普通にご飯を食べること自体が、もう既に加害の一端だったのだと。これについては、原作のとあるセリフを「海の向こうから来た食べ物でできている」といった内容に変えることで表現した
映画731が延期になったという。おそらく中国政府の判断だと思われるが、加害という問題に対してもっと向き合わないといけないのか? という疑問形が頭の中を。。。。
日本がアメリカに先に原爆投下していれば世界は英語の代わりに世界共通語として日本語を学ぶ世界線になっていた。支那共産党は解体され、支那の人々は日本国民として自由と人権を得て幸福な暮らしができていた。
「戦時中の“すいとん”はまずかった」「戦争中のどこからか純粋な小麦粉は配給されなくなっていて、小麦粉に魚粉や麩などいろんな粉を混ぜたものが配給されていました。他の粉で“かさ増し”された小麦粉」
酵和パンと書いてあるが、正解は「興亜パン」。戦時下の食生活で多かったのは、いろんな物を混ぜ込んでかさ増しと栄養価を獲得するだった。
ベースブレッドたべてたってこと?
上映しているんだよな。また観に行きたいなあ。
沖縄土人が被害者づらしているのと同じ。あいつ等は一緒にアジアを侵略した加害者だ。無関係な被害者ではないの。戦争の悲惨さを被害者として伝える間違った反戦教育の成れの果て。俺達は全員レイパーの子供だ。
くどくど説明したくないのはわかるけどそれでも考証・解説本を書いてほしい。普通の日本人の加害を描いた映画は「拝啓天皇陛下様」。おすすめ。木下恵介監督「陸軍」は戦意高揚映画なのに反戦にしか見えない異形作。
「霞が関の日本の海軍省は、日比谷のホテルでクリスマスパーティーをやっている」日中戦争で禁止令が出たけど、子どものお祭りってよりは成人男性が繁華街で大騒ぎする方が盛んだったんだよな。
能動的にならないと見つけられない謎は、たぶん我々の大多数の者には結局見つけられない。難しい。
片渕監督が史実に対して真摯で誠実に生きてるからこそ、こうの史代先生が原作で声高に主張せず伏せている事にも気付き尊重している。その姿勢が何より尊い。私も歴史への謙虚さと史実を尊重する心を抱いて生きたい。
" 「無関係さ」こそが戦争というものの正体なんだなと。“戦争の愚かさ”と大上段に構えても、何が愚かなのか一言では語りにくい"
今ではグローバルサウスの問題.現代における植民地主義とは何かとも考えさせられる.先進国の繁栄の代償とは.
今現在でもユニクロありがてえしチョコ高くなったの悲しいもんなあ
全体的にはいい映画だったけど原作にない台詞をわざと入れ込むのは「浮く」ことになるんで感心しないな。
開戦からして国民の望みだったしな。碌でもないと思う。/ 冒頭のマスク騒動の話もそれに繋がるが、本当に大騒ぎしたことを顧みないよね
膝を打った。主体性を持って調べているように思えて実は批判性がないと受動的であると > SNSに溢れている何の根拠もない言説を、差も重要な結論だと抱いてしまうこともある。あまりにも受動的すぎのような気がします。
「本来はどこまで考えてもきりがないもの。それを~と一言で話せるとしたら、そのこと自体に疑問を抱いてほしいと思います」
これすごい話やな
メディアの8月(限定)キャンペーンのほうにも厳しい目を向けてほしいけどな。あと本気で考えるなら、第1次世界大戦の火事場泥棒みたいなのだって反省すべき過去になるだろう。
へー。サツマイモの葉柄って食べられるんだ。
“『この世界の片隅に』という物語がどんなものなのかは、本来はどこまで考えてもきりがないもの。それを「いや、あの話はね」「あの映画はね」と一言で話せるとしたら、そのこと自体に疑問を抱いてほしいと思います
冒頭から引用したい部分が多過ぎる/能動的に読む、かあ。知ってると思うと「なぜ」とも思わず調べないもんな/やはり当然過ぎる前提は日記などでしか語られず、世代交代とともに残らない。忘れられる。
「『戦争は悪である』という皆が共通して持っていたような単純な認識が、2016年にはかなり通用しなくなってきて、それが2025年の今はあまりにもバラバラになってしまった」
帝国主義だった欧米諸国の庶民が、植民地の人のことをどのくらい考えていたかというと、あまり考えていなかっただろうという感はある(なんならいまも考えてなさそう。戦勝国は反省する機会がなかった)。
“本来はどこまで考えてもきりがないもの。それを「いや、あの話はね」「あの映画はね」と一言で話せるとしたら、そのこと自体に疑問を抱いてほしいと思います。そんなに簡単なことでないはずなんですよ。”
