〝「母のように生活を支えて節子の純粋さを守りたい清太」と「清太は自らの寂しさの救いを、節子の中にある母に求めている」という、庇護するものと庇護されるものが清太の中でぐるぐると円運動しているのである〟
NHK『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』見ました。NHK+ではもう見れない。少年時代に(終戦時9歳)岡山大空襲(死者1737人)でお姉さんと逃げた話が出てきた。体験と非体験者との間の埋められない溝を感じた。
生前の清太。幽霊の清太。そして妹を栄養失調で亡くした実体験をもとに書いた小説が直木賞を受賞して小説家、歌手、タレント、政治家とマルチな活躍をする清太のモデルとなった原作者の野坂昭如。...の3人の清太。
また宮崎駿氏の「幽霊は死んだ時点の姿だからガリガリに痩せてないとおかしい」がバズってたね
この映画を米欧諸国の地上波で今一斉放映出来ないか。大金持ちがスポンサーしてくれないか。何も言わなくても観た人はガザを連想するだろうに。
ああ、交番から解放された後、節子に会って泣くシーン、母を思い出したからなのか。自分の無力感からかと思っていた。まあ簡単なひとつの感情ではないのかもしれんが
この記事は凄く清太寄りなので同情する気持ちも沸くけど本編では西宮おばさんが言葉こそ悪いけど常に正論で清太がもし節子のために働いてたら全然未来が変わってた。居候先の歳の変わらないお姉さんも奉公してたしね
「このような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか」
清太は職業軍人の子供。交番から解放された後の涙は惨めに感じたのだろう。
おもしろ
久しぶりに見て思ったけど、目先のしょうもないプライドのために謝ったり妥協したりできず、破滅に向かっていく様子は色々と思うところがあったわ。今のネットみたいだよね。
今のネットみたいだって朝日新聞毎日新聞産経新聞フジテレビ朝日TBS東芝船場吉兆、それどころが日帝軍の行為に対する自民保守、ネットの前からずっとそうじゃんってブコメみて思ったが。広陵だって中居だって国分ry
死を美しく飾る心中物にしないためにFを用意したのは発明だったなあ。一人称視点で否応なく生じる陶酔を切り離してちょっと遠くに置いた。
価値観は動き続けているから、今見たら、「妹死なすよりは、親戚の嫌味くらい耐えろっつーの」とか思いそうだ。
映画見ると清太はもっと何かできたんじゃないかと思ってしまうが、現代でも親のない状況で小さな妹と2人で生きることを想像してみれば簡単ではない。そもそも厨二病と言われるあの年代にそこまで知恵があるかという
"人を頼らない兄妹ふたりきりの横穴でのくらしこそ、この物語の中心であり、救いである。過酷な運命を背負わされたふたりにつかの間の光が差し込む。幼児の微笑み。イノセンスの結晶"
高畑世代は原作改変当たり前だからな。原案ぐらいしか思ってない。
清太14歳なんだよなぁ。リアルに“厨二病”なお年頃。で、敗戦間近の日本社会には、厨二病で突っ走ってしまう少年を見守りつつ救う余裕など、どこにもなかった…という話として、最近は見ている。
公開から何十年経って擦られまくっても未だに多くの意見が出てくる作品
高畑「時代が再逆転したら あの未亡人以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず ぼくはおそろしい」「おばさんは利己主義」「死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり私たちの半分」
清太を責める発言があるのが理解できない。これは戦争、弱きものが静かに死んでいく様を描いたものです。あの家に残ったところで生き残るのは難しかったでしょう
1980年代末の作画力すごい /清太や節子が死んだのも過密問題だよね。都雇圏何万人までだったら助かってた? /chatgpt-5曰く, 地方都市(都雇圏50〜80万人規模)なら,農地との距離が近く,闇市も機能していて餓死率は低かった。
火垂るの墓、清太が過去の自分を見つめるのね。高畑監督のもうひとりの自分の影響かにゃ?ボクももう一人のボクと遊びたいにゃ〜!癒やし効果でみんな幸せににゃ😸✨
知らないだけで今もこんな悲劇が世界のいたるところで起こっているんだろう
心中モノ扱いだったんですね…。幽霊ポイントは分岐点となるところで、プライドや潔癖を優先した点。選んで。
ETV特集の要約やん
