えっ
何と!
なんかよくわかんないけどめちゃくちゃびっくりしてしまった
74かあ
渋谷陽一と山崎洋一郎にはエレカシファンは足向けて寝られない。
RIP
闘病中だというのは知らなかった。まあこの人がいなかったら日本のロックジャーナリズムはかなり違うものだっただろうなとは思う
ついにか
なんと…初期のRIJFでお見かけした時、声かけたら気さくに答えてくれた思い出
その日がついに来てしまった。熱心なロックファンではなかったけれどラジオは一時期よく聞いていた。安らかに
功罪有るけど現在の世界で唯一日本で「ロックが生きている国」になった功績者。「産業ロック」という言葉で死んだ人も人も多いのだろうな…
ああおれが物心ついたときから存在してたものがまた消えゆく。時間はもっとも平等でもっとも残酷。
R.I.P.
グッバイ天国で松村と渋松対談できるな
R.I.P. 平成がまた一つ終わった。
2020年以降の新参者ですがラジオをよく聞いてました。後継番組の「洋楽シーカーズ」もなくなってしまって、さみしい限りです。
ご冥福をお祈りします
たまにNHKで聞く程度で音楽ジャンルもあまりかぶらなかったけど、それでも大きな影響力のある方だったと思う。
ロキノンは好きじゃなかったが、渋谷さんは好きだったな。ご冥福をお祈りいたします
脳出血→誤嚥性肺炎か。おつかれ様でした。
おれが中学生のころ『rockin'on』を読んでいたら、父から「わしが宝島の編集長だったころ、渋谷はリアカーを引いて雑誌を売っていた」とか言われたっけな
自分の誕生日(6月9日)をロックの日と名付けた張本人。Rest in peace.
「やっかいなビジョナリー」タイプの偉人。「産業ロック」を批判したくせに成し遂げたことといえば新しい形の「文化産業」を作り上げた点にあり、そこもやっかいな偉人。
若かりし頃、ロキノンは本当にお世話になりました。インターネット普及前、FMで聴いたうろ覚えなアーティスト名と曲名をメモして、CD屋に行き、ストックしてあるロキノンで調べてちゅうもんしたもんです。R.I.P
合掌
年末恒例のワールドロックナウ日本三大音楽評論家の大談義、どーするんですか!!!(涙)
合掌/『ミュージックライフ』読者欄への投稿を覚えている。パープル初来日公演のレポートだった。あれも71年、19歳だったのかな。毀誉褒貶あるが、あの時代、羅針盤の一人だった。ありがとうございました。
一つの時代が終わった感あるな…とステロな感慨が
10代の頃、ロッキングオンやその周りの雑誌をよく買っていた。特に面白いとは思わなかったのに。でも、何かある気がしたんだよな。実際、この人なくして今の日本の音楽環境はなかったんだろうけど。
NHKサウンドストリートはカセットに録音して何度も聞いていました。あれが血肉になったのは間違いない。ご冥福をお祈りいたします。
らーめん再遊記で何か言及あるかな?
海津がロッキング・オン・ジャパンで山崎洋一郎が株式会社ロッキング・オンなの初めて知った。だからイマイチ分からなかったのか納得。
エアチェックしたミュージックスクエアのカセットテープが何本も実家に眠っているはず。お盆に帰ったら30何年かぶりに聴いて追悼したい。
情報のない地方高校生的には氏のラジオとHMシンジケートで勉強させてもらった、年末に伊藤政則よんで討論してなかったけ、あれが好きだったわ
ジミー・ペイジもロバート・プラントも渋谷陽一より長生きするとは。すでに『天国への階段』は昇りきっただろうか? R.I.P.
