“あとフレンチを写メった後お箸で食べてるのもニセ教養指数高いな ナイフとフォークの使い方がわからないからなんだろうけど、この流れでお箸を要求してくるお姉さん心臓が強すぎる”
近美ではコレクション展をやっている。勇壮でスペクタクルな作品が多く、ワルキューレの騎行をBGMに落下傘降下の動画には心を惹かれる… ←とかいうと間違ってると言われる予感。https://x.com/masato009/status/1956548554698482128
間違ったっていうか、自分の楽しみ方でいい、かな。もちろん背景とか現代の解釈とかを学ぶのも正解だし。
過去のブコメで、美術館やら博物館はこのフロアからどれか一つ持って帰れるならと考えながら見ると楽しい、と知見を得た。
せやで。芸術は爆発して椅子って言い張ってる作品にはおきがるに座ってOKやで。すわってお知りになにか突き刺さるまでが芸術なのかもしれないんやで。
実は間違って伝わっているがために、適当な思いつきが真実である可能性が微粒子
凄く共感する。先日の国立西洋美術館は最後に感想書き込めるところがあって、「マリー=ガブリエル・カペ《自画像》」に対して「ゴマキみたい!」とあってキュンとなった。 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2025dokomiru.html
おもろい
美術館は美術に対する理解を深める場所なので、ほぼ学校と考えていいよ。勉強する場所。楽しみたいならギャラリーやイベントに行け。特に札束握りしめて商業ギャラリーに行くとめっちゃ興奮するぞ。
グレーゾーン魔法少女の人か
迷惑をかけなければ、どう楽しんでも良いのですよ。東博の屏風絵の部屋で、暑かったし歩き疲れてたし居心地が良かったから2時間くらい座っちゃってたの、とても良かったよ。何の役にも立たない豊かな1日だった。
十分な強度がある人物であれば教養で補強する必要はない
グレーゾーンの魔法少女の人かと思ったらそうだった。 本編は妖精界の闇が原因で「グレーゾーンの元・魔法少女」になってる。 なお美術館での展示だと解説付いてることが多い(企画展だと特に)ので、それも読もう。
海外の美術館だとこれやりやすい。周りに聞かれる心配が少ないので
変に茶化した見方をあえてする必要もないけど、何の予備知識もなしに見たそのままを受け入れるのは大事なことだと思ってるよ。そこから先興味あったら背景なり掘り下げりゃいいんだし
本物のニセ教養お姉さんは鑑賞時間の8割が横の解説文の鑑賞だからな。
物凄く勝手な感想を言い合える相手と行くと楽しいかもしれない
“美術館はまちがった楽しみ方がいいんです 学校‥‥社会‥‥世間は正しさばかり求めます! しかし芸術は懐が深い! 素人がどんな感想を抱いても芸術の価値は揺るがない!”
まあ間違った楽しみ方でも良いんだけど、キュレートが強く押し出されてる企画展だとそれだと楽しいところの5%くらいしかわからんまま見終わるんだよなと、近美の作戦記録画を見て思ったよ
つよい
美人のニセ教養お姉さん(年下)からカスの嘘を流し込まれたい人生だった
ポストモダンの相対主義が極まった結果、記号には任意の意味を好き勝手に代入して他者は彼らを否定できないという構造が誕生してしまった。チェンソー(記号)で料理(意味)をする馬鹿と同じである。
“「芸術は懐が深い!! 素人がどんな感想を抱いても 芸術の価値は揺るがない!!」”
美術館に慣れ親しんでいけばいずれは作品や展示を企画した人たちの伝えたいメッセージをいくらか受け取れるようになるので、それまでは見て意味があったかとか考えずに楽しむのが一番いいよね
ガキの頃からふらふらと美術館行くの好きだけど当時から特別基礎知識は増えてない。直感で「凄い」「好き」と感じるかどうかだけで見てる。「エトワール」以上の衝撃は後にも先にも無いなー・・・
オーディオガイドを借りるのです。無ければ観光客に紛れ込んでツアーガイドの解説を聞くのです。
美術鑑賞は「作品の正しい見方当てクイズ」や「作者の伝えたいことお察しゲーム」ではないので正解はなくて、同時に間違いもない。って言われると余計に迷子になるだろうから「間違っていい」と言うのは合ってる。
ルノアールとセザンヌだけの展示、セザンヌがめっちゃ下手くそに見えてウケた。
美術館っていう空間がすき。あんなに収納スペースを無駄使いした非効率空間はなかなか無い
太田のせい
真に知識も感受性も終わっている人間は「池だ」「女の人がいる」ぐらいしか思わない。これはある程度知識も感受性も持ち合わせている人間。
モネの睡蓮は何枚描いたんだよって思いながら鑑賞したな〜。みんなも自由に楽しもう!
