つまりは緩急をつけるというやつですかね。そのコマや場面がそこに挟まることで少しだけ見る側のリズムが変化して息継ぎみたくなる、と。
ロジャー・イーバートがそんなこと書いていたとは知らなかった。
間
これは重要な指摘かもしれない。
漫画とかだと俯瞰視点から始まったりするが、あれは場所を明示するために必要だから枕ショットとはまた違うのかね。なんなら舞台が現代の地球以外もザラだからまず地球を映したりもする例も多いイメージ。
「いや、たぶんスケジュールが間に合わなかったので尺を稼いだだけだと思う」でちょっと笑った/映画館の回転数に直結するからハリウッドは撮影後の編集工程でギリギリまで尺短縮に全力投球してるイメージはあるな
チェーホフの銃の反例
やっぱり小津の話だった
逆に日本の観客は、(邦画でもあるけど)洋画の説明用のワンショット映像を意識してない人が多いのかもって、感想言い合ってる時に感じたりはする。まぁ他国の客がどうかは知らんけど…
そこで例として小津を出されても。もちろん日本を代表する映画監督だが特徴的な作風の人でもあったからなぁ。
パッと思い浮かんだのがエヴァの電柱だった
「奥さまは魔女」の枕ショット(というかバンクシステム?)である「実は〇〇だったのです」は、日本の漫画で結構使われたと思う
北野武は「お茶カット」と呼んでいた。「旅館について次に何すっかなって時にお茶一服するのとおんなじで、芝居の間に何でもない風景やモノのカットを挟むとリズムが出る」とか言っていた
意味はないと言いつつもそれを挟むと「主人公たちが存在してる世界は今こんな感じとなっております」が分かりそれにより観客に世界観や場の空気を無意識に掴ませられるので効用はデカいと思う
“小津安二郎の映画ではこの「枕ショット」が頻出する。通過する列車はストーリーとは無関係。映画リズムを整えるために映す。邦画で育った世代のマンガ家、島耕作の作者「特になくとも成り立つコマを挟む」”
若い頃にこういうシーンにどんな意味があるのかと疑問に思ったことはあるが日本特有のものと認識したことはなかった。ほんまか?今後は意識してみよう。
『日常』のあれって小津ネタだったのか
火垂るの墓の評で指摘してた奴だな https://www.youtube.com/watch?v=_9WEyuMq0Yk#t=4m36s
でも今の日本のトップ作品はリズムのための枕にも意味を込めるよね。それこそ寂れた様子なんかのカットをフレーム単位でコントロールしてリズムにしてる。
『晩春』の壺を巡っての議論があるがあれが「ただの枕ショットですよ」「お茶カットですよ」という結論だったらおもしろいね。
「枕詞」と「枕ショット」は性質が違いそうだけど面白い着眼。「『晩春』の壺は/近親相姦の暗喩」これは伝統的図像学(例えばグルーズの「壊れた瓶」https://tinyurl.com/25jwfvgpで割れた瓶が喪失を暗示する)起因の誤謬。。
引き伸ばし
これに慣れ過ぎると、せっかく意味のあるショットを挟んだのにその意図を汲み取れない、みたいなことにはならないんだろうか。
あだち充のマンガを連想した。個人的には多用し過ぎな気はするけどあそこまでいくと他で同じ事してもパロディにしか見えなくなりそうう。オリジナルってそういう物なんだろうけど。
捨てカット
冒頭で街の俯瞰が入るのは演出の基本のキ。いつ、どこで、をマクロからミクロに場面転換して情報出すのは基本。ここで説明されている枕とは完全に別物。
漫画で無意味なショットが思い浮かばなかったけど、ブコメのあだち充を見て確かにと思った
いわゆるマンガのムダゴマ?(実は私、枕詞がずっと昔から理解できていない)
ランバラルも枕詞に使えそう
欧米ではクロース・アップからロング・ショットまで人間を基準に映画のショットを区分する。おまけに人物が映っていない画はエンプティ・ショット(小津映画における「枕ショット」とほぼ同義)なんて呼ばれる。
小説でも場面切替したいときに別のシーンを挟むことはある
ちょっと違うけど、メーデー(国内事故)のシリアスな管制塔シーンで、突然ホカホカ白米茶碗のカットがあったの思い出しちゃった
詩でしょう
『ラ・ラ・ランド』はオープニングがエマ・ストーンもゴズリングも歌ってない、話に全然関係ない曲で、でもあの映画の中では一番いい曲だったのですごく面食らったけど
そういう美学だったんですね。「邦画は無駄にだらだら長い」とか思っててゴメンナサイ
YouTubeで岡田斗司夫の「プラダを着た悪魔」の解説見て「そんなに全てのシーン=画面に映ってるモノや方角に意味があるのか!」と驚いたが確かに俺らが「枕」に慣れすぎてて洋画のシーンも意識せずに見ちゃうのかも。
サザエさんでもたまにタマのシーンが出るが、あまり意味はない。
マンガだとあだち充氏や各少女漫画家、ガロ系の漫画家なども『枕コマ』得意ですよね。
アメリカの刑事ドラマとかのお決まりで冒頭に舞台となる都市の空撮から入るやつは意味ないんだろうけどバカっぽくて好き。
"小津安二郎の映画は「枕ショット」が頻出" "全体の構図を整わせる為に挿入された、ある意味ストーリーと無関係なシーン" "Mise-en-scène 画面に映る物が全て何かの意味を持つ を基本とする欧米映画観客を戸惑わせ"
コメ欄〈エスタブリッシング・ショットやカーテン・ショットという言葉があるぐらいだから、海外でも普通にやる〉/前者https://www.synapps.co.jp/terminology-index/establishshot はちょっと違う? 後者は小津論しか出てこない。
つまらない映画見てる時はこのシーンのせいで寝かける事もある
自分もあだち充を思い出した
ハリウッド映画は短い尺に詰め込めるだけの意味を詰め込んだ俳句ってこと?