世界じゅうそうだけど99.99%の市民は戦争などしたくないのよ。でも始まってしまうと巻き込まれ、戦い、被害も加害も受けるのはそういう人たち。
片渕監督インタビュー。いろいろな背景から深く読み解いていく仕掛けの多い作品。
例の改変については、植民地支配を食料の収奪に矮小化してないかという疑念はある。原作にあった「暴力」を脱臭してはいないか。俺はクラファン参加者で、あのシーンをどう描くか期待してたのでずっと気になってる
オープニングで泣きそうになった映画は後にも先にもこれだけ。
「今年は終戦80年ということでたまたま上映できることになりましたが、この9年で世の中や世界情勢があまりにも変わりすぎてしまった。改めて今この世界の中に立って、すずさんやすずさんがいた時代を見つめて」
植民地主義は悪で自由主義経済による収奪は問題ないと思っているのかなと、この監督もコメ欄のはてブ民にも違和感がある。結婚指輪の宝石もその産物で、何なら衣類も素材から縫製まで怪しい。正義ヅラは出来ない。
“普通の生活を健気に営んできた、普通の思考しか持ってない人の頭の上になぜ爆弾が降るのだろうか” 今も世界の各地で爆弾が銃弾が飛んでいる
ご飯が加害と言うなら撮影機材を作るために使用するコバルト。コンゴの需要がないにも関わらず低賃金でこき使われて輸出される。片渕監督の定義に則るなら加害の一旦を担った上で罪を説いている事になる。傲慢では?
劇場でも思ったけど、この記事を読み終わってなおの事、他人の原作借りてくるんじゃなくて監督自身で一から違う別の作品を作って欲しかったなぁと思う。
今の我々もフェアトレードないチョコやダイヤを享受してるし搾取された側に爆弾で突っ込まれても文句は言えない。が米国みたいな植民地を持つ大国の莫大な研究費の実績作りに核実験されるのが適切な罰とも思えない
日清日露で賠償金ぶんどれと噴き上がった世論・新聞と、ほぼ全国民が絡めとられた植民地経済への依存が、その後の対米参戦と亡国を招いた。一億総懺悔しても、戦犯として裁かれたわけではない。これもまた戦争責任。
現代に生きる我々もまた割高なフェアトレード製品ではなく値段の安い商品を選んでしまう。/加害という言葉は強過ぎるにせよ、すずさんのように、アンフェアな構造に加担して自らもまた利益を得ている。
沖縄の平和学習なんかでは常に被害者なんだよね県民。琉球王朝に関しても、家柄いいです!僕ら!な地主や元士族様って農民搾取で昔から良い生活してました!以外なにものでもないんだよな。
netflixで吹き替え入れて全世界に公開すべき。(今は多分日本語だけ?)
傲慢な親であると自覚したうえで、家族一緒に観に行くことにした。僕だけ再鑑賞。
見たいな。
現代に生きる我々も「食料でのアンフェアなトレード」の上に生きていることを思うと、公開当時物議を醸したあの台詞の改変は、むしろ現代の作品として意味があったのだと思う。
これからは、誰かを悪魔化することなく、戦時の「挙国一致」とはどういう事だったのかを誠実に描くことが大事だと思う。多分、当事者の世代には難しいこと。この作品は左右の対立を越えて届く力があると思っている。
現代においても安くものが手に入る背景には搾取労働させられている人たちがいたりするわけで、気づいてない加害というのは無数に存在しているのではないかと思う。
戦争の加害性を「被害者だけの問題」と捉えず、日常レベルでの無自覚な関与や選択にも目を向けようという問いかけ。
この考え方は個人と社会の関係上では重要だと思うが完全にフェアな関係や制度は作れない訳で、個人の人生と同一化しすぎると極端な主張に行きつかない?この作品はあの時代を生きた人の人生を否定している訳ではない
少し前に流行った「フェアトレード」のコーヒー豆やチョコレートが頭に浮かんだけど、今はそいうのを、意識高い系、学歴エリートの道楽、ウォークと呼んで冷笑する右派ポピュリズムが台頭してくる流れなんだよなぁ…
戦時中日本の支配下にあった大連という土地に住んでいるので、加害については意識せざるを得ない。あれだけの日本人が住んでいながら中国語を解する人がどれだけいたか。それは今も同じかもしれない。
『ドイツの国民はコカ・コーラが大好きだったのですが、1941年にアメリカと戦争状態に入ると、コカ・コーラの原液の輸入が止まってしまった。そこで開発されたのがファンタ。』 へぇー
加害構造に則ってるのに知らんぷりしていい人ぶってるのが一番悪そうよねすずさん。悪人は悪人として振る舞わないと
すずさんの加害…?ボクにはおやつくれない人が加害者にゃ!