陶磁器を観に行くと「この大皿に唐揚げ山盛りにして部活後の高校生に食べさせたい」「ヨーグルトにちょうどいいサイズだな」とか思ってる。頭の中は自由です
構造や文脈を楽しむのが正統的な「教養」でそれも有るとより楽しめるというもの。ただバイアスが付いて中途半端に「形式」や「価値判断」に縛られ過ぎる人もいてそれはそれで不幸、知識は自由と愛の為に使おうよね
主催者側が「自由に読み取ってください」と押し出してきたら興醒め
ツレがスマホで写真撮りまくってたらめっちゃ怒られたぞ。間違えちゃダメな楽しみ方もある
自分がいいと思った絵がいい絵である。それが一般的に「いい絵」だったら「俺も見る目があるな」だし、そうじゃなかったら「世間は見る目がない」と思えばいい。/まぁ「ここがイイのよ!」「なるほど!」もある。
水族館でおいしそう的なやつ
例えばダヴィンチの描いた最後の晩餐とか、当時テーブルに座って飯を食う習慣が無いから、そもそも絵自体が間違ってるのに、なんか色々「芸術的にこの色遣いが」とか語られるあたり、芸術もバカだと思うんだよね
つまんなかったらつまんなかったでいいんです。手当たり次第見ていくとたまに、おっと思うようなものに出会うでしょう。そのぐらいでいいんです。
「乳首が小さすぎる!!」が2回あるのは、それが何よりも大事なことだからなんですね。
エルメス展のartisan実演で本職ガイドを遮るように日本の革職人が部屋に居るみんなに向けドヤり解説してたのを革職人たちが肩を震わせつつ笑ってた話が好き。エルパト勢と金儲けたい革職人ばかり居た感じなんだそうで
他人の邪魔しなきゃなんでもよし。おれは数か月に一度アートの森で座禅組むのが好きでねえ
間違いは「違う間」なんで自分の落しどころが何処でも自由やしそれを出力は独自性だが他人の間に入るときに違うとただの迷惑やぞ おねえさんは独自性あふれるが引立て役の学生を影として添え物あってこそ
あらゆる観賞は今ではSNSとかに感想書いたり考察したりして正解を探すゲームのようになってしまっているが、本来はもっと個人的で独り勝手にやるもののような気がしてる。って俺が友達作れない言い訳のようであるが。
最近らでんっていうガチ美術系vtuber見てて美術館行きたくなってきたんだよな(美術館代に使ってほしいつーことで記念配信とか以外のスパチャ全部切ってるヤバイやつ)
知らないお姉さんに教え諭されて仲良くなりたい系作品か?/「マンスプレイニング」「美術館ストーキング」にインスパイアされて男女逆転させたのだろうか。人間界はおもしろくも難しい。
楽園追放の絵画を観て「この飛んで剣で突いてる天使、中段強そうな攻撃だな。ここから崩してコンボに持ってくやつ」とか思ったことはある http://www.bmp.jp/artbible/05.htm
戦争写真をグロ好きの女子中学生がキャッキャしながら見るはセーフ?
「教科書(学校)が教えない歴史」のなんちゃら版ではなくて? バズり続ける非エリートたち向けの安心理論ではなくて?
