https://flixboss.com/movie/behind-the-curve-81015076 によるとBehind the curveはアメリカを始め全世界で配信終えてるらしい。Amazon Primeには過去配信していたような形跡が残っていたがこれも微妙。
「盲信せず懐疑的な態度を取り、自分で確かめる」 「十分に検証された先人の功績を継承する」 どちらも科学の徒としては必要な態度であり、どちらが優れているという話ではない
全ての事象に対して自分の目で真偽を確かめようとするとそれだけで一生が終わってしまいかねないし、コスパ的には自らの信念や情熱に1ミリも掠らない分野になら既存の信頼筋の情報を信じておいても良いんじゃないの
水平線にアメリカが見えなかった人は全員確かめてるだろう
教科書盲信は確かにおかしいけどさ
このまとめがそうであるように狂人を見世物にするコンテンツは新たな狂人を呼び込んで再生産されるから軽はずみに話題にすべきではないと思う
地球が丸いと考えると辻褄が合う現象は趣味で天文やってりゃ自分でも観測できるし普通に考えたら疑う理由ないんだよな。疑える能力は大事だけど疑う必要のないものを疑ってしまう心理には何か問題があると思うよ。
この論法だと主流の学説と異なるあらゆる荒唐無稽な主張を肯定的に捉えることが可能になる。つまり詭弁。
天動説時代の学者の工夫を凝らした惑星軌道の計算式には科学の体系化の努力(薄々の気づきも)を感じ、地動説派については迫害だけをよく言われるが両者は学者としての熱い議論を交わしていたのではと想像したりする
学而不思則罔、思而不学則殆 / 科学についてこういう見解を主張する人は、『教科書や学者の言説を信じるだけでなく資料()を集め旧軍が如何にアジア解放に尽力したかを証明しようとする人』には違う見解を主張する印象
まあある程度のショートカットとして権威だったりある訳で、ノイラートの船のように、パーツで確かめたり入れ替えたりするものよ科学って。
広範囲に海が見える山の頂上から水平線を眺めるだけで、何となく球面なことには気付くと思うんだよね
漢字文化圏で地球平面論者がほぼ居ないと言えるのは名前に「球」が入っちゃってるから。人の認識なんてそんなもんだ。別に科学的態度で受け入れられてる訳じゃない。
検証するにあたって、地球は球体であるという事実をたくさん目の当たりにするんだろうけど、それでも地球は平面であると主張を続ける姿勢を科学的とはいえないのでは。
そんなに金使わなくても、結構簡単にいろいろな方法で丸いことは証明できるから。
『Behind the Curve』
通説を疑って調べたり検証するだけなら科学的だけど、「地球は平らである」と一足飛びに結論出してそのために証拠を集めようとするのは科学的態度とは言えない。通説をひとまず信頼している方がマシだと思う。
細かいことを言えばジャイロの実験は地球の形状とは関係なく、ジャイロを基準として位置を変えてることを示してる。離れた場所の太陽南中高度の違いなら形状の違いがわかるかな。
みんなで車輪を再発見してたら物語が終わってしまうよ
まあ、なので、いわゆる文系という「過去からの継続的な資料を検証し、人間と人間の間の繋がり方(政治や法律や語学全部そう)を扱う方法論の学問」が必要という話。人間を通してしか自然資料も手に入れらんないので
マジでさ「権威主義」という捉え方を「権威に盲従する」と同義に考えるべきじゃないのよ。こっちは権威の「妥当性を認める」側で良いのよ。このドキュメンタリー見たならいちばん大事なのは客観性ってのもわかるよな
学術に関しては論文と査読という相互努力によって成立しているので権威主義とは真逆だと思うけど。
oasis「Standing on the Shoulder of Giants」 ニュートンの言葉から取ったんだよな。
"巨人の肩に乗る"を権威主義と言うのはたやすいが。多分個人(自分)の能力やリソースを高く・多く見積もり過ぎている。もちろん再実験や再検証は必要だが、それにしても筋の良し悪しはあるか
最近、味噌汁は味噌入れて煮たてたらダメだと某動画とかが断言するので比較したら、バカ舌でもわかる香りの違いはあった。でもバカ舌なので先入でも構わない程度ともわかった。という仮説と検証が家庭での科学的態度
水平線の先のヨットを見るだけで棄却される説をどう信じ続けてるんだろうな
日本在住であれば、欧米行き飛行機に乗った際に平面説では説明が付かない(最短距離でない)空路を進むことがわかる
教科書には地球が丸い事だけでなく、『昔の人達はなぜ丸いと気付いたのか』も書かれていたはずだが。提示された根拠も込みで考察するのが科学。信仰や丸暗記とは違う
結果がどんなに荒唐無稽なものでもプロセスに瑕疵が無ければ素直に受け入れるやつらが科学的で、納得しないやつらが非科学的
飛行機乗れば済む話を無駄な金使って証明しようとするの、単なる金集めじゃないの?