章の区切りみたいなものでは。ただ俯瞰が全てそうであるわけではない
手塚治虫のどくろ(?)ぶた(?)みたいなやつのコマ、すき。
私は『こち亀』を思い出しました。
あの独特の間が小津映画だと思ってたけど、日本映画全体なのか?小津オマージュじゃなくて?
全てのシーンに意味はある、意味のないカットなどないと言うのが日本の批評家の弁ではなかった?
漫画は最初にそれ描くだけであとは背景あんま細かく描かなくていいという裏ワザになる
「映画」と「枕」の組み合わせで真っ先に不謹慎な意味を想像してしまった
間(ま)の表現かな。外国はこの間の表現がない気がする。洋画は全部意味がある。ないとプロデューサーに切られるからと聞いた。
あだち充の例えわかりやすい。確かにあるわ。謎の水着のコマとか。
外国のひとも本で聖書の一節とか冒頭に書くじゃん、あれちがうの/削っても成立するカットと意味のないカットは違うでよ
子供のころに見たアニメーションも、とっととお話を進めてほしいのに、水の滴りとか煌めきとか、いまとなってはそのショットしか思い出せないが。
枕の下に拳銃を隠しておくみたいなアレかと思った(関係ない
テンポの良い海外ドラマとか見て良いなと思う反対側にある物足りなさはこういう時間なのかも知れない。
状況を説明する描写でもあるからね。あと、人物へのクローズアップが多い為というのもある。洋画みたいに俯瞰で背景も人物もまとめて話に導入しないから。
枕ショット、日本人にはあまりに当たり前すぎて最初ピンとこなかった。アメコミがギチギチで息苦しい感じがするのは、この違いか。
ホームビデオ撮ると、この手のインサートの重要性が分かる。
エスタブリッシング・ショットとごっちゃにしてる人の多いこと多いこと。はてブの人たちは基本的な映像表現ぐらい本で学んだ方がよいのでは。
多くは考え無しの手癖や丸覚えだよ。結果として良いリズムを得られているのや良いものはどうかって具体的に目指してるものがどれだけあるかと考えたら成功例は少しなのかも。あと、観る人を巻き込む効果もあるよ。
朝チュンも枕ショットなのかしら?
そんなこと言ったら、タルコフスキーの『鏡』なんか半分くらい枕で出来てるように思えるが。蓮實重彦『ショットとは何か』を読み返したくなった。
枕ショットって、ボクのお昼寝みたいなものかにゃ?ふかふかの場所でゴロゴロして、みんなを癒してるんだもん!日本映画もボクも、場の空気をまあるくする天才にゃ!
基本、意味のない画というのは挟まないよな。MVなんかだとそういう捨てカットみたいので繋いでることもあるけど
アメリカの「エンタメ映画」には無駄なショットは当然ない。/欧州や他の芸術映画、ドキュメンタリーではシーンをつなぐ「Bロール」とか「印象ショット」は普通にあるだろう。邦画はよくも悪くも非言語的すぎか
枕詞を引き合いに出すなら、「まくら」(冒頭)でないと該当しなくなるとか余計に考えてしまった。言葉選びはともかく、感覚の比較としては興味深かった。
よくわからんけど、アイスランドとかノルウェーとかのドラマとかにもあった気がするけど。海外のは景色がいいw
おもしろいね。少女漫画だとどうだろう。日本の古典と少女漫画って、受け手が重複してたり受け手の感性に共通点があったりしそう。/MVでもある。メインのアイデアと別に表情などを挟むリズム。 https://youtu.be/RDN4awrpPQQ
松本人志ができなかったヤツだ
顔をしわくちゃにして叫ぶシーンも記号化してるよなー笑 制作側はそろそろあれに飽きないのかなと毎日期待してるはー
日本の映画界に枕はあります!!
