体育は授業という割に見様見真似でやらせるもんだから怪我しやすいしさせやすい。授業教師の頭にボールがあたって長期休職とかあった。/山田じぇみ子さんじゃん。
日本は体育がある+人口が多いおかげで多数のスポーツでメダル取れる国だけど、負の面ももちろんある。NZみたいに今後否応なく学校での運動機会は減り外部任せになっていくし、国として得意なスポーツは減っていく。
体育は跳び箱が嫌いだった
中学の時は体育が嫌いだったけど、高校の体育の授業が自由かつ他者を尊重する感じで身体を動かすのが好きになった。今思うと、教師の問題というより生徒の民度の方が大きいんじゃないかという気もする。
体育って競争のためのスポーツをするのではなく、健康維持のための運動に特化して国の医療費削減効果が期待できるものにすればいいのに。
スポーツが嫌いなのではなくスポーツマンが嫌い。
なぜか大人になると運動したくなるんだよね。
自分もまったく同じパターンで。動く物と書いて動物なんだから、そもそも身体を動かす快感は本能として埋め込まれていると思う。体育を楽しいものとしてデザインしなおすことが必要なんじゃないかな。
体育の教育学部での研究ってどうなってるんだろ?
大人になってみると体育の授業ってあらゆるスポーツの体験の場で、そこから合うものに出会ういい機会だったのだろうけど、合わない、苦手なものでも到達目標が定められちゃうから嫌いだったんだろうな、と。
体育というか体育教師が嫌い、という話もよく聞くね。
コンプライアンスがうるさくなりました。と言いつつ運動神経が悪い人を嘲笑する映像を流すテレビが諸悪の根源。
これかと思ったけど筋トレもランニングも嫌いだし単に体を動かすことが嫌いだと気付いた
数学や国語などの他の学習も、学校の授業は嫌だったけど大人になってから学び直すと楽しいって人は多いしな。
体育の授業が、運痴にはイジメ同様なのがね。他の科目同様レベル別にして、下手くそでも笑われない、適切な指導で少しでも上達させられる授業になれば良いのだけど。そもそも試験とかいらないし。
学校の授業なんてどれもみんなうっすら嫌いなのに、体育だけは「私を楽しませろ!」スタンスになる人がいるのなに
またこの話題か…音読が嫌いな奴は相当いるだろうし、黒板の前で答えを書けずに固まっていた奴も居たと思うけどな…
スポーツという言葉に括られて語られがちだけど、運動、体育、競技って別々の要因だよね
何万回同じ話を繰り返すのか。結局は学校での集団生活ができない人間ってことで現代では病気扱いされる。
体育って文字通り体を育てる時間だよな。走り回ってガス抜きさせないとおかしくなるんじゃない?
なんであれ、強制されてやる事は普通嫌いである。勉強が好きな奴は「自分で勝手に勉強している」し、運動が好きな奴は「自分で勝手に運動している」。
授業でやらされると趣味でやるのとが違うのは当然で、得意科目でもなきゃそんな物だろう。歴史苦手だったけどドラマから好きになったとか、英語つまらなかったけど英会話教室は楽しいとか。
そんなん体育に限らずそうじゃね?算数も国語も音楽も美術も全部嫌いだったよ。でも音楽は金払って聞くし、本も金払って読む。
私は運動が嫌いです
昔から散々言われているよなあ。PS版の玲音も言ってた。
学校とは強制的に知識や技能をガキに埋め込む装置なので、大半の教科はうっすら人を不快にさせる。とはいえ、体育や音楽は謎には楽しいもの・べきものという刷り込みがある。体育は晒し者成分があるから余計にな…
この話題、擦られるペース早すぎん??それだけ恨みを持ってる人が多いってことなんだろうな
晒し者感があるからかしらね。まあ算数にせよ社会にせよ体育にせよ、義務教育は「勉強の仕方」を学ぶとこだから、自分で探求するときに初めて意味を知るのかもね。的なことをさだまさしがいってた。
まあ勉強も一緒だよね。ワシは子供の頃英語の授業がイヤでサボってたし、英語が嫌いなんだと思って避けてきたけど、今になって自分で高い金払って社会人留学に行くよ
体育が嫌いはありそう。教えるのが下手、とか個別指導するリソースが無い、とか?
わかる。自分のペースで体を動かすのは嫌いじゃないけど体育は苦手だったなー。球技とかは特に苦手で…
別につまらなくても最新の正しい走り方やストレッチとか効率のいい体力の付け方とか教育効果が高ければいいと思うが、実際は「全員一律で何キロ走れ。走り方は教えないが」みたいなやつだからゴミなのよ
レベルに差がありすぎるとスポーツでもゲームでもつまらなくなる。同じレベル同士で争うと意外と楽しかったりする。
このネタばかり擦りすぎだ。下手くそとやらされるのも気を使うからしんどいし、レベチ相手に戦わされるのも理不尽だし、英語、数学、体育を能力別クラスに分けるのが良いのではないか。
定期的に上がるヤツ、大人になってからジムや登山、自転車、マラソンなど色々やるようになったし、周りもそういう人多い
他の科目だと教師がその教科を好きになってもらおうと試行錯誤してる感あるが、体育教師だけはそういうのあまり感じなかったなぁ。皆好きで当たり前スタンスを疑いもしない。酷いと嫌いな人に不機嫌になる。
一輪車とかヨガとかピラティスとか好きだけど体育のカリキュラムにないし
他の授業も嫌だったろって反応があるけど、体育は軽いトラウマになるくらい特別に嫌だったんだと思うよ。
大人になってからは気持ちよく運動できてるなと感じるが、それはやりたくない運動をやってないからだとも思う。剣道とか器械体操とか野球とかバレーとかバスケとかサッカーとかダンスとか一輪車とかハードルとか高跳
競技やらせるならルールガイドと観戦ガイドはやったほうがいいと思うんだけどなー スポーツって、最低限ルール知らないとできないし、見るのも重要な側面のはずなのに学校でやった覚えないもの
「やらされる教科なんてどれもそんなもん」という意見もあるけど、うっすらどころか強烈なトラウマ体験とか、それで恨みすら持つ人もけっこういる教科なんてなっかなかないよ
体育に限らず、学校の教科の好き嫌いってその科目自体よりも担当教師や授業内容の影響の方が大きいからね。苦手な先生だから苦手な科目と勘違いしやすい。
悪のインターネット「体育の授業で笑い者にされ続けてきた、今まで威張り続けてきたアスリート様に対してやり返す機会があるならそれを活用したいと思うのが人情。ざまあみろ!」https://anond.hatelabo.jp/20210724221607
高校の物理の教師がクソで物理が嫌い、電気回路意味わからないって思って会社で仕事して「電気回路面白い!」ってなったので、人ややり方でだいぶ変わる感じがする。
そりゃ筋トレとか草野球とか草サッカーとかは楽しいに決まってるんだけど、体育の大部分はよくわからないできない技のマット運動とかさせられるから嫌なんだと思う。
体育って説明不足だったと思うんだよな。どういうトレーニングをするとどういった能力が伸びるとか、球技にしてもどういう駆け引きがあってどんな作戦が良いみたいな頭を使う要素があればもっと違ったと思ってる。
運動が得意でもないし、好きな競技があるわけでもないので部活には入らなかったが、ほどほどに体を動かせる体育は結構好きだった。気分転換になるというか。
他の授業はちゃんと教えてくれるが体育は本当に何も教えてくれないのよね。そして出来る奴らに散々怒鳴られ馬鹿にされ。授業中に出来ないやつをなじって馬鹿にする授業が他にあるのかと
先生が教科書を無視する教科(体育、美術、音楽)は苦手でした。運動、お絵描き、楽器弾くのは好きなのに。
高校時代に数学の成績が悪かったけど、後になって見たTV番組「たけしのコマ大数学科」で出た問題は普通に解き方を思いつけたので、学校の数学の定期テストが苦手だったと気付いた。学校が苦手意識を作ってるのはある
競技性ばかり槍玉にあがるが、それ除いたら見飽きた校庭か体育館で基礎トレばかり。楽しめる人はごく僅かだろう。でも公園では走り回っていた。何ら変わっていない。行ける場所が増えただけ。
センスあるじゃん。俺なんて大人になってからリングフィットやったりフィットボクシングやったりしてわかったけど純粋に身体動かしたくなかったわ
「運動」は本来楽しいものなんだけど、そこに「競技」を持ち込んじゃうと勝てる人しか好きになれない。勝ち負けが嫌いな人はかなりいる
これサッカー部とバスケ部のせいなんすよ。卓球部のせいで体育の卓球が嫌になる人いないでしょ。ちなみに野球部はソフトボールとかいう野球のヴァリアントしか活躍の場が用意されてないので謙虚なもんですよ。
あと、体育教師の無能さもあるよね。
共学はいいぞ
小中学生の体育、他の授業よりも運動神経悪いことで周りに馬鹿にされがちなのも嫌いになる原因かもと思った。
学校の勉強もかなりイヤだったなあ
強制されるから嫌いって意見はなんか違うなあ。
体育で「できない子」をできるように教えてたのって逆上がりくらいしか記憶にないな。今は改善されてるのかな?
