写真風画像の楽しみ方について。個人の鑑賞解像力と知的関心の体系は様々。
X民はキラキラしたものが嫌いなんですよ
東京カメラ部って東京カレンダーに載せるための写真を撮ってます(加工してます)という位置づけなら何ら違和感ないと思う。なので東京カレンダー部カメラ課とかで良いのでは。
「自分に都合よければフェイクでも全然OKだけど、不都合ならフェイクを理由にキャンセルする」というの、大半の人間(政治家や学者さえも含め)が同じ事をやってるので。その『都合』が人それぞれ違うというだけで。
エスカレーターの話とか分かりやすいけどシンプルに嘘ついてるからでしょ「こんな景色でした」って言い方だけど実際は見えないわけでしょ?CG作品には嘘だとか言わないから最初から写真名乗らなきゃ良いだけ
インスタ映えという言葉が生まれた頃の流行りの構図な感じ。ずっとこれでいけば伝統芸みたいになっていくんかな
「実際にはこの場所のエスカレーターの場所からは東京タワーは見えません」/それは「カメラ部」じゃない。コラージュ部とかお絵かき部。生成AI部。
"それ以前にもう世の中写真も動画もAIで生成される時代なのでみんな過剰反応しすぎ" / むしろそういう時代になったからAI生成への拒否感を経由した上で、CG加工的な技術にも拒否反応が示す層が増えてきた気もする。
「エスカレーターの隙間から見える東京タワーがカッコよすぎた」→「この場所から本画像のように東京タワーを確認することは出来ません」ただのフェイク画像で笑った。AI生成画像と同じカテゴリよね、つまりは
そもそもカメラで撮ってる時点で目に見えるものとは違うからな。でも本来ないものを付け加えるときは説明はしないとな(騙すのが目的ならともかく)
いかにもカメラマニアが撮りそうなウケ狙いのわざとらしい写真
ほんの一瞬でも自分の脳の一部を使って「ここどこ?」って考えさせられるのがイラっとする原因では
最近よく見て引いてる→“行き過ぎたり、現実にないものを合成で作り出して「〇〇が〇〇だった」とか「〇〇が綺麗すぎた」みたいなコメントや、いかにもそれっぽい「マンションポエム」を添えた投稿”
“表現の自由と、誠実さ・説明責任。このバランスが崩れたとき、人は怒るのかもしれません。(AIによる生成)”
写真好きで撮るけど承認欲求に狂わされると純粋に楽しめなるだろうからほぼネットにあげない。 / エスカレーターの元ユーザ、他ポストに「はいはい合成」みたいなポストつけられててこれはこれで最悪…
あんまり補正されると資料写真とか証拠写真とか撮る時に困るんだよな。スマホの自動補正とかやりすぎなんだよ。役に立たないじゃん。映え狙いは好きにすりゃ良いけど、真に受ける人が居てめんどい
写真はもう、映えとかではなく「その景色が見られるところに行った記録」としてしか撮ってないなあ。撮っとかないと15年後20年後に覚えていないということが分かったので。
東京タワーの写真の投稿者、インプレ稼ぎでフェイク画像上げてるゴミみたいな垢だと思ってプロフィール見に行ったら、なんか受賞歴とか書いてあって驚愕した。いずれにしろブロックスパム報告したけど
色弄る程度ならもう何も思わないけど切り貼りしたらもう写真ではないな。生成AIに架空の観光地を紹介された気分。
東京タワーの写真、SNSで流れてきて「こんな構図で撮影できる場所あるんだー」くらいで見たけど合成だったんか!合成なら合成と言わないと…。
ホントに技能のある人が"自己満足でいいや"となって発信が無くなり、技術が無くバズが上手い人ばかりがもてはやされるのは社会の損失。どの業界も同じか。
それってどうなん?とも思うがそれよりも写真というものを神聖視し過ぎなんだよ皆。画像だよ画像、カメラとかを使って画像を作ってるだけだよ。ってもキャプションがちょっと嘘なのはいただけないがな。
写真展で見る作品は作為や加工しているものも多いので、そこ炎上ポイントになるんだ?と驚き。SNSに載せるから?と思ったけどSNSの写真こそ盛ってなんぼだし。
Windows11デフォの風景写真の壁紙。HDRきつめの写真なんだけど時々修正きっついなーと思う写真がある。
東京カメラ部SNS https://tokyocameraclub.com/photos/editors.php を見ると記事の趣旨が分かりやすい。AI生成画像もeditor's choiceになる。
これに騙されてる人はある意味幸せ、みたいな事が最後に書いてあって、まあ結局は承認欲求とマウントの取り合いよね…となった
あれが好きな人も居るんでしょうから総意みたいな何かは探さないほうがいい