ちょっと違うけどダレ場理論にも繋がる感じ
エヴァとかカレカノとか、やたらと電柱や変圧器のアップが出てくるのもそうか。
小津の事かなと思ったら小津だった。意味無いかといえばそんなことはないと思うけど、場転カットとは違う、一呼吸おくような、誰もいない廊下とか床の間とか、なんとも好き。早送りで見る人にはサブリミナルだなw
フリーレンのアニメはそういうのかなり多い印象
日本庭園の侘び寂びを連想した。日本人はそういった遊びの部分を大事にするよね。その美意識はどこから来るのだろう。でも広告とかは逆に必要以上にごちゃっとしてるのが好まれるのも謎。
実際の映像見ながら語らないとエスタブリッシングショットとごちゃまぜになるやつ!風で植物が揺れるシーンとかそういうやつかなあ…
そんなん洋画にもよくあるだろ、と思いつつ読んでたら、「洋画のそれは全部小津の影響」という理論だった
脱線してるコメントなども含めて面白い話。
なるほどなあ。昭和ごろのヒットとまでは言えない邦画なんかでよく見る印象がある。小津さんなどと違って唐突感があってむしろ没入感を阻害された覚えがあるので手法だけ真似しても同じ効果は得られないんだろう
あだち充作品みたいな
そして日本の女優には枕営業がある。ホンマかどうかは知らんけど…
面白いな。映画にもリズム・テンポを作り出すコマ割りが入ってるとは、なんて高度。でもJPOPが洋楽を駆逐したよに、日本映画が洋画を駆逐するほどまだ伝わって無いかな。いや、アニメで駆逐はそう事もあるのか...。
BロールとかBリールとかいうのもあるらしい(メインのAロールに対して風景とかなんか別のものを挿入したりする)
日本の近代文学だとあるね。現代文学はキチキチな印象。むかしは紙数の縛りもゆるく自由に書けたのかなあ。
商業作品の話で盛り上がってるとこで言うのは無粋だろうけど、ファウンドフッテージや実験映画はどうすんのよ。ジョナス・メカスやらハンス・リヒターやら、寺山修司とか田名網敬一とか…
NHKのドキュメンタリーにもあるね。ただあれはちょうどいい尺に収めるためと聞いたことある
みんな、映画詳しいんだな。ブコメ含めて面白かった。状況説明や息抜きのためのシーンがあるとは思ってた。
言われてみればあるな \ 押井のダレ場とかもバリエーションか
間ではあるけど、次に来るシーンが一定でなければ枕ショットにはならなくないか。「やったか!?」とか「よし、わかった!」みたいなのは枕ショットかもしれないが
いやアメリカの映画にだっていくらでもあるだろ。
サイレンサー代わりに枕を使うとか言う話ではなかった。
( アニメも。エバンゲリオンとか新海誠作品なんか特にそう )
あだち充が真っ先に思い浮かんだ。
西部劇だって、回転草転がるシーンから入るんじゃ無いの?電車に注目しないで、電車が走る都市部って説明でしょ。たらちねの!
コレは漫画とかでもよく使うけど、ワイが漫画描くときは同じ構図使うのを防いでるだけだが。
https://meleny.zohodesk.com/portal/en/kb/articles/gu%C3%ADa-r%C3%A1pida-c%C3%B3mo-llamar-a-united-airlines-desde-m%C3%A9xico https://meleny.zohodesk.com/portal/en/kb/articles/52-united-telefoo-mexico-c%C3%B3mo-llamar-a-united-airlines-desde-m%C3%A9xico
逆に日本人が外国映画を観る際に枕ショットだと思って見落としてるのもあると思うんだよね。「教皇選挙」の投票会場の破壊された天窓から微風が吹き込むシーンとか明確な意味があったが割と見落としてる人多いよね
″Mise-en-scène(画面に映るものがすべて何かの意味をもつ)を基本とする欧米の映画観客を戸惑わせ、「『晩春』の壺は笠智衆と原節子の近親相姦の暗喩だ」と深読みし過ぎた批評も出てきた″最近のガンダムでも深読み多