戦争のような大規模な加害性も、目を凝らせば日常の中に相似形のものがある。
↓いや、すずさんを悪人として描いたら何も意味ないでしょ。
今だって税金払ってるだけで戦争に加担してるようなもの。イスラエル支援企業のマック、スタバ、ディズニー等も有名。
せやな。(という書き込みを、イスラエルのチェックポイント社のFirewall経由で、ロシアのサハリン2からのLNGで発電した電力でしています)
公開当時、自分は「どの時代どの人間にも存在する個を観客の中にあぶり出そうという無謀な試みこそが本作の挑戦」とレビューしたが、しかし例のセリフは残念だがエクスキューズにしかならないのではとも感じていた
“ただ、「この世界の片隅に」という漫画自体、いろんなものを伏せたまま進む話です” 繰り返し見るコンテンツは、こういう気づきが多い / 加害って広いよね。今も、将来の、または他国の加害に関わる恐れを感じてる
なんでもないような日常の記録こそが「今」を語る証言となる。
2025年の今自分の気持ちも含めて戦争が絶対に悪じゃなくなってきているのが気になる。今後生きているうちに戦争するって思うようになるんだろうか?
加害という概念でいくと、全人類罪人では?「戦争時の加害者になる構造」というぐらい、条件をつけたほうが良くない?理想平和主義的な思考は、繊細過ぎない?//侵略戦争は悪。防衛戦争は必要悪という認識。
『月6万でフィリピン人の住み込みメイドを雇うことの妥当性について』高橋廸久氏「合理的ではあるが善ではない」https://youtu.be/1y0y-he92Po?t=647
未だに公開前の監督講演のはてなブログをツイッタープロフィールに掲げているくらい好きだけど、今になってもそうだったのかと思うことがある。コロナを経て、パレスチナを見て、実感するようになったこともある…
加害性を国民に広げると真の責任者が見えなくなる。「過ちは繰り返しません」という言葉は、旧日本軍と時の政権に向けられるべきだった。それを有耶無耶にしたため、未だに加害性を認めない人々がいる。
現在の人たちが『私たちは発言しただけ。彼らが仕事を打ち切られたり貸衣装を利用できなくなっても、それは彼らと会社の問題』といって通るなら、『私たちは食べてるだけ。あとは商社と仕入れ先の問題』で通るだろ。
各々立場が違うからなぁ……竹の森遠くは間違いもあるが、四国のキャラバンを襲ったのと同じくだいたいあっているわけで、各々の加害があるからなぁ。 朝鮮人だけ擁護していれば進歩的だった時代は昭和まで。
人類を滅ぼそうって言いだす魔王と知能一緒かよ
『戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』で、戦中戦前の日本の食糧事情が植民地の台湾や韓国に依存してた事が指摘されている。/監督も日和ったと思ったけど、排外馬鹿が増えてきてる時代だから仕方ないかも。
(大日本帝国膨張政策の動機は資源欠乏の自覚と収奪欲、それは貧困が起因なので、源は1854年日米為替交渉の被害者的立場だと思うね。)(不良外国人定住まで看過する盲目的な罪悪感は何の解決ももたらしませんな。)
この話題は「加害🎵加害♩」となぜか嬉しそうになる人とそれに反発する人両方湧いてくるので誠にめんどくさい。年一で向き合うくらいにしとけ
「悲しくてやりきれない」by 加藤和彦
“すずさんよりも自由な時代を生きる我々にはそれが出来るはずなのに、そうさせようとしない何かに飲み込まれていく感じがしています”“答えにまで、ご自分でたどり着くべき”変な「答え」にたどり着く人も
「多くの戦争の被害って、戦争を起こした理由そのものとは全然違うところに現れてくる」
考えさせられた良インタビューだった。ファンタの話は自分は全く知らない話だったので驚いた。