原田マハさんなんてモロ夢小説だもんなあ。同じことを素人がやって悪い道理がない。
作品の背景等を無視するのが「間違った」楽しみ方であると認めたうえで推奨しているので、「本当の芸術は予備知識がなくても凄さがわかる」みたいな寝言に比べるとだいぶ誠実だなと思う。
自分もそういう楽しみ方してる。https://mariostang.hatenablog.com/entry/2015/06/30/002400
社会的な評価に共感しに行くってよりも、「自分はこれ好き、おもんない」って自分の趣向を確認する為に行ってる。全部興味持てなかったら、全部素通りしてラーメン食べてさっさと帰る
言い方悪いんだが、美術に全く興味のない友人たちを現代アート展に案内したときすごく楽しかった。家の形の立体作品見て「何LDKかな」とか言い出すの、お前らいいぞもっとやれって感じだった。
そもそも「教養」がなければ、何が間違ってるのかわからないと言う罠。
ていうか、間違ってないし、いい楽しみ方
やあやあ我こそは水族館の水槽に紛れ込むナマコを見つけて愛でたるものなり(隙自語)/ガチるのもミリしらもどっちも楽しいのが博物館系のいいところ
薄いよりはマシである。自分はただ暇を潰すためだけに行くことが多い。
インスピレーションを得られれば何だって良いのよ。美術館は学問の提供だけでなく、文化資本というモチーフを提供する場所だから。
古典芸術を権威にしてかしこまる風潮なんかよりよっぽど好感ありますな(´・ω・`)
自分は留学先のイタリアでウフィッツィ美術館などあちこちを巡ってにわか教養があるので、サイゼに行って「お、ここは受胎告知のある店舗か」と通ぶれます(にわか知識でも万博イタリア展は凄いと思った)
美術館もそうだけど画集や写真集見せる時もどれが欲しい?と聞く
そもそも正しいとか間違ったとかあるんか? よし、これは正しいぞって鑑賞してる奴おるか?
おもしろいけどシリーズ化したらだんだんつまらなくなるやつだ
いい楽しみ方なわけないだろ^^;ただ入り口はそういう楽しみ方でもありってだけだわ。ちゃんと背景を追いかけるのが一番楽しめるから真に受けるなよ
楽しく間違うアーツ(技法)は、むしろ教養の総合格闘技や。上級者向け。
作者の癖とかそういうのも楽しさだし、時代の表現だし
でも折角お金払って入場するんだからさー、取りこぼすの勿体ないやん(貧乏性
感想は持たないより持つ方が良いという話だ。しかし美術品の背景情報とかを知ってるとより考察が深まり面白い。
この漫画の作者さてはちゃんと知ってる人だね?ちゃんと感想が芯を食ってる/国立新美術館のカフェは君の名はで主人公のバ先として登場するよね。ミュージアムはカフェとショップだけでもめちゃ楽しい。
同作者のグレーゾーンの魔法少女も面白いからおすすめ。毎日更新してるよ。
だいたいあってる。中世の西洋美術とかおもに聖書の二次創作なんだけど、イエスが生きてた1世紀当時のイスラエルの風景のはなずなのに人物の服装が、描かれた当時の10~15世紀ごろのヨーロッパ風とか現代に通じる緩さ
忍法「逆張りでバカほいほいの術」?
とにかく乳首が小さいことはわかった
専門的なやつは専門家に任せておいて知識でマウント取り合わなければいいんじゃないかな
アートで文脈ゲームするより全てをただの素材、脳内のレゴブロック、ミーム素材にしたほうが楽しくない? というのは常に思う
ボケとツッコミがセットで初めて成り立つ構図で、どちらかだけだと行かなければいいだけという話になるし、コンビを真似るなら行くなという話にもなるお笑い的な感じ。
もちろん鑑賞スタイルは自由だけど、あまり大声で言い合うと近くのお客さんに過剰なストレスを与える危険が…。富野由悠季展とか萩尾望都展で知識のない人がわあわあ好き放題言ってる時の周囲のオタクの気持ち…。
よくわからないので家に絵を飾れと強要されたらトリックアートだらけになる
最初はそれでいい。そのあと、知識が増えるとまた違う角度で楽しめるから、知識はつけたら二度と三度楽しめると思えばいい。
これ欲しいな、いいな、くらいの感じで観てる。
自然保護団体名乗ってスープぶっかけたりして作品汚さなければ自由に楽しんでいいよ
アーティストが良くいう「受け取り方はそれぞれですから」的なあれだ。でも、それぞれ好き勝手な解釈の感想をぶつけられるとそれはそれでおもしろくないのがアーティストってこともXで勉強してるんだ!