ワンピースの空島過去編を100回くらい読んでほしい。/過去の人類の血が滲むような努力の結果今の通説があるわけで、その人類の歴史を否定してるとは思わないのかな。信仰が大事なのも分からんでもないが。
「科学的手法で次々に地球が丸い証拠を見つけているのに解釈と結論が常におかしい」。先入観に塗れて仮説の誤りを選択できないのは経験主義でも「科学的」態度でもない
水平線を見て地球が丸いと信じるのは非科学的とまでは言えないんじゃないかな
これは「陰謀論に」が問題ではなく、何に対しても「ハマりすぎる」問題だと思う。自分の知識や立ち位置を絶対化しない、自分も社会も相対化して見るのが大切/民主主義政治は割と実現しやすい。不安定な制度なので
これは科学ではなくてリテラシーの問題。既に充分に検証された事象の確からしさを、自分の知見と照らし合わせて、信頼できるかどうかを判断するわけで、リテラシーが低いと陰謀論とかデマにも引っかかりやすくなる。
地球だから球?だったら地平、水平ってなんだよ!平らって文字が含まれてる!やっぱり地球は平らなんだよ!!!
"・ある地点にジャイロを固定→本当に24時間で一周しているなら、1時間後には15度傾いていないとおかしい ・200万円のジャイロを買う 〜実験後〜 ・15度傾いてた"
”米海軍に入隊して、自身が艦船で移動した時間から計算すると、地球が平面だとその時間での移動は不可能”大平原で暮らすと、平面論者になりそう。海を見たことない人が平面論者になりそう
正確な暦つくりのためには地球の大きさが必要だから地図作り。そのために円周率が必要だから近似計算のために微分法を発明。でも何のために正確な暦?占いのためにきまっとるじゃん!日食がずれたら大変だよ!
学校の教科書には検証方法が書いてあるし、教える前に実験してたよ。「地球は丸いから船は帆先から現れます」と書いてあったのを海に行くたびワクワクしながら観察した記憶。自転に関してはフーコーの振り子
自分の気に入らない結果が出たら無視して、自分の望む結果が出るまで実験を繰り返すのは、科学的な態度とは言えない。気に入らなくても結果は結果だ
権威主義といえば権威主義。自分の知的能力を超える判断については、様々に検証されている界隈(アカデミズムであったり組織されている報道機関であったり)を信用するようにしている。
地球が丸い事を信じないのにジャイロや光の性質については教科書を信じてるのが不思議。教科書や報道は信じないのに謎の誰かが言った事(地球は平面、端っこには高い壁がある等)は信じちゃうのも不思議。
地球が球状であることを示す観察結果や実験結果を受け入れず自説に都合のいい結果だけを認めようとする態度のどこが科学的なのか(ある意味、科学者の日常的な営みではあるが)
占いとか風水が市民権を得てしまっている現状をみれば地球平面説なんか大した問題じゃない。
問題を解き明かしたいという動機は問題を解く事よりも価値がある
↓光は重力その他で曲がる。アメリカが見えないことが地球が丸い理由にはならない。視覚経験的に地球の形は言えない、ってところから始めるのよねこの手の人たち。主観的経験を退ける姿勢は科学的ではある。
クリティカル・シンキングは大切ではあるのだが、どこかで"こうであるはず"という前提に立って物事を進めないといけない場合や時期というのは存在するし、そうしないことには人類は発展してこなかった。どちらも大事
権威主義を誤解している
科学的アプローチではあるが、仮説に固執している点は科学的ではない。
科学的を自称しながら、自民党のやらかしは野党ガダラシナイセイダー!とか、国会審議では普通に賛成が多い野党を反対バカリダー!と出鱈目トンデモを信じ込むのがハテウヨ
「偉い人が言ってるから」ではなく、反証可能な仮説であり、有効な反証が無い事が大事
ビハインド・ザ・カーブ、見た見た。だけどねあの人たち、球体説の方が正しいって結果が実験で出ても、信じようとしないねん。自分たちの信仰の方を重視してる。それって科学なん?
