曰く、「スマホを持った現代人は”偶然”に耐えられなくなっている。」「こういった偶然の塊から皆が逃げ出している。」
"スマホを持った現代人は”偶然”に耐えられなくなっている。 ・雑多な出自の人が集まる公立中学 ・親の約束無しで偶然公園で自然発生する子どもたちの遊び ・海外旅行(パスポート取得率の低下) ・結婚 ・育児"
“・雑多な出自の人が集まる公立中学 ・親の約束無しで偶然公園で自然発生する子どもたちの遊び ・海外旅行(パスポート取得率の低下) ・結婚 ・育児 こういった偶然の塊から皆が逃げ出している。”
偶然にも、僕もそんなことを感じていた。
話の飛躍がすごいけど言ってることは共感できる。結局はリスク回避であって、海外旅行、結婚、育児はお金を含めて余裕がなくなって相対的なリスクが高まったともいえる。
「偶然、僕が見つけた」というのは記憶に残るからなぁ、ちょっと嬉しいし
ショート動画やSNS見てるほうがこの人の言う「偶然」に遭遇する確率は高いと思うよ
地上波だって有料のNHK契約と抱き合わせなんだから「地上波なら無料、Netflixは有料」みたいな言い方はどうかと思う。みんな払ってるのを忘れてるだけじゃない?
“スーパー銭湯ではヌードバーが打つシーンに遭遇して数十人でのペッパーミルが行われ” 最高
「何となく野球を見始めて大谷や山本やヌートバーのファンになり、今はどこかのチームに所属して週末ごとにバットを振りボールを追いかけている子どもたちは少なくないだろう」いや少ないだろう、居ないまである。
自分に酔ったしょうもない文章だな。
ラブライブ!にハマったのも、たまたまテレビ見てたら「だって可能性感じたんだ」て歌声が聞こえたからだからな……(隙あらば自分語り)
2022年ワールドカップは藤田晋氏(ABEMA)が救いの手を差し伸べた感じだったね。/“ネットで見る”がどれだけ浸透したか分かるかもね。/契約してたら定食屋のテレビや無料のパブリックビューイングは問題ないのだろうか。
Webサービス内の偶然は演出された「偶然」なんだよな。でもそこから繋がれる人達にはまだ偶然が残っている
“塾生に聞いてみたことがある。中高生で久保建英を知っているのは大体3割、三苫薫と井上尚弥で2割くらいである(ちなみに那須川天心は5割に達する)”
WBCはみな地上波放送による偶然性と野球の普及の話にしたがるが、「日本が世界で一番になる物語に大衆が陶酔した」っていう世俗性には触れないんだよな
スマホで正しさの保証はないがインスタントに答えが得られるからね。タイパを口にする人の多くは実際にはタイパのいい生活をしてなくて、多くの凡人は答えが定まらない状態で長い時間考えられるほどgritが強くない。
犬童先生がブクマに登場してる!
こういうネット記事との出会いもまた「偶然の産物」といえる/偶然はガチャでお腹いっぱいなのかも/宝くじとかの数百分の1以下の偶然に賭けられるほどの余裕は無くなったということか
直接的には利益にならないけど、裾野が広がることで将来的には…みたいなのは、認められなくなってるのかね。
アルゴリズムが決めたオススメのものばかり見てしまう時代だからこそ、偶然に出会えるノンジャンルな話題が知れるコンテンツは大事。ラジオいいよ。
貧困化とはこういう事。地上波のCM枠は売上効果が下がり安価になり、その枠の売上では放送権を買えない。地上波の売上効果減はTVの貧者老人の娯楽化の帰結。
ワールドカップも同じような状況になりかけたんだけど、そっちのときに比べて反応が大きいのを見るとやっぱり日本って野球の国なんだなあって
偶然の欠如|Kosuke Inudo
曰く、「スマホを持った現代人は”偶然”に耐えられなくなっている。」「こういった偶然の塊から皆が逃げ出している。」
"スマホを持った現代人は”偶然”に耐えられなくなっている。 ・雑多な出自の人が集まる公立中学 ・親の約束無しで偶然公園で自然発生する子どもたちの遊び ・海外旅行(パスポート取得率の低下) ・結婚 ・育児"
“・雑多な出自の人が集まる公立中学 ・親の約束無しで偶然公園で自然発生する子どもたちの遊び ・海外旅行(パスポート取得率の低下) ・結婚 ・育児 こういった偶然の塊から皆が逃げ出している。”
偶然にも、僕もそんなことを感じていた。
話の飛躍がすごいけど言ってることは共感できる。結局はリスク回避であって、海外旅行、結婚、育児はお金を含めて余裕がなくなって相対的なリスクが高まったともいえる。
「偶然、僕が見つけた」というのは記憶に残るからなぁ、ちょっと嬉しいし
ショート動画やSNS見てるほうがこの人の言う「偶然」に遭遇する確率は高いと思うよ
地上波だって有料のNHK契約と抱き合わせなんだから「地上波なら無料、Netflixは有料」みたいな言い方はどうかと思う。みんな払ってるのを忘れてるだけじゃない?
“スーパー銭湯ではヌードバーが打つシーンに遭遇して数十人でのペッパーミルが行われ” 最高
「何となく野球を見始めて大谷や山本やヌートバーのファンになり、今はどこかのチームに所属して週末ごとにバットを振りボールを追いかけている子どもたちは少なくないだろう」いや少ないだろう、居ないまである。
自分に酔ったしょうもない文章だな。
ラブライブ!にハマったのも、たまたまテレビ見てたら「だって可能性感じたんだ」て歌声が聞こえたからだからな……(隙あらば自分語り)
2022年ワールドカップは藤田晋氏(ABEMA)が救いの手を差し伸べた感じだったね。/“ネットで見る”がどれだけ浸透したか分かるかもね。/契約してたら定食屋のテレビや無料のパブリックビューイングは問題ないのだろうか。
Webサービス内の偶然は演出された「偶然」なんだよな。でもそこから繋がれる人達にはまだ偶然が残っている
“塾生に聞いてみたことがある。中高生で久保建英を知っているのは大体3割、三苫薫と井上尚弥で2割くらいである(ちなみに那須川天心は5割に達する)”
WBCはみな地上波放送による偶然性と野球の普及の話にしたがるが、「日本が世界で一番になる物語に大衆が陶酔した」っていう世俗性には触れないんだよな
スマホで正しさの保証はないがインスタントに答えが得られるからね。タイパを口にする人の多くは実際にはタイパのいい生活をしてなくて、多くの凡人は答えが定まらない状態で長い時間考えられるほどgritが強くない。
犬童先生がブクマに登場してる!
こういうネット記事との出会いもまた「偶然の産物」といえる/偶然はガチャでお腹いっぱいなのかも/宝くじとかの数百分の1以下の偶然に賭けられるほどの余裕は無くなったということか
直接的には利益にならないけど、裾野が広がることで将来的には…みたいなのは、認められなくなってるのかね。
アルゴリズムが決めたオススメのものばかり見てしまう時代だからこそ、偶然に出会えるノンジャンルな話題が知れるコンテンツは大事。ラジオいいよ。
貧困化とはこういう事。地上波のCM枠は売上効果が下がり安価になり、その枠の売上では放送権を買えない。地上波の売上効果減はTVの貧者老人の娯楽化の帰結。
ワールドカップも同じような状況になりかけたんだけど、そっちのときに比べて反応が大きいのを見るとやっぱり日本って野球の国なんだなあって