まぁシェークスピアを日本語にしちゃあニュアンス変わるよーって英国人が言うのと同じだわなw/米映画なんかも声優になるとアニメっぽく成りやすいので字幕(とかCC)の方が良い場合もあ)/ジャッキーだけは石丸博也派
どんな作品も原語版でしかわからない雰囲気というのはある。だから吹替えではなくなるべく字幕で映画見たい派
この件についてコメントできるのはネイティブのマルチリンガルだけだと思う。私には「My name is 〜」のニュアンス(幼少期からの経験を含む本当の肌感)はどんなに努力しても一生分からん。
知り合いのワンパンマンファンのアメリカ人はヒーローや怪人名が全部ダジャレだって知らなかったな。「ワンパンマン」自体が「One punchi man」なので、アンパンマンのパロディーということさえ知らなかった。
ハリポタや指輪物語を母語レベルで楽しんでみたいなって思います。駄洒落や本歌取りが翻訳難しいよね。インテル入ってるの凄さ。/ 金庸は日本人の特権で中級レベルの中国語出来ると大分ニュアンスも読み取れます。
ハリポタはイギリスに対する憧れがあるのだと思うので、母語より世界の方が評価高そう
吾輩は猫である、もあと五十年くらいしたら私は猫です、になりそうだけど。
しょうがないわな。洋画は日本語吹き替えで見てから、2度目は英語字幕
バカか。逆に外国作品が翻訳されてどれだけ原語のニュアンスが失われるかを考えれば特権な訳がないだろ。海外にはジブリに匹敵するような作品がないと思ってるのか。夜郎自大
確かに僕っ子とか妾キャラの良さがちゃんと伝わらないのはもったいないな。
「”My name is Ashitaka"が"我が名はアシタカ"になるのはもったいない」と、英語ネイティブの人は思っているよ。英語の表現のニュアンスを理解できない人が、勝手な思い込みで英語の表現を評価しないほうがいいですよ。
なんでこの偏りが双方向で生じうるっていう発想に至らないんだろう?馬鹿なん?
「マテバでよければ」→「With my trusty MaTeBa, anytime」
どんなコンテンツでも翻訳された時点で削られるニュアンスは多い、でもその国の文化に合わせた意訳や翻訳者の意図を知る楽しさもある。オリジナルも翻訳も両方楽しめる人が最強
ユリシーズを本当に楽しめるのはダブリン市民だけ、的な。
自国出身の国民的フィクションって普通はあるんだろうか?各地域のそういうの知りたい。
ハリーポッターも原語版では言葉遊び満載らしいね
名乗るのに“I'm Ashitaka. ”と“My name is Ashitaka.”では、どんなふうに受け取る印象が変わるものなのかは、ネイティブの方に詳しく聞いてみたくはある。
鬼滅の「滅」は不滅の「滅」なんだけど翻訳どうなるんだろ。不滅って「スレイヤー」じゃないよね。どの作品も現地の原語と文化を知らないと浸れない。宗教関係とかよくあるしそれで異文化を勉強するんだからいい事だ
一方で「黒澤明が海外で評価が高いのは、みんな字幕で見てるから」(黒澤映画は本人の意図か当時の技術か、セリフがボソボソして聞き取りにくい)って話もある
ハリー・ポッターを原語のネイティブの感覚で読めたら楽しいだろうなと思うし、洋ゲーや洋画を字幕にしてると大分ニュアンス端折られてんな…って思う事が多々あるのでどっこいどっこいじゃないすかね
ロードオブザリング、原本と日本語訳版比較してみてると絶対権力や王への忠誠、愛のニュアンスを日本語で表現するの難しいんやなと思ってた
浅い英語理解のまま「もったいない」とまでは言い切れないな。/LotRで、誇らしげに名乗られる「多彩なるサルマン」が原語ではSaruman of many coloursなんだけど、このmany coloursのニュアンスの分からなさに軽く絶望した。
日本語がオタクの世界のラテン語のような扱いになっているという話はたまに聞く
"ほぼ網野善彦史観をベースとしていて、ryパンフレットに網野善彦を呼んで推薦文を書かせて事なきをえたくらいなんだけど、網野善彦の著作はほとんどが英訳されてないから副読本として読めない"
海外の人は戸田奈津子氏の翻訳で観てないんだな、とは思う。
いや、英語側にもさすがに何かあるやろ。
海外作品の日本語訳も同じ。こないだネットで日本のアニメを見るために日本語勉強したというドイツ人の話を見た/たまに絶妙な翻訳もあり、その解説読むのも面白かったり
アニメを見るたびに海外の反応をみるクセがついたので、この場面のセリフ、海外の人に通じるのかな?としなくてもいい心配するようになって困っている。1番いらん心配や。
グラディエーターでラッセル・クロウが"My name is Maximus Decimus Meridius"と名乗りを上げるシーンは非常にカッコいいので、日本人が思うよりも"My name is..."はここぞという重厚な場面で映える言い回しなんじゃないかな
シェイクスピアのコメントほんそれ。最近の翻訳は考察も深くて、頑張ってオリジナルの韻を再現しようとしたりしてるけど、正直そんなものガン無視の福田恆存訳の方が遥かに格調が高いし、読んでいて心地よい。
GTAはマシンガンのような面白トークを字幕で読みながら事故らず運転するのは無理なので吹き替えください
字幕でニュアンスが伝わりつらいのは方言だよねえ。仁義なき戦いの広島弁とか
英語ネイティブのほうが膨大なコンテンツを原文で楽しめるので羨ましいな...レトリックとかジョークとか、歌詞中のスラングとかさ
フリーレンもスレイヤーなんだ。出会ったら死ぬという意味で畏怖された二つ名であって、フリーレンが積極的にぶっころしに行ってるわけではないのに
最近の作品だと「葬送のフリーレン」の北米タイトルが「Frieren the Slayer」になってて、それは合ってるけど違うだろと思った。
もう「ジブリが世界最高」と評価するのは、やめるわけにはいかないか。
ハリポタの「お辞儀をするのだ」とかを知ったら向こうの人も同じことを言うと思う。
勝手に脳内で教科書にあるような「私の名前はアシタカです」に変換されちゃうんだろうな
「strider→馳夫」民やぞ、われわれは。
バック・トゥ・ザ・フューチャーって日本人が比較的好きな映画だと思うんだけどあれアメリカ人じゃないとわからないニュアンスあるよなぁ。とはみてて思う。
宮崎駿を神聖視しすぎだろ…
My name is は古臭いので、それでいいんです
わたくし/吾輩/俺様 なんかもみんな "I" になるし、貴様/あなた様 も You になる。役割や関係性の情報が欠落する。だから皆日本語を勉強して漫画を読む。「おにいさま」みたいのも異様に好きだよね・・・
「日本すごい!」
さらっと挨拶するだけでいいシチュエーションでMy name isをやったら我が名はみたいなニュアンスになるよと言われて英会話こわちかと思ったことある。
My name is Ashitaka. I'm a junior high school student. Nice to meet you.