いつでも観れるからと後回しにしてたけど、これ読むと劇場で観れる時に観なきゃいけない映画だなと。初公開時は反戦を叫ぶ戦争映画はもう古いというブコメが目立った記憶が
"計算をした上で爆弾を降らしているわけですが、その下にはそうした戦略などとは全く無関係のすずさんがいる。そうした「無関係さ」こそが戦争というものの正体なんだなと。"
お義母さんが病気がちで伏せってたなら、結婚前はあの家の家事は誰が担ってたのだろうか、とかそんなことが気になる。新婚の翌朝から嫁が他家の台所で戸惑わず炊事できるもんなのか?とか。
みんなロジックを使うことに精一杯で、なんでロジックが出来たかかみしめる余裕が無くなちゃった感あるよなー
https://vocal.media/authors/does-robinhood-have-24-7-support-real-human-help-2025
当時のすいとんの再現は、現代の品種でやっても意味がない
ドイツ日本式の、反省の深さでマウントとる。をラーニングしたうえでしかも戦争はする。ってやりかたが世界標準になった。反省営業を軸にした思想に賞味期限がきてる
id:spark7 で、「戦争を反省しよう!」と偉そうに他人に強要するリベラル様が喜んでやってたのが「自衛隊員は平和の敵だから排除する!ハイル・ケンポーキュージョー!」なんだよな。 https://note.com/nathankirinoha/n/nb964d55aa8f0
なるほど。とはいえ日常で知らず知らず加害に加担するか、そうでないなら食うもの着るものがないわけでなあ。今の経済活動と植民地は違うとは言え、簡単じゃないことよな。簡単じゃないから考えろってことだけど
戦争の加害性とか思想的な面はおいておいて。イモの蔓がマズかった理由、すいとんがまずかった理由、ファンタがドイツでなぜ生まれたか、などの話は知らなかったので面白かった。
すずさんが軍艦とかをスケッチしたのを憲兵に咎められて、憲兵が帰ったら家族で笑うシーンがどーしても嫌だった作品。イーストウッドですらステレオタイプに描いたのに。
終戦直後の超速理解だけ異様にテンポが早かったので妥協を感じた
闇市でも食料が何処から来たのか考えもしなかった人が、食料と何の関係もないところで旗見た瞬間「はっ!そうか!食料は植民地から来たのか!」って了解するって、おかしいだろ。
つーことは侵略したウイグルやチベットのレアアースレアメタル収奪して富を得ている中国国家だけでなく、中国国民たちは今現在「加害」を行い続けてる罪人たちってことか。
そんなことを考えたら、「当時のご飯はこんなお米でできていました」というようなことも、ことさら大きな声で説明するのはやめようと。だから先ほど話した“原作と違うセリフ”はちょっと小さめに入れてあるんです
今週の映像の世紀で独ソ戦やってたけど、ドイツが占領したウクライナの作物奪って潤ってたってのが出てたな。戦争は搾取構造を強くさせるな…
映画好きな人をメインターゲットにしてるからか刺激が強くて、画面に疲れた。途中から目を瞑ってたし、映画見るより監督のインタビューの方が受け取るものが多かった/映画苦手なのコンプレックスです
「ごく普通の生き方しかしてなかった人をも加害側に含めさせてしまってるんですよ。殴る蹴るの暴力じゃなくても、普通にご飯を食べること自体が、もう既に加害の一端だったのだと。」
朝鮮台湾などが食料基地として開発されたのは事実だけど、デフレ時代には米価下落が内地の反発を呼んで開発中止されたりしてる。日常の活動を加害にカウントすることは、植民地統治を描写する上で有効なのかどうか。
漫画の終戦の日に太極旗が掲げられているシーン、この世界の(さらにいくつもの)片隅にのほうでは入っているのをいま知った