「芸術は懐が深い!! 素人がどんな感想を抱いても 芸術の価値は揺るがない!!」 「いくら間違えてもいいんです!!」
展示を行う際に、解説パネルばっかり見て本体を見ない問題があるという論文を読んだことがある。それに比べたら良さそうな話ではある
乳首が小さすぎる(大事なことなので2度言いました)
これ、美術に関してはニセ教養でも教養でもなくて創作の第一歩なのよ。ただ映画に関しては素養がないようだ。
これって仏像でみうらじゅんがやって、いつの間にか寺サイドも乗っかって本流になったやつだ。みうらじゅん本人はいいんだけど、その後たくさん出た亜流は皆つまらなかったな。
楽しみ方は強要されるものではないので、そういう楽しみ方の方が合っているというなら好きにすればいいとは思う。ただ、反権威、反教養で凝り固まって背景を含めて楽しむこと自体に反感がありそうな人はなあ…
[初見で実物のインパクトに感激し、作品背景を知った上で見ると別の見え方に感激する。一作品で二度おいしい(個人の感想です)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E5%AD%90%E8%8A%B1%E5%9B%B3
作品の見方は自由でいい。絵画なら鑑賞して「あ、この絵見たことある!」からのほんとに教養的な側面から解説している動画見たら感動するよ
「美術館は間違った楽しみ方がいいんです」と少年に断言する『ニセ教養お姉さん』の漫画に「むしろ何も間違ってない」と共感が集まる
“あとフレンチを写メった後お箸で食べてるのもニセ教養指数高いな ナイフとフォークの使い方がわからないからなんだろうけど、この流れでお箸を要求してくるお姉さん心臓が強すぎる”
近美ではコレクション展をやっている。勇壮でスペクタクルな作品が多く、ワルキューレの騎行をBGMに落下傘降下の動画には心を惹かれる… ←とかいうと間違ってると言われる予感。https://x.com/masato009/status/1956548554698482128
間違ったっていうか、自分の楽しみ方でいい、かな。もちろん背景とか現代の解釈とかを学ぶのも正解だし。
過去のブコメで、美術館やら博物館はこのフロアからどれか一つ持って帰れるならと考えながら見ると楽しい、と知見を得た。
せやで。芸術は爆発して椅子って言い張ってる作品にはおきがるに座ってOKやで。すわってお知りになにか突き刺さるまでが芸術なのかもしれないんやで。
実は間違って伝わっているがために、適当な思いつきが真実である可能性が微粒子
凄く共感する。先日の国立西洋美術館は最後に感想書き込めるところがあって、「マリー=ガブリエル・カペ《自画像》」に対して「ゴマキみたい!」とあってキュンとなった。 https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2025dokomiru.html
おもろい
美術館は美術に対する理解を深める場所なので、ほぼ学校と考えていいよ。勉強する場所。楽しみたいならギャラリーやイベントに行け。特に札束握りしめて商業ギャラリーに行くとめっちゃ興奮するぞ。
グレーゾーン魔法少女の人か
迷惑をかけなければ、どう楽しんでも良いのですよ。東博の屏風絵の部屋で、暑かったし歩き疲れてたし居心地が良かったから2時間くらい座っちゃってたの、とても良かったよ。何の役にも立たない豊かな1日だった。
十分な強度がある人物であれば教養で補強する必要はない
グレーゾーンの魔法少女の人かと思ったらそうだった。 本編は妖精界の闇が原因で「グレーゾーンの元・魔法少女」になってる。 なお美術館での展示だと解説付いてることが多い(企画展だと特に)ので、それも読もう。
海外の美術館だとこれやりやすい。周りに聞かれる心配が少ないので
変に茶化した見方をあえてする必要もないけど、何の予備知識もなしに見たそのままを受け入れるのは大事なことだと思ってるよ。そこから先興味あったら背景なり掘り下げりゃいいんだし
本物のニセ教養お姉さんは鑑賞時間の8割が横の解説文の鑑賞だからな。
物凄く勝手な感想を言い合える相手と行くと楽しいかもしれない
“美術館はまちがった楽しみ方がいいんです 学校‥‥社会‥‥世間は正しさばかり求めます! しかし芸術は懐が深い! 素人がどんな感想を抱いても芸術の価値は揺るがない!”
