"昭和55年7月1日" "編集人のところにおれの父の名前" (❗)/(リヤカーの件はさておき、広告そのものが評価・鑑賞されてそこでは〔いうたらあれだが〕アンダーグラウンドに一等商品価値あった時代。最先端やわ〔真剣
すばらしい記事には(消すことのない横浜市中区の人のものとはいえ)容赦なく魚拓ですわよ(*´∀`) https://megalodon.jp/2025-0723-0657-55/https://goldhead.hatenablog.com:443/entry/2025/07/23/004809
“渋谷陽一の訃報から、なにやら我が家庭史における矛盾が発見される結果となってしまった。” 人の記憶や口伝は歴史と矛盾しがち。
大変ロックなお話しであるかと。
サブカルの血統
そのまま歌にできそうなタイトルや
まじですか!小沢健二が小澤征爾の甥と知ったような衝撃(リアルタイムの記憶はすでにないが)。
大変申し訳ないのだが、なーんだ、サブカルも世襲かと思ってしまったよ
この環境でも子育てを真っ当出来るものなのだな。お母さんが頑張ったのかも知れないけど。
編集人って編集長より上の職位の人なのでは?つまり70年代は編集長だったかもしれないがもう社内的に偉くなってた的な。違うかな。むかし裁判になった時に呼ばれる役目の人と聞いたことあるけど。
えええびっくり
うちの親父も、戦争中家に横尾忠則が疎開してきてしばらく一緒にいたって言ってたけど信じてない。
すごい、これは人間の歴史と口伝だ……! 黄金頭さんが生まれた事と、宝島に印刷された編集長という、確実な物証同士が矛盾してるので、間を繋ぐ物語が必要という展開はアツい。
なんかスパイみたいなおうちだが、サブカルエリートという気がする。生まれ年一緒だけど田舎者なので愛読誌はロードショーと学研とかだった
70年代の宝島は本家のローリングストーン、ホールアースカタログの精神を受け継いだサブカル雑誌で好きだったけど、80年代はポパイとホットドッグプレスの後追い、90年代はバンドブーム便乗で読まなくなったな。
町山智浩のJICC出版局入社が1985年なので、微妙にかすってないのか(町山は学生時代から宝島編集部に出入りしてたそうなので見知っている可能性もあるが)/植草甚一とは交流ありそうね
俺がムー読み始めたころにrockin'on読んでたんか
「あいつらなんて全然だった」くらいのニュアンスなんだろうな。にしても蓮見清一が仲人とかすごいな。JICCといえば必本なんですよ。
リヤカーについては渋松でも松村氏にツッコまれて渋谷氏がはぐらかすという回があったなぁ
リヤカーの逸話は直販時代の販路開拓でキャラバンして回った様子を揶揄して言った表現と想像したのだが、リヤカーでビッグイシューよろしく売り歩いたと思ってる人が多いのかな
『へんな話に付き合わせてしまった』 良いものを読ませてくれてありがとう。
おもろい。
こういう人の歴史ってめちゃおもろい。昨日から渋谷さん絡みの色んな人の思い出が流れてきてて大変にエモい
文化資本の継承
そこも含めて個人史なんだろなぁ。水上はるこ氏のレスポールの件なんかも
実際にはリヤカーじゃなくてブルーバードだったと本人が書いてたよな/サブカルはやっぱり都内中流以上によって構成されとるものなんだよね
“「JICC第三営業所」のような名前を使うのを蓮見清一(宝島社の創業者でおれの父と母の仲人)に許してもらっていた”
id:aramaaaa>“なーんだ、サブカルも世襲”。…なるほど。そうか。サブカルな家庭に生まれてみたかったよ。羨ましい。親ガチャだな(多分絶対違う)
ロッキング・オンも宝島も愛読していた俺には興味深い記事。人に歴史あり
なるほど文章が面白いわけだという気持ち(偉そうですみません
渋松対談で突っ込まれてたな。
なるほど一人称「おれ」でツルツル読ませる文のルーツはここからきてるのかー。サブカルも世襲はまあその通り。私の周りもそんな人たちばかりだ。
"編集部に読者からダンボールで大麻がプレゼントされたとか言っていたしな。いやはや。" ムチャクチャな時代すぎる……
黄金頭先生の出自について初めて知った。いろいろ納得。
人に歴史あり/ goldheadさんを「サブカルの人」だと思ったことは無いな。唯一無二の人。
あれやこれやあって黄金さんもDTPと物書き的な事しているの面白いなぁ
リヤカーよりボクにかまってにゃ!お父さん、編集長すごいニャ!