学校の体育は他人と競争させて優劣をつける内容だから身体能力が低いのに負けず嫌いな性格の人には合わんやろうな。
運動好きだけど体育嫌いだったし、音楽系部活で、大人になってもがっつり音楽活動やってるけど、音楽の授業は大嫌いだった。
昭和の時代は 全員ができるまでやり直し、とかそういうスタイルでしたね。教師も学業優秀な子がなかなかできないのをみて嫌がらせ?していたり。
要するにやりたいタイミングでやりたいことしかやりたくないと
体育を嫌うのはまあ理解できるけど、その恨みで運動できる人を嫌うのは勘弁してほしい。こっちはやってみたら勝手にできただけで非はないんだから。
学校が嫌いってのが根底にあるから、たいくのある日は俄然行きたくないし、わかめの酢の物の日は熱出そうってなっちゃうね。
保健的概念というよりは、富国強兵のための鍛練的体育が色濃く残っているからなぁ。でも体力づくりには貢献していた面は否めない。
やる気があるものとそうでないものの違い以上のことは汲み取れないかなぁ。個人か団体かの違いとか。
部活も含めて学校の授業全般、切磋琢磨と称して競争させすぎてんのよね。今は少子化で少しは改善されてるのかもだけど。子供に勝負にならないくらいのレベル差つけると成長どころか折れるだけ。
運動も苦手だし、対面の対戦も苦手。目の前の人に対して「勝とう」って(健全としても)気持ちを出せないし、それを剥き出しにされると500mくらい引く。子供のそれなんて敵意と変わらんし。だからゲームも嫌い。
これ系の話、何度も目にするし体育のやり方が微妙というのもわかるけど、そもそも体育と運動が違うのは当然では。大人になってできることだけするのはそりゃあ楽しいよ。
潜在的な運動好きでも体育によって運動嫌いになる人が相当数いるというのは確かに問題あるし、可能なら改善すべきだろう。その際、自分みたいな根っからの運動嫌いは対象にする必要ないが。
ブコメで定期的に上がってくるやつ。球技全般が無理だし、徒競走はビリだったし、団体競技ではチームに嫌がられるし。目に見えて不出来なのがわかるし、迷惑をかけるし最悪。他の教科とは違うよ。
宵越しの負の感情は持たないので好きだったか嫌いだったかすら忘れた
体育って日本の教員のクズさ加減を凝縮した観があるからな。一旦廃止した方がいいんじゃない?それぐらい酷かったよ。
体育教師とかいう教師でありながら何も教えない唯一の存在
他の授業はほぼ個人戦しかないが、体育だけすぐに団体競技になるのがダメだよなあ。その点では音楽も近いのかもしれんけど、音楽は小学校だけしかなかったので比較的マシ
体育の特殊な点はチームの足を引っ張ることで存在しない方が良い子供を作り出すこと。いわゆるお勉強ではクラスメイトの成績が悪くても迷惑ではないし平均点が下がってくれて助かるまである
私は公平無私を極めているので、他の科目も全部嫌いだが?
気を付けとか前へ倣えとか軍隊由来でこの教科やっぱ特殊では。戦後GHQに禁止されてたのにその後復活させてるし。https://mag.japaaan.com/archives/179111/2
体育の授業があったから「信じられるか?この私にも逆上がりや跳び箱、バレーボール、ハードル走、遠泳をやってのけた時代があるんだぜ…」と思える。
団体競技が多いけど、私は運動神経が鈍いので、負けたらチームがなんとも言えない空気になるのがいたたまれなくて体育の授業嫌いだったな。
客としてやる趣味がもっとも気楽だってのはそうだろうなあ
マラソンや水泳のフォームをちゃんと教えてくれた体育教師もいたがほとんどは単に生徒にやらせるだけだったな
オレもアニメや萌え絵がキライなわけではなくアニオタがキライなだけかもw
学校でやる運動は誰かに不出来を馬鹿にされたり、チーム競技で足を引っ張ったせいで恥を感じることも多かったけど、大人になってからはそういうことがほぼないからね。自尊心が傷つくものはみんな嫌いでしょう。
体育や美術・音楽の授業が文句言われるのは、理論的・学術的・体系的な教育をしてなかったから。馬鹿・無能に強制的に時間を無駄に潰されて文句を言うのは当然。
もう一歩すすめて「体育教師が嫌い」もあるかなと思ってる。個人的な経験だと体育科の教員は人格者とクズに二極化してたけど、人格者の時の体育は楽しかったし、クズの時の体育はクソだった
ごちゃごちゃ理由つけて正当化してるけど、こいつらは「嫌いだから」「サボってた」って自白してるじゃん。身体的な理由や耐えがたい苦痛を感じる事情があって参加出来なかった人に迷惑かかるから黙ってほしい
スポーツジムのグループレッスンが嫌すぎてやっぱりこういうのはダメだと再認識したことがある。
やりたい運動だけ自由にやるのと授業として指定された運動をするのとでは当然モチベーションも変わる
「いい大人になっても子どもの頃は体育が嫌だったってネチネチ書き込んで盛り上がってる人達が嫌い」だった話
この感覚はすげーわかる!「運動神経悪い芸人」も見てて笑えないし。測定で優劣決めて、みんなでできないやつをクスクス笑うというのがスポーツの本質から大きくズレてる。
わかる。「過度な比較で劣等感を植え付けられる」これが問題。
最大の問題は筋肉痛。痛みに耐えながら通学しなければならないのがな。社会人は土曜日に運動すればいいし、疲れていれば無理する必要はない
全く同意見だけど、東日本大震災のとき友達が30階もあるビルからなんの混乱もなく整然と避難できた話を聞いて、学校体育の軍隊式教育がなければ不可能だったかもと思ったのも事実
あんまり好きではなかったけど大人になると「授業あるあるネタ」は体育が一番盛り上がる 地域性とか出るし
ちなみに今の体育というか学校教育って自分らの頃とは別物ってくらい格段に良くなってるよ。
運動は得意ではなかったけど体育全般が嫌いとかはなかったな。体育の水泳の授業とか好きだったし今も嫌いじゃない。走るのが好きじゃないし大人になってもそう。
羨ましいな、俺は根っから「体を動かすのが嫌い」。前世は肉食獣だったんだろう。まあ普通に「苦手なこと・強制されて嫌々やらされること」は大多数の人間は嫌いになるもんだよ。江戸時代は数学が娯楽だったんだぜ?