まあ間違った楽しみ方でも良いんだけど、キュレートが強く押し出されてる企画展だとそれだと楽しいところの5%くらいしかわからんまま見終わるんだよなと、近美の作戦記録画を見て思ったよ
つよい
美人のニセ教養お姉さん(年下)からカスの嘘を流し込まれたい人生だった
ポストモダンの相対主義が極まった結果、記号には任意の意味を好き勝手に代入して他者は彼らを否定できないという構造が誕生してしまった。チェンソー(記号)で料理(意味)をする馬鹿と同じである。
“「芸術は懐が深い!! 素人がどんな感想を抱いても 芸術の価値は揺るがない!!」”
美術館に慣れ親しんでいけばいずれは作品や展示を企画した人たちの伝えたいメッセージをいくらか受け取れるようになるので、それまでは見て意味があったかとか考えずに楽しむのが一番いいよね
ガキの頃からふらふらと美術館行くの好きだけど当時から特別基礎知識は増えてない。直感で「凄い」「好き」と感じるかどうかだけで見てる。「エトワール」以上の衝撃は後にも先にも無いなー・・・
オーディオガイドを借りるのです。無ければ観光客に紛れ込んでツアーガイドの解説を聞くのです。
美術鑑賞は「作品の正しい見方当てクイズ」や「作者の伝えたいことお察しゲーム」ではないので正解はなくて、同時に間違いもない。って言われると余計に迷子になるだろうから「間違っていい」と言うのは合ってる。
ルノアールとセザンヌだけの展示、セザンヌがめっちゃ下手くそに見えてウケた。
美術館っていう空間がすき。あんなに収納スペースを無駄使いした非効率空間はなかなか無い
太田のせい
真に知識も感受性も終わっている人間は「池だ」「女の人がいる」ぐらいしか思わない。これはある程度知識も感受性も持ち合わせている人間。
モネの睡蓮は何枚描いたんだよって思いながら鑑賞したな〜。みんなも自由に楽しもう!