My name isはまさしく「我が名は」みたいなニュアンスだよって笑われた話を聞いたばかりなんだが
ドラクエが海外でイマイチな理由は翻訳にあると言われてたな
まあわかるけど、逆に言ったら我々はハリウッド作品やら世界の名作に対してその特権を持ってないんだよな
海外作品を字幕で見るのは、せめて発音のニュアンスでネイティブの伝える感覚に近づきたいからだったのかもしれない
「君の名は。」の「わたし、わたくし、ぼく、おれ」なんかはニュアンスまで翻訳できる気がしない。/当然、そういう言葉遊びは他国にもあって、コメディ映画の翻訳は大変、って言われてるみたいだけど。
英語は同じ文字表記(My name〜)でも発声者の声色、音程込みの印象の比重が高いため一人称が複数ないことをカバーしている説。大陸系欧米圏はSpeech文化(同じ言葉でも声・演技で差をつける)説。「日本語=語彙選択文化」説
聖書を完全に理解するにはヘブライ語、ギリシャ語、アラム語が必修なのと同じで、原語でないとすくい取れないものがあるというだけ。幼稚な日本スゴイは恥ずかしいのでやめよう。
普通に洋画の翻訳も違うなと思うことあるぞ
逆に言えば、英語圏の映画は字幕やヘタクソな声優が棄損してるよな。
どう考えても英語の方が作品数多い
紅の豚はイタリア語版で観るべき派?
“デイダラボッチに該当する英単語がなくて” あったら笑うわ
英語だって同じだよ、原語のニュアンスが俺のような非ネイティブにはどうしても伝わらない。声調とか話すスピードとか声の高低とかで醸し出すニュアンスはわからない。敬語は無いと言われてるが「ある」とかも。
My name is Ashitakaも悪くない気もするけど(聞いたことない)、「我が名はアシタカ!」は確かにかっこよくて好き
外国映画で最後のオチが〝宗教〟にまつわるものだと理解できてないところ絶対にたくさんあるー!やらかしたー!ってなるのでまぁ、お互い様。
たまにそういう原語ならではに気付いて、外国語を学んで良かったと思うんだな。
My name is Iron Man...
この辺はお互い様なんだよな。だから、「Nessun dorma」を「誰も寝てはならぬ」にしたみたいに、翻訳の人はすごいという話だと思う。
Lord of the Ring は英語版もまた翻訳版の1つでしか無いから
森繁久彌の乙事主の独特なセリフ回しは海外の人には表現できんだろうな。
知るかよ。そんなのにこだわって意味不明な分かりにくい翻訳になるよりゃマシだよ。ていうか文句付けてるマトモに英語知らんだろ
間抜けな話。しかもロストテクノロジーになりつつあるというのに。
字幕なしで観れるほど英語わからないけど、それでも「うわあぁすんげえ削ったな!!」ってわかることあるので語学堪能な方は羨ましい
逆パターンでMoby Dickの冒頭、"Call me Ishmael."をどう訳すかってのも古典的な問題だしね。文化的コンテクストまで含めて完璧に訳すのは事実上出来ないわけで。
「私の名前はアシタカです」「我が名はアシタカ」まぁ違うよね。
こういうのを見ていると全部の言語を話せるようになりた~い!ってなる。
逆も同じ。例えば,アナ雪のオラフのセリフ「Some people are worth melting for.」を「アナのためなら溶けてもいい」と訳したのとか。ニュアンスが全然違う。ここではオラフの気持ちではなく,アナの価値を言っているのに。
やや気持ちが悪いという感想。
普通の自己紹介では「I am 名前」で、格式張った時は「My name is 名前」だったような
時代劇では「不憫であった」が “I am sorry.” になる。
シェリーの"My name is Ozymandias, king of kings"を知っていれば、悪くない翻訳だとわかる。普通の挨拶ならI'm Ashitakaとか言うだろ。
こんなことが日本人最大の特権だと感じられるなんて日本は本当に平和な国ですな。
そんなもんが日本人の最大の特権とかオタク特有の大げさ仕草
ヒドイ和訳は解るが、ヒドイ英訳かどうか判らないということが解った。「わかった」一つでもムズカシイ
中学・高校程度の英語やっただけでネイティブ話者が感じ取るニュアンスを把握できてると思っちゃう人多いよね
『レディ・プレイヤー1』唯一の日本語セリフ『俺はガンダムで行く!』の カッコよさは『I choose the form of Gundam』で伝わってんのかとは思っている。
「たしかに原語で楽しめるのは現地人の特権だね」でいいんだからいちいちピリつくなよ。もちろん海外の人は海外作品を原語で楽しめるが、それは誰も否定してないでしょ。お前ら日本語理解できないのか?
なんでや鬼形部の英語版名乗りかっこええやろがい
>日本語の一人称の豊かさは独特 独特の言語+文化をそのまま楽しめるのは得難きことなんだなぁ
まぁ俺らも洋画のニュアンスを完璧に理解できないのでお互い様だろ。
翻訳するときにはデイダラボッチみたいな言葉はそのまま置き換えないほうがいいと思うけどな〜
そんなの特権でもなんでもない。自分は「ガリア戦記」を原語で読んで興奮したかったし「三国演義」を講談で聞いてみんなと一緒に熱狂したかったよ。
いやだなあこんなので盛り上がるの
日本語→英語に訳したものを英語→日本語と脳内で再翻訳するから残念に聞こえる説
日本だけが特権と思う視野の狭さよ。もっと言えば世界各地にはその国だけで大流行の文化はいくらでもあって、その面白さを知らない、歴史や文化的下地がなくわからない日本人などいくらでもいる
英語版タイトルが日本語そのままではない漫画作品 https://anond.hatelabo.jp/20241021230425
アシタカの我が名はを英語にするのは、ボクもちょっぴり寂しいにゃ。日本語って色んな言い方があって面白いから、そのままが良いにゃ。でも、色んな人に知ってほしい気持ちもあるにゃ~。
40代ぐらいの人のジブリ信仰の強さはマジ怖い
大学の時に翻訳分析のゼミに一時所属してて、そこの教授は全ての翻訳は本質的に誤訳(失われたり変化したりするニュアンスが多かれ少なかれあるという意)と仰ってたな
までも外国語のニュアンスをウチらが完全に理解できてないのと同じじゃん?ジブリの…って意味では確かにその通りだけどフランス映画とかウチらネイティブのようには理解できないでしょ
「薔薇は他のどんな名前で呼んでも甘い香りがするわ」-シェイクスピア これは、薔薇という字もバラという音も、rose/ローズだった原文からニュアンスが半減していると常々思っている。
海外の文芸作品を日本に紹介する際に先人がどれだけの工夫をしたか。「植物名がわからない時はニハトコと訳しておきなさい」「ビクトリア朝イギリスか。江戸時代に置き換えればいいか」
「おっす、おらアシタカ!」のカジュアルな雰囲気出そうと思ったら「I’m Ashitaka!」になるんじゃないの?「My name is〜」はフォーマルな感じで「我が名はアシタカ」の雰囲気が出てると思うけどね
ネトフリとかで1回日本語字幕付きで見たシーンを、その直後に英語字幕で見ると、あまりにも違うことを言ってたり、訳出できないスラングがあったりしてびっくりするよな
どこの国であれ翻訳しきれない物語を有してるでしょ、想像力の欠如。
鬼滅の刃もデーモンスレイヤーだからな。
逆に欧米圏では、言葉(一人称やら言い回し)のバリエーションがあまりないから、ボディーランゲージでもオーバーアクションが必要になる・・・ってことなのかな?