私は邦画があんまり好きじゃ無いんだが、テンポが遅く間延びしているからで、同じ意見の人は割といる。怠い。ハリウッドなんてゴリゴリ詰め込んでくるのだよな…
竜田川に三股されていた千早、神代、紅のうち千早は居ないことにされる事案()
ちびまる子ちゃんで言うところの、夜の自宅外観だけのシーンを挟むみたいなことか。
せっかく映像効果が良いのに、邦画って役者の演技のほうの幅が少ないのは勿体ないよなぁ…もっと専門学校で演劇を学んだ俳優が居れば変わるのに。
枕ショット……女がおっさんに料亭に連れていかれて、隣の部屋に枕が二つ並んだ布団が敷いてあるショットかと思ったわ…
逆にアニメは人間が描くものだから、何かしら意味が付与される傾向にあると思ってて、まぁ押井だよね
枕投げの話じゃなかった
北野武の「その男、凶暴につき」では尺が足りなさすぎて歩いてるだけの場面がやたら挿入されてる。まあ、キューブリックの「2001年宇宙の旅」も宇宙船が画面を横切るだけのシーンが無駄に長いんだけどさ
朝チュン🐤/鹿おどしカッコーん!からの悪役料亭密談とか、ベイブリッジ空撮からの高速激走車両or船のシーンとかね。
壺のショット、このスクショだけ見るとすごく不安になるんだがw
枕というより「間」なんでは。良い映画には日本映画でなくとも「間」があるんだよね。ダイパとか言って飛ばしちゃうと分からんところ。
あるバンドのNHKドキュメンタリー見てたら(バンドと全く無関係な)そういうショットが挟まるので感心した覚えがある。
トランジションとして使ってるというか、YouTubeにある動画撮影講座類でも「箸休めに風景画を入れましょう」という紹介をしているのを見るので、「全てに意味がある」映像への窮屈さが根底にありそう。
それなら北野監督も枕ショット多くない?と思ったら、やっぱりブコメにあった。あとヴェンダース監督も多かった気がするけど最も尊敬するのが小津監督だから当たり前か。
ブコメであだち充に言及されていたので思い出したのが、たしか『みゆき』で同じ回の中に空の絵を描いて「青い空」「白い雲」「ああなんという」というのをコマ稼ぎのため繰り返して作者が編集に怒られるのがあった。
映るもの全てに意味を詰め込み、限られた時間内に観客に最大限のストーリーを伝えるってのは、感覚的に娯楽と言うよりプレゼンだな。観客が、必死で意味を汲み取らないといけないのは落ち着かないよ。
画面を引いていく形でシーンが終わる時、ワイは「これを陰から見てる人物がいるって事?」と疑うが、実際は別に何もない、みたいなことがわりとある。
ソフトストーリーものには結構ありそうだが。街の俯瞰シーンはイントロで映画背景を見せる意味あるから違うかな。役割は似てなくもないんだけど。小ネタ入れがちなカットのところに無を入れるような感じ。
Bロール的でもあるかな。
「ちはやふる」は、「壮大な人知を超えた力の息吹が吹き荒れている」みたいな様子をあらわす形容詞として機能してるじゃん
北野武がアシスタントのおばちゃんに、手が空いた時に空とか、その辺の景色とか撮っとけ、と言われていたとか。
ぱっと見は意味のなさそうなシーンのおかげでリズムや緩急がついているような気がするのはわかるかも…!
枕ショットという言葉を見て、枕で寝てる人の視界塞いで拳銃で撃つシーンかと思った。
興味深いが、枕詞に対する理解が浅いか間違ってないか
マンガでいうところの「間」ですかね。状況説明ですらないセリフのないコマ。
単に得意とするタイプの映画の違いとかじゃないのかな。フランスやイタリアの映画とかにも結構ありそうな気がするけど。特に古い映画。
海外小説を読んでいると「この枕ショット長すぎるだろう」というのが結構あるのだが。ホメロス以来の伝統かよ、というぐらいに長い。
京都アニメーションの作品だとらき☆すたとか日常で何度か見た気がするな
あだち充とか?
