最高に面白い記事だった。僕が野球を見始めた頃、「池田高校」「蔦監督」はスーパースターだった。監督の実像はわからないけど、池田から常勝チームが出た狂騒のなかでは普通でいられなくても仕方ないと思う。
面白かったが何で勝てたのかはよくわからなかった./当時は池田,PLだったからなあ.PLも全く聞かなくなったが中村監督が辞めてからなのか.その辺りも知りたい.
いまいちピントがぼやけていて、この監督の実像みたいのは見えてこない記事だった。優勝できていたときにはどうしてそれが可能だったのか、チームの編成や育成方法についてもう少し掘り下げがほしかったかな。
ムヒが丘に かゆみを止めて 池田 池田模範堂
内容とは全く関係ないのだけと、江戸川区のとある弱小出版社の書籍と極めて文体が似ておりブクマ。あの会社はこういうのがルーツなのかもしれないな。
おもしろかった
いわゆるカリスマ性ってやつなんだろうね。この川原さんって人が監督だったら優秀な人は集まらなかったんだろうし。孫も監督、映画監督なのか。
監督本人が生きているうちに取材して映画化しておくべきだった。惜しいなぁ
池田高校は名前しか知らない世代なんだけど、初めて阿波池田の町に寄ったとき、この町から有名校が…?と思った。真夏のあの町の雰囲気がすごくよかった。
私が小さい頃ばーちゃんちに池田高校の下宿生が住んでて遊んでもらったのはいい思い出。私の本籍が気に入らないのいで、三好の名前は旧三好町に返してもらって、西みよし市にでも改名してください。
前近代的なザ昭和の指導者なのは有名だったけど、講演会での金稼ぎに夢中でまともに指導もしていないほど酷かったのは驚いた。
へぇ、、なかなか衝撃だった
面白かった。池田高校はいまも結構野球頑張っているよ。
当時は名将蔦監督のイメージが強過ぎたが、実際にはそういうことがあったのね。公立校といえば84年夏に木内監督のもと取手二高が優勝したのも一連の物語のように感じてしまう。
社長は外向けアピールばかりに夢中だけど社員は士気が高くてなんか上手くいってる企業とか、教授は講演に飛び回ってるけど次々優秀な研究者が育っていく研究室とかあるからなあ。
蔦監督自身が持って生まれた業の成せるわざだったのでしょう。
面白かったが、蔦さんを直に知らない世代なので今の人が読むと、その部分だけが独り歩きしそう。(いい年した大人が祖父と言わずに、じいちゃん呼びか…)
お孫さんが「ハイソな映画監督センセイ」ってのがなんとも含意ありますな
連投も普通にあった時代なので秀でた投手が一枚いれば勝てたというのはその通り、しかし同様に秀でた投手を擁していたであろう他の甲子園強豪校相手にも攻めダルマの大量得点で打ち勝ちまくった事実も否定できない
講演に飛び回っていたのは、お金もあるだろうけど、他の地方からも第二第三の池田高校が出てきてほしいという想いもあったんじゃないかなと、想像してしまう。 40人住む寮の運営資金だけでも大変だろうに。
孫の映画監督世代の自分には学校名も記録も初見だったけど、3つとも面白く一気に読めた。カリスマ性のある監督だけでも指導力のあるコーチだけでも有望選手だけでもダメだったんだろうな。
強くなれたのは練習中もしっかりと水分補給していたからでは。徳島県は大塚製薬のお膝元なのでポカリスエット飲み放題だったと水野が言っていた。
世代が違いすぎて全然わからん。将来1980年代生まれがメディア上層部になると、横浜高校vsPL学園ネタを延々とやるんだろうな。
凋落凋落言ってるが、10年前位に甲子園に出て復活と話題になってたよね?と調べたら2014の春だった/このライターも「夏の甲子園」と書いてるね。姑息(笑)
他の高校スポーツだと多分、優勝したからってそこまで“欲望ジジイ”に変貌するほど講演依頼殺到とかテレビ何社も密着はなかっただろうと思うと、高校野球の特殊性を感じる。今より世間は高校野球に注目してたしな。
いっけだ、いっけだ、もはんどー!/https://youtu.be/XbtMMTijLMs ムヒのCMでは藤田まことが蔦監督役だったんか
古い時代の自分だが、池田を知ったのはムヒの広告に使われたからだな。
https://vocal.media/authors/savvy-smart-sexy-people-do-how-much-does-fidelity-charge-for-financial-advisors
池田は昔から田舎だけど高速がX状に完成するまで四国横断時の要衝だった。それでも何故人が集まってあれだけ勝てたのかは何もわからないが、ある種の神性や時代の流れは文字だけでは捉えられないということかな
劉邦スタイルかなと思ったが、コーチや選手にもあまり慕われてないなぁ。でもコーチの指導にどうこうも言ってない感じ。でもまぁ当時の高校野球ってそんなもんかも。名前でビビらせるというか。
「結局、優勝した年はいい投手がいたんよ。畠山、水野、梶田でしょう。当時は秀でた投手が1枚いれば勝てた時代だから」
部員11人なのにセンバツ初出場で準優勝した「さわやかイレブン」(1974年春)のときはそこまで打撃優先のチームじゃなかった
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/_fidelity-fees-services-investing-review-2025.pdf