反ワクチンなんて努力だかでなく金銭も費やしてるぞし、医師免許すら犠牲にしたな。
フラットアーサーにはぜひ世界の果てを探し出してもらってその大地に埋まっていると言う伝説の剣「エクスカリバー」を引き抜いてこの世を救う勇者になってもらいたい。
世界の果てが存在する事を命を賭して証明しようとする航海者は…いないこととないんだろうけど
ある理論に対して「これこれこういう反証がされたのなら私はこの理論が間違っていると認めます」というのが科学的な態度。教科書をまるで信じててもこの態度があれば科学。
自分たちでちゃんと検証する姿勢は尊敬しちゃう。でも結果は受け入れてほしいな...!
自分で反証を試みるのはいいけど、かつて反証を試みたたくさんの科学者の実績を見ないことにしている不誠実な態度
「盲信」がよくないのであって「権威」を「盲信しない程度」に「信頼」するのは良いと思う。疑問に思ったら調べれば良い。私も相対性理論や、量子力学が信じられなくていろいろ調べまくって結果、物理の道に進んだ。
本人の意図はどうあれ、生きた科学教育だよなあ
フラットアーサーのドキュメンタリーで地球が平らであることを証明しようとする努力を見て、教科書や学者の言説を信じるだけの人間とどちらが科学的なのか考えさせられた
https://flixboss.com/movie/behind-the-curve-81015076 によるとBehind the curveはアメリカを始め全世界で配信終えてるらしい。Amazon Primeには過去配信していたような形跡が残っていたがこれも微妙。
「盲信せず懐疑的な態度を取り、自分で確かめる」 「十分に検証された先人の功績を継承する」 どちらも科学の徒としては必要な態度であり、どちらが優れているという話ではない
全ての事象に対して自分の目で真偽を確かめようとするとそれだけで一生が終わってしまいかねないし、コスパ的には自らの信念や情熱に1ミリも掠らない分野になら既存の信頼筋の情報を信じておいても良いんじゃないの
水平線にアメリカが見えなかった人は全員確かめてるだろう
教科書盲信は確かにおかしいけどさ
このまとめがそうであるように狂人を見世物にするコンテンツは新たな狂人を呼び込んで再生産されるから軽はずみに話題にすべきではないと思う
地球が丸いと考えると辻褄が合う現象は趣味で天文やってりゃ自分でも観測できるし普通に考えたら疑う理由ないんだよな。疑える能力は大事だけど疑う必要のないものを疑ってしまう心理には何か問題があると思うよ。
この論法だと主流の学説と異なるあらゆる荒唐無稽な主張を肯定的に捉えることが可能になる。つまり詭弁。
天動説時代の学者の工夫を凝らした惑星軌道の計算式には科学の体系化の努力(薄々の気づきも)を感じ、地動説派については迫害だけをよく言われるが両者は学者としての熱い議論を交わしていたのではと想像したりする
学而不思則罔、思而不学則殆 / 科学についてこういう見解を主張する人は、『教科書や学者の言説を信じるだけでなく資料()を集め旧軍が如何にアジア解放に尽力したかを証明しようとする人』には違う見解を主張する印象
まあある程度のショートカットとして権威だったりある訳で、ノイラートの船のように、パーツで確かめたり入れ替えたりするものよ科学って。
広範囲に海が見える山の頂上から水平線を眺めるだけで、何となく球面なことには気付くと思うんだよね
漢字文化圏で地球平面論者がほぼ居ないと言えるのは名前に「球」が入っちゃってるから。人の認識なんてそんなもんだ。別に科学的態度で受け入れられてる訳じゃない。
