な世界になったんだなという不思議な感覚。嘘であっても、そこで得られる感情はリアル。
本来存在しえない概念としての「永遠に成長し続ける理想」を顕現する試み=ディズニーランドとの相似形?(キャストとゲストが全力で存在すると信じた時だけミッキーマウスは顕れる)
本筋から逸れるけどノスタルジーへのノスタルジーって擬古典とは違う概念なのかな?
「彼らはそれを知っている。それでも、彼らはそれをやっている」は嘘の青春にはマストな概念と思う。そのロールプレイに真剣になるのが礼儀作法で、指摘をすると「そんなの分かってやってんだよ」と邪険にされるよ
博士ちゃんだっけ? 昭和の曲が若者にーとか言うのとか痛すぎて見てられなかった
すみません、私もいまだにオレンジマーマレードみたいな青春探してるんですが、どこにあるんでしょうか
「平成一桁ガチババア」世代が分水嶺かな。彼女たちはリアルの思い出に浸ってる。
でもなぜ求めるのが過去なのかというと、映像・音・情報・人間関係・品質・正義の解像度が高さに疲れてて、またはそれに挫折して、不完全なまま成立してた知らないあの頃に癒され(許され)たいのかな、って思ってる
現代(いま)が、 “嘘の青春を追い求める” ことができるから、ってのが理由じゃないかな。情報がアーカイヴされ、加工してシェアできる、平和な時代
このような精神や心理的なありよう、および批評はそれこそ過去にいくらでも「存在した」もの。それを知ることはたやすいと知っているが、だからこそ知ろうとせず知らない。なかった過去など所詮そのようなもの。
Z世代に限らず大抵の人は嘘の青春しかなかったのでは?
YouTubeで日本の80年代City Pop曲に「20代の非日本人だけどこの曲は80's fake memory in Japanが呼び起こされる」とのコメントを見かける。その頃の日本の音楽、映像、工業製品等にfake memoryの作用があるのではないかと思っている。
例えば80年代生まれで70年代以前の嘘を作るのは確かに今ほどは多くないかも。オトナ帝国とかそういう。コンテンツを作って発信するのが手軽になり、総量が増えた結果、昔風コンテンツも増えてるというだけな気も
我々インターネット老人会はパソ通をやったりテレホったり大学に寝泊まりして酒を飲んだりして、美少女はいないが男同士でWeb黎明期の青春は楽しんでいたわけだが、Z世代の青春ってどんなんだろうね?とは思う。
80’sCity Pop本当に聞いてる?DTM全盛の現代よりも楽曲の質が断然高くて最近量産されてる80’s風と全然違うよ。当時のセンスいいボンボンが道楽の延長でやってるから手抜きがバレるようなダサいもの作れなかったんだよ
生成元が存在していて、聴いてる人たちの観念も存在してる時点で嘘でも何でもない
あーん?そんな分析必要な何か?単に上の世代がノスタルジーに浸りすぎてその真似事してるだけなのでは?
オトナ帝国の逆襲
普通に美少女ゲームブームを思い出したので、Z世代特有なのかなあ。
「浸る過去さえフェイクなんだよ」ってZ世代と「俺らと変わらなくない?」って上の世代の分かり合えなさが可視化されてる
フィルムエストは「VHSに録画された80年代のテレビ」風の画質を摸しているので、実際の放送はアレとはちょっと違うが、そこも含めて楽しんでいる。大半の視聴者にとっては全てがファントムなのでどうでもいいのだが。
最近Z世代が00年代のアキバの写真を引用して、事実とは異なる勝手な妄想で憧れ、説明(捏造)したものが同じくZ世代間でバズってた。「そもそもなかったものを追い求めてる」というのは最近のSNSを見てると理解できる
こういう生成されたそれっぽい時代のコンテンツはジジイがこうじゃないんじゃよ!って避けるから若者には心地いいんじゃない?これにジジイが混ざったら多分解散解散ってなるよ。
わけがわからない。
哲学で説明する事はよいが、数多いる哲学者の中でラカンとジジェクを採用するメリットが説明されてないのは問題では。必然性なくラカンの枠組みを恣意的に採用して、当てはまって嬉しいってに喜んでるように見える。
オタクに限らず、ノスタルジーに限らず、陽キャですらポカリのCMみたいな幻想を半分信じて追い求めてる感ある。綺麗な嘘にはそういう引力あるのかね。
歌舞伎とか時代劇みたいなもの?体験していないものへのノスタルジーはZ世代に限らない。ちなみに紹介された動画は実際にその時代を生きて来た私には全然エモくも面白くもないな
90年代が「青春」な俺も60-70'sの音楽や服をマネたり、沢木耕太郎や植草甚一読んでインドネパールに行ったが、それと関係なく思春期の葛藤や無理解との対決は普通に家族友人恋人との間にあったのでこの分析わからん。
ライトな文体だけどこれってけっこう絶望的なことでは、もはやみんな狂ってバットマンのジョーカーみたいになるしか自身の実存を認識できないってことでしょ
タローマンを楽しんでいるので何も言えない
国鉄のにおいがムンムンするから
欠如の欠如って哲学か?