「金の好きな欲望ジジイ」って、存命中じゃ出せないような話もあって面白かった。
これは全てのことに通じる。完璧でなくても技術がなくても知識が足りなくても、勢いと強い意志で目標を手繰り寄せることができる。そして、完璧な人などいない。当時の善し悪しは一旦置いて。
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/coinbase-scam-refund.pdfhttps://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/coinbase-scam-refund.pdf
「なぜ甲子園から消えた?」池田も箕島も、公立だからであらかた説明がつくのでは・・・
他高への遠征費とか色々金は必要だったのでは? https://number.bunshun.jp/articles/-/854161?page=3
https://github.com/paperswithcode/paperswithcode-data/issues/102
ま、カリスマってそんなもんだよな.......理屈ぢゃなくて (´・ω・`)
早実や大阪桐蔭みたいなのと違ってスポーツだけの高校は難しいね。ちょっとコケたらすぐ人集まらなくなる。
徳島名物米津ポカリワッションヴォイ / 心霊スポット中村内科 / サカノの隣はタツエ
「ノーバントノーボール作戦」みたいな「ぼくのかんがえたさいきょうのやきゅう理論」が、時代とか選手の巡り合わせとたまたまかっちりハマって結果を残せたみたいな感じなのかしら。
地味に強かった70年代を知る人をもっと取材せんとアカンやろ。「さわやかイレブン」に触れてないのをダメ出ししない編集長は、ファンとしてもスポーツ誌編集長としても失格。メンバー11人で甲子園準優勝したんやで。
選手が集まるにしろ初めはそれもない中で強さを見せないといけなかったわけで
真相はこうだ。この頃までは私立が野球に注力しなかった。このあとは私立がスポーツ特待生で県外エリート中学生を導入した。→ https://chatgpt.com/share/688dea17-edec-8007-866e-52f140358619 以後は公立は対抗できなくなった。
そもそも美談になりがちだけど、学校の先生や部活の顧問が、越境入学の子を自分の家に住ませたり、自分の家の敷地で寮運営したりしてるのって、どう考えても公私混同なんだよな。そりゃ不正につながるよね。
池田高校は名前しか知らない世代だが、蔦監督の人間味に興味を惹かれる。本などがあれば読んでみたい。
父が春夏甲子園シーズンが来るたびに「昔はさわやかイレブンと池田ナインって呼ばれた高校があって……」と語り始める池田高野球部の快進撃。みんなで監督英雄視するだけで現地取材これまで誰もやらなかったのかな。
昭和の甲子園は、わけのわからん公立高校がど根性で優勝するようなロマンがあった/平成は合理主義進んで私立高校に優秀な選手が集まるようになる/さらに日本人全体が合理化コスパ化したことによる少子化。
面白かった。金に目がくらむような人間味あるオッサンだから人も集まったんだろうな。時代性もあっただろうし、色々とうまいことフィットしたんだろ。
大阪の池田高校って野球強かったんだと思ったら同名の別高校の話だった
毀誉褒貶ありつつも山間の集落の人々の目を外に向けさせた名監督の孫が世界で活躍する映画監督になってるの記事として美しさある
なんだかんだあるけど、蔦は凄かったというのは誰も否定できない。という記事だった。そりゃそうなんだけど再確認するみたいな。
甲子園が公立から私立へと移行する境目の時代、徳島は野球部のある私立校が一校しかなく県だといまだに公立だけど
政治家で言うと田中角栄みたいな人だったんだろう。今だったらコンプラですぐ叩き潰される
野球界隈なんて日本で最も闇が深い方面のひとつだからね。大手マスコミが所有や全面的なバックアップしてるという構造から、球界の不名誉となりうるような揉め事、不祥事については報道しない自由の行使だらけ。
”「今でも他校の監督さんから『蔦先生からどんな指導を受けてたんですか?』とよく聞かれるんですよ。それに対してこう返すんです。何も教えてもらってないです、って。”
なぜかしらん結果を出して黙らすスタイル。かっこええけどまわりはたまらん。心から現実が出てくるという球技の側面からすると、特攻で生き残ったのが大きいと俺は思う。
サッカーだけど、国見は小嶺監督が長期政権を築いてたよな。島商時代も入れるととんでもない。最近だと野洲高校もか。
→こういうの最低でも畠山水野江上の蔦監督評が知りたいなぁ
夏春連覇“あの名門公立校”なぜ甲子園から消えた?「美談は言わないよ」現地取材でポツリ…日本中が熱狂「神様になった監督」池田高野球部のナゾを追う(田中仰)
最高に面白い記事だった。僕が野球を見始めた頃、「池田高校」「蔦監督」はスーパースターだった。監督の実像はわからないけど、池田から常勝チームが出た狂騒のなかでは普通でいられなくても仕方ないと思う。
面白かったが何で勝てたのかはよくわからなかった./当時は池田,PLだったからなあ.PLも全く聞かなくなったが中村監督が辞めてからなのか.その辺りも知りたい.