大学時代に学園祭の講演を聞きに行ったのが最大の思い出(30年くらい前)。私がLed Zeppelinを聴くようになったのはこの人の影響が大きい。安らかに。/ そうだ、宮崎駿との対談本も読んだな。
音楽に触れて育つ中で、避けて通ることが難しい人だと思う。安らかに。
ありがとうございました。
小学生の頃に読んでたジャパンが血となり肉となって俺を形作りました。ありがとうございました。
えぇ!?まじか… / 謹んで御冥福をお祈りいたします。
よくも悪くも平成を作った男だと思う。ヘビメタなのでこの人は敵だった。でもこの人が作り上げ積み上げた物が日本で生まれることはもうないと思う。
毀誉褒貶はあれど、Moment Joonを激推ししていたのを知って「ああ、爺さん、本気なんだな」と思ったよ
めんどーくさいオッサンだったし彼が育てたり彼の影響を受けた連中もやはりめんどーくさいオッサンとして幅を利かせている。山崎洋一郎、タナソウとか。柴さん、貴方もですよ。
40過ぎてからのロック読んでた
渋谷陽一が亡くなったことについて熱く語りそうな友人ももう死んでしまった。こうして段々と周囲が死に囲まれ、死に慣れていって、そしてやがて私の死も訪れるのだろう。
俺もメタル育ちではあるんだが
おお……名前は若そうだけど74歳だったか
ご冥福をお祈りします。
サンストは教授→松浦雅也な火曜日リスナーだったんで金曜日の渋谷陽一さんはほぼ聞いたことがない。多分リスナー同士で暗くて深い川があると思う。ご冥福をお祈りいたします。
74歳 まだはやいよなぁ。御冥福をお祈り申しあげます。 中古レコードを買うと、中のライナーの筆者はかなりの確率でこの人。
メタラーからは縁の遠い人、安らかに
昨日ふと、ベンジーが当時のロキノン編集長兵庫さんを殴った事件について調べて、そういえば渋谷陽一は元気なのか?と思ったのだった。約40年前、高校生時代に買ったロキノンは実家に保管されてる。合掌。
おお、ひとつの時代が終わるな。嫌いではあったけど、すごくお世話になったし、人生を変えてもらった恩人でもあるよ。物凄く感謝してるよ。先にあっちに行ったミュージシャンバンドマンによろしく。
2020年にThe Network(Green Dayのサイドプロジェクト)が出した反トランプと反陰謀論がメインテーマのアルバムから何曲も紹介してくれたが、政治性高いのは避けてたな/NHKだったから?/でも流してくれただけでも有り難かった
レコードを買ふと、この人の駄文が付いてくる時代があつた
JAPANの表紙が浜崎あゆみだったときはさすがに「どーした?」と思ったな。なんにせよお世話になりましたR.I.P
oasis見る前に逝っちゃったなぁ…
渋松@天国 渋)おい凄いぞ。 松)お前の話はなんでいつも凄いぞから始まるんだ 渋)今回は本当に凄いぞ、なんと俺が死んだんだよ 松)こっちに来てるんだからそんなことは分かってる 渋)なんだその冷たい言い方は
好き嫌いはともかく、ロキノン系という概念を作り出したことは賞賛されるべきでしょう。この枠が無かったらロックバンドは既に息してなかったかもしれない。
ブコメのリアカーの話はマジなのでびっくりしてる。渋谷陽一本人がどっかで書いてた。ご冥福をお祈りします。
NHK-FMサウンドストリート、金曜担当だったかな。いろんな音楽を教えてもらいました。
「FMホットライン」が好きだった
昔ファミ通の渋谷洋一氏の担当記事を見てはこれ渋谷陽一オマージュなのだろーなと思っていた
宝島の編集長だったころてあんた
雑誌、どれもカッコよかったな〜
リアカーの件はいつも松村さんに突っ込まれていなかったっけ?「だから、お前は学生の分際でクルマ持っててリヤカーなんか引いてないだろ!」って。
タミヤの田宮さんも7/18に亡くなられたそうです。偉大なお方がこうも連日お亡くなりになるとは…。合掌。
6月9日生まれだったことを追悼記事で知る。合掌。
青春時代、思い出の人。なんだろ、アーティストそのものよりその周辺な感じの人のほうが不思議とショックがでかい。
ブクマカにお父さんが宝島編集長やってた人がいるとは…
リヤカー引いてロッキンオンを売り歩いた話は、渋谷陽一だけが言ってて松村雄策も橘川幸夫も「そんなことやってねえぞ」って言ってた。
ロキノン厨とかいう癌も一緒に引き取って逝ってほしかった
30年くらい前に、たしかウィザードリィの攻略本に「ぶっ殺す!渋谷陽一だ」ってコラムを執筆されていて、「大人の世界は怖ぇ」って記憶があるなぁ (※うる覚えです)。 ご冥福をお祈りします。
僕は『Cut』でお世話になりました
定期的に宮崎駿氏にロングインタビューをしている人、と認識している。書籍化されたものを数冊持っている。R.I.P.
R.I.P. “1972年 20歳で個人事業として洋楽ロック批評・投稿誌「rockin'on」創刊”
モーニング娘。を見つけてからでよかったな
10代のころは大変お世話になった。ありがとう!
自分の音楽経験の半分は渋谷陽一によってもたらされた。ありがとう!
