デビュー当時のタモさん超大好きで、あのシマシマのアイパッチを自分で作って、学校に持ってってクラスのみんなにバカ受けしてたww 自分史上初のコスプレだったw
時代によって揺れ動く「ギリギリ」を、その時その時でちゃんと見極めつつ攻めてた(微妙にはみ出つつ、致命的なラインは越さない。時代に合わせられる)のが、芸人としての本領だったのかもしれない。
途中にあるように戦争に対するネタ使いが、戦争を知らない世代が多数派になればなるほど不謹慎の方向にどんどん振れてってると思えてならない。真顔じゃないと右も左も戦争を語れなくなってるのは良くない
菊地成孔が、「黒澤明が何千回天皇と称されようと右翼は抗議しなかったのにタモリ天皇はいろいろ複雑すぎる笑。なーんか変に雅やかだし」って昔のエッセイで書いていたなそういえば。
そんなもんが危険扱いになる段階で国自体がイカれてるんスわ。
今ならアウト、追放はフジの選挙特番で自民当確が出るたびにまたダメかとか田舎はこれだからと毒づく司会進行ぶり。たけしは政治家に毒ガス放つより年寄りイジメるほうが風当りが強いと自慢していたが詭弁よなぁと。
70年代は江頭的な扱いで気味悪がられていたらしい。
タモリは芸人だったのだろうか?タモリはトランペットが吹ける司会者。竹中直人が芸人だったのか?役者でしょぐらいの謎を感じる。司会者をやってた期間の方が遥かに長い。
よく言われるし本人も言っているタモリの当時のヤバさについて「今で言えば江頭」っていうの、厳密には危なさの方向性は若干違うな。
名古屋差別とかさだまさし嫌いとか今だったらネットでフルボッコだろ
危ないというか「不謹慎」なタレントの筆頭だった。ネタが不謹慎すぎてTVで出せない。当時のタモリが今ネタをやったらガザや中居くんや広陵をネタにしてただろう。
すごく面白かったですね。それからさだまさしとオフコースと名古屋の悪口をオールナイトニッポンとかで延々と言ってたな。
してみると今のタモさんが「教養とエスプリに溢れる文化人」枠に落ち着いてるのは何か大きな意志が働いた結果なのかもね。「あれは装甲ではなく拘束具なのよ」的な
(散々さだまさしの悪口いいつつ「さだまさしとは会わない。会うと惚れちゃうかもしれないから」て仰った記憶。)(九州は今でいうインディーズ系音楽家の宝庫で意識するとこあったのかな。でも陽水はいいんだよ)
今その話いる?タモリをキャンセルしたいの?
そういえば当時のネタを音源でしか知らないな。アルバムが出てたよね。1 https://amzn.asia/d/gJ4UFbf 2 https://amzn.asia/d/5A2lR5u 3はLPのみ https://amzn.asia/d/7iMIPjU 幻の4が! https://amzn.asia/d/arrxLnq
タモさん少年時代はラジオでKBS、朝鮮中央放送、北京放送など聴取してデタラメ朝鮮語・中国語の腕を磨いたんだよね。博多だから良く聞こえる。アマチュア無線もやってたし(コールサインJA6CSH)
名古屋と埼玉を馬鹿にしてたのは覚えてる.いつの間にかなくなった.