小1の3月生まれと4月生まれを一緒くたにして競わせるとか正気の沙汰じゃないだろ。跳び箱も飛べない、チームゲームでも活躍できない、大縄跳びで失敗して戦犯、子どもの自尊感情をズタズタにするには十分すぎる。
「生涯スポーツ」観点で練習ノートとか各競技のフォームの習得とか(による個々人の上達)を重視する先生に当たり続けたため、べつに普通に授業だった。/たまに代理の先生とかは軍隊ぽくて嫌だった。
自分も身体を動かすのは好きだけど「部活が嫌い」なタイプだった。で、個人的にトレーニングを積み重ね、体育の時間の長距離走で陸上部やサッカー部をぶっちぎり「ざまぁ」って顔する陰湿な性格…
この長寿社会、運動をしないと疾病になるんだから、他の教科の好き嫌いと同列にしないでほしい 音楽無くても生きられるが運動不足は死ぬ 食事や睡眠ぐらい学校で運動を好きにさせないと駄目なんだよ
体育教師が「適当にチーム組んでバスケでもしてろや?」と放置してた体育は楽しかったけど「ドリブルの練習とシュートの練習を並んで順番に行ってください」みたいなやつは死ぬほど嫌いだった
体育教師がヤクザみたいだったのも嫌だったな。おかげで治安は保たれたんだけどさ。
ヒャダインの本当いいエッセイだったよね https://www.jiji.com/sp/v8?id=202502taiiku-team
長女が公立の保育園に通ってるけど週に1度外部の先生が来て体の動かし方から教えてくれる体操教室をやってくれてる。これからは体育好きな子増えていくんじゃないかな
いわゆる「運動神経が良い」人が何もせずに生まれつき出来ていると思いすぎだよな。小学生低学年でもそこそこ動けるのは、小さい時から親や兄弟とキャッチボールしたりボール蹴ったりと段階を積んでいる。
運動が嫌いなのではなく、運動をするまでの準備と後片付けが嫌い勢。風呂と一緒(湯船に浸かるのだけなら好き)
せめて中学生までは、子どもの体育評価は、クラス内の相対評価ではなく、子ども個々人の成長率…過去の自分との比較で評価してやって欲しい。とは、幼少の頃から普通に考えていた。成長偽装で手抜きにもその手は一度
実は勉強が嫌いなんじゃなくて「授業が嫌い」だったのだろうか?
小中学校を通じて一度もこじらせていない奴だけいいねを投げなさい。嫌いの原因の半分は体育の先生だが残りの半分は自分自身だろ。過去の自分を綺麗でで無垢な子どもに改竄すんなよ。
「怪我したり、下手すると死ぬ危険性がある」「おおよそ5人単位で走ったり、跳び箱を飛ばされたりする都合上、他の順番待ちしている大勢の生徒の目にとまることになり、運動が下手だとかなり苦痛」この辺が嫌い。
個人競技は珍妙な動きで笑い者にされ、団体競技はチームの足を引っ張る敵として責められる
日本史の授業の歴史年表や人名の暗記とかは嫌いだったけど、歴史小説や歴史を題材としたゲームは好きなんていうのはよくある話だしな。
徒競走で足が遅いとかは別にいいんだけど、球技の団体ものは自分が足を引っ張ってる気がするのが嫌だった。
文化部でも歌唱や演奏系は体力必要だから体育とは違う意味でフィジカルが必要
同じような理由で俺は美術が嫌いだが?
なんかよい中年のいま体育の授業ずっと出てなくてやばいどうしようという夢を時々みる。実際はそこまで嫌いではなかったはずなのだが深層心理ではそうではなかったのか…
体育が嫌いで数学は必ず擁護されるの、はてブって感じがする
運動自体は良いことだし、体力維持や向上には必須だと考える。おそらく多くの人が身体の動かし方だとか競技のルールや上達方法の説明という「体育」を受けたことがなく、マジで体育教師って何やってんの?と思う
富国強兵軍国教育と人権無視の大量生産集団教育のハイブリッドだからそりゃそうよ それでね、これミキプルーンの苗木
Togetter兼Posfile三大ブクマ。(1)仕事が出来るけど性格キツい人より、仕事はそこそこでも人格が良い人と働きたい。(2)男と女のどちらが損してるか。(3)運動ではなく体育が嫌いだった。あと一つは?
そう言えば音楽も特に好きではなかったが、DTMでボカロを歌わせている
子どもはだいたい直近の主観しか持ってないので、指図されてやるのはなんでも嫌いだよね。
“大人になって、筋トレしたりピラティスしたりボクシングしてみたりお金を支払って時間を作って運動してる” すごい。体育の授業は別に嫌いではなかったけど、今、なーーんもやってない。清く正しい運動嫌いだ!
レジスタンストレーニングそのものが長らく軽視されてたから。「競技動作をしていれば必要な身体になっていく」って考えが第一線のスポーツですら根強かったじゃん。メジャーになったの多分最速で2016年頃だよ
そろそろ「勉強が嫌いだった」ってポストがはてぶの上位に入っていい。はてなーはスポーツに親を殺された、陰キャいじめられっ子の引きこもりなので、みんな食いつくけど。
授業の参加を矯正とか捉えている人の多さにびっくり。スポーツだって、体育や部活があるからこそ、家庭の金銭面の問題をある程度超えて、様々なスポーツにふれることができるのに。
わたしも体育の授業は大嫌いだったけど、体育教師だけが叩かれるネットの風潮にはウンザリしてる。どの教科もそうでしょ
「子供の頃は運動が嫌い」だったけど「今は運動が好き」っていう考えに至らないのは学校に恨みでもあるんだろうか。
体育の授業もさることながら、クラスの人たちの態度がもう無理だった(体育2のできない勢なので迫害された)。今はカバディという謎スポーツをやれてるし、斧投げれるし、筋トレも一通りわかるし、泳げるようにもなった
高校時代、バレーボールでチーム分けするとき、スポーツ得意なやつが順番に選んでいくのよ。球技苦手だったので最後まで選ばれず残る屈辱、今でも忘れない。社会人になってから始めたスポーツはどれも楽しかったな
俺も小学校の教師してた時、体育の授業嫌だったなー。ホント嫌だった。なくて良いよ。
大学の体育で、バレー専門の先生で技術や全日本チームのこぼれ話教えてくれたり、楽しかったのに、体育館建て替えで、翌年その先生がソフトボール担当になったら、そこらでやっとけーって投げやりで笑った
学校の授業なんて自分で楽しさ見出さなきゃ楽しくはならんで?そういう意味では保健体育はめちゃ好きだった。身体のことを知れるのはすごい楽しかったんだけど、あれで高得点取るとエロだと囃されるんだよな〜。
学校が会社が社会がと外圧に過敏に反応したりそれに共感したりが目立つようになった気がするけど、大変だなあ。鈍感でよかった。
小学生時代、体育(特に球技や柔道等)も勉強(座学嫌い。実技系は好き)も嫌いで、ほぼ給食とプールの為に学校行ってました。
体育も運動も嫌いでした。
俺は嫌いじゃなかったな。陸上の800~2000mや駅伝の選手に選ばれた時には「なんでバスケ部の俺が?」って毎回思っていたが、大会の数週間前から自主練習するくらいの責任感はあった。あの頃の俺…立派やったなぁ(涙)
体育嫌いだったボク、実は体育"が"嫌いだっただけなのにゃ!人生損した気分にゃ!
