紫式部とかはそもそも目に入らないから何も書いてないとかそんなか。底辺貴族はかなしいな
これホントに「庶民」なの?下級役人層(地方豪族とかの子弟)だったりしない?
庶民のフリした上級国民を庶民扱いしてドヤ顔してる人っているよね。貴族が一律そうあるべきだ感が満載で、上級国民にもいろいろあるって想像力がないんだよね(´・_・`)生者必衰すら知らなさそう
例の大河ではボロクソに貶されたのは枕草子の問題でなく清少納言の失言が発端だったりするので舌禍はいつの時代もダメな奴だと分かる。
この場合の「下衆」は、庶民ではないと思う。うたを諳んじる庶民とか、貴族のイケメンを褒め称える庶民はいない。下層貴族だろう。
俺が紫式部よりも清少納言が好きなのはこういうところなんだが、むしろそれゆえに嫌いという人がいるのか。人の好き嫌いは多様だなあ
そもそも接点がないのでは 学校とかあるわけでもないし買い物も行かないだろうし
身分制階級社会の実相が身近になくて分かりにくいんだろうが、ほんとの下級身分って人格も風体も貴族からしたらまっったく許容範囲外だよ。清少納言は自分より少し下の地位のものを見下しているにすぎない。美学?
わざわざアラを探すために観察するのって後生で言う嫁いびりが趣味な姑かブクマカだよね
(時節柄(も)まずいんですが)「平安貴族にとっていわゆる平民の家や暮らしはスラムの奴隷です。見たら穢れる。差別? 差別ですよ悪かったな。嘘は申しておりません。N党にどうぞ濁り切った1票を」「ウォー(拍手)」
中国はあまり身分階層がないのに日本はどうしてこうなったんだろうね。日本史やってて絶望するところだわ平安時代
辻希美のアンチも一挙手一投足見てるしな
やたら語彙豊富なおもろジャニオタ/夜職女みあるよな(とか言ったら清少納言ならあらゆる上品表現駆使してブチギレてくれそうで興奮しますね)
清少納言はかき氷が大好きなやばいやつ。紫式部はイワシが好きな庶民派(´・ω・`)
「下衆」は「身分の卑しい人」以外にも「使用人」とかの意味もあるからなあ
風流を解さぬ者への清少納言の苛立ちには対象の識字能力を前提と考えるのが自然なのでは。「下衆」に庶民を含めるにはバルバロイ的な存在をも作品内で注意関心の範囲に含んでいる証拠が必要じゃないかと思うけど
下等な亜人間のあさましさは千年の歴史が流れても変わらないことがわかる。
子供の頃は清少納言が高慢でツンツンしてるのが嫌いで、大人になるとその高慢なツンツンを愛せるようになるってのはあるなあ。
「下衆にほめらるるはいとわろし」とか「下衆の家に積もりたるはいとにくし」とかを「しっかり見た上で貶している」と言って持ち上げるのは無理ありすぎだろ
災害で家や田畑を失い嘆き悲しむ貧民を心も貧乏だとこき下ろす清少納言さん。下級貴族を嘲笑するのも痩せた人がデブを必要以上に嫌うとの同じ思考回路でしかない。
紫式部も光源氏があばら家に泊まるシーンで、うすで米をつく音、布を打つ砧の音といった生活音、「おお寒ぶ寒ぶ」といった庶民の声をいきいきと活写しているよ。
自分の世話を下級貴族がする階層の人は庶民との接点が全くないし、世界の見え方は違うよな
もうウイカの顔しか浮かばない。
ひねくれてるつもりはないんだけど、そんなに観察力があるようには思えない描写だなと思いました。古典的な観点でみれば違うのかもしれませんが。
当時の貴族は海音寺潮五郎のいう江戸初期の武士と違って儒教を「正しく」受容してたってことね。大人は小人と違う、尊師様のように酒色に耽っても大丈夫って感じね。ともあれ私はbehuckleberry02氏に賛意
かつてヨーロッパの貴族は「使用人に全裸を見られても気にしない。何故なら使用人は犬猫のような存在だったから。犬猫に裸を見られて恥ずかしいなんて感じるか?」ていう話をそういえば聞いたことがある
@Yumetsuru『枕草子は、紫式部日記や和泉式部日記と違って「随筆」』『編纂された過去』が肝。歴代王朝の編む「正史」とかと同類の政治的意図あっての物(大河や神作家・紫式部のありえない日々でもそういう解釈に読める
知らなかった
内田樹先生の悪口はやめろ!