“時代劇の「おひけなすって」がNice to meet you.と訳されてるのを見たとき同じ気持ちになった ”これは笑うけど、「もしもし」をどう訳すかというとHelloだよなとも思うのでニュアンスレベルの語学はむずい
ゲド戦記は翻訳なしで楽しめましたか…?(小声)
それはそうだが、それは他の国でも似たようなこと言えるんじゃないかな
古臭くてダサい雰囲気なのか、古さが威厳を出しててカッコいいのか微妙なラインで翻訳むずそう
逆に私は紅の豚を英語吹き替えで見るたびに「英語勉強しといてよかったなあ」と思う。あれはなかなかよくできた翻訳
吹き替え版では、同じキャラを場面ごとに Animal、God、Deamon、Beast と呼び分けて、同じものが「動物でもあり神でもある」という西洋人には馴染みのないコンセプトを自然と理解できるようにしてて巧い!と思った
これは日本語訳作品にも言えることで、ハチノヨンには感謝してるけどUNDERTALEのSAVEのダブルミーニングを消し去った事は今も何とか出来なかったのか?という気持ちになる。
日本語が他の言語と比較して表現が豊かなのはそうかもしれないが逆のパターンもあるじゃろ。
“「おひけなすって」がNice to meet you.と訳され”
翻訳に問題があるときいて原語版読んでみても、意味は分かっても雰囲気は全然伝わってこないしなあ
ジブリ映画を素人の芸能人声優じゃなくてプロの吹き替え声優で楽しめるのは海外の特権という見方もある
今フツーに名乗るならI am ... とか単に(自分を指して)名前だけ言う、とかだよな
辺境出身のアシタカが訛がないのがなんか変な気がする。
そんなに違うと言えるのかがわからない。明治38年の「吾輩は猫である」と令和の現在の響きでは違うだろうし。
英語ネイティブの人はおかしいと感じてるってことは、その英語ネイティブの人には「我が名は〜」のニュアンスが理解できてるってことだよね?であれば何かしら他の英語表現が出てきそうだけど見当たらない。
どう考えても英語が原語の作品の方が多いわけで、英語が母語なのが最強でしょ。
戸田奈津子翻訳の洋画を楽しめるのは日本人の最大の特権(T_T)
特権変更できるなら英語に変えたい。切実に。/ 『I’m、I am、My name isで一人称の固さは違うけど』これはあるけど、一人称の僕とか俺とか私は訳し切れてない感あるね
外国人俳優・ミュージシャンのインタビューが日本語訳されるときも一人称が「オレ」になっていて必要以上にオレ様キャラになっている。創作表現には強いが、コミュニケーション言語として日本語は問題が生じやすい
My name is は聴き手が並んで複数いるような状況での自己紹介で I’m は対面での自己紹介というのが俺の理解。前者の方が堅い場が多いからか「My name is=拙者」的な変な英語論が流布されているが普通に使われる
Ashitaka is my name.のほうがよさそうだけど。それこそ英語の古典からいくらでも参考できると思いますが。
自分の拙い英語理解ではたしかに英語って表現力に欠けるような印象を受けるんだけどそんなわけないよなと思い数人のバイリンガルに聞いたけど彼らは言語や文化に興味薄い人たちでまともな答えが得られなかった。
アイクがMy name isでもI'mでも何も感じない全く変わらない、て言ってたよ
日本人じゃなくて日本語話者の特権。大量の漫画やアニメを摂取しやすいのは日本に生まれたおかげではある。
英語圏のドラマや映画を見ててもあっちの文化や制度、教養や言葉遊びを知らないと伝わらないネタは無数にある。印欧語と日本語の言語間距離も遠いし文化も離れてるので双方向にlost in translationの余地が大きい
浅はかだな。そこでなぜ「外国語ではどうなんだろう」というところに考えが及ばないのか。
私は大好きないくつかの洋画を本当には味わえていないんだろうなあ、と時々さみしくなります
英語でもシェークスピア風にするとかある。ちなみにAIに変換してもらったら“Mine name is Ashitaka.”だそうだ。もちろんこのちょっとした違いはノン英語ネイティブの日本人にはわからない
むしろ我々も、もののけ姫とかで「我が名は」の使い方を学んでるだけじゃないかな。
『ジブリ作品を翻訳なしで楽しみたい』のであれば、そんなにおかしなことは言ってないと思う(『もったいない』はよくわからん)けど。ピンポイントに"My name is ~"だけで論じるようなことじゃない。
不思議な国のアリスって英語特有の言葉遊びやジョークが多いけど、その面白さのかなりの部分は翻訳で失われてるらしいな。
これ系だとグレート・ギャツビーの「old sport」が浮かぶ。グレード・ギャッビーは物語自体が「狂騒の20年代」のノスタルジーが分からないと理解が難しく、アメリカ人で無いと真に理解できないのだろうと思っている
いいですよねつらぬき丸…
ただし日本では配信しません
こう言う話見るたびに養老孟司の講演思い出す。ニュアンスは言語圏や時代に要請されてできてる気がするから、翻訳は危ういよねぇ
原語で見る映画体験が至高であるという主張をナッチ理論と呼ぼう。
I am Ashitakaじゃなかったっけ
教養の問題な気がする。子どもに配慮しなければもうちょっと気の利いた翻訳になるのでは。
あ、Xでよくネタに使われている画像だ
お互い様かと。ハリーポッターを原書で読める人が翻訳が酷くて日本語版が面白くない、と言ってたのと同じかなぁ?日本人が日本文化を元にしたコンテンツが好きで、原語で楽しめるのが嬉しいと思うのは自然だけど。
英語はビジネスでしか使わないけど、仰々しくMy name isなんて言う場面出くわした事ないから、割とニュアンスも伝わってるんじゃねって気はするよね。日本語は表現が豊かとか言ってるのは笑っちゃうなw
英語だろうが何語だろうが戦のときの名乗りはあるだろ?訳ができてないとすればそれは翻訳者の怠慢でしょ