↓ブロックするのは好きにすればいいけど、スパム報告は純粋に虚偽報告じゃねと思った
ネガフィルム時代は街の写真屋さんとか現像屋が色調調整とかトリミングしてたんだから、JPEG撮って出し信仰はここ10年くらいの流行りでしかないよ、ペイントソフトで書き込みや削除してなければ別にいいんじゃない
合成したものは写真かという問題はあるにしても、写真も表現手法の一つなので。加工自体はそれこそ白黒写真の頃から焼き込みとかあったわけで。ないものを足したり、消したりは写真としてどうかと思うけど。
青春18きっぷの「前略、僕は日本のどこかにいます」のポスターだって合成なので、現地でどうやっても撮れないからね。でも行って違ってても写真撮りたいとは思わせるのよ https://japan-traveling.net/18/2000winter/
きれいなんだけど写真に奥行きというか人間味がなく薄っぺらく感じる
じゃあ自然なのが良いのかというと地味すぎて見向きもしないくせにな
シンプルに「一般社会における写真」と違うからだよ普通は「素晴らしい瞬間を、光学特性を知り尽くしたセッティングで切り取った」だと思うじゃん
写真はアナログな感覚があるので、加工には抵抗感あるけど、普通は多少レタッチしてるもんなー。捏造じゃなきゃいいんじゃないかしら。
”そのエスカレーターの隙間から東京タワーなんか見えない” 単純な話で、嘘は受け入れられんっちゅーこっちゃな。
認証アカウント同士で馴れ合ってる感じとか、写真界のやしろあずき
著者はどんな感情に突き動かされてるのかしら本家「東京カメラ」も含めた「東京カメラ"風"」(fooooooooo!カゼだね!)がまとめて憎いのかな。それならなぜ炎上しやすいのか?じゃなくて私は嫌いですって素直に言おう!
ゲーム配信で画面よりデカく映ってる配信者をみたときと近い感覚
ああいった写真「東京カメラ部」のジャンルでいいのか。まあ、写真じゃなくて加工イメージだと思えばまあ、アリだと思うが…「写真」のジャンルかと言われれば合成写真はちょっとジャンル変わるもんな。
CGっぽい綺麗なものはAIで作れるようになっちゃったしなぁ
おそらく炎上とか何とも思っていなくて、注目されてPVが稼げればいいと思っているのでは。
関係無いけどlast sceneのポスターを見ると一瞬左の人がひろゆきに見えるんだよね
”先日もiPhoneだけで撮られた下記のショートフィルムを見ていましたが、ボケ境界の不自然さや不自然なトーンに気づくともうストーリーが全く頭に入ってこない始末” 映画用カメラ風ボケ後付けで境界が不自然なのよな
個人的にはLightroom処理までで、Photoshop処理したものは写真ではない何か、というイメージ
スルーしたらいいんじゃね?とのことなんだけど、その写真を一瞬でもいいなと思った俺がバカみたいじゃないかという怒りがあるんだろう。色味のレタッチならともかくガチの嘘はちょっとな
フィルム時代の人間だけど、当時もフィルム選びから露光や現像、焼き方で自分の色を出してたんだからカラグレぐらい可愛いもんだけど合成は違うと思う。それはモンタージュ。
後加工していない撮って出しでも撮影時にレンズやフィルターで加工以上の効果を出してることもあるし、レンズによる歪みを加工で実物に近づけたりすることもある。どこからが嘘なのかは思ってる以上に曖昧。
「表現の自由と、誠実さ・説明責任。」ここに同意。
イラストレーターとフォトグラファーの間を指す言葉があればいいのかな。イラストとも写真とも呼びにくいものってとこで騙された感じがしてしまう。画像自体は魅力的だから滅びてほしい文化でもないのだけども。
“東京カメラ部” ( 東京カメラクラブではない。)
"特にこの写真の例で言うと、実際にはこの場所のエスカレーターの場所からは東京タワーは見えません"この例に関しては批判内容はこれ以上でも以下でも無いと思うが、他の加工とこの件の境界線が分からなくなるのかね
やはりフィルムか。ネオパンSSとかまだ売ってるのかな。トライXの長巻をよく使ったけど、普通のコダカラー100とかエクタクロームとかのカラーがよかった印象がある。
別に加工自体はいいと思うけど、 流石に入れ替えとか削除とかやると それコラ画像の類では?となるよね。 CGクリエイターとしてはありだけど写真とは…
色味や加工より東京を撮った写真でもないのに東京カメラ部ってタグ付けてると変なのって思う、
30年ぐらい前までならそういう認識でもいいと思うけど、今なら周辺機器ソフトウェア込みでそういう表現て思ったほうが気が楽じゃないかね?