白氏文集の風諭詩をどんな顔して読んでいたのだろう。読み飛ばしてたのかな?って思っちゃうよね。
「下衆は下級貴族のことだろう」と無理に擁護してるコメがいるけど、他の章では物乞いに来る下衆女(尼乞食)に常陸の介とあだ名を付けて、繰り返し教養のなさを嘲笑する下りがありとてもそうとは思えない。
松任谷由美がスノッブのお嬢様だっていう話と通ずるものがあるな。
春は揚げ物
単なる性格の悪い女
枕草子も紫式部日記も人に読まれる(見せる)前提で書かれてるわけで、書いてあることが全てでなければ書いてないから無関心もない。人に見せない前提で書いたのに有名になってしまったのは御堂関白記
いとワロス
平成時代の女性作家のエッセイみたいだわー。/ていうかむしろ普段ちゃんと庶民を見てないからこんなことを平気で書くのでは?
単に性格が悪いとしか思えなかった
295段はお手付き的な意味もありそうだなとか。294段は「そんな私が嫌い」だし、雪の日の家については実際ぼっろぼろで寒そうで見てられない感じだったんじゃないかとか。夏冬は極端なのが…は逆張りよね。やっぱ面白い
(既に負けている)定子さま上げに全力の人のイメージが強く、褒めるために何でも貶すという形になってしまったのだろうなと。
人間らしくていい。こうやってああだこうだ言えるような読み物残してくれてありがとうの気持ち。思いを馳せることができる。
清少納言って庶民のことをかなり痛烈にこき下ろすのだが、ものすごく観察しているところに彼女の美学を感じる「無関心な方が当たり前」
紫式部とかはそもそも目に入らないから何も書いてないとかそんなか。底辺貴族はかなしいな
これホントに「庶民」なの?下級役人層(地方豪族とかの子弟)だったりしない?
庶民のフリした上級国民を庶民扱いしてドヤ顔してる人っているよね。貴族が一律そうあるべきだ感が満載で、上級国民にもいろいろあるって想像力がないんだよね(´・_・`)生者必衰すら知らなさそう
例の大河ではボロクソに貶されたのは枕草子の問題でなく清少納言の失言が発端だったりするので舌禍はいつの時代もダメな奴だと分かる。
この場合の「下衆」は、庶民ではないと思う。うたを諳んじる庶民とか、貴族のイケメンを褒め称える庶民はいない。下層貴族だろう。
俺が紫式部よりも清少納言が好きなのはこういうところなんだが、むしろそれゆえに嫌いという人がいるのか。人の好き嫌いは多様だなあ
そもそも接点がないのでは 学校とかあるわけでもないし買い物も行かないだろうし
身分制階級社会の実相が身近になくて分かりにくいんだろうが、ほんとの下級身分って人格も風体も貴族からしたらまっったく許容範囲外だよ。清少納言は自分より少し下の地位のものを見下しているにすぎない。美学?