名乗るならそうするしかなくね?それを言ったら英題がそもそも変でしょ。オタサーで例えるなら、「オタサーの姫」もしくは「オタク姫」なのに姫の名前が「オタサー」になっちゃってるじゃん
SEKIROのこのシーン思い出した。https://www.youtube.com/watch?v=CcgsZ1C1Skg&t=5135s
“ジブリ作品を翻訳なしで楽しめるのは日本人の最大の特権”日本人でなく日本語話者な(´・_・`)こういう傲慢な思い込みはやばい
フランクな自己紹介は「I'm ○○」で、イギリス貴族としての自己紹介だとフランス語だっけ?アシタカの名乗りなら「my name is ~」でちょうどええやろ。
翻訳はどうしても情報が落ちたり変質したりするんですよね。人間が翻訳してもそうなので、機械翻訳はなおさら。
「我が名は」と話すキャラがコンテンツで擦られ続け、お約束として認識できているからなだけで、日本語の持つ言の葉の機微のような大袈裟なものではないかと…。古めのハリウッド映画に出てくる金髪が表す記号と同義
http://linode.mono.ca.gov/how-long-does-dispute-take-coinbase-getchargeback-fullguidehttp://linode.mono.ca.gov/how-long-does-dispute-take-coinbase-getchargeback-fullguide
『君たちはどう生きるか』はオルフェウス神話や『パルジファル』、『魔笛』などの西洋作品へのオマージュが結構多いからなあ。
教科書で習うI am~の一般的な自己紹介よりはMy name is~の方が我が名は~に近いのは確か。映画も文学もバレエやオペラも何でも、やっぱり原語で味わうのが1番だから語学やりたくなるんだよ。
漫画を英語訳で読んだけど、日本語の何がいいかというのをしみじみ感じることができた。ニュアンスや話者の地位や躊躇加減までもが文章に含められてそこで遊べるの最高だよ。非母語の人に説明するとえらい喜ばれる
「I am Lord Voldemort」はフランクな挨拶か?Nice to meet you.とか続けばそうかもな。こういうの、イントネーションとかしゃべり方にもよるから、文章だけとって重々しさは測れないよ。
「My name is」 って「我が名は」って訳すのが適切な言い方だと思うけど
Strider→馳夫は訳者の瀬田貞二が松尾芭蕉好きだったからつけられたのである
The name is Bond... James Bond.
ナイト(騎士)がトーナメント(馬上試合)で名乗りを上げないとかあるんけ?
村上春樹を日本語で読めること、サンボマスターやブルーハーツの詩を耳から心へとストレートに受け取れることが日本語話者の特権だよね。
まあ損なわれるのわかってても他国の人が読めるようにしてる翻訳家さんは偉いよ
むしろ日本人もどれだけ宮崎駿や作り手の意図を汲めてるのかは分からないよね。/ 文化的社会的背景を考慮した翻訳って本当に難しいし、だからこそプロの仕事なんだろうなと思う。
一方「七人の侍」は字幕が欲しい。
少なくとも母国語の品質の高いコンテンツを楽しめるのは素直に嬉しいことだよね。
マルクス兄弟のグルーチョの芸風を腹の底から笑うには、英語のリスニング能力が必要だよね、というオハナシ。日本語話者で得ているものより英語話者じゃなくて失ってるものの方が圧倒的に多いわ阿呆どもが
そう思うでしょ〜?でもそれ、自分で苦労してコツコツ勉強してやっと分かった!聞き取れた!嬉しい!って喜んでる日本語学習者のキラキラを目の当たりにしたら、むしろ逆に羨ましいとすら思うよ
日本のMy name isの教え方が悪いって話では。フランクな方から教えるべき
そりゃクルアーンを原語で読めるのはアラビア語(古文だけど)話者の特権。どこもおんなじ
当然ながら、逆もまた然り、だよねえ。
言葉のニュアンスとか以前にアシタカが松田洋治の声ではないというのが一番の損失。松田洋治に英語の発音練習してもらうのが一番いいと思う。
「我が名はアシタカ」って言いながら名刺を出せばよかったのだ。
https://bizfileonline.sos.ca.gov/api/FileUpload/2f2ff1f8-3d93-45a3-99e9-3503f1070d16
i'm ashitakaでなくmy name is であるのがまさしくそのニュアンスじゃないか?しかも野外で
そういえば日本昔ばなしが終了してから大分経つけど、今の子供はダイダラボッチとか分かるんかな?
これは新手の日本スゴイなのかしら。
妹が可愛いって主人公は言ってるけど当人の作文はスペルミス文法間違いだらけ…の間違い感はネイティブじゃないと理解できないんだろうなと残念に思ったことはある。
その点久石譲の音楽は外人も平等に楽しめていいな。と思ったけどこれも日本人のほうが刺さる可能性あるか
Death eater→「死喰い人」、Dementor→「吸魂鬼」、Elder Wand→「ニワトコの杖」。なんなのこの弱そうな和訳。
英語が母国語である事のメリットと比べるとあまりにも弱すぎる
My NAAAAAME is Gyoubu Masataka ONIWA! As I breathe, you will NOT pass the castle gate
自分は楽しんだポイントが違ってて、もののけ姫や千と千尋の神隠しとかは英語の字幕付きで観ることで「何を言ってるんだ?」ってなるような台詞の意味が分かって楽しめた
逆も然りだからそのまま言葉を理解できるといいよね。ディズニーソングの和訳もけっこうひどいし。
逆もまた然りだけどな。映画見返すと勿体無い字幕よくあるけどな。
「I am your father.」が英語圏ではダース・ベイダーしか使わないみたいなもんか
英語圏の膨大なコンテンツを原語で楽しめるのは英語圏の人だけ。うーんそれで?