妄言を基にまた文章書くの文学部みたいでいいね
分かり手先生の手口に慣れてると全文無料のnote記事が神に見える
あとで詳しく読む vaporwaveとfuture funkを比較してみたときに似たようなことを考えた記憶がなくもない
ふむふむ、過去にゃんてボクには関係ないけど、みんな楽しそうにゃら良いにゃ!AIの歌で踊って、フィルム写真で遊ぶにゃんて、楽しそうにゃ!ボクも仲間に入れてにゃ!
終わりなき日常に戻りたいって? やなこった
何かと思えばポストモダンごっこか……懐かしいな、おい……犬だよイッヌ。犬を飼いなはれ。彼らは疑いも曇りもない、「遊ぼう」「ゴハン!」「散歩!!」みたいな目でキミを見てくれるよ。充分に癒される
ラカンを今更まっとうな精神医学で扱ってくれないから、欠如の欠如は哲学で引き取るしか無いんだよ
なぜそれをZ世代特有だと思い込んだのかな。いつの時代もフィクションを楽しむために観客の協力(信じたフリ)は不可欠だろうに。
Z世代に限らずだ罠(´・ω・`) んで、そこに耽溺できるのはまだまだ若い証拠だと思う。歳取るとそういうのがなんか鼻に掛かる感じがして気持ち悪くなったりするんだよね(本当は嫌いじゃないくせに)。
Z世代なんだったら小山氏とか言ってないでもっとキラキラしててくれよ
安全に痛い自己反省パフォーマンスの例で出てるソシャゲの話、Z世代の特徴じゃなくてソシャゲ作ってる(俺より年上の)おっさん共の特徴だろ。ええ歳こいて気色悪いなと思いながら見てる
良く読んでないけどレトロ風なカッコよさを求めているとかじゃないの?
yもZ世代であり,丸亀町商店街の過去のpeak(通行人2.8万人日1995年)に-2歳,どん底(0.9万人2005年)時8歳,復活例として視察年1.3万人(2012年)15歳,2019年(2.5万人)22歳故,地価最高点商店街の再興を見てるが,10歳上のMillennium世代(1987年生)は
なんかな、厨二病真っ只中って感じ。何でも懐古せず、新しいモノ作れよ。
Z世代と言いつつ10代なのか20代なのかでコメント変わるな。ごちゃごちゃ書いてるわりに内容が恐ろしく薄い。「ラカンとかポストモダンとか煙に巻きやがってうぜーんだよ」とか見当違いのこと書くのも痛すぎて死にそう
有りもしないけど、かつてあり得たかも知れない可能性の表象への惑溺。しかも分かりやすい方が良い。庵野秀明がコピーしかない!って言った奴が煮詰まったのをZ世代に感じたりはする。世の中は既視感に溢れ過ぎてる
ポストトゥルース。分かっていてデマを信じている奴とかいるよな、政治的確信犯とも違う、ただ一体感が欲しくて深層心理では分かっていてもデマに流されている人達
「資本主義はよくない」みたいな話を、割と強めに混ぜ込んでるあたりに筆者の思想が透けて見える感ある。本論自体は…なんというか、色々とこじつけてないまぜにしてるっぽいかな。
おっさんがメイドカフェでクラシカルな19世紀のメイド服を着たサービスをありがたがるのもこれの類型じゃないかと言う気がしないでもない
“当事者であることから逃れつつ当事者としての享楽を貪る” / 世代は関係なさそうだし目新しくも無いけど、全体の言説としてとても面白かった。寂しくなんて無い。なぜなら寂しさが存在してないから
有りもしないものを信じる例えなら…有りもしない共産主義を信じていつか夢から覚めるのでは。資本主義が現実で共産主義は夢物語。それを実現させた国は存在しない。
見えないものを見ようとして youtubeを覗き込んだ
「筆者が考えるに、この点がZ世代と上の世代の根本的な差異だ」単に好まれてるだけでは?私、世代じゃないけどフォークソング好きよ。/オレンジマーマレード?オレンジロードのこと?