たしかに、自分の感覚ではあれはもう写真とは呼びたくないな
“エスカレーターの隙間から見える東京タワーがカッコよすぎた” とか書いたら、"やりすぎ”ではなくて普通に「噓」だよね。悪い事しても、なあなあではっきり指摘しない甘やかし文化が普及してきた気がする。
今は東京カメラ部風とか言って炎上する時代なのか。公式は合成や加工はありというスタンスだった気がするから、なしの人はnot for meでいいと思う。自分は補正はありだけど合成は無し派。境界線はケースバイケースかも
写真というなら書いて字の如くの意味合いを求めるのが通常だろう。現実の眼球と脳が受けた感覚に近づけるとかは勝手にしたらいいけど、無いものが在ったりその逆は眼球か脳に支障があると思ってしまう。
HDRがいまほど当たり前じゃなかった頃HDRをゴリゴリに効かせた写真がバズったり批判されたりしてたね。今回のは嘘が書いてあるのが炎上理由だろうから全然別だけど。
東京カメラ部風は、ボクには猫缶に見えないにゃ。好みが違うと炎上するのにゃ?難しいにゃ!
勝手なイメージだけど、首からストラップでカメラを下げてるような人が使うタグだと思っていた。プロのカメラマンで首からカメラ下げてる人あまりいないよね。
面白かった。加工作品とわかっててこういうの見るのは好きです。東京駅前の水たまりですごい頑張ってるのはまあ飽きた…
本件、エスカレーターの写真に東京タワーが写った夜景を合成するアイデア自体も他人の真似だったところも救いようが無いよな
自分もゴミや雑草、映り込みなんかを後処理で消したりするんで偉そうなこと言えないけど、メイン被写体が他からの合成ってなると加工・修正の範疇を超えて写真とは別のカテゴリーのコラージュ作品な気がする
なぜ東京カメラ部風の写真は炎上しやすいのか? - とあるビデオグラファーの備忘録的ブログ
写真風画像の楽しみ方について。個人の鑑賞解像力と知的関心の体系は様々。
X民はキラキラしたものが嫌いなんですよ
東京カメラ部って東京カレンダーに載せるための写真を撮ってます(加工してます)という位置づけなら何ら違和感ないと思う。なので東京カレンダー部カメラ課とかで良いのでは。
「自分に都合よければフェイクでも全然OKだけど、不都合ならフェイクを理由にキャンセルする」というの、大半の人間(政治家や学者さえも含め)が同じ事をやってるので。その『都合』が人それぞれ違うというだけで。
エスカレーターの話とか分かりやすいけどシンプルに嘘ついてるからでしょ「こんな景色でした」って言い方だけど実際は見えないわけでしょ?CG作品には嘘だとか言わないから最初から写真名乗らなきゃ良いだけ
インスタ映えという言葉が生まれた頃の流行りの構図な感じ。ずっとこれでいけば伝統芸みたいになっていくんかな
「実際にはこの場所のエスカレーターの場所からは東京タワーは見えません」/それは「カメラ部」じゃない。コラージュ部とかお絵かき部。生成AI部。
"それ以前にもう世の中写真も動画もAIで生成される時代なのでみんな過剰反応しすぎ" / むしろそういう時代になったからAI生成への拒否感を経由した上で、CG加工的な技術にも拒否反応が示す層が増えてきた気もする。
「エスカレーターの隙間から見える東京タワーがカッコよすぎた」→「この場所から本画像のように東京タワーを確認することは出来ません」ただのフェイク画像で笑った。AI生成画像と同じカテゴリよね、つまりは
そもそもカメラで撮ってる時点で目に見えるものとは違うからな。でも本来ないものを付け加えるときは説明はしないとな(騙すのが目的ならともかく)
いかにもカメラマニアが撮りそうなウケ狙いのわざとらしい写真
ほんの一瞬でも自分の脳の一部を使って「ここどこ?」って考えさせられるのがイラっとする原因では
最近よく見て引いてる→“行き過ぎたり、現実にないものを合成で作り出して「〇〇が〇〇だった」とか「〇〇が綺麗すぎた」みたいなコメントや、いかにもそれっぽい「マンションポエム」を添えた投稿”
“表現の自由と、誠実さ・説明責任。このバランスが崩れたとき、人は怒るのかもしれません。(AIによる生成)”