俺も作文が嫌いだと思い込んでたな。修正や否定しかない作業に面白さなんか感じようがない
歳とって身体動かすと、体育って「自分の身体能力を把握する学習」だとわかるんだが、学校で習う体育は「人間関係を刷り込む授業」になってしまっている
ソロプレイとチームプレイの得手不得手も関係ある気がする。学校の体育や運動会でやるのはチームプレイが多いし、柔道や体操などの個人競技でも団体戦があったりする。体育嫌いはソロプレイヤーが多いと思う。
この手の論って、体育は嫌いだが、運動が好きで友達と駆けずり回ってた様なエピソードが一つもでてこないので、昔は運動自体嫌いで今は必要に迫られて運動し始めてるんだろうなーって思ってる。
他人と比較・評価されることと競争が好きじゃない人が多いんだろうな。競争は、自分が勝てるなら好きな人は多いかな?でも比較・評価されるのは、自分の方が優れてると言われる場合でも嫌がる人が多い感触がある。
https://www.historycouncilvic.org.au/coinbasehelpcenter/how_to_get_a_human_on_coinbase_urgent_assistance
ビートセイバー楽しい。ゲーム性があまりないのが却ってよい。もっとああいうのないかなと探してるけど、ないんよな。
なんなら特定の体育教師が嫌いだった。やる気ないからテキトーにやる→やる気のないのがモロバレ→ますます嫌われるの悪循環
体育の内容が時代錯誤なんだよな。大人になっても自分のペースで運動が続けられる技術を学ぶ科目にすべきだと思う。競争は勝手に争え形式でやらせとけばいい
はてなーの運動ヘイト見るのもう飽きたわ。教育なんて本質的に強制だよ。体育を子供に好きにやらせてたら、大人になって緊急時とかロクに走れないぞ。馬や犬の馴致をかわいそうとか言うのと一緒で、くだらねえわ
「大人になって」たいていのことは、青年期はまだ発達してなかったが中年期になって発達が進んだから、で概ね説明がつく
首もげるほど首肯
ザーコザーコ
https://hdp-usa-prod-app-pgh-engage-file.s3.us-west-1.amazonaws.com/Doescoinbasehaveliveagents.pdf
他の科目も一緒。違うのは、ほかの科目は大人になったら使わないので、こういうことを感じる機会がない
体育て幅広すぎ。ダンスも短距離走も球技も柔道も体育。
まぁでも大人になってもあんなに走れなかったマラソンが、スロージョギングでキツくなく走れたら「あの辛かったんなんやったん??」ってなったので気持ちはわかる。(またこの話題か、もわかるよ)
“体育は教えもせずに結果を求める”確かに!!!いやまあ俺は体育好きだったけどさ。考えてみれば基礎訓練とか理論なんて一切やらなかったよなあ。なにかというとゲーム、競技ばかり。
授業は「評価」がつきものだからね。みんなより動きが良ければ、好きになったかもしれない。
体育も嫌いだけど、体育やら部活でイキるやつらも嫌だったなぁ。でもああいう手合いの方が、総体とのしての人生が幸福なんだろうなぁ。くたばれ
体育は楽しいのもあったが嫌なのもあった
競争が嫌だったなぁ。個人競技でランク付け、チーム対抗で勝ち負け、だから体育もだが合唱も嫌だった。時間までグラウンドぐるぐる歩くだけとかなら好きだったのにな
自分のせいでクラスメイトに嫌な思いをさせる科目って体育以外あるの?
体育の授業はトレーニングと測定だけにして運動競技は教えないようにすれば、皆公平につまらなくなるので良いのではないか。総花的にあれこれ細切れに運動競技するよりも体力は付くと思うしw
その延長で運動は好きだけど、部活が嫌いもある。
万年補欠の野球部員が体育で野球することになったときだけひどく偉ぶっていて…最早社会の闇を感じるレベルだった…乞食になることを志すなら周囲からどう見られるか常に意識しないとね
私は子供の頃体育の授業が嫌いで、パーソナルジムで鍛えたりもしたけど、私は運動そのものが嫌いなんだと気づいた。
自分は体力もなく球技もからっきし才能なかったけど、体育は好きだったなあ。ずっと机に座ってるより頭がスッキリする気がした。周りの友人たちにも恵まれたのかも。体育の教師はクソだったけど。
組体操が嫌だったな。どうせ強制するならアメリカのNFLみたいに高卒とともに数10億円稼げる競技にしてほしい
自分は少なくとも「嫌い」と「サボる」が結び付かないので、サボるのを正当化する口実を見つけたかっただけに見える。サボりたいときにサボると開き直ったほうがまだ潔いのでは。
学校は全部強制だけど…、勉強は個人、体育は集団。勉強はみんな嫌い、体育は嫌いな人が少数派。ちなみに美術は個人・好き嫌い比率は不明、音楽は集団で嫌いな人がやや多数派
この話、定期的(定期的とは言ってない)に出てくるよね。
大人になっても、学校の体育のように運動能力がバラバラの多数を固定メンバーとして混ざってやり続けるのは嫌な場合が多いのでは?習い事のプールや体操は少人数な上に級でわけるよね。
私も体育の授業は、怒鳴られたりビンタされたりで、トラウマしかないわー。スポクラでプールで泳ぐのは最高に楽しかった
体育って大変だもんね
体育にはイヤな思い出しかない。今、ひとりで楽しめる登山やランニングをやってるが、こんなに身体を動かすことが好きだったと気付いたよ。
それな。俺も学校卒業してからのほうが自主的に運動するようになった。
あれ?俺、これ見たことある。タイムリープしているっぽい。5周目ぐらいか?