漫画の捨てゴマとはちょっと違うような気もするけれど
日本の映画って興行的にはアニメのことで、後は無数の叫びまくる映画とマイノリティとして是枝とか濱口がいる感じなので類型化できない感じがございます
この手の「枕ショット」は大抵の国の映画にあるし、また小津のものにしたところで完全に無目的なものではない。少なくとも「芸術」として撮られた作品にはいくらでも見られる。エンタメ作品には不要なだけ。
へー。なんとなく「いいな」って感じるものの裏にはこういう工夫が色々あるのかな。こういう解説を聞くと見方が変わって面白い。一方でノーテンキに見れなくなるとそれもそれで
純粋な「間」~状況説明だけどそれ自体には(ストーリー上の)意味はない~ストーリー上重要な意味を持つ、と、色々なんだろうね。米国の映画は「間」をあまり入れないということか。
へー。
この辺、富野由悠季の「映像の原則」とちょっと整合性なくなる部分があるよな。
落語でもまくらがあるように、日本人はまくらを大事にしてるんだろうな。
そんなに無関係ではないような気がする。歌で言うとラララーのところだろう。
日本の映画にはアメリカ映画などにない『枕詞』ならぬ『枕ショット』があると海外批評家が指摘「国内からは出てこない視点」「アニメや漫画でもあるな」
つまりは緩急をつけるというやつですかね。そのコマや場面がそこに挟まることで少しだけ見る側のリズムが変化して息継ぎみたくなる、と。
ロジャー・イーバートがそんなこと書いていたとは知らなかった。
間
これは重要な指摘かもしれない。
漫画とかだと俯瞰視点から始まったりするが、あれは場所を明示するために必要だから枕ショットとはまた違うのかね。なんなら舞台が現代の地球以外もザラだからまず地球を映したりもする例も多いイメージ。
「いや、たぶんスケジュールが間に合わなかったので尺を稼いだだけだと思う」でちょっと笑った/映画館の回転数に直結するからハリウッドは撮影後の編集工程でギリギリまで尺短縮に全力投球してるイメージはあるな
チェーホフの銃の反例
やっぱり小津の話だった
逆に日本の観客は、(邦画でもあるけど)洋画の説明用のワンショット映像を意識してない人が多いのかもって、感想言い合ってる時に感じたりはする。まぁ他国の客がどうかは知らんけど…
そこで例として小津を出されても。もちろん日本を代表する映画監督だが特徴的な作風の人でもあったからなぁ。
パッと思い浮かんだのがエヴァの電柱だった
「奥さまは魔女」の枕ショット(というかバンクシステム?)である「実は〇〇だったのです」は、日本の漫画で結構使われたと思う
北野武は「お茶カット」と呼んでいた。「旅館について次に何すっかなって時にお茶一服するのとおんなじで、芝居の間に何でもない風景やモノのカットを挟むとリズムが出る」とか言っていた
意味はないと言いつつもそれを挟むと「主人公たちが存在してる世界は今こんな感じとなっております」が分かりそれにより観客に世界観や場の空気を無意識に掴ませられるので効用はデカいと思う
“小津安二郎の映画ではこの「枕ショット」が頻出する。通過する列車はストーリーとは無関係。映画リズムを整えるために映す。邦画で育った世代のマンガ家、島耕作の作者「特になくとも成り立つコマを挟む」”
若い頃にこういうシーンにどんな意味があるのかと疑問に思ったことはあるが日本特有のものと認識したことはなかった。ほんまか?今後は意識してみよう。
『日常』のあれって小津ネタだったのか
火垂るの墓の評で指摘してた奴だな https://www.youtube.com/watch?v=_9WEyuMq0Yk#t=4m36s
でも今の日本のトップ作品はリズムのための枕にも意味を込めるよね。それこそ寂れた様子なんかのカットをフレーム単位でコントロールしてリズムにしてる。
『晩春』の壺を巡っての議論があるがあれが「ただの枕ショットですよ」「お茶カットですよ」という結論だったらおもしろいね。
「枕詞」と「枕ショット」は性質が違いそうだけど面白い着眼。「『晩春』の壺は/近親相姦の暗喩」これは伝統的図像学(例えばグルーズの「壊れた瓶」https://tinyurl.com/25jwfvgpで割れた瓶が喪失を暗示する)起因の誤謬。。
引き伸ばし
これに慣れ過ぎると、せっかく意味のあるショットを挟んだのにその意図を汲み取れない、みたいなことにはならないんだろうか。
あだち充のマンガを連想した。個人的には多用し過ぎな気はするけどあそこまでいくと他で同じ事してもパロディにしか見えなくなりそうう。オリジナルってそういう物なんだろうけど。
捨てカット
冒頭で街の俯瞰が入るのは演出の基本のキ。いつ、どこで、をマクロからミクロに場面転換して情報出すのは基本。ここで説明されている枕とは完全に別物。
漫画で無意味なショットが思い浮かばなかったけど、ブコメのあだち充を見て確かにと思った
いわゆるマンガのムダゴマ?(実は私、枕詞がずっと昔から理解できていない)
ランバラルも枕詞に使えそう
欧米ではクロース・アップからロング・ショットまで人間を基準に映画のショットを区分する。おまけに人物が映っていない画はエンプティ・ショット(小津映画における「枕ショット」とほぼ同義)なんて呼ばれる。
小説でも場面切替したいときに別のシーンを挟むことはある
ちょっと違うけど、メーデー(国内事故)のシリアスな管制塔シーンで、突然ホカホカ白米茶碗のカットがあったの思い出しちゃった
詩でしょう
『ラ・ラ・ランド』はオープニングがエマ・ストーンもゴズリングも歌ってない、話に全然関係ない曲で、でもあの映画の中では一番いい曲だったのですごく面食らったけど
そういう美学だったんですね。「邦画は無駄にだらだら長い」とか思っててゴメンナサイ
YouTubeで岡田斗司夫の「プラダを着た悪魔」の解説見て「そんなに全てのシーン=画面に映ってるモノや方角に意味があるのか!」と驚いたが確かに俺らが「枕」に慣れすぎてて洋画のシーンも意識せずに見ちゃうのかも。
サザエさんでもたまにタマのシーンが出るが、あまり意味はない。
マンガだとあだち充氏や各少女漫画家、ガロ系の漫画家なども『枕コマ』得意ですよね。
アメリカの刑事ドラマとかのお決まりで冒頭に舞台となる都市の空撮から入るやつは意味ないんだろうけどバカっぽくて好き。
"小津安二郎の映画は「枕ショット」が頻出" "全体の構図を整わせる為に挿入された、ある意味ストーリーと無関係なシーン" "Mise-en-scène 画面に映る物が全て何かの意味を持つ を基本とする欧米映画観客を戸惑わせ"
コメ欄〈エスタブリッシング・ショットやカーテン・ショットという言葉があるぐらいだから、海外でも普通にやる〉/前者https://www.synapps.co.jp/terminology-index/establishshot はちょっと違う? 後者は小津論しか出てこない。
つまらない映画見てる時はこのシーンのせいで寝かける事もある
自分もあだち充を思い出した
ハリウッド映画は短い尺に詰め込めるだけの意味を詰め込んだ俳句ってこと?