「海の向こうから来た食べ物でできている」 敗戦の日の太極旗のシーンだよね。
終戦80年上映『この世界の片隅に』片渕須直監督 すずさんも担っていた“加害”とは【Director’s Interview Vol.505】|CINEMORE(シネモア)
普通にご飯を食べること自体が、もう既に加害の一端だったのだと。これについては、原作のとあるセリフを「海の向こうから来た食べ物でできている」といった内容に変えることで表現した
映画731が延期になったという。おそらく中国政府の判断だと思われるが、加害という問題に対してもっと向き合わないといけないのか? という疑問形が頭の中を。。。。
日本がアメリカに先に原爆投下していれば世界は英語の代わりに世界共通語として日本語を学ぶ世界線になっていた。支那共産党は解体され、支那の人々は日本国民として自由と人権を得て幸福な暮らしができていた。
「戦時中の“すいとん”はまずかった」「戦争中のどこからか純粋な小麦粉は配給されなくなっていて、小麦粉に魚粉や麩などいろんな粉を混ぜたものが配給されていました。他の粉で“かさ増し”された小麦粉」
酵和パンと書いてあるが、正解は「興亜パン」。戦時下の食生活で多かったのは、いろんな物を混ぜ込んでかさ増しと栄養価を獲得するだった。
ベースブレッドたべてたってこと?
上映しているんだよな。また観に行きたいなあ。
沖縄土人が被害者づらしているのと同じ。あいつ等は一緒にアジアを侵略した加害者だ。無関係な被害者ではないの。戦争の悲惨さを被害者として伝える間違った反戦教育の成れの果て。俺達は全員レイパーの子供だ。
くどくど説明したくないのはわかるけどそれでも考証・解説本を書いてほしい。普通の日本人の加害を描いた映画は「拝啓天皇陛下様」。おすすめ。木下恵介監督「陸軍」は戦意高揚映画なのに反戦にしか見えない異形作。
「霞が関の日本の海軍省は、日比谷のホテルでクリスマスパーティーをやっている」日中戦争で禁止令が出たけど、子どものお祭りってよりは成人男性が繁華街で大騒ぎする方が盛んだったんだよな。
能動的にならないと見つけられない謎は、たぶん我々の大多数の者には結局見つけられない。難しい。
片渕監督が史実に対して真摯で誠実に生きてるからこそ、こうの史代先生が原作で声高に主張せず伏せている事にも気付き尊重している。その姿勢が何より尊い。私も歴史への謙虚さと史実を尊重する心を抱いて生きたい。
" 「無関係さ」こそが戦争というものの正体なんだなと。“戦争の愚かさ”と大上段に構えても、何が愚かなのか一言では語りにくい"
今ではグローバルサウスの問題.現代における植民地主義とは何かとも考えさせられる.先進国の繁栄の代償とは.
今現在でもユニクロありがてえしチョコ高くなったの悲しいもんなあ
全体的にはいい映画だったけど原作にない台詞をわざと入れ込むのは「浮く」ことになるんで感心しないな。
開戦からして国民の望みだったしな。碌でもないと思う。/ 冒頭のマスク騒動の話もそれに繋がるが、本当に大騒ぎしたことを顧みないよね
膝を打った。主体性を持って調べているように思えて実は批判性がないと受動的であると > SNSに溢れている何の根拠もない言説を、差も重要な結論だと抱いてしまうこともある。あまりにも受動的すぎのような気がします。
「本来はどこまで考えてもきりがないもの。それを~と一言で話せるとしたら、そのこと自体に疑問を抱いてほしいと思います」
これすごい話やな
メディアの8月(限定)キャンペーンのほうにも厳しい目を向けてほしいけどな。あと本気で考えるなら、第1次世界大戦の火事場泥棒みたいなのだって反省すべき過去になるだろう。