タモさんてBIG3と呼ばれてる時代にさんまの愛車プレスしてビートたけしとゲラゲラ笑ってなかったっけ。ファンキーな人というイメージ
タモリは玉音放送エアプだから
タモリじゃなくて当事の社会が危なかったんじゃないの?世間の空気感・需要を読むのが上手い説。江頭だって今はYouTubeで売れてたり裏では慈善活動してて実は良い奴的なキャラだし。
自分が知ってる最古でもう「いいともの司会の人」だったからおもろいよなこういう話
あまり関係ないですけど神谷宗幣さんて教育勅語暗唱できるのかしら、誰か抜き打ちで聞いてみて欲しいです
後で
居酒屋でめちゃくちゃウケてる素人をデビューさせる時代/鼠先輩みたいなノリだったんだろうな
年取って丸くなった人だね。ビートたけしも今は文化人とも認識されているし、あれと同じ。
今の時代がキモすぎるだけ
玉音放送とかって大っぴらにネタにされてた気がする。
"今と昔で天皇とかの捉え方が全然違うから…子供の頃、タモリ以外にも玉音放送をネタにしてる芸人とかちょこちょこ見た記憶あるし…天皇の扱いが難しくなったのは昭和天皇の崩御以降じゃないだろうか"
音・言語・所作を核に天皇にしても朝鮮中央放送にしても強くて恐れ多いものを笑うアナキズムジャズメン的笑いで、弱い「イケてない人」を馬鹿にするマウントいじめ笑いとは違うのは良いところかな。
玉音放送のモノマネする人わりといるでしょ。俺もできる。
当時は、そもそもテレビは現在とこことなる意味で低俗とみられていたこと、政治や戦争に対してそれを神妙に考えることだけが正しいという風潮に対して一定数が反発していたことなど、様々な背景があった。
タモリは変に神格化されてるけど、名古屋イジりは地域差別だし、オフコース嫌いやミュージカル嫌いは単に狭隘なだけだし、長寿番組の司会として権威化したことでもろもろの欠点を指摘しづらくなっただけだと思う
耐え難きを耐え、忍び難きを忍びという玉音放送のモノマネは、実際聞いたことなくてもフレーズが出せるくらいには普通にテレビでやってたし、元ネタわからない人が増えたからやらなくなっただけでは?
玉音放送のマネってそんなに危険な芸?
昔は大正テレビ寄席で「出んのう、屁ぇがあ」なんて、誰だったか忘れた芸人がやってたけどね。
ネットワークのない時代、全国のお茶の間に「笑い」を届ける事を考えると、体感しやすいものに近くなる気もする。と言うか分散しただけでSNS等では今でもそう。弄り(弄ぶこと)は通常NGと言う感覚が広まったのは良い事
かつてのタモリ氏がいかに危ない芸人だったかといえば、テレビに出せない持ちネタに『1945年8月15日の玉音放送』のモノマネがあったくらい
デビュー当時のタモさん超大好きで、あのシマシマのアイパッチを自分で作って、学校に持ってってクラスのみんなにバカ受けしてたww 自分史上初のコスプレだったw
時代によって揺れ動く「ギリギリ」を、その時その時でちゃんと見極めつつ攻めてた(微妙にはみ出つつ、致命的なラインは越さない。時代に合わせられる)のが、芸人としての本領だったのかもしれない。
途中にあるように戦争に対するネタ使いが、戦争を知らない世代が多数派になればなるほど不謹慎の方向にどんどん振れてってると思えてならない。真顔じゃないと右も左も戦争を語れなくなってるのは良くない
菊地成孔が、「黒澤明が何千回天皇と称されようと右翼は抗議しなかったのにタモリ天皇はいろいろ複雑すぎる笑。なーんか変に雅やかだし」って昔のエッセイで書いていたなそういえば。
そんなもんが危険扱いになる段階で国自体がイカれてるんスわ。
今ならアウト、追放はフジの選挙特番で自民当確が出るたびにまたダメかとか田舎はこれだからと毒づく司会進行ぶり。たけしは政治家に毒ガス放つより年寄りイジメるほうが風当りが強いと自慢していたが詭弁よなぁと。
70年代は江頭的な扱いで気味悪がられていたらしい。
タモリは芸人だったのだろうか?タモリはトランペットが吹ける司会者。竹中直人が芸人だったのか?役者でしょぐらいの謎を感じる。司会者をやってた期間の方が遥かに長い。
よく言われるし本人も言っているタモリの当時のヤバさについて「今で言えば江頭」っていうの、厳密には危なさの方向性は若干違うな。
名古屋差別とかさだまさし嫌いとか今だったらネットでフルボッコだろ
危ないというか「不謹慎」なタレントの筆頭だった。ネタが不謹慎すぎてTVで出せない。当時のタモリが今ネタをやったらガザや中居くんや広陵をネタにしてただろう。
すごく面白かったですね。それからさだまさしとオフコースと名古屋の悪口をオールナイトニッポンとかで延々と言ってたな。
してみると今のタモさんが「教養とエスプリに溢れる文化人」枠に落ち着いてるのは何か大きな意志が働いた結果なのかもね。「あれは装甲ではなく拘束具なのよ」的な
(散々さだまさしの悪口いいつつ「さだまさしとは会わない。会うと惚れちゃうかもしれないから」て仰った記憶。)(九州は今でいうインディーズ系音楽家の宝庫で意識するとこあったのかな。でも陽水はいいんだよ)
今その話いる?タモリをキャンセルしたいの?