写真好きで撮るけど承認欲求に狂わされると純粋に楽しめなるだろうからほぼネットにあげない。 / エスカレーターの元ユーザ、他ポストに「はいはい合成」みたいなポストつけられててこれはこれで最悪…
あんまり補正されると資料写真とか証拠写真とか撮る時に困るんだよな。スマホの自動補正とかやりすぎなんだよ。役に立たないじゃん。映え狙いは好きにすりゃ良いけど、真に受ける人が居てめんどい
写真はもう、映えとかではなく「その景色が見られるところに行った記録」としてしか撮ってないなあ。撮っとかないと15年後20年後に覚えていないということが分かったので。
東京タワーの写真の投稿者、インプレ稼ぎでフェイク画像上げてるゴミみたいな垢だと思ってプロフィール見に行ったら、なんか受賞歴とか書いてあって驚愕した。いずれにしろブロックスパム報告したけど
色弄る程度ならもう何も思わないけど切り貼りしたらもう写真ではないな。生成AIに架空の観光地を紹介された気分。
東京タワーの写真、SNSで流れてきて「こんな構図で撮影できる場所あるんだー」くらいで見たけど合成だったんか!合成なら合成と言わないと…。
ホントに技能のある人が"自己満足でいいや"となって発信が無くなり、技術が無くバズが上手い人ばかりがもてはやされるのは社会の損失。どの業界も同じか。
それってどうなん?とも思うがそれよりも写真というものを神聖視し過ぎなんだよ皆。画像だよ画像、カメラとかを使って画像を作ってるだけだよ。ってもキャプションがちょっと嘘なのはいただけないがな。
写真展で見る作品は作為や加工しているものも多いので、そこ炎上ポイントになるんだ?と驚き。SNSに載せるから?と思ったけどSNSの写真こそ盛ってなんぼだし。
Windows11デフォの風景写真の壁紙。HDRきつめの写真なんだけど時々修正きっついなーと思う写真がある。
東京カメラ部SNS https://tokyocameraclub.com/photos/editors.php を見ると記事の趣旨が分かりやすい。AI生成画像もeditor's choiceになる。
これに騙されてる人はある意味幸せ、みたいな事が最後に書いてあって、まあ結局は承認欲求とマウントの取り合いよね…となった
あれが好きな人も居るんでしょうから総意みたいな何かは探さないほうがいい
↓ブロックするのは好きにすればいいけど、スパム報告は純粋に虚偽報告じゃねと思った
ネガフィルム時代は街の写真屋さんとか現像屋が色調調整とかトリミングしてたんだから、JPEG撮って出し信仰はここ10年くらいの流行りでしかないよ、ペイントソフトで書き込みや削除してなければ別にいいんじゃない
合成したものは写真かという問題はあるにしても、写真も表現手法の一つなので。加工自体はそれこそ白黒写真の頃から焼き込みとかあったわけで。ないものを足したり、消したりは写真としてどうかと思うけど。
青春18きっぷの「前略、僕は日本のどこかにいます」のポスターだって合成なので、現地でどうやっても撮れないからね。でも行って違ってても写真撮りたいとは思わせるのよ https://japan-traveling.net/18/2000winter/
きれいなんだけど写真に奥行きというか人間味がなく薄っぺらく感じる
じゃあ自然なのが良いのかというと地味すぎて見向きもしないくせにな
シンプルに「一般社会における写真」と違うからだよ普通は「素晴らしい瞬間を、光学特性を知り尽くしたセッティングで切り取った」だと思うじゃん
写真はアナログな感覚があるので、加工には抵抗感あるけど、普通は多少レタッチしてるもんなー。捏造じゃなきゃいいんじゃないかしら。
”そのエスカレーターの隙間から東京タワーなんか見えない” 単純な話で、嘘は受け入れられんっちゅーこっちゃな。
認証アカウント同士で馴れ合ってる感じとか、写真界のやしろあずき
著者はどんな感情に突き動かされてるのかしら本家「東京カメラ」も含めた「東京カメラ"風"」(fooooooooo!カゼだね!)がまとめて憎いのかな。それならなぜ炎上しやすいのか?じゃなくて私は嫌いですって素直に言おう!