サブカルも世襲かあ、ていう反応が出るのはわかってたはずですけど、それでも面白い話を世に出すためにルーツを明かしたのはすごいなーと思いました。(雑な感想)
いろんな形式の世襲がある。最近だとトム・ヨークの息子がなんの驚きもない世襲を行っていて、なんというか、それでいいのか、という気持ちになった。
宝島を読んでてロキノンは読んでなかった。宝島、ミュージックマガジン、ビックリハウス、噂の真相、BUG NEWS、遊撃手、Rock steady等等、小さい判型の雑誌が好きだったのよね。
へえ…
宝島はサブカル雑誌だよね。いくつか持ってた。
音楽は好きで、聞いたり弾いたりしていたが、音楽評論には全く興味がなかった。渋谷さんも名前だけは知っている。
へえーへえー、そんな歴史があったんだ。ほかの方も書いてますが編集人は編集長より偉い人だと思うので、編集長は1980年よりも前になさっていたのかも
黄金頭さんに特にサブカルというイメージなかったのでトップコメは?だった。
呉智英とかなつかしいな。
“パラパラとめくってみたら、編集人のところにおれの父の名前があった。本当に編集長だったのか。”
興味深い個人史なんだが、サブカルも世襲というコメント、なんでそうなるんだろう(普段読んでない人がこれだけ読んでのコメントだったとしたらわからんでもない)
本当かどうかしらないが、ロッキング・オン社は取次への見本出しに編集者が行くと聞いたことがる(普通は営業が行く)。そういった現場感を重視する経営者だったのだろう。
面白い。本文とは関係なくて恐縮だが、一時期突然「宝島」がエロ雑誌になってびっくりした記憶がある。
初期のロキノンは取次を通さず(通したとしても地方小とかの小規模系)書店に直接配本してたはず。本の雑誌もそう。
“おれが生まれたのは1979年のことである” よもやここが間違ってる可能性に思いを馳せたい // 編集人って編集責任者、その雑誌の名義人だから編集長の上だよね。
文章のセンスの良さがわかる。
俺の父親が「宝島」の編集長だったころ、母さんはアレグリアの建設中で弟は安平町の町内会長で俺は収監中だった。わかるかなあ?わかんねえだろうなあ…イェーイ
渋谷陽一がリヤカーを引いているとき、おれの父は『宝島』の編集長だったのか? - 関内関外日記
"昭和55年7月1日" "編集人のところにおれの父の名前" (❗)/(リヤカーの件はさておき、広告そのものが評価・鑑賞されてそこでは〔いうたらあれだが〕アンダーグラウンドに一等商品価値あった時代。最先端やわ〔真剣
すばらしい記事には(消すことのない横浜市中区の人のものとはいえ)容赦なく魚拓ですわよ(*´∀`) https://megalodon.jp/2025-0723-0657-55/https://goldhead.hatenablog.com:443/entry/2025/07/23/004809
“渋谷陽一の訃報から、なにやら我が家庭史における矛盾が発見される結果となってしまった。” 人の記憶や口伝は歴史と矛盾しがち。
大変ロックなお話しであるかと。
サブカルの血統
そのまま歌にできそうなタイトルや
まじですか!小沢健二が小澤征爾の甥と知ったような衝撃(リアルタイムの記憶はすでにないが)。
大変申し訳ないのだが、なーんだ、サブカルも世襲かと思ってしまったよ
この環境でも子育てを真っ当出来るものなのだな。お母さんが頑張ったのかも知れないけど。
編集人って編集長より上の職位の人なのでは?つまり70年代は編集長だったかもしれないがもう社内的に偉くなってた的な。違うかな。むかし裁判になった時に呼ばれる役目の人と聞いたことあるけど。
えええびっくり
うちの親父も、戦争中家に横尾忠則が疎開してきてしばらく一緒にいたって言ってたけど信じてない。
すごい、これは人間の歴史と口伝だ……! 黄金頭さんが生まれた事と、宝島に印刷された編集長という、確実な物証同士が矛盾してるので、間を繋ぐ物語が必要という展開はアツい。
なんかスパイみたいなおうちだが、サブカルエリートという気がする。生まれ年一緒だけど田舎者なので愛読誌はロードショーと学研とかだった
70年代の宝島は本家のローリングストーン、ホールアースカタログの精神を受け継いだサブカル雑誌で好きだったけど、80年代はポパイとホットドッグプレスの後追い、90年代はバンドブーム便乗で読まなくなったな。