陶磁器を観に行くと「この大皿に唐揚げ山盛りにして部活後の高校生に食べさせたい」「ヨーグルトにちょうどいいサイズだな」とか思ってる。頭の中は自由です
構造や文脈を楽しむのが正統的な「教養」でそれも有るとより楽しめるというもの。ただバイアスが付いて中途半端に「形式」や「価値判断」に縛られ過ぎる人もいてそれはそれで不幸、知識は自由と愛の為に使おうよね
主催者側が「自由に読み取ってください」と押し出してきたら興醒め
ツレがスマホで写真撮りまくってたらめっちゃ怒られたぞ。間違えちゃダメな楽しみ方もある
自分がいいと思った絵がいい絵である。それが一般的に「いい絵」だったら「俺も見る目があるな」だし、そうじゃなかったら「世間は見る目がない」と思えばいい。/まぁ「ここがイイのよ!」「なるほど!」もある。
水族館でおいしそう的なやつ
例えばダヴィンチの描いた最後の晩餐とか、当時テーブルに座って飯を食う習慣が無いから、そもそも絵自体が間違ってるのに、なんか色々「芸術的にこの色遣いが」とか語られるあたり、芸術もバカだと思うんだよね
つまんなかったらつまんなかったでいいんです。手当たり次第見ていくとたまに、おっと思うようなものに出会うでしょう。そのぐらいでいいんです。
「乳首が小さすぎる!!」が2回あるのは、それが何よりも大事なことだからなんですね。
エルメス展のartisan実演で本職ガイドを遮るように日本の革職人が部屋に居るみんなに向けドヤり解説してたのを革職人たちが肩を震わせつつ笑ってた話が好き。エルパト勢と金儲けたい革職人ばかり居た感じなんだそうで
他人の邪魔しなきゃなんでもよし。おれは数か月に一度アートの森で座禅組むのが好きでねえ
間違いは「違う間」なんで自分の落しどころが何処でも自由やしそれを出力は独自性だが他人の間に入るときに違うとただの迷惑やぞ おねえさんは独自性あふれるが引立て役の学生を影として添え物あってこそ
あらゆる観賞は今ではSNSとかに感想書いたり考察したりして正解を探すゲームのようになってしまっているが、本来はもっと個人的で独り勝手にやるもののような気がしてる。って俺が友達作れない言い訳のようであるが。
最近らでんっていうガチ美術系vtuber見てて美術館行きたくなってきたんだよな(美術館代に使ってほしいつーことで記念配信とか以外のスパチャ全部切ってるヤバイやつ)
知らないお姉さんに教え諭されて仲良くなりたい系作品か?/「マンスプレイニング」「美術館ストーキング」にインスパイアされて男女逆転させたのだろうか。人間界はおもしろくも難しい。
楽園追放の絵画を観て「この飛んで剣で突いてる天使、中段強そうな攻撃だな。ここから崩してコンボに持ってくやつ」とか思ったことはある http://www.bmp.jp/artbible/05.htm
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「教科書(学校)が教えない歴史」のなんちゃら版ではなくて? バズり続ける非エリートたち向けの安心理論ではなくて?
原田マハさんなんてモロ夢小説だもんなあ。同じことを素人がやって悪い道理がない。
作品の背景等を無視するのが「間違った」楽しみ方であると認めたうえで推奨しているので、「本当の芸術は予備知識がなくても凄さがわかる」みたいな寝言に比べるとだいぶ誠実だなと思う。
自分もそういう楽しみ方してる。https://mariostang.hatenablog.com/entry/2015/06/30/002400
社会的な評価に共感しに行くってよりも、「自分はこれ好き、おもんない」って自分の趣向を確認する為に行ってる。全部興味持てなかったら、全部素通りしてラーメン食べてさっさと帰る
言い方悪いんだが、美術に全く興味のない友人たちを現代アート展に案内したときすごく楽しかった。家の形の立体作品見て「何LDKかな」とか言い出すの、お前らいいぞもっとやれって感じだった。
そもそも「教養」がなければ、何が間違ってるのかわからないと言う罠。
ていうか、間違ってないし、いい楽しみ方
やあやあ我こそは水族館の水槽に紛れ込むナマコを見つけて愛でたるものなり(隙自語)/ガチるのもミリしらもどっちも楽しいのが博物館系のいいところ
薄いよりはマシである。自分はただ暇を潰すためだけに行くことが多い。
インスピレーションを得られれば何だって良いのよ。美術館は学問の提供だけでなく、文化資本というモチーフを提供する場所だから。
古典芸術を権威にしてかしこまる風潮なんかよりよっぽど好感ありますな(´・ω・`)
自分は留学先のイタリアでウフィッツィ美術館などあちこちを巡ってにわか教養があるので、サイゼに行って「お、ここは受胎告知のある店舗か」と通ぶれます(にわか知識でも万博イタリア展は凄いと思った)
美術館もそうだけど画集や写真集見せる時もどれが欲しい?と聞く
そもそも正しいとか間違ったとかあるんか? よし、これは正しいぞって鑑賞してる奴おるか?