すんごい打ちひしがれてるんですけど。74歳で誤嚥性肺炎かあ。まだまだ若いのになー。色々言われるロケノンだけど、遅れてきたパンクスにとって、ロケノンに周波数合うことも多々ありました。RIP
ああ、いつでも死ねる感じだったもんね。って思ったらそれは落合陽一のほうだった。
あれまー
渋谷陽一で思い出すのは、ルー・リードから海苔を受け取った話
歳を重ねることが、ある時点からは、取り残されることに変わるんだな……
ロックという枠組みを精神性の問題として語る媒体で時代を作った人。80年代から90年代のニューウェイブオルタナ系の情報では世話になった。音楽にしろ商売にしろいい目利きであったと思う。
ああ長文ポエムを書く人か
古いロックのCD買うと大体この人がブックレットに解説書いてた。ご冥福をお祈りします。
さんきゅう
渋谷さんの出す本を山ほど買ったよ。俺が編集とかライターとかの仕事をするにあたりたしかに影響を与えてくれた人である。よく友人と話すとき気軽に「渋谷陽一がさぁ」とか言ってたけど、偉人だよな。感謝を。
俺は今の瞬間まで、ファミ通で連載持ってた人だと思ってた。そっちの方は渋谷洋一だった。
うおっ
80年代のrockin' onはまだ同人誌・ミニコミ誌の匂いがして、思春期の自分にとっては重要な存在だった。まだJAPANは影も形もなかった頃。それからこんなに長い間音楽を聴いているとはなぁ。本当にありがとうございました。
渋松RIP
高校生から大学生まで毎月買って読んでいた。洋楽への解像度が上がったのはロッキングオンのおかげだ。JAPANも最初のうちは買っていた
しかし、渋谷陽一ほど敬称がつかない人はいなかったのでは。好悪にかかわらずたいてい呼び捨てにされていたのは偉大である証拠なのかもだ
BRIDGEが季刊渋谷陽一だったころによく買ってた。あと中村一義を激推ししてたので僕も聴きだしたりプリンスのライナーノーツでよく名前を見かけたり。ワールドロックナウも時々聞いてた。
なんだかんだでお世話になった人
「渋谷は2023年11月に脳出血を発症し、緊急入院いたしました。手術後は療養を続けながらリハビリに取り組んでおりましたが、今年に入り誤嚥性肺炎を併発、74年の生涯を終えました」
どっちかと言うとクロスビート派だった。ご冥福をお祈りします。
洋楽女子が『ミュージックライフ』を買ってる頃、自分は『ロッキングオン』を買っていた思い出。/てか知らぬ間に邦楽も扱ってて驚いた記憶が。/色々お世話になりました。安らかにお休みください。
親友の上司なので/お疲れ様でした
渋谷陽一さん、天国でも音楽語るにゃ?ボクもいつかロック談義したいにゃ~!
NHK-FM「ヤングジョッキー」の頃から聴いてた(「サウンドストリート」も)。R.I.P./【今年に入り誤嚥性肺炎を併発、74年の生涯を終えました】自分の母親、妻の父親も誤嚥性肺炎から程なく亡くなったよ。
倒れて以降全く続報がなかったので、次に発表があるなら訃報だろうとは思っていた。商業主義を批判しつつ、いつの間にかフェス産業の第一人者になっていたのが不思議だった。あちらで松村雄策と気が済むまで対談を。
自分がロッキング・オンやJAPANを読んでた頃は、既に看板雑誌からはほぼ手を引いてる感じだったので、縁側で渋松対談やってるご隠居オジサンという印象しかなかったけど、なんだかんだ影響力は凄かったな。御冥福を。
えええ……
寂しいな…
新卒採用の面接でお見かけしました(落ちたけど)。RIP
法人のカタカナ名称が「ロッキンオン」や「ロキノン」ではなく「ロッキング・オン」なんだと今知った
タナソウXでコメントしてたね。宇野維正はリポストのみ。これから続々と追悼コメントが出てきますね。大貫憲章、伊藤政則のコメントを待ちたい。
小山田圭吾の件の時なにかしたの?