町山智浩のJICC出版局入社が1985年なので、微妙にかすってないのか(町山は学生時代から宝島編集部に出入りしてたそうなので見知っている可能性もあるが)/植草甚一とは交流ありそうね
俺がムー読み始めたころにrockin'on読んでたんか
「あいつらなんて全然だった」くらいのニュアンスなんだろうな。にしても蓮見清一が仲人とかすごいな。JICCといえば必本なんですよ。
リヤカーについては渋松でも松村氏にツッコまれて渋谷氏がはぐらかすという回があったなぁ
リヤカーの逸話は直販時代の販路開拓でキャラバンして回った様子を揶揄して言った表現と想像したのだが、リヤカーでビッグイシューよろしく売り歩いたと思ってる人が多いのかな
『へんな話に付き合わせてしまった』 良いものを読ませてくれてありがとう。
おもろい。
こういう人の歴史ってめちゃおもろい。昨日から渋谷さん絡みの色んな人の思い出が流れてきてて大変にエモい
文化資本の継承
そこも含めて個人史なんだろなぁ。水上はるこ氏のレスポールの件なんかも
実際にはリヤカーじゃなくてブルーバードだったと本人が書いてたよな/サブカルはやっぱり都内中流以上によって構成されとるものなんだよね
“「JICC第三営業所」のような名前を使うのを蓮見清一(宝島社の創業者でおれの父と母の仲人)に許してもらっていた”
id:aramaaaa>“なーんだ、サブカルも世襲”。…なるほど。そうか。サブカルな家庭に生まれてみたかったよ。羨ましい。親ガチャだな(多分絶対違う)
ロッキング・オンも宝島も愛読していた俺には興味深い記事。人に歴史あり
なるほど文章が面白いわけだという気持ち(偉そうですみません
渋松対談で突っ込まれてたな。
なるほど一人称「おれ」でツルツル読ませる文のルーツはここからきてるのかー。サブカルも世襲はまあその通り。私の周りもそんな人たちばかりだ。
"編集部に読者からダンボールで大麻がプレゼントされたとか言っていたしな。いやはや。" ムチャクチャな時代すぎる……
黄金頭先生の出自について初めて知った。いろいろ納得。
人に歴史あり/ goldheadさんを「サブカルの人」だと思ったことは無いな。唯一無二の人。
あれやこれやあって黄金さんもDTPと物書き的な事しているの面白いなぁ
リヤカーよりボクにかまってにゃ!お父さん、編集長すごいニャ!
サブカルも世襲かあ、ていう反応が出るのはわかってたはずですけど、それでも面白い話を世に出すためにルーツを明かしたのはすごいなーと思いました。(雑な感想)
いろんな形式の世襲がある。最近だとトム・ヨークの息子がなんの驚きもない世襲を行っていて、なんというか、それでいいのか、という気持ちになった。
宝島を読んでてロキノンは読んでなかった。宝島、ミュージックマガジン、ビックリハウス、噂の真相、BUG NEWS、遊撃手、Rock steady等等、小さい判型の雑誌が好きだったのよね。
へえ…
宝島はサブカル雑誌だよね。いくつか持ってた。
音楽は好きで、聞いたり弾いたりしていたが、音楽評論には全く興味がなかった。渋谷さんも名前だけは知っている。
へえーへえー、そんな歴史があったんだ。ほかの方も書いてますが編集人は編集長より偉い人だと思うので、編集長は1980年よりも前になさっていたのかも
黄金頭さんに特にサブカルというイメージなかったのでトップコメは?だった。
呉智英とかなつかしいな。
“パラパラとめくってみたら、編集人のところにおれの父の名前があった。本当に編集長だったのか。”
興味深い個人史なんだが、サブカルも世襲というコメント、なんでそうなるんだろう(普段読んでない人がこれだけ読んでのコメントだったとしたらわからんでもない)
本当かどうかしらないが、ロッキング・オン社は取次への見本出しに編集者が行くと聞いたことがる(普通は営業が行く)。そういった現場感を重視する経営者だったのだろう。
面白い。本文とは関係なくて恐縮だが、一時期突然「宝島」がエロ雑誌になってびっくりした記憶がある。
初期のロキノンは取次を通さず(通したとしても地方小とかの小規模系)書店に直接配本してたはず。本の雑誌もそう。
“おれが生まれたのは1979年のことである” よもやここが間違ってる可能性に思いを馳せたい // 編集人って編集責任者、その雑誌の名義人だから編集長の上だよね。
文章のセンスの良さがわかる。
俺の父親が「宝島」の編集長だったころ、母さんはアレグリアの建設中で弟は安平町の町内会長で俺は収監中だった。わかるかなあ?わかんねえだろうなあ…イェーイ