検証するにあたって、地球は球体であるという事実をたくさん目の当たりにするんだろうけど、それでも地球は平面であると主張を続ける姿勢を科学的とはいえないのでは。
そんなに金使わなくても、結構簡単にいろいろな方法で丸いことは証明できるから。
『Behind the Curve』
通説を疑って調べたり検証するだけなら科学的だけど、「地球は平らである」と一足飛びに結論出してそのために証拠を集めようとするのは科学的態度とは言えない。通説をひとまず信頼している方がマシだと思う。
細かいことを言えばジャイロの実験は地球の形状とは関係なく、ジャイロを基準として位置を変えてることを示してる。離れた場所の太陽南中高度の違いなら形状の違いがわかるかな。
みんなで車輪を再発見してたら物語が終わってしまうよ
まあ、なので、いわゆる文系という「過去からの継続的な資料を検証し、人間と人間の間の繋がり方(政治や法律や語学全部そう)を扱う方法論の学問」が必要という話。人間を通してしか自然資料も手に入れらんないので
マジでさ「権威主義」という捉え方を「権威に盲従する」と同義に考えるべきじゃないのよ。こっちは権威の「妥当性を認める」側で良いのよ。このドキュメンタリー見たならいちばん大事なのは客観性ってのもわかるよな
学術に関しては論文と査読という相互努力によって成立しているので権威主義とは真逆だと思うけど。
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"巨人の肩に乗る"を権威主義と言うのはたやすいが。多分個人(自分)の能力やリソースを高く・多く見積もり過ぎている。もちろん再実験や再検証は必要だが、それにしても筋の良し悪しはあるか
最近、味噌汁は味噌入れて煮たてたらダメだと某動画とかが断言するので比較したら、バカ舌でもわかる香りの違いはあった。でもバカ舌なので先入でも構わない程度ともわかった。という仮説と検証が家庭での科学的態度
水平線の先のヨットを見るだけで棄却される説をどう信じ続けてるんだろうな
日本在住であれば、欧米行き飛行機に乗った際に平面説では説明が付かない(最短距離でない)空路を進むことがわかる
教科書には地球が丸い事だけでなく、『昔の人達はなぜ丸いと気付いたのか』も書かれていたはずだが。提示された根拠も込みで考察するのが科学。信仰や丸暗記とは違う
結果がどんなに荒唐無稽なものでもプロセスに瑕疵が無ければ素直に受け入れるやつらが科学的で、納得しないやつらが非科学的
飛行機乗れば済む話を無駄な金使って証明しようとするの、単なる金集めじゃないの?
ワンピースの空島過去編を100回くらい読んでほしい。/過去の人類の血が滲むような努力の結果今の通説があるわけで、その人類の歴史を否定してるとは思わないのかな。信仰が大事なのも分からんでもないが。
「科学的手法で次々に地球が丸い証拠を見つけているのに解釈と結論が常におかしい」。先入観に塗れて仮説の誤りを選択できないのは経験主義でも「科学的」態度でもない
水平線を見て地球が丸いと信じるのは非科学的とまでは言えないんじゃないかな
これは「陰謀論に」が問題ではなく、何に対しても「ハマりすぎる」問題だと思う。自分の知識や立ち位置を絶対化しない、自分も社会も相対化して見るのが大切/民主主義政治は割と実現しやすい。不安定な制度なので
これは科学ではなくてリテラシーの問題。既に充分に検証された事象の確からしさを、自分の知見と照らし合わせて、信頼できるかどうかを判断するわけで、リテラシーが低いと陰謀論とかデマにも引っかかりやすくなる。
地球だから球?だったら地平、水平ってなんだよ!平らって文字が含まれてる!やっぱり地球は平らなんだよ!!!