人称・間投詞・語尾などの変化しやすいパーツのせいで、作品公開から30年くらい経過しただけで会話・文体が古臭くなる現象が日本語では強いように思う。現在のその感覚も早晩失われて翻訳作品程度の理解度になるよ。
んなこというたらモリエールを原語で楽しめるのはフランス語圏の人間だけだぞ。
FF4イージータイプで「オーガキラー」が「おにころし」になっていて味わい深かった
必要なら古期英語で翻訳すればいいんだぜ。「Once upon a time(カードゲーム)」をやって「英語のおとぎ話表現難しいな」って思った。エンディングカードが難しい。
もののけ姫を見るたびに「ジブリ作品を翻訳なしで楽しめるのは日本人の最大の特権」という話を思い出す… 「我が名はアシタカ」が"My name is Ashitaka"になるのはもったいない
まぁシェークスピアを日本語にしちゃあニュアンス変わるよーって英国人が言うのと同じだわなw/米映画なんかも声優になるとアニメっぽく成りやすいので字幕(とかCC)の方が良い場合もあ)/ジャッキーだけは石丸博也派
どんな作品も原語版でしかわからない雰囲気というのはある。だから吹替えではなくなるべく字幕で映画見たい派
この件についてコメントできるのはネイティブのマルチリンガルだけだと思う。私には「My name is 〜」のニュアンス(幼少期からの経験を含む本当の肌感)はどんなに努力しても一生分からん。
知り合いのワンパンマンファンのアメリカ人はヒーローや怪人名が全部ダジャレだって知らなかったな。「ワンパンマン」自体が「One punchi man」なので、アンパンマンのパロディーということさえ知らなかった。
ハリポタや指輪物語を母語レベルで楽しんでみたいなって思います。駄洒落や本歌取りが翻訳難しいよね。インテル入ってるの凄さ。/ 金庸は日本人の特権で中級レベルの中国語出来ると大分ニュアンスも読み取れます。
ハリポタはイギリスに対する憧れがあるのだと思うので、母語より世界の方が評価高そう
吾輩は猫である、もあと五十年くらいしたら私は猫です、になりそうだけど。
しょうがないわな。洋画は日本語吹き替えで見てから、2度目は英語字幕
バカか。逆に外国作品が翻訳されてどれだけ原語のニュアンスが失われるかを考えれば特権な訳がないだろ。海外にはジブリに匹敵するような作品がないと思ってるのか。夜郎自大
確かに僕っ子とか妾キャラの良さがちゃんと伝わらないのはもったいないな。
「”My name is Ashitaka"が"我が名はアシタカ"になるのはもったいない」と、英語ネイティブの人は思っているよ。英語の表現のニュアンスを理解できない人が、勝手な思い込みで英語の表現を評価しないほうがいいですよ。
なんでこの偏りが双方向で生じうるっていう発想に至らないんだろう?馬鹿なん?
「マテバでよければ」→「With my trusty MaTeBa, anytime」
どんなコンテンツでも翻訳された時点で削られるニュアンスは多い、でもその国の文化に合わせた意訳や翻訳者の意図を知る楽しさもある。オリジナルも翻訳も両方楽しめる人が最強
ユリシーズを本当に楽しめるのはダブリン市民だけ、的な。
自国出身の国民的フィクションって普通はあるんだろうか?各地域のそういうの知りたい。
ハリーポッターも原語版では言葉遊び満載らしいね
名乗るのに“I'm Ashitaka. ”と“My name is Ashitaka.”では、どんなふうに受け取る印象が変わるものなのかは、ネイティブの方に詳しく聞いてみたくはある。
鬼滅の「滅」は不滅の「滅」なんだけど翻訳どうなるんだろ。不滅って「スレイヤー」じゃないよね。どの作品も現地の原語と文化を知らないと浸れない。宗教関係とかよくあるしそれで異文化を勉強するんだからいい事だ
一方で「黒澤明が海外で評価が高いのは、みんな字幕で見てるから」(黒澤映画は本人の意図か当時の技術か、セリフがボソボソして聞き取りにくい)って話もある
ハリー・ポッターを原語のネイティブの感覚で読めたら楽しいだろうなと思うし、洋ゲーや洋画を字幕にしてると大分ニュアンス端折られてんな…って思う事が多々あるのでどっこいどっこいじゃないすかね
ロードオブザリング、原本と日本語訳版比較してみてると絶対権力や王への忠誠、愛のニュアンスを日本語で表現するの難しいんやなと思ってた
浅い英語理解のまま「もったいない」とまでは言い切れないな。/LotRで、誇らしげに名乗られる「多彩なるサルマン」が原語ではSaruman of many coloursなんだけど、このmany coloursのニュアンスの分からなさに軽く絶望した。
日本語がオタクの世界のラテン語のような扱いになっているという話はたまに聞く
"ほぼ網野善彦史観をベースとしていて、ryパンフレットに網野善彦を呼んで推薦文を書かせて事なきをえたくらいなんだけど、網野善彦の著作はほとんどが英訳されてないから副読本として読めない"
海外の人は戸田奈津子氏の翻訳で観てないんだな、とは思う。
いや、英語側にもさすがに何かあるやろ。
海外作品の日本語訳も同じ。こないだネットで日本のアニメを見るために日本語勉強したというドイツ人の話を見た/たまに絶妙な翻訳もあり、その解説読むのも面白かったり
アニメを見るたびに海外の反応をみるクセがついたので、この場面のセリフ、海外の人に通じるのかな?としなくてもいい心配するようになって困っている。1番いらん心配や。
グラディエーターでラッセル・クロウが"My name is Maximus Decimus Meridius"と名乗りを上げるシーンは非常にカッコいいので、日本人が思うよりも"My name is..."はここぞという重厚な場面で映える言い回しなんじゃないかな
シェイクスピアのコメントほんそれ。最近の翻訳は考察も深くて、頑張ってオリジナルの韻を再現しようとしたりしてるけど、正直そんなものガン無視の福田恆存訳の方が遥かに格調が高いし、読んでいて心地よい。
GTAはマシンガンのような面白トークを字幕で読みながら事故らず運転するのは無理なので吹き替えください
字幕でニュアンスが伝わりつらいのは方言だよねえ。仁義なき戦いの広島弁とか
英語ネイティブのほうが膨大なコンテンツを原文で楽しめるので羨ましいな...レトリックとかジョークとか、歌詞中のスラングとかさ
フリーレンもスレイヤーなんだ。出会ったら死ぬという意味で畏怖された二つ名であって、フリーレンが積極的にぶっころしに行ってるわけではないのに
最近の作品だと「葬送のフリーレン」の北米タイトルが「Frieren the Slayer」になってて、それは合ってるけど違うだろと思った。
もう「ジブリが世界最高」と評価するのは、やめるわけにはいかないか。
ハリポタの「お辞儀をするのだ」とかを知ったら向こうの人も同じことを言うと思う。
勝手に脳内で教科書にあるような「私の名前はアシタカです」に変換されちゃうんだろうな
「strider→馳夫」民やぞ、われわれは。
バック・トゥ・ザ・フューチャーって日本人が比較的好きな映画だと思うんだけどあれアメリカ人じゃないとわからないニュアンスあるよなぁ。とはみてて思う。
宮崎駿を神聖視しすぎだろ…
My name is は古臭いので、それでいいんです
わたくし/吾輩/俺様 なんかもみんな "I" になるし、貴様/あなた様 も You になる。役割や関係性の情報が欠落する。だから皆日本語を勉強して漫画を読む。「おにいさま」みたいのも異様に好きだよね・・・
「日本すごい!」
さらっと挨拶するだけでいいシチュエーションでMy name isをやったら我が名はみたいなニュアンスになるよと言われて英会話こわちかと思ったことある。
My name is Ashitaka. I'm a junior high school student. Nice to meet you.