へー。サツマイモの葉柄って食べられるんだ。
“『この世界の片隅に』という物語がどんなものなのかは、本来はどこまで考えてもきりがないもの。それを「いや、あの話はね」「あの映画はね」と一言で話せるとしたら、そのこと自体に疑問を抱いてほしいと思います
冒頭から引用したい部分が多過ぎる/能動的に読む、かあ。知ってると思うと「なぜ」とも思わず調べないもんな/やはり当然過ぎる前提は日記などでしか語られず、世代交代とともに残らない。忘れられる。
「『戦争は悪である』という皆が共通して持っていたような単純な認識が、2016年にはかなり通用しなくなってきて、それが2025年の今はあまりにもバラバラになってしまった」
帝国主義だった欧米諸国の庶民が、植民地の人のことをどのくらい考えていたかというと、あまり考えていなかっただろうという感はある(なんならいまも考えてなさそう。戦勝国は反省する機会がなかった)。
“本来はどこまで考えてもきりがないもの。それを「いや、あの話はね」「あの映画はね」と一言で話せるとしたら、そのこと自体に疑問を抱いてほしいと思います。そんなに簡単なことでないはずなんですよ。”
世界じゅうそうだけど99.99%の市民は戦争などしたくないのよ。でも始まってしまうと巻き込まれ、戦い、被害も加害も受けるのはそういう人たち。
片渕監督インタビュー。いろいろな背景から深く読み解いていく仕掛けの多い作品。
例の改変については、植民地支配を食料の収奪に矮小化してないかという疑念はある。原作にあった「暴力」を脱臭してはいないか。俺はクラファン参加者で、あのシーンをどう描くか期待してたのでずっと気になってる
オープニングで泣きそうになった映画は後にも先にもこれだけ。
「今年は終戦80年ということでたまたま上映できることになりましたが、この9年で世の中や世界情勢があまりにも変わりすぎてしまった。改めて今この世界の中に立って、すずさんやすずさんがいた時代を見つめて」
植民地主義は悪で自由主義経済による収奪は問題ないと思っているのかなと、この監督もコメ欄のはてブ民にも違和感がある。結婚指輪の宝石もその産物で、何なら衣類も素材から縫製まで怪しい。正義ヅラは出来ない。
“普通の生活を健気に営んできた、普通の思考しか持ってない人の頭の上になぜ爆弾が降るのだろうか” 今も世界の各地で爆弾が銃弾が飛んでいる
ご飯が加害と言うなら撮影機材を作るために使用するコバルト。コンゴの需要がないにも関わらず低賃金でこき使われて輸出される。片渕監督の定義に則るなら加害の一旦を担った上で罪を説いている事になる。傲慢では?
劇場でも思ったけど、この記事を読み終わってなおの事、他人の原作借りてくるんじゃなくて監督自身で一から違う別の作品を作って欲しかったなぁと思う。
今の我々もフェアトレードないチョコやダイヤを享受してるし搾取された側に爆弾で突っ込まれても文句は言えない。が米国みたいな植民地を持つ大国の莫大な研究費の実績作りに核実験されるのが適切な罰とも思えない
日清日露で賠償金ぶんどれと噴き上がった世論・新聞と、ほぼ全国民が絡めとられた植民地経済への依存が、その後の対米参戦と亡国を招いた。一億総懺悔しても、戦犯として裁かれたわけではない。これもまた戦争責任。
現代に生きる我々もまた割高なフェアトレード製品ではなく値段の安い商品を選んでしまう。/加害という言葉は強過ぎるにせよ、すずさんのように、アンフェアな構造に加担して自らもまた利益を得ている。
沖縄の平和学習なんかでは常に被害者なんだよね県民。琉球王朝に関しても、家柄いいです!僕ら!な地主や元士族様って農民搾取で昔から良い生活してました!以外なにものでもないんだよな。
netflixで吹き替え入れて全世界に公開すべき。(今は多分日本語だけ?)