"・ある地点にジャイロを固定→本当に24時間で一周しているなら、1時間後には15度傾いていないとおかしい ・200万円のジャイロを買う 〜実験後〜 ・15度傾いてた"
”米海軍に入隊して、自身が艦船で移動した時間から計算すると、地球が平面だとその時間での移動は不可能”大平原で暮らすと、平面論者になりそう。海を見たことない人が平面論者になりそう
正確な暦つくりのためには地球の大きさが必要だから地図作り。そのために円周率が必要だから近似計算のために微分法を発明。でも何のために正確な暦?占いのためにきまっとるじゃん!日食がずれたら大変だよ!
学校の教科書には検証方法が書いてあるし、教える前に実験してたよ。「地球は丸いから船は帆先から現れます」と書いてあったのを海に行くたびワクワクしながら観察した記憶。自転に関してはフーコーの振り子
自分の気に入らない結果が出たら無視して、自分の望む結果が出るまで実験を繰り返すのは、科学的な態度とは言えない。気に入らなくても結果は結果だ
権威主義といえば権威主義。自分の知的能力を超える判断については、様々に検証されている界隈(アカデミズムであったり組織されている報道機関であったり)を信用するようにしている。
地球が丸い事を信じないのにジャイロや光の性質については教科書を信じてるのが不思議。教科書や報道は信じないのに謎の誰かが言った事(地球は平面、端っこには高い壁がある等)は信じちゃうのも不思議。
地球が球状であることを示す観察結果や実験結果を受け入れず自説に都合のいい結果だけを認めようとする態度のどこが科学的なのか(ある意味、科学者の日常的な営みではあるが)
占いとか風水が市民権を得てしまっている現状をみれば地球平面説なんか大した問題じゃない。
問題を解き明かしたいという動機は問題を解く事よりも価値がある
↓光は重力その他で曲がる。アメリカが見えないことが地球が丸い理由にはならない。視覚経験的に地球の形は言えない、ってところから始めるのよねこの手の人たち。主観的経験を退ける姿勢は科学的ではある。
クリティカル・シンキングは大切ではあるのだが、どこかで"こうであるはず"という前提に立って物事を進めないといけない場合や時期というのは存在するし、そうしないことには人類は発展してこなかった。どちらも大事
権威主義を誤解している
科学的アプローチではあるが、仮説に固執している点は科学的ではない。
科学的を自称しながら、自民党のやらかしは野党ガダラシナイセイダー!とか、国会審議では普通に賛成が多い野党を反対バカリダー!と出鱈目トンデモを信じ込むのがハテウヨ
「偉い人が言ってるから」ではなく、反証可能な仮説であり、有効な反証が無い事が大事
ビハインド・ザ・カーブ、見た見た。だけどねあの人たち、球体説の方が正しいって結果が実験で出ても、信じようとしないねん。自分たちの信仰の方を重視してる。それって科学なん?
反ワクチンなんて努力だかでなく金銭も費やしてるぞし、医師免許すら犠牲にしたな。
フラットアーサーにはぜひ世界の果てを探し出してもらってその大地に埋まっていると言う伝説の剣「エクスカリバー」を引き抜いてこの世を救う勇者になってもらいたい。
世界の果てが存在する事を命を賭して証明しようとする航海者は…いないこととないんだろうけど
ある理論に対して「これこれこういう反証がされたのなら私はこの理論が間違っていると認めます」というのが科学的な態度。教科書をまるで信じててもこの態度があれば科学。
自分たちでちゃんと検証する姿勢は尊敬しちゃう。でも結果は受け入れてほしいな...!
自分で反証を試みるのはいいけど、かつて反証を試みたたくさんの科学者の実績を見ないことにしている不誠実な態度
「盲信」がよくないのであって「権威」を「盲信しない程度」に「信頼」するのは良いと思う。疑問に思ったら調べれば良い。私も相対性理論や、量子力学が信じられなくていろいろ調べまくって結果、物理の道に進んだ。
本人の意図はどうあれ、生きた科学教育だよなあ