My name isはまさしく「我が名は」みたいなニュアンスだよって笑われた話を聞いたばかりなんだが
ドラクエが海外でイマイチな理由は翻訳にあると言われてたな
まあわかるけど、逆に言ったら我々はハリウッド作品やら世界の名作に対してその特権を持ってないんだよな
海外作品を字幕で見るのは、せめて発音のニュアンスでネイティブの伝える感覚に近づきたいからだったのかもしれない
「君の名は。」の「わたし、わたくし、ぼく、おれ」なんかはニュアンスまで翻訳できる気がしない。/当然、そういう言葉遊びは他国にもあって、コメディ映画の翻訳は大変、って言われてるみたいだけど。
英語は同じ文字表記(My name〜)でも発声者の声色、音程込みの印象の比重が高いため一人称が複数ないことをカバーしている説。大陸系欧米圏はSpeech文化(同じ言葉でも声・演技で差をつける)説。「日本語=語彙選択文化」説
聖書を完全に理解するにはヘブライ語、ギリシャ語、アラム語が必修なのと同じで、原語でないとすくい取れないものがあるというだけ。幼稚な日本スゴイは恥ずかしいのでやめよう。
普通に洋画の翻訳も違うなと思うことあるぞ
逆に言えば、英語圏の映画は字幕やヘタクソな声優が棄損してるよな。
どう考えても英語の方が作品数多い
紅の豚はイタリア語版で観るべき派?
“デイダラボッチに該当する英単語がなくて” あったら笑うわ
英語だって同じだよ、原語のニュアンスが俺のような非ネイティブにはどうしても伝わらない。声調とか話すスピードとか声の高低とかで醸し出すニュアンスはわからない。敬語は無いと言われてるが「ある」とかも。
My name is Ashitakaも悪くない気もするけど(聞いたことない)、「我が名はアシタカ!」は確かにかっこよくて好き
外国映画で最後のオチが〝宗教〟にまつわるものだと理解できてないところ絶対にたくさんあるー!やらかしたー!ってなるのでまぁ、お互い様。
たまにそういう原語ならではに気付いて、外国語を学んで良かったと思うんだな。
My name is Iron Man...
この辺はお互い様なんだよな。だから、「Nessun dorma」を「誰も寝てはならぬ」にしたみたいに、翻訳の人はすごいという話だと思う。
Lord of the Ring は英語版もまた翻訳版の1つでしか無いから
森繁久彌の乙事主の独特なセリフ回しは海外の人には表現できんだろうな。
知るかよ。そんなのにこだわって意味不明な分かりにくい翻訳になるよりゃマシだよ。ていうか文句付けてるマトモに英語知らんだろ
間抜けな話。しかもロストテクノロジーになりつつあるというのに。
字幕なしで観れるほど英語わからないけど、それでも「うわあぁすんげえ削ったな!!」ってわかることあるので語学堪能な方は羨ましい
逆パターンでMoby Dickの冒頭、"Call me Ishmael."をどう訳すかってのも古典的な問題だしね。文化的コンテクストまで含めて完璧に訳すのは事実上出来ないわけで。
「私の名前はアシタカです」「我が名はアシタカ」まぁ違うよね。
こういうのを見ていると全部の言語を話せるようになりた~い!ってなる。
逆も同じ。例えば,アナ雪のオラフのセリフ「Some people are worth melting for.」を「アナのためなら溶けてもいい」と訳したのとか。ニュアンスが全然違う。ここではオラフの気持ちではなく,アナの価値を言っているのに。
やや気持ちが悪いという感想。
普通の自己紹介では「I am 名前」で、格式張った時は「My name is 名前」だったような
時代劇では「不憫であった」が “I am sorry.” になる。
シェリーの"My name is Ozymandias, king of kings"を知っていれば、悪くない翻訳だとわかる。普通の挨拶ならI'm Ashitakaとか言うだろ。
こんなことが日本人最大の特権だと感じられるなんて日本は本当に平和な国ですな。
そんなもんが日本人の最大の特権とかオタク特有の大げさ仕草
ヒドイ和訳は解るが、ヒドイ英訳かどうか判らないということが解った。「わかった」一つでもムズカシイ
中学・高校程度の英語やっただけでネイティブ話者が感じ取るニュアンスを把握できてると思っちゃう人多いよね
『レディ・プレイヤー1』唯一の日本語セリフ『俺はガンダムで行く!』の カッコよさは『I choose the form of Gundam』で伝わってんのかとは思っている。
「たしかに原語で楽しめるのは現地人の特権だね」でいいんだからいちいちピリつくなよ。もちろん海外の人は海外作品を原語で楽しめるが、それは誰も否定してないでしょ。お前ら日本語理解できないのか?
なんでや鬼形部の英語版名乗りかっこええやろがい
>日本語の一人称の豊かさは独特 独特の言語+文化をそのまま楽しめるのは得難きことなんだなぁ
まぁ俺らも洋画のニュアンスを完璧に理解できないのでお互い様だろ。
翻訳するときにはデイダラボッチみたいな言葉はそのまま置き換えないほうがいいと思うけどな〜
そんなの特権でもなんでもない。自分は「ガリア戦記」を原語で読んで興奮したかったし「三国演義」を講談で聞いてみんなと一緒に熱狂したかったよ。
いやだなあこんなので盛り上がるの
日本語→英語に訳したものを英語→日本語と脳内で再翻訳するから残念に聞こえる説
日本だけが特権と思う視野の狭さよ。もっと言えば世界各地にはその国だけで大流行の文化はいくらでもあって、その面白さを知らない、歴史や文化的下地がなくわからない日本人などいくらでもいる
英語版タイトルが日本語そのままではない漫画作品 https://anond.hatelabo.jp/20241021230425
アシタカの我が名はを英語にするのは、ボクもちょっぴり寂しいにゃ。日本語って色んな言い方があって面白いから、そのままが良いにゃ。でも、色んな人に知ってほしい気持ちもあるにゃ~。
40代ぐらいの人のジブリ信仰の強さはマジ怖い
大学の時に翻訳分析のゼミに一時所属してて、そこの教授は全ての翻訳は本質的に誤訳(失われたり変化したりするニュアンスが多かれ少なかれあるという意)と仰ってたな
までも外国語のニュアンスをウチらが完全に理解できてないのと同じじゃん?ジブリの…って意味では確かにその通りだけどフランス映画とかウチらネイティブのようには理解できないでしょ
「薔薇は他のどんな名前で呼んでも甘い香りがするわ」-シェイクスピア これは、薔薇という字もバラという音も、rose/ローズだった原文からニュアンスが半減していると常々思っている。
海外の文芸作品を日本に紹介する際に先人がどれだけの工夫をしたか。「植物名がわからない時はニハトコと訳しておきなさい」「ビクトリア朝イギリスか。江戸時代に置き換えればいいか」
「おっす、おらアシタカ!」のカジュアルな雰囲気出そうと思ったら「I’m Ashitaka!」になるんじゃないの?「My name is〜」はフォーマルな感じで「我が名はアシタカ」の雰囲気が出てると思うけどね
ネトフリとかで1回日本語字幕付きで見たシーンを、その直後に英語字幕で見ると、あまりにも違うことを言ってたり、訳出できないスラングがあったりしてびっくりするよな
どこの国であれ翻訳しきれない物語を有してるでしょ、想像力の欠如。
鬼滅の刃もデーモンスレイヤーだからな。
逆に欧米圏では、言葉(一人称やら言い回し)のバリエーションがあまりないから、ボディーランゲージでもオーバーアクションが必要になる・・・ってことなのかな?