ロキノンは90年代の一時期はまってたなぁ。ライターの熱量が高くて聴く音楽の幅を広げてくれた雑誌だった。ご冥福をお祈りします。
中村一義を知れたのは渋谷陽一のおかげなのでその点においての感謝はしてるぞよ
6月9日にはいつも「今日はロックの日か、渋谷さんの誕生日か、今年も半分終わっちゃったな」 とロックと渋谷陽一と寄る年波に思いを馳せるのが通例になってた。 これからも毎年思いを馳せるのだろう。 合掌
四本、市川、その他渋谷を嫌って出て行った人たちのコメント欲しいなあ。まあ出さないだろうけど。
そっか…RIP
ジャパンの方は人生で一番長く読み続けた雑誌かも知れない。たまぁに載る渋谷さんがインタビュアーやってる記事はアーティストの好き嫌い抜きにして面白かった。いずれそういう日が来るのだとしても寂しい。
マジか、ショックだ。。
50近くになって初めてフェスにいき、名前だけ知っていたこの方の話を以前よりかは聞くようになった。若い人だけでなく初老すぎのおっさんにも間接的であれ未だに影響を与え続けるのはすごい。RIP
御冥福をお祈りいたします。 SIGHTの宮さんのインタビュー毎回楽しみしてました。もう見られなくなるのかと思うと寂しいです。
いわゆるプロのDJじゃない人が番組MCやるのは初に近かったと思う。アナに比べれば聞きづらい部分もあったが等身大の生の声が伝わってきた。
「産業ロック」とか頭にくる表現も多かったけど、ロックファンの中では何かと話題になる無視できない人だった
まじか
部屋整理で昔買った渋谷氏の文庫見つかり捨てたばかり。何の参考にもならない我田引水な内容ばかりなのに仰天した。もうブリンスへの高評価しか記憶になかった。ロックや雑誌が「終わった」後も会社存続させたの凄い
おつかれさまでした。最後にギャラガー兄弟仲直りしましたよ。
宮崎駿監督のインタビューで「ハウルはもともと細田さんが監督する予定だったらしいけど宮崎さんが介入したんですか?」と鋭く切り込んでいたのが印象的だった(宮崎監督も「いや介入じゃなくて…」と焦ってたw)
若かりし頃、NHKーFMを良く読んだなぁ。洋楽の入口だった。あのお洒落だった渋谷陽一も誤嚥性肺炎には負けるのか。合掌。
R.I.P/今でも好きなNINを知ったのはロキノンのお陰。
音楽をロックを教えてくれたひとりです。ありがとう
ああああ。70年代、同人誌みたいな屁理屈の多い書き手のこの雑誌に出会って以来、様々な影響を受けた。腹の立つこともあったけど、ある意味、ロックの師でもあったなぁ。合掌。
音楽評論家の中でも吉田秀和と中村とうようと渋谷陽一は音楽ファンの共同体を作り上げたからなんだかんだ言っても凄い人だと思う。評論家としての夢の砦を築いたってことでもあるから。
"渋谷陽一逝去のお知らせ"
ロッキンオン友の会の会員でした。ありがとうございました。
元々ワイはロキノン厨で、好きだった。JAPAN JAM2022で、前説おじさんとしてモーニング娘。'22のことを「アウェイをホームに変えた」と言ってくれたの、嬉しかったなあ。2024年から前説しなくなって、心配してた。RIP。
人の褌で相撲を取るの見本みたいな人。こいつはともかくこいつの信者は救えない感性の持ち主だったな。
フジロックの追悼コンテンツが増えたやん。
雑誌は読んでなかったけど私の夏フェスといえばロッキンだったよ。フェス全体での「マナー良く楽しんで皆でフェスを成功させよう!」という呼びかけが良くて、それを築いてきた人だと思う。ありがとう。R.I.P
御冥福をお祈りしています。
若い時にフェス行ってそこでしゃべってるの何回か見たことあるぐらいだけど、なんかさみしいね。
文体と声色が全く合ってない人だった。この人の書籍のせいで面倒くさい洋楽マニアになってしまった。でも幸せだった。尊敬する編集者であり、経営者だった。合掌🙏
サウンドストリート木金とロッキングオンで知った音楽は膨大。企業経営者としても偉大な存在だった。ご冥福をお祈りします
FMラジオから聞こえてくるイケてる兄ちゃんという印象だった。後にロッキング・オン編集長だということに驚き、会社社長だということにさらに驚いた。74歳だったことに今驚き。
zepは今でも最高だよな
最近結構70代で死ぬ有名人多い印象ある。やや早いというか
今訃報を知る。様々な思いや感情が去来するも、トップブコメを読んだらすべて吹き飛んでしまった。そうだよ渋松対談はいつも最高に面白かったんだよ。心よりの弔意と、最大級の感謝を。
6月9日(ロックの日)生まれのことを嬉しそうにネタにしていましたね。ありがとうございました。
ロッキング・オン・グループ代表 渋谷陽一逝去のお知らせ-rockinon.com|https://rockinon.com/news/detail/212733
えっ
何と!