章の区切りみたいなものでは。ただ俯瞰が全てそうであるわけではない
手塚治虫のどくろ(?)ぶた(?)みたいなやつのコマ、すき。
私は『こち亀』を思い出しました。
あの独特の間が小津映画だと思ってたけど、日本映画全体なのか?小津オマージュじゃなくて?
全てのシーンに意味はある、意味のないカットなどないと言うのが日本の批評家の弁ではなかった?
漫画は最初にそれ描くだけであとは背景あんま細かく描かなくていいという裏ワザになる
「映画」と「枕」の組み合わせで真っ先に不謹慎な意味を想像してしまった
間(ま)の表現かな。外国はこの間の表現がない気がする。洋画は全部意味がある。ないとプロデューサーに切られるからと聞いた。
あだち充の例えわかりやすい。確かにあるわ。謎の水着のコマとか。
外国のひとも本で聖書の一節とか冒頭に書くじゃん、あれちがうの/削っても成立するカットと意味のないカットは違うでよ
子供のころに見たアニメーションも、とっととお話を進めてほしいのに、水の滴りとか煌めきとか、いまとなってはそのショットしか思い出せないが。
枕の下に拳銃を隠しておくみたいなアレかと思った(関係ない
テンポの良い海外ドラマとか見て良いなと思う反対側にある物足りなさはこういう時間なのかも知れない。
状況を説明する描写でもあるからね。あと、人物へのクローズアップが多い為というのもある。洋画みたいに俯瞰で背景も人物もまとめて話に導入しないから。
枕ショット、日本人にはあまりに当たり前すぎて最初ピンとこなかった。アメコミがギチギチで息苦しい感じがするのは、この違いか。
ホームビデオ撮ると、この手のインサートの重要性が分かる。
エスタブリッシング・ショットとごっちゃにしてる人の多いこと多いこと。はてブの人たちは基本的な映像表現ぐらい本で学んだ方がよいのでは。
多くは考え無しの手癖や丸覚えだよ。結果として良いリズムを得られているのや良いものはどうかって具体的に目指してるものがどれだけあるかと考えたら成功例は少しなのかも。あと、観る人を巻き込む効果もあるよ。
朝チュンも枕ショットなのかしら?
そんなこと言ったら、タルコフスキーの『鏡』なんか半分くらい枕で出来てるように思えるが。蓮實重彦『ショットとは何か』を読み返したくなった。
枕ショットって、ボクのお昼寝みたいなものかにゃ?ふかふかの場所でゴロゴロして、みんなを癒してるんだもん!日本映画もボクも、場の空気をまあるくする天才にゃ!
基本、意味のない画というのは挟まないよな。MVなんかだとそういう捨てカットみたいので繋いでることもあるけど
アメリカの「エンタメ映画」には無駄なショットは当然ない。/欧州や他の芸術映画、ドキュメンタリーではシーンをつなぐ「Bロール」とか「印象ショット」は普通にあるだろう。邦画はよくも悪くも非言語的すぎか
枕詞を引き合いに出すなら、「まくら」(冒頭)でないと該当しなくなるとか余計に考えてしまった。言葉選びはともかく、感覚の比較としては興味深かった。
よくわからんけど、アイスランドとかノルウェーとかのドラマとかにもあった気がするけど。海外のは景色がいいw
おもしろいね。少女漫画だとどうだろう。日本の古典と少女漫画って、受け手が重複してたり受け手の感性に共通点があったりしそう。/MVでもある。メインのアイデアと別に表情などを挟むリズム。 https://youtu.be/RDN4awrpPQQ
松本人志ができなかったヤツだ
顔をしわくちゃにして叫ぶシーンも記号化してるよなー笑 制作側はそろそろあれに飽きないのかなと毎日期待してるはー
日本の映画界に枕はあります!!