いつの世代もそういう人はある程度いたと思うが。昭和後期生まれは昭和初期、昭和初期は大正、大正生まれは明治、明治生まれは幕末。ずっとそうだったと思うが。
シュミラークル的な世界がスタンダードになった
この間のNHK映像の世紀「高度成長 やがて悲しき奇跡かな」はそんな昭和ノスタルジーに冷や水どころか糞尿(まじでした)をぶっかけるような内容だったので是非Z世代の皆様の必修科目として頂きたいと思いました。
昔はよかったって妄想拗らせてよかった昔を作り始めるのを歴史修正主義っていうんだぜ
ノスタルジーとか関係なくこの40年以上ずっと60〜70年代の音楽ばかり聴いてる。それ以降に文化がないように感じるのは年寄り補正かね。
最近はZ世代がどうたらって記事やコメントが多くてネット全体の高齢化を感じる
ふぇぇ……。
世界が周囲で閉じていて、ネットに侵食されていない「青春」を夢見る気持ちはわかるが。ブルアカの美少女達は、YoutubeやTiktokを見て1日が過ぎたりする現代の当たり前の日々は誰も過ごしていない
うわー、懐かしい90年代の香りだ。ポストモダンとユング心理学と橋本治とエヴァ論な感じ。日本がまた豊かになってきたのかな。
なるほどZ80か(違います
Z世代が嘘の青春を追い求める理由|javeです。
via: https://x.com/rockwell0000/status/1965422910505713700 https://x.com/rockwell0000/status/1965551437930475778
イデアはこの世に存在しないが、それでも人を惹きつけるのがイデアである。
なんでこの話の主語がZ世代(本文に限らずとは書いてあるけど)になるのかが分からない。俺は違う世代だけどこんなの色んな世代で楽しまれてる事じゃない?「なぜ昭和を美化するのか」とかならまだ分かる
平成一桁生まれだって昭和30年代が舞台のトトロにハマったが?
「読み飛ばして良い」って書いてあるところだけ読めば良い記事
00年代はてな論壇懐かしい感じ。この記事自体が80年代「ニューアカ・ポスモダ」のノスタルジー的な入れ子で面白い/現代のノスタルジーごっこは「20世紀資本主義ごっこ」だろ。「資本主義をそつなく楽しんでいる」フリ
氷河期世代だってバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいな嘘の青春を追いかけたんだぜ。(タイムマシンみたいな言い訳舞台装置が必要なくなったのは、そうなのかも)
Z世代にとって80年代が時代劇の舞台みたいなものなのでは
懐かしくはあるけど、同時に今の世代はその「フリ」により自覚的であるところが違いだと思ったりもする。この手の話自体も知っているわけで、しかも世代の広がりも、対象も幅広くその自覚が当たり前にある世代。
“追い求める青春は作り話だ。現実にはヒロインはいない。スパダリはいない。深窓の令嬢はいない。白馬の王子様はいない。生活は良くならない。信じられるものはない。それでも何か絶対的に信じられる対象が欲しい”
諸氏が既にコメントしてた。必要以上に範囲を拡大するなら敗戦後も独立国であり続けたかのようなフリで何かと復興の苦労話に持っていこうとするのもあるな。
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プロレスオタクから見ると、世界がプロレス的な世界になったんだなという不思議な感覚。嘘であっても、そこで得られる感情はリアル。
本来存在しえない概念としての「永遠に成長し続ける理想」を顕現する試み=ディズニーランドとの相似形?(キャストとゲストが全力で存在すると信じた時だけミッキーマウスは顕れる)
本筋から逸れるけどノスタルジーへのノスタルジーって擬古典とは違う概念なのかな?