“時代劇の「おひけなすって」がNice to meet you.と訳されてるのを見たとき同じ気持ちになった ”これは笑うけど、「もしもし」をどう訳すかというとHelloだよなとも思うのでニュアンスレベルの語学はむずい
ゲド戦記は翻訳なしで楽しめましたか…?(小声)
それはそうだが、それは他の国でも似たようなこと言えるんじゃないかな
古臭くてダサい雰囲気なのか、古さが威厳を出しててカッコいいのか微妙なラインで翻訳むずそう
逆に私は紅の豚を英語吹き替えで見るたびに「英語勉強しといてよかったなあ」と思う。あれはなかなかよくできた翻訳
吹き替え版では、同じキャラを場面ごとに Animal、God、Deamon、Beast と呼び分けて、同じものが「動物でもあり神でもある」という西洋人には馴染みのないコンセプトを自然と理解できるようにしてて巧い!と思った
これは日本語訳作品にも言えることで、ハチノヨンには感謝してるけどUNDERTALEのSAVEのダブルミーニングを消し去った事は今も何とか出来なかったのか?という気持ちになる。
日本語が他の言語と比較して表現が豊かなのはそうかもしれないが逆のパターンもあるじゃろ。
“「おひけなすって」がNice to meet you.と訳され”
翻訳に問題があるときいて原語版読んでみても、意味は分かっても雰囲気は全然伝わってこないしなあ
ジブリ映画を素人の芸能人声優じゃなくてプロの吹き替え声優で楽しめるのは海外の特権という見方もある
今フツーに名乗るならI am ... とか単に(自分を指して)名前だけ言う、とかだよな
辺境出身のアシタカが訛がないのがなんか変な気がする。
そんなに違うと言えるのかがわからない。明治38年の「吾輩は猫である」と令和の現在の響きでは違うだろうし。
英語ネイティブの人はおかしいと感じてるってことは、その英語ネイティブの人には「我が名は〜」のニュアンスが理解できてるってことだよね?であれば何かしら他の英語表現が出てきそうだけど見当たらない。
どう考えても英語が原語の作品の方が多いわけで、英語が母語なのが最強でしょ。
戸田奈津子翻訳の洋画を楽しめるのは日本人の最大の特権(T_T)
特権変更できるなら英語に変えたい。切実に。/ 『I’m、I am、My name isで一人称の固さは違うけど』これはあるけど、一人称の僕とか俺とか私は訳し切れてない感あるね
外国人俳優・ミュージシャンのインタビューが日本語訳されるときも一人称が「オレ」になっていて必要以上にオレ様キャラになっている。創作表現には強いが、コミュニケーション言語として日本語は問題が生じやすい
My name is は聴き手が並んで複数いるような状況での自己紹介で I’m は対面での自己紹介というのが俺の理解。前者の方が堅い場が多いからか「My name is=拙者」的な変な英語論が流布されているが普通に使われる
Ashitaka is my name.のほうがよさそうだけど。それこそ英語の古典からいくらでも参考できると思いますが。
自分の拙い英語理解ではたしかに英語って表現力に欠けるような印象を受けるんだけどそんなわけないよなと思い数人のバイリンガルに聞いたけど彼らは言語や文化に興味薄い人たちでまともな答えが得られなかった。
アイクがMy name isでもI'mでも何も感じない全く変わらない、て言ってたよ
日本人じゃなくて日本語話者の特権。大量の漫画やアニメを摂取しやすいのは日本に生まれたおかげではある。
英語圏のドラマや映画を見ててもあっちの文化や制度、教養や言葉遊びを知らないと伝わらないネタは無数にある。印欧語と日本語の言語間距離も遠いし文化も離れてるので双方向にlost in translationの余地が大きい
浅はかだな。そこでなぜ「外国語ではどうなんだろう」というところに考えが及ばないのか。
私は大好きないくつかの洋画を本当には味わえていないんだろうなあ、と時々さみしくなります
英語でもシェークスピア風にするとかある。ちなみにAIに変換してもらったら“Mine name is Ashitaka.”だそうだ。もちろんこのちょっとした違いはノン英語ネイティブの日本人にはわからない
むしろ我々も、もののけ姫とかで「我が名は」の使い方を学んでるだけじゃないかな。
『ジブリ作品を翻訳なしで楽しみたい』のであれば、そんなにおかしなことは言ってないと思う(『もったいない』はよくわからん)けど。ピンポイントに"My name is ~"だけで論じるようなことじゃない。
不思議な国のアリスって英語特有の言葉遊びやジョークが多いけど、その面白さのかなりの部分は翻訳で失われてるらしいな。
これ系だとグレート・ギャツビーの「old sport」が浮かぶ。グレード・ギャッビーは物語自体が「狂騒の20年代」のノスタルジーが分からないと理解が難しく、アメリカ人で無いと真に理解できないのだろうと思っている
いいですよねつらぬき丸…
ただし日本では配信しません
こう言う話見るたびに養老孟司の講演思い出す。ニュアンスは言語圏や時代に要請されてできてる気がするから、翻訳は危ういよねぇ
原語で見る映画体験が至高であるという主張をナッチ理論と呼ぼう。
I am Ashitakaじゃなかったっけ
教養の問題な気がする。子どもに配慮しなければもうちょっと気の利いた翻訳になるのでは。
あ、Xでよくネタに使われている画像だ
お互い様かと。ハリーポッターを原書で読める人が翻訳が酷くて日本語版が面白くない、と言ってたのと同じかなぁ?日本人が日本文化を元にしたコンテンツが好きで、原語で楽しめるのが嬉しいと思うのは自然だけど。
英語はビジネスでしか使わないけど、仰々しくMy name isなんて言う場面出くわした事ないから、割とニュアンスも伝わってるんじゃねって気はするよね。日本語は表現が豊かとか言ってるのは笑っちゃうなw
英語だろうが何語だろうが戦のときの名乗りはあるだろ?訳ができてないとすればそれは翻訳者の怠慢でしょ
名乗るならそうするしかなくね?それを言ったら英題がそもそも変でしょ。オタサーで例えるなら、「オタサーの姫」もしくは「オタク姫」なのに姫の名前が「オタサー」になっちゃってるじゃん
SEKIROのこのシーン思い出した。https://www.youtube.com/watch?v=CcgsZ1C1Skg&t=5135s