終戦を知らなかった清太と、すぐ後の久しぶりに帰ってきたわー!とキャッキャしてる女学生たちとの落差に社会との断絶ってこういうことよなあ、とそこが1番印象的だったな。
原作の、とても差し迫った何かに追われるような文体がとても好きだったので、いまだに映画は見ていない。
野坂昭如はクズですから。その彼なりに、疎開先で亡くした妹を弔う(供養する)ことができないかと、突き動かされたのが本作(原作)でしょう。感受性が荒れているんですよね。ほめてます。
母の遺産による経済的な余裕と、艦長の息子という矜持と独立心が、時代にそぐわない選択をさせてしまったようにみた。ひたすら妹を守りたい一方、「親」に甘えたくもある。
幽霊は映画における「地の文」とも言えるかな。関係ないが、冒頭の神戸の空襲の場面を今観ると、パレスチナのガザ地区は今こんな感じなんだろうなと思った。
(何回も書いてるけど)清太は日本の隠喩なのよね。父が海軍士官(歴史の正統性)というプライドを捨てて、オバさん(列強)に従えば食えてはいけてた。でも清太(日本)はそれを選ばなかった。だから胸を打つ。
野坂昭如=清太の人でなしっぷりは今見ても好感が持てる不思議。原作者の生き様は今では動画にできないだろうな (´・ω・`)
高畑勲さんは清太を責めるようになったら戦時と同じメンタルに近付いてるということで、それは危ないことだと言ってます。清太を責める気になる人は内省しましょう。
正論で殴れば清太が優先順位バグり野郎なわけだが中2で何ができたかと言うとな。しかし同じ年齢で奉公して必死に食い繋いだ子もいたし何とも割り切れない
NHKの番組おもしろかった。ファントム清太はほんと映像化における大発明と思えた。清太はなぜ成仏せず現代の摩天楼を見つめているのか。番組最後が現代の駅の柱(聖地)アップで終わるのも良かった。行ってみたい。
この作品は単に戦争下の状況を描いているだけじゃなくて、もしもこういう状況に遭遇したらどうするだろう、と考えさせる力があるよね。自分が子どものときのことを思えば同じ失敗をした可能性は高い。
その頃中二病をとっくに終えたはずの大人たちは満州事変、国連脱退、日中戦争からの経済制裁により各国に戦端を開いて目先の勝利に酔ったり、戦争反対派を弾圧していたので清太に愚かとはとても言えないよね。
なぜ清太と節子は幽霊になったのか…映画『火垂るの墓』で原作と大きく異なる“3つのシーン”が描かれた理由 | 80年目の終戦 | 文春オンライン
〝「母のように生活を支えて節子の純粋さを守りたい清太」と「清太は自らの寂しさの救いを、節子の中にある母に求めている」という、庇護するものと庇護されるものが清太の中でぐるぐると円運動しているのである〟
NHK『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』見ました。NHK+ではもう見れない。少年時代に(終戦時9歳)岡山大空襲(死者1737人)でお姉さんと逃げた話が出てきた。体験と非体験者との間の埋められない溝を感じた。
生前の清太。幽霊の清太。そして妹を栄養失調で亡くした実体験をもとに書いた小説が直木賞を受賞して小説家、歌手、タレント、政治家とマルチな活躍をする清太のモデルとなった原作者の野坂昭如。...の3人の清太。
また宮崎駿氏の「幽霊は死んだ時点の姿だからガリガリに痩せてないとおかしい」がバズってたね
この映画を米欧諸国の地上波で今一斉放映出来ないか。大金持ちがスポンサーしてくれないか。何も言わなくても観た人はガザを連想するだろうに。
ああ、交番から解放された後、節子に会って泣くシーン、母を思い出したからなのか。自分の無力感からかと思っていた。まあ簡単なひとつの感情ではないのかもしれんが
この記事は凄く清太寄りなので同情する気持ちも沸くけど本編では西宮おばさんが言葉こそ悪いけど常に正論で清太がもし節子のために働いてたら全然未来が変わってた。居候先の歳の変わらないお姉さんも奉公してたしね
「このような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか」
清太は職業軍人の子供。交番から解放された後の涙は惨めに感じたのだろう。
おもしろ
久しぶりに見て思ったけど、目先のしょうもないプライドのために謝ったり妥協したりできず、破滅に向かっていく様子は色々と思うところがあったわ。今のネットみたいだよね。
今のネットみたいだって朝日新聞毎日新聞産経新聞フジテレビ朝日TBS東芝船場吉兆、それどころが日帝軍の行為に対する自民保守、ネットの前からずっとそうじゃんってブコメみて思ったが。広陵だって中居だって国分ry