なんかよくわかんないけどめちゃくちゃびっくりしてしまった
74かあ
渋谷陽一と山崎洋一郎にはエレカシファンは足向けて寝られない。
RIP
闘病中だというのは知らなかった。まあこの人がいなかったら日本のロックジャーナリズムはかなり違うものだっただろうなとは思う
ついにか
なんと…初期のRIJFでお見かけした時、声かけたら気さくに答えてくれた思い出
その日がついに来てしまった。熱心なロックファンではなかったけれどラジオは一時期よく聞いていた。安らかに
功罪有るけど現在の世界で唯一日本で「ロックが生きている国」になった功績者。「産業ロック」という言葉で死んだ人も人も多いのだろうな…
RIP
ああおれが物心ついたときから存在してたものがまた消えゆく。時間はもっとも平等でもっとも残酷。
R.I.P.
グッバイ天国で松村と渋松対談できるな
R.I.P. 平成がまた一つ終わった。
2020年以降の新参者ですがラジオをよく聞いてました。後継番組の「洋楽シーカーズ」もなくなってしまって、さみしい限りです。
ご冥福をお祈りします
たまにNHKで聞く程度で音楽ジャンルもあまりかぶらなかったけど、それでも大きな影響力のある方だったと思う。
ロキノンは好きじゃなかったが、渋谷さんは好きだったな。ご冥福をお祈りいたします
脳出血→誤嚥性肺炎か。おつかれ様でした。
おれが中学生のころ『rockin'on』を読んでいたら、父から「わしが宝島の編集長だったころ、渋谷はリアカーを引いて雑誌を売っていた」とか言われたっけな
自分の誕生日(6月9日)をロックの日と名付けた張本人。Rest in peace.
「やっかいなビジョナリー」タイプの偉人。「産業ロック」を批判したくせに成し遂げたことといえば新しい形の「文化産業」を作り上げた点にあり、そこもやっかいな偉人。
若かりし頃、ロキノンは本当にお世話になりました。インターネット普及前、FMで聴いたうろ覚えなアーティスト名と曲名をメモして、CD屋に行き、ストックしてあるロキノンで調べてちゅうもんしたもんです。R.I.P
合掌
年末恒例のワールドロックナウ日本三大音楽評論家の大談義、どーするんですか!!!(涙)
合掌/『ミュージックライフ』読者欄への投稿を覚えている。パープル初来日公演のレポートだった。あれも71年、19歳だったのかな。毀誉褒貶あるが、あの時代、羅針盤の一人だった。ありがとうございました。
一つの時代が終わった感あるな…とステロな感慨が
10代の頃、ロッキングオンやその周りの雑誌をよく買っていた。特に面白いとは思わなかったのに。でも、何かある気がしたんだよな。実際、この人なくして今の日本の音楽環境はなかったんだろうけど。
NHKサウンドストリートはカセットに録音して何度も聞いていました。あれが血肉になったのは間違いない。ご冥福をお祈りいたします。
らーめん再遊記で何か言及あるかな?
海津がロッキング・オン・ジャパンで山崎洋一郎が株式会社ロッキング・オンなの初めて知った。だからイマイチ分からなかったのか納得。
エアチェックしたミュージックスクエアのカセットテープが何本も実家に眠っているはず。お盆に帰ったら30何年かぶりに聴いて追悼したい。
情報のない地方高校生的には氏のラジオとHMシンジケートで勉強させてもらった、年末に伊藤政則よんで討論してなかったけ、あれが好きだったわ
ジミー・ペイジもロバート・プラントも渋谷陽一より長生きするとは。すでに『天国への階段』は昇りきっただろうか? R.I.P.