わざわざアラを探すために観察するのって後生で言う嫁いびりが趣味な姑かブクマカだよね
(時節柄(も)まずいんですが)「平安貴族にとっていわゆる平民の家や暮らしはスラムの奴隷です。見たら穢れる。差別? 差別ですよ悪かったな。嘘は申しておりません。N党にどうぞ濁り切った1票を」「ウォー(拍手)」
中国はあまり身分階層がないのに日本はどうしてこうなったんだろうね。日本史やってて絶望するところだわ平安時代
辻希美のアンチも一挙手一投足見てるしな
やたら語彙豊富なおもろジャニオタ/夜職女みあるよな(とか言ったら清少納言ならあらゆる上品表現駆使してブチギレてくれそうで興奮しますね)
清少納言はかき氷が大好きなやばいやつ。紫式部はイワシが好きな庶民派(´・ω・`)
「下衆」は「身分の卑しい人」以外にも「使用人」とかの意味もあるからなあ
風流を解さぬ者への清少納言の苛立ちには対象の識字能力を前提と考えるのが自然なのでは。「下衆」に庶民を含めるにはバルバロイ的な存在をも作品内で注意関心の範囲に含んでいる証拠が必要じゃないかと思うけど
下等な亜人間のあさましさは千年の歴史が流れても変わらないことがわかる。
子供の頃は清少納言が高慢でツンツンしてるのが嫌いで、大人になるとその高慢なツンツンを愛せるようになるってのはあるなあ。
「下衆にほめらるるはいとわろし」とか「下衆の家に積もりたるはいとにくし」とかを「しっかり見た上で貶している」と言って持ち上げるのは無理ありすぎだろ
災害で家や田畑を失い嘆き悲しむ貧民を心も貧乏だとこき下ろす清少納言さん。下級貴族を嘲笑するのも痩せた人がデブを必要以上に嫌うとの同じ思考回路でしかない。
紫式部も光源氏があばら家に泊まるシーンで、うすで米をつく音、布を打つ砧の音といった生活音、「おお寒ぶ寒ぶ」といった庶民の声をいきいきと活写しているよ。
自分の世話を下級貴族がする階層の人は庶民との接点が全くないし、世界の見え方は違うよな
もうウイカの顔しか浮かばない。
ひねくれてるつもりはないんだけど、そんなに観察力があるようには思えない描写だなと思いました。古典的な観点でみれば違うのかもしれませんが。
当時の貴族は海音寺潮五郎のいう江戸初期の武士と違って儒教を「正しく」受容してたってことね。大人は小人と違う、尊師様のように酒色に耽っても大丈夫って感じね。ともあれ私はbehuckleberry02氏に賛意
かつてヨーロッパの貴族は「使用人に全裸を見られても気にしない。何故なら使用人は犬猫のような存在だったから。犬猫に裸を見られて恥ずかしいなんて感じるか?」ていう話をそういえば聞いたことがある
@Yumetsuru『枕草子は、紫式部日記や和泉式部日記と違って「随筆」』『編纂された過去』が肝。歴代王朝の編む「正史」とかと同類の政治的意図あっての物(大河や神作家・紫式部のありえない日々でもそういう解釈に読める
知らなかった
内田樹先生の悪口はやめろ!
白氏文集の風諭詩をどんな顔して読んでいたのだろう。読み飛ばしてたのかな?って思っちゃうよね。
「下衆は下級貴族のことだろう」と無理に擁護してるコメがいるけど、他の章では物乞いに来る下衆女(尼乞食)に常陸の介とあだ名を付けて、繰り返し教養のなさを嘲笑する下りがありとてもそうとは思えない。
松任谷由美がスノッブのお嬢様だっていう話と通ずるものがあるな。
春は揚げ物
単なる性格の悪い女
枕草子も紫式部日記も人に読まれる(見せる)前提で書かれてるわけで、書いてあることが全てでなければ書いてないから無関心もない。人に見せない前提で書いたのに有名になってしまったのは御堂関白記
いとワロス
平成時代の女性作家のエッセイみたいだわー。/ていうかむしろ普段ちゃんと庶民を見てないからこんなことを平気で書くのでは?
単に性格が悪いとしか思えなかった
295段はお手付き的な意味もありそうだなとか。294段は「そんな私が嫌い」だし、雪の日の家については実際ぼっろぼろで寒そうで見てられない感じだったんじゃないかとか。夏冬は極端なのが…は逆張りよね。やっぱ面白い
(既に負けている)定子さま上げに全力の人のイメージが強く、褒めるために何でも貶すという形になってしまったのだろうなと。
人間らしくていい。こうやってああだこうだ言えるような読み物残してくれてありがとうの気持ち。思いを馳せることができる。