そういえば当時のネタを音源でしか知らないな。アルバムが出てたよね。1 https://amzn.asia/d/gJ4UFbf 2 https://amzn.asia/d/5A2lR5u 3はLPのみ https://amzn.asia/d/7iMIPjU 幻の4が! https://amzn.asia/d/arrxLnq
タモさん少年時代はラジオでKBS、朝鮮中央放送、北京放送など聴取してデタラメ朝鮮語・中国語の腕を磨いたんだよね。博多だから良く聞こえる。アマチュア無線もやってたし(コールサインJA6CSH)
名古屋と埼玉を馬鹿にしてたのは覚えてる.いつの間にかなくなった.
タモさんてBIG3と呼ばれてる時代にさんまの愛車プレスしてビートたけしとゲラゲラ笑ってなかったっけ。ファンキーな人というイメージ
タモリは玉音放送エアプだから
タモリじゃなくて当事の社会が危なかったんじゃないの?世間の空気感・需要を読むのが上手い説。江頭だって今はYouTubeで売れてたり裏では慈善活動してて実は良い奴的なキャラだし。
自分が知ってる最古でもう「いいともの司会の人」だったからおもろいよなこういう話
あまり関係ないですけど神谷宗幣さんて教育勅語暗唱できるのかしら、誰か抜き打ちで聞いてみて欲しいです
後で
居酒屋でめちゃくちゃウケてる素人をデビューさせる時代/鼠先輩みたいなノリだったんだろうな
年取って丸くなった人だね。ビートたけしも今は文化人とも認識されているし、あれと同じ。
今の時代がキモすぎるだけ
玉音放送とかって大っぴらにネタにされてた気がする。
"今と昔で天皇とかの捉え方が全然違うから…子供の頃、タモリ以外にも玉音放送をネタにしてる芸人とかちょこちょこ見た記憶あるし…天皇の扱いが難しくなったのは昭和天皇の崩御以降じゃないだろうか"
音・言語・所作を核に天皇にしても朝鮮中央放送にしても強くて恐れ多いものを笑うアナキズムジャズメン的笑いで、弱い「イケてない人」を馬鹿にするマウントいじめ笑いとは違うのは良いところかな。
玉音放送のモノマネする人わりといるでしょ。俺もできる。
当時は、そもそもテレビは現在とこことなる意味で低俗とみられていたこと、政治や戦争に対してそれを神妙に考えることだけが正しいという風潮に対して一定数が反発していたことなど、様々な背景があった。
タモリは変に神格化されてるけど、名古屋イジりは地域差別だし、オフコース嫌いやミュージカル嫌いは単に狭隘なだけだし、長寿番組の司会として権威化したことでもろもろの欠点を指摘しづらくなっただけだと思う
耐え難きを耐え、忍び難きを忍びという玉音放送のモノマネは、実際聞いたことなくてもフレーズが出せるくらいには普通にテレビでやってたし、元ネタわからない人が増えたからやらなくなっただけでは?
玉音放送のマネってそんなに危険な芸?
昔は大正テレビ寄席で「出んのう、屁ぇがあ」なんて、誰だったか忘れた芸人がやってたけどね。
ネットワークのない時代、全国のお茶の間に「笑い」を届ける事を考えると、体感しやすいものに近くなる気もする。と言うか分散しただけでSNS等では今でもそう。弄り(弄ぶこと)は通常NGと言う感覚が広まったのは良い事