いまいちピントがぼやけていて、この監督の実像みたいのは見えてこない記事だった。優勝できていたときにはどうしてそれが可能だったのか、チームの編成や育成方法についてもう少し掘り下げがほしかったかな。
ムヒが丘に かゆみを止めて 池田 池田模範堂
内容とは全く関係ないのだけと、江戸川区のとある弱小出版社の書籍と極めて文体が似ておりブクマ。あの会社はこういうのがルーツなのかもしれないな。
おもしろかった
いわゆるカリスマ性ってやつなんだろうね。この川原さんって人が監督だったら優秀な人は集まらなかったんだろうし。孫も監督、映画監督なのか。
監督本人が生きているうちに取材して映画化しておくべきだった。惜しいなぁ
池田高校は名前しか知らない世代なんだけど、初めて阿波池田の町に寄ったとき、この町から有名校が…?と思った。真夏のあの町の雰囲気がすごくよかった。
私が小さい頃ばーちゃんちに池田高校の下宿生が住んでて遊んでもらったのはいい思い出。私の本籍が気に入らないのいで、三好の名前は旧三好町に返してもらって、西みよし市にでも改名してください。
前近代的なザ昭和の指導者なのは有名だったけど、講演会での金稼ぎに夢中でまともに指導もしていないほど酷かったのは驚いた。
へぇ、、なかなか衝撃だった
面白かった。池田高校はいまも結構野球頑張っているよ。
当時は名将蔦監督のイメージが強過ぎたが、実際にはそういうことがあったのね。公立校といえば84年夏に木内監督のもと取手二高が優勝したのも一連の物語のように感じてしまう。
社長は外向けアピールばかりに夢中だけど社員は士気が高くてなんか上手くいってる企業とか、教授は講演に飛び回ってるけど次々優秀な研究者が育っていく研究室とかあるからなあ。
蔦監督自身が持って生まれた業の成せるわざだったのでしょう。
面白かったが、蔦さんを直に知らない世代なので今の人が読むと、その部分だけが独り歩きしそう。(いい年した大人が祖父と言わずに、じいちゃん呼びか…)
お孫さんが「ハイソな映画監督センセイ」ってのがなんとも含意ありますな
連投も普通にあった時代なので秀でた投手が一枚いれば勝てたというのはその通り、しかし同様に秀でた投手を擁していたであろう他の甲子園強豪校相手にも攻めダルマの大量得点で打ち勝ちまくった事実も否定できない
講演に飛び回っていたのは、お金もあるだろうけど、他の地方からも第二第三の池田高校が出てきてほしいという想いもあったんじゃないかなと、想像してしまう。 40人住む寮の運営資金だけでも大変だろうに。
孫の映画監督世代の自分には学校名も記録も初見だったけど、3つとも面白く一気に読めた。カリスマ性のある監督だけでも指導力のあるコーチだけでも有望選手だけでもダメだったんだろうな。
強くなれたのは練習中もしっかりと水分補給していたからでは。徳島県は大塚製薬のお膝元なのでポカリスエット飲み放題だったと水野が言っていた。
世代が違いすぎて全然わからん。将来1980年代生まれがメディア上層部になると、横浜高校vsPL学園ネタを延々とやるんだろうな。
凋落凋落言ってるが、10年前位に甲子園に出て復活と話題になってたよね?と調べたら2014の春だった/このライターも「夏の甲子園」と書いてるね。姑息(笑)
他の高校スポーツだと多分、優勝したからってそこまで“欲望ジジイ”に変貌するほど講演依頼殺到とかテレビ何社も密着はなかっただろうと思うと、高校野球の特殊性を感じる。今より世間は高校野球に注目してたしな。
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池田は昔から田舎だけど高速がX状に完成するまで四国横断時の要衝だった。それでも何故人が集まってあれだけ勝てたのかは何もわからないが、ある種の神性や時代の流れは文字だけでは捉えられないということかな
劉邦スタイルかなと思ったが、コーチや選手にもあまり慕われてないなぁ。でもコーチの指導にどうこうも言ってない感じ。でもまぁ当時の高校野球ってそんなもんかも。名前でビビらせるというか。
「結局、優勝した年はいい投手がいたんよ。畠山、水野、梶田でしょう。当時は秀でた投手が1枚いれば勝てた時代だから」
部員11人なのにセンバツ初出場で準優勝した「さわやかイレブン」(1974年春)のときはそこまで打撃優先のチームじゃなかった
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/_fidelity-fees-services-investing-review-2025.pdf
「金の好きな欲望ジジイ」って、存命中じゃ出せないような話もあって面白かった。