ちょっと違うけどダレ場理論にも繋がる感じ
エヴァとかカレカノとか、やたらと電柱や変圧器のアップが出てくるのもそうか。
小津の事かなと思ったら小津だった。意味無いかといえばそんなことはないと思うけど、場転カットとは違う、一呼吸おくような、誰もいない廊下とか床の間とか、なんとも好き。早送りで見る人にはサブリミナルだなw
フリーレンのアニメはそういうのかなり多い印象
日本庭園の侘び寂びを連想した。日本人はそういった遊びの部分を大事にするよね。その美意識はどこから来るのだろう。でも広告とかは逆に必要以上にごちゃっとしてるのが好まれるのも謎。
実際の映像見ながら語らないとエスタブリッシングショットとごちゃまぜになるやつ!風で植物が揺れるシーンとかそういうやつかなあ…
そんなん洋画にもよくあるだろ、と思いつつ読んでたら、「洋画のそれは全部小津の影響」という理論だった
脱線してるコメントなども含めて面白い話。
なるほどなあ。昭和ごろのヒットとまでは言えない邦画なんかでよく見る印象がある。小津さんなどと違って唐突感があってむしろ没入感を阻害された覚えがあるので手法だけ真似しても同じ効果は得られないんだろう
あだち充作品みたいな
そして日本の女優には枕営業がある。ホンマかどうかは知らんけど…
面白いな。映画にもリズム・テンポを作り出すコマ割りが入ってるとは、なんて高度。でもJPOPが洋楽を駆逐したよに、日本映画が洋画を駆逐するほどまだ伝わって無いかな。いや、アニメで駆逐はそう事もあるのか...。
BロールとかBリールとかいうのもあるらしい(メインのAロールに対して風景とかなんか別のものを挿入したりする)
日本の近代文学だとあるね。現代文学はキチキチな印象。むかしは紙数の縛りもゆるく自由に書けたのかなあ。
商業作品の話で盛り上がってるとこで言うのは無粋だろうけど、ファウンドフッテージや実験映画はどうすんのよ。ジョナス・メカスやらハンス・リヒターやら、寺山修司とか田名網敬一とか…
NHKのドキュメンタリーにもあるね。ただあれはちょうどいい尺に収めるためと聞いたことある
みんな、映画詳しいんだな。ブコメ含めて面白かった。状況説明や息抜きのためのシーンがあるとは思ってた。
言われてみればあるな \ 押井のダレ場とかもバリエーションか
間ではあるけど、次に来るシーンが一定でなければ枕ショットにはならなくないか。「やったか!?」とか「よし、わかった!」みたいなのは枕ショットかもしれないが
いやアメリカの映画にだっていくらでもあるだろ。
サイレンサー代わりに枕を使うとか言う話ではなかった。
( アニメも。エバンゲリオンとか新海誠作品なんか特にそう )
あだち充が真っ先に思い浮かんだ。
西部劇だって、回転草転がるシーンから入るんじゃ無いの?電車に注目しないで、電車が走る都市部って説明でしょ。たらちねの!
コレは漫画とかでもよく使うけど、ワイが漫画描くときは同じ構図使うのを防いでるだけだが。
https://meleny.zohodesk.com/portal/en/kb/articles/gu%C3%ADa-r%C3%A1pida-c%C3%B3mo-llamar-a-united-airlines-desde-m%C3%A9xico https://meleny.zohodesk.com/portal/en/kb/articles/52-united-telefoo-mexico-c%C3%B3mo-llamar-a-united-airlines-desde-m%C3%A9xico
逆に日本人が外国映画を観る際に枕ショットだと思って見落としてるのもあると思うんだよね。「教皇選挙」の投票会場の破壊された天窓から微風が吹き込むシーンとか明確な意味があったが割と見落としてる人多いよね
″Mise-en-scène(画面に映るものがすべて何かの意味をもつ)を基本とする欧米の映画観客を戸惑わせ、「『晩春』の壺は笠智衆と原節子の近親相姦の暗喩だ」と深読みし過ぎた批評も出てきた″最近のガンダムでも深読み多
私は邦画があんまり好きじゃ無いんだが、テンポが遅く間延びしているからで、同じ意見の人は割といる。怠い。ハリウッドなんてゴリゴリ詰め込んでくるのだよな…
竜田川に三股されていた千早、神代、紅のうち千早は居ないことにされる事案()
ちびまる子ちゃんで言うところの、夜の自宅外観だけのシーンを挟むみたいなことか。
せっかく映像効果が良いのに、邦画って役者の演技のほうの幅が少ないのは勿体ないよなぁ…もっと専門学校で演劇を学んだ俳優が居れば変わるのに。