“ジブリ作品を翻訳なしで楽しめるのは日本人の最大の特権”日本人でなく日本語話者な(´・_・`)こういう傲慢な思い込みはやばい
フランクな自己紹介は「I'm ○○」で、イギリス貴族としての自己紹介だとフランス語だっけ?アシタカの名乗りなら「my name is ~」でちょうどええやろ。
翻訳はどうしても情報が落ちたり変質したりするんですよね。人間が翻訳してもそうなので、機械翻訳はなおさら。
「我が名は」と話すキャラがコンテンツで擦られ続け、お約束として認識できているからなだけで、日本語の持つ言の葉の機微のような大袈裟なものではないかと…。古めのハリウッド映画に出てくる金髪が表す記号と同義
http://linode.mono.ca.gov/how-long-does-dispute-take-coinbase-getchargeback-fullguidehttp://linode.mono.ca.gov/how-long-does-dispute-take-coinbase-getchargeback-fullguide
『君たちはどう生きるか』はオルフェウス神話や『パルジファル』、『魔笛』などの西洋作品へのオマージュが結構多いからなあ。
教科書で習うI am~の一般的な自己紹介よりはMy name is~の方が我が名は~に近いのは確か。映画も文学もバレエやオペラも何でも、やっぱり原語で味わうのが1番だから語学やりたくなるんだよ。
漫画を英語訳で読んだけど、日本語の何がいいかというのをしみじみ感じることができた。ニュアンスや話者の地位や躊躇加減までもが文章に含められてそこで遊べるの最高だよ。非母語の人に説明するとえらい喜ばれる
「I am Lord Voldemort」はフランクな挨拶か?Nice to meet you.とか続けばそうかもな。こういうの、イントネーションとかしゃべり方にもよるから、文章だけとって重々しさは測れないよ。
「My name is」 って「我が名は」って訳すのが適切な言い方だと思うけど
Strider→馳夫は訳者の瀬田貞二が松尾芭蕉好きだったからつけられたのである
The name is Bond... James Bond.
ナイト(騎士)がトーナメント(馬上試合)で名乗りを上げないとかあるんけ?
村上春樹を日本語で読めること、サンボマスターやブルーハーツの詩を耳から心へとストレートに受け取れることが日本語話者の特権だよね。
まあ損なわれるのわかってても他国の人が読めるようにしてる翻訳家さんは偉いよ
むしろ日本人もどれだけ宮崎駿や作り手の意図を汲めてるのかは分からないよね。/ 文化的社会的背景を考慮した翻訳って本当に難しいし、だからこそプロの仕事なんだろうなと思う。
一方「七人の侍」は字幕が欲しい。
少なくとも母国語の品質の高いコンテンツを楽しめるのは素直に嬉しいことだよね。
マルクス兄弟のグルーチョの芸風を腹の底から笑うには、英語のリスニング能力が必要だよね、というオハナシ。日本語話者で得ているものより英語話者じゃなくて失ってるものの方が圧倒的に多いわ阿呆どもが
そう思うでしょ〜?でもそれ、自分で苦労してコツコツ勉強してやっと分かった!聞き取れた!嬉しい!って喜んでる日本語学習者のキラキラを目の当たりにしたら、むしろ逆に羨ましいとすら思うよ
日本のMy name isの教え方が悪いって話では。フランクな方から教えるべき
そりゃクルアーンを原語で読めるのはアラビア語(古文だけど)話者の特権。どこもおんなじ
当然ながら、逆もまた然り、だよねえ。
言葉のニュアンスとか以前にアシタカが松田洋治の声ではないというのが一番の損失。松田洋治に英語の発音練習してもらうのが一番いいと思う。
「我が名はアシタカ」って言いながら名刺を出せばよかったのだ。
https://bizfileonline.sos.ca.gov/api/FileUpload/2f2ff1f8-3d93-45a3-99e9-3503f1070d16
i'm ashitakaでなくmy name is であるのがまさしくそのニュアンスじゃないか?しかも野外で
そういえば日本昔ばなしが終了してから大分経つけど、今の子供はダイダラボッチとか分かるんかな?
これは新手の日本スゴイなのかしら。
妹が可愛いって主人公は言ってるけど当人の作文はスペルミス文法間違いだらけ…の間違い感はネイティブじゃないと理解できないんだろうなと残念に思ったことはある。
その点久石譲の音楽は外人も平等に楽しめていいな。と思ったけどこれも日本人のほうが刺さる可能性あるか
Death eater→「死喰い人」、Dementor→「吸魂鬼」、Elder Wand→「ニワトコの杖」。なんなのこの弱そうな和訳。
英語が母国語である事のメリットと比べるとあまりにも弱すぎる
My NAAAAAME is Gyoubu Masataka ONIWA! As I breathe, you will NOT pass the castle gate
自分は楽しんだポイントが違ってて、もののけ姫や千と千尋の神隠しとかは英語の字幕付きで観ることで「何を言ってるんだ?」ってなるような台詞の意味が分かって楽しめた
逆も然りだからそのまま言葉を理解できるといいよね。ディズニーソングの和訳もけっこうひどいし。
逆もまた然りだけどな。映画見返すと勿体無い字幕よくあるけどな。
「I am your father.」が英語圏ではダース・ベイダーしか使わないみたいなもんか
英語圏の膨大なコンテンツを原語で楽しめるのは英語圏の人だけ。うーんそれで?
人称・間投詞・語尾などの変化しやすいパーツのせいで、作品公開から30年くらい経過しただけで会話・文体が古臭くなる現象が日本語では強いように思う。現在のその感覚も早晩失われて翻訳作品程度の理解度になるよ。
んなこというたらモリエールを原語で楽しめるのはフランス語圏の人間だけだぞ。
FF4イージータイプで「オーガキラー」が「おにころし」になっていて味わい深かった
必要なら古期英語で翻訳すればいいんだぜ。「Once upon a time(カードゲーム)」をやって「英語のおとぎ話表現難しいな」って思った。エンディングカードが難しい。