団体行動が嫌い。。サッカーとか連帯責任になってイジられるのが嫌い。
体育は嫌いだったけど、海水浴や公園のアスレチック、スキー、山登りは好きだったから運動嫌いというレッテルを自分で自分に貼るのは断固拒否した。
まーた始まった。
小学生くらいの頃は水泳が嫌いだったけど、大人になってジムのプールの教室で四泳法をコーチから習ったら泳げるようになって楽しかった。成長している実感が必要なのだと思う。
むしろ体育のサッカーやマラソンは楽しくて好きだったが大人になったら筋トレレベルですら運動しなくなった勢
まーたネットの体育嫌いの話だよ。何回擦るんだこれ
未熟で不安定な子どもから大人になって楽しめるようになっただけ
子供の頃、体育の授業がすごくイヤで「私は運動が嫌いなんだ」と思い、文化部に入り体育はたまにサボって過ごしていたが、実は運動が嫌いなんじゃなくて「体育が嫌い」だった話
体育は授業という割に見様見真似でやらせるもんだから怪我しやすいしさせやすい。授業教師の頭にボールがあたって長期休職とかあった。/山田じぇみ子さんじゃん。
日本は体育がある+人口が多いおかげで多数のスポーツでメダル取れる国だけど、負の面ももちろんある。NZみたいに今後否応なく学校での運動機会は減り外部任せになっていくし、国として得意なスポーツは減っていく。
体育は跳び箱が嫌いだった
中学の時は体育が嫌いだったけど、高校の体育の授業が自由かつ他者を尊重する感じで身体を動かすのが好きになった。今思うと、教師の問題というより生徒の民度の方が大きいんじゃないかという気もする。
体育って競争のためのスポーツをするのではなく、健康維持のための運動に特化して国の医療費削減効果が期待できるものにすればいいのに。
スポーツが嫌いなのではなくスポーツマンが嫌い。
なぜか大人になると運動したくなるんだよね。
自分もまったく同じパターンで。動く物と書いて動物なんだから、そもそも身体を動かす快感は本能として埋め込まれていると思う。体育を楽しいものとしてデザインしなおすことが必要なんじゃないかな。
体育の教育学部での研究ってどうなってるんだろ?
大人になってみると体育の授業ってあらゆるスポーツの体験の場で、そこから合うものに出会ういい機会だったのだろうけど、合わない、苦手なものでも到達目標が定められちゃうから嫌いだったんだろうな、と。
体育というか体育教師が嫌い、という話もよく聞くね。
コンプライアンスがうるさくなりました。と言いつつ運動神経が悪い人を嘲笑する映像を流すテレビが諸悪の根源。
これかと思ったけど筋トレもランニングも嫌いだし単に体を動かすことが嫌いだと気付いた
数学や国語などの他の学習も、学校の授業は嫌だったけど大人になってから学び直すと楽しいって人は多いしな。
体育の授業が、運痴にはイジメ同様なのがね。他の科目同様レベル別にして、下手くそでも笑われない、適切な指導で少しでも上達させられる授業になれば良いのだけど。そもそも試験とかいらないし。
学校の授業なんてどれもみんなうっすら嫌いなのに、体育だけは「私を楽しませろ!」スタンスになる人がいるのなに
またこの話題か…音読が嫌いな奴は相当いるだろうし、黒板の前で答えを書けずに固まっていた奴も居たと思うけどな…
スポーツという言葉に括られて語られがちだけど、運動、体育、競技って別々の要因だよね
何万回同じ話を繰り返すのか。結局は学校での集団生活ができない人間ってことで現代では病気扱いされる。
体育って文字通り体を育てる時間だよな。走り回ってガス抜きさせないとおかしくなるんじゃない?
なんであれ、強制されてやる事は普通嫌いである。勉強が好きな奴は「自分で勝手に勉強している」し、運動が好きな奴は「自分で勝手に運動している」。
授業でやらされると趣味でやるのとが違うのは当然で、得意科目でもなきゃそんな物だろう。歴史苦手だったけどドラマから好きになったとか、英語つまらなかったけど英会話教室は楽しいとか。
そんなん体育に限らずそうじゃね?算数も国語も音楽も美術も全部嫌いだったよ。でも音楽は金払って聞くし、本も金払って読む。
私は運動が嫌いです
昔から散々言われているよなあ。PS版の玲音も言ってた。
学校とは強制的に知識や技能をガキに埋め込む装置なので、大半の教科はうっすら人を不快にさせる。とはいえ、体育や音楽は謎には楽しいもの・べきものという刷り込みがある。体育は晒し者成分があるから余計にな…
この話題、擦られるペース早すぎん??それだけ恨みを持ってる人が多いってことなんだろうな
晒し者感があるからかしらね。まあ算数にせよ社会にせよ体育にせよ、義務教育は「勉強の仕方」を学ぶとこだから、自分で探求するときに初めて意味を知るのかもね。的なことをさだまさしがいってた。
まあ勉強も一緒だよね。ワシは子供の頃英語の授業がイヤでサボってたし、英語が嫌いなんだと思って避けてきたけど、今になって自分で高い金払って社会人留学に行くよ
体育が嫌いはありそう。教えるのが下手、とか個別指導するリソースが無い、とか?
わかる。自分のペースで体を動かすのは嫌いじゃないけど体育は苦手だったなー。球技とかは特に苦手で…
別につまらなくても最新の正しい走り方やストレッチとか効率のいい体力の付け方とか教育効果が高ければいいと思うが、実際は「全員一律で何キロ走れ。走り方は教えないが」みたいなやつだからゴミなのよ
レベルに差がありすぎるとスポーツでもゲームでもつまらなくなる。同じレベル同士で争うと意外と楽しかったりする。
このネタばかり擦りすぎだ。下手くそとやらされるのも気を使うからしんどいし、レベチ相手に戦わされるのも理不尽だし、英語、数学、体育を能力別クラスに分けるのが良いのではないか。
定期的に上がるヤツ、大人になってからジムや登山、自転車、マラソンなど色々やるようになったし、周りもそういう人多い
他の科目だと教師がその教科を好きになってもらおうと試行錯誤してる感あるが、体育教師だけはそういうのあまり感じなかったなぁ。皆好きで当たり前スタンスを疑いもしない。酷いと嫌いな人に不機嫌になる。
一輪車とかヨガとかピラティスとか好きだけど体育のカリキュラムにないし
他の授業も嫌だったろって反応があるけど、体育は軽いトラウマになるくらい特別に嫌だったんだと思うよ。
大人になってからは気持ちよく運動できてるなと感じるが、それはやりたくない運動をやってないからだとも思う。剣道とか器械体操とか野球とかバレーとかバスケとかサッカーとかダンスとか一輪車とかハードルとか高跳
競技やらせるならルールガイドと観戦ガイドはやったほうがいいと思うんだけどなー スポーツって、最低限ルール知らないとできないし、見るのも重要な側面のはずなのに学校でやった覚えないもの
「やらされる教科なんてどれもそんなもん」という意見もあるけど、うっすらどころか強烈なトラウマ体験とか、それで恨みすら持つ人もけっこういる教科なんてなっかなかないよ
体育に限らず、学校の教科の好き嫌いってその科目自体よりも担当教師や授業内容の影響の方が大きいからね。苦手な先生だから苦手な科目と勘違いしやすい。
悪のインターネット「体育の授業で笑い者にされ続けてきた、今まで威張り続けてきたアスリート様に対してやり返す機会があるならそれを活用したいと思うのが人情。ざまあみろ!」https://anond.hatelabo.jp/20210724221607
高校の物理の教師がクソで物理が嫌い、電気回路意味わからないって思って会社で仕事して「電気回路面白い!」ってなったので、人ややり方でだいぶ変わる感じがする。
そりゃ筋トレとか草野球とか草サッカーとかは楽しいに決まってるんだけど、体育の大部分はよくわからないできない技のマット運動とかさせられるから嫌なんだと思う。
体育って説明不足だったと思うんだよな。どういうトレーニングをするとどういった能力が伸びるとか、球技にしてもどういう駆け引きがあってどんな作戦が良いみたいな頭を使う要素があればもっと違ったと思ってる。
運動が得意でもないし、好きな競技があるわけでもないので部活には入らなかったが、ほどほどに体を動かせる体育は結構好きだった。気分転換になるというか。
他の授業はちゃんと教えてくれるが体育は本当に何も教えてくれないのよね。そして出来る奴らに散々怒鳴られ馬鹿にされ。授業中に出来ないやつをなじって馬鹿にする授業が他にあるのかと
先生が教科書を無視する教科(体育、美術、音楽)は苦手でした。運動、お絵描き、楽器弾くのは好きなのに。
高校時代に数学の成績が悪かったけど、後になって見たTV番組「たけしのコマ大数学科」で出た問題は普通に解き方を思いつけたので、学校の数学の定期テストが苦手だったと気付いた。学校が苦手意識を作ってるのはある
競技性ばかり槍玉にあがるが、それ除いたら見飽きた校庭か体育館で基礎トレばかり。楽しめる人はごく僅かだろう。でも公園では走り回っていた。何ら変わっていない。行ける場所が増えただけ。
センスあるじゃん。俺なんて大人になってからリングフィットやったりフィットボクシングやったりしてわかったけど純粋に身体動かしたくなかったわ
「運動」は本来楽しいものなんだけど、そこに「競技」を持ち込んじゃうと勝てる人しか好きになれない。勝ち負けが嫌いな人はかなりいる
これサッカー部とバスケ部のせいなんすよ。卓球部のせいで体育の卓球が嫌になる人いないでしょ。ちなみに野球部はソフトボールとかいう野球のヴァリアントしか活躍の場が用意されてないので謙虚なもんですよ。
あと、体育教師の無能さもあるよね。
共学はいいぞ
小中学生の体育、他の授業よりも運動神経悪いことで周りに馬鹿にされがちなのも嫌いになる原因かもと思った。
学校の勉強もかなりイヤだったなあ
強制されるから嫌いって意見はなんか違うなあ。
体育で「できない子」をできるように教えてたのって逆上がりくらいしか記憶にないな。今は改善されてるのかな?