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/_fidelity-fees-services-investing-review-2025.pdf
これは全てのことに通じる。完璧でなくても技術がなくても知識が足りなくても、勢いと強い意志で目標を手繰り寄せることができる。そして、完璧な人などいない。当時の善し悪しは一旦置いて。
https://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/coinbase-scam-refund.pdfhttps://www.cucei.udg.mx/maestrias/biotecnologia/sites/default/files/webform/coinbase-scam-refund.pdf
「なぜ甲子園から消えた?」池田も箕島も、公立だからであらかた説明がつくのでは・・・
他高への遠征費とか色々金は必要だったのでは? https://number.bunshun.jp/articles/-/854161?page=3
https://github.com/paperswithcode/paperswithcode-data/issues/102
ま、カリスマってそんなもんだよな.......理屈ぢゃなくて (´・ω・`)
早実や大阪桐蔭みたいなのと違ってスポーツだけの高校は難しいね。ちょっとコケたらすぐ人集まらなくなる。
徳島名物米津ポカリワッションヴォイ / 心霊スポット中村内科 / サカノの隣はタツエ
「ノーバントノーボール作戦」みたいな「ぼくのかんがえたさいきょうのやきゅう理論」が、時代とか選手の巡り合わせとたまたまかっちりハマって結果を残せたみたいな感じなのかしら。
地味に強かった70年代を知る人をもっと取材せんとアカンやろ。「さわやかイレブン」に触れてないのをダメ出ししない編集長は、ファンとしてもスポーツ誌編集長としても失格。メンバー11人で甲子園準優勝したんやで。
選手が集まるにしろ初めはそれもない中で強さを見せないといけなかったわけで
真相はこうだ。この頃までは私立が野球に注力しなかった。このあとは私立がスポーツ特待生で県外エリート中学生を導入した。→ https://chatgpt.com/share/688dea17-edec-8007-866e-52f140358619 以後は公立は対抗できなくなった。
そもそも美談になりがちだけど、学校の先生や部活の顧問が、越境入学の子を自分の家に住ませたり、自分の家の敷地で寮運営したりしてるのって、どう考えても公私混同なんだよな。そりゃ不正につながるよね。
池田高校は名前しか知らない世代だが、蔦監督の人間味に興味を惹かれる。本などがあれば読んでみたい。
父が春夏甲子園シーズンが来るたびに「昔はさわやかイレブンと池田ナインって呼ばれた高校があって……」と語り始める池田高野球部の快進撃。みんなで監督英雄視するだけで現地取材これまで誰もやらなかったのかな。
昭和の甲子園は、わけのわからん公立高校がど根性で優勝するようなロマンがあった/平成は合理主義進んで私立高校に優秀な選手が集まるようになる/さらに日本人全体が合理化コスパ化したことによる少子化。
面白かった。金に目がくらむような人間味あるオッサンだから人も集まったんだろうな。時代性もあっただろうし、色々とうまいことフィットしたんだろ。
大阪の池田高校って野球強かったんだと思ったら同名の別高校の話だった
毀誉褒貶ありつつも山間の集落の人々の目を外に向けさせた名監督の孫が世界で活躍する映画監督になってるの記事として美しさある
なんだかんだあるけど、蔦は凄かったというのは誰も否定できない。という記事だった。そりゃそうなんだけど再確認するみたいな。
甲子園が公立から私立へと移行する境目の時代、徳島は野球部のある私立校が一校しかなく県だといまだに公立だけど
政治家で言うと田中角栄みたいな人だったんだろう。今だったらコンプラですぐ叩き潰される
野球界隈なんて日本で最も闇が深い方面のひとつだからね。大手マスコミが所有や全面的なバックアップしてるという構造から、球界の不名誉となりうるような揉め事、不祥事については報道しない自由の行使だらけ。
”「今でも他校の監督さんから『蔦先生からどんな指導を受けてたんですか?』とよく聞かれるんですよ。それに対してこう返すんです。何も教えてもらってないです、って。”
なぜかしらん結果を出して黙らすスタイル。かっこええけどまわりはたまらん。心から現実が出てくるという球技の側面からすると、特攻で生き残ったのが大きいと俺は思う。
サッカーだけど、国見は小嶺監督が長期政権を築いてたよな。島商時代も入れるととんでもない。最近だと野洲高校もか。
→こういうの最低でも畠山水野江上の蔦監督評が知りたいなぁ