“訳のわからない観念原稿だらけだった当時のロッキングオン” それな
「追悼には故人の死を悲しむという意味を持つ。しかし、私にはそのような感傷はない。この単行本コラムは、極めて示唆的なのだ、偶然にしても………彼には冷酷無情なサディストとしての側面が実際にあった」
記事の下に延々と他の人たちによる追悼文へのリンクが続く。みんな何か一言言いたくなる人だったんだなあ。
あーこれ覚えてる『陽一さんのもしもし編集室』 雑誌で読んだだけだが 「訳のわからない観念原稿だらけだった当時のロッキングオンではこれが一番人気だった」
“彼から学んだ事は多い。その最たるものは、本質を見極めようとする批評者が丸裸にされ厄介な異端者となることを、ギリギリのところで、世間に擦り寄りポップに昇華する、技術と覚悟だった。”
(〔一部確認できず削除〕松任谷由実を評価されていたのも、大友克洋を大プッシュされていたのも、わしの好きな某漫画家氏作品を歯牙にもかけておられなかったのも、今となっては懐かしい。)
80年代の渋谷陽一、90〜00年代の渡邉美樹。ベンチャー経営とサイコパスは切り離せない。
現代の文学フリマ界隈のZINEもマスターベーション的な作品ばかりであり、自己表現の”自己”に捉われるのは戦後民主主義下の中産階級に見られる自己消費的な現象なのかもしれない。歴史は繰り返す。
大友克洋が「こういうのを描こうかな」!。
当時この本を編集部にハガキか何かで申し込んで買った。ロック好きだけど自分でやるよりもその批評文を書く、ロッキングオンが好きだから編集部のマンガを想像で描く。そういうのもアリなんだとある種感動していた。
渋谷陽一への追悼文|増井修
“訳のわからない観念原稿だらけだった当時のロッキングオン” それな
「追悼には故人の死を悲しむという意味を持つ。しかし、私にはそのような感傷はない。この単行本コラムは、極めて示唆的なのだ、偶然にしても………彼には冷酷無情なサディストとしての側面が実際にあった」
記事の下に延々と他の人たちによる追悼文へのリンクが続く。みんな何か一言言いたくなる人だったんだなあ。
あーこれ覚えてる『陽一さんのもしもし編集室』 雑誌で読んだだけだが 「訳のわからない観念原稿だらけだった当時のロッキングオンではこれが一番人気だった」
“彼から学んだ事は多い。その最たるものは、本質を見極めようとする批評者が丸裸にされ厄介な異端者となることを、ギリギリのところで、世間に擦り寄りポップに昇華する、技術と覚悟だった。”
(〔一部確認できず削除〕松任谷由実を評価されていたのも、大友克洋を大プッシュされていたのも、わしの好きな某漫画家氏作品を歯牙にもかけておられなかったのも、今となっては懐かしい。)
80年代の渋谷陽一、90〜00年代の渡邉美樹。ベンチャー経営とサイコパスは切り離せない。
現代の文学フリマ界隈のZINEもマスターベーション的な作品ばかりであり、自己表現の”自己”に捉われるのは戦後民主主義下の中産階級に見られる自己消費的な現象なのかもしれない。歴史は繰り返す。
大友克洋が「こういうのを描こうかな」!。
当時この本を編集部にハガキか何かで申し込んで買った。ロック好きだけど自分でやるよりもその批評文を書く、ロッキングオンが好きだから編集部のマンガを想像で描く。そういうのもアリなんだとある種感動していた。