学校の体育は他人と競争させて優劣をつける内容だから身体能力が低いのに負けず嫌いな性格の人には合わんやろうな。
運動好きだけど体育嫌いだったし、音楽系部活で、大人になってもがっつり音楽活動やってるけど、音楽の授業は大嫌いだった。
昭和の時代は 全員ができるまでやり直し、とかそういうスタイルでしたね。教師も学業優秀な子がなかなかできないのをみて嫌がらせ?していたり。
要するにやりたいタイミングでやりたいことしかやりたくないと
体育を嫌うのはまあ理解できるけど、その恨みで運動できる人を嫌うのは勘弁してほしい。こっちはやってみたら勝手にできただけで非はないんだから。
学校が嫌いってのが根底にあるから、たいくのある日は俄然行きたくないし、わかめの酢の物の日は熱出そうってなっちゃうね。
保健的概念というよりは、富国強兵のための鍛練的体育が色濃く残っているからなぁ。でも体力づくりには貢献していた面は否めない。
やる気があるものとそうでないものの違い以上のことは汲み取れないかなぁ。個人か団体かの違いとか。
部活も含めて学校の授業全般、切磋琢磨と称して競争させすぎてんのよね。今は少子化で少しは改善されてるのかもだけど。子供に勝負にならないくらいのレベル差つけると成長どころか折れるだけ。
運動も苦手だし、対面の対戦も苦手。目の前の人に対して「勝とう」って(健全としても)気持ちを出せないし、それを剥き出しにされると500mくらい引く。子供のそれなんて敵意と変わらんし。だからゲームも嫌い。
これ系の話、何度も目にするし体育のやり方が微妙というのもわかるけど、そもそも体育と運動が違うのは当然では。大人になってできることだけするのはそりゃあ楽しいよ。
潜在的な運動好きでも体育によって運動嫌いになる人が相当数いるというのは確かに問題あるし、可能なら改善すべきだろう。その際、自分みたいな根っからの運動嫌いは対象にする必要ないが。
ブコメで定期的に上がってくるやつ。球技全般が無理だし、徒競走はビリだったし、団体競技ではチームに嫌がられるし。目に見えて不出来なのがわかるし、迷惑をかけるし最悪。他の教科とは違うよ。
宵越しの負の感情は持たないので好きだったか嫌いだったかすら忘れた
体育って日本の教員のクズさ加減を凝縮した観があるからな。一旦廃止した方がいいんじゃない?それぐらい酷かったよ。
体育教師とかいう教師でありながら何も教えない唯一の存在
他の授業はほぼ個人戦しかないが、体育だけすぐに団体競技になるのがダメだよなあ。その点では音楽も近いのかもしれんけど、音楽は小学校だけしかなかったので比較的マシ
体育の特殊な点はチームの足を引っ張ることで存在しない方が良い子供を作り出すこと。いわゆるお勉強ではクラスメイトの成績が悪くても迷惑ではないし平均点が下がってくれて助かるまである
私は公平無私を極めているので、他の科目も全部嫌いだが?
気を付けとか前へ倣えとか軍隊由来でこの教科やっぱ特殊では。戦後GHQに禁止されてたのにその後復活させてるし。https://mag.japaaan.com/archives/179111/2
体育の授業があったから「信じられるか?この私にも逆上がりや跳び箱、バレーボール、ハードル走、遠泳をやってのけた時代があるんだぜ…」と思える。
団体競技が多いけど、私は運動神経が鈍いので、負けたらチームがなんとも言えない空気になるのがいたたまれなくて体育の授業嫌いだったな。
客としてやる趣味がもっとも気楽だってのはそうだろうなあ
マラソンや水泳のフォームをちゃんと教えてくれた体育教師もいたがほとんどは単に生徒にやらせるだけだったな
オレもアニメや萌え絵がキライなわけではなくアニオタがキライなだけかもw
学校でやる運動は誰かに不出来を馬鹿にされたり、チーム競技で足を引っ張ったせいで恥を感じることも多かったけど、大人になってからはそういうことがほぼないからね。自尊心が傷つくものはみんな嫌いでしょう。
体育や美術・音楽の授業が文句言われるのは、理論的・学術的・体系的な教育をしてなかったから。馬鹿・無能に強制的に時間を無駄に潰されて文句を言うのは当然。
もう一歩すすめて「体育教師が嫌い」もあるかなと思ってる。個人的な経験だと体育科の教員は人格者とクズに二極化してたけど、人格者の時の体育は楽しかったし、クズの時の体育はクソだった
ごちゃごちゃ理由つけて正当化してるけど、こいつらは「嫌いだから」「サボってた」って自白してるじゃん。身体的な理由や耐えがたい苦痛を感じる事情があって参加出来なかった人に迷惑かかるから黙ってほしい
スポーツジムのグループレッスンが嫌すぎてやっぱりこういうのはダメだと再認識したことがある。
やりたい運動だけ自由にやるのと授業として指定された運動をするのとでは当然モチベーションも変わる
「いい大人になっても子どもの頃は体育が嫌だったってネチネチ書き込んで盛り上がってる人達が嫌い」だった話
この感覚はすげーわかる!「運動神経悪い芸人」も見てて笑えないし。測定で優劣決めて、みんなでできないやつをクスクス笑うというのがスポーツの本質から大きくズレてる。
わかる。「過度な比較で劣等感を植え付けられる」これが問題。
最大の問題は筋肉痛。痛みに耐えながら通学しなければならないのがな。社会人は土曜日に運動すればいいし、疲れていれば無理する必要はない
全く同意見だけど、東日本大震災のとき友達が30階もあるビルからなんの混乱もなく整然と避難できた話を聞いて、学校体育の軍隊式教育がなければ不可能だったかもと思ったのも事実
あんまり好きではなかったけど大人になると「授業あるあるネタ」は体育が一番盛り上がる 地域性とか出るし
ちなみに今の体育というか学校教育って自分らの頃とは別物ってくらい格段に良くなってるよ。
運動は得意ではなかったけど体育全般が嫌いとかはなかったな。体育の水泳の授業とか好きだったし今も嫌いじゃない。走るのが好きじゃないし大人になってもそう。
羨ましいな、俺は根っから「体を動かすのが嫌い」。前世は肉食獣だったんだろう。まあ普通に「苦手なこと・強制されて嫌々やらされること」は大多数の人間は嫌いになるもんだよ。江戸時代は数学が娯楽だったんだぜ?