傲慢な親であると自覚したうえで、家族一緒に観に行くことにした。僕だけ再鑑賞。
見たいな。
現代に生きる我々も「食料でのアンフェアなトレード」の上に生きていることを思うと、公開当時物議を醸したあの台詞の改変は、むしろ現代の作品として意味があったのだと思う。
これからは、誰かを悪魔化することなく、戦時の「挙国一致」とはどういう事だったのかを誠実に描くことが大事だと思う。多分、当事者の世代には難しいこと。この作品は左右の対立を越えて届く力があると思っている。
現代においても安くものが手に入る背景には搾取労働させられている人たちがいたりするわけで、気づいてない加害というのは無数に存在しているのではないかと思う。
戦争の加害性を「被害者だけの問題」と捉えず、日常レベルでの無自覚な関与や選択にも目を向けようという問いかけ。
この考え方は個人と社会の関係上では重要だと思うが完全にフェアな関係や制度は作れない訳で、個人の人生と同一化しすぎると極端な主張に行きつかない?この作品はあの時代を生きた人の人生を否定している訳ではない
少し前に流行った「フェアトレード」のコーヒー豆やチョコレートが頭に浮かんだけど、今はそいうのを、意識高い系、学歴エリートの道楽、ウォークと呼んで冷笑する右派ポピュリズムが台頭してくる流れなんだよなぁ…
戦時中日本の支配下にあった大連という土地に住んでいるので、加害については意識せざるを得ない。あれだけの日本人が住んでいながら中国語を解する人がどれだけいたか。それは今も同じかもしれない。
『ドイツの国民はコカ・コーラが大好きだったのですが、1941年にアメリカと戦争状態に入ると、コカ・コーラの原液の輸入が止まってしまった。そこで開発されたのがファンタ。』 へぇー
加害構造に則ってるのに知らんぷりしていい人ぶってるのが一番悪そうよねすずさん。悪人は悪人として振る舞わないと
すずさんの加害…?ボクにはおやつくれない人が加害者にゃ!
戦争のような大規模な加害性も、目を凝らせば日常の中に相似形のものがある。
↓いや、すずさんを悪人として描いたら何も意味ないでしょ。
今だって税金払ってるだけで戦争に加担してるようなもの。イスラエル支援企業のマック、スタバ、ディズニー等も有名。
せやな。(という書き込みを、イスラエルのチェックポイント社のFirewall経由で、ロシアのサハリン2からのLNGで発電した電力でしています)
公開当時、自分は「どの時代どの人間にも存在する個を観客の中にあぶり出そうという無謀な試みこそが本作の挑戦」とレビューしたが、しかし例のセリフは残念だがエクスキューズにしかならないのではとも感じていた
“ただ、「この世界の片隅に」という漫画自体、いろんなものを伏せたまま進む話です” 繰り返し見るコンテンツは、こういう気づきが多い / 加害って広いよね。今も、将来の、または他国の加害に関わる恐れを感じてる
なんでもないような日常の記録こそが「今」を語る証言となる。
2025年の今自分の気持ちも含めて戦争が絶対に悪じゃなくなってきているのが気になる。今後生きているうちに戦争するって思うようになるんだろうか?
加害という概念でいくと、全人類罪人では?「戦争時の加害者になる構造」というぐらい、条件をつけたほうが良くない?理想平和主義的な思考は、繊細過ぎない?//侵略戦争は悪。防衛戦争は必要悪という認識。
『月6万でフィリピン人の住み込みメイドを雇うことの妥当性について』高橋廸久氏「合理的ではあるが善ではない」https://youtu.be/1y0y-he92Po?t=647
未だに公開前の監督講演のはてなブログをツイッタープロフィールに掲げているくらい好きだけど、今になってもそうだったのかと思うことがある。コロナを経て、パレスチナを見て、実感するようになったこともある…
加害性を国民に広げると真の責任者が見えなくなる。「過ちは繰り返しません」という言葉は、旧日本軍と時の政権に向けられるべきだった。それを有耶無耶にしたため、未だに加害性を認めない人々がいる。
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各々立場が違うからなぁ……竹の森遠くは間違いもあるが、四国のキャラバンを襲ったのと同じくだいたいあっているわけで、各々の加害があるからなぁ。 朝鮮人だけ擁護していれば進歩的だった時代は昭和まで。
人類を滅ぼそうって言いだす魔王と知能一緒かよ
『戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』で、戦中戦前の日本の食糧事情が植民地の台湾や韓国に依存してた事が指摘されている。/監督も日和ったと思ったけど、排外馬鹿が増えてきてる時代だから仕方ないかも。