大学時代に学園祭の講演を聞きに行ったのが最大の思い出(30年くらい前)。私がLed Zeppelinを聴くようになったのはこの人の影響が大きい。安らかに。/ そうだ、宮崎駿との対談本も読んだな。
音楽に触れて育つ中で、避けて通ることが難しい人だと思う。安らかに。
ありがとうございました。
小学生の頃に読んでたジャパンが血となり肉となって俺を形作りました。ありがとうございました。
えぇ!?まじか… / 謹んで御冥福をお祈りいたします。
よくも悪くも平成を作った男だと思う。ヘビメタなのでこの人は敵だった。でもこの人が作り上げ積み上げた物が日本で生まれることはもうないと思う。
毀誉褒貶はあれど、Moment Joonを激推ししていたのを知って「ああ、爺さん、本気なんだな」と思ったよ
めんどーくさいオッサンだったし彼が育てたり彼の影響を受けた連中もやはりめんどーくさいオッサンとして幅を利かせている。山崎洋一郎、タナソウとか。柴さん、貴方もですよ。
40過ぎてからのロック読んでた
渋谷陽一が亡くなったことについて熱く語りそうな友人ももう死んでしまった。こうして段々と周囲が死に囲まれ、死に慣れていって、そしてやがて私の死も訪れるのだろう。
俺もメタル育ちではあるんだが
おお……名前は若そうだけど74歳だったか
ご冥福をお祈りします。
サンストは教授→松浦雅也な火曜日リスナーだったんで金曜日の渋谷陽一さんはほぼ聞いたことがない。多分リスナー同士で暗くて深い川があると思う。ご冥福をお祈りいたします。
74歳 まだはやいよなぁ。御冥福をお祈り申しあげます。 中古レコードを買うと、中のライナーの筆者はかなりの確率でこの人。
メタラーからは縁の遠い人、安らかに
昨日ふと、ベンジーが当時のロキノン編集長兵庫さんを殴った事件について調べて、そういえば渋谷陽一は元気なのか?と思ったのだった。約40年前、高校生時代に買ったロキノンは実家に保管されてる。合掌。
おお、ひとつの時代が終わるな。嫌いではあったけど、すごくお世話になったし、人生を変えてもらった恩人でもあるよ。物凄く感謝してるよ。先にあっちに行ったミュージシャンバンドマンによろしく。
2020年にThe Network(Green Dayのサイドプロジェクト)が出した反トランプと反陰謀論がメインテーマのアルバムから何曲も紹介してくれたが、政治性高いのは避けてたな/NHKだったから?/でも流してくれただけでも有り難かった
レコードを買ふと、この人の駄文が付いてくる時代があつた
JAPANの表紙が浜崎あゆみだったときはさすがに「どーした?」と思ったな。なんにせよお世話になりましたR.I.P
RIP
oasis見る前に逝っちゃったなぁ…
渋松@天国 渋)おい凄いぞ。 松)お前の話はなんでいつも凄いぞから始まるんだ 渋)今回は本当に凄いぞ、なんと俺が死んだんだよ 松)こっちに来てるんだからそんなことは分かってる 渋)なんだその冷たい言い方は
好き嫌いはともかく、ロキノン系という概念を作り出したことは賞賛されるべきでしょう。この枠が無かったらロックバンドは既に息してなかったかもしれない。
ブコメのリアカーの話はマジなのでびっくりしてる。渋谷陽一本人がどっかで書いてた。ご冥福をお祈りします。
NHK-FMサウンドストリート、金曜担当だったかな。いろんな音楽を教えてもらいました。
「FMホットライン」が好きだった
昔ファミ通の渋谷洋一氏の担当記事を見てはこれ渋谷陽一オマージュなのだろーなと思っていた
宝島の編集長だったころてあんた
雑誌、どれもカッコよかったな〜
リアカーの件はいつも松村さんに突っ込まれていなかったっけ?「だから、お前は学生の分際でクルマ持っててリヤカーなんか引いてないだろ!」って。
タミヤの田宮さんも7/18に亡くなられたそうです。偉大なお方がこうも連日お亡くなりになるとは…。合掌。
6月9日生まれだったことを追悼記事で知る。合掌。
青春時代、思い出の人。なんだろ、アーティストそのものよりその周辺な感じの人のほうが不思議とショックがでかい。
ブクマカにお父さんが宝島編集長やってた人がいるとは…
リヤカー引いてロッキンオンを売り歩いた話は、渋谷陽一だけが言ってて松村雄策も橘川幸夫も「そんなことやってねえぞ」って言ってた。
ロキノン厨とかいう癌も一緒に引き取って逝ってほしかった
30年くらい前に、たしかウィザードリィの攻略本に「ぶっ殺す!渋谷陽一だ」ってコラムを執筆されていて、「大人の世界は怖ぇ」って記憶があるなぁ (※うる覚えです)。 ご冥福をお祈りします。
僕は『Cut』でお世話になりました
定期的に宮崎駿氏にロングインタビューをしている人、と認識している。書籍化されたものを数冊持っている。R.I.P.
R.I.P. “1972年 20歳で個人事業として洋楽ロック批評・投稿誌「rockin'on」創刊”
モーニング娘。を見つけてからでよかったな
10代のころは大変お世話になった。ありがとう!
自分の音楽経験の半分は渋谷陽一によってもたらされた。ありがとう!