小1の3月生まれと4月生まれを一緒くたにして競わせるとか正気の沙汰じゃないだろ。跳び箱も飛べない、チームゲームでも活躍できない、大縄跳びで失敗して戦犯、子どもの自尊感情をズタズタにするには十分すぎる。
「生涯スポーツ」観点で練習ノートとか各競技のフォームの習得とか(による個々人の上達)を重視する先生に当たり続けたため、べつに普通に授業だった。/たまに代理の先生とかは軍隊ぽくて嫌だった。
自分も身体を動かすのは好きだけど「部活が嫌い」なタイプだった。で、個人的にトレーニングを積み重ね、体育の時間の長距離走で陸上部やサッカー部をぶっちぎり「ざまぁ」って顔する陰湿な性格…
この長寿社会、運動をしないと疾病になるんだから、他の教科の好き嫌いと同列にしないでほしい 音楽無くても生きられるが運動不足は死ぬ 食事や睡眠ぐらい学校で運動を好きにさせないと駄目なんだよ
体育教師が「適当にチーム組んでバスケでもしてろや?」と放置してた体育は楽しかったけど「ドリブルの練習とシュートの練習を並んで順番に行ってください」みたいなやつは死ぬほど嫌いだった
体育教師がヤクザみたいだったのも嫌だったな。おかげで治安は保たれたんだけどさ。
ヒャダインの本当いいエッセイだったよね https://www.jiji.com/sp/v8?id=202502taiiku-team
長女が公立の保育園に通ってるけど週に1度外部の先生が来て体の動かし方から教えてくれる体操教室をやってくれてる。これからは体育好きな子増えていくんじゃないかな
いわゆる「運動神経が良い」人が何もせずに生まれつき出来ていると思いすぎだよな。小学生低学年でもそこそこ動けるのは、小さい時から親や兄弟とキャッチボールしたりボール蹴ったりと段階を積んでいる。
運動が嫌いなのではなく、運動をするまでの準備と後片付けが嫌い勢。風呂と一緒(湯船に浸かるのだけなら好き)
せめて中学生までは、子どもの体育評価は、クラス内の相対評価ではなく、子ども個々人の成長率…過去の自分との比較で評価してやって欲しい。とは、幼少の頃から普通に考えていた。成長偽装で手抜きにもその手は一度
実は勉強が嫌いなんじゃなくて「授業が嫌い」だったのだろうか?
小中学校を通じて一度もこじらせていない奴だけいいねを投げなさい。嫌いの原因の半分は体育の先生だが残りの半分は自分自身だろ。過去の自分を綺麗でで無垢な子どもに改竄すんなよ。
「怪我したり、下手すると死ぬ危険性がある」「おおよそ5人単位で走ったり、跳び箱を飛ばされたりする都合上、他の順番待ちしている大勢の生徒の目にとまることになり、運動が下手だとかなり苦痛」この辺が嫌い。
個人競技は珍妙な動きで笑い者にされ、団体競技はチームの足を引っ張る敵として責められる
日本史の授業の歴史年表や人名の暗記とかは嫌いだったけど、歴史小説や歴史を題材としたゲームは好きなんていうのはよくある話だしな。
徒競走で足が遅いとかは別にいいんだけど、球技の団体ものは自分が足を引っ張ってる気がするのが嫌だった。
文化部でも歌唱や演奏系は体力必要だから体育とは違う意味でフィジカルが必要
同じような理由で俺は美術が嫌いだが?
なんかよい中年のいま体育の授業ずっと出てなくてやばいどうしようという夢を時々みる。実際はそこまで嫌いではなかったはずなのだが深層心理ではそうではなかったのか…
体育が嫌いで数学は必ず擁護されるの、はてブって感じがする
運動自体は良いことだし、体力維持や向上には必須だと考える。おそらく多くの人が身体の動かし方だとか競技のルールや上達方法の説明という「体育」を受けたことがなく、マジで体育教師って何やってんの?と思う
富国強兵軍国教育と人権無視の大量生産集団教育のハイブリッドだからそりゃそうよ それでね、これミキプルーンの苗木
Togetter兼Posfile三大ブクマ。(1)仕事が出来るけど性格キツい人より、仕事はそこそこでも人格が良い人と働きたい。(2)男と女のどちらが損してるか。(3)運動ではなく体育が嫌いだった。あと一つは?
そう言えば音楽も特に好きではなかったが、DTMでボカロを歌わせている
子どもはだいたい直近の主観しか持ってないので、指図されてやるのはなんでも嫌いだよね。
“大人になって、筋トレしたりピラティスしたりボクシングしてみたりお金を支払って時間を作って運動してる” すごい。体育の授業は別に嫌いではなかったけど、今、なーーんもやってない。清く正しい運動嫌いだ!
レジスタンストレーニングそのものが長らく軽視されてたから。「競技動作をしていれば必要な身体になっていく」って考えが第一線のスポーツですら根強かったじゃん。メジャーになったの多分最速で2016年頃だよ
そろそろ「勉強が嫌いだった」ってポストがはてぶの上位に入っていい。はてなーはスポーツに親を殺された、陰キャいじめられっ子の引きこもりなので、みんな食いつくけど。
授業の参加を矯正とか捉えている人の多さにびっくり。スポーツだって、体育や部活があるからこそ、家庭の金銭面の問題をある程度超えて、様々なスポーツにふれることができるのに。
わたしも体育の授業は大嫌いだったけど、体育教師だけが叩かれるネットの風潮にはウンザリしてる。どの教科もそうでしょ
「子供の頃は運動が嫌い」だったけど「今は運動が好き」っていう考えに至らないのは学校に恨みでもあるんだろうか。
体育の授業もさることながら、クラスの人たちの態度がもう無理だった(体育2のできない勢なので迫害された)。今はカバディという謎スポーツをやれてるし、斧投げれるし、筋トレも一通りわかるし、泳げるようにもなった
高校時代、バレーボールでチーム分けするとき、スポーツ得意なやつが順番に選んでいくのよ。球技苦手だったので最後まで選ばれず残る屈辱、今でも忘れない。社会人になってから始めたスポーツはどれも楽しかったな
俺も小学校の教師してた時、体育の授業嫌だったなー。ホント嫌だった。なくて良いよ。
大学の体育で、バレー専門の先生で技術や全日本チームのこぼれ話教えてくれたり、楽しかったのに、体育館建て替えで、翌年その先生がソフトボール担当になったら、そこらでやっとけーって投げやりで笑った
学校の授業なんて自分で楽しさ見出さなきゃ楽しくはならんで?そういう意味では保健体育はめちゃ好きだった。身体のことを知れるのはすごい楽しかったんだけど、あれで高得点取るとエロだと囃されるんだよな〜。
学校が会社が社会がと外圧に過敏に反応したりそれに共感したりが目立つようになった気がするけど、大変だなあ。鈍感でよかった。
小学生時代、体育(特に球技や柔道等)も勉強(座学嫌い。実技系は好き)も嫌いで、ほぼ給食とプールの為に学校行ってました。
体育も運動も嫌いでした。
俺は嫌いじゃなかったな。陸上の800~2000mや駅伝の選手に選ばれた時には「なんでバスケ部の俺が?」って毎回思っていたが、大会の数週間前から自主練習するくらいの責任感はあった。あの頃の俺…立派やったなぁ(涙)
体育嫌いだったボク、実は体育"が"嫌いだっただけなのにゃ!人生損した気分にゃ!