ゲーム配信で画面よりデカく映ってる配信者をみたときと近い感覚
ああいった写真「東京カメラ部」のジャンルでいいのか。まあ、写真じゃなくて加工イメージだと思えばまあ、アリだと思うが…「写真」のジャンルかと言われれば合成写真はちょっとジャンル変わるもんな。
CGっぽい綺麗なものはAIで作れるようになっちゃったしなぁ
おそらく炎上とか何とも思っていなくて、注目されてPVが稼げればいいと思っているのでは。
関係無いけどlast sceneのポスターを見ると一瞬左の人がひろゆきに見えるんだよね
”先日もiPhoneだけで撮られた下記のショートフィルムを見ていましたが、ボケ境界の不自然さや不自然なトーンに気づくともうストーリーが全く頭に入ってこない始末” 映画用カメラ風ボケ後付けで境界が不自然なのよな
個人的にはLightroom処理までで、Photoshop処理したものは写真ではない何か、というイメージ
スルーしたらいいんじゃね?とのことなんだけど、その写真を一瞬でもいいなと思った俺がバカみたいじゃないかという怒りがあるんだろう。色味のレタッチならともかくガチの嘘はちょっとな
フィルム時代の人間だけど、当時もフィルム選びから露光や現像、焼き方で自分の色を出してたんだからカラグレぐらい可愛いもんだけど合成は違うと思う。それはモンタージュ。
後加工していない撮って出しでも撮影時にレンズやフィルターで加工以上の効果を出してることもあるし、レンズによる歪みを加工で実物に近づけたりすることもある。どこからが嘘なのかは思ってる以上に曖昧。
「表現の自由と、誠実さ・説明責任。」ここに同意。
イラストレーターとフォトグラファーの間を指す言葉があればいいのかな。イラストとも写真とも呼びにくいものってとこで騙された感じがしてしまう。画像自体は魅力的だから滅びてほしい文化でもないのだけども。
“東京カメラ部” ( 東京カメラクラブではない。)
"特にこの写真の例で言うと、実際にはこの場所のエスカレーターの場所からは東京タワーは見えません"この例に関しては批判内容はこれ以上でも以下でも無いと思うが、他の加工とこの件の境界線が分からなくなるのかね
やはりフィルムか。ネオパンSSとかまだ売ってるのかな。トライXの長巻をよく使ったけど、普通のコダカラー100とかエクタクロームとかのカラーがよかった印象がある。
別に加工自体はいいと思うけど、 流石に入れ替えとか削除とかやると それコラ画像の類では?となるよね。 CGクリエイターとしてはありだけど写真とは…
色味や加工より東京を撮った写真でもないのに東京カメラ部ってタグ付けてると変なのって思う、
30年ぐらい前までならそういう認識でもいいと思うけど、今なら周辺機器ソフトウェア込みでそういう表現て思ったほうが気が楽じゃないかね?
たしかに、自分の感覚ではあれはもう写真とは呼びたくないな
“エスカレーターの隙間から見える東京タワーがカッコよすぎた” とか書いたら、"やりすぎ”ではなくて普通に「噓」だよね。悪い事しても、なあなあではっきり指摘しない甘やかし文化が普及してきた気がする。
今は東京カメラ部風とか言って炎上する時代なのか。公式は合成や加工はありというスタンスだった気がするから、なしの人はnot for meでいいと思う。自分は補正はありだけど合成は無し派。境界線はケースバイケースかも
写真というなら書いて字の如くの意味合いを求めるのが通常だろう。現実の眼球と脳が受けた感覚に近づけるとかは勝手にしたらいいけど、無いものが在ったりその逆は眼球か脳に支障があると思ってしまう。
HDRがいまほど当たり前じゃなかった頃HDRをゴリゴリに効かせた写真がバズったり批判されたりしてたね。今回のは嘘が書いてあるのが炎上理由だろうから全然別だけど。
東京カメラ部風は、ボクには猫缶に見えないにゃ。好みが違うと炎上するのにゃ?難しいにゃ!
勝手なイメージだけど、首からストラップでカメラを下げてるような人が使うタグだと思っていた。プロのカメラマンで首からカメラ下げてる人あまりいないよね。
面白かった。加工作品とわかっててこういうの見るのは好きです。東京駅前の水たまりですごい頑張ってるのはまあ飽きた…
本件、エスカレーターの写真に東京タワーが写った夜景を合成するアイデア自体も他人の真似だったところも救いようが無いよな
自分もゴミや雑草、映り込みなんかを後処理で消したりするんで偉そうなこと言えないけど、メイン被写体が他からの合成ってなると加工・修正の範疇を超えて写真とは別のカテゴリーのコラージュ作品な気がする