すんごい打ちひしがれてるんですけど。74歳で誤嚥性肺炎かあ。まだまだ若いのになー。色々言われるロケノンだけど、遅れてきたパンクスにとって、ロケノンに周波数合うことも多々ありました。RIP
ああ、いつでも死ねる感じだったもんね。って思ったらそれは落合陽一のほうだった。
あれまー
渋谷陽一で思い出すのは、ルー・リードから海苔を受け取った話
歳を重ねることが、ある時点からは、取り残されることに変わるんだな……
ロックという枠組みを精神性の問題として語る媒体で時代を作った人。80年代から90年代のニューウェイブオルタナ系の情報では世話になった。音楽にしろ商売にしろいい目利きであったと思う。
ああ長文ポエムを書く人か
古いロックのCD買うと大体この人がブックレットに解説書いてた。ご冥福をお祈りします。
さんきゅう
渋谷さんの出す本を山ほど買ったよ。俺が編集とかライターとかの仕事をするにあたりたしかに影響を与えてくれた人である。よく友人と話すとき気軽に「渋谷陽一がさぁ」とか言ってたけど、偉人だよな。感謝を。
俺は今の瞬間まで、ファミ通で連載持ってた人だと思ってた。そっちの方は渋谷洋一だった。
うおっ
80年代のrockin' onはまだ同人誌・ミニコミ誌の匂いがして、思春期の自分にとっては重要な存在だった。まだJAPANは影も形もなかった頃。それからこんなに長い間音楽を聴いているとはなぁ。本当にありがとうございました。
渋松RIP
高校生から大学生まで毎月買って読んでいた。洋楽への解像度が上がったのはロッキングオンのおかげだ。JAPANも最初のうちは買っていた
しかし、渋谷陽一ほど敬称がつかない人はいなかったのでは。好悪にかかわらずたいてい呼び捨てにされていたのは偉大である証拠なのかもだ
BRIDGEが季刊渋谷陽一だったころによく買ってた。あと中村一義を激推ししてたので僕も聴きだしたりプリンスのライナーノーツでよく名前を見かけたり。ワールドロックナウも時々聞いてた。
なんだかんだでお世話になった人
「渋谷は2023年11月に脳出血を発症し、緊急入院いたしました。手術後は療養を続けながらリハビリに取り組んでおりましたが、今年に入り誤嚥性肺炎を併発、74年の生涯を終えました」
どっちかと言うとクロスビート派だった。ご冥福をお祈りします。
洋楽女子が『ミュージックライフ』を買ってる頃、自分は『ロッキングオン』を買っていた思い出。/てか知らぬ間に邦楽も扱ってて驚いた記憶が。/色々お世話になりました。安らかにお休みください。
親友の上司なので/お疲れ様でした
渋谷陽一さん、天国でも音楽語るにゃ?ボクもいつかロック談義したいにゃ~!
NHK-FM「ヤングジョッキー」の頃から聴いてた(「サウンドストリート」も)。R.I.P./【今年に入り誤嚥性肺炎を併発、74年の生涯を終えました】自分の母親、妻の父親も誤嚥性肺炎から程なく亡くなったよ。
倒れて以降全く続報がなかったので、次に発表があるなら訃報だろうとは思っていた。商業主義を批判しつつ、いつの間にかフェス産業の第一人者になっていたのが不思議だった。あちらで松村雄策と気が済むまで対談を。
自分がロッキング・オンやJAPANを読んでた頃は、既に看板雑誌からはほぼ手を引いてる感じだったので、縁側で渋松対談やってるご隠居オジサンという印象しかなかったけど、なんだかんだ影響力は凄かったな。御冥福を。
えええ……
寂しいな…
新卒採用の面接でお見かけしました(落ちたけど)。RIP
法人のカタカナ名称が「ロッキンオン」や「ロキノン」ではなく「ロッキング・オン」なんだと今知った
タナソウXでコメントしてたね。宇野維正はリポストのみ。これから続々と追悼コメントが出てきますね。大貫憲章、伊藤政則のコメントを待ちたい。
小山田圭吾の件の時なにかしたの?