俺も作文が嫌いだと思い込んでたな。修正や否定しかない作業に面白さなんか感じようがない
歳とって身体動かすと、体育って「自分の身体能力を把握する学習」だとわかるんだが、学校で習う体育は「人間関係を刷り込む授業」になってしまっている
ソロプレイとチームプレイの得手不得手も関係ある気がする。学校の体育や運動会でやるのはチームプレイが多いし、柔道や体操などの個人競技でも団体戦があったりする。体育嫌いはソロプレイヤーが多いと思う。
この手の論って、体育は嫌いだが、運動が好きで友達と駆けずり回ってた様なエピソードが一つもでてこないので、昔は運動自体嫌いで今は必要に迫られて運動し始めてるんだろうなーって思ってる。
他人と比較・評価されることと競争が好きじゃない人が多いんだろうな。競争は、自分が勝てるなら好きな人は多いかな?でも比較・評価されるのは、自分の方が優れてると言われる場合でも嫌がる人が多い感触がある。
https://www.historycouncilvic.org.au/coinbasehelpcenter/how_to_get_a_human_on_coinbase_urgent_assistance
ビートセイバー楽しい。ゲーム性があまりないのが却ってよい。もっとああいうのないかなと探してるけど、ないんよな。
なんなら特定の体育教師が嫌いだった。やる気ないからテキトーにやる→やる気のないのがモロバレ→ますます嫌われるの悪循環
体育の内容が時代錯誤なんだよな。大人になっても自分のペースで運動が続けられる技術を学ぶ科目にすべきだと思う。競争は勝手に争え形式でやらせとけばいい
はてなーの運動ヘイト見るのもう飽きたわ。教育なんて本質的に強制だよ。体育を子供に好きにやらせてたら、大人になって緊急時とかロクに走れないぞ。馬や犬の馴致をかわいそうとか言うのと一緒で、くだらねえわ
「大人になって」たいていのことは、青年期はまだ発達してなかったが中年期になって発達が進んだから、で概ね説明がつく
首もげるほど首肯
ザーコザーコ
https://hdp-usa-prod-app-pgh-engage-file.s3.us-west-1.amazonaws.com/Doescoinbasehaveliveagents.pdf
他の科目も一緒。違うのは、ほかの科目は大人になったら使わないので、こういうことを感じる機会がない
体育て幅広すぎ。ダンスも短距離走も球技も柔道も体育。
まぁでも大人になってもあんなに走れなかったマラソンが、スロージョギングでキツくなく走れたら「あの辛かったんなんやったん??」ってなったので気持ちはわかる。(またこの話題か、もわかるよ)
“体育は教えもせずに結果を求める”確かに!!!いやまあ俺は体育好きだったけどさ。考えてみれば基礎訓練とか理論なんて一切やらなかったよなあ。なにかというとゲーム、競技ばかり。
授業は「評価」がつきものだからね。みんなより動きが良ければ、好きになったかもしれない。
体育も嫌いだけど、体育やら部活でイキるやつらも嫌だったなぁ。でもああいう手合いの方が、総体とのしての人生が幸福なんだろうなぁ。くたばれ
体育は楽しいのもあったが嫌なのもあった
競争が嫌だったなぁ。個人競技でランク付け、チーム対抗で勝ち負け、だから体育もだが合唱も嫌だった。時間までグラウンドぐるぐる歩くだけとかなら好きだったのにな
自分のせいでクラスメイトに嫌な思いをさせる科目って体育以外あるの?
体育の授業はトレーニングと測定だけにして運動競技は教えないようにすれば、皆公平につまらなくなるので良いのではないか。総花的にあれこれ細切れに運動競技するよりも体力は付くと思うしw
その延長で運動は好きだけど、部活が嫌いもある。
万年補欠の野球部員が体育で野球することになったときだけひどく偉ぶっていて…最早社会の闇を感じるレベルだった…乞食になることを志すなら周囲からどう見られるか常に意識しないとね
私は子供の頃体育の授業が嫌いで、パーソナルジムで鍛えたりもしたけど、私は運動そのものが嫌いなんだと気づいた。
自分は体力もなく球技もからっきし才能なかったけど、体育は好きだったなあ。ずっと机に座ってるより頭がスッキリする気がした。周りの友人たちにも恵まれたのかも。体育の教師はクソだったけど。
組体操が嫌だったな。どうせ強制するならアメリカのNFLみたいに高卒とともに数10億円稼げる競技にしてほしい
自分は少なくとも「嫌い」と「サボる」が結び付かないので、サボるのを正当化する口実を見つけたかっただけに見える。サボりたいときにサボると開き直ったほうがまだ潔いのでは。
学校は全部強制だけど…、勉強は個人、体育は集団。勉強はみんな嫌い、体育は嫌いな人が少数派。ちなみに美術は個人・好き嫌い比率は不明、音楽は集団で嫌いな人がやや多数派
この話、定期的(定期的とは言ってない)に出てくるよね。
大人になっても、学校の体育のように運動能力がバラバラの多数を固定メンバーとして混ざってやり続けるのは嫌な場合が多いのでは?習い事のプールや体操は少人数な上に級でわけるよね。
私も体育の授業は、怒鳴られたりビンタされたりで、トラウマしかないわー。スポクラでプールで泳ぐのは最高に楽しかった
体育って大変だもんね
体育にはイヤな思い出しかない。今、ひとりで楽しめる登山やランニングをやってるが、こんなに身体を動かすことが好きだったと気付いたよ。
それな。俺も学校卒業してからのほうが自主的に運動するようになった。
あれ?俺、これ見たことある。タイムリープしているっぽい。5周目ぐらいか?
団体行動が嫌い。。サッカーとか連帯責任になってイジられるのが嫌い。
体育は嫌いだったけど、海水浴や公園のアスレチック、スキー、山登りは好きだったから運動嫌いというレッテルを自分で自分に貼るのは断固拒否した。
まーた始まった。
小学生くらいの頃は水泳が嫌いだったけど、大人になってジムのプールの教室で四泳法をコーチから習ったら泳げるようになって楽しかった。成長している実感が必要なのだと思う。
むしろ体育のサッカーやマラソンは楽しくて好きだったが大人になったら筋トレレベルですら運動しなくなった勢
まーたネットの体育嫌いの話だよ。何回擦るんだこれ
未熟で不安定な子どもから大人になって楽しめるようになっただけ