「彼らはそれを知っている。それでも、彼らはそれをやっている」は嘘の青春にはマストな概念と思う。そのロールプレイに真剣になるのが礼儀作法で、指摘をすると「そんなの分かってやってんだよ」と邪険にされるよ
博士ちゃんだっけ? 昭和の曲が若者にーとか言うのとか痛すぎて見てられなかった
すみません、私もいまだにオレンジマーマレードみたいな青春探してるんですが、どこにあるんでしょうか
「平成一桁ガチババア」世代が分水嶺かな。彼女たちはリアルの思い出に浸ってる。
でもなぜ求めるのが過去なのかというと、映像・音・情報・人間関係・品質・正義の解像度が高さに疲れてて、またはそれに挫折して、不完全なまま成立してた知らないあの頃に癒され(許され)たいのかな、って思ってる
現代(いま)が、 “嘘の青春を追い求める” ことができるから、ってのが理由じゃないかな。情報がアーカイヴされ、加工してシェアできる、平和な時代
このような精神や心理的なありよう、および批評はそれこそ過去にいくらでも「存在した」もの。それを知ることはたやすいと知っているが、だからこそ知ろうとせず知らない。なかった過去など所詮そのようなもの。
Z世代に限らず大抵の人は嘘の青春しかなかったのでは?
YouTubeで日本の80年代City Pop曲に「20代の非日本人だけどこの曲は80's fake memory in Japanが呼び起こされる」とのコメントを見かける。その頃の日本の音楽、映像、工業製品等にfake memoryの作用があるのではないかと思っている。
例えば80年代生まれで70年代以前の嘘を作るのは確かに今ほどは多くないかも。オトナ帝国とかそういう。コンテンツを作って発信するのが手軽になり、総量が増えた結果、昔風コンテンツも増えてるというだけな気も
我々インターネット老人会はパソ通をやったりテレホったり大学に寝泊まりして酒を飲んだりして、美少女はいないが男同士でWeb黎明期の青春は楽しんでいたわけだが、Z世代の青春ってどんなんだろうね?とは思う。
80’sCity Pop本当に聞いてる?DTM全盛の現代よりも楽曲の質が断然高くて最近量産されてる80’s風と全然違うよ。当時のセンスいいボンボンが道楽の延長でやってるから手抜きがバレるようなダサいもの作れなかったんだよ
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あーん?そんな分析必要な何か?単に上の世代がノスタルジーに浸りすぎてその真似事してるだけなのでは?
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「浸る過去さえフェイクなんだよ」ってZ世代と「俺らと変わらなくない?」って上の世代の分かり合えなさが可視化されてる
フィルムエストは「VHSに録画された80年代のテレビ」風の画質を摸しているので、実際の放送はアレとはちょっと違うが、そこも含めて楽しんでいる。大半の視聴者にとっては全てがファントムなのでどうでもいいのだが。
最近Z世代が00年代のアキバの写真を引用して、事実とは異なる勝手な妄想で憧れ、説明(捏造)したものが同じくZ世代間でバズってた。「そもそもなかったものを追い求めてる」というのは最近のSNSを見てると理解できる
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哲学で説明する事はよいが、数多いる哲学者の中でラカンとジジェクを採用するメリットが説明されてないのは問題では。必然性なくラカンの枠組みを恣意的に採用して、当てはまって嬉しいってに喜んでるように見える。
オタクに限らず、ノスタルジーに限らず、陽キャですらポカリのCMみたいな幻想を半分信じて追い求めてる感ある。綺麗な嘘にはそういう引力あるのかね。
歌舞伎とか時代劇みたいなもの?体験していないものへのノスタルジーはZ世代に限らない。ちなみに紹介された動画は実際にその時代を生きて来た私には全然エモくも面白くもないな
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ライトな文体だけどこれってけっこう絶望的なことでは、もはやみんな狂ってバットマンのジョーカーみたいになるしか自身の実存を認識できないってことでしょ
タローマンを楽しんでいるので何も言えない
国鉄のにおいがムンムンするから
欠如の欠如って哲学か?