ロキノンは90年代の一時期はまってたなぁ。ライターの熱量が高くて聴く音楽の幅を広げてくれた雑誌だった。ご冥福をお祈りします。
中村一義を知れたのは渋谷陽一のおかげなのでその点においての感謝はしてるぞよ
6月9日にはいつも「今日はロックの日か、渋谷さんの誕生日か、今年も半分終わっちゃったな」 とロックと渋谷陽一と寄る年波に思いを馳せるのが通例になってた。 これからも毎年思いを馳せるのだろう。 合掌
四本、市川、その他渋谷を嫌って出て行った人たちのコメント欲しいなあ。まあ出さないだろうけど。
そっか…RIP
ジャパンの方は人生で一番長く読み続けた雑誌かも知れない。たまぁに載る渋谷さんがインタビュアーやってる記事はアーティストの好き嫌い抜きにして面白かった。いずれそういう日が来るのだとしても寂しい。
マジか、ショックだ。。
50近くになって初めてフェスにいき、名前だけ知っていたこの方の話を以前よりかは聞くようになった。若い人だけでなく初老すぎのおっさんにも間接的であれ未だに影響を与え続けるのはすごい。RIP
御冥福をお祈りいたします。 SIGHTの宮さんのインタビュー毎回楽しみしてました。もう見られなくなるのかと思うと寂しいです。
いわゆるプロのDJじゃない人が番組MCやるのは初に近かったと思う。アナに比べれば聞きづらい部分もあったが等身大の生の声が伝わってきた。
「産業ロック」とか頭にくる表現も多かったけど、ロックファンの中では何かと話題になる無視できない人だった
まじか
部屋整理で昔買った渋谷氏の文庫見つかり捨てたばかり。何の参考にもならない我田引水な内容ばかりなのに仰天した。もうブリンスへの高評価しか記憶になかった。ロックや雑誌が「終わった」後も会社存続させたの凄い
おつかれさまでした。最後にギャラガー兄弟仲直りしましたよ。
宮崎駿監督のインタビューで「ハウルはもともと細田さんが監督する予定だったらしいけど宮崎さんが介入したんですか?」と鋭く切り込んでいたのが印象的だった(宮崎監督も「いや介入じゃなくて…」と焦ってたw)
若かりし頃、NHKーFMを良く読んだなぁ。洋楽の入口だった。あのお洒落だった渋谷陽一も誤嚥性肺炎には負けるのか。合掌。
R.I.P/今でも好きなNINを知ったのはロキノンのお陰。
音楽をロックを教えてくれたひとりです。ありがとう
ああああ。70年代、同人誌みたいな屁理屈の多い書き手のこの雑誌に出会って以来、様々な影響を受けた。腹の立つこともあったけど、ある意味、ロックの師でもあったなぁ。合掌。
音楽評論家の中でも吉田秀和と中村とうようと渋谷陽一は音楽ファンの共同体を作り上げたからなんだかんだ言っても凄い人だと思う。評論家としての夢の砦を築いたってことでもあるから。
"渋谷陽一逝去のお知らせ"
ロッキンオン友の会の会員でした。ありがとうございました。
元々ワイはロキノン厨で、好きだった。JAPAN JAM2022で、前説おじさんとしてモーニング娘。'22のことを「アウェイをホームに変えた」と言ってくれたの、嬉しかったなあ。2024年から前説しなくなって、心配してた。RIP。
人の褌で相撲を取るの見本みたいな人。こいつはともかくこいつの信者は救えない感性の持ち主だったな。
フジロックの追悼コンテンツが増えたやん。
雑誌は読んでなかったけど私の夏フェスといえばロッキンだったよ。フェス全体での「マナー良く楽しんで皆でフェスを成功させよう!」という呼びかけが良くて、それを築いてきた人だと思う。ありがとう。R.I.P
御冥福をお祈りしています。
若い時にフェス行ってそこでしゃべってるの何回か見たことあるぐらいだけど、なんかさみしいね。
文体と声色が全く合ってない人だった。この人の書籍のせいで面倒くさい洋楽マニアになってしまった。でも幸せだった。尊敬する編集者であり、経営者だった。合掌🙏
サウンドストリート木金とロッキングオンで知った音楽は膨大。企業経営者としても偉大な存在だった。ご冥福をお祈りします
FMラジオから聞こえてくるイケてる兄ちゃんという印象だった。後にロッキング・オン編集長だということに驚き、会社社長だということにさらに驚いた。74歳だったことに今驚き。
zepは今でも最高だよな
最近結構70代で死ぬ有名人多い印象ある。やや早いというか
今訃報を知る。様々な思いや感情が去来するも、トップブコメを読んだらすべて吹き飛んでしまった。そうだよ渋松対談はいつも最高に面白かったんだよ。心よりの弔意と、最大級の感謝を。
6月9日(ロックの日)生まれのことを嬉しそうにネタにしていましたね。ありがとうございました。