死を美しく飾る心中物にしないためにFを用意したのは発明だったなあ。一人称視点で否応なく生じる陶酔を切り離してちょっと遠くに置いた。
価値観は動き続けているから、今見たら、「妹死なすよりは、親戚の嫌味くらい耐えろっつーの」とか思いそうだ。
映画見ると清太はもっと何かできたんじゃないかと思ってしまうが、現代でも親のない状況で小さな妹と2人で生きることを想像してみれば簡単ではない。そもそも厨二病と言われるあの年代にそこまで知恵があるかという
"人を頼らない兄妹ふたりきりの横穴でのくらしこそ、この物語の中心であり、救いである。過酷な運命を背負わされたふたりにつかの間の光が差し込む。幼児の微笑み。イノセンスの結晶"
高畑世代は原作改変当たり前だからな。原案ぐらいしか思ってない。
清太14歳なんだよなぁ。リアルに“厨二病”なお年頃。で、敗戦間近の日本社会には、厨二病で突っ走ってしまう少年を見守りつつ救う余裕など、どこにもなかった…という話として、最近は見ている。
公開から何十年経って擦られまくっても未だに多くの意見が出てくる作品
高畑「時代が再逆転したら あの未亡人以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず ぼくはおそろしい」「おばさんは利己主義」「死ななければならないのは心やさしい現代の若者であり私たちの半分」
清太を責める発言があるのが理解できない。これは戦争、弱きものが静かに死んでいく様を描いたものです。あの家に残ったところで生き残るのは難しかったでしょう
1980年代末の作画力すごい /清太や節子が死んだのも過密問題だよね。都雇圏何万人までだったら助かってた? /chatgpt-5曰く, 地方都市(都雇圏50〜80万人規模)なら,農地との距離が近く,闇市も機能していて餓死率は低かった。
火垂るの墓、清太が過去の自分を見つめるのね。高畑監督のもうひとりの自分の影響かにゃ?ボクももう一人のボクと遊びたいにゃ〜!癒やし効果でみんな幸せににゃ😸✨
知らないだけで今もこんな悲劇が世界のいたるところで起こっているんだろう
心中モノ扱いだったんですね…。幽霊ポイントは分岐点となるところで、プライドや潔癖を優先した点。選んで。
ETV特集の要約やん
終戦を知らなかった清太と、すぐ後の久しぶりに帰ってきたわー!とキャッキャしてる女学生たちとの落差に社会との断絶ってこういうことよなあ、とそこが1番印象的だったな。
原作の、とても差し迫った何かに追われるような文体がとても好きだったので、いまだに映画は見ていない。
野坂昭如はクズですから。その彼なりに、疎開先で亡くした妹を弔う(供養する)ことができないかと、突き動かされたのが本作(原作)でしょう。感受性が荒れているんですよね。ほめてます。
母の遺産による経済的な余裕と、艦長の息子という矜持と独立心が、時代にそぐわない選択をさせてしまったようにみた。ひたすら妹を守りたい一方、「親」に甘えたくもある。
幽霊は映画における「地の文」とも言えるかな。関係ないが、冒頭の神戸の空襲の場面を今観ると、パレスチナのガザ地区は今こんな感じなんだろうなと思った。
(何回も書いてるけど)清太は日本の隠喩なのよね。父が海軍士官(歴史の正統性)というプライドを捨てて、オバさん(列強)に従えば食えてはいけてた。でも清太(日本)はそれを選ばなかった。だから胸を打つ。
野坂昭如=清太の人でなしっぷりは今見ても好感が持てる不思議。原作者の生き様は今では動画にできないだろうな (´・ω・`)
高畑勲さんは清太を責めるようになったら戦時と同じメンタルに近付いてるということで、それは危ないことだと言ってます。清太を責める気になる人は内省しましょう。
正論で殴れば清太が優先順位バグり野郎なわけだが中2で何ができたかと言うとな。しかし同じ年齢で奉公して必死に食い繋いだ子もいたし何とも割り切れない
NHKの番組おもしろかった。ファントム清太はほんと映像化における大発明と思えた。清太はなぜ成仏せず現代の摩天楼を見つめているのか。番組最後が現代の駅の柱(聖地)アップで終わるのも良かった。行ってみたい。
この作品は単に戦争下の状況を描いているだけじゃなくて、もしもこういう状況に遭遇したらどうするだろう、と考えさせる力があるよね。自分が子どものときのことを思えば同じ失敗をした可能性は高い。
その頃中二病をとっくに終えたはずの大人たちは満州事変、国連脱退、日中戦争からの経済制裁により各国に戦端を開いて目先の勝利に酔ったり、戦争反対派を弾圧していたので清太に愚かとはとても言えないよね。