枕ショット……女がおっさんに料亭に連れていかれて、隣の部屋に枕が二つ並んだ布団が敷いてあるショットかと思ったわ…
逆にアニメは人間が描くものだから、何かしら意味が付与される傾向にあると思ってて、まぁ押井だよね
枕投げの話じゃなかった
北野武の「その男、凶暴につき」では尺が足りなさすぎて歩いてるだけの場面がやたら挿入されてる。まあ、キューブリックの「2001年宇宙の旅」も宇宙船が画面を横切るだけのシーンが無駄に長いんだけどさ
朝チュン🐤/鹿おどしカッコーん!からの悪役料亭密談とか、ベイブリッジ空撮からの高速激走車両or船のシーンとかね。
壺のショット、このスクショだけ見るとすごく不安になるんだがw
枕というより「間」なんでは。良い映画には日本映画でなくとも「間」があるんだよね。ダイパとか言って飛ばしちゃうと分からんところ。
あるバンドのNHKドキュメンタリー見てたら(バンドと全く無関係な)そういうショットが挟まるので感心した覚えがある。
トランジションとして使ってるというか、YouTubeにある動画撮影講座類でも「箸休めに風景画を入れましょう」という紹介をしているのを見るので、「全てに意味がある」映像への窮屈さが根底にありそう。
それなら北野監督も枕ショット多くない?と思ったら、やっぱりブコメにあった。あとヴェンダース監督も多かった気がするけど最も尊敬するのが小津監督だから当たり前か。
ブコメであだち充に言及されていたので思い出したのが、たしか『みゆき』で同じ回の中に空の絵を描いて「青い空」「白い雲」「ああなんという」というのをコマ稼ぎのため繰り返して作者が編集に怒られるのがあった。
映るもの全てに意味を詰め込み、限られた時間内に観客に最大限のストーリーを伝えるってのは、感覚的に娯楽と言うよりプレゼンだな。観客が、必死で意味を汲み取らないといけないのは落ち着かないよ。
画面を引いていく形でシーンが終わる時、ワイは「これを陰から見てる人物がいるって事?」と疑うが、実際は別に何もない、みたいなことがわりとある。
ソフトストーリーものには結構ありそうだが。街の俯瞰シーンはイントロで映画背景を見せる意味あるから違うかな。役割は似てなくもないんだけど。小ネタ入れがちなカットのところに無を入れるような感じ。
Bロール的でもあるかな。
「ちはやふる」は、「壮大な人知を超えた力の息吹が吹き荒れている」みたいな様子をあらわす形容詞として機能してるじゃん
北野武がアシスタントのおばちゃんに、手が空いた時に空とか、その辺の景色とか撮っとけ、と言われていたとか。
ぱっと見は意味のなさそうなシーンのおかげでリズムや緩急がついているような気がするのはわかるかも…!
枕ショットという言葉を見て、枕で寝てる人の視界塞いで拳銃で撃つシーンかと思った。
興味深いが、枕詞に対する理解が浅いか間違ってないか
マンガでいうところの「間」ですかね。状況説明ですらないセリフのないコマ。
単に得意とするタイプの映画の違いとかじゃないのかな。フランスやイタリアの映画とかにも結構ありそうな気がするけど。特に古い映画。
海外小説を読んでいると「この枕ショット長すぎるだろう」というのが結構あるのだが。ホメロス以来の伝統かよ、というぐらいに長い。
京都アニメーションの作品だとらき☆すたとか日常で何度か見た気がするな
あだち充とか?
漫画の捨てゴマとはちょっと違うような気もするけれど
日本の映画って興行的にはアニメのことで、後は無数の叫びまくる映画とマイノリティとして是枝とか濱口がいる感じなので類型化できない感じがございます
この手の「枕ショット」は大抵の国の映画にあるし、また小津のものにしたところで完全に無目的なものではない。少なくとも「芸術」として撮られた作品にはいくらでも見られる。エンタメ作品には不要なだけ。
へー。なんとなく「いいな」って感じるものの裏にはこういう工夫が色々あるのかな。こういう解説を聞くと見方が変わって面白い。一方でノーテンキに見れなくなるとそれもそれで
純粋な「間」~状況説明だけどそれ自体には(ストーリー上の)意味はない~ストーリー上重要な意味を持つ、と、色々なんだろうね。米国の映画は「間」をあまり入れないということか。
へー。
この辺、富野由悠季の「映像の原則」とちょっと整合性なくなる部分があるよな。
落語でもまくらがあるように、日本人はまくらを大事にしてるんだろうな。
そんなに無関係ではないような気がする。歌で言うとラララーのところだろう。