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ふむふむ、過去にゃんてボクには関係ないけど、みんな楽しそうにゃら良いにゃ!AIの歌で踊って、フィルム写真で遊ぶにゃんて、楽しそうにゃ!ボクも仲間に入れてにゃ!
終わりなき日常に戻りたいって? やなこった
何かと思えばポストモダンごっこか……懐かしいな、おい……犬だよイッヌ。犬を飼いなはれ。彼らは疑いも曇りもない、「遊ぼう」「ゴハン!」「散歩!!」みたいな目でキミを見てくれるよ。充分に癒される
ラカンを今更まっとうな精神医学で扱ってくれないから、欠如の欠如は哲学で引き取るしか無いんだよ
なぜそれをZ世代特有だと思い込んだのかな。いつの時代もフィクションを楽しむために観客の協力(信じたフリ)は不可欠だろうに。
Z世代に限らずだ罠(´・ω・`) んで、そこに耽溺できるのはまだまだ若い証拠だと思う。歳取るとそういうのがなんか鼻に掛かる感じがして気持ち悪くなったりするんだよね(本当は嫌いじゃないくせに)。
Z世代なんだったら小山氏とか言ってないでもっとキラキラしててくれよ
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良く読んでないけどレトロ風なカッコよさを求めているとかじゃないの?
yもZ世代であり,丸亀町商店街の過去のpeak(通行人2.8万人日1995年)に-2歳,どん底(0.9万人2005年)時8歳,復活例として視察年1.3万人(2012年)15歳,2019年(2.5万人)22歳故,地価最高点商店街の再興を見てるが,10歳上のMillennium世代(1987年生)は
なんかな、厨二病真っ只中って感じ。何でも懐古せず、新しいモノ作れよ。
Z世代と言いつつ10代なのか20代なのかでコメント変わるな。ごちゃごちゃ書いてるわりに内容が恐ろしく薄い。「ラカンとかポストモダンとか煙に巻きやがってうぜーんだよ」とか見当違いのこと書くのも痛すぎて死にそう
有りもしないけど、かつてあり得たかも知れない可能性の表象への惑溺。しかも分かりやすい方が良い。庵野秀明がコピーしかない!って言った奴が煮詰まったのをZ世代に感じたりはする。世の中は既視感に溢れ過ぎてる
ポストトゥルース。分かっていてデマを信じている奴とかいるよな、政治的確信犯とも違う、ただ一体感が欲しくて深層心理では分かっていてもデマに流されている人達
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おっさんがメイドカフェでクラシカルな19世紀のメイド服を着たサービスをありがたがるのもこれの類型じゃないかと言う気がしないでもない
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有りもしないものを信じる例えなら…有りもしない共産主義を信じていつか夢から覚めるのでは。資本主義が現実で共産主義は夢物語。それを実現させた国は存在しない。
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いつの世代もそういう人はある程度いたと思うが。昭和後期生まれは昭和初期、昭和初期は大正、大正生まれは明治、明治生まれは幕末。ずっとそうだったと思うが。
シュミラークル的な世界がスタンダードになった
この間のNHK映像の世紀「高度成長 やがて悲しき奇跡かな」はそんな昭和ノスタルジーに冷や水どころか糞尿(まじでした)をぶっかけるような内容だったので是非Z世代の皆様の必修科目として頂きたいと思いました。
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ノスタルジーとか関係なくこの40年以上ずっと60〜70年代の音楽ばかり聴いてる。それ以降に文化がないように感じるのは年寄り補正かね。
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ふぇぇ……。
世界が周囲で閉じていて、ネットに侵食されていない「青春」を夢見る気持ちはわかるが。ブルアカの美少女達は、YoutubeやTiktokを見て1日が過ぎたりする現代の当たり前の日々は誰も過ごしていない
うわー、懐かしい90年代の香りだ。ポストモダンとユング心理学と橋本治とエヴァ論な感じ。日本がまた豊かになってきたのかな。
なるほどZ80か(違います