(大日本帝国膨張政策の動機は資源欠乏の自覚と収奪欲、それは貧困が起因なので、源は1854年日米為替交渉の被害者的立場だと思うね。)(不良外国人定住まで看過する盲目的な罪悪感は何の解決ももたらしませんな。)
この話題は「加害🎵加害♩」となぜか嬉しそうになる人とそれに反発する人両方湧いてくるので誠にめんどくさい。年一で向き合うくらいにしとけ
「悲しくてやりきれない」by 加藤和彦
“すずさんよりも自由な時代を生きる我々にはそれが出来るはずなのに、そうさせようとしない何かに飲み込まれていく感じがしています”“答えにまで、ご自分でたどり着くべき”変な「答え」にたどり着く人も
「多くの戦争の被害って、戦争を起こした理由そのものとは全然違うところに現れてくる」
考えさせられた良インタビューだった。ファンタの話は自分は全く知らない話だったので驚いた。
いつでも観れるからと後回しにしてたけど、これ読むと劇場で観れる時に観なきゃいけない映画だなと。初公開時は反戦を叫ぶ戦争映画はもう古いというブコメが目立った記憶が
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お義母さんが病気がちで伏せってたなら、結婚前はあの家の家事は誰が担ってたのだろうか、とかそんなことが気になる。新婚の翌朝から嫁が他家の台所で戸惑わず炊事できるもんなのか?とか。
みんなロジックを使うことに精一杯で、なんでロジックが出来たかかみしめる余裕が無くなちゃった感あるよなー
https://vocal.media/authors/does-robinhood-have-24-7-support-real-human-help-2025
当時のすいとんの再現は、現代の品種でやっても意味がない
ドイツ日本式の、反省の深さでマウントとる。をラーニングしたうえでしかも戦争はする。ってやりかたが世界標準になった。反省営業を軸にした思想に賞味期限がきてる
id:spark7 で、「戦争を反省しよう!」と偉そうに他人に強要するリベラル様が喜んでやってたのが「自衛隊員は平和の敵だから排除する!ハイル・ケンポーキュージョー!」なんだよな。 https://note.com/nathankirinoha/n/nb964d55aa8f0
なるほど。とはいえ日常で知らず知らず加害に加担するか、そうでないなら食うもの着るものがないわけでなあ。今の経済活動と植民地は違うとは言え、簡単じゃないことよな。簡単じゃないから考えろってことだけど
戦争の加害性とか思想的な面はおいておいて。イモの蔓がマズかった理由、すいとんがまずかった理由、ファンタがドイツでなぜ生まれたか、などの話は知らなかったので面白かった。
すずさんが軍艦とかをスケッチしたのを憲兵に咎められて、憲兵が帰ったら家族で笑うシーンがどーしても嫌だった作品。イーストウッドですらステレオタイプに描いたのに。
終戦直後の超速理解だけ異様にテンポが早かったので妥協を感じた
闇市でも食料が何処から来たのか考えもしなかった人が、食料と何の関係もないところで旗見た瞬間「はっ!そうか!食料は植民地から来たのか!」って了解するって、おかしいだろ。
つーことは侵略したウイグルやチベットのレアアースレアメタル収奪して富を得ている中国国家だけでなく、中国国民たちは今現在「加害」を行い続けてる罪人たちってことか。
そんなことを考えたら、「当時のご飯はこんなお米でできていました」というようなことも、ことさら大きな声で説明するのはやめようと。だから先ほど話した“原作と違うセリフ”はちょっと小さめに入れてあるんです
今週の映像の世紀で独ソ戦やってたけど、ドイツが占領したウクライナの作物奪って潤ってたってのが出てたな。戦争は搾取構造を強くさせるな…
映画好きな人をメインターゲットにしてるからか刺激が強くて、画面に疲れた。途中から目を瞑ってたし、映画見るより監督のインタビューの方が受け取るものが多かった/映画苦手なのコンプレックスです
「ごく普通の生き方しかしてなかった人をも加害側に含めさせてしまってるんですよ。殴る蹴るの暴力じゃなくても、普通にご飯を食べること自体が、もう既に加害の一端だったのだと。」
朝鮮台湾などが食料基地として開発されたのは事実だけど、デフレ時代には米価下落が内地の反発を呼んで開発中止されたりしてる。日常の活動を加害にカウントすることは、植民地統治を描写する上で有効なのかどうか。
漫画の終戦の日に太極旗が掲げられているシーン、この世界の(さらにいくつもの)片隅にのほうでは入っているのをいま知った
「海の向こうから来た食べ物でできている」 敗戦の日の太極旗のシーンだよね。