おもしろいけどシリーズ化したらだんだんつまらなくなるやつだ
いい楽しみ方なわけないだろ^^;ただ入り口はそういう楽しみ方でもありってだけだわ。ちゃんと背景を追いかけるのが一番楽しめるから真に受けるなよ
楽しく間違うアーツ(技法)は、むしろ教養の総合格闘技や。上級者向け。
作者の癖とかそういうのも楽しさだし、時代の表現だし
でも折角お金払って入場するんだからさー、取りこぼすの勿体ないやん(貧乏性
感想は持たないより持つ方が良いという話だ。しかし美術品の背景情報とかを知ってるとより考察が深まり面白い。
この漫画の作者さてはちゃんと知ってる人だね?ちゃんと感想が芯を食ってる/国立新美術館のカフェは君の名はで主人公のバ先として登場するよね。ミュージアムはカフェとショップだけでもめちゃ楽しい。
同作者のグレーゾーンの魔法少女も面白いからおすすめ。毎日更新してるよ。
だいたいあってる。中世の西洋美術とかおもに聖書の二次創作なんだけど、イエスが生きてた1世紀当時のイスラエルの風景のはなずなのに人物の服装が、描かれた当時の10~15世紀ごろのヨーロッパ風とか現代に通じる緩さ
忍法「逆張りでバカほいほいの術」?
とにかく乳首が小さいことはわかった
専門的なやつは専門家に任せておいて知識でマウント取り合わなければいいんじゃないかな
アートで文脈ゲームするより全てをただの素材、脳内のレゴブロック、ミーム素材にしたほうが楽しくない? というのは常に思う
ボケとツッコミがセットで初めて成り立つ構図で、どちらかだけだと行かなければいいだけという話になるし、コンビを真似るなら行くなという話にもなるお笑い的な感じ。
もちろん鑑賞スタイルは自由だけど、あまり大声で言い合うと近くのお客さんに過剰なストレスを与える危険が…。富野由悠季展とか萩尾望都展で知識のない人がわあわあ好き放題言ってる時の周囲のオタクの気持ち…。
よくわからないので家に絵を飾れと強要されたらトリックアートだらけになる
最初はそれでいい。そのあと、知識が増えるとまた違う角度で楽しめるから、知識はつけたら二度と三度楽しめると思えばいい。
これ欲しいな、いいな、くらいの感じで観てる。
自然保護団体名乗ってスープぶっかけたりして作品汚さなければ自由に楽しんでいいよ
アーティストが良くいう「受け取り方はそれぞれですから」的なあれだ。でも、それぞれ好き勝手な解釈の感想をぶつけられるとそれはそれでおもしろくないのがアーティストってこともXで勉強してるんだ!
「芸術は懐が深い!! 素人がどんな感想を抱いても 芸術の価値は揺るがない!!」 「いくら間違えてもいいんです!!」
展示を行う際に、解説パネルばっかり見て本体を見ない問題があるという論文を読んだことがある。それに比べたら良さそうな話ではある
乳首が小さすぎる(大事なことなので2度言いました)
これ、美術に関してはニセ教養でも教養でもなくて創作の第一歩なのよ。ただ映画に関しては素養がないようだ。
これって仏像でみうらじゅんがやって、いつの間にか寺サイドも乗っかって本流になったやつだ。みうらじゅん本人はいいんだけど、その後たくさん出た亜流は皆つまらなかったな。
楽しみ方は強要されるものではないので、そういう楽しみ方の方が合っているというなら好きにすればいいとは思う。ただ、反権威、反教養で凝り固まって背景を含めて楽しむこと自体に反感がありそうな人はなあ…
[初見で実物のインパクトに感激し、作品背景を知った上で見ると別の見え方に感激する。一作品で二度おいしい(個人の感想です)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E5%AD%90%E8%8A%B1%E5%9B%B3
作品の見方は自由でいい。絵画なら鑑賞して「あ、この絵見たことある!」からのほんとに教養的な側面から解説している動画見たら感動するよ